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対談・インタビュー

対 談
ジョイカルウェイブ事務局・矢澤英介さん
豊田市駅前通り南開発(株)新社長 蟹 昌弘 さん
豊田市成年後見支援センター 座談会 後編
豊田市成年後見支援センター 座談会 前編
矢作川研究対談1
矢作川研究対談2
矢作川研究対談3
矢作川研究対談4
矢作川研究対談5
矢作川研究対談6
矢作川研究対談7
矢作川研究対談8
矢作川研究対談9
矢作川研究対談10
矢作川研究対談11
矢作川研究対談12
矢作新報社30周年 加藤正一元豊田市長

インタビュー
敷島自治区 安藤征夫さん 後藤哲義さん 鈴木辰吉さん
JAあいち豊田新会長 石川尚人さん
豊田西ロータリー 硲伸夫さん
豊田市区長会新会長 安藤貴紳さん
豊田市議会前自民ク団長 鈴木章さん
イオンスタイル豊田店長 井上良和さん
ウッディーラー豊田 樋口真明さん
めしあがれ 弘津宏子さん
橋の下音楽祭主宰 永山愛樹さん
中村 晋 県議インタビュー
三江弘海 豊田市議会議長インタビュー
豊田森林組合インタビュー
安田重隆逢妻女川彼岸花育成会長
㈱豊田スタジアム社長山本秀樹氏
豊田地区ロータリー・ライオンズ新体制スタート
笑劇派 の南平晃良さん2
笑劇派 の南平晃良さん
「ツーリズムとよた」キーマン 荻野光貴事務局長
豊田市副市長インタビュー
加納俊治さん追悼インタビュー

空き家の活用徹底で過疎対策の全国先進モデルに
豊田市敷島自治区 安藤征夫さん、後藤哲義区長、鈴木辰吉さん       2020.09.25

 豊田市旭地区の敷島自治区(414世帯・986人)が総務省の「過疎地域自立活性化優良事例表彰」で総務大臣賞を受賞することに決まった。自立と風格ある先進モデルとして全国5カ所が選ばれた中の一つだ。表彰式は11月に行われる。 敷島自治区は2010年に将来ビジョン「しきしま・ときめきプラン」を策定し、5年ごとの見直しも行っている。自治区が将来ビジョンを掲げたことも異例だが、着実な実践にはさらに驚かされる。プランの柱は「都市からの移住者受け入れ」。カギとなる〝空き家〟を貸し出してくれるよう家主との交渉に力を入れてきた。この10年間に増えたIターン・Uターン移住ファミリーは40世帯98人にもなる。目標の2倍だ。

 この10年間の取り組みについて、区長の後藤哲義さん、空き家交渉のスペシャリスト安藤征夫さん、プランづくりを担った鈴木辰吉さんの3名に話を聞いた。


──10年前、ときめきプランはどのような経緯で策定したのですか。

 鈴木辰吉さん=写真右= 対策モデル事業「若者よいなかを目指そうプロジェクト」を始め、全国から10人の若者が敷島へ移住してきました。メディア取材も多く、その度に区長が敷島の将来ビジョンを聞かれるものですから、急遽策定することになったんです。どうせならと地域のみんなに賛成されるようなビジョンを考え、その柱に、力を入れ始めていた「移住者の受け入れ」を置きました。


1面・トップ写真.JPG安藤征夫さん=写真左= まだ市の空き家情報バンクが無い頃から、敷島では独自に空き家バンクを始めていました。人を増やさないと地域活動が回らなくなるという危機感があったんです。

 ──過疎化がそれだけ進行していたということでしょうか。


征夫さん そうですね。ある朝、我が家から見える家がすべて空き家だと気づいて愕然としました。空き家を活用した移住者の受け入れに、僕が力を入れ始めたきっかけの一つです。


辰吉さん 若者よプロジェクトが地域に残したものも大きかったです。田舎は保守的ですから、当初は彼らが始めた有機農法などを冷めた目で見ていたのですが、あまりに一生懸命なので口を出すようになり、そのうち世話を焼き始めたんです。彼らも地域の催しに参加してくれました。


征夫さん 彼らのおかげで地域住民が「よそ者っていいじゃないか」と気づき、Iターン移住者を受け入れようという気運が高まったんです。


後藤哲義区長=写真中央= みんなの意識が随分と変わったね。僕自身の意識も変わり、移住者を色眼鏡で見ていては地域を維持していけないと思うようになりました。自治区が担う福祉、環境保全、安全安心などの仕事も、すべて定住促進のための環境整備なんだという意識になりました。

 ──移住者の受け入れが敷島でここまで進んだ要因はあるのですか。


征夫さん プロの力を借りたのは大きかった。敷島自治区は平成20年頃から(一社)地域問題研究所の加藤栄司さんと連携し、敷島の活動を伝えるかわりに全国の地域づくり情報を得ていました。私たちだけではアンテナが低いですからね。

 ──移住者受け入れのカギとなるのは〝空き家〟ですよね。家主さんに貸し出し交渉をする上で難しい事は何でしょうか。


征夫さん 実は難しい事は何も無くて根性と継続だけです。よく「仏壇があるから難しい」と言いますが、すでに多くの移住者が空き家を借りているわけですから、それはクリアできる課題なんです。課題があるとすれば交渉できる人が交渉していないことかな。


辰吉さん 空き家の所有者にアンケートをとると、いまだに75%は「貸したくない」と答えます。だから交渉して断られるのは当たり前。普通はそこで諦めます。ところが空き家交渉スペシャリストの征夫くんは、何度断られても交渉を続けて最後には成立させてしまう。継続は大事ですね。


征夫さん 親が亡くなる等して空き家を抱えた人は必ず困っています。税金の負担もあるし、農地が荒れるから苦情も来る。本心は空き家を何とかしたいはずです。要するに、家主が親戚に「地域のお願いだから」と言える状況をつくってあげることが大事なんですよ。

 ──そうやって10年間でIターン20世帯、Uターンも20世帯増やして来たんですね。40世帯といえば敷島の全世帯数の約1割です。驚くべき数字ですね。
 ところで空き家への入居希望者に行っている地域面談はどの様なものですか。

 辰吉さん 家主さんだけで入居者を決め、その人が地域とうまくいかないと問題が尾を引きます。家主さんも責められるでしょう。でも地域面談で決めれば、もし何かあっても許されます。移住者の安心にもつながりますしね。


征夫さん 市の空き家情報バンクには地域面談をするルールがありますが、旭はそれが厳しくて面談者の半数以上が賛成しなければ受け入れません。


後藤区長 実際に何回も落選している人がいますよ。厳しいようですが地域コミュニティを守るためです。
 ──毎年2〜3世帯の子育てファミリーを受け入れれば、人口は減るものの人口バランスが保たれると言われますね。


辰吉さん 敷島の場合は毎年2世帯でいい。10年で20世帯です。ところがこの10年で40世帯も増えました。敷島小学校の児童数も増えています。全国で子どもが減るなか、あり得ないことが起きています。

 ──地域の雰囲気も変わったでしょうね。


辰吉さん 小さな起業や取組、新規就農などが沸き出るように始まりました。みんな移住してきた人たちの動きです。

 ──Uターン者まで増えたのは、Iターン者で地域が元気になったからでしょうか。


征夫さん Iターン者は心の豊かさを田舎に求めて来ています。そんな人たちが増えたことで、あらためて地元の良さを感じてUターン者が増えている感じですね。 

 ──敷島の取組は一朝一夕には真似できないと思います。他の地域はどう取り組むべきでしょうか。

 辰吉さん 役所のお膳立てでなく、地域の将来を自分たちで考え決めたから実行できたのだと思う。真剣に自分たちの地域のことを考えることが大事だと思います。それに尽きるかな。

施設園芸の産地化へ正念場 山村地域の田んぼを守る使命も
JAあいち豊田新組合長  石川尚人さん       2020.08.21

  あいち豊田農業協同組合(JAあいち豊田)が6月20日に通常総代会と臨時理事会を開き、任期満了に伴う役員改選を行った。前任の柴田文志さん(3期9年)の後継者として新組合長に選ばれたのは、生え抜きの職員で常務理事や代表理事専務を務めてきた石川尚人さん(63・平芝町)。JAあいち豊田の使命や課題、将来への想いを伺った。

  施設園芸の研修所2年前にスタート


 ──あらためて農協とはどのような役割の組織なのでしょうか。


石川組合長 やはり農業を振興し組合員の生活を守るのが根本です。これは変わらない。ただ使命となると地域貢献の役割も大きい。農業で最も大きな組織ですので、地域の農業をどうするか考える役割もあります。

1面・JA石川尚人組合長・写真.JPG ──平地の農業をみると豊田・みよし圏は米や果樹で県内トップクラスですが、野菜の産地としては弱い印象があります。この野菜の産地化を目指すための研修施設として、2年前に「施設園芸支援センターMGMI〜恵み〜」を立ち上げましたね。みよし市内で始めた理由は?


 みよし市内に良い物件(空きハウス)が有り、みよし市も支援してくれたからですが、「みよし豊田の研修施設」という意識でいますよ。

 ──MGMIの第1期生は今年度卒業ですね。施設園芸農家としての活躍にどのような期待をしていますか。


石川組合長 施設園芸はハウスなどの初期投資に数千万円も掛かりますので、やはり卒業直後は農協がバックアップしてあげないと難しいと思っています。

 ──卒業生には空きハウスなどを斡旋する形で支援していくのでしょうか。


石川組合長 専業の施設園芸農家として食べていける規模のハウスが必要ですが、条件の良い空き物件はなかなか見つかりません。ですから研修用のハウスを設けて卒業生に1年間の模擬経営をやってもらおうと考えています。この模擬経営では就農後が明確にイメージできるよう、栽培から出荷まですべてを管理してもらいます。平行して独立就農の準備を農協が支援します。

 ──研修はナスが中心でしたね。


石川組合長 ナスを中心にチンゲンサイやホウレンソウ、アスパラも試験しています。専業で食べていけるビジネスモデルが定着し、チャレンジする人が増えていくといいな。この2年間である程度の方向性が出たので、これを継承、定着させていきますよ。

 ──1期生、2期生ともに女性が1人ずつでしたね。

 石川組合長 1期生は40歳代です。2期生は18歳で専業の果樹農家の娘さんですから、施設園芸をやりながら手の空いた時間に実家の果樹をやるのもいいですね。

  研修しながら毎月15万円の奨学金も

 ──MGMIでは2年間の研修中に奨学金を貰えるそうですね。


石川組合長 研修に集中できるよう月15万円の奨学金を設けています。研修が終わってからも国の補助金が5年間もらえる可能性はありますが、その補助金が無い状態で食べていけるようにしなければいけません。そのための試行錯誤がこれから始まります。正念場ですよ。

 ──今後、豊田みよしの施設園芸農家を毎年何人ずつ増やしていきたい考えですか。


石川組合長 毎年2人ずつ程度を考えています。もちろんヤル気のない人は駄目です。第1期は面接などを経て最終的に1人に絞りました。

 山村地域の田んぼどう守っていくか

 ──話題を変えて、次は中山間地域の農業振興についてお聞きしたいと思います。


石川組合長 平地の田んぼについては大規模な農業法人や個人が担い手になってくれて将来がみえてきました。先ほど話したとおり野菜の施設園芸にも取り組み始めたところです。
 今後の大きな課題は、中山間地域の田んぼをどうやって守っていくかです。高齢化が深刻ですし田んぼに大型機械も入りにくい。イノシシやシカ等の獣害もあります。そのため農協はここ10年〜15年ほど集落営農に力を入れてきました。17地域にできて3地域は法人化しましたので、集落営農の形は現在14地域です。ただ、今それらが高齢化しているんです。企業の定年退職が延びているのでヤングシルバーの後継者もおらず、集落営農を解散するところも出始めています。5年先、10年先にはどうにも困った事態になるでしょうから、いち早く方向性を出さなければいけない。

──どのような方法があるのでしょうか。


石川組合長 地域の理解を得て、中山間地域の田んぼを引き受ける営農組織を立ち上げたいと考えています。農協がサポートし、産業として成り立つ組織です。

 ──そういう営農組織ができれば、若い人で働きたがる人はいるでしょうね。


石川組合長 1年間の常勤雇用は無理でも、半農半Xでならやれると思います。例えば4月から稲刈りまで働いてもらい、仕事が無い時期は施設園芸でアルバイトをするとか、林業の仕事をするとかね。ただ、それがIターンで就農した人たちの妨げになってはいけない。どのような形が良いのか研究を始めたところです。とにかく中山間地域の5年、10年先の農業を考えると、いま農協が使命感を持って動き始めなければならない。そう思っています。

  金融共催での利益が難しい時代でも

 ──金融業の分野には厳しい時代ですが、農協の経営にも影響が大きいですか。


石川組合長 総合事業を行う農協は、金融共済や営農など各事業の経営バランスをとりながら利益を上げ、必要な投資をしてきました。ただ長引く低金利で、資金を集めても運用による利益を出すのが難しい時代になりました。そして今回のコロナ禍です。これまで積み上げてきた実績に加え、効率化やコスト削減など、経営基盤を強化するさまざまな対策を講じて、引き続き、健全な経営とサービス向上に力を入れていきます。

会員の心の安全地帯めざす
豊田西ロータリー会長  硲 伸夫さん       2020.07.03

 豊田地区のロータリーとライオンズの新年度体制が7月1日に始まった。創立50周年の豊田西ロータリー硲伸夫新会長に話を聞いた。


豊田西ロータリー会長 硲伸夫.JPG ――豊田西ロータリーに入会した理由は?

 硲会長 昭和42年にトヨタ自動車に入社して豊田市に来たのですがこの頃は社外の人との交流が無かったので、まちなかの人たちのことを知りたいと思って入会しました。入会して地域の人たちのことを知ることができとても良かったです。
 ――改めて西ロータリーの魅力は?
 硲会長 若い人たちが頑張って活動し、その中でベテランの会員がアドバイスしているという点です。 新型コロナの蔓延は誰も経験したことが無いので、自分自身の経験だけでは判断を誤りかねないです。他の人が経験したことも参考にできれば選択肢も広がり的確な対処法が見つかるかも知れません。当クラブをこうした情報交換の場にすると共に、会員の心の「セキュアベース(安全地帯)」にできればと考えています。それから若い人たちがもっと力を発揮できるようにもしていきたい。
 ――具体的には何をされますか?
 硲会長 会員の視野を広げレベルアップするためにトヨタのOBを始め広い分野から講師を呼んで勉強会を開きたいですね。
 ――今期は豊田西ロータリーが設立50周年を迎えられますね。式典等の記念行事のご予定は?
 硲会長 来年5月に式典を予定しているほか、当クラブが少年野球を支援している関係で3月にプロ野球元巨人軍の桑田真澄さんを招き講演会を開く予定です。

山村地域課題解決 たすけあいプロジェクト拡大を
豊田市区長会新会長  安藤貴紳さん       2020.06.19

 豊田市区長会(301自治区)が3日に定期総会を開き、左表の4役6名を決めて新体制をスタートさせた。第26代目の豊田市区長会長に就いたのは稲武地区の安藤貴紳さん(70)。いわゆる山村地域(藤岡を除く旧町村地域)出身の区長会長は初めてだ。

 豊田市区長会は各地域の代表者である301名の自治区長らによって構成され、中学校区(全28地区)ごとに設けられた地区区長会の会長が理事となって運営している。新会長の安藤さんにインタビューした。


1面・安藤区長会長・写真.JPG
 ──広大な豊田市域のなかでも、とりわけ山村地域(旧町村地域)には課題が多いと思います。山村地域出身の区長会長として、都市部の人たちの理解度をどう感じていますか。

 安藤貴紳会長 豊田市区長会の役員になってから都市部へ出て話を聞く機会が増えたのですが、稲武という地名が読めない若者や、どこに稲武があるか知らない若者が多くて驚きました。稲武には名古屋市の野外学習センターがあるので名古屋の若者はみんな知ってくれているのですが…。豊田市区長会長になったのを機に、市民の皆さんに中山間地のことをもっと知ってもらいたいと思っています。

大きな課題は「高齢化」

 ──市内には301自治区がありますので課題も様々だと思いますが、大きな課題は何が挙げられますか。

 安藤会長 やはり高齢化です。そのなかで助け合い、見守り、防犯、交通安全などの全市共通した課題に取り組んでいく必要があります。

 ──山村地域ではとりわけ大きな課題ですね。

 安藤会長 私はいま、足助病院、名古屋大学、豊田市が中心になって続けてきた「たすけあいプロジェクト」に注目しています。高齢者や独り暮らしの人が地元に住み続けながら、地域住民や離れて暮らす家族が見守る素晴らしい仕組みです。足助地区と旭地区を対象に先行して始まり、3年前から稲武地区も対象になりました。これを市内各地域で充実できればと考えています。

 例えば稲武地区には独り暮らし高齢者が120人ほど居ますが、加入者は39名だけです。仕組みを充実させるために加入者を増やしたい。

 ──加入者が増えにくいのは何故ですか。

 安藤会長 「まだ元気だからもう少し先でいいよ」という考えがあるのだと思います。ある程度のお金も要りますし、離れて暮らす家族の了解も要りますからね。

 稲武は小回りが効くので、稲武地区区長会が会費を負担して1年間無料で加入者を増やす考えです。そうやって仕組みを充実できれば、今は対象エリアになっていない小原地区や下山地区にも広げられると思います。将来的には豊田市全体の仕組みとして高齢者の見守りをできるようにしたい。ただ、加入者の負担金だけでは賄いきれません。そこも課題です。

プロジェクト継続する資金も重要

 ──こうした山村地域の課題を解決するための資金源として、足助病院の早川富博さんを中心に地域新電力会社「㈱三河の山里コミュニティパワー(愛称MYパワー)」が立ち上げられましたね。どう連携しますか。

 安藤会長 山村の地域課題解決に公的資金がたくさん出るわけでもないので、持続可能的に進める資金をどう確保するかはとても重要です。上手に連携したいですね。

 ──MYパワーは豊田市や中部電力の理解と協力も得て発足しました。経営を軌道に乗せるには山村地域で使われる電力をMYパワーから購入するように切り替えることが必要です。すでに市営公共施設の電力切り替えから始め、企業への切り替えの依頼や、各家庭への切り替えのお願いをしていくそうですね。区長会としても後押ししていくのですか。

 安藤会長 その話を稲武地区区長会にいただいたところです。稲武地区は小回りがきくので、上手に声をかけていけば各家庭の電力切り替えは進むと思いますよ。まだ仕組みづくりの段階ですから豊田市区長会長の立場では言えませんが、足助・旭・稲武に浸透すれば下山や小原にも広げられると思います。=やはぎウィークリーへ続く=

 ──11月には豊田の山村地域にもコースが設定されて世界ラリー選手権(WRC)が開催される予定ですが、新型コロナの影響でどうなるか不透明なこともあり認知度が低いですね。

 安藤会長 ラグビーワールドカップに匹敵する国際的イベントですから、地元地域が関わるのはもちろん、多くの豊田市民が盛り上がれる仕組みをつくりたい。新型コロナの影響でどの程度できるか分かりませんが、開催する方向で動いていると聞いています。今月下旬には地元への説明会が開かれる予定です。数年間は同じ場所で開催するそうですので2年目に素晴らしいイベントにする目標で取り組めばいいと思います。オール豊田で盛り上がりたいですね。

