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東アジアのリアルな情勢をどう考えるか? 本紙エッセイスト後藤正氏の主張に読者が反論!


激論!「北朝鮮脅威論」
リレーエッセー 後藤 正氏
VS
読者反論投稿  新見 明氏


後藤 正氏 核武装は祖父の代からの北朝鮮国家の悲願  2017.06.19
新見 明氏 今の日本は北朝鮮を批判できない      2017.10.06 長文のため、編集部の責任で一部要約
後藤 正氏 北の核容認は日本の未来に禍根を残す    2017.11.10
新見 明氏 北朝鮮脅威論は誰に有利に働いたのか    2018.01.10長文のため、編集部の責任で一部要約
後藤 正氏 恐喝に遇った青春の苦い思い出       2018.02.10

核武装は祖父の代からの北朝鮮国家の悲願      後藤 正

2017.06.19

 よく晴れた空に飛行機雲が筋を描いている。我家は小牧空港への通り道だったと気がつく。飛行機雲は穏やかでいいが、ミサイルだったらどんな雲になるだろうとふと思う。

 こんな連想が働いてしまうほど北朝鮮のミサイル発射は日本国民にとって身近な不安になった。

 そもそもなんでミサイルを発射するのか?私なりに考えてみた。

 まず北朝鮮という国家は「東西冷戦の遺物」だということだ。米ソの冷戦は、ソ連の崩壊と中国の市場開放への転換、東西ドイツの融合、リビア・キューバの変化など社会主義国が軒並み消滅することで終焉し、市場開放の時代へと大きく転換した。残っているのは北朝鮮だけだといっても過言ではない。

 つまり北朝鮮は冷戦時代のままの構造で国家体制を維持しようとしている国なのだ。それは金一族の世襲に問題があるだけではなく、国家体制(チェチェ思想による自主独立観)におおいに関係している。

対話で止めさせるのは無理だ


 冷戦時代に米ソが直接戦うことはなかった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、みんな代理戦争だった。両大国が直接戦えばそれは核の応酬になり、人類の滅亡につながるからだ。

 そこに割り込む形で中国が台頭した。三大国の核競争はICBM(大陸間弾道弾)から宇宙空間へと拡散し、ソ連の崩壊でやっと中断した。

 いま北朝鮮がめざしているのは冷戦時代の中国の模倣だ。核搭載のICBMさえ持てば中国と同じように米国と対等に渡り合える。それこそが国家体制を維持する道だと、金日成(祖父)の時代から努力してきたことがやっと実を結ぶ段階に入ったのだ。

 だからミサイル・核の実験を対話で止めることは絶対に無理だ。止めれば北朝鮮の国家としての生命が崩れてしまう。一日も早く目標を達成しようと技術向上の実験を必死で繰り返しているとみるべきだ。

 米国防総省の1994年の試算では開戦となれば米軍で十万、韓国軍で百万の人的被害が出るという。さらに難民が発生し、中国大陸へ殺到する。敵国である日本には来ないと思うが、いずれにせよ軍事攻撃に踏み切るには相当なリスクを覚悟しなければならない。

 トランプ大統領の「アメリカファースト」は世界の警察官をやめるという意味でオバマ路線の継承だ。米軍が躊躇し、韓国も望まないとなれば事態は硬直化し、北朝鮮はICBMを完成させて核大国の仲間入りを果たすだろう。そして米国が北米大陸に引っ込み、韓国が北寄りに統一する道を模索すれば、日本は孤立するしかない。 

 オバマ大統領の8年間の平和主義が無能に思われ悔やまれる。


今の日本は北朝鮮を批判できない   豊田市平芝町 新見 明

2017.10.06

一方だけ悪魔的に扱うのは偏見

 矢作新報6月19日号のリレー・エッセー「核武装は祖父の代からの北朝鮮国家の悲願」〜対話で止めさせるのは無理だ〜を読んで、反論を書かざるえません。筆者の後藤正さんのような戦力増強を主張する考え方が、いま世間で大手を振ってまかり通り、若い世代にも浸透している危険性を感じるからです。

