ぶんかの定点観測

かとうさとる いけばな文化研究所主宰・豊田市保見ヶ丘在住

新型コロナの向こうに(4) とよた劇場元気プロジェクト2020が本公演 119

■とよた元気プロジェクト/石黒秀和 (1).jpg 今週19日(土)・20日(日)、豊田市民文化会館小ホールで、とよた劇場元気プロジェクト2020第三弾本公演「ワタシたちの物語」、「オレたちの物語」の2本が上演される。

 元気プロジェクトは、コロナ禍で活動の自粛を余儀なくされたとよた演劇協会会長の石黒秀和さんら豊田市で活動する演劇人が結集。コロナ禍での新しいカタチの演劇に挑戦するもので、既に第一弾、第二弾を上演。当然のように感染対策も万全で実証済みだ。

 余談に逸れるが、私がとよた演劇協会会長の石黒秀和さんを知ったのは27年前。その時の印象を『とよた文協』#14「人物探訪」に次のように記した。

 【シナリオ、キャスト、スタッフを全部公募というユニークな市民創作劇場の稽古が今年も中央公民館で始まった。7月11日に行われたオーディションには百名近い応募があり、2年目を迎えて演劇熱は早くもヒートアップ。この芝居のシナリオ「ファイト」を書いたのが演出家の石黒秀和さん(24)だ。▼石黒さんは、豊栄町在住の生っ粋の豊田っ子で脚本家倉本聰が主宰する富良野塾の六期生。現在も富良野塾のスタツフとして活躍している。9月からは富良野塾の全国公演があり、北海道に戻るため、演出のダメ出しは寸暇を惜しみ容赦がない。「プロにないもの、演劇で甲子園の感動を」との抱負は、どんな演劇論より明快だ。▼ストーリーは7話からなるオムニバス形式。「都会で生活する人間の孤独と優しさを」をテーマに、芝居というよりもドキュメンタリーともいえるもので、深層を流れる人間賛歌の眼差しは、私淑する倉本聰の世界と重なる。(後略)】

 長々と転載したが、ローマは1日にしてならず。今でも石黒さんの演劇活動の原点がこの「ファイト」に凝縮されていると思っているからである。明けない夜はない。未来という灯を燈す「とよた劇場元気プロジェクト」に万雷の拍手を贈ろうではないか。

新型コロナの向こうに(3) 「記録」が歴史を作る農村舞台 118

4面・ぶんかの定点観測.JPG 2022年に予定されているあいちトリエンナーレ改め、新・国際芸術祭(仮称)の芸術監督に森美術館長の片岡真美さんが決まったそうだ。

 片岡さんは時の人で、名前と愛知県出身ということは知っていたが、日経新聞に連載された「私の履歴書」によると。父親はキリスト教、英国教会の流れをくむ日本聖公会の牧師で、片岡さんが幼いころ豊田聖ペトロ聖パウロ教会に牧師として赴任。当時の思い出を、人格や価値観の形成に影響を受けた父親への感謝と重ね合わせて懐かしく記している。ただそれだけのことだが、行間から片岡さんの深い人となりが知れて何だか嬉しくなってしまった。

 冒頭から余談に逸れたが、片岡さんのニュースは大相撲のご当地びいきのようなもので、ご容赦を(笑)。

 さて、ニュースと言えば農村舞台アートプロジェクトも負けていない。

 新型コロナウィルスの感染拡大で行事の中止を余儀なくされたのは周知のとおりだが、「何ができて、何ができなかったのか」。農村舞台アートプロジェクトの10年を「史」として検証する作業に着手。

 文化振興財団に話を伺うと、今週22日(日)には農村舞台寶榮座で、阿波人形浄瑠璃の本場、徳島県立阿波十郎兵衛屋敷館長を交えた焚火座談会を予定しているというからさすが文化の職業集団である。

 ちなみに検証結果は、来春を目標に農村舞台アートプロジェクト10周年記念誌として編纂。内容はA4版約190頁。農村舞台の展開と可能性を未来志向で問い直す検証報告と図録で構成。他に農村舞台の成り立ちから今日までの流れを俯瞰する年表も予定しているというから、上梓されれれば破格の一書になるのは言を待つまでもない。

 「記録」が歴史をつくるというが、ピンチをチャンスに変えた農村舞台アートプロジェクトの挑戦に万雷の拍手を贈りたい。

新型コロナの向こうに(2) 農村舞台寶榮座協議会が仏教講座 117

4面・ぶんか鈴木正三.jpg 「怒田沢村にはお寺はないがお寺を造らず舞台を造った」と、木村妙子著「怒田沢村物語」に記された怒田沢町諏訪神社農村舞台寶榮座。

 滞在型の楽屋を併設した市内随一の舞台で、再建されたのは明治30年。村役の「太くていい木を出した人はいい役をつけるで出しとくれ」の呼びかけで、家の山で一番いい太い木を競って寄付したというから、集落の芝居好きは筋金入り。

 残念ながらこうした伝統も少子高齢化には抗えず、集落の村歌舞伎は萩野小学校の萩野子供歌舞伎に引き継がれたが、舞台は廃絶の声も出るなど厳しい冬の時代に突入。転機が訪れたのは農村舞台アートプロジェクトの開催だった。

 プロジェクトに触発された地元の有志が中心になって賛助会員制度を導入した農村舞台寶榮座協議会(青木信行会長)を設立。寶榮座を開放して、全国から人を呼び寄せようという破天荒の企みである。

 現在では、賛助会員も150余の団体・個人を数え、パンク歌舞伎ハラプロジェクト「吉例寶榮座七夕歌舞伎」が足助の名物行事となるほか、中国映画を見る会、寶榮座寄席などが定着。順風満帆に見えたが、今回のコロナ禍である。

 ここからが傾奇者の血を引く寶榮座協議会の面目躍如である。とよた森林学校主任講師の北岡明彦氏を講師に、寶榮座周辺環境整備ワークショップを実施。手応えをつかむと、今度はソーシャル・ディスタンスで仏教講座を開講するというのである。

 それも並の講座ではない。鈴木正三研究の第一人者佐藤一道氏(平勝寺住職)を講師に迎え、郷土の偉人で江戸時代初期に仏教思想家として活躍した鈴木正三の思想と実践を理解するために腰を据えて、仏教を学ぶという前代未聞の仏教講座なのである。

 私も豊田市鈴木正三顕彰会の役員の末席に名を連ねているが、話を聞いたときは青天の霹靂。コロナ禍を逆手にとつた農村舞台寶榮座協議会の逆襲で、観測子はついていくのが大変(笑)。

写真は鈴木正三像(鈴木正三が創建した則定町心月院蔵)。
第1回寶榮座仏教講座▼日時/令和2年10月24日(土)14時。会場/豊田市怒田沢町「青葉の館」。参加料無料。問合せ/農村舞台寶榮座協議会☎090・5105・9964(青木)☎090・5875・9717(加納)

新型コロナの向こうに(1) 地域に愛されて劇団笑劇派22年 116

4面・ぶんか.jpg 新型コロナウィルスの影響で、ほとんどの催事や文化事業が中止を余儀なくされているのは周知のとおり。

 こんなときは紅葉狩りでもと、楽しみにしていた「香嵐渓もみじまつり」と「ライトアップ」、「小原四季桜まつり」の中止が決まるなど、依然として収束の気配が見えない。

 それでも明けない夜はない。ピンチはチャンスである。いま、とよたの文化の「場」はどこに在って、何を生み出そうとしているのか。「新型コロナの向うに」は、そんな現場を5回のシリーズで取り上げます。

 初回の劇団笑劇派は、座長の南平晃良さんが19
98年喜劇団笑劇派として旗揚げ。翌年、1周年記念公演を開催。記憶違いでなければ、会場は当時私が管理者を兼務していた旧中央公民館ホール。劇団ドラマスタジオの岡田隆弘さんに「農林の劇団だが面白いぞ」と薦められて足を運んだ。

 感想を一言でいえば「使える」というのが第一印象で、目から鱗。以来財団行事のMCや、県文連芸能大会の出演などなど、活躍を目の当たりにしてきたが、私も職を退職。時が流れた。

 以後の活躍は、メディアのレギュラー番組出演のほか、2006年には年間舞台公演数200回を突破。全国高等学校芸術鑑賞会の一環で全国公演を開始するなど、読者の方が詳しいため省くが、それでも百聞は一見にしかずである。

 確かめるべく笑劇派22周年記念・平戸橋ばしっと!ライブに足を運んだ。もちろん受付での消毒、間の取り方など感染防止対策は医療機関のお墨付きで万全。 何よりも驚いたのが客層のキャラ立ち(笑)。みんな掛け合いで抱腹絶倒。私など今浦島であれよあれよである。演じる役者がいて、「場」があって、彼らを楽しみに待つ「人」がいる。この内の一つでも欠ければ劇団はなりたたない。増して地方都市である。笑う門には福来る。劇団笑劇派、奇跡の22年に万雷の拍手を!。

写真・月代みことさん(前列中央)をゲストに迎えて開催された22周年記念・平戸橋ばしっと!ライブ第1弾でカーンコールに応える出演者のみなさん。前列右が座長の南平晃良さん。第2弾は、9月27日(日)午後3時開演。ゲストはモノマネ芸人のしんどう幹司さん。問合せ/豊田市平戸橋町波岩7-7☎0565-77-5734。※写真/柴田康宏さん提供。

小原に永眠するわが愛しの杉田久女 115

4面・ぶんか.JPG 杉田久女(すぎたひさじょ)の名は、小原地区の松名町に句碑があるため知っていたが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ある夏、そんな驕った認識を一変する事件が起こった。いけばな歳時記で蓮や睡蓮など水物の句を調べたが、みな類型的で面白くない。諦めかけたとき、衝撃的な句が目に飛び込んできた。「睡蓮や鬢に手あてて水鏡」。詠んだのは杉田久女。艶やかな情景が立ち上がってきたからである。

 杉田久女とは何者なのか。付け焼刃を承知で調べてみてまた目から鱗。師の高浜虚子はもちろんだが、松本清張、吉屋信子、田辺聖子らが競って小説に描き、渡辺美佐子、大地喜和子、樹木希林、高橋惠子などなど錚々たる女優たちが舞台やテレビドラマで久女を演じていたからである。

 問題はここからである。杉田久女は、昭和初期に活躍した日本を代表する女性俳句の先駆者として知られているが、なぜか師の高浜虚子から敵視され破門されたというのである。「常軌を逸して虚子を慕い、周囲を攻撃し、遂には心を病んで破滅した奇人」という久女伝説である。タメにならない流言飛語だが、久女の心をどれほど傷つけたか想像に難くない。

 経緯は省くが動いたのは作家の田辺聖子。久女伝説の虚構を正し、俳人としての真価、人間としての実像を描いた評伝小説『花衣ぬぐやまつわる…わが愛しの杉田久女』を上梓。田辺聖子が描いた久女の半生は、1988年3月、NHKドラマスペシャル「台所の聖女」として樹木希林が演じ、久女の復権に向けた流れが一気に加速したのは周知のとおりである。

 残念ながら現下のコロナ禍で募集句のみとのことだが、今年も「おばら杉田久女俳句大会」の時期が近づいてきた。せっかくのチャンスである。みんなでNHKプレミアムカフェに「台所の聖女」再放送のリクエストをしたらどうか。私のお願いである。宜しく。


写真は旧杉田家の長屋門。邸内には長女の石昌子さんが建立した句碑が建ち、久女と宇内は邸内の墓所に永眠。久女の聖地として全国各地から訪れる人も多い。

豊田市郷土資料館が新型コロナで企画展 114

■郷土資料館企画展/スペイン風邪とコロナウィルス (1).jpg 新型コロナウィルスの緊急事態宣言は解除されたが、ここにきて東京を中心に首都圏で感染者が拡大するなど、また雲行きがおかしくなってきた。

 それにしてもである。新型コロナウィルスとはなんなのか、未だよくわからない。政府もメディアも「正確な情報を入手し、正しく怖がることが大切」と注意を喚起しているが、予防に関する専門家の見解が異なるなど、反って風評被害を煽っているようなもので、「おいおい」である。

 それでもわかってきたことがある。付け焼刃で恐縮だが、朝日新聞に随時掲載されている生物学者の『福岡伸一の動的平衡』によると。⑴ウイルスは無から生じたものではなく、もともとずっとあったもので、生命の進化に不可避的な一部である。⑵宿主が免疫を獲得するにつれ、ほどほどに宿主と均衡をとるウイルスだけが選択されて残る。⑶コロナウイルスは新型ではなくなり、常在型な風邪ウイルスと化す。⑷(ウイルスが残るため)ワクチンや特効薬が開発されてもウイルスに打ち克つことはできない。⑸長い時間軸で、リスクを受容しつつ動的平衡を目指すしかない。

 要はコロナウイルスは、時を経て「かかっても治せばいい」普通の病気になるというのである。

 前置きが長くなってしまったが、豊田市郷土資料館がこの新型コロナウイルスをテーマに企画展を立ち上げた。(仮称)豊田市博物館の中心的取り組みである「記憶の収集と継承」の一環として企画されたもので、タイトルは「スペイン風邪とコロナウイルス」。

 ちなみに、1918~20年世界各国で大流行したスペイン風邪は、20世紀最悪のパンデミックとされ、死者は世界全体で2千万~4千万人、国内でも40万人前後が亡くなった。郷土資料館に話を伺うと、感染防止の対策や社会の動揺が、新型コロナウイルスに見舞われている今と、リアルに重なるというから見逃せない。まさにタイムリーな企画展である。会期は11月29日迄。問合せは豊田市郷土資料館☎0565・32・6561

歴史ミステリー実在したとよたのまほろば 113

4面・ぶんか.JPG コロナ禍で開催を見合わせていた、猿投山南山麓に展開した古代文化を楽しみながら学ぶ「ふるさとカフェ」の開催が決定した。

 テレビの再放送に倣ったわけではないが、当コラムで「ふるさとカフェ」を取り上げるのは4月に続いて二度目。えっネタ切れ? 人生いろいろコロナ禍もいろいろ、いいじゃないですか(笑)。

 さて、こんな時代である。稽古照今という言葉があるそうだ。稽古の「稽」は考えるという意味で、「古(いにしえ)を稽(かんが)え今に照らす」。私たちはどこからきて、いまどこにいて、どこへ行こうとしているのか。ふるさとの歴史に思いを馳せるのも悪くないと思うがどうか。

 と、言っても弥生・縄文時代に遡っては時間が足りない。ターゲットは大宝律令(701)が完成した古代国家の時代。天皇が国家の頂点に立ち、太政官の下に政務を担当する8省が設置され、地方に国・郡・里(後に郷)が設置された時代である。

 豊田市地域は、碧海郡に属した旧上郷・旧高岡の南部地域を除いて、三河国賀茂郡に属し、郡の下に拳母、高橋、伊保、信茂、賀茂、山田、仙陀、加祢の八郷がおかれた。 

 古代寺院址の塔の心礎研究分類で「舞木廃寺形式」と呼ばれる国指定の舞木廃寺が建立されたあの時代である。どこに郡の統治を行った郡家(役場)があって、どんな社会で、どんな文化が花開いていたか。

 冒頭の「ふるさとカフェ」は、未だ明かされていない豊田市のまほろばの謎解きに、みんなで挑む集まりです。お誘い合わせて是非ご参加を! ▼日時は6月21日(日)午後2時~▼講師は元豊田市郷土資料館長の安藤勇さん▼会場は豊田市視聴覚ライブラリー▼参加自由▼申込みは豊田市文化振興財団☎0565・31・8804▼問合せ「郷土を知る会」かとうさとる☎0565・48・5947

国指定天然記念物 小堤西池カキツバタ群落が見頃 112

■小堤西池のカキツバタ群.jpg 愛知県の花、カキツバタと言えば、伊勢物語で在原業平が沢に咲いているカキツバタの五文字を句の上にすえて、「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」と、旅の句に詠んだ三河国八橋(知立市八橋町)がよく知られている。

 この八橋のカキツバタに勝るとも劣らないのが、京都の太田ノ沢のカキツバタ群落、鳥取県岩美町の唐川のカキツバタ群落と共に、日本三大カキツバタ自生地として国の天然記念物に指定されている小堤西池カキツバタ群落である。

 トヨタ自動車高岡工場の西、豊田市と接する刈谷市最北部、井ヶ谷町にある小堤西池は、カキツバタをはじめ水生・湿生の植物が数多く自生。岸辺にたつと豊かな生態系が育まれ、カキツバのタサンクチュアリのように見えるが、ローマは1日にしてならず。

 パンフレットによると、刈谷市は小堤西池の水源として重要な役割を果たしている東側の丘陵地を国・県の助成を得て買収し、県の自然環境保全地区に指定。また地元の有志による「小堤西池のカキツバタを守る会」が、自生地の生態系と自然を守る保護活動を担うなど、観光化と一線を画した地道な取り組みが結実したもので、学ぶことが多い。

 余談に逸れたが、宵々の雨に音なし杜若(蕪村)。

 この小堤西池のカキツバタ群落が見頃を迎えている。私が見たのと本紙の発行とタイムラグがあるため、責任は持てないが(笑)、例年どおりであれば、週明けまでは大丈夫。

 豊田市から小堤西池へのアクセスは、県道名古屋岡崎線を名古屋方面に向かい、トヨタ自動車高岡工場の北角「明知小石山」の信号を左折。道なりに約7分ほどで臨時駐車場となっている洲原公園(洲原池)到着。

 駐車場から小堤西池まで徒歩約15分。開花状況の問合せは刈谷市市民運動部文化観光課☎0566・62・1037。

謎解きほど面白いものはない 豊田歴史ミステリー 111

4面・文化の定点観測.jpg元郷土資料館長の安西保承さんによると、豊田市には古代寺院址が5カ所あるそうだ。舞木廃寺、白鳳寺、勧学院文護寺、牛寺廃寺、慶雲寺址の5寺である。

 中でも舞木廃寺は、廃寺名不明のため、部落名を冠して史跡名としているが、郷土史研究の先駆者小栗鉄次郎氏が編集した猿投村史(大正4年刊)によると、寺院名を「旧跡千住院」とし、「白鳳期の創建で往古立派な堂塔伽藍あり」と記している。

 古代寺院址の塔心礎分類で「舞木廃寺式」と分類され、国史跡指定されている古代寺院の全体像が、未だ解明されていないのは不思議と言えば不思議だが、謎解きほど面白いものはない。
このほど郷土史グループ「郷土を知る会」が、会報で、この国指定の古代寺院舞木廃寺考をテーマに特集。

 会報では元郷土資料館長の安西保承さん、元同館長の安藤勇さん、新修豊田市史執筆委員の天野卓也さんの三氏が寄稿。

 安西さんは舞木廃寺の概観を。安藤さんは、舞木廃寺創建当時の古代賀茂郡の中心地、郡家(現在の役場)を地名から追跡。NHKに「タイムスクープハンター」という、未来に存在する会社からタイムワープし派遣された記者が、当時の人々に密着取材する歴史エンターテイメント番組があったが、安藤さんがタイムスクープハンターになったみたいで、わくわくドキドキ。天野さんは舞木廃寺出土古瓦を手がかりに、歴史ロマンを執筆。

 なんか難しく思うかもしれないが、会報は風土記のエッセイのようなもので、市民文化会館、最寄りの交流館で配布しているため、興味のある方はどうぞ。

 郷土を知る会では、この猿投山南山麓に展開した古代文化を楽しみながら学ぶ「ふるさとカフェ」を計画。▼日時は5月31日(日)午後2時~。▼会場は豊田市視聴覚ライブラリー。▼参加申込みは5月1日より文化振興財団文化事業課☎0565・31・8804。新型コロナウイルスの状況によっては、中止する場合もあるためご容赦を。

バレエ人生を駆け抜けた世界の諏訪等さん 110

4面。諏訪等さん.jpg 去る2月27日未明、豊田シティバレエ団芸術監督で、平成13年度愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞した諏訪等さんが黄泉の国に旅立った。享年74。急性心不全と知らされたが、突然の訃報に皆んな言葉を失った。

 私が諏訪さんに初めて会ったのは50年近く前。諏訪さんが東京バレエ団を退団して間もない頃。今でこそ笑い話で済むが、全国紙の地方版がバレーと書いてもそのまま校正が通ってしまった土地柄である。

 諏訪さんの第一歩は、まさに空想的理想主義者ドン・キホーテを地で行くもので、海外までその活動の幅を広げ、世界のワガノワのメソッドを導入した本格的なバレエ学校を開校。ベルリン国際バレエコンクールで最優秀指導者賞を、愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞するまで認知されても、そのスタイルは変わることはなかった。

 その諏訪さんがライフワークとしたのがバレエによる国際文化交流だった。経緯は省くがこうした諏訪さんのバレエに対する情熱は、芸術の都サンクトペテルブルク市芸術家同盟を動かし、「チャイコフスキー」の称号の使用許可を。世界有数のエルミタージュ美術館を構成するエルミタージュ劇場から劇場の使用許可を。ウズベキスタンの伝説的な英雄アリシェル・ナボイの名を冠にした愛称で親しまれているウズベキスタン国立ボリショイ劇場の使用許可を得た。こんな破格な舞台を無条件で提供される人物は、国内はもとより世界広しといえども諏訪さん以外にいない。

 芸術家の個性の評価は様々だが、出る杭は打たれる。バレエ一筋のスタイルは誤解されることもあったが、蓋棺事定。あの北大路魯山人も小林秀雄など教養主義の文化人に煙たがれたというから、勲章のようなもの。

 鮭が生まれた川に回帰するように、世界各地のバレコンの審査委員を歴任した諏訪さんが、いつも熱く語っていたのが、地元への限りない誇りと愛着だった。私たちはまた一人、伝説の傑人を失った。(合掌)

詩人の魂で下町の風景を描く宇野マサシさん 109

4面・ぶんかの定点観測.JPG 本紙でエッセイ「僕の旅」を連載している画家の宇野マサシさんから、個展の案内をいただいた。

 宇野マサシさんの略歴については、「僕の旅」のオビで紹介されているため省くが、1948年、豊田市宮口町に生まれる。35歳で政財界に人脈をもつ伝説の画商・故木村東介に才能を認められた異才で、俳優の故原田芳雄、劇作家・演出家で劇団「唐組」を主宰する唐十郎、詩人の高橋睦郎、映画監督の林海象など著名人のファンも多い。

 また、異能な書家で妻の延子さんとの夫婦の生きざまがNHK「ETV特集」で放映されるなど、その実力は折り紙付き。

 ざっと宇野マサシさんのプロフィールを記したが、そんな宇野さんと初めてお会いしたのは20数年前。 

 当時、文化振興財団でアートマネジメントの真似事をしていた私は、豊田そごうの撤退で、空洞化が懸念される中心市街地の活性化に向けた手立てを、密かに練っていた。そんなとき訪ねてきたのが宇野マサシさんだった。

 豊田そごう美術画廊の展覧会を見て、名前と顔を知っていたが、お会いするのは初。お話を伺うと、「唐十郎の『紅テント』を豊田市に呼びたいが、文化振興財団で出来ないか」というもので、意気投合。宇野さんの提案は地元商店街と文化振興財団の有志や学生たちが集まって結成したまちおこしの勝手連「唐組紅テント招致委員会」に発展。今日に続くアートによるまちづくり運動の端緒となったのは周知のとおり。

 後に演劇をしている弟と同級生で親しくしていると知れるなど、宇野マサシさんの仕事については、私なりに理解しているつもりでいるが、波乱万丈の人生が紡いだ詩人の魂で描いた下町の風景シリーズは、他に比類がなく、説明不可。

 会場は中心市街地のアートスポット豊田画廊。百聞は一見にしかず。この機会に是非お出かけを。

写真は一昨年、友人の蟹昌弘さん(右)と談笑する宇野マサシさん(左)問合せは☎0565-37-8567(豊田画廊)