 ──新型コロナウイルスの影響で、どの地域でも年中行事は中止ばかりです。困った事態ですね。

 安藤会長 集まれない状況が続くなかでどうやってコミュニティーを維持していくのか、区長会の役員で考えているところです。今年度は中止も仕方ないですが、来年度は従来通りやれるように話し合って準備しておくことが大切だと思います。

 ──一度中止になると準備や本番の経験が途切れますので、次年度への引き継ぎがうまくできるか心配になりますね。

 安藤会長 そうなんです。自治区役員の負担軽減も求められているなか、1年間あくことによって「いっそ止めちゃおうか…」となることが恐い。地域のつながりがどんどん減ってしまう可能性もあるんです。それだけはどうしても避けたいと考えています。

いま駅前に何が必要なのか
豊田市議会まちの賑わい創出緊急対策特別委員会   鈴木 章 委員長 2020.05.22    

 松坂屋豊田店の撤退表明に加え、コロナショックで財政が大幅縮小へ向かうなか、豊田市はまちづくりの計画を見直さざるを得ない。行政の監視役である市議会も今年度、「まちの賑わい創出緊急対策特別委員会」を設置し当局への提言を強めていく覚悟だ。同特別委の鈴木章委員長に話を聞いた。

 ──今回設置した「まちの賑わい創出緊急対策特別委員会」は、どのような役割を果たすのでしょうか。

 鈴木章委員長 都心環境計画にある豊田市駅前通りのフルモール化(歩行者専用化)は、そもそも論として自民クラブにも「今のやり方のまま進んで良いのか…」という慎重論があります。地元の人たちが本当に望んでいるのかも含めてね。

 そこへ4月2日に松坂屋豊田店の撤退表明がありました。かつての豊田そごうも現在の松坂屋も、豊田市駅前の顔となる老舗の百貨店が欲しいという想いがありました。しかし、これからの時代は違った視点の議論も必要だと思う。松坂屋は撤退までに1年半の猶予を残してくれました。豊田市駅前の役割を考え、人が寄り集まるには何を持ってくるべきなのか、もう一度よく議論する必要があります。

 そうなると、フルモール化などの都心環境計画も見直しの議論が必要になってきます。そもそも今回のコロナショックで市の財政も厳しくなりますからね。

2面・アキラさん写真.JPG ──まちなかの地元商業者たちの意見はどのように汲み上げていきますか。

 鈴木委員長 商工会議所の役員や商店街の皆さんを交えてヒアリングするつもりです。市当局の考えと地元商業者の考えの間に温度差があるかもしれない。その温度差がどうなのかしっかり聞くことが大事だと思っています。

 これからの1年間は第8次総合計画の後期実践計画に大きな修正がかけられるはずです。そこへ市議会の特別委員会としてしっかり提言していきたい。これがこの特別委員会の大きな課題の一つです。

 もう一つの大きな課題は、市が制定すると表明した山村振興条例に関係する話です。

 今年は第1期「おいでんさんそんビジョン」の最終年ですので、第2期を作らなければならない。それから「豊田市過疎自立促進計画」の書き換えの年でもあります。これは国へ訴える計画で、この方向性もすごく大事になってきます。

 過疎自立促進計画に該当する山村地域の事業には過疎債が使え、例えば10億円の事業に対して国が裏負担で7割を出してくれる。これはすごく重要ですよね。

 現状の仕組みでは財政力指数が「1」を上回る自治体は該当しませんが、今回のコロナショックで豊田市の財政力が大きく下がると該当してくる可能性があります。もしそうなれば、財政が苦しい時には都心にお金をかけるのでなく、一旦シフトして山村地域のことをやっておこうという議論も成り立ちます。

 博物館の建設計画も同じです。造るのならしっかりしたものが欲しい。だけど、十分な一般会計も組めない苦しい時には立ち止まることも必要だと思う。行政は一度動き始めたらブレーキをかけるのが苦手です。だからこそ市議会がその役割を果たさないといけない。屋台骨が傾いたとき市長に意見するのも市長与党の役割ですよ。

 ──コロナショックで市の財政力指数が大きく下がったら、国の制度を使って山村振興事業にシフトするという考え方はおもしろいですね。

 鈴木委員長 今回のコロナショックでそこまで豊田市の財政力が下がるかどうか分かりませんが、そのことを視野に入れた考え方は必要だと思っています。

 これからつくる山村振興条例については、「過疎自立促進計画」と「おいでんさんそんビジョン」を来年3月までに作るとしても、条例の制定は少し遅らせて、計画をよく踏まえて作った方がより実効的な条例になると考えています。

 以上の大きな2つの課題を総合的に検証して市に提言していくのがこの特別委員会の役割です。道筋は財政次第で大きく変わってきます。だからこそ今からの半年間が重要になりますね。

地域貢献の取り組みが子育てママの心をつかむ
イオンスタイル豊田店長  井上良和さん       2018.09.07

 昨年9月のオープンから1年が経つイオンスタイル豊田。子育てママへのサービスや地場野菜の販売が人気のようだ。井上良和店長に好調の理由と今後の方針を聞いた。



――開店から1年経ちました。好調なようですね。

井上店長 当初予想以上に好調です。商圏内のお客さまがどのような人なのかを考え、品揃えやサービスに取組んだ結果だと思います。「ママと子どもに優しい」店にしたことが支持されました。
4面井上良和イオンスタイル豊田店長③.JPG

 ――具体例は?

 3階のキッズ売場と1階の食品フロアが典型的な例です。特にキッズ売場の「キッズパブリック」は、ベビー・子供用品と玩具にサービスを一体化した地域一番の売場が支持されました。

 また、地域の皆さんに貢献できる場として当店が役立てたらと考え、3階に各種教室やイベントなどに利用できる「まいまいルーム」を設けると共に、ママと子ども向けを中心に色々な企画やサービスに取組んでいます。

 7月のシーズンの切り替えの時期には1階の催事場で、地域のママ達が作ったものを展示販売する「まいまいマルシェ」も行いました。

 8月25・26日には3階の「キッズパブリック」で、とよた地域材促進協議会との共催で「木のからくりおもちゃを作ろう!」という親子体験会も開催し大変好評でした。今月も豊田森林組合の主催で15〜17日に、「豊田市・根羽村産木材で作った玩具で遊ぼう」というイベントを行います。

 今後も商品販売だけではなくこうしたサービスや催事企画を通じて地域に貢献し、お客さまとの関係を深めていきたいと考えています

地場野菜は当初の5倍に


 ――食品フロアは?


井上店長 惣菜売場の「ココデリ」で食の選択肢を広げたのに加え、まいまいキッチンと食品売場を一体化しその場で惣菜を食べられるようにしたことが評価されました。

 地場野菜販売コーナーも大変好調で、売上もオープン時の5倍程に増えています。売れすぎて商品フォローが追いつかない程です。今後は取組先と連携し、お客さまの要望に添えるようフォローしていきます。

 ――食品は好調のようですね。


井上店長 野菜も肉も魚も固定客ができて毎日買って戴いています。

 ――食品以外では?


井上店長 ギフト関係やビジネス、フォーマル、ブランドも好調です。この分野はオープン当初絞り込んだのですが、競合が少ないことからお客さまが買いに来ています。特にレディースフォーマルは好調で、今後のブライダルシーズンに向け期待しています。

 ――好調で品薄の商品もあるとか?


井上店長 学校行事関連商品は好調で、特に6月のプール関係は予定の2倍に増やしても間に合いませんでした。この学校行事関連は今年の反省を踏まえ、商品供給量を調整していきます。

 ――2年目の運営方針は?


井上店長 引き続き地域のお客さまの要望を聞いて売場を具現化します。当面大きな売場変更はありませんが、細かな調整は随時行います。
 人気商品は拡大よりも中身の充実に力を注ぎます。ビジネスやフォーマルなどは品揃えを充実させていきます。

木材とおしコミュニティ拡大
ウッディーラー豊田  代表 樋口真明さん       2018.08.24

 人と木をつなぎ、地域の林業・木材産業の活性化と市民の暮らしの質の向上をはかろうとしている「ウッディーラー豊田」が、4月に一般社団法人化した。どのような役割を担うのか、代表理事の樋口真明さんに聞いた。

  ──豊田市御船町に大型製材工場ができ、安定した生産・流通によって木材の地産地消が進むと期待されています。
 一方で「ウッディーラー豊田」も法人化して本格的に動き始めました。今後どのような役割を担っていくのでしょうか。

 樋口さん 製材工場やウッディーラーができたことで、これまで木材には関係の無かった企業が興味を持ってくれるようになりました。例えば鉄を扱う会社が「やれることはないですか?」とウッディーラーの会員になってくれました。木材は素材なので、異素材と掛け合わせることで新しい物が生まれたり、お洒落に見えたりします。

4面・樋口さん顔写真.JPG ウッディーラーは木材を売るために活動しているのでなく、「木材を使おうよ」という声かけを通して、個人と個人、個人と企業、企業と企業などのコミュニティをどんどん創りたい。そうすれば木を使える場所を皆が探し始めると思うんです。遊びや楽しさも採り入れながら、顧客との接点の可能性やパターンをどれだけ増やせるか。それこそがウッディーラーの役割だと思います。

間伐した人工林に育った低木を活用

 ──おもしろい取り組みも始めるそうですね。

 樋口さん アロマオイル事業をやろうと考えています。木材・林業って男性社会ですよね。そこにアロマやエッセンシャルオイルで女性が活躍できる場を用意したら、どんなコミュニティができ、どんな事業が始まるのか。可能性は広いと思います。

 ──山の木を使ったアロマですか?

 樋口さん 15年前に間伐した山は、いま目標としていた複層林となり、いろいろな低木が育ってきています。アロマオイル、エッセンシャルオイルの採れる木が育っている場所もある。その木でアロマオイルを作れば、今まで森林整備に努力してきた時間が形として消費者に伝わることになります。人と木が、山と街が、ストーリーとしてつながるんです。

 スギやヒノキの葉からもエッセンシャルオイルが採れます。容易に手に入るので商品コストも抑えられます。重い木材を扱えない高齢者でも「葉っぱや枝葉を買いますよ」と言えば手伝って貰えるでしょう。これもアロマ事業のストーリーの一つです。

 ──オイルは自家生産ですか?

 樋口さん 抽出や調合も、それはそれで副収入的な事業にならないか、コミュニティができないかと考えています。そうなれば暮らしの中にも山の恵みが入って来ますよ。松坂屋さんと連携する話も決まりました。

 ──アロマの新たな需要はどんな所にあると考えていますか?

 樋口さん 都市の大企業には疲れたり心を病んだりした人が居ますので、擬似的な森林浴ができる休憩室をつくれば企業の生産性が上がるかも知れません。豊田市全体で考えればこれは大きな力になるはずです。

 さらに、木質の空間で、香りもついて、ちょっと良いソファーや昼寝できるスペースがあったらどうでしょう。運送会社の休憩所で、科学的にリラックス効果を計測してみたいですね。産業として成り立つ可能性が十分にあると思いますよ。

 豊田にはいろいろな分野に優秀な人がたくさん居ます。アロマ事業を通して木材に興味を持ってもらう。新しい製材工場にも案内する。大きなラインで生真面目に製材している現場を見せれば、「豊田の木材って凄いんだな…」と思うはずです。そういう地道な活動の繰り返しが花開く時が来ると信じています。

 木の良さを押しつけるより、いろいろな方向からのらりくらりと仕掛けた方が木に取っつきやすいと思います。

 木の良さを否定する人はあまり居ません。人間と木の関わりの歴史は何千年もあるわけですから、あまりその部分は強調しなくても良いのだと思います。それよりも困っている所へアプローチした方が、木が使われるパターンは増えるでしょう。近い将来そうなるべきだと思うし、そうなっていきますよ。

主婦目線で紹介〝食べる〟幸せ
めしあがれ 連載300回突破 インタビュー       2018.06.29

本紙の食の連載「めしあがれ」が今年5月25日号で300回目となった。「めしあがれ」は平成15年7月11日号からスタート。文章と写真を約15年間掲載してくれているのは、矢作新報社元記者の弘津宏子さん(76・豊田市水源町)だ。主婦の目線で掲載してきた弘津さんに〝食〟について聞いた。

――「めしあがれ」が300回を突破しましたね。長年にわたる掲載ありがとうございます。
 「めしあがれ」では豊田の中山間地域の食卓に昔からあがってきた料理も登場しますね。どのような想いで始められた連載なのか教えてもらえますか。

弘津さん 豊田の地域の食材を使って、その人たちがあたり前に食べているものを新聞に残しておきたいと思いました。中山間地域に住む人から教えてもらった食文化も紹介していきたいと思ったんで4面・弘津さん.JPGす。

 第1回目は、柏の葉の代わりに〝ほうば〟を使った「ほうば餅」を紹介しました。旧下山村に住んでいる鶴田美代子さんに教えてもらったものです。農家のお嫁さんの里帰りの手土産や、頂き物のお返しなどにもうってつけの、田舎らしい素朴な味わいのお菓子だと思います。

――文章を書くなかで、大切にしてきたことは。

弘津さん 主婦目線を大事にしてきました。スーパーや野菜の産地直売所で手に入るものを主役に、具体的にわかりやすく紹介して、読み手側が実際に作り、口に運んでもらえるよう考えて書いてきました。産地直売所で見つけた里芋の生茎「ずいき」のように、店番の女性に食べ方を聞いて紹介したこともあります。

――弘津さんの連載はただ料理の作り方を載せているだけでなく、その料理の作り手の思いや背景、食べ物の効能など、多角面から紹介されていると思います。作り手の人の温かさが伝わってきて、読む側の気持ちをほっこりさせてくれるのも特徴的だと感じています。


弘津さん そうなんですね。うれしいです。母親との思い出や、子どもたちと食卓を囲んだ風景なども紹介してきました。日常の食事、保存食、行事食、忙しい主婦向けの簡単料理、子どもに喜ばれるお菓子、母親から教えてもらったメニューなど、これも主婦ならの目線でしょうね。

――家族の食事を作る立場も含め、弘津さんの〝食〟に関する考えや想いを聞かせてください。

 弘津さん 〝食生活の豊かさって何?〟と考えます。 私たちはいま、海外から輸入される牛肉、豚肉、大豆、魚、野菜など、いろんな食材が年じゅうスーパーで買える環境にいます。一方で、中山間地域の人たちの暮らしのなかでは、田畑でとれた米や野菜を食卓で味わえる楽しみがあります。春には山でワラビやタケノコを収穫し、旬の食材が身近でとれる環境にいる人もいますね。

 私は身近な場所にあるものを食べるのが基本だと思います。自分の庭で育ててきたトマトやキュウリなどを採って食べることもうれしい。「身土不二」という言葉があります。人間の身体と土地は切り離せない関係にあるということ。その土地でその季節にとれたものを食べるのが健康に良いという考え方です。本当の食の豊かさは中山間地域の食卓にあると私は思います。

――「めしあがれ」では度々、ご家族や友人との食事のやりとりが見受けられ、温かい気持ちになります。

 弘津さん 久しく会っていない友人から、きゃらぶきや金山寺味噌、タケノコなどをいただくことで、安否確認の便りとも受け取っています。遠方に住む友人が元気であることはうれしいものです。 知り合いの足助の80歳代の女性は、ひ孫を含め20人ほどでバーベキューをすると話してくれました。娘さんたちが母親の流儀にならっているのも素敵です。食のあり方が次の世代につながっているように感じます。

 家族を意識した食事は人間の情緒を育てることにつながっていくと思います。食卓を囲んでの何気ない会話や一言がなくなったらさみしいですね。食べ物が結ぶ幸せって、気づいてない人も多いのではないでしょうか。

地元の食材つかい楽しく味わおう!

――ほかに食に関して何か思うことはありますか。

 弘津さん 健康のために朝散歩をしていると、お味噌のにおいや野菜を煮ているにおいがしてきます。人間って食べるために生きているように思います。

 義理の母親の介護をした経験があります。食欲が無くなると身体が弱っていくのがわかりました。お茶を飲ませるにも苦労しました。ゼリー状に固めて口に運んだこともありましたよ。食べることは命に直結していると実感しました。

――最近は仕事、育児、家事、介護と、急しい女性も多く、食事作りは大変だと思うのですが。

弘津さん お仕事をもち、忙しいお母さんが増えているように思います。一日三食の食事作りは大変です。日々は簡単な食事でもいいと思います。手作りのおにぎりだけでも。誕生日や記念日など、特別な日に豪華なメニューを作って並べればいいのではないでしょうか。

――なるほど。逆に特別な日に外食をする人もいますね。 弘津さん 最近は友だち同士でお茶を飲むときも喫茶店へ行きます。いまの時代、それがごく普通になっています。

 「お茶を飲むだけでも、うちに寄ってって」と、声をかけることもありますが、玄関口で終わってしまうことがほとんどです。ちょっと寂しいですね。

――いろいろ変わってきていますね。 弘津さん 家族もそうですが、友だち、近所の人、人同士がふれあうツールに〝食べ物〟は大事。楽しくおいしく食事ができることって幸せだと思います。いま、温かな団らんを提供する「こども食堂」がうまれているのは良いことだと思います。

エネルギー溢れる異空間 橋の下世界音楽祭    2018.06.01

 豊田スタジアム前の矢作川千石公園で本日6月1日(金)〜3日(日)の3日間、音楽や伝統芸能の大イベント「橋の下世界音楽祭」が開催される。東日本大震災の翌年にスタートして今年で7回目だ。
 このイベントの凄さは会場に行ってみないと分からない。3日間のために河川敷公園に〝街〟を創ってしまうエネルギー、数千人の観客を入場無料で迎え入れる投げ銭方式、発電機禁止で電力持ち込み制など、不思議だらけだ。主催者代表の永山愛樹さん(41)に話を聞いた。

1面・永山さん写真.JPG──この音楽祭も7年目になるんですね。この間にどのような変化がありましたか。

永山さん 大きく変わったのは、知名度が上がって参加者が増えたことですね。それによって警備等のやらなければならない事も増えたので、本当にやりたい事との兼ね合いが難しくなってきました。今回を終えたらいろいろ整理して、来年は形を変えてみたいと思っています。

──規模の見直しも含めてですね。

永山さん 3年ほど前から規模の見直しは考えてきたんです。お客さんがたくさん来てくれるのは有り難いですが、もともと営利目的の興行ではないし、規模を大きくしたかった訳でもないですから。震災直後の勢いで始め、その勢いのまま来てしまいました。充実させるためにも整理が必要だと思っています。

 これだけの大イベントは数年に1回で良いのかもしれません。そうでないとハード面の準備だけで手一杯になって、だんだん本質からズレていってしまう気がします。

──逆に変えたくない部分は?

1面・右下写真.JPG永山さん やはり手作りの部分ですね。完成されたイベントを提供するのでなく、いろいろな実験ができる場であり続けたい。その受け皿を作っているつもりなんです。3日間だけの街を作ってね=6面に会場図=。

──橋の下音楽祭では〝自治〟を重視していますよね。
 永山さん 設営から撤収までぜんぶ自治できるグループが集まって開催していますから、まるで自治区が集まった街みたいなものですよ。

──スタッフは何人くらいですか?