 先の戦争では自国民300万人、他国民2000万人が死んでいきました。そんな悲惨な戦争体験の中から生まれ、支持されてきた「憲法9条」さえ亡きものにしようとする動きが大きくなり、座視して居れない事態になりました。

 朝鮮戦争のとき、マッカーサーは原爆投下を計画していたでしょう。1967年時点で韓国、沖縄に2600発の戦術核があると書いた本もあります。いま、一方の核兵器だけを悪魔的に取り上げるのは偏った見方ではないでしょうか。

 北朝鮮が本格的に核兵器を持つ決意をするのは、リビアのカダフィが欧米の仲間入りをするために核兵器計画を放棄した頃です。そして計画を放棄したリビアは2011年、NATOとアルカイダ系武装集団によって国を破壊されました。そしてイラクも破壊され、今シリアもアメリカとその同盟国傭兵によって侵略されています。これらの経験から北は核兵器保持の意思を固めたのです。

 毎年38度線付近で行われる米韓合同軍事演習は2ヶ月間に渡り、北にとって大きな脅威です。核兵器投下訓練や、金正恩暗殺計画も入っていますが、それをメディアはあまり報道しません。北の脅威ばかりが大々的に報道されます。今年は日本も行動を共にし始めています。

平和主義では駄目ですか?

 リレーエッセイのタイトルに「対話でやめさせるのは無理だ」とあるように、後藤さんは日本も武装と軍事強化が必要だと言いたいのでしょう。これは安倍政権と同じ考えです。

 安倍政権は対話の努力をしたことがあるのでしょうか。北朝鮮に対して絶えず「制裁」と「圧力」の外交を強調しています。拉致問題も、6者協議も全く前進していません。2015年の安倍首相の中東訪問では有志連合だけに肩入れし、イスラム国から敵国扱いを受けるようになって日本人犠牲者を出してしまった。一方だけに肩入れし、お金をばらまくのを外交とは呼びません。喧嘩になったら双方の意見を聞き、仲裁しようとするのが常識的な対処です。

友好関係を築く外交こそ大切

  しかし現政権は「やられたら、やり返せ」という単細胞的な思考です。言葉の未熟な者ほどすぐ暴力に訴える。外交が苦手な者ほど、戦争、戦争と煽り立てる。戦争にならない友好関係を築く努力の方が大切ではないでしょうか。

  現在の日本の状況は、秘密保護法、集団的自衛権、共謀罪と、権力者の都合のいいように異論を挟む者を排除する体制ができあがってしまった。戦前の治安維持法の時代へ逆行するばかりだ。異論を挟み、批判的視点の意見は排除される世の中になってきているのです。民主主義とは、異論を自由に闘わせられる世の中のことです。その点で今の日本は北朝鮮を批判しておれません。

北朝鮮の脅威をあおり立て軍拡に頼るより、平和のための努力(外交)をもっとしないと恐ろしい事態がやってくるのではないでしょうか。

 北朝鮮の矛盾ばかりを言い立てるより、自国の矛盾、世界の矛盾を考えることの方が先ではないでしょうか。

北の核容認は日本の未来に禍根を残す      後藤 正

2017.11.10

両方の妥協点が見つからない

 以前北朝鮮の核ミサイル問題について『対話で止めさせるのは無理だ』と書いたところ反論をいただいた。しかし論旨がよくわからない。私への反論ならば「対話で解決すべきだ」となるべきだが、何も具体的な提言がない。願望を述べただけとしか思えない。

 対話をしようとしても米朝間で妥協点が見つからないから厄介なのだ。米は核ミサイルを放棄するのが交渉の前提だと言い、北は祖父の代からの国家戦略として、これしかないと築き上げてきた路線だ。だから譲れない。両方の落としどころが見つからないのだ。

 北には選択肢は2つしかない。①核ミサイル開発を今後も続けて世界で4番目の大陸間弾道弾保有国になる。核保有国どうしの戦争は今まで起きていないから核の抑止力で米に攻撃をさせない。②核ミサイルを放棄して米の軍門に降る。これは国内的には金体制の崩壊を意味する。