小田木人形座が復活お披露目公演を計画 108

●小田木人形座の三番叟人形と老松.JPG 江戸時代半ば、豊田市稲武地区の小田木町に伝えられ、明治の初めに途絶えた小田木人形座の復活を目指した取り組みが、地元や地域の有志を中心にスタートして8年目を迎えた。

 愛知県の有形民俗文化財に指定されているカシラと衣装が残されているとはいえ、廃絶から既に140年余を経過。この間「日本のカシラ」の著者、斎藤清二郎氏が人形の調査に入り、日本でも最も古い人形座の一つであるということが判明。当時の朝日新聞に大きくとりあげられたが、140年余の空白は想像以上。

 カシラや衣装は残っていても文化財で使用が難しく、また人形の使い方の手掛かりもなく、小田木人形座の形成に大きな影響を与えた伊那谷の人形座を代表する黒田人形保存会(長野県飯田市)の指導を請うなど試行錯誤の連続。

 「桃栗三年柿八年」という諺がある。「何事も何かを成し遂げるために時間がかかる」という意味だが、新年早々その小田木人形座が今秋、正式に復活するという朗報が飛び込んできた。

 小田木人形座が奉納されていた小田木八幡社改築300年を機に、復活のお披露目公演を計画。演目は定番の「三番叟」に加えて、「壺坂霊験記」に初挑戦。

 「壺坂霊験記」は、座頭の三味線弾きである沢市とその妻・お里の夫婦愛を描いた世話物で、歌舞伎や講談、浪曲にもなるなど人気の演目。同輩の方の中には私のように、三波春夫の長編歌謡浪曲お里沢市壺坂物語「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」の名調子から入った人もいるのではないか。

 今回は「沢市内の段」の一段のみの上演だが、引き続いて「沢市山の段」の上演。宝暦弐歳(1752年)の銘のあるカシラを作った小田木人形座伝説の人形師鈴木文蔵物語の創作。地域を巻き込んだ伝統の継承活動にも力を入れていくというから、袖すりあうも他生の縁。私もガンバロ(笑)。

民芸館で「名誉市民本多静雄コレクションⅥ展」 107

4面・ぶんか.psd 豊田市民芸館の名誉市民本多静雄コレクション展はたびたび紹介してきたが、毎回切り口が新鮮で、目が離せない。

 本題に入る前に、本多静雄氏について簡単に記すと。

 本多氏は電力の鬼と言われた松永安左エ門(耳庵)、陶芸家・加藤唐九郎、民芸の創始者・柳宗悦との出会いをきっかけに、陶磁器の研究に取り組み、数々の業績を印した。

 中でも市内北部から名古屋市の東部丘陵地帯にかけて展開した、愛知における最古の猿投山西南麓古窯祉群(猿投古窯)の発見者となるなど活躍。

 また、本多氏が蒐集した汲めども尽きぬ膨大なコレクションは、愛知県などゆかりの博物館や地元の豊田市などに寄贈。県陶磁美術館や、市民芸館の重要なコレクションとなっているのは周知のとおりである。

 前置きが長くなってしまったが、本展は、最後まで本多氏の手元に置かれていたものを、遺族から新たに蒐集。そのコレクションの一部を紹介するシリーズで、6回目となる今回は、本多氏が陶芸家の育成にも力を入れた地元愛知県の瀬戸や常滑の現代陶芸作家の作品を中心に紹介。

 常滑市立陶芸研究所の開設に尽力した研究者・沢田由治との交流をとおして蒐集した常滑の現代陶芸コレクション。

 瀬戸の陶芸を牽引した鈴木青々、加藤舜陶、河本五郎。瀬戸の本業窯を代々受け継いでいる水野半次郎などなど、群雄割拠する瀬戸の現代陶芸コレクション。

 猿投古窯を繁栄させた良質な土を求めて、昭和18年(1943)〜昭和40年(1965) 頃にかけて、
市内平戸橋で、加藤唐九郎、岡部嶺男、河村喜太郎、河村又次郎、杉浦芳樹ら陶芸家が活動を行った地元の「古志戸窯」コレクションの3本柱で構成。

 まさに「目が離せない」
本邦初公開のコレクション展である。「民芸の森」本多コレクション日本六古窯シリーズ「信楽」と併せてお薦め。

市井のピアノ教師 寺本あけみさんを悼む 106

●12年8月26日農舞台.JPG クラシックの姉妹デュオとして活躍している寺本みなみ・みずほデュオの母で、ピアノ教師の寺本あけみさんが黄泉の国に旅立った。

 いけばなが好きで、「帰ってきました。お稽古に伺います。今月はいつが空いていますか」と、いつもの弾んだ声が聞かれなくなったため、ご主人の赴任先の英国に滞在しているものと思っていたが、突然の訃報である。

 寺本デュオからお話を伺うと、癌が見つかったときは末期で、ご本人の意思で誰にも知らせず、治療に専念したが、わずか2ケ月で帰らぬ人となったそうだ。享年67歳(合掌)。

 葬儀は家族葬で営まれたが、先月20日、豊田市民文化会館小ホールで寺本あけみさんと親しかった人たちが中心になって、お別れ会が開催された。

 音楽家を夢見て音大に学んだ学生時代、地元広島テレビでアシスタントとして出演していたエピソード。トヨタマンのご主人に嫁いで豊田市に移り住み、ピアノ教師として多くの生徒を指導する日々が映像で紹介されたが、知らない事ばかりで、まさに蓋棺事定。

 高度成長時代、モータリゼーションの発展と共に、寺本あけみさんをはじめ、『ああ子育て戦争』(学陽書房1980)でベストセラー作家となった連句のジャンヌダルク、矢崎藍さんなど、多くの才ある人たちが豊田市に移り住んだ。

 文化は外部刺激によって化学反応するというが、伝統的なお稽古事を中心にしたとよたの文化は、こうした才ある人たちと時間をかけて交じり合い、多様性を受容した成熟した地域文化を形成。先のラクビーW杯で、突然マグマが噴き出したように顕在化したが、文化も1日にして成らず、である。

 余談に逸れたが、寺本あけみさんの訃報は、確かに寺本家のファミリーヒストリーだが、寺本デュオの活躍など成熟した市民文化に与えた影響力は決して小さくない。今はただ、ご冥福を祈るのみである。

没後百年明治用水旧頭首工を造った服部長七 105

●豊田加茂百年明治用水 - コピー.JPG 当時、山の学校の愛称で呼ばれていた中小学校(現童子山小学校)の遠足コースは野見山と水源(明治用水旧頭首工)に決まっていた。どこで昼食をとったか記憶にないが、水源の船通し閘門を渡ると石造りの堰堤に幅1メートルほどの板がかけられていた。

 この堰堤を1人ずつ順番に渡るのだが、足元を紺碧の水が濁流のように逆巻いて落下し、足が竦むどころの話ではない。地元の人は平気で行き来していたが、恐怖でしゃがみ込んでしまったワルガキもいた(笑)。この明治用水旧頭首工が造られたのは1901年。以後、鉄筋コンクリート造の現頭首工が完成する1958年までの約50年間、旧頭首工は矢作川の水勢に耐え、その役目を果たした。

 ちなみに旧頭首工の工事を請け負ったのは碧南出身で、人造石「長七たたき」を開発した服部長七である。

 長七たたきとは、左官技法の三和土をもとに改良し、表面を自然石で張り石構造にして強度を高めたもの。鉄筋コンクリート工法が普及するまで全国各地で、港湾・河川・運河・橋梁などの構造物構築に用いられ、日本の産業近代化の基盤形成に大きな役割を担った。

 旧頭首工はこの人造石工法の集大成ともいえる時期の構造物で、長七たたきによる大規模な堰提の現存する唯一の遺構として、2007年に土木学会選奨土木遺産に認定され、現在に至っている。

 ざっと明治用水旧頭首工と長七たたきについて記したが、驚くべきは長七たたきの強度である。1966年、当時の建設省は旧頭首工の取り壊しを始めたが、人造石取水提は堅牢で約3分の1を残して解体工事を放棄。服部長七は自らの技術で産業文化遺産を守ったのである。

 そこで朗報である。碧南市藤井達吉現代美術館で没後100年「服部長七と近代産業遺産」がはじまった。会期は11月17日(日)まで。宜しければ是非お出かけを。

今季のお薦めは民芸館の柚木沙弥郎展 104

柚木沙弥郎の染織 (2).jpg 豊田市民芸館で特別展「柚木沙弥郎の染色〜もようと色彩〜」が始まった。
柚木沙弥郎は1922(大正11)年に東京で生まれる。20代で民藝運動の染色家、芹沢銈介に出合ったのを機に型染め(絵や図案を描いて型紙を作り、染めない部分を糊で防染して布や紙を染める伝統工芸)を始める。この秋97歳になる今も東京のアトリエで制作を続け、活動の場は水彩画やリトグラフから絵本まで広がり、この秋にはパリで個展を予定。また今月発売の大人の雑誌BRUTUSの特集、「真似のできない仕事術。成功する人の3つのルール」で、紹介されるなど、その旺盛な創作活動は揺らぐことがない。

 ちなみに柚木沙弥郎の仕事三箇条は、❶ENJOYよりLOVE ❷我に返らない ❸練習より〝筋トレ〟が大事。とのことで、よくわからない(笑)

 ざっと柚木沙弥郎のプロフィールを紹介したが、本展は2018年に東京・駒場の日本民芸館で開催された同名の展覧会を再構成したもので、確かな眼と手仕事が織りなす美しい模様と鮮やかな色彩が紡ぎ出したタペストリーや着物など、柚木ワールドは他に比類がなく圧巻。東海地区では初公開というから、今季の話題になることは必至。

 展示は第1民芸館と第2民芸館の2カ所。第1民芸館は高い天井高を活かしたインスタレーション展示。第2民芸館は、柚木沙弥郎の多様な世界を概観するコレクション展示で、何度見ても見飽きることがない。

 余談に逸れるが、平戸橋一帯は江戸時代後期、漢学者の永田蘭泉が「衣里八景」の一つに詠み、昭和初期には愛知県新十名勝に選ばれているが、単なる景勝地ではない。馬場瀬古墳群から土場(川湊)の遺構。枝下用水や越戸ダム、前田公園など近代の産業遺産を巡り、民芸の美を学ぶことができる。しかも中心市街地から5㎞と離れていない近場である。天高く馬肥ゆる秋。遠出を予定されている方もいると思うが、こんなチャンスを逃したらもったいない。是非ご検討を。

分断の時代のあいちトリエンナーレ2019 103

4面・ぶんか.JPG あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が、分断の時代に火をつけたカタチで炎上。わずか3日間で中止に追い込まれたのは周知のとおり。連日のようにメディアが報じているため説明は省くが、今度は中止に抗議して参加アーティストの一部が辞退を申し入れるなど混乱は収まる気配が見えない。

 「道に迷ったら元来た道に戻れ」という山の格言があるそうだが、あいちトリエンナーレとは何か、もう一度おさらいしてみよう。

 近年イタリア語で3年に一度開くと言う意味の国際芸術祭が世界各地で開催され話題となっている。日本では、あいちトリエンナーレのほか、政府主導でスタートした横浜トリエンナーレ、文化のダボス会議として世界が注目する越後妻有アートトリエンナーレ(新潟)、直島や小豆島など瀬戸内の島々の文化資源をいかした瀬戸内国際芸術祭(香川)が有名。

 中でも「あいち」は、まだ4回目と歴史は浅いが、最先端の現代美術、映像や音楽、パフォーミングアーツなどを取り込んだ国内最大規模の複合型国際芸術祭として注目を集めてきた。

 4回目を迎えた今回は、「情の時代」をテーマに掲げ、男女平等の観点から招待作家の男女比を均等にするなど、感情や情報、表現の自由などを題材に国内外から90組以上のアーティストが参加。好意的に報じられたが、冒頭の炎上問題で、本来の目的が霞んだように見えるのは残念でならない。

 コトがコトだけに「あいち」を巡る状況説明に大半を費やしてしまったが、トリエンナーレはやっぱり刺激的で面白い。

 農村舞台アートプロジェクトと重なったため、未だ豊田会場しか見ていないが、白眉は旧豐田東高校プールの底を剥がして立てた高嶺格。ホー・ツーニェンの映像インスタレーション(喜楽亭)も負けていない。

 こんなチャンスを逃したらもったいない。私もこの秋はアート三昧を愉しむつもりだ。皆さんもいかが。

破格の陶芸家、鈴木五郎とは何者なのか 102

4面・ぶんかの定点観測.jpg 日本陶磁協会賞を受賞するなど現代の織部と畏敬されている鈴木五郎さんから個展のご案内をいただいた。

 5年前の個展では一つの作品の中に志野、織部、黄瀬戸、青瓷など異なる釉薬と焼成方法を同時に用いるという陶芸の常識を覆す「五利部」シリーズで見る人を驚かせた鈴木五郎さん。

 今度は「楽焼」に挑戦。古くから抹茶茶碗の格付けとして「一楽、二萩、三唐津」と言われてきたあの「楽」である。と言っても単なる写しではない。様々な釉薬と技法を用いながら、遊び心のある絵柄など、今回も五郎ワールド全開だ。

 ここから先は万言を費やしても意味がないため省くが、百聞は一見にしかず。あとは個展に足を運んで、ご自分の眼で確かめてもらうしかない。

 何か鈴木五郎さんの個展の宣伝をしているように思う方がいるかも知れないが、そうではない。この機会に破格の陶芸家、鈴木五郎とは何者なのか。考えてみたいと思ったからである。

 鈴木五郎さんは市内千足町に生れ、17歳で瀬戸の製陶所に就職。若くして加藤唐九郎亡き後の後継者として目されるなど、ロクロ名人としての逸話は有名。

 東京に鈴木五郎の名を冠したギャラリーがあり、NHKエンタプライズ、日経新聞、高島屋美術部が競って肩入れしているように、日本陶芸界のなかでは傑出しているが、そんなことはどうでもいい。ジャンルを横断した「美術史」としてどのように位置づけるか否かである。

 地元の身贔屓と笑うかもしれないが残された時間は少ない。もし、鈴木五郎さんの破格の大壺やディフォルメされた巨大な陶をヴェネチアビエンナーレに出品したとしたらどうか。グローカルの時代である。現代の日本美術として驚きをもってむかえられることは想像に難くない。

 来月1日から国内最大規模の国際芸術祭あいちトリエンナーレが始まるが、何か大事なことが忘れられているのではないか。

今年の農村舞台アートプロジェクトは一味違う 101

野良茶会参考.jpg 豊田市内の東部から北部の中山間地に現存する国内有数の農村舞台群を文化資源として活用し、アートで地域の絆を繋ぐ農村舞台アートプロジェクト2019の概要が決まった。

 農村舞台の空間にアーティストが個展形式で挑む『アート』。農村歌舞伎や人形浄瑠璃、バレエやオペラなど多様な舞台芸術で挑む『ライブ』の両輪で構成する基本方針は変わらないが、10周年という記念の節目を迎える本年度は、名古屋市と豊田市の2都市で開催される国内最大規模の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』に特別連携事業として参画。来豊する鑑賞者を、豊かな自然と文化習俗が息づく中山間地に誘う重要な役割を担うことが期待されている。

 会場となるのは、和紙の里・小原地区に通じる国道419号線に沿って点在する西中山町八柱神社、深見町磯崎神社、迫町磯崎神社、藤岡飯野町秋葉神社、三箇町八柱神社、大坂町熊野神社、小原町賀茂原神社の7農村舞台が予定されている。

 『アート』部門は、土に魅せられ土で絵画を描く味岡伸太郎(美術家)が、小原地区で採取した土染の布による茶室と露地のインスタレーションで舞台環境を丸ごと修景。日・祝日には同じく小原地区で採取した土で制作した茶碗で野良茶会を催すほか、伊藤庭花(いけばな作家)、青木崇(建築家)、岩城和哉+東京電機大学岩城研究室(建築設計)、野瀬昌鷹+野瀬理恵親子unitの4組が既に地元協議も終えスタンバイ。

 『ライブ』部門は、小田木人形座、津軽三味線、沖縄民謡、マリンバなど和洋のガラコンサートを西中山町八柱神社で。藤岡歌舞伎と和太鼓集団「志多ら」の夢の共演を深見町磯崎神社で予定。「アートで蘇えるとよたの農村舞台群」を、豊田市の風土が育んだ山里の魅力のお土産付きで発信するというから、今年の農村舞台アートプロジェクトは一味違う。

令和初の豊田文化賞に猿投窯の山田和俊さん 100

山田和俊 - コピー.jpg 猿投窯の山田和俊さんが令和初の豊田文化賞を受賞することに決まった。

 この表彰は公益財団法人豊田市文化振興財団が毎年度、地域の文化芸術の振興と発展に優れた個人や団体、将来を嘱望される個人を称え表彰するもので、山田さんのほか、豊田芸術選奨に山本富章さん(現代美術)、豊田文化功労賞に宇井儀一さん(郷土史)、長田驍さん(能楽)、都築義高さん(音楽・映画評論)など6部門20人が決定した。

 山田さんは昭和8年豊田市に生れる。窯業工場勤務を経て、昭和48年猿投窯を築窯。陶芸家として第一歩を踏み出した。40にして惑わずというが、この時に備えて、窯業工場でトンネル窯の築炉、製土から成形、素焼き、施釉、本焼、通産省のJIS認定の受審など焼き物の基礎知識を習熟。

 また、陶磁器デザイナーとして大きな足跡をしるした日根野作三氏に作陶の指導を。原色陶磁大辞典を著した伝説の陶芸家、加藤唐九郎氏に築窯と猿投の土の指導を受けるなど万を持しての独立である。

 陶磁研究家で猿投山西南麓古窯祉群の調査研究の端緒をひらいた本多静雄翁は、山田さんの築窯を祝って「佐奈家窯」と命名。陶芸家山田和俊の誕生である。

 私が山田さんと知己を得たのもこの頃。山田さんの初の東京個展の搬入のため、ハンドルを半分以上廻しても直進する嘘みたいなワゴンで、東名〜首都高を二人で疾走したこと。小原和紙の小川喜数先生、彫刻家の石川豊さん、陶芸の山田さん、私かとうで「和紙と木彫・陶と華四人展」を競ったことなど、周回遅れの青春時代を今も懐かしく思い出す。

 余談に逸れたが、山田さんは薫陶を受けた本多静雄翁の背中を追って猿投古窯の調査研究を継承。全国各地で個展を重ねるほか、世界各地の古窯を訪ね、半農半陶の文人陶芸家として活躍。ジャンルを横断した高い見識と徳を慕う人は多い。

 余り無理はできないと思うが、今度会ったら「山田和俊記念展」の計画を切り出すつもりだ。

歴史ロマン 猿投山南麓と古代文化 99

4面・ぶんかの定点観測.JPG 三河湾に面した高浜市は古くから窯業が盛んで、石州瓦(島根県)、淡路瓦(兵庫県)と並ぶ日本三大瓦の一つ、三州瓦の中心地として栄えてきた。

 高浜市やきものの里かわら美術館はこうした地場産業の瓦・やきものに関連した幅広いジャンルの資料や作品を展示。マニアックな瓦ファンの聖地として親しまれている。

 過日、このかわら美術館で不思議な鬼面文鬼瓦に足がとまってしまった。愛西市の「尾張渕高廃寺」から出土し
たもので、大陸からもたらされた新しい文化や技術が花開いたハイブリッドな時代である。長頸瓶の肩に4個の注口をつけた猿投古窯を代表する名品、国指定「猿投灰釉多口瓶」と同じ、悠久なシルクロードのロマンを感じたからである。

 前置きが長くなってしまったが、悠久な歴史ロマンといえば、猿投山南山麓を流れる篭川の河岸段丘一帯に展開する国指定「舞木廃寺塔址」、県内最大規模の巨石墳で知られる県指定「池田1号墳」、「藤山1号墳」など、歴史文化資源の宝の山を露天掘りするようなもので負けていない。

 中でも舞木廃寺塔址は、指定地域とその周辺から、多数の平瓦と、複弁六葉の蓮華文軒丸瓦、瓦塔、須恵器の破片が出土。「郷土を知る会」会報の孫引きで恐縮だが、猿投村史によると、『白鳳期の創建で往古立派な堂塔伽藍あり』と記されているというから、この地域を支配した有力者とはどんな人物なのか。謎は深まるばかりである。

 そこで朗報である。前述した郷土を知る会は、市文化振興財団と共催。この猿投山南山麓に展開した古代文化をテーマに気軽な市民サロンを計画。講師は元豊田市郷土資料館長で郷土史家の安藤勇さん。こんなチャンスを逃したらもったいない。

革新と伝承の切り絵師 俊寛作品展 98

甘い大地〜Ia terra doice〜 700×1000㎜ - コピー.jpg 私ごとで恐縮だが、豊田文化協会当時、今では伝説の落語家となった古今亭志ん朝を「文協寄席」に招いたことがある。しかも前座の色物は、後に紙切りの名人と謳われた二代目林屋正楽と言うから嘘みたいな話である。

 40数年ほど前の話なのに昨日のことのように覚えているのが不思議だが、舞台下手で観ていた私の肩越しに「兄さん、巧くなったねえ」と、独り言が聞こえた。えっと、振り向くと楽屋で休んでいるはずの志ん朝が腕組みをして舞台を凝視していたのである。ご挨拶した時とは別人の気迫に思わず背筋が伸びてしまった。

 余談に逸れたが、私たちの世代にとって「切り絵」と言えば、志ん朝が思わず唸った紙切り正楽と、日本の懐かしい原風景を詩情豊かに描いた滝平二郎の切り絵を思い浮かべる人もいるのではないか。

 こうした切り絵に対する先入観に風穴を開けたのが革新と伝承の切り絵師俊寛さんである。

 話を伺うと、当初は自分探しのような軽い感じで渡伊。フィレンツェの職人の手仕事に魅せられて、本格的に切り絵を始めたとのことだが、フィレンツェの街並みや職人を描いた切り絵は、細密画と見まごうばかりの緻密さと、確かなデッサン力で他に比類がなく、フィレンツェの職人展グランプリをはじめ、数々の賞を受賞。

 帰国後は「おいでん祭り」のポスターの制作、東京や大阪、名古屋をはじめ全国各地で個展「イタリアの職人たち」を開催。新進気鋭の切り絵作家として活躍していることは周知のとおりである。

 緻密な切り絵の宿命で大量制作ができないため、作品展の依頼を制限しているというが地元は別もの。

 この春もホテルフォレスタヒルズに俊寛さんが帰ってくる。会期中は公開制作も予定されているというからこんなチャンスを逃したらもったいない。是非お薦め。

愛蔵こけし梅一輪一輪ほどの暖かさ 97

4面・ぶんかの定点観測.jpg 歴史が好きな女性のことを「歴女」、相撲が好きな女性のことを「スー女」というのは知っていたが、ついに「こけ女」まで登場したからオジサンたちは、ついて行くのが大変(笑)。

 「こけ女」の「こけ」はこけしの意で、いま、その「こけ女」が熱視線を送っている展覧会が豊田市で開催されているというから二重にびっくり。

 噂の真相を調べていくと豊田市民芸館の企画展「愛蔵こけし」にたどりついた。正体見たり枯れ尾花で笑ってしまうが、こんな素敵なストーリーを考えた民芸館のスタッフに拍手。

 ちなみにパンフレットによると、諸説あるが郷土玩具の「こけし」は、江戸時代後期(1800年頃)から作られ始めたらしい。

 東北地方の湯治場みやげとして売られようになったこけしは、子どもの玩具からやがて大人の鑑賞対象へと変化。現在は第3次こけしブームといわれ、若い女性たちもこけしの産地を巡りこけしを集め、こけしのある生活を楽しんでいるとのこと。

 この「愛蔵こけし」展は、郷土玩具のコレクターより民芸館に寄贈された主に昭和40年代に収集された伝統こけしを系統別に約500体を紹介するもので、受け継がれる伝統、工人の個性、表情豊かな愛らしいこけしが一堂に会する展観は他に比類がない。 

 会期中には学芸員による「ギャラリートーク」、自分の愛蔵こけしや写真を持ち寄り、交流を図る「集まれ!こけ女会」、「こけし絵付け体験」などイベントも予定され、「こけ女」が熱視線を送る訳である。

 余談に逸れるが今年は3年に一度開催される国際展「あいちトリエンナーレ」が名古屋市と豊田市中心市街地で開催され、国内外から多くのアートファンの来豊が予想されるが、そのまま帰してしまうのはもったいない。

 徳川の始祖が眠る松平郷、足助の重伝建の町並み、農村舞台群など市内の中山間地は連綿とした豊かな歴史と生活文化を露天掘りするようなもの。連携すれば、「こけ女」ならぬ「アートガール」で溢れるかも。

豊田の街なかで初めての本格的な現代美術展 96

4面・ぶんかの定点観測.jpg 農村舞台アートプロジェクトでも度々記してきたが、近年、イタリア語で3年に一度という意味のトリエンナーレ方式を採用するアートイベントが定着。

 一説によると全国で大小あわせて100近いというから尋常な数ではない。そんなわけで、毎年のように○○トリエンナーレ、あるいは2年に一度という意味の○○ビエンナーレが開催される。メディアも競って報じるため、普段アートに興味のない方も目や耳にされているのではないか。

 こうした流れを受けて政府も第3次「文化芸術の振興に関する基本的な方針」の中で、「中核的な国際芸術フェスティバル支援」を重点政策にあげるなど、アートは国や地域の威信をかけた一大イベントの様相を呈している。

 ざっとアートイベントブームの背景を記したが、わけても本年は、イギリスで最も影響力のある旅行雑誌で、2019年に注目される世界の旅行先に選出された「瀬戸内国際芸術祭」と、豊田市でも開催されるアートの祭典「あいちトリエンナーレ」の2大国際展の開催年にあたる。アートファンならずともその動向から目が離せない。

 「あいち」については別の機会に詳しく記すが、4回目となる今回は「情の時代」をテーマに、現代美術と舞台芸術で約80組のアーティストが参加を予定。会期は8月1日〜10月14日。会場は前述したように名古屋市と豊田市の2市。

 私が下手な説明をするよりも百聞は一見にしかず。「あいち」の開幕に先駆けて、あいちトリエンナーレ地域展開事業「現代美術in豐田」が、豊田の街なかを会場に開催されるというから嬉しい。
 ▼会期は1月19日(土)〜2月11日(月・祝)。▼アーティストは荒木優光、小栗沙弥子、小島久弥、コタケマン、津田道子、徳重道朗、鳥巣貴美子、松田るみ▼会場は喜楽亭、旧愛知銀行豊田支店(T-FACE内)、豊田市駅下空店舗、豐田参合館、西町会館、豊田市役所、とよた大衆芸術センター(旧波満屋旅館)。

 こんなチャンスを逃したらもったいない。是非!