永山さん 裏方の中核は4人。その周りに主メンバーが20人いて、その周りに100人。さらにその周りにスタッフとボランティアの中間くらいの人たちが100人くらい居る感じです。主催者、出店者、お客さんがハッキリ分かれず、全員で手作りしているところが一般的なイベントと大きく違うところですね。

──資金面の苦労は多いでしょうね。

永山さん 自分たちの価値感でやっていますから儲からなくていい。でも長期で動いてくれているスタッフには最低限の日当くらい出せるようにしたいですね。続けて行くためにも大事なことだと思っています。

──まだ橋の下世界音楽祭に来たことが無い人には、どんな部分をみて欲しいですか。

永山さん いまの街ってカチッとしているじゃないですか。良いとか悪いとかでなくカチッとしている。でも、ここに3日間だけできる街は雑多で適当感があります。それを成り立たせるエネルギーがある。そういう全体の雰囲気を見て欲しいですね。想い描き、思い切ってやればできる。そんな部分かな。

地方議員が結束して政治変える 中村 晋 県議インタビュー 2018.04.27

 先の衆院選で民進党が分裂し、同党の地方議員は足元が定まらなくなった。そのような状態では来春の統一地方選を戦えないと、愛知県内では民進系の県議が結束して2月3日に政治団体「新政あいち」を立ち上げた。幹事長を務める豊田市選出の中村晋県議に現状を聞いた。


1面・写真.JPG──中村県議をはじめ民進党の県会議員が中心になって、去る2月3日に政治団体「新政あいち」を設立しました。あらためて経緯から教えてください。

中村県議 先の衆院選の前に国政の場で民進党が分裂してしまい、地方議員は自分たちの足元がどうなるのか分からなくなりました。従来のように国政政党の直系という形で考えていては、地方議員がバラバラになってしまう危機感が高まったんです。そこで愛知県下のこれまでの民進党系の地方議員がまとまって活動できるように立ち上げた組織が「新政あいち」です。どう立ち振る舞うのか自分たちで考える集団にしたいですね。

──新政あいちは地域政党と呼ぶべきですか。それとも政治団体と呼ぶべきですか。

中村県議 地域政党というと「減税日本」や「大阪維新の会」のように国政ともつながる団体をイメージするでしょうが、新政あいちはそうでなく、地方議員が団結し調整しあえるような政治団体です。政党的なイメージはあまり持っていませんが、地域政党と呼んでも結構ですよ。

──設立時は95名だったと聞いています。

中村県議 県議会、名古屋市議会、一般市町議会の議員たちです。現在は110名ほどに増えています。

──その中で中村県議の立場は、新政あいちの幹事長であり、新政あいち県議団の団長ですね。県議団は何名ですか。

中村県議 34名です。従来の民進党系だけでなく、保守系の議員も2人入っています。これから勢力を拡大しようという時に、いつまでも民進党だ、どうだと拘っていると、衰退していく野党の中で行き場を失ってしまいます。保守系であっても改革をめざす人には入ってもらいたい。

──連合愛知もこれまでと同様に支援してくれるそうですね。

中村県議 はい。カギとなる連合愛知が、新政あいちに入会した議員を応援すると表明してくれました。それで多くの地方議員が新政あいちに籍をおいてくれています。 民進党はまだ、党内のガバナンス強化、地域組織の面倒をきちんとみるという2つの大きな課題を解決できず、地方議員にとって魅力のある政党に立ち直っていません。新政あいちにしっかりと軸足を置いて、連合愛知に支援してもらい、選挙で勝ちたいと皆さん思っています。

──国政の場では民進党と希望の党が合流して、また新しい国政政党をつくる動きがありますね。

中村県議 その余波が1年後の統一地方選挙に出て来る可能性もありますが、県内で野党議員同士で戦うことは極力避けたいですね。

──立憲民主党も、所属議員が「新政あいち」へ入会することを容認しましたね。

中村県議 政党の違う地方議員同士でやりあうような組織ではないと理解して頂けたのでしょうし、選挙でお互いに利益になるよう調整をしようという考えも伝わったのでしょう。大きいのは連合愛知の存在ですよ。
  豊田・みよし市の  市議への影響は?

──「新政あいち」が豊田市とみよし市の市議会議員に与える影響はあるでしょうか。

中村県議 市議会議員は皆さん無所属で選挙をしますから、あまり影響は無いと思います。ただ今後、民進党と希望の党が一緒になった時に、「新政あいち」に入ったまま、国政政党の方をどうしようか考えあぐねていると思います。

──県議会で中村県議の所属する会派名は「新政あいち」になりました。豊田・みよし市議会の民進党系会派の名称も「市民フォーラム」から変更するのですか。

中村県議 強制していないので「市民フォーラム」のままでもいいし、「新政あいち豊田市議団」のような名にしてくれてもいい。まだ会派名として名乗っているのは県議団だけです。

──最後に、連合愛知と新政あいちの繋がりについて、もう少し解説して頂けますか。

中村県議 新政あいちと連合愛知にはニーズの合致があります。それは分裂を回避したいという思いです。私たち新政あいちは、国政が不安定な時こそ一致団結して県民の負託に応え、それによって国政の結束を働きかけたい。一方、連合愛知も支援する政党がバラバラの状況では連合自体の結束力を削がれることにもなりかねません。新政あいちも連合愛知も結束して組織力を行使することが最も大切なことなのです。

山村の人口減少どうする 三江弘海 豊田市議会議長インタビュー 2018.04.13

 豊田市議会で初めて、山村地域選出で議長を務めている三江弘海市議(稲武)が、最後の大きな役割である3月議会を終えた。 ホッとしている今、あらためて山村地域の課題をどうすべきか聞いた。

2面・三江さん.JPG──山村地域の人口減少が止まりません。どう考えていますか。

 三江弘海議長 山村地域の過疎対策としては、増えている「空き家」を流通させ、移住希望の都市住民を受け入れることがカギだと分かっています。それしかないと言ってもいい。豊田の山村地域の多くは都市部へ普通に通える距離ですから、空き家の流通をもっと進めるべきです。

 でも私が住む稲武は少し事情が違っていて、都市部への通勤に1時間10分ほども掛かります。やはり空き家の流通だけでなく何らかの施策を打たないといけない。企画部と地域振興部がしっかり連携し、国のメニューも使いながら考えるべきです。東京と同等のネット環境を整え、企業のテレワークを誘致するのも良いと思います。国の地域創生の考えのもと地域支援を考えている大企業もあります。そうした企業と豊田市が包括連携協定を結んで、山村地域にサテライト・オフィスを置いてくれないか…。人口が1人減ると地域内GDPは125万円減ると言います。そこへ20人でも企業が来てくれたら随分と違います。そういう誘致は市が行うべき大きな施策だと思います。

 そうやって人口減少を鈍化させたいのですが、時間が掛かると、その取り組みもできない限界が来てしまうかもしれない。あと10年だと思っています。その間に何とかしなければ…。

 ──山村地域の疲弊は都市部に住んでいると気付きにくいですね。

 三江議長 稲武では自治区運営が難しくなってきています。例えば13自治区が意思統一して自治区再編をしてはどうでしょう。将来、稲武から市会議員を出すのは難しいですから、その時のためにも自治区長の発言力を高めておかないと。

 ──いま豊田市の行政は「WELOVEとよた」や「ラグビーW杯」に突き進んでいます。一気に盛り上げるべき時だとは思いますが、市民から見ると地に足が着いていないようにも思えます。

 三江議長それを言わないといけないのは市議会でしょうね。特に地域選出議員でつくる自民クラブは冷静に、立ち止まってしっかり考えないといけません。

 WELOVEとよた条例は市民の気持ちを醸成するための理念条例ですが、そこに山村地域の人口減少という課題をどう入れていくのか。山村の自治区の総会に出席して「WELOVEとよたです」と言っても、あまりピンときません。

 わくわく事業で地域は自力をつけてきていますが、山村地域ではさらに行政の力を借りなければとても無理です。思い切った施策で若い人が子どもを産みたくなるような山村にすべきだと思っています。豊田市は財政力がある。人口も全体でみればまだ増えています。山村地域がもつ多面的機能をお金に換算したらどれだけになるのか。行政にはそういう考え方をしてほしいですね。

守ろうぜ トヨロック! !   2018.03.09

 毎年10月に豊田スタジアムで開催される入場無料の野外音楽祭「トヨタロックフェスティバル」が、昨年の台風による中止で1000万円の負債を抱え、今年の開催が危ぶまれている。市民応援のクラウドファンディングが今月1日に始まった他、17日には応援ライブも行われる。トヨロック主催のジョイカルウェイブ事務局・矢澤英介さん(40)に話を聞いた。

3面・トヨロック写真.jpg ──矢澤さんは豊田まちづくり㈱の「ジョイカルウェイブ」事務局担当として、トヨロックを立ち上げましたね。ジョイカルウェイブとはどんな団体ですか。

矢澤さん  25年ほど前に豊田市、トヨタ自動車、豊田都市開発㈱(豊田まちづくり㈱の前身)などを中心に立ち上げた行政と民間の団体です。音楽を切り口に、働く若者が楽しめる場所を創るのが目的でした。当時はバンドブームでしたし、予算も十分にあって大物アーティストも呼んでいたそうです。

 私の入社は14年ほど前です。手作りの音楽イベントを企画させて貰えるようになり、いろいろなイベントを開催してきました。ところが2006年を最後に、市が構成団体から抜けることになり予算が大幅減少したんです。ジョイカルウェイブの存続自体が危ぶまれましたが、新たな可能性に向けて組織を再編しました。事務局の私もいろいろな人との繋がりが拡がり、そういう仲間と一緒に、2007年にトヨロックを始めました。

 1年目はジョイカルウェイブの予算内でやりましたが、それだけでは限界がありました。回を重ねるごとに様々な試みに挑戦し、今では出店料、駐車場利用料、キャンプサイト参加費などを頂いて運営しています。前年にやりきれなかったことを一つずつクリアする中でさらに新しい繋がりも生まれ、ステージを増やすことで音楽の幅も広がりました。ロックフェスとはいいますが、ジャンルにとらわれず血の通った音楽を演奏するアーティストに出演してもらってます。

  台風直撃で2日目中止

3面・トヨロック・矢澤英介写真.JPG ──音楽だけでなく、モトクロスバイクが空を飛ぶFMXもやるようになりましたね。

矢澤さん いろんなジャンルの人たちが運営に集まりチームになっていった感じです。トヨロックはいろいろなコンテンツがある事で、音楽好きの若者だけじゃなく、老若男女誰でも楽しめ、交流できるお祭を目指して創ってきました。

 ──そして昨年…。大型台風の直撃をくらってしまいましたね。

矢澤さん そうなんです。金曜日がキャンプと前夜祭で、土・日曜が本番なのですが、金曜日の段階でほぼ直撃だと分かりました。雨のなか準備を進めながら、ギリギリまで判断に迷いましたが、土曜は開催し、2日目の日曜と河川敷のキャンプサイトを中止することに決めました。

 ──2日目が中止になり資金面でかなり大変だと聞いています。

 中止の影響で負債のピンチ


矢澤さん  中止にすることで、当日の駐車場、キャンプ収入、ビール・ドリンク販売、物販など、想定していたイベント収入がほぼ無くなりました。2日目の出店料とキャンプ、駐車場の前売り券の払い戻しもしました。払戻金からの寄付のお願いをアナウンスすると、嬉しいことに多くのお客さんや出店者が「これからも続けて欲しいから」と払い戻し分を寄付してくれました。すごくありがたかったです。
 しかし、支払いと払い戻しによる赤字額も大きく、大きな負債を抱えることとなり、次回の開催が困難な状況になっています。

──主催はジョイカルウェイブなので、負債を構成団体が負担できなかったのですか?

矢澤さん  これまでの成り立ちからジョイカルウェイブが主催ですが、運営はトヨロックを創る有志のトヨロッククルーでやってきました。自分たちの運営の詰めの甘さもあって起きたことを、限られた事業費の中でやっていることとはいえ、安易に構成団体の企業などに負担をお願いするのは違うと思ったんです。これまでトヨロックでやってきたことの意味が無くなってしまいますからね。それでトヨロックを続けてきた自分たちなりのやり方で赤字を挽回しようと決めました。

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木材需要の拡大が課題地道なファンづくりも 豊田森林組合インタビュー 2018.01.10

 豊田市産の木材を流通させる核施設として市が誘致した大規模な製材工場が、いよいよ来年度から稼働する。ここに大量の木材を納入していくことになる豊田森林組合の3氏に、今後の展望や課題を聞いた。

10日2面・森林組合・写真.JPG──豊田市が御船町地内に誘致した大規模な製材工場がいよいよ今年度末に完成しますね。

清水元久組合長 4月から機械のテスト運転を始め、本格稼働は7月頃になるそうです。
 ──スタート当初は年間2万5千㎥の木材を扱うそうですね。

清水組合長 そのうちの約2万㎥を豊田森林組合が納める予定で、これは現在の木材生産量ほぼ全てにあたる量です。

──いま市内の人工林は収穫期に入っていて、今後は〝皆伐〟が増えていくそうですね。課題は何でしょうか。

伊藤浩二さん(参事兼林産課長) 皆伐したあとは植林し、シカ対策もしなければなりませんが、それだけ大規模にやっても山主さんにバックできるお金は多くありません。以後の管理費までは賄えない状態です。木材価格が安すぎるんです。

──今でもコストダウンに力を入れていると思いますが、製材工場の稼働は更なるコストダウンになるのですか。

伊藤さん 山から製材工場へ直納する形になるので流通コストを少しでも下げられます。また、C材(チップ等にする細い木)まで引き受けてくれるので、山での作業コストも下げられると思います。山主さんに少しでも還元できるようにしたいと考えています。

──大きな製材工場が稼働するわけですので、今後は木材需要の拡大が大きな課題ですね。簡単なことではないと思いますが展望はどうですか。

清水組合長 大手住宅メーカーが使っている木はみな外国産材ですが、これからは自然環境保全の意味でも、災害防止の意味でも、国産材に目を向けて欲しい。高価なイメージがありますが、そんなことはありませんよ。家づくりに影響の大きい住宅設計士さんにも国産材に目を向けてほしいですね。そこが一つのカギだと思っています。

──木材需要を拡大する仕組みづくりはもちろん重要ですが、木材の魅力を知らない人が増えてしまった今となっては、新たな木材ファンをつくる地道な取り組みも必要ですね。

清水組合長 子育て世代のファミリーに木の魅力を伝えようと、うちの林産課が木製遊具や木製おもちゃの開発にも力を入れています。

山田政和さん(林産課主任主査) 林産課の主力商品は土木資材ですので、そこで出る端材などを使って遊具やおもちゃを作っています。木材使用量は土木資材の100分の1程度ですが、木材ファンを増やせれば土木資材並みの量を使っていけるかもしれません。単価は土木資材より高いですから良い流れをつくっていきたいですね。

──木製遊具や木製おもちゃを使った木育イベントは、子育て世代ファミリーに大人気ですね。あのような場で親には何を伝えていきますか。

山田さん いちばん嬉しいのは豊田産材で家を建ててもらうことですが、まだ木の家を建てようという人は多くありません。でも、木製おもちゃに目を輝かせる我が子をみれば、お父さんやお母さんも少なからず木材ファンになってくれると思います。そんなファミリーに椅子などの木製品を作る講座も開いています。そうやって少しずつ繋がれば、木の家を建てたい人が増えていくと期待しています。
10日2面・森林組合・右下・製材工場写真.JPG清水組合長 大手住宅メーカーには自動車のようなカタログがありますよね。国産材の家もそういうことをやるべき時代でしょうね。

山田さん 木に囲まれていると生活が豊かになりますし、人あたりも柔らかくなるそうです。でも説明だけでは実感がわかないですよね。やはり実際に見たり、触ったりしないと分からない。ですから、そういう人たちを僕の自宅に招いて「こういう木の使い方がありますよ」と紹介もしています。「リビングのカウンターを地元の木で造りたい」と言ってくれる人もいますよ。

  教育の場こそ木質化したい

清水組合長 こじまこども園さんが木造の立派な園舎を建てて、木の床の上を園児が素足で走り回っていますよね。ああいう教育は大切だと思う。子どもの性格も柔らかくなると思いますよ。マウスの実験で実証もされているそうです。できたら市営のこども園や学校でも、腰壁と床ぐらいは木質化を進めるといいのですけどね。昼間だけでも子どもたちには木のある環境で生活させてあげたいですよ。

山田さん いろいろな公共施設にそういうスペースを作るのもいいと思います。

──そうやって地道に木の良さを実感させていかないと木材ファンは増えないでしょうね。

木材ファン増やす社団法人も立ち上げ

──木材ファンを増やす組織「ウッディーラー豊田」=1面に関連記事=が昨年結成されましたね。豊田都心の再開発ビルKiTARAの前にも、ウッディーラーがデザインしたテーブルとベンチが設置されました。センスがいいですね。
 このウッディーラーの理事として、豊田森林組合から伊藤さんが参加していますね。どんな活動をしていきますか。

伊藤さん ウッディーラー豊田は木材の魅力のPRや、公共建築での木材の使い方のコーディネートを担う組織になると思います。新しい木の使い方も提案していくと思いますよ。例えばコンビニの店内を少しでも木質化するような流れができたらいいですよね。
 豊田市も製材工場を誘致した以上は需要拡大の部分に力を入れなければなりませんが、市としてやれないことも多い。そこをウッディーラー豊田が担っていきます。いま市が主体となって、コンサルタント会社も入れてウッディーラーの一般社団法人化を目指しているところです。

──将来的には、どんなところまで目指していきたいですか。
 伊藤さん 豊田市内に木材の3次加工、4次加工までやるような木材関連の産業を育てられたら、と思っています。ウッディーラー豊田はそういうところをつなぐ組織として動いていく予定です。

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彼岸花現在200万本 豊田市宮口の逢妻女川 2017.10.06

ひがん花インタビュー

IMG_0053.JPG新見記者 逢妻女川上流部の彼岸花は、この21年間の彼岸花育成会の歴史上、最高に美しく咲き揃いましたね。花茎が長く伸び、花に勢いがあった。逢妻女川彼岸花育成会長の安田さんの喜びの声をお聞きしたい。

安田会長 育成会一期目20年間(平成8年〜28年)、私たち会員は彼岸花の花園の草刈りを堪念にしてきたんです。彼岸花は雑草におおわれたら終わりですから。その草刈り効果が、二期目当初の今年29年の花に出た…。

新見記者 自然条件は?

安田会長 彼岸花は乾燥に弱いが、今年夏は雨が多かった。私たちの草刈りだけでなく、逢妻女川の彼岸花は多雨効果で史上最高に美しく咲いたのでは…

IMG_0049.JPG新見記者 逢妻女川の現在の彼岸花の数は?

安田会長 一期事業(平成8年〜28年)の半ばの頃に、新見さんが推計調査をやってくれた。1㎡当りの実数を数え、それに彼岸花の花園の面積をかける計算式で。総数150万と推計された。いま総数200万本位か。

新見記者 彼岸花植栽2期目の「5ヵ年計画」が始まりましたね。目標は何ですか。

安田会長 愛知で1番、300万本咲かせます。

新見記者 今の彼岸花植栽地は県道豊田東郷線の逢妻新橋から上流へ一期事業450m、二期事業50m、計500m。両岸で1000mでいいですね。逢妻川上流の彼岸花植栽地の延長は…。

安田会長 両岸1000mです。

新見記者 もう花園は延長しない?