 つまり北に選択肢は無いに等しいのだ。私の言う対話で核ミサイルを放棄させることはできないとはこういう意味だ。

 対して米に選択肢はいくつもある。①北を軍事攻撃する。現在、空母3隻が朝鮮半島周辺を取り巻いている。空母1隻は普通国1国の軍事力に相当するという。米の戦力は65年前の朝鮮戦争当時とは桁違いだ。それに米軍は何度も戦争を経験しているが、北は一度も経験していない。結果は明らかだろう。
 ②斬首作戦。これは金正恩委員長の暗殺の意味もあるがトップのすげ替えだ。一番犠牲が少ないと考えられるが実現は難しい。
 ③核ミサイル容認論。米では北の核ミサイル保有を容認しても現実に北が撃つことはできないという楽観論がある。オバマ大統領がこれに近かった。放っておけばいいという論だ。

 しかし核拡散防止の視点でみれば、つぎつぎと核保有国が出現するきっかけともなり問題がある。

 実は私は米の本音は容認論ではないかと思っている。95年に北の核疑惑が出た時、当時のクリントン政権が軍事攻撃に踏み切るべく犠牲者数を試算した。米軍5万、韓国軍百万という数字が出た。余りの多さに攻撃を断念してカーター元大統領を派遣し、北への軽水炉の提供など多額の援助で合意をした。

 日本が容認論を承服できないのは、植民地時代の補償と称し核で脅してくる可能性があるからだ。

 ロシアのプーチン大統領によれば、2000年に金正日総書記と会談した時、核保有していると明かされたという。北は国民が餓死しても核開発を進めてきたのだ。止める訳がない。

 残念ながら開戦以外に核ミサイルを放棄させる道はないと思えるが米が踏み切るかどうかだ。

北朝鮮脅威論は誰に有利に働いたのか   豊田市平芝町 新見 明

2018.01.10

北の核だけ問題視するのはおかしい

 矢作新報11月10日号に後藤正さんのリレーエッセイー『北の核容認は日本の未来に禍根を残す』が掲載されました。前回の私の反論(10月6日号)にまともに答えて頂きましたが、「残念ながら開戦以外に核ミサイルを放棄させる道はない」という恐ろしい結論で終わっていました。

 開戦がどんな事態を引き起こすか思い描いたことはあるのでしょうか。死者は日本、韓国、北朝鮮の人々をあわせて何十万人になるだろうか。そのほとんどが民間人です。核戦争にでもなれば、近隣諸国はもちろん世界中がその影響を受けます。そんな結論を平気で出せることが私には理解できない。だから私達は戦争にならないために対話(外交)の努力をしているのです。

 先の衆議院総選挙で改憲勢力が80%の議席を占め、憲法改正が日程にのぼろうとしています。麻生副総理・財務大臣は自民大勝について「北朝鮮のおかげかも」と本音を漏らしました。

 森友・加計学園問題で内閣支持率を落としていた時に、憲法で定められた野党の国会開会要求を何ヶ月も聞かず、ようやく臨時国会を開いたと思ったら首相の所信演説もなしに冒頭解散でした。誰もが首相の「丁寧に説明する」という言葉を嘘や方便としか思えなかったことでしょう。政治に倫理観を求める方が間違っているのでしょうか。だとしたらますます国民は政治から離れてしまいます。

 北朝鮮脅威論が森友・加計学園問題を吹き飛ばしたような事例は、過去を振り返ればたくさんあります。

 アメリカはあの9・11事件のあと、「テロとの戦い」と言ってアフガニスタンやイラクを侵略しました。誰が犯人か立証される前に、そしてサウジアラビア人が大部分なのにアフガニスタンやイラクに攻め入ったのです。「大量破壊兵器がある」と言ってイラクを攻めましたが、それはでっち上げだったことが国連の調査でも明らかになりました。あの時アメリカの国会議員は一人を除いてみなアフガニスタン戦争に賛成したのです。