孤高のアーティスト柴田周夫さんを悼む 95

●柴田周夫/農村舞台アートプロジェクト2011(六所神社).jpg 晩秋の頃、孤高のアーティスト柴田周夫さんの遺族から遺作展のご案内を頂いた。

 案内状には柴田さんの良き理解者ギャラリー安里のオーナーの慟哭のメッセージが記されていた。「今年の3月27日、柴田周夫さんがご逝去されました。突然の訃報に、言葉もありません。さよならも言わずに逝ってしまって、ひどいですね。12月には新しい作品を楽しみにしていましたので、残念でなりません。遺作展になってしまいましたが、姿は見えずともきっと、安里の窓際の椅子に座っておられると思います。周夫さんは風になられましたが、作品は永遠です。」と。

 私ごとで恐縮だが、70年代後半から80年代にかけて常滑に一大ブームが起き、全国から作家たちが常滑の魔力に魅かれて集まった。私もINAX窯の広場の個展にはじまり、焼き物の散歩道一帯を会場にした全国公募の現代いけばなイベントを仕掛けるなど、常滑狂いの一人となった。鯉江良二さんや吉川正道さんの工房はそんな作家たちの溜まり場となったが、いつも話題になる幻の作家がいた。「死せる孔明仲達を走らす」というが、「周夫さん々」と、畏敬される彼は何者なのか。しばらくして名前を柴田周夫といい、同じ豊田市の作家と知ったが、不明を恥じるしかない。

 余談に逸れたが、柴田さんは1948年市内樹木町に生れ、1969年、「EXPO,70」のために立ち上げられた「常滑造形集団」にアシスタントとして参加。EXPO後は伝説の陶芸集団「陶房杉」の中心メンバーの一人として活躍。

 地元に帰ってからは、自宅でクレイワークから発展させた濃密な手仕事を黙々と展開。海外のアートフェスやフォーラムに招聘されるなど、国内外で高く評価されたが和して同ぜず。

 孤高の道を歩み続けたが知る人ぞ知る、酒飲みで食いしん坊だったという柴田周夫さんに魅かれるファンは多い。享年70歳。豊田市はまた一人傑人を失った。

寺本デュオがドビュッシー没後100年を彩るリサイタル 94

●寺本デュオ・リサイタル2018.jpg 実力派デュオとして活動する寺本みなみ・みずほ姉妹デュオが、東京「AMBIENTE」(アンビエンテ)と豐田「豊田市コンサートホール」でリサイタルを予定している。

 寺本みなみさんは地元の寺部小、高橋中、豐田西高、県立芸大を卒業後、豊田市トレヴェリアン基金奨学金を得て渡英。ロンドン英国王立大学修士課程を修了。寺本みずほさんは、豊田市ジュニアオーケストラの1期生で、名古屋市立菊里高校音楽科卒業後、渡仏。フランス国立リール地方音楽院を修了。

 姉妹デュオとしての活動が本格化したのは姉のみなみさんが活動拠点をパリに移してから。数々の国際コンクールで受賞歴を重ね、2011年帰国。翌12年デュオの里帰りコンサートが時の話題となった。

 ざっと姉妹の経歴をおさらいしてみたが、里帰りコンサートから6年。姉のみなみさんはピアノリサイタルを、妹のみずほさんはヴァイオリンリサイタルを重ね、弓が悲鳴をあげて裂けるなどパワーアップ。まさに満を持してのデュオリサイタルである。

 音楽ができる歓びを全身で表す姉妹の演奏スタイルは、パリ仕込みのストリートミュージシャンのノリで、例えれば情熱大陸の葉加瀬太郎とジャズピアニストの山下洋輔がセッションするようなもの。

 さすがに今回はそうはいかないと思うが、姉妹がデュオで挑むのは、今年没後100年を迎えた近代フランス音楽の代表的作曲家ドビュッシー。北斎の「富嶽三十六景」に影響を受け、交響曲「声」を作曲するなどジャポニズムを採り入れた色彩の作曲家、あのドビュッシーである。

 当日はドビュッシーのほか、ショパン、タンギー、ルークなど全編フランスがテーマのプログラムを予定。
馴染のある名曲から、隠れた名作まで用意しているというからお客さん目線もバッチリ。こんなチャンスを逃したらもったいない。是非お出かけを!!

山里の秋が誘う農村舞台アートプロジェクト 93

●15年11月20日明川熊野神社農村舞台.JPG 江戸時代半ばに伝えられ明治のはじめに途絶えた小田木人形座の復活に向けた「再生小田木人形座と国選択無形文化財黒田人形浄瑠璃保存会合同公演」。世界の歌姫が降臨した「オペラ蝶々夫人ファンタジー」。名フィルメンバーの初登場が話題をよんだ杜の音楽会「アンサンブルコンサート」と、3週にわたって続いた農村舞台アートプロジェクト『ライブ』も盛況裡に閉幕。

 次は『アート』の番である。農村舞台アートプロジェクトが、『ライブ』と、『アート』の両輪で構成していることは、これまでも度々説明してきたとおりで省くが、アートイベントは一説によると全国で100近いというから、華やかに見えても一皮むけば生き残りをかけた時代である。

 ひと言で言えば、他との違いや独自性を明確に打ち出すことだが、越後妻有や瀬戸内国際芸術祭でビッグネームの北川フラムさんも「農村舞台に特化しているのは豐田だけ」と、話したように迷うことはない。

 余談に逸れたが『アート』は、今に生きる農村舞台の可能性を引き出すため、多様なジャンルのアーティストが個展形式で挑むもので、既に56組のアーティストが挑戦。今回も全国公募で選ばれた5組のアーティストがスタンバイ。

 会期と舞台は次の通り。

▼会期/11月18日(日)〜25日(日)夜明けから日没まで。▼舞台とアーティスト/❶西広瀬町八釼神社=蓮沼昌宏(愛知県在住)❷西樫尾町八幡社=中村広子(豊田市在住)❸明川町熊野神社=武藤はるか(茨城県在住)❹旭八幡町八幡神社=奥田誠一(滋賀県在住)❺小原町賀茂原神社=クニト(石川県在住)。

 清新なアーティストと遭遇した農村舞台がどのような化学反応するか、早く見たいと急くのは私一人ではないと思うがどうか。

 問合せは公益財団法人豊田市文化振興財団☎0565・31・8804まで。

農村舞台「寶榮座」に世界の歌姫が降臨 92

●17年9月10日農村舞台オペラガラコンサート/二宮咲子さん (1).JPG
 農村舞台アートプロジェクトは、市内の中山間地に現存する国内有数の農村舞台群を地域の文化資源として活用し、新たな市民文化を内外に発信するアートイベントとして2010年にスタート。

 農村舞台の空間に清新なアーティストが個展形式で挑む「アート」。人形浄瑠璃からバレエ、オペラや舞踏など多様な舞台芸術で挑む「ライブ」の両輪で構成するプロジェクトは、文化庁も下見に来豊するなど、地域に根差したアートのロールモデルとして注目を集め、現在に至っている。

 余談に逸れたが、9年目を迎えた農村舞台アートプロジェクトは前期「ライブ」で開幕。
 残念ながら第一弾の「国選択無形文化財黒田人形浄瑠璃保存会と地元小田木人形座合同公演」は、先週16日
(日)に終了してしまったが、第二弾、第三弾は次のとおり。

 ■第二弾「オペラ蝶々夫人ファンタジー」。明治時代の長崎を舞台にアメリカ海軍兵のピンカートンと結婚した芸者蝶々夫人の悲恋を描いた作品として世界各地で親しまれている。蝶々夫人ファンタジーは、この名作をもとに、オペラ界の鬼才甚目裕夫さんが農村舞台バージョンとして構成。イタリアで世界デビューしたソプラノの二宮咲子さんが農村舞台に降臨するというから、こんなビッグチャンスを逃したらもったいない。
▼日時/9月22日(土)14時開演。▼会場/怒田沢町諏訪神社農村舞台寶榮座。

 ■第三弾「名フィルメンバーによるアンサンブルコンサート」。クラシックからポップスまで幅広い音楽に親しむ「杜の音楽会」。豊田市出身のヴァイオリスト松谷阿咲さんも出演。ご家族で是非お出かけを。▼日時/10月7日(日)14時開演。▼会場/深見町磯崎神社農村舞台。後期の全国公募で選ばれた5組のアーティストが挑む「アート」は、11月のコラムで。▼問合せ/公益財団法人豊田市文化振興財団☎0565(31)8804

この秋は足助ゴエンナーレが面白そう 91

足助ゴエンナーレ2018 (1).jpg この夏もアートのダボス会議として世界が注目する大地の芸術祭「越後妻有アートトリエンナーレ」が新潟県中越地域の十日町市と津南町で開催され、メディアが大々的に報じるなど、近年アートイベントは地域や都市の元気力を象徴する祝祭として定着。

 来年は国内最大規模を標榜する「あいちトリエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」が既にスタンバイ。一説によると全国で大小あわせると100近いというから、華やかに見えるアートイベントも一皮むけば生き残りをかけた時代である。

 余談に逸れたが、こうした祝祭型アートイベントと一線を画した地域密着型の豊田市の取り組みが、いま関係者の注目を集めている。

 中でも私がイチオシするのが足助ゴエンナーレである。仕掛けたのは小牧市在住でフリーキューレターとして活躍する大野有紀子さん。経緯を伺うと、当事文化振興課の副主幹をしていた田鏡志保さん(現豊田市美術館主幹)が大野さんの企画したイベントを見て、市の「デカスプロジェクト」に企画応募を奨めたのがキッカケというから、田鏡さんがヘッドハンティングしたようなもの。

 ネーミングのゴエンナーレは、そんな豊田市とのご縁、大野さんが予てから魅かれていた足助へのご縁と美術展の○○ナーレを付けた造語だが、面識のないよそ者の大野さんを仲間のように受け入れた足助の懐の深さはさすがである。

 詳細は紙幅がないため省くが、5回目を迎えた今回は、タイトルに「足助的芸術界隈」とあるように、空き家展示やワークショップ、ライブで重伝建の足助の町を丸ごとアートハウスにしてしまおうという半端ない企みで、これで話題にならなかったらおかしい。お誘い合わせて是非おでかけを。

 足助的芸術界隈といえば、ゴエンナーレの出発点となった旧料亭「寿ゞ家」が、クラウドハンディング(インターネットによる協賛金募集)による再生活用に踏み切ったというからやることがみんな大胆(笑)。

 こちらも是非ご協力を。

吉例寶榮座夏七夕歌舞伎で大幟をお披露目 90

4面・寶榮座.JPG
 「怒田沢村にはお寺はないがお寺を造らず舞台を造った」と、木村妙子著「怒田沢村物語」に記された怒田沢町諏訪神社農村舞台寶榮座。

 滞在型の楽屋を併設した市内随一の舞台で、再建されたのは明治30年。村役の「太くていい木を出した人はいい役をつけるで出しとくれ」の呼びかけで、家の山で一番いい太い木を競って寄付したというから、集落の芝居好きは筋金入り。

 残念ながらこうした伝統も少子高齢化には抗えず、集落の村歌舞伎は萩野小学校の萩野子供歌舞伎に引き継がれたが、舞台は近年廃絶の声も出るなどその存続が危ぶまれてきた。

 平成29年4月1日、こうした状況に危機感を抱いた地元の有志が中心になって寶榮座協議会(青木信行会長)を設立。寶榮座を無料開放して、全国から人を呼び寄せようという逆転の発想が時の話題となったのは周知のとおりである。

 創刊された寶榮座通信によると2年目を迎えた本年度は、「中国映画を観る会」、「吉例寶榮座夏七夕歌舞伎ハラプロジェクト公演」、寶榮座初登場のオペラ「蝶々夫人ファンタジー」、アーティスト集団による「ライブパフォーマンス」、「歌舞伎鑑賞のための入門セミナー」他を予定。寶榮座友の会の賛同者も150余の団体・個人を数えるというから並みの協議会ではない。

 加えて本年度は、みんなの気持ちが一つになれる「大幟を揚げたい」というから欲が深い(笑)。こちらは予算がないため一時は頓挫したが、萩野子供歌舞伎など、地域の歌舞伎保存会を支援している豊田西ロータリークラブ(内藤明文会長)が、時の氏神さまとなって話はとんとん拍子に。

 念願の大幟は7月8日「吉例寶榮座夏七夕歌舞伎」でお披露目されたが、築121年の舞台である。経年劣化の屋根の修繕など課題も。伝統の「結」に代わる新たな「結」は見つかるのか。順調に見えても協議会は端緒についたばかりである。暖かい目で是非!ご購読はコチラ.pdf

映画ファン大集合!とろ〜りおいしい映画の話 89

天草交流.JPG 郷土の偉人で江戸時代初期に仏教思想家として活躍した鈴木正三(1579―1703)について、元検事総長の但木敬一氏は日経新聞夕刊コラム「あすへの話題」で、次のように記している。

 正三のプロフィールと「職業倫理」を記したあと、『正三は高校の教科書に載るほど著名な宗教家ではないが、後の心学(石門心学)をとおして江戸の庶民に与えた影響は大きく、日本的資本主義の精神的基盤を創ったと評する論者もいるほどファンも多い』と結んだ。

 この正三の教えを校是として総合学習に取り組んでいるのが、正三が生まれた足助地区則定町の則定小学校(羽根田修校長)と、正三ゆかりの恩真寺を校区に持つ矢並小学校(近藤僚吾校長)だ。

 分けても特筆すべきは、矢並小学校と熊本県天草市立本町小学校との交流活動だ。天草はキリシタンの島として有名だが、「島原の乱」で荒廃。その天草を復興したのが、正三の弟で初代代官として赴任した鈴木重成である。島原の乱の根底は過酷な重税にあると、身命を賭して幕府に石高半減を直訴。この重成を助けて領民の心の復興に務めたのが正三だ。石高半減の願いは重成の自死後、嫡子重辰の代で聞き入れられたが、幕府が減税を受け入れたのは後にも先にも例のない異例の沙汰である。

 天草では重成、正三、重辰の「鈴木三公」を祀る鈴木神社を建立。この鈴木神社を校区に持つのが本町小学校で、私も訪れたことがある。

 余談に逸れたがこうした鈴木三公が取り持つ縁で、平成11年に矢並小学校と本町小学校はホームステイ交流をスタート。交流の記録は「天草交流記」に記され、ページを開くと、両校の生徒たちの歓声が聞こえてくるようで思わず落涙。

 ホームステイは本年度で20回目という記念の節目にあたり、本町小学校の生徒が豊田市にやってくる。

 素晴らしい夏休みになることを願ってやまない。ご購読はコチラ.pdf

映画ファン大集合!とろ〜りおいしい映画の話 88

18年5月11日都築義高 (5).JPG 当時、市内では挙母劇場、昭和劇場、アート座の3館がしのぎを削り、毎週のように新作が上映されていた。いつも満員で小学校の芸術鑑賞会?も映画だった。

 挙母劇場と昭和劇場は戦前の芝居小屋から映画館になったため、升席の畳敷きで花道もあった。当然のように映画は畳の上で座って観るものだと思っていた。

 雨の日は畳の湿気とトイレのアンモニア臭でなんとも猥雑な臭気が充満していたが、チャンバラ映画の全盛期。花道で立ち見の大人の足もとをかき分けて、いつも最前列に割り込んだ。

 3館目のアート座は、市制が施行された1951年に開館。全館イス席のハイカラな映画専門館で、それまで素通りしていた名画が上映されるようになったから、地味系の挙母のまちは一気に華やいだ。

 才能が時代をつくるのか、時代が才能をつくるのか知らないが、溝口健二がいて、黒澤明がいて、小津安二郎がいて、成瀬己喜男がいた。木下恵介もいた。日本映画の黄金時代の話である。

 トシをとるとみんな「昔を美化する」と笑うが、百聞は一見にしかず。茶化すのは視聴覚ライブラリーで開催されている市民文化講座「映画塾」に足を運んでからにして欲しい。

 講師は映画評論家の都築義高さん。都築さんは元CBC制作部ディレクターで日本レコード大賞など数多くの音楽コンクールの審査員を歴任するなど博覧強記の評論家として活躍。

 映画塾は、そんな都築さんが解説を交えながらお薦めの名画を上映するというから贅沢の極み。薦めておいて恐縮だが、映画塾は2009年5月開講以来、全て受付初日で締め切りになるという人気で、次回にしてもらうが、それまで待てないという人に朗報。

 視聴覚ライブラリーが映画塾10周年を記念して、講師の都築さんを囲み、映画のよもやま話と交流会を計画。日時は5月30日(水)午後1時半から。問合せは視聴覚ライブラリー☎0565・33・0747。ご購読はコチラ.pdf

GWはお寺deアート「記憶の大地」がお薦め 87

お寺deアート2018 (2).jpg 今年も手作りの国内最大規模の野外フェスティバル「橋の下世界音楽祭」が豊田大橋の下に戻ってくる。

 「橋の下」については次号で記すが、今回紹介するお寺deアートvol.7「大地の記憶」も負けていない。 場所は市内岩倉町にある真宗大谷派御堂山顯正寺。仕掛け人はお庫裏さんで木彫家として活躍する白水ロコさん。「好きな作家さんを紹介したい」と、仲間のアーティストに声をかけてスタートしたそうだが、回を重ねる毎にアーティストの友達の輪が広がり、「私はお世話をしているだけ」とロコさん。

 自然体のロコさんだが、アーティストとデレクションとスタッフの兼務がどれほど至難なことか、想像に難くない。

 来年度、名古屋市と豊田市を主会場に国内最大規模の国際展「あいちトリエンナーレ」が開催されるが、こうした市民アーティストの経験知を是非活かしてほしいと思うのは、私一人ではないと思うがどうか。

 さて、余談に逸れたが、お寺deアートvol.7「大地の記憶」のプログラムは「アートギャラリー」、「ダンスパフォーマンス&コーラスライブ」、「ワークショップ」の3本柱で構成。

 会期は4月29日(日・祝)〜5月6日(日)。会場は冒頭でも記した市内岩倉町の真宗大谷派御堂山顯正寺。参加アーティストは企画構成/白水ロコ(豊田市)▼展示作家/大野昌之(稲沢市)、川崎和美(名古屋市)、サカオ・ケンジ(春日井市)、杉本たけ子(岡崎市)、田口友里衣(豊川市)、光冨さよ(豊田市)、柳哲也(三重県)▼ダンス&コーラス/田中りえ(東郷町)、アカペラグループ「シピドゥラベ」(瀬戸市)▼ワークショップ/中根めぐみ(日本茶インストラクター)、田口ゆりえ(ガラス作家)、真野明日人(仏師)、西守芳泉(民謡芳泉会主)と多彩。

 ざっと「お寺deアート」の概要を記したが、ゴールデンウイークの近場の予定に是非お薦め。

「此の花は今咲いたのではない」に込めた万感の思い 86

還暦記念鈴木真幸登/喜楽亭.JPG 心躍る季節である。前豊田市華道連盟理事長で豐田文化団体協議会会長を務める鈴木真幸登さんから、嬉しい桜の便りが届いた。

 と言ってもお花見の誘いではない。平成29年度豐田文化功労賞受賞と古稀を記念した個展「桜をいける」の案内である。

 桜と言えば寛永年間に活躍した二代目池坊専好の「桜一式」が有名だが、鈴木さんは平成の「桜一式」を目指すというから、さすが華道連盟発足以来の同志である。 余談に逸れるが江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州にこんな逸話がある。真偽のほどは知らないが、時は6月下旬。遠州の京都伏見屋敷に3人の数寄者が訪ねたときのことである。

 遠州は早速3人を茶席に招き入れたが、席入りが済んだところで、急に夕立が降ってきた。通り雨で中立の頃には雨も上がり、後入りで席入りした3人は床を拝見して首を傾げた。床には花入れのみで花はなく、代わりに床の壁にさっと水が打たれていたからである。

 中立で雨に洗われた木々の美しさを見た目には、どんな花をいけても敵わない。壁の水で雨に洗われた外の景色を思い起こさせようという遠州の美学である。

 この後、京都では遠州に倣って、雨が降ると壁に水を打つ茶会が流行ったというから話が上手く出来過ぎているが、「雨に洗われた木々」を「今は盛りの桜」に置き換えたらどうか。 あの遠州がスルーした「桜」であるもっと読む.pdf

小原和紙ユニット「かのうともみひさし」さん新作展 85

ぶんか.jpg 今年は小原和紙工芸会設立70周年、小原和紙を代表する山内一生氏が来月3日の市制67周年記念式典において名誉市民に推挙されることが決まるなど、小原和紙から目が離せない。

 小原和紙は昭和の本阿弥光悦と称えられた藤井達吉翁が、小原地区に古くから伝えられた三河森下紙を元に考案指導した美術工芸和紙で独自に発展したもの。

 近年、碧南市藤井達吉現代美術館の木本文平館長らの研究によって、藤井達吉の日本美術の近代化に果たした役割が明らかになった。戦後(1945〜50)、当時の小原村に移り住んだこの藤井達吉の懐に飛び込んで薫陶を受けたのが、後に日本を代表する工芸美術作家として活躍する前述した山内一生氏や、加納俊治氏、小川喜数氏ら村の青年たちだ。彼らの成功体験は美術史の奇跡の一つに挙げてもいいのではないか。