安田会長 しない。自然繁殖と補植で300万にしたい。それが5ヵ年計画の目標です。

新見記者 両岸1000m位が適正規模か…。

安田会長 我々が管理するにも、花見の皆さんに歩いていただくにも、両岸1000m位が適性と思う。豊田市の彼岸花公園はコンパクトでいつも美しい、歩きやすいと言われたいですね。もっと読む.pdf

 ㈱豊田スタジアム創業以来の初代社長・小幡鋹伸氏(80歳)に代わり、6月末の株主総会で2代目社長に選出された山本秀樹氏(61歳)。就任から1ヶ月を経過して、今後の経営戦略を聞いた。

山本秀樹豊田スタジアム社長・横.jpg──社長に就任された御感想は?

山本社長 創設時からの社長の小幡さんの後任は大変だろうと言われますが、昨年、今後の10ヶ年計画を策定し目標が決まっているので、周囲から言われるほど大変ではないですよ。

 10ヶ年計画に沿い2019年ラグビーW杯、翌年の東京五輪、26年のサッカーアジア大会、27年のリニア開通に向けスタジアムとしてどう市民に貢献出来るかを考えていきます。

──新社長としての経営戦略は?

山本社長 社の内外も含め風通しの良い企業風土を造っていくと共に、原点に戻りスポーツを通じて地域の活性化に貢献します。具体的には①収益事業、②日常的な市民活用、の2つの方向からスタジアムの活用頻度を上げていきます。

 当社にはJリーグのベストピッチ賞を3年連続受賞したほど良質のピッチがありますが、天然芝の品質維持と耐久性の問題から年間20回程しか使用できません。この問題解決のため、現在より耐久力のある天然芝を開発中で、21年以降、遅くとも26年までにより耐久性の高いピッチを整備し、活用可能な回数を2倍にしたい考えです。

 また9月頃にはラグビーW杯の対戦カードが明確になり、豊田スタジアムで何試合あるのかがある程度把握できるので、設備面で改修すべき点をあげ対応していきます。W杯には世界中から重要人物もみえるし、WiFiなどの環境も整備します。

 あとコンサート等の大型イベントを年1回は出来る仕組みも造りたいですね。

──日常的な市民活用は?

山本社長 スタジアムのピッチと同レベルの芝生を持つ芝生広場は、昨年90試合相当利用されました。今後はアマスポーツ向けにもっと利用回数を増やしたいです。

 ナイター設備が無く夜は使えませんが、名古屋グランパスエイトやトヨタ自動車ヴェルブリッツの選手をコーチに招き、子供向けのサッカーやラグビーの教室を開催したいです。私自身ここに来る以前は、11年間名古屋グランパスエイトに在職していたので、特にサッカー教室は話も進め易いと考えており、今年度中には実現したいですね。

──他の設備では?

山本社長 これまでもピッチの見える会議室や、地下駐車場での展示会、スタジアム周辺での駅伝大会や家族向けイベントなどで利用されており、こうしたことでの活用を働きかけていきます。

 あと全体的な話ですが、パーク・アンド・トレインでスタジアム以外の駐車場を利用した来場者への割引サービスなども面白いし、また、W杯に向け豊田市駅前との連携も強化したいです。

豊田市成年後見支援センター 座談会 後編

 超高齢化時代に対応して整備された重要な仕組み「成年後見制度」の利用を広めるため、豊田市は7月1日、市福祉センター内に「成年後見支援センター」を開設した。運営は社会福祉協議会に委託されている。

 成年後見人とは、高齢者や障がい者など判断能力が不十分な人の権利と財産を守る人のこと。本人に代わって各種支払いをしたり、福祉サービス利用の手続きを担ったりする。裁判所の管轄だ。

 豊田市が今回設立した支援センターは、この制度を市民が利用しやすくするための総合窓口。運営に関わる皆さん=写真の4氏=で座談会を開き、先週号に「前編」を掲載した。今週号には続きの「後編」を掲載する。 

高齢社会の重要制度を身近に

──豊田市成年後見支援センターの運営は、市社会福祉協議会に委託されていますね。そういう例が多いのですか?

2面・成年後見センター・写真①.JPGアドバイザー杉本みさ紀弁護士 センター設置の受け皿は社協かNPOが多く、どちらも一長一短あります。日進市など尾張東部の5市1町でつくる「尾張東部地域後見センター」は、成年後見のプロである社会福祉士が中心になって創ったNPOに任されていますからとても優秀です。一方、社協の場合は成年後見はプロではないもの、周辺の福祉事業をやっている素地があります。

永井広明センター長 社協には日常生活自立支援事業をやっている強みがありますし、包括支援や障がい者支援のノウハウ、ネットワークも強みです。まだ力不足ですが周りの助けを借りて力をつけていきます。

杉本弁護士 私はアドバイザーですが、手も出しています。私のノウハウは全部あげるから、それ以上になって欲しいですね。いま社協は凄く頑張っていますよ。最初は辛いでしょうが、理想の高い最先端のセンターを創ったのだから腐らせてはいけません。周りの空気をみながらケースを重ねて力をつけていけばいいんです。

 成年後見の仕事は、本人がしたい生き方をさせてあげるお手伝いです。本人が自宅で暮らしたいなら、お金があれば各種サービスを使えばいい。お金が無いならそれなりに工夫してあげるんです。施設に入れた方が家族は楽かも知れませんが、後見人は本人の見方になってあげないとね。必要なのは「ハート」と「動くこと」です。社協は動く組織ですから大丈夫ですよ。

──センターの職員は3人ですね。今後増やすのですか。

杉本弁護士 人を増やすだけでなく、弁護士や司法書士の力を借りることも大切です。

豊田市福祉部・安藤亨主査 人員体制が多いか少ないかという議論はありますが、福祉分野で重要なのは、いかに関係者が連携するかだと思っています。

杉本弁護士 先日、稲武地区で相談が1件あ
り、センターのスタッフと私で行ったんです。現地にはお婆ちゃん本人と、稲武の社協スタッフ、包括支援センターのスタッフ、それから地元のお医者さんも居ました。こういう4〜5人のチームがケース毎に出来て、どう支援していくか考えるわけです。皆が少しずつ力を付け、後見人の肩の荷も軽くなりますよ。

──初年度はセンターの周知に力を入れるそうですね。

永井センター長 まずは制度やセンターの役割を関係者に周知することが重要です。

杉本弁護士 いろいろな関係機関の協力が必要になりますからね。最もコラボが要るのは医療や介護の現場です。それから金融機関、意外なところでは不動産業界もです。これまでは認知症が進んだお爺さんの自宅を家族が売ってしまうこともありました。大きなお金が動きますし、本人の意志が尊重されにくいケースです。ですから不動産業界とのコラボも視野に入れてます。

市役所は件数より支援の内容を評価

2面・成年後見センター・写真②.JPG──日進市を始めとする5市1町の「尾張東部地域後見センター」はすごく優秀だと言われていましたね。

杉本弁護士 成年後見のプロである社会福祉士が中心になったNPOが運営しているので、頭脳も実働も担っています。小さな市町で人材が少ないので、後見センターに任せている形ですね。

──みよし市はどうするのでしょう。尾張東部に仲間入りですか?

杉本弁護士 尾張東部は名古屋裁判所の管轄ですが、みよし市は岡崎裁判所の管轄です。救急車が運ぶ先も豊田です。

──となると豊田のセンターに仲間入りした方が良さそうですね。

杉本弁護士 そうかも知れませんね。まず、みよし市の職員が実力をつけてからです。

──成年後見の相談は今後かなり増える予想ですか?

安藤主査 高齢者が激増する2025年問題が叫ばれています。その頃には相談も増えるでしょうが、高齢者はすべからく成年後見が必要というわけではないので数字が読みにくいですね。運営する社協は数字を問われがちですが、後見制度はいろいろな連携と調整が必要ですし、家族の支援が必要なケースもある。件数でなく、1件1件しっかり支援構築できたかを評価すべきだと考えています。

──相談や問合せはありますか。

山下智美係長 病院や包括支援センターなど関係機関からも連絡を頂いてますし、新規相談もあります。認知機能が低下したお爺ちゃんが入院し、お金をおろすのに後見人が必要となった家族の相談もありました。銀行からの紹介です。

安藤主査 私たちが忘れちゃいけないのは、本人の意志を尊重したり、意志決定の支援をしたりすることです。無い袖は振れませんが「認知症にならなかったら本人はこう望んだよね」という部分は加味しなきゃいけない。ですから自分のことを書き残す「エンディングノート」の普及にも取り組んでいきます。

──エンディングノートはセンターで貰えるのですか。

山下係長 そうしたいと思って準備を進めています。意外にもエンディングノートの問合せが多いんですよ。いま皆さんに待って頂いているところです。

──ありがとうございました。

豊田市成年後見支援センター 座談会 前編

 超高齢化時代に対応して整備された重要な仕組み「成年後見制度」の利用を広めるため、豊田市が今月1日、市福祉センター内に「成年後見支援センター」を開設した。運営は社会福祉協議会に委託されている。成年後見人とは、高齢者や障がい者など判断能力が不十分な人の権利と財産を守る人のこと。本人に代わり各種支払いや福祉サービス利用の手続き行う。

 センター運営に関わる皆さん(写真)で座談会を開き、今週号と来週号で掲載する。

福祉現場の課題を聞き全国最先端のセンターに

 ──超高齢化時代に向けた取組として、豊田市は今月1日、福祉センター内に「成年後見支援センター」を開設しました。全国でも最先端の内容だと聞いています。市福祉部の立場、業務委託で運営する社会福祉協議会の立場、アドバイザー弁護士の立場から、豊田市成年後見支援センターが目指す姿をお話しください。

杉本みさ紀.JPG アドバイザー杉本みさ紀弁護士 成年後見制度というのは、国が介護サービス制度を始めたのと同時に、自動車の両輪のように進めようとしたものでした。でも介護サービス制度だけが進み、後見制度は遅れたんです。基本的な柱は高齢者や障がい者の〝意志決定の支援〟です。

 国がいろんな法整備を進めて、市町村に成年後見センターの設置を進めさせてきた流れがあります。1自治体で創ったり、尾張東部のように5市1町でまとまって創ったりと、いろんな形で出来てきました。豊田市はやや遅れましたが、様々な課題が見えて来たところで昨年1年間かけて創ったんです。企画の段階で驚いたのは市職員の熱意です。先進地や優秀な弁護士に話を聞いて勉強し、裁判所にも教えて貰って、今ある課題をすべて網羅した全国最先端のものを創りました。これから2〜3年かけて実行していくのですが、そのための仕掛けが最初から盛り込んであります。活用していく中で足りない仕組みが無いようになっているんです。そこが最先端なんですよ。

 成年後見は裁判所が管轄する制度ですが、裁判所もこの制度だけにマンパワーを増やすことはできません。それに、裁判所は地域の特性までは知らないわけですよ。それで国がいま考えているのは、ある程度の部分は市に担わせようということです。例えば、稲武の人の後見人に岡崎の弁護士をつけたら遠すぎますよね。そういうマッチングは豊田市の中でした方がいい。そういう役割分担です。将来的にそうなっていく流れですし、豊田市がつくったセンターはそれを担えるようにしてあります。

後見制度への理解醸成するのが課題

 ──大きな課題は?

 杉本弁護士 後見制度は関係者の理解が浅いと上手くいきません。後見人の負担が重くなりすぎるんです。
 ──例えばどんな例がありますか。

 杉本弁護士 理解が浅い施設だと、家族と同じ扱いで、後見人に紙おむつを買ってこさせようとします。そこで断ると角が立ちますので、あとで顔色を見ながら「これは後見人の仕事じゃ無いんですよ…」とつぶやいて、気づいてくれれば次は施設が買っておいてくれたりします。でも、紙おむつを買うのは施設の仕事でも無い。人の生活ですからそういう隙間がどうしてもあります。理解と協力が必要です。

 ──他にも例はありますか。

 杉本弁護士 後見人が金融機関へ書類を持っていった時、理解の浅い金融機関だと、何枚もの書類を用意させようとします。裁判所で審議された結果ですから書類1枚で良いのですが、そこでも上手に説明しないと角が立つわけです。

──まだ後見制度への理解が地域に広まっていないわけですね。

 杉本弁護士 そうなんです。家族や施設のためでなく、本人の意志を形にしてあげるのが良い後見人だという理解が醸成されて、そういう後見人が増えていくと、上手く回っていくと思います。仕組みは良い制度ですからね。それから、マスコミの影響もあって後見人というと不祥事の印象もありますよね。そういう刷り込まれた印象を払拭しなければいけませんし、逆に言えば後見人の不祥事は絶対に許しちゃいけませんね。

安藤亨.JPG 豊田市福祉部・安藤亨主査 後見制度の相談はこれまで市役所の地域福祉課と障がい福祉課が窓口でした。でも制度の簡単な紹介しかできず、その人の実際の状況やケースに合わせた案内は難しかったんです。知識も少なかったし体制も整っていませんでしたから。
 一方で、高齢化が進むと重要な制度だと分かっていたので、しっかりした支援制度を整えようということで、平成27年度から市役所内で検討を進め、28年度には弁護士、司法書士、社会福祉士、社会福祉協議会などに集まって頂き、設立検討委員会を立ち上げました。そこで現場の様々な問題や課題を聞き、その全てに対応できるセンターを創ったんです。
 裁判所に書類を揃えて申請する「申立」は複雑で手間が掛かりますが、申請する家族も高齢なケースがあるわけですから、そのお手伝いの仕組みも創りました。また、窓口で待っているだけでなく、包括支援センター等と連携してお宅に足を運んで話を聞く訪問型を軸にしました。そうやって現場の声を盛り込んで立ち上げたんです。

 ──社会福祉協議会に運営を委託したのは?

 安藤主査 社協さんはお金の管理が不安な人の支援事業をしていますし、生活困窮で家計を管理しなければいけない人の支援事業もしています。さらに包括支援センターや、障がい者の相談事業もやっています。それらとセットにすることがしっかりした支援につながるだろうと考えたんです。ご購読はコチラ.pdf

豊田地区ロータリー・ライオンズ新体制スタート

豊田地区のロータリークラブと、ライオンズクラブの新年度体制(右表)が7月1日スタートした。豊田中ロータリー新年度会長の中垣さんと、豊田ライオンズ創立時メンバーの土井さんに話を聞いた。

豊田中ロータリー中垣建設(株)社長 中垣幸春さん(56)

人の性格や価値感から学ぶ

5面・ロータリー・中垣さんJPG.JPG──ロータリークラブでは奉仕と親睦の両輪が大切だと聞いています。豊田中ロータリーの奉仕活動についてお聞かせください。

中垣さん 継続事業では毎年5月30日に、豊田大橋〜豊田市駅周辺の「ゴミゼロ」運動を行っています。また創立15周年を迎えた2017年からは市内こども園に絵本を贈っています。 

──新会長としてどのように舵を切っていかれますか。

中垣さん 会員は中小企業の経営者が大半です。一つの事業を行うにしても、みなさん忙しいなか時間をつくって出席してくれます。業種の違う人たちと出会い、活動することは縁合ってのこと。いろいろ助けられることもあり、役を引き受けるのも人生の勉強だと思っています。 私は人と交わることが苦手な性格ですが、誰とでも親しくなれる人や、どっしりと構えている人、常に向上心を持っている人など、いろんな考えの人がいます。それぞれの性格や価値観を受け止めて、学んでいきたいと思います。

──人前で話すことも増えたのでは。

中垣さん そうですね。これがなかなか難しい。語彙力に長けている人を改めてすごいと感じています。 私は豊田市南部の高岡地区に住んでいます。ロータリーの会議が都市部で開催されるため、新たな情報を得ることができます。このことはいろんな場面で役立ちますね。

豊田ライオンズ㈱土井精密 役員 土井文貴雄さん(90)

高度経済成長の中を生きる

5面・ライオンズ・土井さん.JPG ──豊田ライオンズクラブの創立時メンバーだとお聞きしています。当初のことをお聞かせください。

土井さん 私が豊田鉄工に勤めていた35歳のときです。創立メンバーは50人程でした。認証式典は豊田市体育館敷地内にある公民館で開催しました。土砂降りの中、国内外から約1千人が集いましたよ。パレードも予定されていましたが雨で中止になりました。

創立披露パーティーは挙母小学校の体育館で行いました。トヨタ自動車の協力もあって、抽選会で「パブリカ」が当たるということも注目されてましたね。高度経済成長の勢いがめざましいときでした。会員の奥様たちにも協力してもらい盛大に行いました。私はグランドで駐車場係をしていました。来賓・来場者が帰った後、会員みなで明け方近くまでグランドの整備をしたことを思い出しますね。
 ──ライオンズクラブ国際協会創立者のメルビン・ジョーンズ氏についてどのように思われますか。

土井さん 「われわれは奉仕する」をモットーに掲げる、ジョーンズ氏の志や目指すものを知ったとき、本当にすごい人だと思いました。

 終戦後の1962年、日本全国から選ばれた経営者・会社役員ら10人が米国務省から招待され、生産管理の研修をさせていただいたときのことです。ジョーンズ氏ご本人に会って奉仕の心ついて意見を聞きたいと思い、米国シカゴ市の本部へ行きましたが、半年前に亡くなったと聞き、とても残念でした。 

 ──豊富な渡航経験などもふまえて、いまの日本をどのように感じていますか。

土井さん 昭和30年〜40年の頃は残業時間も多かったのですが、それも当たり前の時代でした。会社での事故は自己責任でしたね。いまは食べ物や物資が豊かな世の中ですが、人の心のおおらかさが少なくなったように感じます。ご購読はコチラ.pdf

笑劇派順風満帆 南平座長インタビュー後編  2017.04.07

 豊田都心のシティプラザ2階に事務所を構えていた「劇団笑劇派」が3月上旬に平戸橋町へ移転し、4月5日には法人化して新たなスタートを切った。座長の南平晃良さん(36)にインタビューし、先週号の「前編」では旗揚げして依頼の浮き沈みについて紹介。今週号の「後編」ではドン底から再浮上したきっかけや、今後への想いを紹介する。


5面・笑劇派・左下写真.jpg──劇団のドン底時代は経営面も苦しかったでしょうね。

南平座長 2009年〜2011年の3年ほどは本当に苦しかったです。一時期は200公演を超えていましたが、80本も仕事が減り、「こんなに仕事がないのかっ!」って感じでした。劇団の銀行口座に2千円しか無かった時には焦りましたよ。でも劇団一筋でないと気持ちが離れてしまうと思いアルバイトはしませんでした。地元の人たちが可愛がってくれ、助けてくれたのが本当に有り難かったです。

──ドン底から浮上したきっかけは?

南平 豊田消費生活センターから「悪質商法をテーマにした劇で交流館を回って欲しい」という依頼が来たんです。交流館なら地域の人が見てくれ、内容さえ良ければ口コミで広がります。依頼の予算は限られていましたが全部受けました。それがきっかけで一気に広がり浮上できました。

 ちょうど同じ時期に、全国の高校や中学の芸術鑑賞会で公演する話も入ってきました。高校で90分の劇を上演してくれという依頼です。最初は75分程しかもちませんでしたが、2回目、3回目とチャンスを頂けて、苦しみながらも90分間もつようになったんです。

──それ以降は順調ですか。

南平 そうですね。裕福ではなくても、仕事分のお給料を渡せるようになりました。

──いま年間の公演回数は?