冷静さ欠くナショナリズム


 日本でもかつて満州事変で、関東軍のでっち上げで日中戦争に突入していきました。あのとき戦争に反対したら憲兵に追い回され、近所では非国民扱いです。

 最近の日本でも嫌韓、嫌中国のヘイトスピーチが荒れ狂っています。日中友好の雰囲気があったのに、日中漁業協定に反して漁船を拿捕し、日本で拘留したことから中国の反発を招きました。そして石原元東京都知事が尖閣諸島の買い上げを提案して以来、急激に世論は中国バッシングが強くなりました。小さな領土問題が大きな戦争へ発展した例は歴史にたくさんあります。

 後藤正さんは北朝鮮だけを問題にして書いています。オバマ政権が今後30年間で1兆ドルの新型核兵器開発に予算を付けたことは問題ではないのか。イスラエル、パキスタン、インドなどが核兵器実験を行い所有していることは問題ではないのか。明らかに二重基準です。北の核兵器を容認するかどうかではないのです。全ての核兵器が問題なのであって、北の核兵器だけことさらに取り上げて危機を煽るのは、冷静な判断を欠いたナショナリズムなのです。

 最後に、ナチの宣伝相ゲッペルスの言葉を思いだそう。

 ──戦争を起こすのは簡単だ。国民には「わが国は他からの攻撃にさらされている」と言い、戦争反対の平和主義者がいれば「非国民」だと非難する。これだけでよい。 このやり方は、どんな体制の国でも有効だ──

恐喝に遇った青春の苦い思い出      後藤 正

2018.02.10

身を護るために道場通い

 私がまだ若くて20代前半だった頃の話である。居酒屋で一杯やって外に出ると夜風が心地よかった。

 ふらふら歩いていると後ろから声がかかった。

 「兄ちゃん、金を貸してくれ」と言う。

 「人に貸す金はねえよ」と答えると、

 「おれは○○組の者だ」と言う。恐喝である。

 「何組か知らねえが金はねえ」

 事実、さっき呑んでしまってスッテンテンだった。

 するといきなり回し蹴りで頭を蹴ってきた。慌てて両手でブロックすると逆から蹴ってくる。

 こいつ慣れているな、と感じた。私はじりじりと押され、路地に追い詰められてしまった。

 その時ビールケースが目に止まった。素早く1本を取り出すと身構えた。相手の攻撃はピッタリと止まった。が、私は息があがって反撃ができない。

 ここからどうしようかと睨みあいながら思案を始めた時だ。パッとライトが当った。見ると警官が3人立っている。

 「なにやっとんじゃ」

 「いや、あの、この人が金を貸せと言うもんで…」

 私が言い終わらないうちに警官は相手に平手打ちを数発喰らわした。

 「持ち物、全部出せえ」

 凶器を持っていないのを確認すると、相手の両脇を抱えて連行していった。残った警官が私の方を向くと「署までご足労願えますか」と言った。

 取調室の椅子に生れて初めて腰をかけた。

 「前(前科)がある奴でした。厳罰に処すことを希望しますか?」

 私はこっくりと頷いた。出張手当の千数百円をもらって深夜に帰宅した。

 この事件は暴力に対する私の考えを大きく変えた。それまでトルストイの平和主義だとか、ガンジーの非暴力主義だとか、当時の社会党の非武装中立論を良い思想だと思っていた。

 しかし現実は甘くはなかった。襲う側に立てば相手がどんな考えの持ち主かは襲うこととは関係がない。金を持っていそうな、しかも自分より弱くて反撃しそうにない奴から効率よく金を奪えばいいだけの話だ。 今と違って当時の豊田市は治安が悪かった。特に南部の工場地帯は男社会で職工が溢れ、強盗、恐喝の話は珍しくなかった。

 私が襲われても軽傷で済んだのは、たまたまビール瓶という武器を手にして立場が相手と互角になったことと、警官がたまたま通りかかったことの二つの偶然が重なったからに過ぎない。特にパトロール中の警官の偶然の登場は大きい。

 以後私は空手道場に通い黒帯になり、自らの武装化に精を出した。

 いま東アジアには恐喝が幅を利かせ、暴力を取り締まる警官役がいない。


















































































































































































































































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