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ハンセン病訴訟確定 国控訴断念  2019.07.19

首相「深く反省、心からおわび」

 戦中戦後のぼくらの少年・青年時代には、「ハンセン病」という病名は使われていなかったと思う。「らい予防法」にもとづき癩病と呼ばれ、患者は人里離れた隔離施設に強制的に収容されたらしい。そのため人々の心に「恐い病気」として定着し、偏見や差別が生じた。ぼくも子どもの頃、祖母から「言うことを聞かなければ、らい病院に入れるぞ」と脅された記憶がかすかにある。

 ハンセン病という病名は、病原菌の発見者であるノルウェーの科学者名にちなんだものだという。

 ハンセン病はその後の研究により特効薬ができて治る伝染病になった。病原菌もさほど強力な伝染性はなかったという。なぜ、一家離散の大悲劇が日本で起きたのか。今後の研究課題である。日本の政治・地域の風習の後進性に関係あると思う。

 今回のハンセン病の家族訴訟のニュースは参院選のさなかにあった。元ハンセン病患者について熊本地裁が国に3・7億円の賠償を命じたのに対し、政府が控訴しなかったのである。選挙の特殊事情で日本の民主主義が進んだのではないか。首相が「心からお詫び」の談話を発表した。

 ハンセン病家族訴訟の人々には、早期決着が、民主主義の重要要素の一つであると思われた。

 今後の課題は、裁判で問われた偏見や差別をどのようにして無くしていくかだ。判決で責任が認められた厚労省や法務省、文科省には国民むけに解説調書を出してほしい。むつかしい訴訟だった。ご購読はコチラ.pdf

自民党元幹事長・宏池会名誉会長古賀誠さん  2019.07.12

宏池会長は菅義偉官房長官が適任

 自民党元幹事長で同党名門派閥「宏池会」出身の古賀誠さんは、衆議院議員10期の現職時代から〝憲法9条〟を守る活動で目立つ存在だった。豊田の浦野烋興さん派から聞いていた。

 政権は前々から〝官高・党低〟の傾向だったが、古賀さんらは党活動で「平和主義」や「民権活動」を続けた。それが穏健保守政治団体の宏池会の活動だったが、政権との関係はギクシャクしていた。自民党内の宏池会の勢力も安定しない。選挙のたびに勢力が変わる。

 今の安倍政権の官房長官の菅義偉さんもしばらく前に宏池会から抜けたままである。古賀さんが菅義偉さんに対し「宏池会長への就任」を呼びかけているが、実現可能性はよくわからない。

 自民党幹事長引退後の現在、古賀さんは宏池会の〝名誉会長〟だ。古賀さんは「ポスト安倍の適任者は、宏池会にもいたこともある、菅さんのような経歴の人がいい」という。

 この人選は古賀さんが、毎日新聞の特集インタビュー(6月28日)で語った話である。相当前からあった人事構想を古賀さんが時期をみて公表したもののように思われる。

 「菅さんのようなタイプの指導者が今の日本の政治には必要だ」と古賀さんは言うが、事前にどのような協議があったのかわからない。実現可能性もわからないが、政界には衝撃的だったと思う。

 憲法9条を守る自民系保守の政治活動に影響があると思う。ご購読はコチラ.pdf

「水上勉の見た天安門事件」読んで  2019.06.28

現場で描かれた生々しい記録画

 岩波書店の雑誌「世界」7月号に、『水上勉の見た天安門事件・天安門に斃れし民衆を北京飯店から俯瞰す』という9ページの解説記事が載った。

 筆者の加藤千洋氏(1947年生)は30年前の1989年6月に「天安門事件」が起きた時、朝日新聞北京特派員として現地で取材をしていた人だ。中国政府は首都北京に戒厳令を発令し、人民解放軍の戦車と大部隊で、民主化を求める百万人の学生・市民を制圧した。

 小説家の水上勉氏(1919〜2004)もこの時偶然、日中文化交流協会の訪中団長として北京にいた。天安門近くの北京飯店7階の部屋でカーテンの隙間から、人民解放軍が学生・市民を武力制圧する流血の惨事をスケッチ記録していたのである。後に描き直された記録画は、余白に日付や感想などの詳細なメモ書きがされている。