南平 一昨年が190件くらい、昨年は170件くらいです。社会的課題を演じる劇団だと浸透したのか、「情報モラル」「ラインの正しい使い方」「イジメ」「心の健康」など、リアルタイムで起きている問題をテーマに依頼されるのが最近の傾向です。そんなテーマでも笑いは要るので、ボケ役、ツッコミ役、真面目な役と、うまく配役して創りげています。クライアントが求めるテーマですから直球勝負です。僕はその方がやりやすいですね。とことん調べればいいですから。

──全国公演はこれまでに27都道県を回ったそうですね。

南平 高校や中学の芸術鑑賞会を専門にしている業者さんがあって、そこから全国の学校へ企画書が送られます。そこで笑劇派が選ばれ、スケジュールが合えば公演に出向くという形です。良い音響もつきますし、出演料もしっかり頂けるので、劇団を磨くには凄くいい仕事なんですよ。

──今回、豊田都心から平戸橋町へ事務所移転したのは何故ですか?

南平 シティプラザの事務所は2階なので舞台道具を運ぶのも大変でしたし、劇団の経理担当者が電動車いすなので、彼のためにも平面の広い事務所がいいなと思っていたんです。ちょうどシティプラザが3〜4年後に再開発にかかるかも知れないと聞いたのでもっと読む.pdf

笑劇派新たな幕 劇団事務所を移転し法人化 2017.03.31

 豊田都心のシティプラザ2階に事務所を構えていた「お笑い劇団・笑劇派」が3月上旬に平戸橋町へ移転した。4月には法人化し、劇団名も改めて新たなスタートを切る。高校在学中に旗揚げしてから今日までの浮き沈みや、現在の充実した劇団活動について、座長の南平晃良さん(36)に新事務所で話を伺った。今週号と来週号の2回に分けて掲載する。


2面・笑劇派・写真.jpg──劇団を旗揚げしたのは猿投農林高校に在学中でしたね。

南平座長 高校2年生のとき名古屋吉本に通って勉強して、3年生の時に旗揚げしたんです。場所は平戸橋一区公民館でした。その当時の区長さんが、この新事務所のオーナーの山田さんです。ご縁ですね。

──旗揚げ当初は若かったですし、何かと苦労されたでしょうね。

南平 最初は9人で同級生ばかりでしたが、友人知人を呼んで一時は20人くらいに膨れあがったんですよ。3分の1は幽霊団員ですけどね。同じ歳ばかりなので話し合いをしても平行線ばかりです。衝突もあったし内部分裂もありました。いま思えば団員たちの気持ちに温度差があったんでしょうね。

 そのころ豊田市駅前のふれあいフェスタに出演させて頂き、商店街の人たちに気に入って貰えて、期限付で1年半ほど常設の劇場をやらせて頂けることになりました。

──盛況でしたよね。

南平 商店街の皆さんのおかげですね。メディアも凄くとりあげてくれました。でも半年くらい経って、お客さんからお金を取るかどうかなどの活動方針で衝突があったんです。僕はお金を取るにしても微々たるものでいいと思っていましたが、「バイトを休んだ分だけ補償してくれ」と言う団員もいたんです。それで分裂して半分くらいは退団しました。残った半分とオーディション採用の新人で、また9人で再スタートです。でも、週末に100円ライブをやっても客足は伸びませんでした。そのうちに駅前再開発の話が進んだので、十塚町のビルに移転して出張公演中心の劇団になりました。でも、それまでライブばかりやっていたので営業が弱かったんですよ。いただける仕事といえば子供会とか敬老会などでした。いま思うとそれが良かったんですけどね。

──そのあと駅西のシティプラザ2階に移転しましたね。

南平 駅前に移転したいと思っていた時、たまたまT-FACEの社長が「あそこが空いているぞ」と声をかけてくれたんです。それから10年間あそこで活動しました。激動の10年でしたね。

──飛躍のきっかけは?

南平 愛知万博だったんですよ。八草駅に豊田市インフォメーションプラザがき、間もなく市町村合併する豊田市のPRコーナーで司会やモリゾー・キッコロの中身をやらせて頂きました。ギャラも跳ね上がりましたよ。

──そこからですか、プロと言える劇団になったのは。

南平 そうですね。そのころ劇の公演は少なくて、コンビで漫才に明け暮れる毎日でした。名古屋の大須や東京の浅草でもやりましたよ。交通費の方が高いくらいのギャラでしたけどね。

 その頃「東海圏で名を売るなら30分は芸が持たないと仕事はないぞ」と言われ、とことん漫才で30分持つように場数を踏ませてもらいました。地元の豊田でもロータリークラブやライオンズクラブの皆さんが可愛がってくれました。漫才中心でしたが、防犯とか消防のテーマで劇をするようになったのもその頃です。漫才も劇もいい方向に進んでいました。劇団の運営のヒントを頂いたのもその頃です。無茶苦茶に忙しかったなぁ。

──漫才コンビを解散したのは?

南平 相方と考え方の違いが出てきたんです。僕は劇団を何とかしたい想いが強かったのですが、彼女は漫才で売れたい想いが強かったんですね。それで煮え切らないことになり、解散して、相方が退団したんです。そこからはドン底に落ちました。

──いま主力のあかねちゃん、晴香ちゃんが入団したのは?

南平 相方が退団する直前くらいです。新人のこの子たちのためにも解散はできないし…と悩んでいました。

──そんなドン底状態で踏ん張れたのは何故ですか?


南平 2カ月後、3カ月後、半年後に公演予定があったからなんです。裏切れないという思いでしょうね。そこからは劇の公演が中心になり、やっと劇団らしくなった気がします。もっと読む.pdf

矢作川研究対談⑫ 河川漁業の経済学は? 2017.02.10

高橋勇夫代表
▽たかはし河川生物調査事務所(人と川・アユの関係研究所)の代表者。
▽1957年高知県生まれ。長崎大学水産学部卒。元西日本科学技術研究所生物室長。東京大学で農学博士号。
▽元矢作川河口周辺海域調査委員会委員、天竜川天然資源再生連絡会委員、高知県河川委員会委員。
▽高知県香南市

9面・高橋さん写真.jpg新見記者 今から10年前の2006年から3年間、豊田市をはじめとして全国3カ所で「天然アユを増やすと決めた漁協のシンポジウム」を開催しました。その頃と比べて内水面漁協(河川漁協)は変わりましたか。

高橋代表 当時、私は漁協が天然アユを増やす方向にシフトできると考えていましたし、漁協にもそういった空気がありました。ところがそれから10年、何の変化もないままです。歳を取った分漁協がアユや川のことを分からなくなっていると感じています。

新見記者 例えば、どんなことが…。

高橋代表 アユが釣れなくなったから調べてくれという話が来て、調査するわけですが、潜って川の状態を写真撮影したり、アユの個体数を計数したりした結果を報告書にまとめて提出すると、ほとんどの漁協の人たちは驚きます。こんなことになっているのかと。川の状況を見ることができていないんですね。

 漁協はこれまで何をしてきたかというと、県からの指導に従って、稚アユの放流を続けてきただけです。その結果、天然アユがいない河川での漁協経営はほぼ100%赤字です。高齢ゆえの諦観や将来に対する無責任さも露わになってきています。そんな中、漁協や釣り人が思いつくのが、かつてバカ釣れした琵琶湖産アユの放流です。20年以上前の成功体験にすがり、そして、高い確率で失敗しています。

 この対談の中で、多くの河川でアユの大量死が起きている可能性があることをお話ししました
が、その原因となっている冷水病は稚アユの放流によって全国に蔓延しました。漁協が無批判に放流を行なってきたことを考えれば、漁協は冷水病を蔓延させた当事者であり、大量死の加害者ということになります。

新見記者 そんな行き詰まった情況の中で、内水面漁協は今何をするべきですか。

高橋代表 漁協が存続するうえで重要なのは、天然アユ資源をうまく利用することです。おそらくそれ以外に道は無いと思います。稚アユの放流も併用せざるを得ませんが、放流への依存率をできる限り下げるということです。それからもう一つ大事なことですが、「天然アユとは誰のものか?」という議論がありますね。一般的にはみんなのものと言われるが、古川彰教授から「みんなとは誰か」と反問され、苦になっていた。最近やっと納得できる答えが見つかりました。みんなの中には未来の人々が含まれているんですね。それを無視することは倫理に反しますよ。

新見記者 内水面漁協を立て直す糸口は?

高橋代表 矢作川漁協には100年という堂々とした歴史がありますが、多くの内水面漁協は水資源開発を推進する際に補償の受け皿として戦後に作られたといういきさつがあります。そのためか「自主的な事業体を通じて経済的、社会的、文化的なニーズをかなえる」という協同組合本来の役割意識が希薄です。それゆえに組織に魅力が乏しくて、若い人の加入が少ない。遠回りですが協同組合の本来の姿に戻ることだと思います。社会的な意義を高めない限り世代交代ができず、存続は難しいでしょう。

 しかし、そういった世代交代がうまくいき、協同組合本来の役割を果たすことができるようになれば、漁業権は河川の環境を保全する上での強力な道具になり得ます。もしこれがなくなってしまうと、今の日本の社会構造では河川環境は保全しきれないと考えています。河川漁協の正念場だと思います。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談⑪ 矢作川は天然アユ路線を充実 2017.02.03

高橋勇夫代表
▽たかはし河川生物調査事務所(人と川・アユの関係研究所)の代表者。
▽1957年高知県生まれ。長崎大学水産学部卒。元西日本科学技術研究所生物室長。東京大学で農学博士号。
▽元矢作川河口周辺海域調査委員会委員、天竜川天然資源再生連絡会委員、高知県河川委員会委員。
▽高知県香南市

9面・高橋さん写真.jpg
新見記者 前号で高橋さんが矢作川を含む多くの河川でアユの大量死が起きている可能性があることを話されました。

高橋代表 ある時期に急に生息数が減ったり、アユのハミ跡が見られなくなったりすることがあります。その後も回復しないことから、一番合理的な説明が「大量死」ということになります。ただ、魚の大量死は急性中毒や酸欠のような特殊なケースでないとほとんど目に付かないため、認知されるケースは希です。でも、証拠がないから放っておいても良いということにはならないと思います。魚たちが川の危機を教えてくれていると考えるべきで、そこから対策も生まれてきます。

新見記者 そういう意味では、NPO矢作ダム研究会は重要ですね。

高橋代表 私が関わっている高知県の奈半利川では「奈半利川水系ダム検討会」が30年ほど前に作られて、以来、ダムや流域の問題とその解決策を延々と議論しています。その中から、「清水バイパスや「ダム直下への恒久的な置き土といった対策が具体化しようとしています。矢作ダム研究会もそのような息の長い議論の場になればと思います。

新見記者 ところで、高橋さんは天然アユ繁殖保護の仕事が長いですね。

高橋代表 私が天然アユを増やすことを生業にしてもう14年経過しました。成功例よりも失敗例が多いのですが、実感としては、適切な対策を取れば、ほとんどの河川で天然アユを増やすことは可能だと思います。

 奈半利川では、漁協や電力会社と対策を始めて13年が経過した。最初はうまくいかなかったのですが5年目あたりから目立ってアユが増えてきました。

新見記者 漁協と電力会社が協力してアユを増やすという事例は珍しいのでは?

高橋代表 普通は敵対しますからね。奈半利川での取り組みで予想外だったのは、アユが増えたことで漁協と電力会社が敵対関係から友好関係に変わったことです。フランクに話し合いができるようになったことは大きいですね。良い情報も悪い情報も共有できるようになったことで、電力会社もアユのことを真剣に考えてくれるようになっています。私自身、すごく大事な体験でした。

新見記者 矢作川の天然アユの未来をどう思っていますか?

高橋代表 矢作川の場合も天然アユを安定的に増やすことは可能だとは考えています。かつて本当に死の川だった東京都の多摩川でさえ、1000万尾ものアユが遡上していますから。ただ、矢作川の場合は、何が制限因子になっているのかが、まだよく分かっていないのではないですか?そのあたりを今一度整理する必要があると思います。15年以上前に作った「天然アユを増やすための16項目の保全目標」がいまだに大幅改訂されていないことも、ある面、不思議な話です。

新見記者 矢作川漁協では、友釣り専用区を拡大する予定です。友釣りは網漁などと比較すると乱獲につながりにくいので、事実上の「保護区」になると考えています。

高橋代表 そういった様々な対策を重層的に組み合わせていくことが大事だと思います。
 最近思うんですが、天然アユのような持続的な資源は未来の人たちにも権利がある資源なんですね。私たちはきちんと未来に引き継ぐ義務を抱えていて、それを無視することは倫理上やってはいけないことだと思います。持続的な資源を利用するうえでのルールと言ってもいいと思います。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談⑩ 川の生きものから人への「警告」では 2017.01.27

高橋勇夫代表
▽たかはし河川生物調査事務所(人と川・アユの関係研究所)の代表者。
▽1957年高知県生まれ。長崎大学水産学部卒。元西日本科学技術研究所生物室長。東京大学で農学博士号。
▽元矢作川河口周辺海域調査委員会委員、天竜川天然資源再生連絡会委員、高知県河川委員会委員。
▽高知県香南市

 新見記者 今回の「矢作川研究対談第3部」では、高橋さんから、①矢作ダムの洪水放流とアユの冷水病大量死の実態、②矢作川での今後の天然アユ繁殖の可能性、③今後の矢作川の漁業組織のあり方──の3点について、解説風にできるだけくわしくお話しを伺いたいと思います。

 高橋代表 最初に矢作ダム洪水放流による河川水温の低下とアユ大量死の関係ですが、矢作ダムからの放流水温のグラフを見せていただき、まったく驚いた。直9面・高橋さん写真.jpg近3年間だけでも毎年5度も水温変化が起きていた。特に平成26・27年には8度もの水温急低下でした。

 新見記者 そうです。

 高橋代表 人間なら気温が下がれば防寒コートを着て寒さをしのぎます。 ところがアユらは「変温動物」ですね。水温が8度低下すれば、アユの体温も8度低下する。アユに強いストレスがかかる。ショック死する個体がいるかもしれませんし、そうでなくても、「アユ冷水病」を発症し、大量死が起きた可能性は高いと思います。証拠のアユの死体が川底に残らないのはごく普通のことです。2016年も矢作川でアユ大量死は起きています。アユは一年魚だから産卵後の毎秋、自然死の大量死も繰り返す。昨年は天然アユ遡上量が多かったから、産卵ピーク1カ月だけで100万尾単位の大量の自然死が出たと推定できますね。それでも死体が目立つようなことはない。魚の死体というのは、もともと意外なくらい目立たないものです。

 新見記者 そう思う。それとは別に、今回の本論のダム放流による春夏のアユ冷水病大量死への各河川の対策は?

 高橋代表 天竜川では漁協と電力会社が共同で「モニタリング調査」を続けている。6〜7月に川の濁流が長期化すると川底のアユのハミ跡が少なくなり、もうハミ跡は回復しないことがわかってきた。その情報を漁協・電力会社・専門家グループが共有しているんです。

 高知県の早明浦ダムや鳥取県・日野川の県営ダムも、地元漁協・研究者・行政の協力でアユへの対策が進んでいる。今より良くする方策は必ずあるんです。大切ですね。

 新見記者 各河川には昔からダムはあったのに、なぜ今になってダム放流による冷水病でアユ大量死が起きるのか。

 高橋代表 私の想像の域を出ないが、20年ほど前日本に「アユ冷水病」が入ってきた。ダム放流などによる水温急低下でアユにストレスがかかる。アユの免疫力が低下、冷水病発症、アユ大量死に至る、というパターンになったと思われる。

 全国の河川で今、アユ大量死が起きている。私は川の生きものたちの人間社会への〝警告〟だと思っている。川底で生活する水生昆虫や小魚たちの運命はもっと苛酷では。

 新見記者 矢作川はどうすればよいか。

高橋代表 矢作川は対応が遅れているが、先に古川彰教授が「NPO矢作ダム研究会」設立を提唱された。同感です。

新見記者 今の矢作ダム放流基準は濁水対策中心だが、もう一つ、水温低下防止事業などの「河川生物保護基準」を加えなければ、という問題意識からの提案ですね。

高橋代表 そう思います。一緒に勉強しましょう。 ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談⑨ NPO矢作ダム研究会設立へ 2017.01.20

4矢作ダム写真.jpg古川教授 今回の矢作新報シリーズ「矢作川研究対談」(全12回)の大きな目標は、ダムで寸断の矢作川で「ダム無き川のような良き河川環境」をどう実現するか、ですね。

 その第1シリーズ(6回)は梅村錞二さん(元矢作川研究所長)担当の個別篇で、資料集出版や矢作川研究所を元気にする対策を提起された。

 その第2シリーズ(理論篇3回)担当は私、古川彰(環境社会学)です。すでにダム建設等の環境補償金を要求しない矢作川の良き伝統をご紹介しました。そして今回は矢作川の良好な河川環境管理実現のための大事な手段として「NPO矢作ダム研究会」(仮称)設立を提案します。

 最終第3シリーズ(理論篇3回予定)担当は高知県の〝海と川のアユ博士〟高橋勇夫さん(たかはし生物調査所)のご登場です。1994年7月に半官半民の豊田市矢作川研究所がスタートした頃、矢作川の天然アユ復活を矢作川の現地で指導された研究者です。

新見記者 古川さんの問題提起が実現すると、矢作川に「河川環境問題は補償金では解決しませんよ」という河川文化と、「みんなで川とダムを研究し、問題を解決しよう」という新しい河川文化が並ぶ。矢作川が輝いて見える。矢作川の人らが喜ぶ。

古川教授そうです。矢作川の人らを絶望させてはいけないんですよ。昨年7月の夏台風に襲われた矢作ダムは習慣的な対応策として、ダム湖低層の冷たい水をダムのゲートから一気放流した。そうしたらダム下流のアユたちに冷水病が発生した。水生生物たちは激甚被害だったのでは…。

新見記者 それが真実であることは釣人はもちろん、国交省や中電のダム関係者も承知している様子だった。真実を語り今後の対応策を研究しなければならない立場の豊田市矢作川研究所は死因を「迷宮入り」処理し、今後の対応を困難にした。

古川教授 新見さんは豊田市矢作川研究所の初代事務局長として、年報「矢作川研究」の巻頭エッセーを書いてきた。今回「アユ大量死」を書いたところその掲載に対し矢作川研究所長から断り状が来た。原文のまま内容を教えてほしい。

新見記者 ほぼ原文のままです。「昨年7月の矢作ダム放流による水温低下が冷水病を発生させ、アユ大量死が起きたと推測する内容は現時点では事実確認ができないため掲載内容にふさわしくない」。

古川教授 感想は。

新見記者 今の官庁内は〝市役所ファースト〟の管理職の個人主義が大流行ですよ。

古川教授 真理追究が本旨の矢作川研究所には大変不幸な時代です。矢作川研究所は全国的にもとてもよく知られた、ほんとうにいい研究所なんです。

新見記者 そうですよ。

古川教授 NPO矢作ダム研究会は少数派がよい。漁協・研究所・NPOで仲良く競争し、もう一つ新しい矢作川文化を創造したいですね。

新見記者 私は今年80歳だが最後までゆっくり仕事しますよ。NPO広報は「月刊矢作川」復刊などの経費のかかる手法でなく、NPOが矢作新報社と協定しNPOスペースを確保しては。 古川教授 一つの案ですよ。ゆっくり検討しましょう。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談⑧ 補償金で「河川環境」もう売らぬ 2017.01.13

9面・古川さん写真.jpg
古川教授 愛知・岐阜・長野3県の矢作川流域に約400人の読者を持っていた『月刊矢作川』誌は、文学や歴史趣味の人、釣人、河川環境派の人らの同人雑誌だった。

 全国の河川環境運動は、当初の公害反対型からエコロジー運動型へ展開した例が多いが、矢作川では〝川の文化〟の創造を目標にしていた『月刊矢作川』がエコロジー運動を始めましたね。

新見記者 そう思う。『月刊矢作川』終刊後の1994年7月、半官半民で「豊田市矢作川研究所」が設立された。「官」は豊田市河川課、「民」は枝下用水土地改良区と矢作川漁協。『月刊矢作川』主要メンバーがそのまま参加していた。

古川教授 『月刊矢作川』という同人雑誌は、豊田市矢作川研究所を生み落としてきた歴史があるし、以前から文化色の濃いエコロジー型の環境保護活動をしてきた。全100冊(一冊40ページ余)のバックナンバーが良く保存されて、環境社会学の研究対象でもある。それにしてもどういう人たちが100ヶ月も作り続けたんでしょうか?