 こうした伝統の小原和紙も第一世代は山内一生氏を除いてみんな他界。大きな転機を迎えているが、橋本昇三、安藤則義(漆芸)など第二世代が伝統を受け継ぎ、小原和紙に新たな命を与えるなど心配は杞憂。

 中でも独自の展開で注目を集めているのが、小原和紙ユニット「かのうともみひさし」の2人。

 名の由来は、2000年、ハノーバー万博でのワークショップを機に、本名の加納登茂美、恒2人の名前から命名したもの。以来国内外で個展やワークショップを重ね、東日本大震災後はもっと読む.pdf

春のことぶれを探しに奥三河小さな旅 84

17年1月2日古戸花祭り/山見鬼.JPG 近年、私の正月三が日は、奥三河地方で700年以上にわたり受け継がれる国の重要無形民俗文化財「花祭り」に詣でるのが習わしとなった。

 太平洋岸の穂の国と内陸部の南信州を結ぶ天竜川水系の古道が運んだ道の文化の一つで、塩の道が運んだ豊田市の農村舞台や小田木人形座の由来と、どこかで繋がっていると考えているからである。

 この花祭りは、冬に光が衰える太陽の復活を祈る「霜月神楽」の一種で、宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」のアイディアになったと言われる南信州の遠山郷「霜月祭り」と「湯立て神楽群」を形成しているのも興味深い。

 余談に逸れたが、現在花祭りは毎年11月に始まり、翌年正月三が日から3月にかけて、東栄町、設楽町、豊根村の15地区で開催されている。 ちなみに花祭りの「花」とは、稲の花や生りものの前兆、死後の浄土再生の象徴など諸説ある。私が詣でる古戸では、舞庭全体を極楽浄土に見立て、小刀一つで作る切り草や色鮮やかな御幣などで飾りつけ、大法蓮華の花を咲かせるのが花祭りと伝えられている。

 神仏混淆で複雑系の花祭りの説明は正解がないため以下は省くが、花祭りと言えば、巨大な鬼の面をつけた榊鬼をイメージする人が多いのではないか。 


 「鬼」は山の精霊。荒ぶる神、遥か彼方から祝福にくる異形の神としてもっと読む.pdf

まだ間に合う!豊田市美術館ジャコメッティ展 83

ジャコメッティ展展示 (2).jpg 市指定の「七州城図」を描いた元挙母藩士牧野敏太郎(ロンドンで霧の画家として名声を博した牧野義雄の兄)は、図説の中で「挙母には過ぎたるものが二つある、大手門に海老名三平」と記している。

 ちなみに海老名三平をネットで検索すると初代林家三平(本名海老名三平)、と出てくるが、挙母の三平さんは藩の剣術師範を務めた剣豪で、民芸の森にある市指定旧海老名三平宅は明治の廃藩後に住んだ家を移築したもの。

 余談に逸れたが、もし牧野敏太郎が現存していたらどうか。尾張・美濃・信濃・伊勢・近江・伊賀・三河の七ヶ国を臨むことができたことから七州城と呼ばれた高台の跡地に建つ豊田市美術館を見て、「豊田に過ぎたるものは豊田市美術館に豊田スタジアム」と記すのは想像に難くない。

 持って回った言い方をしたが、意は「私たちは敬して遠ざけるのではなく、もっと二つのレガシィを誇ってもいいのではないか」と、常々思っているからだ。

 さて、その豊田市美術館にて、今年は現代美術のスーパースターの一人・奈良美智展に続いて、二十世紀のヨーロッパを代表する彫刻家の一人・ジャコメッティの大回顧展が催され、その豪華二本立てをメディアが大きく報じ、明るい話題が続く。

 普通の公立美術館であれば、ジャコメッティ展規模の企画展を開催すると、他は手薄になるもっと読む.pdf

藤岡地区で全国公募の農村舞台アート開幕    82

#16 三箇町八柱神社 (2).JPG 11月3日発行の本紙『やはぎウィークリー』で、新見克也編集長も触れていたが、昨今は「WE・LOVE・とよた」を合言葉に、豊田市を劇場化する文化イベントが目白押しだ。加えて「ジャコメッティ展」が豊田市美術館、民芸運動の創始者柳宗悦の特別展が民芸館で。今月の21日からは変貌する中心市街地の変遷を紹介する「今のとよた昔のとよた」が近代の産業とくらし発見館で始まる。選り取り見取りである。

 市民にとって選択肢が増えることは贅沢な悩みだが、情報も批評の時代である。各イベントの目的や性格を「ぱっと」見つけられるプラットフォーム化は緊急の課題と思うがどうか。

 前置きが長くなってしまったが、先月終了した農村舞台アートプロジェクト「ライブ部門」に引き続いて、11月19日(日)から26日(日)迄、農村舞台の空間に多様なジャンルのアーティストが個展形式で挑むアートプロジェクトの第2段「アート部門」が始まる。

 挑むのは全国公募で選ばれた3組のアーティスト。公募の概要を簡単に記すと、3組の募集に対して、県外16組、県内11組、市内3組、計30組が応募しもっと読む.pdf

日本遺産は文化の「百名山」    81

小田木の人形座.jpg みなさんは「日本遺産」と言う言葉を聞いたことがありますか? ちなみに「日本遺産」とは、文化庁が平成27年度から認定を始めた新しい制度で、厳しい保全体制や普遍的な価値の説明が求められる世界遺産とは異なり、有形、無形の文化財や習俗を組み合わせて、地域の歴史や文化の特色を分かりやすく、魅力的に発信しようというもの。既に「四国巡礼〜回遊型巡礼路と独自の巡礼文化〜」など54件が認定されている。

  乱暴な言い方をすれば、日本遺産は文化財版のクールジャパンで、文化庁は東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年までに100件の認定を目指しているそうだ。

 周知のように東京五輪・パラリンピックでは、スポーツだけではなく、日本の文化を世界中の人たちに伝えるイベントも予定されている。日本遺産は文化観光の知的モデルになるもので、例えれば「日本百名山」のような位置づけになると言えば、ご理解いただけるのではないか。

 言うは易しの類で恐縮だが、豊田市は三河と本州内陸部を結ぶ塩の道が運んだ多様な「道の文化」の宝庫。猿投古窯から自動車まで千年の余にわたって日本の産業を支えた「ものづくりの文化」など、他市から見れば歴史的文化資源を露天掘りするようなもの。

 時期が時期だけに名前を出すのは憚られるがもっと読む.pdf

山岳写真研究家の杉本誠さん逝く     80

日本山岳写真80年展図録.jpg 去る8月19日、元山岳雑誌「岳人」編集長で、平成9年度豊田文化賞を受賞した山岳写真研究家の杉本誠さんが黄泉の国に旅立った。

 杉本誠さんは1927年豊田市に生れる。1952年中日新聞社に入社。文化部、社会部を経て東京新聞出版局「岳人」編集部に在籍。同編集長、中日新聞編集委員、豊田市主任研究員等を歴任。

 ざっと杉本さんの経歴を記したが、その杉本さんがライフワークとしたのが山岳写真の研究で、中日新聞社退職後は、郷土の出版文化の発展に尽力する傍ら山岳写真の研究に邁進。

 『山の写真と写真家たちもう一つの日本山岳史』(講談社)を上梓するほか、トリノ山岳写真博物館所蔵品で構成した「山岳写真の源流ビットリオ・セッラ写真展」、世界的な文化人類学者の「フォスコ・マライーニ写真展東洋への道」、「自然へのまなざし水越武展」、「ウェストンの見た明治・大正の日本」、「日本の山岳写真80年」、「新世紀を拓く/世界10人の山の写真家」を企画。日本山岳写真史にエポックを記したが、杉本さんはさらに先を見据えた大仕事に着手していた。

 日本山岳写真史研究の過程で収集したガラス乾板写真から起したプリント537点を「史」として後世に伝える大作業である。

 ある時、所用で自宅に伺うと、全紙大のプリントと作品解題を着物をたたむように、整理タンスに一枚一枚丁寧に仕分けている最中で、「今整理しておかないと大変なことになるから」と笑ったが、目は笑っていなかった。

 2009年、杉本さんは貴重な研究成果を日本の山岳写真で最も重要な写真家の一人、田淵行男記念館が建つ長野県安曇野市に寄贈。

 私は地元の豊田市が所蔵するものと思っていたため驚いたが、登山文化の聖地に還るのが自然の流れで、改めて杉本さんの山岳写真に対する限りない愛着と深い造詣に思わず頭を下げたことを、今懐かしく思い出している(合掌)。ご購読はコチラ.pdf

写真・写真展「日本の山岳写真80年」の図録

農村舞台に世界の歌姫二宮咲子さん登場     79

(ソプラノ)二宮咲子 (1).jpg 豊田市内の中山間地に現存する農村舞台群を地域の文化資源として活用してきた「農村舞台アートプロジェクト」が8年目を迎えた。

 今回も農村舞台を現代の芝居小屋に見立てて多様な舞台芸術で挑む『ライブ』。農村舞台の空間にアーティストが個展形式で挑む『アート』の両輪で構成する基本方針は変わらないが、江戸時代半ばに伝えられ、明治の始めに途絶えた小田木人形座の復活に向けた取り組みに続いて、新たに足助地区の怒田沢町諏訪神社農村舞台「寶榮座」を活用して集落を再生する取り組み「寶榮座協議会」が発足するなど、地域創生型のアートプロジェクトに発展。

 文化庁も度々下見に来豊するなど、農村舞台を巡る動きはまだまだ余震レベルで目が離せない。

 さて、お目当てのプログラムだが、『ライブ』は9月10日(日)深見町磯崎神社(藤岡地区)、9月24日(日)小田木町八幡神社(稲武地区)、10月8日(日)怒田沢町諏訪神社「寶榮座」(足助地区)の3舞台を予定。

 小山陽二朗さんをはじめ知性派テノールと世界の歌姫二宮咲子さんの競演が話題の「夢のオペラガラコンサート」(深見町)、「小田木人形座・国選択無形民俗文化財黒田人形保存会合同公演」(小田木町)、京都を拠点に活動する「舞踏カンパニー倚羅座公演」(怒田沢町)の豪華三本立でもっと読む.pdf

祝祭劇「姥捨」で寶榮座復活の狼煙     78

宝栄座.jpg 今から32年前、当時財団法人豊田文化協会(現公益財団法人豊田市文化振興財団)でアートマネージメントの真似事をしていた私は、街を劇場化するためロック歌舞伎スパー一座の市街地上演の想を密かに練っていたが新聞を見て絶句。『過疎に歯止めだ!ロックビート、足助の農村歌舞伎舞台35年ぶりに活気戻す』の文字が躍っていたからである。

 仕掛けたのは農山村文化の見直しと発信をテーマに掲げて『足助人学校』を開いていた旧足助町企画課。530枚準備した入場券は発売早々に完売したというから記事も躍る訳である。ちなみに農村歌舞伎舞台の名は怒田沢町諏訪神社「寶榮座」。滞在型の楽屋を併設した市内唯一の舞台で、明治30年(1897年)再建。村役衆の「太くていい木を出した人は、いい役をもらえる」と言う檄に、家の山で一番太い木を競って寄付したというから怒田沢町の芝居好きは筋金入り。
 そんな伝統をもつ寶榮座も少子高齢化の波には抗えず、集落の村歌舞伎は萩野小学校の子供歌舞伎に引き継がれたが、近年は舞台廃絶の声も出るなどその存続が危ぶまれてきた。

 転機が訪れたのは農村舞台アートプロジェクトの開催で、プロジェクトに触発された地元の有志が中心になってもっと読む.pdf

ドラマスタジオの近藤博さん往く     77

鈴木正三物語/近藤博_.jpg 冒頭から私事で恐縮だが、長年、郷土の偉人で江戸時代初期に仏教思想家として活躍した鈴木正三の再評価に向けた取り組みにスタッフとして関わってきた。

 多岐にわたる正三の全体像を初めて明らかにしたシンポジウムや、正三ゆかりの天草との交流、アニメの制作。鈴木正三研究会の設立、正三研究の集大成となる没後350年記念事業等、私の役割は終えたが、正三を劇化した文化協会(現在の文化振興財団)創立50周年記念鈴木正三物語「幻花有情」は未だに血が滾るから不思議だ。

 文化協会の総力をあげたプロジェクトで、作・脚本演出を放送作家として活躍した故谿渓太郎、舞台美術を故島崎隆の大御所に依頼。もちろん鈴木正三を演じる役者の当てがなければこんな無謀な企みはできない。当時豊田演劇集団に所属していたドラマスタジオの近藤博さんである。

 近藤さんは1948年市内竹元町生まれ。1972年豊田演劇集団の設立メンバーとして参画。圧倒的な演劇力と存在感は各地の劇団から客演として請われるなど実力は折り紙付き。

 その近藤さんの代表作となったのが鈴木正三物語「幻花有情」で、正三が降臨したかのような入魂の演技に、客席で合掌する人も出るなど、豊田の演劇史に金字塔をしるしたのは周知のとおりである。 その後も市民オペラなどエポックをしるした大舞台にはいつも近藤さんがいた。この春も「農村舞台で飯野八兵衛をやろうと」と電話をしたが、「それまで持つかな…」もっと読む.pdf

橋の下世界音楽祭は傾奇者の聖地        76

●16年5月28日橋の-下/会場.jpg 海に降った鮭が成長して生まれた川に戻ってくるように、今年も手作りの国内最大規模の野外フェスティバル「橋の下世界音楽祭」が豊田大橋の下に戻ってくる。5月26・27・28日。

 もともと橋の下や河原は不浄の異界で、出雲の阿国など河原者とよばれる傾奇者が集まる場所だったが、今年も北は北海道から南の沖縄・奄美は云うに及ばず、海を越えた大陸からも傾奇者たちが大挙してジャンルを越境。聖地「橋の下」を目指してやってくるというからただごとではない。

 仕掛けたのは地元豊田市のロックグループ「タートルアイランド/亀島楽隊」の永山愛樹さん。永山さんのカリスマ性については別の機会にするが、国内外のツアー公演の成功など実力は折り紙付き。

 ちなみに印刷物はA4版のチラシのみ。それもいろんな事情で出回ったのはつい最近というから屁の支えにもならない。大手メディアもスルー状態で、知らないという市民が多いのもやむなしだが、もったいない。

 それでは全国各地から橋の下にやってくるという彼らは、どのようにして情報を入手したのだろうか。

 紙幅がないため答えを急げば、ツイッターやフェイスブックなどソーシャルメディアの広がりで、いろいろな意見はあるが、ネット社会を制する者は世界を制する時代なのである。 余談に逸れたが、6回目を迎えた今回も橋の下映画祭と橋の下世界音楽祭の2本立てで構成もっと読む.pdf

山笑う文化の倒木更新              75

16年4月11日西中山大池---コ.jpg 新聞報道によると、政府は、天皇陛下の退位と皇太子殿下の新天皇即位を、2018年12月中に行う方向で検討に入ったそうだ。19年元日に想定する新元号への改元まで一定の期間を置くためで、複数の学者に新元号の選考も依頼。既にそれぞれ複数の元号案を受け取っているというから、元号改元のカウントダウンは待ったなしである。

 いつもと書き出しが違うため戸惑っている方もいるかも知れないが、平成の終焉を意味する元号改元は、これまでの改元とは内包する時代(文化)の重さが違うからである。

 今まさに山笑う季節である。この好季に「とよたの文化」を概観し、きたるべき新元号に備えるのも私たち経験者の役割で、ご容赦いただきたい。

 では、平成とはどんな時代だったのか・こういう時は後世の史家になったつもりで、明治・大正・昭和・平成を、近代化(西洋化)をキーワードに俯瞰すると分かりやすい。

 文化に限って言えば、近代的な芸術観によって支えられてきた芸術性に対する信仰が薄れ、クールジャパンに代表されるサブカルチャーのブランド化が台頭するなど多極分散。
 確かに大型の美術展が華やかに開かれ、巨大アートイベントも花盛りだが、一将功成って万骨枯るの喩えがあるように、連綿と紡いできた近代のビジネスモデルの終焉はもっと読む.pdf

芸術家の個性をこえ世界のスワへ高らかにエールを   74

○ウズベキスタン/国立ボリ.jpg 今年はバレエの諏訪等さんが、当時の西山孝豊田市長や、デトロイト市のルネッサンスライオンズクラブと姉妹提携をしている豊田南ライオンズクラブからのメッセージを携え、単身デトロイト市を訪問し、バレエによる国際文化交流の扉を開いて40年。 バレエの本場ロシア・サンクトペテルブルク市芸術家同盟から、「チャイコフスキー」称号バレエ団並びにエルミタージュ劇場使用の許可を得て20年。

 この二つの節目を記念して、3月21日~31日の予定で、所縁のロシア・サンクトペテルブルクと中央アジアのウズベキスタンを訪問、国際文化交流公演を開く。

 6年ぶり7回目となる今回公演は、豊田バレエ学校の生徒や卒業生のほか、諏訪さんの呼びかけに賛同した国内や韓国のバレエ団、クラシックの寺本みなみ・みずほデュオも参加を予定。どんな土産話が聞かれるか今から楽しみである。

 一口に国際文化交流公演というが、舞台はロシアが誇る世界遺産のエルミタージュ劇場。ウズベキスタンの伝説的な英雄アリシェル・ナボォイの名を冠にした愛称で親しまれているウズベキスタン国立ボリショイバレエオペラ劇場。シルクロードの要衝で「青の都」と称えられている世界遺産サマルカンドである。

 こんな破格な舞台を提供される人物は、国内はもとより世界広しと言えども、諏訪さん以外にいないもっと読む.pdf

豊田ビデオリポータークラブが定点観測で全国表彰  73

東京ビデオフェスティバル201.jpg 私事で恐縮だが、写真のダゲレオタイプ発明150年を記念した「豊田今昔写真展」。豊田文化協会(現豊田市文化振興財団)創立50周年を記念した「生活から見た豊田の文化50年展」に関わったことがある。

 中心になったのは、郷土史家で後に豊田市郷土史研究会を創設した故若子旭さん、山岳写真研究家でジャーナリストの杉本誠さん、故有木章悟さん、故石田真典さんら文化協会写真部のほか、各部会の有志がそれぞれの分野で参画。作業は地域別に担当を決めて、各家庭で眠っている写真の掘り起こしからスタート。お借りした写真の調査研究など困難を極めたが、当地の映像の世紀を記すエポックとなったのは説明するまでもないと思うがどうか。 このアーカイヴ事業の志を連綿と継承しているのが、文化振興財団の映像部会「豊田ビデオリポータークラブ(稲垣敬一会長)」が毎年4月1日を観測日に定めて実施している「豊田定点観測」である。

 スタートしたのは今昔写真展と同じ1990年。観測場所は豊田市駅前一帯。

 駅東地区(ギャザ)、市民センター地区(参合館)の都市再開発事業が本格化する前で、いまビデオ映像に記録しないと旧下町の情景が消滅してしまうと考えたからである。

 定点観測された映像には、刻々と変貌する駅前一帯の変遷はもちろんだが、街行く人のファッションや話し声や音楽など音声も記録されもっと読む.pdf

寺本デュオのおしゃべり音楽会  72

おしゃべり音楽会.jpg 20年ほど前になると思うが、料理の腕を競うテレビ番組があり、ついつい見入ってしまったことがある。鉄人と称する料理人が毎週異なった食材をテーマに料理の腕を競うというキワモノだったが、飽食の時代を反映してそれなりに人気があったから、覚えている人もいるのではないか。

 この「料理の鉄人」をいけばなに置き換えたのが「花いけバトル」で、結構高い入場料にもかかわらず、東京ではチケットの入手が難しいというから、よくわからないが水面下で何か起きているのかも。

 余談に逸れたが、NHKの「あさイチ」でも紹介されたため見た人もいるかも知れないが、観客の目の前で、複数のバトラーが同じ制限時間、同じ器、同じ花で花をいける。ルールは簡単で、観客を魅了させたバトラーの勝ちというから分かりやすい。

 いけばな界からは批難、罵倒を浴びたが、壮絶なライブを勝ち上がった無名のバトラーたちが、年間王者決定戦に出る頃には、海に降ったアマゴが巨大なサツキマスになって、故郷の川に回帰するようなもので、みんなヤンヤの大喝采。

 いつの時代も天井を開けるのは、こうした星雲の志をもった若い人たちの一途な背中だが、「クラシック音楽の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたい」と目を輝かせる寺本デュオも負けていない。

 寺本デュオは、ピアニストの寺本みなみさんとヴァイオリニストのみずほさんの姉妹がフランス留学を機にデュオ活動を始める。帰国後は地元豊田市を拠点に東京、フランス、イギリス各地でも音楽の伝道師として活動を広げるなど、実力は折り紙付きもっと読む.pdf

まだ間に合う!豊田市美術館「蜘蛛の糸」  71

16年11月1日美術館蜘蛛の糸/.jpg 12月8日発行の中日新聞朝刊に、在名民放5局の9月中間決算が載っていた。何気なく流し読みしていたら中京テレビの増収理由に、豊田市美術館と共催した「ジブリの立体建造物展」が上がっていたのにはびっくり。

 参考までに記すとジブリ展の入場者数は約30万人(内初鑑賞者は約20万人)。本年はまだ統計が出ていなが、昨年比で全国8位、一昨年比で7位にあたり、ベストテン入りは間違いないのではないか。

 もし確定すれば、国立博物館、新国立美術館、東京都美術館などビッグネームに伍してのランクインで、まさに快挙である。

 余談に逸れたが、現在開催中の企画展「蜘蛛の糸」もジブリ展に負けていない。

 もちろん入場者数では敵わないが、学芸員が調査・研究を重ね、アートを史として紡ぐ美術館の王道を行く仕事で、地味系だが今季のアートシーンのベトピックスの一つに挙げてもいいのではないか。

 当然のように、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」から想を得た作品もあるが、本展は蜘蛛が編み出す繊細で美しい糸の軌跡に魅せられた多様な表現を、江戸時代から現代まで約80名の作品で紹介。予想を遥かに超える展開で目から鱗。

 既に観た人は納得していただけると思うが、多様なジャンルのアーティストが、時空を超えて異種格闘技のようにぶつかり合いながらもっと読む.pdf

紅葉の松平郷で農村舞台第2段「アート」開幕  70

10 桂野町神明宮.jpg 農村舞台アートプロジェクトについて記すのは7月・9月に続いて今回で3度目になる。

 文化の観測子として偏りが過ぎるとお叱りを受けそうだが、農村舞台の展開は私のライフワークの一つで、ご容赦いただきたい。さて、そんなわけで説明は省くが、先月終了した「ライブ部門」に引き続いて、 明日11月19日(土)から27日(日)迄、農村舞台の空間に多様なジャンルのアーティストが個展形式で挑むプロジェクトの第2段「アート部門」が始まる。

 会場は徳川の始祖親氏が眠る松平地区の坂上町六所神社、九久平町神明宮、桂野町神明宮の3カ所。

 挑むのはプロジェクト初の全国公募で選ばれた3組のアーティスト。

 既に東京都の岩塚一恵さんが六所神社農村舞台に、日進市の加藤恵利さんが九久平町神明宮農村舞台に、地元豊田市の敦木愛子さんが桂野町神明宮農村舞台に入り、公開制作を開始。あとは初日を待つばかりだ。

 ここで公募の経緯を簡単に記すと、「アート」はこれまで実行委員会によるノミネート方式で実施してきたが、名実ともに清新なアーティストの登龍門とするため全国公募に切り替えたもので、3組の募集に対して、県外6組、県内2組。市内2組、計10組が応募。

 いずれも国際展のキャリアのある実力派から各地のアートシーンの第一線で活躍する同時代性のアーティストで、農村舞台という貴重な文化資源を活用する責任を痛感した次第である。