 中国の関係者に迷惑をかけるかもしれないとの配慮から、水上氏は記録画の公開に消極的だったそうだが、天安門事件30周年のこの春、水上氏生誕百年記念の展覧会で9点が出展されたという。そのうちの7点が雑誌「世界」にも載った。

 水上氏は天安門事件について論評しなかったそうだが、その画文には、中国共産党の一党支配体制への批判の気持ちが込められていると思う。

 ぼくは最近、中国共産の一党支配体制に自由と民主化の未来はあるのかと考えている。いま香港や台湾では、そこが問題になっているのだ。ご購読はコチラ.pdf

矢作川漁協の政策方針  2019.06.21

まちと水辺に豊かな自然を

 矢作川漁業協同組合の代表理事組合長に、衆議院議員の八木哲也さんが就任した=上段に詳細記事=。
 八木哲也組合長─木戸規詞専務の新体制が掲げた政策方針「まちと水辺に豊かな自然を」に書かれている内容を、幾つか要約して紹介したい。

 ◎矢作川は安全装置、つまり大気浄化、気候の温度調節、風の道など人間社会が快適で健康な社会生活を営むために必要な川であります。さらには川の住民である魚や植物、昆虫や鳥たちなど生きものたちの健康状態にも配慮する成熟した思想が、その社会生活を豊かにします

 ◎都市も農村も、さらには産業もみな健康でなければならないという都市づくり、地方づくりのため、矢作川を健康にしなければならない

 ◎矢作川は、農水、工水、上水などを社会に提供し、さらには発電エネルギーとしても社会に貢献している。それによって発展してきた社会が、いま矢作川の病気を見過ごしていていいのか

 ◎流域の山村、農村、都市の健康で快適なまちづくりを矢作川漁協は目指す

 この政策方針のなかに「アユ」や「釣り」という言葉は一つも出てこない。そのことが新体制の目指すところをよく表している。要するに、釣れる、釣れないだけじゃなく、矢作川漁協の存在意義を高めて、市民や行政から必要とされる存在にならなければ駄目だと言っているのだと思う。

 いま全国の河川漁協はアユの不漁が続き、組合員は高齢化・減少して、赤字が続いている。もう存在意義が無いのだ。しかし〝川を見守る役割〟を放棄するわけにはいかない。存続するためには、市民や行政から必要とされる組織にならないといけないのだ。

 アユが不漁続きで組合員が不満だらけの今、執行部が川の健康や社会への役割を中・長期計画で語るのはなかなか難しい。ただ、八木哲也さんほど皆から好かれる人柄、人格、地位の人がトップに居れば、それが出来そうな気がする。ご購読はコチラ.pdf

中国・30年前に民主化弾圧 香港では今年も追悼集会  2019.06.14

中国は共産1党独裁を維持

 今から30年前の1989年6月4日、中国首都北京市の天安門広場で政治の民主化を求める学生・市民の大規模デモがあり、これを当局側が国家に対する反乱の罪で発砲・鎮圧したのが「天安門事件」である。

 新聞によると軍隊発砲による死者は319人とされたが、実際はもっと多かったらしい。学生らに同情し北京での戒厳令施行に反対した趙紫陽総書記(当時)が失脚し、党中央が分裂した。

 事件の死者の遺族でつくる「天安門の母」や一部の知識人は事件の再評価を求めているが、中国政府は一貫して拒否姿勢という。習近平指導部は事件正当化の姿勢を崩していない。

 マルクス主義系の政党では珍しいことだが、日本共産党は軍隊による多数意見弾圧で多くの死傷者を出した天安門事件について「言語道断の暴挙だ」と厳しく指弾している。「言論による体制批判には言論で応えよ」というのが、天安門事件直後からの同党の姿勢。