新見記者 『月刊矢作川』の同人(発行者)は8人。皆んな壮年期(30〜50歳)の職業人。同人誌印刷所の2階に毎夜集まっては、執筆、編集、校正。自宅作業も多かったが、最後は編集会議を兼ねてここに集まった。『月刊矢作川』誌は〝夜なべボランティア〟が作ったんですよ。

古川教授 同人雑誌の100ヶ月の経営は?

新見記者 人気雑誌で良く売れていたから、経営資金難はなかった。ただ終刊でシメたら30万円ほどの赤字だったらしい。発行責任者(農業用水事務局長)と経理部長(政治家)が負担してくれたとあとでお聞きした。

古川教授 『月刊矢作川』は内容も面白くて、矢作川環境の未来を見つめるという編集方針がぶれずに素晴らしかった。

新見記者 編集長はトヨタ系企業の重役さんで本当の文人だった。子供の作文を含め、雑誌の全文章を添削していた。渓流の山釣の名人だった。同人雑誌が一般誌的な〝非文化〟へ流れる傾向に対し、編集長は〝夜なべの添削ボランティア〟で闘っていた。故人です。

古川教授 今の新見記者の「夜なべボランティア」の視点で、「長良川河口堰完成」と「矢作川河口堰建設中止」を比べてみたいですね。

新見記者 豊田市内の矢作川本流には既設ダムが七つあった。そこにもう一つ矢作川河口堰という名のダムをつくろうというんでしょう。矢作川漁協総代会が「河口堰反対」を議決し、三河湾の海面漁協と連合する情勢を整えた。矢作川はもう「国交省の補償金では河川環境は売りません」と宣言したんですよ。

 そこに工業用水の水余りが顕在化、愛知県が工業用水利権を放棄。矢作川河口堰は激突寸前に建設中止が確定した。長良川も水余りは共通だが、長良川河口堰は国交省と漁協の官僚らのなれあいで完成したのでは…。「夜なべボランティア」的な環境運動が未成熟だったと思う。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談⑦ 「月刊矢作川」復刊構想 2017.01.06

6面月刊矢作川.jpg新見記者 古川さんには『月刊矢作川』誌の全100巻に目を通していただいた上で、ご丁寧な批評をいただき感謝しています。

古川教授 梅村錞二さんと新見記者のこれまで6回の「矢作川研究対談」を読むと、最近は豊田市矢作川研究所の活動が停滞し、資料分散・紛失の怖れがある。その資料収集・編集・出版のためという「対談」の目論見がよくわかりました。すごく大事な視点ですよ。私も対談に参加させてもらった。

新見記者 これまでは個々の事例を収集してきたが、今回の第2部から今後どういう矢作川をつくっていくべきかという視点の議論の資料収集をしたいのですね。

古川教授 その理論篇的な「資料収集」がどこでもやられていない。

新見記者 資料は皆無だった。最近梅村錞二さんから「2人でダム問題を議論し、討論をシメては…」というご提案があったんです。

古川教授 毎月約40ページもの『月刊矢作川』を7人の同人で出してきたのか…。

新見記者 いやプロ級の編集長を入れると8人。彼は『山椒魚』や『ジョン万次郎漂流記』などを書いた小説家井伏鱒二の門下を名乗っていた。永井荷風と文通していた同人や、河川環境派の政治家の同人もいた。カメラマンも専属でいた。 さらに家族、子供も参加していたから毎号20人位は書いていたと思う。

古川教授 『月刊矢作川』の8人の同人の皆さんもライターも、文化人と釣人などの連合軍のような存在だった。

新見記者 私がほぼ専属の販売員だったが1冊400円の『月刊矢作川』を待っていて下さった。

古川教授 そうだったんですよね。あれは矢作川の「エコロジー運動」誌でした。次号の対談からは『月刊矢作川』誌の特徴をもっと多面的に話しましょう。雑誌づくりは楽しかったですか。

新見記者 毎号ね。今後のことですが『季刊矢作川』を発刊し矢作川研究再生に役立てる案は、梅村錞二さんとご相談したいですね。私は『季刊矢作川』発刊は一つの案だと気づきました。矢作川研究所も資料のまとめを始められるようだから、これで前進するのでは…。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談⑥ アユ釣れなくなった理由は? 2016.11.18

データ集約発表なぜ遅れたか?

山本敏哉.jpg梅村錞二(元豊田市矢作川研究所長、初代矢作川天然アユ調査会長) 市民団体の「矢作川天然アユ調査会」の皆さんと共に、天然アユの生活史調査、長年ご苦労様でしたね。

山本敏哉(豊田市矢作川研究所主任研究員・京都大学生態学研究センター後期博士課程修了) 調査会の協力があってこそ20年も続けてこられたんですよ。秋の川での産卵、冬の仔アユの降海、春の川への遡上、夏の川での成長、秋の降下等の矢作川の天然アユ生活史の基礎的情報が得られました。

梅村 私も最初から矢作川研究所と天然アユ調査会の共同調査にかかわってきた。矢作川のアユの生活史の概要は把握できたし、愛知県水産試験所の協力もある。ここらで調査結果を一冊にまとめる時期ではないか。

山本 個々には矢作川研究所の年報、月報、学会誌等に発表してきたが、一つにまとまっていない。来年から調査データの整理にかかりたい。

梅村 たとえばアユの遡上データが集約されていない理由は?

山本 調査精度の問題がある。明治用水頭首工の魚道は条件が揃っているが、それより上流の魚道は調査員不足等もあり、精度の面で科学性に欠ける点がある。

梅村 今後の展望は?

山本 ここ10年以上、天然アユの遡上は順調で、特に今年は1千万尾以上遡上した。しかしアユは中流域では釣れなくなった。河川環境がさらに悪化しているのでは。

梅村 具体的には?

山本 外科手術的に河川環境を改善するしかない。生物や河川工学の専門家で、今年「天然アユ生態調査実行委員会」を立ち上げた。

梅村 川底を外科手術的に手入れするのか?

山本 今まではアユの生態研究が主体だった。これからは20年間のデータを活用し、まずは小規模でも河床や流量等を改善し、生き物の反応を見るような実践的な研究を手がけたい。ダメなら違ったやり方を繰り返す。
 〈梅村あとがき〉右の山本さんのご発言は矢作ダム運用研究に関係するように思います。議論を発展させましょう。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談⑤ 調査実績の出版を望む 2016.11.11

矢作川先進事例資料散逸の怖れ

永友昌秀.jpg梅村錞二(元豊田市矢作川研究所長・初代矢作川天然アユ調査会長=豊田市西広瀬町) 最初1994年(平成6)7月に第3セクター(半官半民)の豊田市矢作川研究所がスタートし、その2年後の1996年に研究所を支援する市民団体「矢作川天然アユ調査会」が誕生して、矢作川研究所が非常に盛んになった。天然アユ復活が本格化するわけですね。

 しかし、2003(平成15)年4月に半官半民の矢作川研究所が市営研究所になった頃から、民間の矢作川漁協や矢作川天然アユ調査会も含め、「矢作川研究の停滞」が始まっているように思われます。これまで蓄積してきた研究資料が散逸してしまわないか…。今の世代が健在なうちに「資料集」を出版しておかなければ…。

永友昌秀(矢作川天然アユ調査会員・元トヨタ自動車生産管理=豊田市水源町)  資料出版は大事ですよ。今後の矢作川研究のためにもね。

梅村 天然アユ稚魚の遡上数量のことなどは来年から豊田市矢作川研究所でまとめてくれるそうだから、矢作川天然アユ調査会が扱った記録は会で資料にしておきたく、明治用水頭首工魚道での調査について永友さんに対談をお願いしました。

永友 矢作川漁協豊南支部に誘われてからだから、私が天然アユ遡上調査に参加したのは11年前(2005年=平成17年)頃から。家が近いのでそれからは天然アユ遡上調査のボランティアの日々だった。

梅村 当時、1シーズン(4月〜6月)で何尾位カウントしたのか。

永友 100万尾〜200万尾位、2人交代で手動カウンターで数えたんです。それを矢作川研究所で集計した。

梅村 長良川などからも遡上数の報告があるが、あれは概数か?

永友 計測時間外の早朝・夕方にもアユは遡上するから概数ですね。

梅村 いつから自動計測装置を設置したか?

永友 自動計測と手動計測の誤差がなくなるまで改良を重ね、2010年から完全自動に。これまでの目測とは違い、自動計測で科学的に正確なデータが出ますよ。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談④ ダム研究でドクターめざそう 2016.09.23

矢作川は「ダム研究」最優先課題

アユ調査会.jpg梅村錞二・元豊田市矢作川研究所長 矢作川のアユは平成に入ってから不漁ですよ。メダカやドジョウまで絶滅危惧種です。何が必要か…。

水野修・元矢作川天然アユ調査会長 いろいろ御指摘してきたが、第一に矢作川は本川だけ七つものダムがあることですよ。グチやケチだけではダメですよ。

梅村 ダムの弊害は濁水だけか。具体的には述べてほしい。

水野 どのダムも土砂とヘドロでいっぱいですよ。東海豪雨以降ひどいですね。今夏も雨が降らなくても終日薄い茶色の水が流れていましたよ。

梅村 矢作ダムの底はどうなっているのか。

水野 平成6年6月の大渇水の時、矢作ダムの底を新見組合長と一緒に調査に行ったが、ダム湖の底はヘドロ層。その上を細い川が流れ、ヘドロを下流へ下流へと押し流していましたね。

梅村 それで矢作川の水質はどうなのか。

水野 矢作川漁協のアユ養殖池は矢作川から水を引いているが、池に浄化装置を付けてもシルト、粘土が多く、一晩で浄化装置が目づまりしてしまってねえ。

梅村 どう対応すべきなのか。

水野 すべて矢作川の中で起きていることですよ。「矢作ダム湖」の中で起きたことですよ。矢作川研究所も矢作川漁協もダム研究をしていないですよ。

梅村 水野さんの問題提起を聞かせてほしい。

水野 われわれは矢作ダム湖の中で日々進行中の「汚濁の仕組み」を理解していないのかも…。

梅村 重要な問題意識ですよ。

水野 矢作川研究所は矢作川を研究する研究機関ですが、研究員の中で「ダム研究」をやった人がいますか。いないと思いますよ。

梅村 弱いところだと思いますね。

水野 ダム研究で博士論文を書く位の意欲が欲しいですよ。ダム研究をしなければ、矢作ダムと矢作川環境の〝共存〟関係はできませんよ。それより前に「ダム管理者との交流」「対話」ができませんよ。

梅村 大事な視点ですよ。

水野 梅村さんの前々からのご提案ですが、豊田市矢作川研究所の所長には研究職の専門家を置いて「ダム研究」の指揮をとってほしいです。われわれが理事をやめてからは、矢作川漁協もダム研究が弱くなった。

梅村 漁協元組合長の新見幾男さんやアユ研究者の高橋勇夫さんが、提案していたが、天然アユ時代の今は、ナワ張りアユをねらう「友釣り」だけでなく、群れアユをねらう「毛バリ釣り」(ドブ釣り)も推奨してはどうなのか。今の漁協は「毛バリ釣り」禁止ですね。

水野 前から関心をもっていた。子供や女性が喜ぶでしょうね。矢作川漁協、矢作川研究所、天然アユ調査会の切実なテーマかも…。天然アユ時代は「友釣り」と「毛バリ釣り」の両刀使いで、という案ですね。

梅村 面白いですよ。柔軟であっていい。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談③ 天然アユ稚魚捕獲・再放流システム 2016.09.16

ダム河川の未来開いた矢作川の汲み上げ放流

アユ調査会.jpg梅村錞二(豊田市西広瀬町四日市328) 矢作川最下流のダムである明治用水ダム(34㎞地点=豊田市水源町)の右岸(西岸)魚道には毎年、大量の天然アユの稚魚が遡上して来るでしょう。

水野修(豊田市東広瀬町圦池下43) 今春は調査史上最多の1000万尾遡上でしたね。

梅村 その遡上アユを魚道内で容易に捕獲できるように魚道施設を構造改良し、捕獲アユを上流ダム群の間やその上流域の河川へトラック輸送で放流するのが「汲み上げ放流」でしょう。

水野 ダムだらけの矢作川では汲み上げ放流は有効だと思いますね。

梅村 その汲み上げ放流施設の魚道の〝構造改造〟には水野さんの指物師のウデが役立った。

水野 前に島根県日野川の汲み上げ放流施設を視察していたので、それを改良しました。明治用水土地改良区と東海農政局の許可も早く出たし、当時は漁協も新見組合長の頃で短期間にできた。

梅村 矢作川は本流だけで7つものダムが存在する一級河川で、天然アユはスムーズには遡上できない。明治用水ダムの魚道内に汲み上げ放流用の稚アユ捕獲施設をつくり、捕獲稚アユをトラック輸送でダムを超えさせるという、水野さんらの発想は画期的だったし、水野さんの木工技術やネバリがないと、あれは未完に終わったかも…。

水野 危機感はあった。

梅村 汲み上げ放流を大規模にスタートさせたのは画期的だったが、課題を残したままでは…。

水野 天然アユ調査会と矢作川研究所は更に研究を継続・前進させ、漁業団体はその成果を活用してお金もうけをしなければ。が、矢作川はそこが停滞したままねむってしまった。前進がない。

梅村 具体的提案は。

水野 汲み上げ放流施設で捕獲した天然アユには常に成長不良のビリが多い。そのビリを美しい水の中で〝一時保育〟して成長させ、次々川に戻してやる。釣り人が待っているが、そのシステムができない。今の矢作川研究所はひどい停滞期なんですね。私たちも協力しますよ。汲み上げ放流をあと一歩前進させ、システムを完成させましょう。ご購読はコチラ.pdf

矢作川研究対談②・矢作川天然アユ調査会誕生  2016.09.09

新見幾男(元豊田市矢作川研究所事務局長) 天然アユ調査会というのは、豊田市矢作川研究所の調査事業を一手に引き受けてきた市民団体ですね。矢作川のウデききのアユ釣り師で、アユ研究志望のグループ。初代会長は梅村錞二さん、2代目が水野修さん(建具師)、3代目が宮田昌和さん(市職員)、4代目の現会長が新見克也さん(矢作新報編集長)ですね。

梅村錞二(元矢作川研究所長) 誕生は平成8(1996)年9月6日の午後7時だったよ。今でも覚えているが矢作新報社の1階の会議室に西日本科学技術研究所の高橋勇夫研究員を講師に迎え、アユ釣り仲間が10人ほど集まった。会議終了後の懇親会のアユ釣りの話になったら一気に会が盛り上がった記憶がある。

新見 設立の目的は明天然アユ調査会発足当時.jpg確でしたね。

梅村 平成に入ってアユの不漁が続いていたので、西日本科学技術研究所、豊田市矢作川研究所、天然アユ調査会の三者合同でアユの生活史を研究して、アユの良く釣れる矢作川にしようと…。

新見 調査は成果を上げましたね。

梅村 アユ釣りの技術は持っていても、アユ研究は素人ばかりだった。高橋さんから指示される通りにやったが、初めての経験だから面白くて熱心に取り組んだ。アユの卵をルーペで観察するのも最初だから夢中になったことを覚えている。川の早瀬から玉石を拾い、その表面に付着しているアユの卵を見つけた感動は今でも記憶にある。

新見 最初に調査3年計画を立てましたね。

梅村 アユは1年で生涯を終わる「年魚」だから生活史研究には比較的取り組みやすい。しかし一年で生活史の全てが研究できるわけではない。3年計画で手掛けることになった。最初のころはアユだけでなく、各河川の淡水魚類全体の分布についても調査していた。その当時調査した魚類相は今も貴重な資料になっていますね。

新見 初年度の具体的な調査研究は。

梅村 最初は主にアユの産卵場探し、アユの付着卵の発見と数、産卵場の広さ等の調査だった。今の豊田大橋の上流の早瀬から15~20㎝大の玉石を拾い上げ、ルーペでアユの卵探しから始めた。アユの卵など見たことのない者ばかりだから簡単には発見できない。アユの卵はこんな小さいのかとアユ釣りのベテランも驚いた。

 その年には何か所かの産卵場の位置、産卵場の親アユの大きさ、産卵親魚の海産と湖産の比率、産卵親アユの量の推定、親魚の成熟度、産卵時期、流下仔魚の体長、流下量、仔アユの発育状況等の調査研究を重ねた。

新見 2年目、3年目の調査研究は。

梅村 高橋さんの指導を受け会員(30〜40人)も増えた。2年目は天然アユの遡上時期、遡上数、体長と体重、孵化日、食性調査まで実施した。

 3年目はさらに調査範囲を広げアユを取り巻く環境の調査、流域全体の産卵場の調査、産卵親魚アユの状況、アユの成長、矢作川の利水の現況、水質の現況も調査した。3年間の調査結果からさらに課題を整理して保全対策を検討し今後の課題をまとめました。

新見 最初の3年間の調査研究からどんな課題が明らかになったか。

梅村 「矢作川アユ生態調査委託報告書」にまとめてあるが、短期的保全策10項目、長期的保全策6項目、合わせて「16項目」の課題が明らかになった。

新見 矢作川天然アユ調査会の20年間の調査研究の記録資料は、いまどこにあるか。

梅村 残念ながら調査会の調査記録はまとまった出版物にはなっていない。豊田市矢作川研究所が出版してくれるのを待っておらずに、「矢作川天然アユ調査会」が創立20周年記念の研究発表会を開き、「矢作川研究資料集」を早く出版しましょう。調査会員にはもう故人もいるし、私や新見さんのように高齢者が多いですよ。若い皆さんにもご協力を呼びかけたいし、豊田市矢作川研究所には所蔵資料のご提供をお願いしたい。

新見 それが矢作川研究の現実的な官民協力の出発点になるのでは。

梅村 特に調査会で活躍した人たちの元気なうちに手掛けないと、資料出版ができなくなってしまう。早くスタートすることが大事ですねご購読はコチラ.pdf

対談・矢作川研究の目標を明確に 2016.09.02

梅村錞二(元豊田市矢作川研究所長) 矢作川研究には長い歴史があります。豊田市矢作川研究所創設(1994)からだけでも22年ですね。

 その矢作川研究の記録、記憶をまとめておかないと歴史資料が散逸し、所在不明になる怖れありです。いま一つの危機的時代だと思う。

新見幾男(元豊田市矢作川研究所事務局長)矢作川研究の歴史が忘れられると、矢作川研究の明日の研究目標が立てられなくなる。いま矢作川研究の記録とその評価、さらには研究者の記憶を一冊の本にまとめ出版しておこう。そういう梅村さんの問題提起ですね。
1面・河川利用.jpg
梅村 一冊の本にまとめ、皆さんに読んで頂かなければ、将来の矢作川研究の目標が定まらない。最近の矢作川研究は長い停滞期ですよ。資料集を編集したいですね。

 この対談の中で、関係有志による特別委員会の設置を検討する。特別委員会が資料集を編集し出版する。会員を募り有料販売すればいいと思います。矢作川の未来を考える事業だから賛助会員もお願いしてはどうか。

新見 これまでの矢作川の「研究範囲」は?