 余談に逸れたが、清新なアーティストと遭遇した農村舞台がどのような化学反応するか否かもっと読む.pdf
写真=敦木愛子さん(豊田市)が挑む桂野町神明宮農村舞台。

写真家の石田真典さん逝く  69

石田真典写真集/丹頂.jpg 去る9月17日(土)、写真家の石田真典(いしだまさのり)さんが、入院先のトヨタ記念病院で逝去した。享年73歳。葬儀は石田さんが願っていた家族葬で営まれ、黄泉の国に旅立った。

 石田さんは1944年豊田市に生れる。東京写真専門学校を卒業後、ヤマウチ写真場を経て、1974年フリーカメラマンとして独立。


 時代が人を作るのか、人が時代を作るのか知らないが、写真は長い記念写真の時代から表現としての写真の時代を迎えていた。満を持しての独立である。

 そんな石田さんがライフワークとしたのが、厳寒の釧路湿原やオホーツクの海を撮り続けた「北の詩景シリーズ」だった。

 過酷な自然と一体になって一瞬のシャッターチャンスを待つ、孤高な背中が写し撮ったシリーズはネイチャーフォトの到達点の一つとして高く評価され、2005年、写真家として初の豊田芸術選奨を受賞した。

 普通はこれで落ち着くところだがもっと読む.pdf

写真=石田さんの死を悼むかのように天に向かって鳴き合うタンチョウ (石田真典写真集「氷点下の世界」より)

懐かしい山里とアートが出会う農村舞台  68

六所神社農村舞台.jpg 市内の中山間地に現存する農村舞台群を地域の文化資源として活用する農村舞台アートプロジェクトが7年目を迎えた。

 農村舞台を現代の芝居小屋に見立てて多様な舞台芸術で挑む「ライブ」。農村舞台の空間にアーティストが個展形式で挑む「アート」の両輪で構成する基本は変わらないが、新たに農村舞台を清新なアーティストの登龍門とするため「アート」を全国公募に。

 また明治初期に途絶えた小田木人形座の復活に向けた取り組みに続いて、足助地区の怒田沢町諏訪神社農村舞台「寶榮座」の再生に向けた取り組みがスタート。寶榮座は、市内唯一の楽屋付きの農村舞台として親しまれてきたが、近年集落の高齢化が進み、その存続が危ぶまれてきた。

 今回の取り組みは、学区の萩野自治区と協働して、寶榮座の持続可能な存続方法を探ろうというもので、昔取った杵柄で寶榮座歌舞伎連が声優として再結集。「紙芝居形式の村歌舞伎」に挑むほか、クラシックの寺本デュオと豊田シティバレエ団よる奉納ライブ、農村舞台入門のワークショップ。私もアート作品「風船降臨」を奉納する。

 寶榮座の説明に大きく割いたが、この他、市民企画の「農村舞台で音楽祭」が藤岡地区の深見町磯崎神社で。小田木人形座準備会改め小田木人形座が、300年の伝統を今に伝える黒田人形の胸を借りて寿式三番叟を奉納する人形公演が稲武地区の小田木八幡神社で予定されるなど、ライブはどれも目がもっと読む.pdf

8月26日豊田市民文化会館 世界バレコンに行こう  67

◎豊田国際バレコン2015/最.jpg 名古屋市が全国主要8都市に住む人を対象におこなった「都市の魅力やイメージ」に関するアンケートで、予想どおり? 同市がぶっちぎりの最下位に決まった。

 当然のように河村名古屋市長は「何をとろいこといっとるんだあ」とカンカン。早速、週刊ポストが『日本一の嫌われ都市を愛憎こめて大研究』と特集でいじったが、「ドラゴンズがBクラスの時は会社中機嫌が悪い」「SSKが名古屋女性のステータス」「開店祝い、お葬式の花を持ち帰る」などなど抱腹絶倒。 前述した河村市長や作家の井沢元彦など名古屋擁護派も反論。『京都ぎらい』の著者で、BSプレミアム『英雄たちの選択』でお馴染の井上章一も応援団として参戦したが「最近は3大ブスと馬鹿にしますが、かって名古屋の女性はこよなく愛されていた」と足を引っ張る始末で、屁の支えにもならない(笑)。

 人も都市も地域も、いじられたときの出かたで値打ちが決まるというが、瓢箪から駒でチャンスかも(ガンバレ!名古屋)。

 余談にそれたが本日(12時半〜21時)、豊田市民文化会館大ホールで「第4回豊田世界バレエ&コンテンポラリーコンペティション」が開催されている

 豊田バレコンはベルリン国際バレエコンクールなど世界各地のバレコンの審査委員を歴任した豊田シティバレエ団の諏訪等さんが、日本バレエ界の活性化と将来を担うダンサーの発掘を目指して立ち上げたもの。

 近年、ローザンヌの結果がトツプニュースになるなど、バレコンに注目が集まっているがもっと読む.pdf

農村舞台アートプロジェクトの準備着々  66

怒田沢町諏訪神社.jpg 近年アートイベントは、イタリア語で3年に一度という意味の「○○トリエンナーレ」、同じく2年に一度という意味の「○○ビエンナーレ」など、都市や地域の元気力を象徴する祝祭として定着。一説によると全国で大小あわせると100近いというから尋常な数ではない。

 この夏も「愛知トリエンナーレ」(愛知)、「瀬戸内国際芸術祭」(香川)の二大国際展のほか、古都奈良では、日本・中国・韓国の3か国が、文化による発展をめざす都市を各国1都市選定し、交流を深める国家プロジェクト「東アジア文化都市2016奈良」がスタンバイ。

 日本列島がアートのテーマパークになったようなもので、アートファンの私には嬉しい悲鳴だが、一部に金太郎飴化の批判もないわけではない。早晩ふるいにかけられるのは必至だが、玉石混交は文化立国に向けた授業料のようなもので、1割ホンモノが残れば十分。

 みんなは知らないと思うが、そのベストテン入りを密かに狙っているアートイベントが豊田市にある。市内の東部から北部にかけて現存する農村舞台群を、今に生きる文化資源として活用する農村舞台アートプロジェクトである。

 農村舞台を現代の芝居小屋として挑む「ライブ部門」、多様なジャンルのアーティストが個展形式で挑む「アート部門」。江戸時代半ばに伝えられ、明治の初めに途絶えた小田木人形座の復活に向けた取り組みなど、基本方針は変わらないが、7年目を迎えた本年度は、「アート部門」を全国公募に切り替え…もっと読む.pdf

本邦初講演「漱石が対決した正三」  65

●16年6月11日恩真寺/睡蓮池.jpg 郷土の偉人で、江戸時代初期に仏教思想家として活躍した鈴木正三については、このコラムでも度々記しているため簡単にするが、過日、正三所縁の山中町の恩真寺から、正三の生まれた則定町(足助地区)の正三史跡公園まで一人ウォーキングに挑戦した。

 「正三みち」を紫陽花や萩の咲く「花の古道」にできないか、リサーチの予行演習のつもりで軽~く挑んだが、私の悪い癖で計算したのは片道の距離のみ。

 おかげで、復路の峠越えは、東京箱根間往復大学駅伝の「山上り」のようなもので、涙々(笑)。

 余談に逸れたが、鈴木正三を顕彰する豊田市鈴木正三顕彰会の総会が今月の26日(日)、前述した正三所縁の山中町の恩真寺で開催される。

 この総会は正三の命日の6月25日(第4日曜日)に合わせて毎年開催されるもので、総会の呼び物の一つは、全国各地の正三研究者による記念講演会。

 講師は「蘇る自由の思想家鈴木正三」の著者で、NHKジャーナルなど数多くの報道番組を担当した元NHK国際局チーフ・ディレクターの森和朗氏。

 2度目となる今回は、没後100年で沸く時の人、文豪夏目漱石を通して正三を語るというから、さすが一級のジャーナリストは目の付け所が違う。

 森さんのお話によると、読書家の漱石は、蔵書に膨大な書き込みをしているが大部分は英語の書物への英語による書き込みで、和書への日本語の書き込みはそれほど多くないがもっと読む.pdf

橋の下世界音楽祭はアートの解放区  64

15年5月23日橋の下音楽祭/第.jpg 「橋の下世界音楽祭」とはなにか。

 日本初の野外フェスティバルとして今に語り継がれている伝説の「中津川フォークジャンボリー」に比肩する野外フェスと言えば、その持つ意味が理解いただけるのではないか。

 今年も北は北海道から南の沖縄は言うに及ばず、海を越えた大陸からも傾奇者たちがアートの領域を越境。しかも手弁当で矢作川・豊田大橋を目指してやってくるというから、アーティストの十字軍が大挙してやってくるようなもの。

 仕掛けたのは、地元豊田市のロックグループ「タートル・アイランド」の永山愛樹さん。世間的にはどうか知らないが、国内外のツアー公演の成功など実力とポリシーは折紙付き。

 しかし、それだけではこれだけの大仕事はできない。何か秘訣があるはずだ。 後学のため、それとなく観察しているがよくわからない。ただわかったことはどんな労も惜しまないこと。特に宴が終わったあとの橋の下は丁寧に均され、塵ひとつ落ちていないから徹底している。

 余談に逸れたが、5回目を迎えた今回は、元大須ロック歌舞伎スーパー一座の座長、原智彦さん率いるハラプロジェクトが満を持して参上。「幻の芝居小屋」で、古典歌舞伎の名作『俊寛』『勧進帳』の二本立ての大盤振る舞いをするというから、太っ腹。

 前夜祭も、昨年逝去した長唄・三味線の『六栁庵やそ一周忌追悼ライブ』と『映画祭』の二本立てで、まさに選り取り見取り。

 メインステージとサブステージのほか、大道芸やパフォーマンスが花火のように打ちあがるから、踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損々。まさに空前絶後の野外フェスで、未だ見ていない人は、歴史の証言者になるチャンスを放棄したようなもので、もったいない。さあ、善は急げ!もっと読む.pdf

異才の書家安藤豊邨さんの全容を知るチャンス  63

安藤豊邨帰郷展D.jpg 今回は市内伊保町で平成の寺小屋『論古社』を主宰する書家、安藤豊邨さんの二つの展覧会を紹介したい。一つは既に市民文化会館A展示室で始まった第33回論古社展である。

 名は体を表すというが、本展は「古きを論じる」、中国で誕生した書の悠久の歴史に学び、新しきを知るという、安藤さんの薫陶を受けた同人の勉強の成果を問う晴れ舞台で、主宰の安藤豊邨さんをはじめ、77人(1人は物故者)の同人が140点の作品を出品するほか、特別展として中国西安現代書作家展を開催。

 会期は17日(日)までと、日にちはないが、是非お出かけを。

 もう一つは昨年9月、中国西安交通大学博物館で開催された第5次安藤豊邨詩書展の帰郷展である。

 タイトルに詩書とあるように、自詠漢詩百首による、書・篆刻・刻字からなる個展で、異才安藤豊邨さんの全容を知るまたとない機会と…もっと読む.pdf

平戸橋考「文化は市民の育てる力」      62

ぶんかの定点.ai 職にあった当時、「映画と講演の集い」の講師に招いた映画評論家の川本三郎に、お薦めの映画監督を尋ねたことがある。

 川本三郎が挙げたのは地味系の成瀬巳喜男だった。

 意外な名前に私が理由を尋ねると、小津安二郎の名を挙げ、「小津と比べて不当に評価が低い。近い将来、成瀬の再評価がおきる」と杯を傾けた。

 その夜は映画談議で更けたが、数年を待たずに成瀬巳喜男ブームが起きたのは周知のとおりである。

 余談に逸れたが小津を「足助(香嵐渓)」に、成瀬を「平戸橋」に置き換えてみたらどうだろうか。

 江戸後期、漢学者の永田蘭泉は平戸橋(波岩)を「衣里八景」の一つに詠み、昭和初期には愛知県新十名勝に選ばれているが、平戸橋は単なる景勝地ではない。

 個々に挙げるとキリがないため省くが、豊かな自然と近代遺産を巡り、民芸の美を学ぶことができる。しかも市の中心地から5㎞と離れていない近場である。

 恵まれ過ぎると意識が外に向かわないと言うが、近年は古陶磁研究家で名誉市民の故本多静雄氏さんが提唱した「民芸の渓」構想に基づいて、全国有数規模の民芸館が整備され、民芸ファンの聖地となっている。

 この4月には本多さんから寄贈された旧邸が整備され、「豊田市民芸の森」として一般公開されるが…もっと読む.pdf

私事になるが、平戸橋在住で美術連盟の吉田稔さんに、平戸橋一帯の理想形を6つのゾーンに分けて、31枚のイメージ画に描いてもらったことがある。残念ながら日の目をみなかったが、掲載のイラストは「民芸の森」を描いた一枚。

間もなく豊田市美術館に春のことぶれ      61

p72/13年3月29日美術館の桜-.jpg いままで国盗り物語など、三英傑の時代を描いた映画やドラマは数多あるが、「本能寺の変」を1分で描いたのは、放映中の大河ドラマ「真田丸」が初めてではないか。

 その真田丸で存在感を際立たせているのが、幸村の父、真田昌幸を演じている草刈正雄で、ナレーションの有働由美子アナが「草刈さん素敵!」と、言ったとか言わなかったとか。

 草刈正雄は美系だが決して上手い役者ではなかったが、時間をかけて熟成。

 Eテレ「美の壺」で大人の片鱗を見せていたが、所を得て一気に開花。それにしても三谷幸喜は人の使い方が上手い。 冒頭から余談に逸れたが、同時代性のコレクションが「史」として成長していく過程に入るなど、豊田市美術館も草刈正雄に負けていない。

 開館以来、日本を代表するシャープな美術館として国内外より高く評価されているのは周知のとおりだが、残念ながら未だ「過ぎたるもの」として、敬して遠ざける人も少なくない。 昨年秋以来、その豊田市美術館がリニューアルオープンして…もっと読む.pdf

中馬街道は日本遺産の認定に向けたキーワード      60

1中馬稲武.jpg
  昨年10月、岡崎・浜松・静岡の三市は、徳川家康をキーワードに文化庁の「日本遺産」の認定を目指すと発表した。

 「家康公四百年祭記念事業」の流れの中で機運が高まり、三市が合意したとのことだが、確か「四百年祭」は豊田市も参画していたはず。なぜ徳川の始祖が眠る豊田市が入っていないのか、よくわからない。

 ちなみに「日本遺産」は文化庁が昨年度から始めた取り組みで、厳しい保全体制や普遍的な価値の説明が求められる世界遺産とは異なり、有形、無形の文化財や習俗を組み合わせて、地域の歴史や文化の特色を分かりやすく、魅力的に発信しようというもので、初年度の昨年は「四国遍路」など18件が認定された。

 乱暴な言い方をすれば、日本遺産は文化財版のクールジャパンで、文化庁は東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年までに100件の認定を目指している。

 持ってまわった入り方をしたが、「豊田市に日本遺産を」というのが今回の私の提案である。

 農村舞台を例にして恐縮だが、それまで孤立しているように見えた市内の農村舞台が、近年の目視調査により…もっと読む.pdf

村上ワールド全開の五百羅漢図展            59

五百羅漢チラシ.jpg今年も残すところわずかとなったが、六本木ヒルズの森美術館で話題の『村上隆の五百羅漢図展』を見た。

 村上隆は『タイム』誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に選出されるなど、現在国際的に最も高い評価をされている現代美術家の一人。

 タイトルの五百羅漢図は、東日本大震災を契機に、鎮魂の祈りとして制作した全長100㍍の大作で、日本初公開。

 経緯を説明すると、村上隆の最大の支援者の一人、中東・カタールのマヤッサ王女が、村上のために首都のドーハに新美術館を建設して作品を依頼。

 その後、東日本大震災が起きて、想が固まったもので、村上は制作にあたり、3000枚にも及ぶシルクスクリーンの版を刷り、イメージをデジタル化。最後は全国の美大からスカウトした200名余のスタッフが手描きで仕上げたそうだ。

 京都の天竜寺で『龍』の天井画をエアーブラシで描いた故加山又三は、NHKの番組で「いつの時代も画家は最新の技術と道具で描いた」と語ったが、村上の斬新な手法は日本美術の工房制作の現代版で、まさに不易流行。目から鱗である。

 余談に逸れたが完成した五百羅漢図は2012年、日本との国交樹立40周年の国家プロジェクトとしてド―ハで発表。 その圧倒的なスケール感と、どこかユ―モラスな五百羅漢図は、新世紀最大の巨大絵巻として世界を…もっと読む.pdf

11月29日(日)は地歌舞伎と合唱とバレエの日     58

くるみ割り-(9).jpg 11月29日(日)は、「全国地芝居サミットinとよた」の地歌舞伎公演、豊田市民合唱団の「創立30周年記念定期演奏会」、豊田シティバレエ団の「くるみ割り人形」の3公演が重複。

 いずれも当地の文化団体の到達点を内外に発信する重要な催しものだが、紙幅が限られているため、「迷い箸」で稿が進まない。

 そんな訳で、地芝居サミットは他に譲り、今回は後の2つを取り上げたい。

 ▼豊田市民合唱団は昭和56年、豊田で初の第九演奏会に出演した第九合唱団を母体に昭和61年に発足。

 15回に及ぶ第九演奏会の開催、豊田ジョイントコンサート、学術レベルのパンフレットの作成など、豊田の音楽シーンは市民合唱団を抜きにしては語れない。この間、平成18年度愛知県芸術文化選奨文化賞の受賞など実力は折り紙つき。

 30周年を記念した今回のプログラムは、ミュージカルの名曲集、オペラ・アリアと合唱曲のコラボ、オペレッタ「メリー・ウィドウ」よりと、誰もが知っている名曲ばかり。

 ゲストもイタリアのプッチーニ―財団のオペラ「蝶々夫人」で世界デビューした二宮咲子さんなど多彩…もっと読む.pdf

加納俊治先生の訃報に寄せて      57

15年9月18日彼岸花.jpg 本紙の既報のとおり先月19日、小原和紙を代表する加納俊治先生が逝去した。

 業績や人となりについては既に3週にわたって紹介されているため、重複の誹りは免れないが、この機会に小原和紙について簡単に触れてみたい。

 昨年、「本美濃紙」(岐阜県美濃市)、「石州半紙」(島根県浜田市)、「細川紙」(埼玉県小川町、秩父町)がユネスコの世界遺産に登録され、話題になったのは周知のとおり。

 小原和紙は、原料に楮を使用するのは同じだが、古くから小原地区に伝えられた「森下紙」をベースに、昭和の本阿弥光悦と称えられた碧南市出身の藤井達吉が考案指導した美術工芸和紙で、独自に発展したもの。

 近年、碧南市藤井達吉現代美術館の木本文平館長らの研究によって、藤井達吉の日本美術の近代化に果たした役割が明らかになったが、戦後(1945―50)、小原村に疎開した藤井達吉の懐に飛び込んで薫陶を受けたのが、後に日本を代表する工芸作家として活躍する山内一生氏や故小川喜数氏ら村の青年たちで、彼らの成功体験は美術史の奇跡の一つに挙げてもいいのではないか。

 中でも孤高の人、藤井達吉の心の内に分け入り、美の求道者の道を歩んだのが加納俊治先生だった。 数々の栄誉は省くが、私は幸運にもローマ法王に献上する和紙を先生の応接間で拝見したことがある。世界の絵本作家が憧れる最も美しい紙と聞いていたが、絹のような深みと静かな光沢は宝石のように輝いていたのを今でも鮮やかに覚えている。

 余談に逸れるが、私は職に有った当時、こうした小原和紙を記録することの重要性を痛感。「小原和紙三人展」、映像による小原和紙の証言記録の制作に関わったことがある。証言記録は未完で継続しているとのことだが、私たちがしなければいけない重要な仕事の一つで、今はただただ頭を深くして深謝したい。もっと読む.pdf

農村舞台はアートで収穫の秋
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15年3月14日記念写真-(3).jpg 足助地区怒田沢町諏訪神社農村舞台「宝栄座」の今貂子舞踏公演に続き、今週日曜日20日は、農村舞台で初のバレエ公演。出演はバレエの本場ロシアのサンクトペテルブルグ芸術家協会より「チャイコフスキー記念」の称号を授与された豊田シティバレエ団。

 会場は深見町磯崎神社農村舞台。演目は白鳥の湖などバレエの名場面集のほか、スタンダードジャズの名曲によるモダンバレエ、民謡の「そうらん節」まであるというから、こんなチャンスを逃したらもったいない。フィナーレを飾るのは、小田木人形座準備会だ。

 小田木人形座は江戸時代中頃、稲武地区の小田木村に伝えられた人形浄瑠璃で、祭礼などに奉納されていたが、明治8年(1875)の「村中倹約申合」により活動を停止。

 人形舞台は大正の頃、傷みがひどくなり取り壊されたが、カシラや衣装は昭和42年(1967)愛知県有形民俗文化財に指定され、豊田市稲武の郷土資料館「ちゅ~ま」で展示されている。

 ざっと小田木人形座の由来を記したが、2013年にこの人形座の復活を目指して地元の有志が中心になって立ちあがったのが小田木人形座準備会(山田良稲会長)である。 ところが140年の空白は想像以上。カシラや衣装は残っているものの文化財で使用が難しく…もっと読む.pdf

6年目を迎えた農村舞台アートプロジェクト  55

今貂子.jpg 豊田市内の中山間地に現存する農村舞台群を地域の文化資源として活用する農村舞台アートプロジェクトが6年目を迎えた。

 農村舞台を現代の芝居小屋として可能性を探る「ライブ」と、農村舞台の空間にアーティストが個展形式で挑む「アート」の両輪で構成する基本は変わらないが、新たに足助地区の怒田沢町諏訪神社農村舞台「宝栄座」の再生に向けた取り組みがスタート。

 宝栄座は、市内唯一の楽屋付きの農村舞台で、解散したロック歌舞伎の大須スーパー一座が合宿するなど、親しまれてきたが、近年集落の高齢化が進み、その存続が危ぶまれてきた。

 今回の取り組みは、集落と協働して宝栄座の存続方法を探ろうというもので、京都で舞踏カンパニー倚羅座を主宰する舞踏家今貂子さんが集落に宿泊滞在。芝居好きな集落の人や地域の人と交わりながら、舞踏作品を創りあげて公演するほか、みんなでワイワイ語り合う車座ミーティングや舞踏のワークショップも予定。

 宝栄座の説明に大きく割いたが、この他、豊田シティバレエ団による農村舞台で初のバレエ上演が藤岡地区の深見町磯崎神社で。小田木人形座準備会が、300年の伝統を今に伝える黒田人形の胸を借りて寿式三番叟を奉納する小田木人形座準備会&黒田人形公演が稲武地区の小田木八幡神社で予定されるなど、ライブはどれも目が離せない…もっと読む.pdf

伍江梅さんvsとよたのアーティストがアートでバトル   54

伍江海デザイン造形展/チラ.jpg 今月17日、アメリカのインディアナ大学芸術&デサイン科助教授で、紙の造形作家として国際的に活躍している中国人アーティスト伍江梅(ウ・ジャンメイ)さんが来日。

 豊田市に滞在して小原和紙や美濃和紙をリサーチする一方、とよたのアーティストと合同で国際文化交流アートフェスティバルを開催することが決まった。

 経緯を簡単に説明すると、市内在住で白日会会員として活躍する洋画家の曽剣雄さんの奥さんの楊林さんと伍さんが中国で同級生だったという繋がりで、急遽決まったもの。

 近年、クールジャパンを背景に和紙を使用したモダンな作品を見ることが多くなったが、伍さんの仕事は誰でも遊んだことがある「折り紙」というから驚く。

 むろん折り紙と言ってもただの折り紙ではない。物理学やコンピューター媒介変数を駆使した斬新なフォルムは他に比類がなく、何よりもシンプルで美しい。

 火薬を使用した破天荒な野外作品で日本でもよく知られている蔡国強など、いま中国の現代アートが世界を席巻しているが、伍さんの作品集を拝見して納得。

 ちなみにアートフェスに参加するのは伍江梅さんのほか…もっと読む.pdf

今年も恩真寺で鈴木正三記念講演会             53

別冊太陽「禅」より恩真寺.jpg郷土の偉人で江戸時代初期に仏教思想家として活躍した鈴木正三について、元検事総長の柏木敬一氏は、5月19日発行の日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で、次のように記している。