 さて欧米の自由社会主義は歴史的にマルクス派の強権批判者だった。いまも共産の一党独裁の批判者である。

 英労働党はコービン党主になってから「経済の自由競争」色をうすめ、自由・平等・博愛の「古典的社会主義」に回帰したかに見える。英政権に復帰するであろう。

 アメリカ民主党のサンダース上院議員は、同党の次期大統領選挙の有力候補の一人。自称社会主義者である。本人は高齢者だが若い仲間が多い。

 英米の「民主社会主義」は中国の共産党一党独裁」に対する大きな批判勢力であり続けるだろう。ご購読はコチラ.pdf

豊田に2社目の地域新電力  2019.06.07

㈱三河の山里コミュニティパワー

 山村地域の医療だけでなく、病気の予防や、移動・外出などの生活支援にも精力的に取り組んできた足助病院名誉院長の早川富博さん(68)が、また大きなプロジェクトをスタートさせた。山村の地域サービスを民間主導で継続的に行っていく手段として、地域新電力会社を設立したのだ。

 要するに、山村限定の地域新電力会社を設立し、その利益で山村の地域サービスを充実させようという取り組みだ。地域経済の循環や、地域自治を創る取り組みでもある。

 早川さんが代表を務める一般社団法人三河の山里課題解決ファーム、豊田市、中部電力㈱の3者が協定を結び、今年10月から3年間の実証実験をスタートさせることが正式に決まった。

 不思議なのは、地域新電力会社の設立を核とするこのプロジェクトに、ライバルであるはずの中部電力が名を連ねていることだ。

 中部電力は電力自由化の流れのなか、時代の変化を見据えた新たな経営ビジョンを発表し、その一つに「社会課題の解決」をあげている。東日本大震災で会社の体質が変わったからこそのビジョンだろう。ただ、この分野では大企業の中部電力も素人だ。

 一方、山村地域の課題を解決しようという取り組みでは、足助病院の早川さんが20年以上も精力的に活動してきた。熱い想いを持ったプロ中のプロだ。名古屋大学や東京大学と連携してきた実績もあるし、何よりも山村住民の信頼が厚い。

 そんな両者の仲を取り持った豊田市も含めた3者でこのたび協定を締結し、豊田の山村に地域新電力会社「㈱三河の山里コミュニティパワー」が誕生したわけだ。

 豊田市内では既に、都市部でも地域新電力会社「おいでんエネルギー㈱」が設立され、こちらは〝子どもたちの笑顔〟を目標に掲げている。

 目標は違うけれど、電力の地産地消で地域経済を回し、利益を地域のために使おうという志は同じだ。

 豊田市を愛する私たちも、彼らの心意気を応援(契約)しよう。ご購読はコチラ.pdf

平田オリザ作「但馬日記」  2019.05.31

コウノトリの「公園保護」から「野生復帰」まで書く

 今から20年も前のことだ。1999年、兵庫県北部・豊岡市の農地にて、県営「コウノトリの郷公園」がオープンし、愛知県豊田市役所の環境部が、同公園の野鳥保護状況を視察した。

 ここは万葉の昔から「但馬国」と呼ばれてきた低湿農地の野鳥の大棲息地だったが、1971年にはコウノトリは「野生状態では絶滅」が確認された。人間の野鳥乱獲と水田の農薬大量使用が原因であった。

 視察先の豊岡市の農地では数十羽のコウノトリが自由歩行していた。コウノトリ公園と周辺農地の間には堺はなかった。体重も背丈も超大型の野鳥だから目立つ。もう保護鳥の野生復帰の訓練が始まっていたようだ。

 日本演劇界の文化人の名作『但馬日記』は、人間が野生との共生に失敗したことへの反省の記であり、野生との共生を取り戻そうとする問題提起でもある。自然愛護論ではあるが異色だ。

 コウノトリ野生復帰成功については次のように書かれている。


――そして2005年ついに、世界でも例を見ない絶滅種の野生復帰が実現する。飼育されてきたコウノトリの中から、復帰への訓練を経た8羽が放鳥され、但馬の空に舞った。
 翌年には野生状態での産卵が確認され、続けて孵化、巣立ちと順調に野生復帰が進み、いまや100羽を超えるコウノトリが日本中で暮らしている――


 このコウノトリの再生プロジェクトは、単なる自然環境保護運動に止まらなかった。コウノトリは完全肉食のため、田んぼにカエルやドジョウがいないと野生では生きていけない。