梅村 ①流量②洪水③水利権④河川文化⑤河川環境…。
 新見 流量、洪水、水利権については、国土交通省、中部電力、豊田土地改良区に資料が保管されている。散逸の怖れはないですね。

梅村 そうですね。私たちが特別委員会で仮称「矢作川研究資料集」を出版する場合も、資料名と保管事務所名を明らかにし、一般にも分かるように若干の解説を書き加える程度でいいのでは。
 次の矢作川「文化」史には、全国でも非常に先進的な、独特な歴史があると思うが、その原点は何だったのか…。

新見 矢作川の水を使う各水利権者が他河川より早くから「共存共栄」の姿勢を確認し合っていたことでしょうね。学者も共存共栄の理論を構築してくれましたね。 

梅村 その「共存共栄」思想の先覚者は…。

新見 当時の「枝下用水土地改良区」(今の豊田土地改良区)の初代理事長の酒井鈴夫さん(県会議長)が共存共栄思想の理想主義者だったことが大きかったと思う。

梅村 当時、環境派の同人雑誌「月刊矢作川」(1977創刊)が矢作川流域で広く読まれていましたね。当時枝下用水土地改良区事務局長(現豊田土地改良区理事長)の三浦孝司さん(現県議)が発行責任者をしておられ、矢作川漁協理事の新見さんが主筆だった。

新見 矢作川研究の青春時代だったと思う。

梅村 その関係で、農業団体の枝下用水と漁業団体の矢作川漁協が豊田市の加藤正一市長に要請して、半官半民(第3セクター)の「豊田市矢作川研究所」が設立されたんですね。

 それから22年の矢作川研究史があるわけですが、その前史の「月刊矢作川」誌時代を入れると歴史はもっと古い。

新見 40年近くになる。その矢作川研究の前史の「月刊矢作川」誌時代に、先程の矢作川諸団体の「共存共栄」思想の原点が生まれている。全百巻の「月刊矢作川」誌は残っているが、忘れられていることが多いのですね。

梅村 たとえば…。

新見 今の矢作川環境思想の中心は「お金で矢作川の環境は売らない」という考えです。矢作ダムがドロ水を流した時でも、矢作川団体はダム管理者に補償金を要求すべきでない。ドロ水流出の再発防止対策を提案しようというのが、今の矢作川の環境思想ですね。

1面・会長&梅村さん写真.jpg これは「月刊矢作川」誌の読者が誌上に寄せた意見がもとになり、矢作川で生まれた環境思想ですよ。矢作川漁協は補償金による解決を国から提示されたが、矢作川河口堰の建設に同意しなかった。長良川とも豊川とも違う河川環境思想、つまり矢作川独特の文化が生まれたんですね。その原点は「月刊矢作川」時代にあったと思う。

梅村 最後に「河川環境」です。天然アユの生活史、つまり海から矢作川への春の稚魚遡上数、夏の成長状況、秋の川での産卵数。冬の孵化仔魚の海への降下数…。これを豊田市矢作川研究所と市民団体の矢作川天然アユ調査会が毎年共同調査してきた。

 リアルタイムで実数が発表され、原典資料は矢作川研究所の書庫に。その膨大な調査資料も一冊の資料集に収録しておき、解析したいですね。

新見 そうですよ。資料は解析しないと収集の意味が薄いですね。これが今の矢作川研究所の欠点ではないか…。 

梅村 資料の分析、解析までいっていない。今年は調査史上空前の1千万尾の天然アユが海から矢作川へ遡上してきた。これは矢作川の「生産力」(アユを大きく育てる川の能力)を超える遡上数ですよ。過去や今年のデータを解析していれば、今年の超大量遡上=豊作貧乏不漁危機に、何か対応できたかも知れない。

矢作川研究所は市課長級が指揮

新見 矢作川全般の  官民研究停滞は思  ったよりひどい。その中心的存在の矢作川研究所の停滞は危機的なんですよ。研究体制が古い。研究目標も不明確です。

梅村 私の前々からの指摘ですが、研究所のトップには権威ある研究者を置かなければ研究所は停滞します。事務職の所長では研究員の指揮はむつかしい。 しかし停滞しているうちに研究記録が散逸しては困る。矢作川研究所の研究顧問の古川彰教授にも指摘されていたことなので事情を話し、特別委員会をスタートさせましょう。

新見
 矢作川の研究機能が官民全般で停滞し、矢作川の現場では研究の価値が忘れられようとしていますね。

梅村 矢作川研究所に研究職の専任所長を早く置かなければ。

新見
 矢作川研究所は「1河川1研究所」でスタートした有名河川研究所ですよ。失望を甘く見ない方がいい。

梅村 そうですよ。

新見 去年7月に当地は夏台風に襲われた。矢作ダムが冷たい湖底の水を一挙放流したため天然アユに冷水病が発生し、アユの大量死が発生した可能性がありました。
 私の一つの仮説であることを明記し、矢作川研究所に対して事件の再発防止のため矢作ダムの「運用研究」をするよう提案した。
 アユ大量死の原因について「そういう証拠はない」と文書回答があり、私は見当外れの回答に深く失望した。その後も原因究明はありませんでした。

梅村 官僚的な回答ですよ。矢作ダムの運用研究が大課題だという認識がありませんね。ご購読はコチラ.pdf






コモスクエア独自イベントで集客を 
豊田市駅前通り南開発(株)新社長 蟹 昌弘 さん  2018.02.16

 コモ・スクエアの運営会社である豊田市駅前通り南開発㈱の新社長に、先月15日、蟹昌弘氏が就任した。オープンして10年になるコモ・スクエアを、中心市街地活性化の重要拠点としてどう運営していくのか聞いた。

蟹昌弘①.JPG――新社長に就任された心境は?

蟹社長 前任の板倉猛さん(5日永眠)が立派に経営してきたので非常に重責を感じます。健全な経営を行いながら、中心市街地活性化の起爆剤になるようコモ・スクエアの役割を果たしていきたいと考えています。

――改めて中心街におけるコモ・スクエアの役割とは何ですか?

蟹社長 豊田市駅前を1つのショッピングセンターと考えると、t‐FACEはファッションを、ギャザやキタラは飲食などを担っています。その中でコモ・スクエアは飲食と共に、オフィスや街に住む人たちの住居としての役割を果たしています。飲食店が多いのは飲食が街を造っていくという考えからです。人間の本能に基づく飲食が集まれば人も集まりやすく、その相乗効果で物販などにも人を呼び込めればと思っています。

 飲食テナントは好調キタラと組んで販促

――現在のコモ・スクエアの状況は?

蟹社長 飲食のテナントは好調です。長崎屋やアピタが撤退した後、駅前の衰退が目立ち空き店舗が多かったのですが、コモ・スクエアができてからは近郊の飲食店がテナントとして入り、今は空き店舗がなくなりました。中心街活性化の起爆剤としての役割を果たしていると考えています。

――中心市街地のさらなる活性化のため、今後はどのようなことをしていきますか?

蟹社長 昨年11月にオープンしたキタラと連携してイベント等を仕掛け、駅前に人を呼び込みたいと考えています。その時にはコモ・スクエア中心の広場を活かしていきたい。

――コモ・スクエア独自には何か新しい取り組みをお考えですか?

蟹社長 物販関係は郊外のショッピングセンターやアウトレットなどが中心となっていて集客力のある新しいテナントを誘致するのは難しいので、やはりイベントでの集客を図っていきたいと考えています。これまでもイベントは行ってきましたが、全て中心街と連携した企画でした。今後は周年記念祭や季節の催事などの販促に繋がるようなコモ・スクエア独自のイベントを、テナントの皆さんと協力しながら仕掛けていきたいと考えています。

 豊田スタジアムで開催されるサッカーやラグビーの試合などとの連動や、キタラ、イオンシネマ豊田と連携したイベントもしていきたい。

 また、お客さんへのアンケート調査ではファミリーで行ける店や畳のある店が欲しいという意見が多いので、従来のファミレスとは差別化した家族で行ける飲食店や、畳のある飲食店なども導入したいですね。

 街なかが活性化することで、コモ・スクエアとスタジアムの間にも商店街が拡大して欲しいと思っています。

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豊田をつなぐ接着剤に  2016.11.11

「ツーリズムとよた」キーマン 荻野光貴事務局長 インタビュー

 豊田市観光協会が来年4月に市から独立し「一般社団法人ツーリズムとよた」(仮称)に生まれ変わる。体質もガラリと変え、地域が稼げる環境づくり、収益を上げられる観光ビジネスの実践をしていく考えだ。
 企画運営のキーマンとなる事務局長には、新潟県妙高市出身の観光マン荻野光貴さん(44)を一本釣り。10月1日から現・観光協会で開設準備室長に就任している。どんな仕事をするのか荻野さんに聞いた。

1面・荻野さん写真.jpg──荻野さんが豊田に来て1カ月が過ぎました。この間にどんなことをしてきましたか。

荻野さん まずは色々な人にお会いして話を聞いています。その時には必ず、豊田の観光、食、遊びの場について聞いています。豊田の観光というと秋の香嵐渓が有名ですが、話を聞いてみると「香嵐渓は良いけど渋滞がね…」という答えが多い。皆さんイメージは近いようです。

──自分自身のミニイベントで、食べ歩きをしているそうですね。

荻野さん ええ、豊田市駅から放射状に食べ歩きをしています。このまちは食が薄いですから、何かヒントはないかと考えながらね。

──食が薄いとは?

荻野さん 皆さんに「豊田の名物は?」と聞いても、すぐに返って来ない。五平餅は出てきますが、それ以外が無いんです。でも気づいていないだけで、いつも食べている名物があるんじゃないか。そう思ってアンテナを張っています。

──旧町村地域の温泉などの泊まり歩きもしているそうですね。

荻野さん 時間があれば旅館などへ泊まりに行くようにしています。足助、小原、旭に行ったので次は下山や稲武です。泊まると空気感もよく分かるんですよ。ウェルカム度とかね。

 豊田に温泉があることはほとんど知られていません。温泉=観光、温泉=旅行ですよ。古くてもいい。そこに温かいサービスと料理があればいける時代です。個々の経営環境や時代背景を汲み取りつつ、より温泉街が活性化できるよう私の経験が少しでもお役に立てればと思っています。

──ツーリズムとよたは会員制だそうですね。

荻野さん豊田の観光を通じ、このまちを元気にしたいという理念に共感してくれる人たちと一緒に仕事をしていきます。タッグを組んだ皆さんが元気になっていく姿を見て「ああなりたい」「応援したい」という思いが徐々に増えればいいなと思っています。

──荻野さんは毎週、全国各地の観光業界の人を豊田へ招いているそうですね。

荻野さん 観光に携わって25年ですので全国にコネクションがあります。その中から毎週誰かを招き豊田を見て貰っています。私の目線だけでなくネットワークも活用して、外部のアイデアをミックスしたいな。

──人を呼んでくるのは良い考えですね。新しい血がどんどん入ってくるようなものです。

荻野さん いろいろな人に会って貰い、プレイヤー同士が直接つながってやっていく流れも作りたいと思っています。もちろん各地域のマインドは大切にします。上手につないでネットワークで人を動かしたいな。

都市の近くに自然、程よい距離感です

──豊田市の最初の印象はどうでしたか。

荻野さん 都市部から車で30分〜1時間の程よい距離に豊かな自然があるのが印象的でした。飛騨などと違い、都市の近くに川や山があるのはお客さんにも便利です。景色のいい川沿いの道も多い。素晴らしいですよ。

──ツーリズムとよたはどんな仕事をしていくのですか。

荻野さん 分かりやすくいうと〝接着剤〟です。足助と下山をくっつける、都市と小原をくっつける、食べ物と自然をくっつける…。点在している魅力をくっつけて観光商品にするわけです。そして人と人をくっつける。人を連れてきて、その地域のキーマンにくっつけて何かを生み出すんです。ツーリズムとよたはそういう接着剤のような仕事をしていきます。

──旧町村地域の観光協会の人たちは、まだツーリズムとよた発足に警戒心のような気持ちがあると思います。どう説明してきましたか。

荻野さん 各地区の観光協会の人たちには「俺たちは俺たちでやる」という気持ちがあると思います。その通りですよ。地域の魅力を磨いてもっとコアに、もっと個性的にして頂きたい。それはその地域の皆さんにしかできませんから。だけど、よそから来てくれるお客さんにとって足助とか小原とかは関係ありません。例えば小原地区の矢作川沿いに「寿楽荘」がありますね。対岸に旭地区の笹戸温泉があるのに、そのくくりではありません。観光的にはナンセンスだと思います。矢作川があることは素晴らしいですが、その川が境界線になっている。少なくとも川の両岸は手を組むべきですよ。

全国から知人の観光マン招きアイデアをミックス

──その手を組ませるのがツーリズムとよたの役割ですね。

荻野さん 小原は歌舞伎が有名ですよね。今はお客さんが勝手に来て、勝手に帰っていますが、それは勿体ない。バスで駅までお客さんを迎えに行き、美味しいものを食べに連れて行き、良い景色を見て貰って、そのあと歌舞伎を見て貰うのはどうでしょう。地元がつくる観光商品ですから、歌舞伎役者の家や人柄を見せてから鑑賞して貰うのもいいですね。ツーリズムとよたで案内状の送り方、予約の受け方、連れて行き方などの流れを作り、そのパッケージツアーを小原に戻して地域の財源を生む。そうやって地域ごとに儲かる仕組みを作ってさしあげる。そんなイメージです。もちろん受け入れ体制は整えて頂きますよ。今そんな話をして回っていますので、皆さんもツーリズムとよたの仕事が腑に落ちてきたと思います。

──各地域の観光地をつなげる点についてはどう考えていますか。

荻野さん 各地区で観光の強い点、弱い点を聞いてみると、例えば下山(三河湖周辺)は夏に強い。一方で隣の足助は夏は弱いそうです。となると、秋は足助から下山へ上がってもらう流れを作る。夏は逆に下山から足助へ下りて来てもらう流れをつくる。そんなつなげ方もありますよね。

──現在の豊田市観光協会は市商業観光課の中にありますが、法人化して市役所から出ることになりますね。事務所は多くの人が集まる場所に置くのですか?

荻野さん 私がディズニーランドのチケットを売るような観光商売をやるならそうします。そうでなく、よそから豊田へ来てもらう観光をするのですから、人が集まる場所に事務所を設ける必要はないと思っています。駐車場の隅のプレハブでもいい。事務所の維持費は抑えて少しでも発信に回したい。まず、くっつけること、発信することをやり、それで動いたものに対して必要であれば後押しをします。ですから事務所はどこでもいい。ただ、豊田を良くしたいと思う人たちが気軽に立ち寄れる場所がいいですね。思いもよらないご縁、情報、やる気と繋がり、私が考えもしなかったような動きが起きるかも知れませんから。ご購読はコチラ.pdf

豊田市副市長インタビュー 昭和55年入庁 同期同年コンビ 2016.08.12

 今年度から豊田市の副市長が2人とも交代し、事務部門担当には前議会事務局長の杉山基明氏(60)が、技術部門担当には前建設部長の礒谷裕司氏(60)が就任した。昭和55年に豊田市役所へ入庁した同期同年コンビだ。両副市長にこれまでの仕事、副市長就任の経緯や役割、力を入れていきたい仕事などについて聞いた。  【新見克也】


2面・杉山副市長.jpg──お二人は同期同年だそうですね。普段はどう呼び合っていますか。

杉山副市長 私は「礒谷」と呼び捨てですよ。

礒谷副市長 昔からそうだよね。私はあまり呼び捨てにしないので「杉山くん」です。

──まず、市職員時代の印象にのこる仕事を聞かせてください。

杉山副市長 私は昭和59年から5年間、都心整備対策室で豊田市駅西の再開発事業に携わったのが印象深いですね。巨大なそごう豊田店ができるということで地元から心配の声もあり、80回ほど説明会を開いたんです。大変でしたがやり甲斐のある仕事でした。

──平成7年から今春までの21年間は、議会事務局でしたね。

杉山副市長 議員さんがさまざまな先進地視察に行きますので、私もいろいろな経験、勉強をさせて貰いました。今でもよく視察内容を思い出
し、市政に生かせないかと考えますよ。

2面・礒谷副市長.jpg礒谷副市長 私は昭和63年から5年間、土木課で施設担当の仕事をしたんです。ちょうど勘八町の不燃物処分場を新たに整備する話があって、担当しました。また勘八町にとよた国際村をつくろうという話もあり、その仕事も兼務したんです。規模も大きいし幅も広
い。とてもやり甲斐のある仕事でした。

──そのあと水道局でを経て、都市計画課へ配属されましたね。

礒谷副市長 あれが私の転機になりました。それまでの技術系の仕事と違い、都市計画法に基づいた事務系のような仕事なんです。都市計画法なんて何も知りませんでしたから、課長命令で窓口業務を3カ月経験したんです。何か聞かれても答えられないので勉強もしました。地域での説明会もあるし、都市計画審議会もある。様々なノウハウが身につきました。

──そのあとが河川課に配属ですね。

礒谷副市長 東海豪雨のすぐ後ですよ。あの5年の間に、都心の排水対策で懸案だった一級河川安永川改修の国の事業採択を頂きました。それと併行して雨水対策マスタ
ープランを作り、そのあと防災対策課と一緒に洪水ハザードマップを初めて作りました。中身の濃い5年間でしたね。

──最後は建設部長でしたね。 礒谷副市長 河川課にいた頃に事業採択された安永川トンネルの完成式を、部長として迎えることができたのですから技術屋冥利につきますよ。市の仕事として二度とないであろう大事業でしたからね。

  突然の副市長  就任要請に驚き

──杉山副市長が就任されたのは4月1日ですね。副市長になられた経緯を聞かせてください。

杉山副市長 2月の市長選挙が終わった翌日、市長から「やってくれ」という感じで言われたんです。時間がないということで…。市議会3月定例会で同意を頂いたのですが、そのときの私は、その定例会をしっかり仕切らなければならない議会事務局長でしたので、副市長業務のことを考える余裕は無かったですね。ですから4月1日に副市長になってからは夢中でした。いまだに毎日が新鮮で忙しいです。

──礒谷副市長の就任は6月21日ですね。技術系の副市長は国土交通省からの派遣が8人・24年間続いてきましたので、内部登用には皆が驚きました。

礒谷副市長 そうですよね。国交省からの派遣が続くと誰もが思っていましたから、市長から声をかけて頂いたときは、「まさか…」ですよ。でも光栄なことですし、今後、技術系職員のチャンスが広がることにも繋がりますから受けさせて貰いました。長年つながれたタスキを途切れさせないよう、国や県とのネットワークを維持して事業が円滑に進むよう努力していきます。今はとにかく毎日が分刻みで忙しいです。まだ慣れません。

──市長が技術系副市長の内部登用を決断したのは、巨大事業の目途がついたからですか。

礒谷副市長 そうですね。今までは大きなプロジェクト事業が動き出そうとしていたりやらなければならない事業があったので、国との太いパイプが欠かせませんでした。もちろん今後も必要ですが、新しい巨大事業は少なくなってきたので、内部登用の判断をされたのだと思います。