 正三の「職業倫理」とプロフィールを記したあと《(正三は)仏との距離が近いと思われていた出家僧侶を俗界の人と同列に並べ、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と言う人間の本質的平等を説き、職業に貴賎なしという原理を唱えた。正三は高校の教科書に載るほど著名な宗教家ではないが、後の心学をとおして江戸の庶民に与えた影響は大きく、日本的資本主義の精神的基盤を創ったと評する論者もいるほどファンも多い。》と結んだ。

 こうした正三ファンにとって、正三生地の豊田市は聖地のようなもの。ゆかりの史蹟はもとより、研究においても集大成となる「鈴木正三全集(上下二巻)」を編纂発行するなど、訪れる人はひきもきらない。

 特筆すべきは、こうした正三の顕彰と研究が市民の草の根の活動によって支えられていることで、昭和50年、正三生地の旧足助町で鈴木正三顕彰会が発足。中心になったのは故鈴木茂夫氏、故高橋秀豪氏、柴田豊氏の3人。

 さらに昭和58年、正三の顕彰活動を広く市民運動とするため豊田市鈴木正三顕彰会(濱本晴之会長)が発足。「正三七部の書」の復刻や絵本化をはじめ正三ゆかりの九州天草市との交流は、矢並小学校(熊谷めぐみ校長)と「鈴木三公(正三、重成、重辰)」を祭神として祀る鈴木神社が…もっと読む.pdf

柏木氏は「正三は高校の教科書に載るほど著名な宗教家ではないが」と記したが、平凡社発行の別冊太陽「禅」(昭和56年発行)は、道元(永平寺)や白隠(松蔭寺)など禅のビッグネームと並んで、正三と恩真寺(写真)をとりあげている。興味のある方は書店で。

美術館も生き残りをかけた時代             52

クリムト/豊田市.jpg 政治の劇場化は常態化し、アートの世界の劇場化もとどまることがない。

 横浜トリエンナーレ、越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭、あいちトリエンナーレの四大国際展から私が関わる農村舞台アートプロジェクトなど、全国各地でアートイベントが目白押しだ。

 一党多弱の政治は危うい。アートも同じだ。こんなとき頑張ってもらわないと困るのが豊田市美術館だ。

 そんな美術館ファンに朗報。私は予てから愛知県美術館のコレクション、特に近代洋画と豊田市美術館のコレクションが補完しあえばに鬼に金棒(豊田市は近代洋画が手薄のため)と思ってきたが、そんな実験的な連携が思わぬ形で実現。 現在、開催中の愛知県美術館コレクション展は、バリアフリー化工事の豊田市美術館から預かっているコレクションとコラボしたもので、20世紀西洋美術をオールスターのそろい踏みで概観できるから嬉しい。

 何と言っても注目は、国内で愛知県美術館と豊田市美術館の2館にしかないグスタフ・クリムト作品を並べて展示した一角。近くにエゴン・シーレとオスカー・ココシュカの油彩も展示され贅沢…もっと読む.pdf

晩年の様式を代表する豊田市美術館のクリムト「オイゲニア・プリマフェジの肖像」。※写真は市販のポストカードより転載。

民芸館で名誉市民本多静雄コレクションⅣ展     51

本多静雄コレクションⅣ.jpg 豊田市民芸館でいま「名誉市民本多静雄コレクションⅣ」が開催されている。

 本多先生は、猿投山西南麓古窯跡群(猿投古窯)の発見者となるなど、実業家で日本を代表する古陶磁研究家として活躍。膨大なコレクションは愛知県などゆかりの博物館や地元の豊田市などに寄贈。県陶磁美術館や民芸館の基礎コレクションとなっているのは周知の通り。

 4回目となる今回の企画展の見どころは二つ。一つは、猿投古窯を代表する国重要文化財「多口瓶」の源流を求めて収集した、紀元前8~10世紀のイスラムの多口瓶の展示。猿投古窯とイスラム文化圏がシルクロードを通して繋がっていたことを証明するもので、「もの」が語る世界は奥が深い。

 もう一つは、電力の鬼と畏敬された実業家で茶人として知られる松永安左エ門(耳庵)が寄贈した茶道具。耳庵は「本多君にやるのにつまらないのはやれないし、かといって良いものは惜しいなあ」と語ったとあるが、寄贈した茶道具はみんな一級品でお洒落。耳庵の人間味あふれる真剣勝負で気持ちがいい。

 関連企画の「よみがえる猿投窯/陶芸家大石訓義作品展」もお薦め。

 大石さんは1984年、猿投古窯研究のため豊田市に築窯。猿投青瓷を発表するほか「猿投古窯―日本陶磁の源流」を著すなど、独自の活動を展開。

 猿投古窯については私なりに理解しているつりでいたが…もっと読む.pdf

こんなチャンスを逃したらもったいない     50

ぶんか3.jpg 切り絵師・俊寛さんの話を初めて耳にしたのは、10数年前。イタリア在住のソムリエで、日伊の架け橋として活躍している亀山絵美さんから入った一本の電話だった。「今日、豊田市から美術の勉強にきている面白い子が訪ねてきた」と亀山さん。

 しばらくしてヴェネチア・ビエンナーレを観る機会があり、亀山さんとフィレンツェの駅で待ち合わせた。どこから合流したか記憶は定かではないが、フィレンツェで美術を学んでいるという日本人の若い人たちを交えて食事をした。

 男性は「切り絵をしている」と自己紹介した。「あのときの―」と、思い出した私は「どんな仕事か一度見せて欲しい」伝えた。

 翌朝、男性が持ってきた作品のアルバムを見て絶句。フィレンツェの街並みや職人を描いた切り絵は、細密画と見まごうばかりの緻密さと、確かなデッサン力で空間を支配していたからである。

 話を伺うと、当初は自分探しのような軽い感じでイタリアに渡ったが、フィレンツェの職人の手仕事に魅せられて、本格的に切り絵をはじめたとのこと。こうした経歴を聞くとイタリアに切り絵の伝統があったように聞こえるが、イタリアに切り絵の伝統はなく、全て独学で道を切り開いたというから驚く。

 その後、フィレンツェの職人展でグランプリを受賞するなど数々の賞を受賞。帰国後はおいでん祭りの…もっと読む.pdf

こんなチャンスを逃したらもったいない     49

農村舞台フォーラムチラシ-(.jpg 前回に引き続いて農村舞台フォーラムをとりあげるが、ご容赦いただきたい。
 さて「山で道に迷ったら元のところに戻れ」という登山の格言があるそうだが、フォーラムまでの経緯を簡単に整理すると―。

 農村舞台というのは農山村や漁村にある近世芸能舞台で営業用でない舞台の総称で、本州の北端から九州の南端まで日本各地に分布。市内においても近年の目視調査で、84棟の舞台を確認。廃絶した舞台を加えると盛期には135棟を数えたというから尋常な数ではない。まだ統計中で正確な数字は把握していないが、全国でも有数な数になることは間違いない。

 80年代半ば頃より旧文化協会を中心にこうした農村舞台を生かした活動が始まったが、流れが大きく変わったのは市町村合併で、舞台数が11棟から一気に84棟に急増。それまで点として孤立していた舞台が群として繋がり、面として浮かび上がってきたからである。

 最初に気が付いたのは衆議院議員で、当時市議会議長をしていた八木哲也さんで、旧文化協会の有志を中心にテーブルについた。

 もし、文化財関係者がテーブルについたらどうか。農村舞台を現代の小屋として活用しようというような無謀な試みは日の目を見ることはなかったのではないか。世の中何が幸いするかわからないから面白い…もっと読む.pdf

農村舞台フォーラムの準備着々     48

北川フラム.jpg笑う門には福来るというが、元旦は「ケータイ大喜利」で抱腹絶倒。
 昨年のNHK予算委員会で当時日本維新の会の中田宏衆議院議員は、放送する意味のない低俗番組と「ケータイ大喜利」を名指ししたが、平成の狂俳がわからんようでは困ったものだ。
 困ったと言えば、3日に放送されたNHK「初笑い東西寄席」に出演した爆笑問題の政治ネタを、番組スタッフが没にしたらしいが、風刺は社会が健全の証。何に気を使っているのかよくわからんが、困ったものだ。
 新年早々、余談に逸れたが「農村舞台アートプロジェクトフォーラム」の準備が着々と進んでいる。
 このフォーラムは、豊田に生きる農村舞台とアートの可能性をテーマに、みんなでワイワイやろうというフェスティバル型のフォーラムで本邦初公開。
 内容はアート、ライブ、シンポジウムの三つで構成。
 アートは農村舞台とは何か。プロジェクトの概要が一目でわかる博覧会形式の見本市で、楽しみながら農村舞台を学ぶことができるから一石二鳥。
 ライブは紙幅がないため説明は省くが、伝統の郷土芸能から猥雑な舞踏、ロックまで、農村舞台で観たい出し物のメニューをライブで紹介。
 フォーラムの目玉になるのがシンポジウムだ。大地の芸術祭や瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクターで、地域と協働する新たなアートの世界を開いた北川フラム氏が初来豊…もっと読む.pdf

アートの未来をひらく藤沢アートハウス     47

藤沢アートハウス-(1).jpg 年の瀬の歳時記と言えば、ベートーヴェンの第九演奏会やバレエの「くるみ割り人形」が定番。
 今年はコンサートホールを丸ごとクリスマスハウスにして「歓喜の歌」やクリスマス曲など、みんなで大合唱しようという『コンサートホール・フェスティバル』(12月21日開催。問合せはコンサートホール☎35―8200)が話題になっているが、藤沢アートハウス開館3周年記念展『藤沢クリスマスハウス』も中身では負けていない。
 初めて耳にする人もいると思うが、藤沢アートハウスは、2011年7月、愛知県立芸術大学が廃園になった旧藤沢こども園の跡地を市から借り入れ、サテライトサイトとして設立。教員や学生たちの制作研究のアトリエや公開制作の場として活用するほか、芸術イベントの開催や地域交流の場として解放するなど、オープンなアートハウスとして活動を展開。
 3周年を迎えた今回は、退任する山本富章教授の記念展をメインに、コンサート「村の音楽会2014」、映像ワークショップ「モリイシアター2014」、講演会「教育とアート」と、芸術大学ならではの魅力的な関連イベントが満載。

 ゲストも多彩で、講演会の講師は国際展「横浜トリエンナーレ2014」のゲスト・キューレターを務めた青木正弘さん。元豊田市美術館のカリスマ副館長として活躍したあの青木さんで、会ってみたいと思っている人も…もっと読む.pdf

美術教育のエキスパート丹羽晧夫先生逝く     46

83年 講義スナップ.jpg 去る10月17日、愛知教育大学名誉教授で春陽会会員として活躍した丹羽晧夫先生が逝去した。享年71歳。 丹羽先生は1944年1月市内成合町に生まれる。10年前に病が見つかり、回復してからは身体のことを考え、無農薬の野菜や米づくりに励みながら作品を制作。キュビュズムを取り込んだ人物像や静物画は軽やかで描く歓びに満ち満ちていた。「もう一度個展をしようかな」と語っていたが、今年になって病が再発。
 私は幸運にも丹羽先生の集大成となる作品集の制作を依頼され、編集者として丹羽先生の画業の全容と、丹羽先生が生きた同時代性の美術の動向を知る機会を得た。これから先も知恵の伝授をいただけるものと甘えていたが、突然の訃報に接し、言葉を失った。
 写真を見てもわかるとおり、大学教授で絵描きで男前の三拍子。私が初めて丹羽先生と出会ったのもこの頃で、グリーンのスカーフを首に巻いて白いカリーナハードトップを運転する丹羽先生は、映画のスクリーンから飛び出したようでカッコよかった。
 普通、こんな男は嫌味で敬して遠ざけるものだが、なぜか丹羽先生の周りにはいつも人垣ができて、笑いが絶えることはなかった。長い間、不思議に思っていたが、丹羽先生の教え子で愛教大教授の磯部錦司さんは、前述した作品集の交遊録でこんなエピソードを明かした…もっと読む.pdf

豊田が豊橋や飯田に学ぶことは…         45

私の花13 又日亭.jpg 文化の秋たけなわ。交流館などの公共施設の情報コーナーは催事を知らせる印刷物で溢れ、置き場もないほどである。
 今日(11日)も市民文化会館で豊田シティバレエ団の「くるみ割り人形」全幕を堪能してきたが、1975年11月、豊田市初の都市型ホールとして竣工した豊田市文化芸術センター(現市民文化会館小ホール)のオープニングとして上演されたのが、名古屋の松本道子バレエ団のテープ演奏「白鳥の湖」第二幕だった。今ではシティバレエ団がオーケストラの生演奏でチャイコフスキー三大バレエを上演しても誰も驚かない。
 1981年11月、清水の舞台から飛び降りる覚悟をした夢の第九演奏会も15回を数え、その第九から誕生した市民合唱団が愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞しても誰も驚かない。 2012年9月、永山愛樹さんらの若者たちが矢作川で日本版ウッドストック「橋の下音楽祭」を成功させても誰も驚かない。
 2012年11月、矢崎藍さんの「ころも連句会」の付け句の輪が鎖連句となって世界と繋がり、延べ10万句を超えるギネス級に発展したが誰も驚かない。
 日本有数の豊田市美術館があって、コンサートホール・能楽堂があって、豊田スタジアムがあって、農村舞台もある。挙げだしたらキリがないためこのぐらいにする。
 残念ながら驚かないのではなく…もっと読む.pdf

農村舞台のトリは飯野八兵衛            44

14年9月7日飯野八兵衛全体説.jpg農村舞台アートプロジェクトも折り返し点を過ぎた。15日には小坂憲次元文部科学大臣、文化庁の担当課長も農村舞台を観るために来豊するなどビッグニュースもあった。私が一番嬉しかったのは、アート会場の一つ、怒田沢町諏訪神社農村舞台で地元足助の古老が目を潤ませてお客さんを迎える場面を見たこと。
 怒田沢の舞台は、役者が滞在して興行ができる全国的にも貴重な舞台だが、集落の高齢化が進み、舞台の存続も危ぶまれていた。
 小田木人形座の復活とこの怒田沢の舞台の活性化は、アートプロジェクトの重要な柱の一つで、怒田沢の集落と協働したいと働きかけてきたが、あまりいい返事はいただけなかった。
 前述した地元の人が見せた涙は胸襟を開いてくれた証。有形物の保存には修理などお金のかかる話があるため簡単にはいかないと思うが、舞台と一緒に集落も元気になるように、協働して知恵をだしあっていきたいものだ。
 さて、本題に戻るが.…もっと読む.pdf

農村舞台アートプロジェクト開幕            43

17 藤岡飯野町秋葉神社.jpg市内北部から東部の中山間地に現存する農村舞台群を、地域の文化資源として、新たな市民文化を発信する農村舞台アートプロジェクトについては、たびたび紹介しているため説明は省くが、近頃「今回のお薦めは何ですか」と聞かれることが増えた。

 コラム#40でも説明したとおり、10組のアーティストが個展形式で舞台に挑むアート。農山村のパワースポット、農村舞台で芸能浴に浸るライブにストリーテリングなどなど、多彩なプログラムが目白押しで、私に聞かれても困ってしまうが、藤岡飯野町秋葉神社の「郷土史構成舞台義人・飯野八兵衛」はどうか。

 宝暦の世直し騒動として今に語り継がれている飯野八兵衛事件を題材に、創作郷土史構成舞台として劇化。八兵衛の地元の藤岡飯野町と協働して今に生きる八兵衛の思想と勇気を描くもので、農村舞台アートプロジェクトの成果の一つ。

 内容は、長唄・三味線の至宝、六栁庵やそ、パーカッションの異才、MABO雅弥に、地元の藤岡歌舞伎連や有志が群読集団となって絡むという空前絶後の…もっと読む.pdf

豊田市美術館で生誕百年髙橋節郎展            42

髙橋節郎/アートトップ1996年5月号#152.jpg 名誉市民で文化勲章を受章した漆芸家・髙橋節郎先生(1914―2007)の生誕百年を記念した展覧会が豊田市美術館の髙橋節郎記念館ではじまった。

 髙橋先生は長野県南安曇野郡北穂高村(現安曇野市)に生まれ、東京美術学校(現東京芸大)で漆芸を学び、卒業後は日展、現代工芸美術家協会を中心に作品を発表。日本芸術院会員、文化勲章受章など、日本を代表する漆芸家として活躍したのは周知のとおり。 

 経緯は省くが、髙橋先生と豊田市とのむすびつきは、先生と親交の深かった小原和紙の加納俊治先生とのご縁で、1984年豊田市に代表作品75点を寄贈。翌85年、豊田市は漆芸の振興を図る(財) 髙橋記念芸術振興財団を設立。

 こうした豊田市と髙橋先生との関係は、「豊田市民山の家リゾート安曇野」を穂高町に建設するなど、穂高町との友好関係に発展。現在に至っている。

 本展も安曇野髙橋節郎記念美術館との協働で実現したもので、色漆を用いた初期作品から原始の創世記に誘うファンタジックな「漆と鎗金」によるシリーズ作品など、時系列に分けて代表作品を網羅。

 また未発表の原画や書簡なども併せて公開。現代に生きる漆芸美の可能性を求め続けた髙橋芸術の全容にせまるもので、本邦初公開。棺の蓋をして、初めてその人の真の値打ちが決まることを…もっと読む.pdf

農今年も恩真寺で鈴木正三記念講演会                      41

s鈴木正三PHP文庫-1.jpg 江戸初期に活躍した郷土の偉人鈴木正三については、このコラムでも度々紹介しているため説明は省くが、現代において鈴木正三は社会の空気を映す鏡の一つに挙げてもいいのではないか。

 石門心学の祖、石田梅岩に先駆けること約百年。「何の事業もみな仏行」と、職業倫理を説いた正三が話題になるときは、社会の良心が働いている証で、リ―マンショックのあと、正三ブ―ムが起きたのは記憶に新しいところ。

 反対に無視されるときは、残業ゼロ法案を政府の成長戦略の柱にするなど、勝者が総取りする拝金主義が蔓延している証だが、残念ながら今、正三をとりあげるメディアは皆無。のど元過ぎれば熱さを忘れるということかも知れないが、知の損失でもったいない。

 前置きが長くなったが、この鈴木正三を顕彰する豊田市鈴木正三顕彰会総会が今週の日曜日、正三ゆかりの恩真寺で開催される。

 総会の呼び物の一つは、全国各地の正三研究者による記念講演会で、今回の講師は郷土史家の鈴木昭彦さん。

 鈴木さんは、柴田豊氏、この冬亡くなった高橋秀豪氏とともに正三研究の端緒をひらいた郷土史家の父、故鈴木茂夫氏の薫陶を受けた正三研究の第一人者。

 「松のことは松に聞け」というが、鈴木正三のことは…もっと読む.pdf

農村舞台アートプロジェクトの全国発信決まる                      40

s豊田市の農村舞台絵地図表紙.jpg豊田市内北部から東部の中山間地に現存する農村舞台群は地域の文化資源だ。すでに新たな市民文化を発信しており、その農村舞台アートプロジェクトが5年目を迎えた。

 本年度は文化庁の文化芸術創造発信イニシアチブ事業として全国発信が決まるほか、文化行政のシンクタンク(財)地域創造の春季号で大きく取り上げられ、1段も2段もグレードアップする。

 まだ絵に描いた餅の域を出ないが、プロジェクトの概要は、夏版「農村舞台絵地図の制作」、秋版「農村舞台アートフェスティバル」、冬版「農村舞台フォーラム」の三つのプロジェクトで構成。

 夏版の「絵地図」は、下山地区の羽布町在住の画家で絵本作家の中村広子さんが、半年の歳月をかけて描きあげたガイドマップ。地図としての正確性と見て読んで楽しい農村舞台の情報が満載で、スタンプラリーの計画も進んでいる。

 秋版の「農村舞台アートフェスティバル」は、農村舞台の基幹プロジェクトで、「伝統×現代アート」をテーマに、10組のアーティストが個展形式で舞台に挑むアート。農山村のパワースポット、鎮守の杜の異空間で芸能浴に浸るライブにストリーテリングなどなど、多彩なプログラムが目白押しである。

 冬版の「農村舞台フォーラム」は、今に生きる農村舞台の可能性と展開を探る…もっと読む.pdf

小田木の人形座ルーツは伊那谷の人形芝居?                       39

14年4月13日奥州安達原三段目.jpg江戸時代半ば、今の豊田市稲武地区の小田木町に伝えられ、明治の初めに途絶えた小田木人形座の再生に向けた「小田木人形座準備会」が、地元や地域の有志を中心に発足して3年目を迎えた。

 県の文化財に指定されているカシラと衣装が遺されているとはいえ、廃絶から既に140年を経過。この間、「日本のカシラ」の著者、斉藤清二郎氏が人形の調査に入り、日本でも最も古い人形座の一つであることが判明。当時の朝日新聞に大きくとりあげられ、県の文化財の指定につながったことは周知の通りである。

 地元においても、人形が伝えられたと言われている小田木の馬宿「門屋」の当代の当主、後藤幸雄さんが中心になって、紀要「小田木人形座考」「小田木人形座」を上梓したが、人形座の由来については、未完のまま課題として残された。

 準備会は、賢人から投げられたこのボールを受け止め、小田木人形座の由来を「史」として明らかにすることから着手したが、「まちおこし」のイベントは得意でも学術は苦手な準備会である。牛歩の歩みは計算済みで笑ってしまうもっと読む.pdf

現代の織部鈴木五郎とは何者なのか                           38

s鈴木五郎.jpg 日本陶磁協会賞を受賞するなど現代の織部として畏敬されている鈴木五郎さんの新作「五利部展」が東京、大坂、名古屋の三都市で開催される。

 「五利部」とは、鈴木五郎さんの「五」、千利休の「利」、古田織部の「部」から命名したもので、普通こんな命名をすれば不遜の誹りは免れないが、期待と称賛の声に代わるから五郎ワールドはハンパじゃない。

 一つの器の中に、志野、黄瀬戸、織部のほか、鳴海オリベ、鉄絵オリベ、天然呉須、青瓷など、釉薬、焼成方法まで異なる技法を同時に用いた前代未聞の技法。それでいて桃山陶に並ぶ品格と力強さ、何よりも美しい。ここから先は万言を費やしても意味がないため省くが、百聞は一見にしかず。あとは展覧会場に足を運んで、ご自分の眼で確かめてもらうしかない。

 では、東京に鈴木五郎の名を冠したギャラリーがあり、NHKエンタープライズ、日経新聞、高島屋美術部が競って肩入れする鈴木五郎とは何者なのか。日本の陶芸界のなかでも傑出しているため、私が「豊田の人」と説明すると驚く人が多いが、市内千足町に生まれ、17歳で瀬戸の製陶所に就職。ロクロ名人としての逸話は余りにも有名。

 現在は瀬戸の赤津と接する猿投山北東の折平に窯を築くなど、豊田が世界に誇るアーティストの一人で…もっと読む.pdf

写真は「五利部展」の図録より転載。

柄澤照文さんが三州足助屋敷で展覧会                           37

s塩の道旅日記.jpg私の民俗好きは、いけばなの精神的源流を辿るうちに嵌ったものだが、日々の暮らしを支える知恵と工夫の伝授は学ぶことが多い。

 三河中山間地のそんな民俗を集めたのが紅葉の名勝香嵐渓にある体験型博物館「三州足助屋敷」。

 足助屋敷を建設したのは合併前の旧足助町だが、もし予算のある豊田市が建設したとしたらどうか。多分農山村のテーマパーク型の博物館はできても、現在のような地に足がついた身の丈の足助屋敷は出来なかったのではないか。