 そのため豊岡市では、近隣の農家に理解と協力を求め、無農薬の田畑を広げていった。そして、そこでとれた米を「コウノトリを育む米」としてブランド化した。

 いったん野生状態で絶滅が確認されたコウノトリの野生復活ができたのは『但馬日記』を生んだ文化の力の導きや後押しがあったからに違いない。ご購読はコチラ.pdf

国立科学博物館が縄文女性像を復元  2019.05.24

 現代日本人は先住民族の縄文人(狩猟採集生活)と大陸渡来の弥生人(農耕生活)の混血だろうというのが、今から60年前の僕らの学生時代から定説になっていた。岐阜大学生らが熱烈な支持者だった。

 その続きを国立科学博物館が今年5月13日発表し、翌14日には中日新聞がそれを詳報した。以下はその新聞情報の要約である。

 日本の先住民族である縄文人の遺伝子情報はすでに部分解析されていたが、今回初めて全ての遺伝子情報が解読された。日本人の由来を「先住民族と大陸からの渡来民族の混血」としてきた定説が確認されたのだ。

 日本で先住民と言えば、北海道のアイヌ民族と沖縄県の琉球民族が知られる。国立科学博物館は今回、〝縄文人像復元〟の対象に北海道アイヌを選んだ。

 北海道出土の2500年〜3800年前の縄文人の歯からDNAを抽出、女性像を復元した。その女性の顔写真像が新聞に出た。

 日本列島には先住民族の縄文人が長く住んでいた。そこに3000年前頃、朝鮮半島から農耕生活の弥生人が日本列島に渡来し、先住の縄文人を圧迫した。

 先住の縄文人のうち北方に逃れたのが北海道のアイヌ民族であり、南方に逃れたのが沖縄県の琉球民族であると見られてきた。だからのアイヌ民族と琉球民族は元々は同族の縄文人なのだ。

 さて、ぼくらはごく最近の夜、豊田市青木町のスナック「SAGO8」で楽しい体験をした。ママが沖縄人女性だから、ぼくは「縄文人の酒場」の愛称で呼んでいる。

 国立科学博物館は縄文人のゲノムを解読し、縄文女性の顔立ちのホリの深さをうまく表現していた。復元像はスナックのママに似て美形だった。酒席が湧いたのである。

 現代人が受け継いだ縄文人の遺伝的要素の割合は、アイヌ民族と琉球民族が高かった。学会は政権とは違い沖縄人に公平だ。沖縄人を先住民族と認めるのだ。好感が持てる。ご購読はコチラ.pdf

但馬日記の世界  2019.05.17

野生と共に生きる都市農業

1面・コウノトリ.png 今から20年も前、ぼくは当時60歳代初めの矢作新報社の新聞記者だった。豊田市役所環境部主催で、兵庫県豊岡市(但馬盆地)の県営コウノトリの郷公園視察旅行があり、参加した。

 当時すでに兵庫県豊岡市でも野生のコウノトリは絶滅していて、コウノトリ公園による保護が始まっていた。その保護状況を愛知県豊田市が20年前に視察していたのである。

 兵庫県営のコウノトリ公園は河川勾配が極めて緩やかな円山川流域の低湿農地内にあり、コウノトリはその盆地状の低湿地に生息するカエルやオタマジャクシなどをエサにしてきた。ぼくは愛知県豊田都心の挙母盆地の出身である。ここは矢作川の本川流域だが、河川勾配は兵庫の円山川並みに緩やかであり、両岸に低湿農地が多い。

 コウノトリ公園視察で、兵庫の但馬盆地と豊田の挙母盆地の風景がそっくりであるのに最初に驚いた。野生生物は地形や風景に依拠して生きる。コウノトリは挙母盆地にきっと戻って来るだろう。

 月刊誌「世界」で劇作家平田オリザさんの連載『但馬日記』を読んでいる。いま「第1回・コウノトリの里へ」が出たところだ。続編が予定されている。

 平田さんは東京在住56年の演劇の文化人だが、今年9月一家3人でコウノトリの里の但馬へ転居される。兵庫県の演劇大学の学長に就職するためだ。現地で名作『但馬日記』を書き続けるためでもあろう。あゝうれしい。

 もう一つ。上のコウノトリは豊田市の挙母盆地の南への広がりであるかのような西尾市の低湿地で撮られた。『但馬日記の世界』を想像できる一枚である。ご購読はコチラ.pdf