杉山副市長 市役所の東京事務所が軌道に乗り、各省庁に顔を出して情報収集できていることも判断材料になったと思います。

 ──副市長の主な仕事や、力を入れたい仕事を教えてください。

礒谷副市長 豊田市は日本の縮図と言われますよね。産業都市でありながら農山村が同居し、少子高齢化の問題も大きい。もちろん豊田らしい元気な部分も多いので、それを生かして10年、20年、30年先を見据えたまちづくりを進めたい。市長がいろいろな施策を提案されるので、私たち2人が両腕になって支えていきます。
 私は主に国や県などの行政機関が相手ですが、杉山副市長は相手が地域や団体、議会と幅広いですから大変ですよ。

礒谷副市長 そうは言っても地域、子育て、福祉、保健、清掃、消防など各分野のトップに部長がいます。私の役割は彼らの思いをどう市長につなげるかです。二元代表制の一方である議会にどう相談するか気にかけながらやっていきます。

礒谷副市長 新しい大きな仕事としては鉄道があります。リニアが名古屋に来ると言うことで、名古屋・豊田間の時間短縮のため名鉄三河線の高架複線化が必要です。それに合わせて豊田市駅の改修の話も出てきます。

 いま駅も含めて豊田都心の将来像を議論していますよね。市民に喜んで頂けるよう、ハードだけでなくソフト策も含めてきちんと議論し、都心の環境整備を仕上げたいと考えています。

 ──いまスタジアムや美術館の観客を、どう都心の活性化や商売に結びつけるかが注目されていますね。

礒谷副市長 ラグビーW杯にむけて、相乗効果や外国人のおもてなしについて考えなければいけませんね。

杉山副市長 美術館は今回のジブリ展も前回のデトロイト展も人気でした。あの観客がどうやったら都心から歩いて行ってくれるのか、また、都心に戻ってくれるのか、智恵を出し合う必要があります。ただ歩いて貰うだけでは疲れてしまいますからね。

 ──市町村合併して10年が経ちました。評価できる点、まだまだ足りないと思う点について聞かせてください。

礒谷副市長 広域になって移動にも時間がかかるので、全てを把握するのは難しい。とくに心配なのは防災です。山村地域には川や急峻な山がいっぱいあって、市街地のようには防災に投資できないところも多い。このことは費用対効果の一言では片づけられないので、本当に危ないところは対策しながら、何かあった時にすぐ動ける体制を作りたい。資料が無い所もあるので、はやく現場を把握して対応したいですね。

杉山副市長 私は「WE・LOVEとよた」の形が市民に見えるようにしていきたいですね。理念は市長が語ってくれますし、条例を作る動きもありますので、その象徴と言えるような具体的な事象を打ち出していきたい。例えば先日のおいでんまつりでは、トヨタ野球部の都市対抗野球優勝パレードが、WE・LOVEとよたのイメージを市民に植え付けてくれました。そういうことがもっと有るはずです。合併地域もそれぞれに誇りがありますから、ひとくちに豊田市らしさというのは難しいですが、それらをくくる言葉が「WE・LOVEとよた」だと思います。地域の人や自然、物を生かして頑張ろうということですよね。

 都市内分権は軌道に乗り始めたと感じています。わくわく事業や地域予算提案事業が各地域会議の中で定着し、自分たちのものにしている。それを市がしっかり受け止めていけるかです。

 ──ありがとうございました。ご購読はコチラ.pdf

加納俊治さん追悼 貧乏生活でも心は貴族夫の一言で教師やめる
2015.10.02〜.09

3面・加納啓子さん.jpg ──俊治さんはいつ藤井達吉氏と出会われ、工芸作家の道を歩まれたのですか。

啓子さん お父さん(俊治さん)は大学生時代、栄養失調になったみたいです。そのため実家に戻ってきました。その後、終戦を迎え、頭の中がぽかーんとして、自分はどうあるべきかと迷ったみたいです。キリスト教を勉強したこともありました。

3面・ひと・加納俊治さん.jpg お父さんは人の噂で小原村の大野に偉い人(藤井達吉氏)が来たと聞きました。行った人は皆叱られて帰って来るというので、「ほいじゃ、ぼくが行って先生と対決してくる」と生意気に出かけて行ったそうです。

 お父さんは家にあがったとたん、先生に叱られちゃった。先生はお父さんの入室の際の動作を真似て、「キミは猿だ。うちを訪問する姿勢が全くなってない。帰りなさい」と言われたそう。お父さんのためにみんなが叱られて、大変だったと聞いています。

 お父さんが先生のところに行ったのは、父親の勧めがあったかもしれません。

──藤井達吉氏によって満たされるものや、引き込まれていく何かがあったのでしょうか。

啓子さん 戦争教育ばかりだったし、終戦後はほったらかしになっちゃったでしょ。自分の進むべき人生がわからなくなったみたいです。

 お父さんが藤井先生に「人生とはなんでしょうか」と聞いたら、先生は笑って、「バカだなぁ、人生は日々向上することだよ」「今日よりも明日、明日よりもその次の日、死ぬときが最高であれば、あなたの人生は満点だよ」と教えてくださったって。それから人生の指針がわかったといいます。 

スケッチ通して本質を知る


 ──藤井氏からほかにどんなことを教わったのですか。

啓子さん 講義は、サザンカとツバキの花の散る違いを調べてみようとか、石ころの形は日によって美しく見えたりそうでなかったりすることなど、些細だけど、ものを細かく観察し、その周りのものもよく見ることを学んだといいます。


登茂美さん 父はよく「ものの本体というのは、その場所に行ってスケッチをし、その周りも知ること」だと言ってました。「周囲があることによって、そのものが存在する。本体を知ることができる」とも。

啓子さん 人の生き方もそうだって。一人だけで生きとれるわけじゃないからと。
 ──藤井氏が実家の碧南市に帰るとき、俊治さんだけがついていったそうですね。

啓子さん お父さんが22〜23歳の頃だったと思います。先生のお手伝いとしてついていきました。1年くらいは朝から晩まで先生と一緒だった。

 先生があるとき、お父さんに「波を画いてらっしゃい」と言ったそうです。波は岩にぶつかり、描こうと思った瞬間に砕け、引いていってしまう。それが繰り返されるので、なかなか絵が描けない。お父さんはかなり困ってねぇ。

 先生に「絵を見せてごらん」と言われ時は、恥ずかしい思いでしぶしぶ見せたそうです。

 先生は、部屋に有名な画家の波の絵を何枚も用意しておき、それぞれの違いを見せた。お父さんはそれを見て、「ならば加納俊治はこうゆうふうに作品を表現すればいいんだ」って思ったそうです。

3面・登茂美さん・恒さん.jpg ──加納俊治さんは5人兄妹弟の長男ですが、東京外国語大学へ通われたのはなぜでしょうか。

登茂美さん はっきりとはわかりません。家を継がなきゃならないという意識はあったと思いますが、自分のやりたい何かを探したかったんだと思います。次男が百姓仕事をとてもよくやってくれたと話してました。

 ──俊治さんは地域との関わりはあったのでしょうか。 

啓子さん 区長をやったことがありましたよ。それから昭和47年の集中豪雨のときも、お父さんは先頭で指揮をとってました。裏山の清水が出たのでお湯を沸かして、村のみんなや自衛隊にお茶を出しました。行方不明になった人の捜索もしてましたね。

 あるとき、村のみんなが「としちゃんは何でもできるんだから、下仁木町から村会議員に出てほしい」と推しました。

 でもお父さんは絶対嫌だって。私も「お父さんが村会議員になったら離婚するわ」って言ったの。お父さんは和紙工芸に力を入れたいからと、村会議員出馬は断りました。

 ──啓子さんが工芸作家になられた理由は。

啓子さん 私は教師をしてましたが、2人目を授かったとき(27歳)に辞めました。お父さんが「妻の給料を頼りにしてしまうダメな男になってしまう。それが嫌だ」って言いました。私はお父さんについていかにゃいかんもんね。和紙工芸を始めたのは40歳くらいからです。貧乏生活でしたが心は貴族のような気持ちでやってきましたよ。

 ──登茂美さんにはどんな父親でしたか。

登茂美さん 作家としては厳しかったですね。自分の納得のいくところまでやり抜いていた。私に工芸の指導はしなかったです。父にとって私は女性であり娘であった。

 寂しがり屋でもありました。父を訪ねてきたお客様が工房の客間に座ると、自分の思いや考えをいっぱい喋るの。お客様が父の話を快く聞いてくださる姿は、父にとっても家族にとっても嬉しいことでした。

 ──病気療養中はどのようなことをお考えだったのでしょうか。

恒さん わたしとの話の中では、来年の日展に向けて細かい構想を練っていました。その題材が、父がよく利用していた千種駅のプラットホームです。

登茂美さん 題名は「ある日の千種駅」。8割方そうだと思います。


恒さん 父は「日常のなかに美しいものはあるんだ」「ぼくが一番先にやる。しかも出来上がった作品は今までとはまるで違ったものになる」と話してました。ご購読はコチラ.pdf

矢作新報30周年対談 豊田市政・川・森と共に30年

 矢作新報は昭和59年3月に創刊し、平成26年で30周年を迎えた。今回「矢作川と向き合って30年」をテーマに、第6代豊田市長(前々市長)の加藤正一氏(85)と当社の創設者である新見幾男会長による対談を行った。


1面・加藤市長・写真.jpg編集長(司会) 矢作新報の創刊は1984年、昭和59年です。今年で創刊30年を迎えました。加藤正一元市長と当社の新見幾男会長に30年を回顧して貰いたく対談を計画しました。

加藤元豊田市長 本当に矢作川とよく付き合ってくれた30年でしたね。

新見会長 加藤さんは6代目の豊田市長でしたね。矢作川の河川環境の再生を、初めて市の政策課題に位置づけてくれた市長でした。

加藤元市長 そうかも知れない。矢作新報の報道で矢作川運動が育った一面もあったな。

新見会長 矢作ダムができたのは昭和46年で、その6年後の昭和52年には、枝下用水土地改良区の事務局長だった三浦孝司さん(現県会議員)らと一緒に『月刊矢作川』という同人雑誌を創刊したんです。

加藤元市長 うん、そうだったね。私が議会事務局にいた頃かな。

編集長 矢作ダムの完成で都市用水の量は確保できたけれど、河川環境が滅茶苦茶になってしまった。それを解決しようとスタートした雑誌だった。僕の少年の頃です。

新見会長 県会議員の酒井鈴夫さん(当時枝下用水土地改良区理事長)に発刊の相談をすると、「いいことだ。三浦局長が担当する」と言ってもらえ、それで枝下用水事務局長の三浦さんが発行責任者を務めてくれたんです。森も水も綺麗にしなくてはけない。魚も増やさねばならない。当時壊滅状態だった天然アユも復活させないといけない。それが月刊矢作川の仕事でした。8年4ヶ月続けましたが、みんな仕事が忙しくなり、100号まで発行し、長期休刊中です。

加藤元市長 それで新見くんは矢作新報を創刊して、その精神を受け継いだわけだね。

新見会長 そうです。 矢作新報を創刊してすぐの事ですが、加藤市長には強い思い出がありますので、その話からしましょう。
 当時、当社の北側の雑木林を伐り拓いて、豊田市が「猿投運動公園」の造成を始めていました。豊田市自然愛護協会長の故・白凰公明さんと加藤市長との間で、公園の外周は自然林を残す約束をしていたそうですね。矢作新報の目の前なので、僕が現場を見ているように、白凰さんから指示されていたんです。

 ある時、残すはずの外周林をチェーンソーの作業員が伐り始めた。南側はおおかた伐られちゃって、次に東側も伐ろうとする時に、数人の子供たちが木に抱き付いてチェーンソーの作業を止めちゃったんです。ぼくたちのカブト虫の木を伐るな! そういうことだったと思う。

 僕はその場面を見ていないのですが、当社の事務員がそれを見て大慌てで僕の所へとんできた。「危ないから止めて!」
と。それで加藤市長にすぐ電話したんです。

2面・写真①・会長.jpg加藤元市長 うん、その電話のことはよく覚えているよ。

新見会長 加藤市長はすぐに指示して伐採をストップしてくれ、それで運動公園内の東側の自然林が残ったんです。今そこに毎年カブト虫が発生しています。

新見会長 加藤市長の時代に始まった印象深い事業の1つに「豊田市水道水源基金」があります。平成6年開始ですから、今年で20周年ですね。

加藤元市長 うん、あれは私が2期目のときに始めた事業だね。

新見会長 当時、水道事業管理者だった小島昌資さんは「慌てて事業をやっちゃ駄目だ。お金を貯めなければ」と言っておられましたが、市議会はどんどん事業をやるべきだという考え方だった。市は基金を使って、小規模な水源林の取得、旧町村の間伐支援、合併浄化槽設置への補助などを行ってきました。

 市議会がおとなしくなって事業推進のことを言わなくなり、事業がしばらく停滞していたので、怪我の功名で6億円余も基金が貯まった。そして近年、再び市議会から強い批判が出たこともあり、市は新年度から基金を放出して本格的に事業を再スタートさせます。


新見会長 目玉は矢作ダム湖と矢作第2ダム湖の愛知県側の湖畔林の買収です。川沿いの距離で7㎞ぐらい。急傾斜の山で林業をやれないので、すべて水源林として管理し崩れないように整備していくそうです。

加藤元市長 よい選択だと思いますね。市民の協力で水道使用量1トンにつき1円ずつ頂いている基金です。生きたお金になって安心したなあ。

新見会長 湖畔の山は全部で700haあるそうですが、売らない人もいるので残りは約500ha程でしょうか。このうち300haなら買えるということです。10年かけて買っていくわけですが、買った山はすぐに間伐整備を始めるそうです。市民に開放する「環境保全林」もできそうですね。

加藤元市長 私も上流の森林にささやかな貢献をしたいと思って、旭地区に山を買ったところなんですよ。8千坪くらいですけど、買った以上は間伐もしなくちゃいけないと思っています。

新見会長 8千坪というと広いですね。

加藤元市長 いや、広大な山の中でみると小さな点ですよ。

編集長 水道水源保全基金は、豊田市が全国に先駆けて始めた最先端の事業でした。どういう経緯で始まったのですか。


加藤元市長 あれはね、小島昌資くんが水道事業管理者をやっていたとき、水道料金を改定する話が出たんです。それで水道料金審議会をつくり、そこで出てきた話でした。あれは全国に誇れる事業ですよ。

新見会長 これから始まる湖畔林の購入は、基金の20周年事業として大手を振ってやればいいと思う。市民のお金が貯まっているんですから。

加藤元市長 この水道水源保全基金にしても、矢作新報が熱心に、矢作川のさまざまな環境問題の解決を進めてくれていたからこそ出てきた話なんですよ。矢作川環境の市民活動が市環境政策の底辺にあった。川の水や上流の森を大切にしなければならないという意識がすでに醸成されていたんです。市が思いつきで始めたことではありませんよ。

新見会長 そうですね。「水道水を1トン使ったら1円を出せ」なんて奇想天外な発想は、普通はなかなか出てこないでしょうね。

加藤元市長 豊田市矢作川研究所の立ち上げも同じですよ。矢作川の環境運動が底辺にあったからこそできたんです。

編集長 矢作川研究所の設立も、水道水源保全基金のスタートと同じ平成6年ですね。色々なことが始まっていて、その中の1つだったということでしょうね。

加藤元市長 そうなんです。そういう矢作川の青春時代のような時代背景があった。

新見会長 加藤市長が平成3年に、官民12人を近自然河川工法調査団としてドイツ・スイスへ派遣してくれたのは本当にうれしかった。12日間の視察から戻って市長室へ報告に行ったとき、「何を見てきたや」と聞かれたので、僕は「川の博物館を見てきました」と答えました。「博物館が欲しいのか」と聞かれ、「博物館はいらん。川の研究所をつくって欲しい」と答えた。すると加藤市長は「つくりゃいいがや。お金は市で出す。人材は自分たちで出せよ」と言ってくれた。

編集長 それで、トントン拍子で矢作川研究所ができたのか…。

加藤元市長 なぜ私の返事が良かったかというと、豊田市はまだ開発したり、工場を造ったりせねばならなかった。都市部で樹木を1本伐ったら、代わりに流域のどこかで1本植えなければ…という想いがあったんです。そういう意味で矢作川研究所をつくって、流域全体で自然環境を守ろうという発想だった。

新見会長 思いつきでなく、息の長い仕事をしてくれた。

加藤元市長 そう思ってくれると嬉しいね。

編集長 そのすぐ後に大問題になったのが、矢作川河口堰の建設問題ですね。

加藤元市長 そう、ありましたね。

新見会長 河口堰を造られたら矢作川は息の根が止まってしまう。回遊魚が海と川を往来できなくなる。反対運動は矢作川漁協が三河湾の漁協と組んでやりました。平成10年に決着したんですが、最終的には県が工業用水の水利権を放棄したんです。下流の水だから綺麗でないし、上・中流で取水した後だから水量は少ない。しかも値段が高かったですからね。

 建設反対運動の中で一番良かったのは、矢作川漁協の体質が変わったことです。当初、組合員1千人のうち半分ほどは個人として補償金を貰おうと思っていた。だけど当時は若い衆の勢いが良く、補償金を貰わないことを決議したんです。

編集長 その「補償金による解決はしない」という思想は今も矢作川漁協に根付いていますね。

加藤元市長 なるほどなあ、そういうことがあったんだね。

新見会長 「矢作川の環境問題は補償金による解決はしない」という漁協の体質改善で、いちばん困ったのは国交省で
す。中部電力も困ったでしょう。でも、中部電力は矢作川漁協を信用してくれるようになった。

 あれ以降、ダムが泥水を流したりしても矢作川漁協は補償金交渉を一度もやっていません。ダムの運用改善を要求してき
た。「問題は金じゃないぞ、水の質なんだ。それをどうするか矢作川研究所で研究してくれよ」となったわけです。

編集長 漁協のあのような体質改善は、矢作川研究所が無かったらやれなかったでしょうね。

加藤元市長 それはやはり、新見くん個人の功績だよ。個人の強い想いがそれを実現させたん
だ。今の矢作川があるのは新見くんが頑固さを貫いたおかげだよ。新見くんは幾つになったのか。

新見会長 加藤元市長は来月86歳でご健康ですが、僕の方が9歳若い。77歳です。

加藤元市長 人は歳と共に穏健思想に転じるのが理想的だが、そのときに新見くんは頑固さを曲げなかったな。時流に迎合したり、流されたりす人は新聞記者には向いていないんだろうね。

編集長 面白いなあ。地方新聞の記者は〝穏健な頑固者〟であり続けよ、ということですね。

加藤元市長 相当に頑固でないと〝矢作川一筋に30年〟なんて無理だったと思う。当地の財産だね。新見くんは政治的には何主義だったかな…。

新見会長 資本主義と社会主義の中間の「社会民主主義」者、いくぶん頑固で高齢の河川愛護者だと自覚している。近自然河川工法をつくったドイツ・スイス流のね。

加藤元市長 あくまで川からの発想だね。編集長は、頑固な河川愛護者で、政治的には社会民主主義の会長をどう評価しているのかな。

編集長 会長は若い時からの酒呑みでしょう。「酒は大衆主義で呑むが、新聞記者の仕事は少数主義でやれ、市民にも市当局にも迎合するな」という考えだと思う。面白い生き方だし、具体的な局面で思い出しては、矢作新報編集長の仕事をしています。 
       《おわり》
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