 市民として豊田市には愛着があるが、残念ながら血の通った知恵と工夫は金持ちからは生まれない

 余談に逸れたが、現在その足助屋敷でペン画家の柄澤照文さん(岡崎市在住)の展覧会が開催されている。

 柄澤さんは塩の道や菅江真澄(三河出身の紀行家)、松浦武四郎(三重県出身で北海道の命名者)など、江戸時代の先人の足跡を訪ねてスケッチ旅をしたり、全国各地の町並や農山村の風景をライフワークに描くなど、漂泊の紀行画家として活躍。

 中でも三河湾の塩が矢作川をさかのぼり、中馬の背にゆられて信州まで運ばれた飯田街道の風物や暮らしを20年がかりでスケッチした「塩の道旅日記」は、連綿として今に生きる塩の道の民俗を記録した人生の旅日記で、座右の画文集としてお薦め。

 持ってまわった説明をしたが「中馬のおひなさん」のポスターの絵を描いている画家といえば、柄澤さんの人柄や画風が理解いただけるのでは…もっと読む.pdf

寺本みなみさんが名古屋でピアノリサイタル                           36

文化の定点.jpg以前このコラムでも紹介した寺本デュオの姉で、ピアニストの寺本みなみさんが、東京「カワイ表参道コンサートサロン」と名古屋の「電気文化会館ザ・コンサートホール」での、連続リサイタルを予定している。

 既に東京公演は終了してしまったが、衆議院議員の八木哲也さんも同僚の議員や文化庁の担当者、豊田市の東京事務所の職員を誘って会場に足を運んだという話を聞いている。

 余談に逸れるが、八木さんが衆議院議員に当選以来、農村舞台アートプロジェクトが文化庁の助成事業として全国発信が決まるなど、中央省庁に市民レベルのバイパスが通ったような気がしているのは私一人ではないと思うがどうか。

 さて、本題に戻るが、寺本みなみさんは、地元の寺部小、高橋中、豊田西高、県立芸大を卒業後、豊田市トレヴェリアン基金奨学金を得て渡英。ロンドン英国王立音楽大学修士課程を
修了。その後フランスに移り、数々の国際コンクールで受賞歴を重ね、2011年秋、妹でヴァイオリニストの寺本みずほさんと帰国。姉妹の里帰りのファーストコンサートが好評を博したのは周知のとおり。

 長々と経歴を書いても意味がないため省くが、寺本みなみさんの音楽ができる歓びを全身で表す演奏スタイルは、パリ仕込みのストリートミュージシャンのノリで…もっと読む.pdf

ボーダレスの時代に入ったとよたの文化                             35

s大沼小学校「大沼雅楽」.jpgこのコラムはタイトルにあるように、定点で天候、気象、火山や地震活動を観測するように、文化の現在を観察しようという無謀な試みでスタートし、3年が過ぎようとしている。

 石の上にも3年というがこの3年で何が変わって何が変わらなかったのか。

 乱暴に言えば、とよたの文化はボーダレスの時代に入ったという感想である。越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭を仕掛けたアートディレクターの北川フラムは、アートの国際展に「食」をテーマの一つに挙げて物議をかもしたが、農業は未来産業という可能性を拓いた「夢農人とよた」。地域の語り部を記録する「あすけ聞き書き隊」など、生活に根付いた骨太の活動は、豊田市が成熟に向かっている証ではないか。

 相対的に地位?が下がったように見えるのが、私が関わっているアナログ型の文化活動だが、こちらも端境期でそんなに悲観することはない。

 もし、従来型の文化活動に課題があるすれば、これまでのように、いつでも、誰でも気軽に参加できる文化活動と、より深い専門性を追求する芸術活動の区別化を急ぐべきではないか。

 この区別化は、市民文化が成熟していく過程で避けて通ることができない関門の一つで…もっと読む.pdf

豊田市民合唱団が定期演奏会                              34

s市民合唱団チラシ.jpgダム湖百選に選ばれた三河湖の道の駅「香恋の館」で開催されている中村広子さんの展覧会に足を運んだ。(17日(日)まで開催)
中村さんは地元の羽布町在住の絵描きさんで、下山地区の埋もれた昔話を拾いあつめた絵本は、現代のおとぎ話のようで暖かい。

 刺激的な現代美術があって、故郷のぬくもりを伝える中村さんのような世界がある、とよたのアートはこと左様に懐が深い。

 舞台芸術も負けてはいない。過日も豊田シテイバレエ団の「くるみ割り人形」に足を運んだ。

 豊田シテイバレエ団は、毎回海外のバレエ団を招聘し、合同公演を開催しているが、今回はサハ共和国のヤクーツク国立バレエ学校を招聘。

 サハ共和国はロシア連邦を構成する最も有力な共和国で、近年はダイヤモンドや石油、天然ガスなど豊富な地下資源を巡って日本も資源外交を展開するなど話題の国の一つ。

 来年は豊田シテイバレエ団がサハ共和国に招聘されるというから、文化団体のレベルを越えている。

同じように豊田の文化の到達点の一つに挙げられるのが次に紹介する豊田市民合唱団だ。

 紙幅が足りないため簡単にするが…もっと読む.pdf

豊田市美術館でパラレルワールド                               33

s半重力展.jpg近年アートフェスは、「大地の芸術祭」(新潟)の成功体験を機に、地域再生のキーワードとして注目を集めている。

s13年10月11日美術館/霧の彫.jpg
 特に今年は大規模アートフェスの当たり年で、日経新聞のランキングによると1位は予想通り瀬戸内国際芸術祭が1260ポイントでトップ。2位にあいちトリエンナーレが1050ポイントで肉薄。香川と愛知のマッチレースの様相を呈していて、文化発信の威信をかけたこちらのレースもアツそう。

 瀬戸内は別にして、現在その「あいち」より面白いと関係者の間で話題になっている展覧会が豊田市美術館で開催されている。関係者と断りを入れなければならないのが残念だが、もし敬して遠ざけているとしたら、地元にいてもったいない話ではないか。

 確かにタイトルは「半重力展」と難しそうだが、サブタイトルに「浮遊・時空旅行・パラレルワールド」と13年9月18日美術館/テラス-(.jpgあるように、豊田市美術館が『ドラえもんのび太の魔界大冒険』のような不思議なアートの遊び場にヘンシーン。もちろんただの遊び場ではない。真偽のほどは知らないが、東京で美大生をデートに誘う殺し文句に「豊田市美術館を観に行こう」という都市伝説があるように、お洒落で知的でカッコいい。

 中でも人気は、足助の伝統的な白壁の建物をイメージした作品で、床に置かれた壁面に鑑賞者が入ると…もっと読む.pdf

北曽木町の農村舞台に「天狗降臨」                               32

s13年9月14日北曽木農村舞台.jpg 農村舞台アートプロジェクトは、季節的に雨が降りやすい9月に開催するため、雨によるアクシデントは計算の内だが、昨年の恵那文楽につづいて2年連続で台風に遭遇となると、話は別。

 台風18号の影響で、オープニング行事の「カントリーミュージック」は藤岡交流館に変更。アートは初日のみで、再製作が難しい私の作品を除いて全作品を撤収。台風の通過後再展示を予定しているが、お祓いでもしないと不安。

 まあこれは冗談だが、農村舞台アートプロジェクトは始まったばかり。

 今月は、22日の日曜日に、江戸時代半ばに稲武地区の小田木町に伝えられ、明治のはじめに途絶えた「小田木人形座」の復活にむけた恵那文楽小田木公演を稲武地区の小田木町八幡神社人形舞台跡地で。同じく29日の日曜日には、京都を拠点に国際的に活躍するコンテンポラリーダンスカンパニーの坂本公成+森裕子のコンテンポラリーダンス公演が藤岡地区の藤岡飯野町秋葉神社農村舞台で開催されるなど、プロジェクトはこれからが本番で、台風がこないことを願うしかない。

 アートに目を転じれば…もっと読む.pdf

カントリーミュージックが農村舞台に初登場                            31

カントリーバンド.jpg 豊田市内の東部から北部一帯の農山村に点在する農村舞台群を、地域の文化資源として活用する「農村舞台アートプロジェクト」が4年目を迎えた。

 豊田市の農村舞台群については、衆議院議員の八木哲也さんが4月15日の文科省予算委員会で、中山間地の活性化振興策の可能性の事例として質問。また、江戸時代の中頃、現在の豊田市稲武地区・小田木町に伝えられ、明治の初めに途絶えた小田木人形座の復活に向けた準備会もできて、プロジェクトを巡る環境は大きく動き始めた。

 概要については、本紙で詳しく報じてもらえると思うので簡単にするが、今回は、あいちトリエンナーレ2013のパートナーシップ事業として藤岡地区を中心に展開される。

 内容はライブプロジェクトが深見町磯崎神社、藤岡飯野町秋葉神社、小田木町八幡神社人形舞台跡地(稲武地区)の3舞台で、アートプロジェクトが迫町磯崎神社、藤岡飯野町秋葉神社、折平町八柱神社、北曽木町八柱神社、三箇町八柱神社の5舞台で、地域プロジェクトが中金町岩倉神社(石野地区)、小渡町八幡神社(旭地区)の2舞台で。合計10舞台の予定である。

 「どれがお薦め?」と私に聞かれても困るが、先ずはオープニングから。会場は農村舞台でオペラを初上演して話題になった深見町磯崎神社農村舞台。今回もアメリカ南部発祥のカントリーミュージックが農村舞台に初登場する…もっと読む.pdf

トリエンナーレで試される地域の民度                               30

sあいちトリエンナーレパンフ.jpg 1895年に創設されたアートのオリンピック、ヴェネチアビエンナーレは別格にして、近年アートは国や地域の威信をかけた一大イベントの様相を呈してきた。

 国内においても文化のダボス会議として世界的な注目を集める越後妻有アートトリエンナーレ(新潟)、政府主導でスタートした横浜トリエンナーレ(横浜)、産廃の負の遺産である豊島をアートの島として再生しようとする瀬戸内国際芸術祭(香川)、都市の祝祭をアピールするあいちトリエンナーレ(愛知)の4大トリエンナーレがしのぎを削っている。

 この夏は瀬戸内国際芸術祭とあいちトリエンナーレの開催年にあたり、アートファンの国内大移動が予測されている。

 国内外のトップアーティストが直島、小豆島など瀬戸内の島々に在住して協働制作する、話題豊富な瀬戸内国際芸術祭に比較して、顔が見えずに苦戦しているのが地元のあいちトリエンナーレ。メディアの露出も地域限定で劣勢はいなめない。開幕まで3週間を切ったのに今ひとつ盛り上がりに欠けるのはどうしたことであろうか。

 トリエンナーレには国や地域が己れの民度をかける。後発のあいちは「都市を覚醒せよ」というメッセージに象徴されるように、アートや建築、ダンスやオペラ、演劇や身体表現などの現代の多様なジャンルを一堂に集めた3年に一度のアートのカーニバルを選択した。世界のビッグネームも名古屋にやってくる。これで話題にならないとしたら県民性かも知れないが商売が下手すぎもっと読む.pdf

今年も恩真寺で「鈴木正三顕彰会」記念講演会                               29

s鈴木正三PHP文庫.jpg このコラムで、郷土の偉人で江戸初期に活躍した仏教思想家、鈴木正三について書くのは三度目。

 一度目は「甦る自由の思想家鈴木正三」のタイトルで、元NHK国際局チーフディレクター森和朗さんの著作を紹介。二度目はその森さんの記念講演「正三から見た現代」をとりあげた。
語るにおちるが時宣を得た原稿だったと私なりに納得しているが、問題は三度目の今回。 

 リーマンショックのあと、バブルに踊った反省から、職業倫理を説いた鈴木正三ブームがおきたのは記憶に新しい。当時はまだ失敗に学ぶ謙虚さがあったからだが、喉元を過ぎてみんな熱さを忘れたのか、いま、鈴木正三が話題になることは少ない。

 時を同じくして、政府は産業競争力会議で新たな成長戦略を閣議決定。財政出動に続くアベノミクスの「3本目の矢」となるものだが、正三の相対的な地位の低下と無縁ではない。

 「失敗学」を立ち上げた東大名誉教授でフクシマの政府事故調査委員会の委員長をつとめた畑村洋太郎は、朝日の「プロメテウスの罠」の中でフクシマについて、「失敗から何を学ぶか、学ぶべき中身を考え抜き、高めることだ」と最悪を想像する力の重要性を説いているが一事が万事…もっと読む.pdf

みんなで歌える第二国歌に「花は咲く」を              
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デトロイト文化使節団1991年 (2).jpg 4年ほど前に遡るが、朝日新聞beの「うたの旅人」は、藤山一郎と奈良光枝が歌った『青い山脈』について、《先の戦に敗れて、「天皇陛下万歳」から「民主主義万歳」となったころ、一世を風靡したのが『青い山脈』であった》という書き出しではじまり、《国旗・国歌法が成立した1999年、時の小渕首相は、『青い山脈』封切50周年祝賀会で、「みんなで『青い山脈』の主題歌を合唱しようというのであれば、どなたからも文句は出ないでしょう」とスピーチした。》と、歌にまつわるエピソードを紹介した。

 「歌は世につれ世は歌につれ」というが、私は予てからこの『青い山脈』を、みんなで歌える第二国歌にできないかと、酒の肴にしてきた。イギリスの「威風堂々」、アメリカの「アメリカ・ザ・ビューティフル」、オーストリアの「美しき青きドナウ」など、第二国歌は多くの国で親しまれていることは周知のとおり。

 私も豊田文化協会に在職していた当時、市内の高校選抜吹奏楽団が米国親善演奏会で「アメリカ・ザ・ビューティフル」を演奏したとき、客席の全員が起立。胸に手をあてて歌いだしたシーンを目の当たりにしたことがある。残念ながら「君が代」ではこうはいかない。誰が歌っても下手に聞こえるからだ…もっと読む.pdf


1991年、当時の豊田文化協会は姉妹都市のデトロイトに、市民交流グループ、邦楽グループ、バレエグループ、市内の高校生による選抜吹奏楽団からなる市民文化使節団を派遣した。写真はデトロイト郊外の野外ステージで演奏する選抜吹奏楽団

稲武に新しい風!小田木人形座復活へ準備会                               27

小田木の人形座.jpg 稲武郷土資料館「ちゅうま」に、県内でも珍しい人形浄瑠璃のカシラと衣装が展示されている。江戸時代中期に地元の小田木村に伝えられ、神社の祭礼などで奉納上演されていたが、明治8年の「村中倹約申合せ」を最後に途絶えた小田木人形座を今に伝えるもので、昭和42年に愛知県有形民俗文化財に指定され現在に至っている。

 なぜ、この地に人形浄瑠璃が伝えられたのか?

 地元の八幡神社の境内を三河と伊那谷を結ぶ中馬街道(古道)が通り、西小田木の馬宿「門屋」に家元があったというから、物流
の要衝として出馬千疋入馬千疋を数えたという飯田の人形ブームが、時を経てこの地に伝わったのではないか。

 ただ、こうした要件であれば、阿智、浪合、平谷、根羽、武節、足助に人形座があっても不思議ではな
い。謎を解く手懸りを、奥三河稲武の歴史を綴った「炉辺夜話」(稲武町長古橋茂人著)に見ることができる。『信州の上古田の人形座(国指定古田人形座)
に、小田木から人形のカシラを買ってきたという記録がある』と記しているように、この地が古くから人形作りの里であったというロマンと結びついて、人形座が誕生したのではないか。

 いずれにしても、来歴については推測の域を出ないが、明治のはじめに途絶えた小田木人形座を復活させようと、この春、地元の小田木をはじめ稲武地区の有志が中心になって小田木人形座準備会(山田良稲会長)が発足した。

 調査研究からはじめて、5年計画で小田木人形座を復活しようというもので、人形のカシラや衣装は、伝統を踏まえて新たに制作。人形座は、保存会形式ではなく、公募によるオープンな劇団形式の人形座を目指すというから.…もっと読む.pdf

郷土資料館から博物館へ機は熟した                               26

 豊田市郷土資料館特別展『明治の傑人岸田吟香』が幕を閉じた。後追い原稿になってしまったが、展覧会を検証することも文化の定点観測の重要な役割であり、ご容赦いただきたい。

 岸田吟香は挙母藩の飛地、現在の岡山県美作市に生まれた挙母藩士。特別展のタイトルにあるように、吟香は民間人として日本初の『新聞紙』を創刊、日本初の本格的な和英辞書『和英語林集成』を刊行するなど、文明開化の時代を切り開いた明治の傑人。

 また資料には載っていなかったが、百人一首の競技かるたのルーツも吟香である。興味は尽きないが、郷土資料館の資料に詳しいため割愛。特別展の印象について記したい。

 さて、吟香が独力で文明開化の扉を開けたように、郷土資料館も新たな時代に向けて扉を開けたというのが、特別展を見ての私の感想である。

 理由は二つあって、一つは、豊田市美術館との初の連携企画に立ちあげたこと。ことの発端は岸田吟香の四男が日本の近代絵画を代表する岸田劉生で、豊田市美術館が「麗子像」など劉生の代表作を所蔵していることから作品の借用を打診。その後、展示スペースの関係で豊田市美術館が特別展示「岸田劉生とその時代」として協力するプランが浮上。2館の連携企画に発展したのは周知のとおり。

 もう一つは展示そのものの魅力。吟香の多岐にわたる膨大な資料をパズルのように組み立てた構想力は郷土資料館の学芸の力を証明するもので、学ぶことの面白さ、楽しさを余すことなく表現。みんな食い入るように魅入っていた。中でも最大のヒットは…もっと読む.pdf

歩いて良し読んで良し『知的散策コース60』                           25

4-ぶんか.jpg 遅まきながらウォーキングの真似ごとをはじめた。どうせ歩くなら一石二鳥のウォーキング方法はないものか。もちろんこんなムシのいい話はあるはずがない。冗談のつもりでいたら、本当にあったから無茶は言ってみるもの。

 脳トレをしながら健康ウォーキングをしようという叢書で、タイトルは、『豊田市とその周辺 知的散策コース60』。
 この本は、平成20年3月、豊田散策研究会がまとめた原稿を豊田市教育委員会が発刊したもので、「知的散策のすすめ」を医学博士(消化器科)長谷川千尋、「俳句(60句)」を俳人で門川賞を受賞した故児玉輝
代、「企画・踏査・執筆」を郷土史家で劇作家の黒野鐺一、「地図・踏査・写真」を愛教大元講師の永田暉の各氏が担当。

 コースは「家を出てから家に戻るまでに3〜4時間」、「ふるさと豊田の自然と歴史に親しむ」、「駐車場から駐車場まで5〜9㎞のコース」と豊富で、この本一冊あれば、いつでも、だれでも、気軽に豊田市の自然や歴史に親しみながら歩くことができるというから嬉しい。

 本書を編集した黒野鐺一さんは、教員から郷土史家に転じた方で、市井の語り部を記録した豊田市文化財叢書『近代の暮らしと食/故郷の語り部集1・2』、『豊田市を先駆けた人々/挙母と寿一と喜一郎と』など著書も多い。特に語り部集
は、民間の伝承文化を足で一人ひとり聞き取りした労作で、語り部が絶滅種となったいま、黒野さんのフィールドワークの意味と重要性が理解いただけるのではないか…もっと読む.pdf

豊田市美術館の新春企画展が凄い                                24

4-ぶんか 11-30-05.jpg 豊田市美術館で新春企画展「黒田辰秋・田中信行-漆という力」がはじまった。黒田辰秋(1904〜1982)は、木工芸で初の人間国宝に認定された木漆工芸家として活躍。

 映画監督の黒澤明が黒田作品を愛用したことは有名。本展でも黒澤が御殿場の別荘に特注でオーダーした拭漆の家具セットを展示しているが、この家具をみるだけで、黒澤明と黒田辰秋の並はずれた大きさが立ち上がってくるから芸術の力は強い。

 田中信行(1959〜)は、いま最も注目をされている漆芸家。木工芸を基本にした黒田辰秋に対して、田中は奈良の仏たちと同じ乾漆技法を用いているが、漆の皮膜で形作られた流麗なフォルムは、今にも溶けだして流れ出しそう。初日のトークで、田中はこの技法の手の内を明かしたが目から鱗。

 二人のプロフィールはこのぐらいにして、本題に入るが、会場に一歩足を踏み入った瞬間、静謐な空気感に思わず居ずまいを正してしまった。美は感動というが、何よりも一つひとつの作品が美しい。確かな造形力と支配力が光背をさすように空間を包み込んでいたからである。

 もし、この展覧会がロンドンのテイト・モダンで開催されたとしたらどうか。美は人間の精神に宿るという日本美術の完成度と、手仕事の美しさにみな声を失うことは想像に難くない。

 文化勲章を受章した高橋節郎館とあわせて、この春の豊田市美術館は漆ワールド全開。

 「豊田市美術館は難しい」と敬遠する方もいるが、私たちは全国でもトップクラスの美術館が地元に在るという事実を、もっと誇ってもいいのではないか。

 同時開催のコレクション展も面白い。よく美術館は「どんな基準でコレクションを決めているのか」という声(批判的なトーンで)を聞くことがあるが、百聞は一見にしかず。この機会に一度足を運んで見てはいかがですか。もっと読む.pdf

今年のクリスマスはチャップリンで決まり                                23

4面文か写真.jpg旧豊田文化協会当時から、共に地域の文化を考えてきた八木哲也さんが衆議院議員選挙に初当選。

 選挙事務所からの帰路、八木さんの当選が我がコトのように嬉しくて、吉野家でカルビ丼を注文。一人で祝杯を上げた。

 選挙結果については本紙でも触れていると思うので割愛するが、八木さんは合併町村を中心に現存する農村舞台の基本調査を独自に実施。また東日本大震災では真っ先に現地に入り、一人の人間として、何ができるのか、今も問い続けている草の根の市民政治家で、当時からその立ち位置はぶれたことがない。

 リーダー待望論が巷にあふれているが、カリスマが危険なことは歴史をもちだすまでもなく自明の理。今求められているのは文化を大切にするプロフェショナルなリーダーで、八木さんに万雷の拍手を贈りたい。

 冒頭から余談に逸れてしまったが、気がつけばもう年の瀬も残りわずか。例年であれば「第九演奏会」や、バレエの「くるみ割り人形」などホットな話題に事欠かないが「第九」は中休み、「くるみ割り」は上演済みのため、気の早い人は来年の話に花を咲かす。

 そんな人にとっておきのクリスマスプレゼントがある。プレゼントといっても情報提供のみで詐欺みたいなものだが、今週日曜日の12月23日、豊田市コンサートホールで、チャップリンのサイレント映画の名作「街の灯」を、京都市交響楽団の生演奏で観ようという夢のようなコンサートが予定されている。

 放浪者チャーリーと目が見えない花売り娘の恋を描いた感動の名作「街の灯」を、大型スクリーンで観られるというだけでも滅茶嬉しいのに、一流オーケストラの生演奏付きというサプライズ。チャンスを逃すとしたらもったいない。

 もう一つプレゼントのサプライズ。能楽堂で、日本を代表する弁士・澤登翠によるチャップリンの無声映画上映会を同日開催。しかもチャップリンの小品の名作4本を一挙に上映するというから前代未聞の試み、というか、通販のオマケ作戦みたいで笑ってしまう。今年のクリスマスはチャップリンで決まりだ。もっと読む.pdf

寺本デュオが里帰りのファーストコンサート                               22

4面ぶんか.jpg詩を作るより田を作れという意見もあるが、オーケストラは文化のバロメーターという言葉を信じたい。

 ①オーケストラ演奏ができる音楽家たちがいて、②彼らが演奏できるホールがあって、③彼らを支える音楽を楽しむ市民がいる。この内の一つでも欠ければ、オーケストラ活動はできない。

 特に難しいのが③で、音楽を広くアーティストという言葉に置き換えるとその意味が理解できるのではないか。気がつけば全員プレイヤーで、観客がいなくなってしまった一億総カルチャーという上げ底文化も背景にあるが、コンサートホールが苦戦しているのも、美術館が苦戦しているのも根は同じで、豊田市はまだまだ道半ば。私も大きなことは言えないが、そろそろ③にシフトしようかな、と思うようになった。