兵庫県豊岡市が野生コウノトリ復活成功  2019.05.10

岩波の雑誌『世界』で「但馬日記」連載はじまる

 岩波書店の月刊雑誌「世界」が今年5月号から、『但馬日記』の題名で新連載を始めた。

 第1話は「コウノトリの里へ」。舞台は但馬地方、今の兵庫県北部・豊岡市である。この地域の河川勾配はゆるく、両岸には湿地帯や低湿農地が多かった。

 しかし、戦後は低温農地の開発利用が進み、農薬使用も急増。野鳥のエサとなるオタマジャクシやカエルが減少したらしい。1970年初頭、ついに豊岡市でも野生でのコウノトリの絶滅が確認されていた。

 1999年、兵庫県立コウノトリの郷公園がオープン。2005年、世界初の絶滅種の野生復帰を実現した。その数100羽余。

 コウノトリという大型の野鳥は完全肉食であり、田んぼにカエルやドジョウがいないと生きられない。農業の在り方を〝自然共生型〟へ再編しないとコウノトリ復活はないことがわかってきた。

 劇作家の平田オリザさんは『但馬日記』で、こう語っている。

 ①豊岡市が定めた「コウノトリを育む農法」は、単に農薬を減らすだけではない。
 ②オタマジャクシがカエルになるまで田に水を残す「中干し延期農業」や、冬の間も田んぼに水を張り続ける「冬期湛水」を行う。
 ③大きな生物も生きられるよう田んぼに深く水を張る「深水管理」もする。
 ④「コンクリートで固めた畦道を崩し、「水田魚道」も作った。
 ⑤これらの施策を総合し、但馬の豊岡市は「環境と経済を両立させる農業」と呼んで推進してきた。

 河川勾配の緩い但馬の円山川は日本最長のボート練習のコースがとれる。東京五輪では強豪ドイツ、スイスの合宿地にも内定した。決め手は城崎温泉の存在と無農薬の食材の安定供給の可能性だった。

 コウノトリの野生復帰成功で自信を得た豊岡市の次の目標は新しい「都市文化」の創造だろう。

 『但馬日記』連載で、兵庫県豊岡市は、環境・文化の総合理論化をめざすと思われる。ご購読はコチラ.pdf

中日新聞が社説「みんなで沖縄応援」  2019.04.12

デニー知事が琉球モデルに沖縄づくり

 東アジアの一角には「琉球王国」という主権独立国家(1429〜1879)が存在した。今の沖縄県の位置にである。

 その独立国家機能を軍事侵略でうばってきた経過を、日本の明治政府は「琉球処分」と言ってきた。国際法上も許されない乱暴な侵略行為だった。

 琉球処分については中日新聞が2回にわたり詳しく報じ、そこから、安倍政府が沖縄県に対して行っている民意無視の米軍基地建設も「琉球処分」だとして批判している。

 3月3日号の特大スペースでは、波平恒男琉球大学教授が「奪われた自己決定」のタイトルで、安倍政府の不条理な国家暴力や多数派の横暴を批判。「沖縄の人々は容易には屈服しないだろう」と予想した。

 4月1日号の社説「琉球処分140年」では、玉城デニー知事の今後の動きも書いている。以下にその社説の一部を要約引用しておきたい。

 ──政権は歴史をまさに真摯に振り返り、基地政策を抜本的に見直さねばならない。
 ただ責めを負うべきは政府だけだろうか。
 約百四十五万人の沖縄県民人口は日本の1%強。県土面積は1%足らずだ。そこに米軍施設の七割が集中し、危険な普天間飛行場を撤去する代わりにとまた新たな基地を押しつける。その不条理を99%の側が自覚しなくてはならない。日米安保体制を支持するならなおさらのことだ。
 玉城デニー知事は4月、米軍基地運用を含め新たな沖縄像を探る場として、政府OBら専門家による「万国津梁会議」を設ける。
 万国津梁は世界の懸け橋の意味。琉球国王が首里城に掲げた「万国津梁会の鐘」に由来する。
 玉城氏としては、明治、大正、昭和、平成の4時代にわたり続いた苦難の歴史に区切りをつけ、東アジアとの平和的な交易で国を富ませた琉球時代をモデルに県づくりを進める決意だ。
 それを応援するのは本土側に住む私たち全員の役割である──