 そうさせたのが、寺本みなみ・みずほの姉妹デュオ。寺本みなみさんは、豊田西高、県立芸術大学卒業後、2003年豊田市トレヴェリアン基金奨学金を得て渡英。寺本みずほさんは、豊田市ジュニアオーケストラの1期生で、名古屋市立菊里高校音楽科卒業後、2003年渡仏。

 姉妹デュオとしての活動が本格化したのは姉のみなみさんが活動拠点をパリに移してから。
イタリアのヴァレリア・マルティナ国際コンクール室内楽部門で1位を受賞するほか、フランスでは室内楽ジョイントコンサートやバレエダンサーとの共演などを重ね、昨年秋帰国した。

 長々と経歴を書いても意味がないため省くが、二人に共通するのは、豊田市が未来を担う青少年健全育成(少し硬いかな)の政策として実施している豊田市トレヴェリアン基金、豊田市ジュニアオーケストラのOBということで、川で生まれた稚魚が大海原で成長して生まれ故郷の川に戻ってきたようなもの。

 何よりも音楽ができる歓びを全身で表す演奏スタイルは…もっと読む.pdf

農村舞台でコンテンポラリーダンス                               21

4面ぶんか写真.jpg 旧合併町村を中心に地域に現存する農村舞台を文化資源として活用する「農村舞台アートプロジェクト2012」も今週の日曜日、21日が千秋楽。トリを務めるのはコンテンポラリダンサー・振付家として世界的に活躍する鈴木ユキオ。
 農村舞台でコンテンポラリーダンスというと、ミスマッチのように思われるかもしれないが、農村舞台に現代美術があうように異質なものがであうとき、今まで見えなかった構造の仕組みが見えてくる。
 私はこれを農村舞台の化学反応と呼んでいるが、伝統のもつ確かな存在感にただ驚くばかり。
 世界最大級の国際展に発展した大地の芸術祭が成功したのも同じ仕組みで、都市文化と農山村文化の衝突から何が生まれるか。見ないのはもったいない。
 会場は藤岡飯野町の秋葉神社農村舞台。昨年のアートプロジェクトのオープニングで狂言「井戸茶碗」を上演した舞台である。
 明治28年(1895)に建てられたこの舞台は間口7間、奥行き4間。廻り舞台(舞台の張替工事で消滅)、太夫座も備えた本格的な舞台で、完成度と美しさは現存する農村舞台の中でも5本の指に数えてもいいのではないか。
 で、どんなことをするの? と私に聞かれても困るが、「ダンストリエンナーレトーキョー」「香港フェスティバル」、トヨタコレオグラフティアワードで、次代を担う振付家としてグランプリを受賞した舞台芸術の最先端を歩む鈴木ユキオと、農村舞台による本邦初公開のコラボレーションは、見たもの勝ち!
 「なんか横文字ばかり並んで難しそう」と思うかも知れないが…もっと読む.pdf

農村舞台アートプロジェクト2012開幕                             20

4面ぶんか写真.jpg 今回も越後妻有から入稿。私にもう少し計画性があれば、こんなドタバタをしなくても済むのにと、一事が万事で反省ばかり。
 さて、石の上にも3年というが、農村舞台を地域の文化資源として活用し、新たな市民文化を発信しようと、豊田市民有志が立ち上げた農村舞台アートプロジェクトも3年目。
 3年目を迎えた今回は、人形浄瑠璃のカシラ45点、衣装30点が県の有形民俗文化財に指定されている「小田木人形座」の復活に向けた取り組みを中心に、7事業を予定。会期は9月16日(日)〜10月21日(日)。
 市制60周年記念として開催された前回と比べると規模は縮小しているが、オープニングの「農村舞台で音楽芸能バトル」を藤岡地区深見町の磯崎神社で、ファイナルの「農村舞台でコンテンポラリーダンス・鈴木ユキオ身体と空間の世界」を藤岡地区飯野の秋葉神社で、メーンの「小田木人形座の復活に向けて」を稲武地区桑原町の熊野神社で、「稲武アートフェスティバル」を地区内4会場で、それぞれ開催する。地域に特化したのが特徴だ。
 ちなみに小田木人形座は、江戸中期に稲武に伝えられ、農村歌舞伎と同じように祭礼などに奉納上演されたが、明治8年「村中倹約申合」を最後に途絶えた幻の人形座…もっと読む.pdf

新潟で世界最大級の国際展開幕                                 19  

4面ぶんか写真.jpg新潟県の十日町市・津南町の越後妻有地区で、3年に一度開催される世界最大級の国際展『大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2012』が開幕した。
 5回目を迎えた今回は越後妻有の集落や田んぼ、空き家や廃校などを舞台に44の国と地域から310組のアーティストと地域の人たちが協働で生みだした作品約360点が展開。私も参加しており、この稿も廃校を利用した現地の宿舎で書いている。
 越後妻有(えちごつまり)の語源は「とどのつまり」の「つまり」からつけられたという説があるように、世界でも有数の豪雪地帯で、男衆や嫁も出稼ぎに出て、爺ちゃん婆ちゃんたちが家を守ったという過酷な歴史をもつ地域である。当然のように過疎化、限界集落化が最初に問題になったのもこの地域だった。
 大地の芸術祭はこの過酷な大地を里山ミュージアムにして再生しようという前代未聞の企みで、立ち上げたのは十日町市、旧川西町、旧松代町、旧松之山町、旧中里村、津南町の1市4町1村。仕掛けたのは辣腕アートディレクターの北川フラムさん。
 北川さんの構想は市町村議会の反対、800余の集落の中で賛同する集落2集落という逆風の中でスタート。途中の説明は省くが15年目を迎えた現在では越後妻有の名はアートの聖地として世界が発信。巡礼に訪れる人はひきもきらない。
 ざっと大地の芸術祭の概要と経緯を記したが、いまなぜ大地の芸術祭なのか。私たちはどこからきて、どこに行こうとしているのか…もっと読む.pdf

鈴木正三研究家 神谷満雄先生逝く                               18

4-ぶんか.jpg かねてから入院療養中で心配をしていた鈴木正三研究会会長で、豊田文化賞を受賞された神谷満雄先生の訃報が届いた。亨年87歳。
神谷先生は1925年市内旧上郷町に生まれ、1950年東京大学法学部を卒業。旧東海銀行取締役調査部長、中部大学教授、拓殖大学教授を歴任した経済学博士。
 神谷先生の経歴が示すように、鈴木正三研究の特徴は、正三が仏教思想家にもかかわらずエコノミストが多いことで、旧東海銀行在職当時の神谷先生に鈴木正三の研究を奨めたのも日銀の調査役だった。
 理由の一つは、鈴木正三が日本人で初めて職業倫理を説いた『万民徳用』を著したこと。
 西欧諸国が200年を費やした近代資本主義社会の構築を、日本が100年たらずでなしとげた原動力を研究した多くの先学がたどりついたのが鈴木正三で、私も神谷先生のご紹介で、当時テレビの経済番組で活躍していた水野隆徳氏など何人ものエコノミストを恩真寺に案内した。
 このよう書くと鈴木正三研究は一見順風に思われるが、本格的な鈴木正三研究が進んだのはここ数十年のこと。 鈴木正三は、広辞苑に「仮名草子の作者」「禅と念仏
を融合させた仁王禅の提唱者」とあるように、行業が多岐にわたるため、長い間歴史の中で埋もれる原因の一つとなっていた。
 こうした歴史の空白を埋めたのが神谷先生で、宗教学者で麗沢大学教授保坂俊司氏は、「神谷博士は、現
実社会とアカデミックな世界の両領域に通じた研究者であり、実社会と宗教世界の双方でマルチタレントとして活躍した正三の全貌を研究するには最適な学者」と記している。
 神谷先生の鈴木正三研究は、1996年出版の正三研究の集大成『鈴木正三全集』に結実している。全国の鈴木正三研究者のバイブルとなった。いまはただ頭を深くして深謝するのみである。もっと読む.pdf

恩真寺で記念講演「正三から見た現代」                             17

4-ぶんか.jpg作家の山本七平は、江戸初期に活躍した仏教思想家の鈴木正三について「日本の近代化による世界への影響を通して、世界に最も大きな影響を与えた日本人の一人ということができる」と述べている。
 昭和50年、この郷土の偉人鈴木正三を顕彰する運動が正三の生地の旧足助町で、故鈴木茂夫氏、高橋秀豪氏を中心に起きた。
 こうした正三の顕彰活動を広く市民運動とするため誕生したのが豊田市鈴木正三顕彰会(濱本晴之会長)である。継続は力なりというが、昭和58年に設立以来、日本で初めて職業倫理を著した『万民徳用』などの「正三七部の書」の復刻や絵本化、正三ゆかりの天草市との交流などで、着実な成果をあげている。
 その豊田市鈴木正三顕彰会が30周年を迎え、記念講演会「正三から見た現代」を計画している。
 講師は『甦る自由の思想家鈴木正三』の著者で、NHKジャーナルなど数多くの報道番組を担当した元NHK国際局チーフ・ディレクターの森和朗氏。
 『甦る自由の思想家鈴木正三』は、アメリカのサブプライムローンの破綻に象徴されるキリスト教的自由の破局をリアルタイムで見続けた森氏が〝真の自由とは何か〟を正三をテキストに解き明かした書。正三を知っている人にはより深く、初めての人にはわかりやすく、正三を語る。神谷満雄先生の『鈴木正三現代に生きる勤勉の精神』とセットでお薦めしたい。
 余談に逸れたが、何がとは言わないが今、「義と理を正し、世界の用にたてる」と、その生涯を通して唱導した鈴木正三の自由の思想に学ぶことは多いはず。記念講演会は6月24日(日)、11時から、市内山中町の恩真寺で。当日は10時から正三忌法要と献茶、顕彰会記念総会。受付で『甦る自由の思想家鈴木正三』のほか正三の関連書籍の頒布も。 地元にいてこのチャンスを聴き逃す手はない!もっと読む.pdf

写真はアニメ「鈴木正三物語」と恩真寺の合成。

バレエ界のドン・キホーテ諏訪等さん                              16

4-ぶんか諏訪等.jpg数日前、市民文化会館の駐車場でバレエの諏訪等さんに久しぶりに出会った。
「さとるさん、今年豊田でバレエの全国コンクールをやることに決まったで頼むよ」と、相変わらず元気な諏訪さん。
 私が諏訪さんに初めて出会ったのは、40年近く前、諏訪さんが東京バレエ団を退団して、豊田で初のバレエ学園を開校して間もない頃。今でこそ笑い話で済むが、バレーと書いてもそのまま校正が通ってしまう土地柄である。
 諏訪さんの第一歩は、まさに空想的理想主義者ドン・キホーテを地で行くもので、海外までその活動の幅を広げ、世界のワガノアのメソッドを導入した本格的なバレエ学校を開校。平成13年度愛知県芸術文化
選奨文化賞を受賞するまでに認知されたいまも、そのスタイルは変わることはない。
 どんな世界でもそうだが出る杭は打たれる。前述したようなスタイルから誤解されることも多いが、あの北大路魯山人も小林秀雄など教養主義の文化人に煙たがられたというから、勲章のようなもの。
 ではバレエ団としての実力はどうか。
 一つの目安になるのが豊田の文化にカルチャーショックを与えた豊田市文化芸術センター(現在の市民文化会館小ホール)のオープニングで上演された名古屋の松本道子バレエ団で、その松本道子バレエ団の芸術監督の藤田彰彦さんが豊田シティバレエ団を見て「うちのバレエ団の子に見せたい」と絶賛。
 映画「Shallweダンス?」の草刈民代も「客演するのは諏訪さんのバレエ団のみ」と語っている。 まあこれらは社交辞令が半分としても、コールドの美しさは折り紙つき。百聞は一見に如かず、まだ観たことのない人は是非一度足を運んで応援してほしい。
 近々、矢作新報でも自伝の掲載がはじまるそうだが、真実に勝るサスペンスはない。バレエ界のドン・キホーテ諏訪さんのもう一つの顔が観られそうで、こちらも楽しみ。もっと読む.pdf

遠藤和さんから嬉しい桜の花だより                               15

4文化写真.jpg接待麻雀という言葉があったように、私たち世代の男どもにとって、麻雀は社交術の一つだった。雀荘の卓を手配することと、花見の席を確保することはサラリーマンの新人研修のようなもので、笑ってしまうが、こんないい加減な研修でも人材は育ったから良き時代だった。
 そんな麻雀ブームもいつか下火になり、雀荘の灯も一つ消え、二つ消え、男どもも高齢化した。誰もが絶滅危惧種と諦めたその麻雀が今、若い世代、それも女性たちの間で静かなブームになっているというから、世の中何が起こるかわからない。
 火を付けたのはエンタメ系のMONDOテレビで、滝沢和典、佐々木寿人らイケ面若手雀士と和泉由希子、宮内こずえ、二階堂留美・亜樹姉妹などレースクイーン顔負けの女性雀士が卓を囲みゲームを争う。韓流ブームと同根で、麻雀は茶の間に入りこみ、お洒落で知的なゲームとして復活した。
 私もプロデューサーの真似ごとをすることがあるが、これほど見事なイメージチェンジ=商品開発に成功した例を見たことがない。誰もが見捨てた古いコンテンツの再生を仕掛けた新興メディアのマーケティングの勝利で目から鱗。
 県は地域コミュニティーや地域経済を支える商店街を活性化するため、豊田など6市に「商店街マネージャー」を配置することを決めたそうだが、余り鯱ほこばらずに、麻雀の事例に学んだらどうか。
 雑談で紙幅がなくなってしまったが、今月のお薦めはヴァイオリニストの遠藤和さん=写真=のプロムナードコンサート。
 遠藤さんは名フィルのコンサートマスターなどを歴任。当地を代表する音楽家の一人で、豊かな音楽性と誠実な人柄に惹かれるファンは多い。 既に24回を数え、春の音楽歳時記になった遠藤さんのプロムナードコンサートは、4月1日㈰豊田市コンサートホールで開催。もっと読む.pdf

舞台をかえた9人の表現者たち                                 14

ぶんか写真.jpg昔、作家仲間で「一都市一作家選抜展ができたら面白いよね」と酒の肴にしたことがある。軽い冗談で言ったつもりだったが「作家だけでは面白くない、ついでに土産物を一緒に展示したらどうか」「あいつはいい、こいつはダメだ」とみんな言いたい放題。基準は作家としてのキャラ(オリジナリティ)が立っているか否かといういい加減なものだったが、無責任な話題ほど楽しいものはない。
 話は弾んで西尾は斎藤吾朗、碧南は杉浦イッコウ、刈谷は城景都、豊橋は味岡伸太郎などなど、下手な展覧会よりも結構いい面子が揃ったから瓢箪から駒。実現していれば「アートと物産の都市対抗戦」というユニークな展覧会が見られたのに残念。
 問題は地元の豊田の作家で、一応名前は挙がったが「和をもって尊しとなす」企業風土なのか、毒気がなく肩身の狭い思いをしたことを昨日のことのように覚えている。
 こんな話を思い出したのは、とよたアートナウ「舞台をかえた表現者たち」の案内を見て、隔世の感を強くしたからである。
 出品者は青山良博(写真)、青山啓子(絵画)、石田真典(写真)、市川明徳(書)、稲垣陽子(造形)、加納恒(造形)、加納登茂美(小原和紙)、柴田周夫(造形)、本多晋一郎(彫刻)の9人で、キャラは農村舞台アートプロジェクトのリレー個展でみんな折り紙つき。
 そんな中で今回私が注目しているのは青山良博・青山啓子、加納恒・加納登茂美のユニット。独自の表現を求めて世界を放浪して小原に辿りついた青山夫妻と、小原から世界に目を向けて活動を展開する加納夫妻の生き方に共感するものがあるからで、さまざまな事情から作家を続けようか迷っている若い人たちは、夢を追い続ける青山さん夫妻、加納さん夫妻に学ぶものは多いはず。
 一人で問題を抱えるのではなく、この機会にお話をされてはいかがですか。もっと読む.pdf

連句のジャンヌダルク矢崎藍さん                                13

4ぶんか.jpg 豊田市はトヨタ自動車の発展とともに多くの才能が全国から移り住んだ。小学館児童雑誌の編集者を経てトヨタマンと結婚した矢崎藍さんもそんな一人。
 80年から作家生活に入り、ベストセラーになったデビュー作「ああ子育て戦争」をはじめ、教育や家族をテーマにした作品で知られている。
 矢崎藍さんのもう一つの顔が連句のジャンヌダルク。私が勝手に付けたものだが、近代文芸の流れから取り残されていた連句に、コミュニケーション文芸という新たな生命を与えた藍さんに似合いのネーミングと思うがどうか。
 余談に逸れたが、そんな矢崎藍さんがいまライフワークとしているのが連句の付け句で、去年の今頃(新春)だったと記憶しているが、藍さんから「どうしよう」と電話が入った。
 話を伺うと、99年1月連句のホームページをひらきBBS掲示板に前句を載せたところ、はじめは連句会仲間で付け合いをしていた付け句の輪が広がり、気がついたら延10万句を越えてしまったとのこと。しかも日々刻々投句が増え続けているというから「どうしよう」と藍さんがとまどうのも納得。
 「先ずはギネスに登録してみんなに知らせたら」と私。「そんなことして意味はあるの」と藍さん。中略するが最後は私も一緒に「どうしよう」とギブアップしてしまった(笑い)。
 平安時代の末、短連歌が三句、四句とつながり鎖連歌(長連歌)に発展したが、平成の付け句の輪はネットをとおして世界につながり、世界最大の鎖連句に。
 ギネスのことはさておいて、この鎖連句は矢崎藍さんとその仲間のころも連句会の手により、1巻1万句計10巻の版下原稿となってまとめられた。
 このまちにはまだまだ素晴らしい人たちがいる。そんな人たちを一人でも紹介できればと思っている。もっと読む.pdf

希望と祈りのとよた第九演奏会                                 12

公募合唱団が共演 市民オーケストラ

4面ぶんか写真.jpg 豊田フィルハーモニー交響楽団、センチュリー室内管弦楽団、豊田楽友協会吹奏楽団があって、愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞した豊田市民合唱団があって、全国レベルの三つの少年少女音楽団体がある。
 コンサートホールでは、毎月のように国内外の一流のオーケストラやソリストの演奏会が上演される。いまの豊田を一言で表すならば「音楽のある都市」と形容できるのではないか。
 その端緒となったのが昭和56年12月、竣工したばかりの市民文化会館大ホールで開催された「第1回第九交響曲演奏会」である。
 以来プロのオーケストラとの共演で回数を重ね、「とよた第九」の愛称で親しまれていることは周知のとおりである。
 その「とよた第九」が市民の話題になっている。
 出演するのは市制60周年記念で市民から公募180人の「とよた第九合唱団」と、前述した二つの市民オーケストラが初めて合同で結成した「とよた第九管弦楽団」。文字通り市民による記念演奏会で、実力は折り紙つき。これで話題にならなければおかしい。
 『第九演奏会の企画が進行中に東日本大震災が起こり、「こんなときに歌って良いのだろうか?」「何か私たちで出来ることはないか?」迷う中で、各自の日常生活をしっかりと送り、歌い続けることが必要だと信じ、互いに励ましあいながら、準備と練習を重ねてきました。今なお不安と困難の中に暮らしている方々と絆を深め、希望と祈りをこめて演奏します。』と、第九交響曲演奏会実行委員長の都築和子さん。
 豊田市制60周年記念・市民文化会館30周年記念「第15回第九交響曲演奏会」は
▼12月11日㈰15時開演▼市民文化会館大ホール▼指揮…山下一史▼独唱…末吉朋子(ソプラノ)、牧野真由美(アルト)、大川信之(テノール)、清水宏樹(バリトン) ▼入場料…2千円 ▼問合せ…文化振興財団文化部☎31・8804。もっと読む.pdf

大地の芸術祭に学ぶ                                      11

4面文化.jpg 今年もアートのオリンピックと言われるヴェネチアビエンナーレが開催された。百年の歴史を数えるヴェネチアは別として、アートの国際展は国や都市の元気力を象徴する祝祭となってきた。
 愛知でも昨年愛知トリエンナーレが話題になったが、政府主導でスタートした横浜トリエンナーレ、福岡アジア美術トリエンナーレ、越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭がよく知られている。
 「トリエンナーレ」とは3年に一度開かれる国際美術展のことで、2年に一度のビエンナーレに代わって近年はこの方式が多い。
 もう一つの潮流は従来の都市型から地域型に移行する傾向だ。種明かしをすれば、先の農村舞台アートプロジェクトもこうした流れに沿ったものである。
 世界に先駆けてその先鞭をつけたのが、新潟県の中越地域で開催される大地の芸術祭「越後妻有アートトリエンナーレ」で、私も出品を予定しているため、過日東京で開催された記者発表に参加してきた。
 いまでこそ、大地の芸術祭と言えば一般の人でも知るようになったが、東京23区より広い十日町市・津南町の2市町の大自然を舞台にしたアートの大祭構想が発表されたときは、誰もが呆れて絶句した。
 仕掛けたのは辣腕アートディレクターの北川フラム氏。2000年、予想通りというか地元では、議員のほとんどが反対という逆風の中で、大地の芸術祭はスタートした。
 経緯は省くが、地域の資産を生かしたアートの大祭として世界に影響を与え、5回目を迎える今回は「震災からの復興」をテーマに、40を超える国と地域から世界的なアーティストが参加を予定している。
 特筆すべきは、過去4回の開催を通して蓄積された180点近い作品が常設展示され、越後妻有全体が広大な自然美術館に代わったこと。継続は力なりというが、北川フラム氏の構想力に脱帽するほかはない。もっと読む.pdf

農村舞台で幸せな合併見つけた                                 10

 遠くで祭囃子が聞こえてくる。気がつけば秋も半ば。  8月28日(日)藤岡飯野町秋葉神社の郷土創作狂言「井戸茶碗」で幕を開けた市制60周年記念農村舞台アートプロジェクトも、10月8日(土)中金町の市有形民俗文化財岩倉神社農村舞台で開催される伝統の石野歌舞伎公演を残すのみとなった。
 「映像から見た豊田の定点観測30年」の基調講演に招かれた映画監督の大林宣彦は、豊田市の印象について「私は合併特例債によって強引に進められた平成の大合併は失敗だったと批判してきたが、豊田市に来てその考えが変わった。確かに旧町村はトヨタという経済的に豊かな文明社会に編入されたが、旧豊田市民は農山村の豊かな自然と文化に編入された幸せな合併だった」という意味の話をしたが、氏の講演を聞いていて、農村舞台アートプロジェクトの準備から開催までの一年は、まさにみんなで幸せな合併(絆)を見つける一年だったと納得。
 「普段は何もなく、人の行き来のない場所にアートをほどこしていただき、人の姿を見ることができ、なんとなくうれしい気持ちになりました」と、芳名録に記したあと、舞台に手を合わせた素適なオバちゃん。「私たちは78箇所の全舞台を巡ってきました」と、笑顔でガイドマップを広げたご夫婦などなど、会期中は毎日が感謝の日々で、改めて幸せの合併を実感。
 なお、アートの常識を越境した13ジャンル、20組のアーティストが個展で地域の絆をリレーした「リレー個展」。オペラの母国イタリアで主役の蝶々夫人を射とめた話題のソプラノ二宮咲子さんが出演した「蝶々夫人ファンタジー」、古浄瑠璃を今に伝える佐渡の説経人形、国指定の阿波人形浄瑠璃、岐阜県指定の恵那文楽などの、農村舞台アートプロジェクトの総括は、事業報告書としてまとめる予定があるためここでは割愛したので、ご容赦をいただきたい。
大な自然美術館に代わったこと。継続は力なりというが、北川フラム氏の構想力に脱帽するほかはない。もっと読む.pdf

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