県議選 立候補者の声  2019.04.05

 愛知県議選が告示された3月29日の朝、豊田で立候補した6氏が発した第一声を要点だけまとめて紹介する。
  (出陣式の時間順)
   ◇  ◇

 ▼大村よしのり(共産新人)…豊田市議会を活発にした経験で県議会も活発にしたい。①地方選だが安倍政権に物申す選挙にしたい。②福祉と教育を予算の主役にしたい。③県が28億円投入していた財源を復活させ国保税を引き下げたい。④高校生の年齢まで医療費無料化したい。⑤三好特別支援学校のマンモス化対策で豊田市での開校を実現したい。

 ▼桜井ひでき(労組新人)…従業員の家族が安心できてこそ企業業績が成り立つ。待機児童や親の介護があったりすると安心して働けない。今の政策に加え、教育・福祉の問題解決に向けた総合的な産業政策をすべきだ。労働力確保の問題は外国人労働者の活用が必要と考えている。

 ▼鈴木まさひろ(自民1期)…倉知俊彦先生の意志を受け継いだ初当選から4年が経った。地域に足を運び、声を聞き、数字だけでは見えない想いに寄り添いながら、豊田の課題に取り組んできた。豊田の力強さも教えて頂いた。間もなく新しい時代を迎える。大きな不安があっても、むしろ避けられない困難と不安があるからこそ、希望と可能性を信じて新しい時代の扉を押し開けましょう。

 ▼加藤たかし(公明新人)…①多様化が進む子育て支援政策の実現。②子どもからお年寄りまで元気で長生きできる社会の実現。③豊かな自然・伝統文化・食文化を活かし豊田の観光振興に取り組む。④外国人が多い豊田を多文化共生モデル都市にしていく。

 ▼こたま義和(労組2期)…①少子化対策や医療など社会保障の充実、②次世代産業の育成や働き方改革等の産業活性化、③リニア開通等のビッグプロジェクトを活用すまちづくり、④他県の反省をとり入れた防災対策など安心・安全の確保。

 ▼神谷かずとし(自民新人)…三浦孝司先生の意志を受け継ぎ「地域主義、水と緑と豊田プライド」のスローガンを掲げました。地域を守るということは、一言で言えば地域に住む人の暮らしを守ること。一番は人の命を守ることです。そのための地域主義であり、水と緑を守ることなのです。ご購読はコチラ.pdf

脚と足の老人病記  2019.03.29

韓国映画「金子文子と朴烈」京都で見て

 ぼくは今年5月11日82歳になる。前にも書いたが、矢作川の天然アユをもう一度釣りたいのだ。川の中に立ち込んで釣るのはもう危険だが、豊田大橋のシルバーシート(老人優先釣り場)でなら、川岸からアユ釣り竿を差せると思う。矢作川漁協の豊田支部が老人用に作っておいてくれたアユ釣り場だ。天然アユ釣りの盛期は8月頃からである。

 今年2月から毎夕2000歩室内をあるいて脚力をつけてきた。当初毎夜4000歩ずつ歩いて足の裏を痛める大失敗をしたので、いまは歩行を半減し好調だ。

 矢作川「シルバーシート」でのアユ釣りに復帰してみたいばかりに、自分の「脚と足の老人病」治療にムキになっていたが、実はもう一つ、名古屋で公開の韓国映画『金子文子と朴烈』を観に出かけたいのも理由の一つだった。雑誌『世界』はこの映画に「百年前のアナキストからの贈物」というサブタイトルを付けていた。

 金子文子役の女優チェ・ヒソは帰国子女で完璧な日本語を話す。日本が映画の舞台であり、セリフの多くは日本語だ。植民地支配の民族差別を描きながら、朝鮮半島対日本の対立だけで歴史をとらえない。アナキズム、フェミニズムの立場から歴史を再構成し映画にしたという。

 名古屋市内での上映は終わっていた。友人が京都市内での上映予定を調べてくれた。別の友人と2人で京都を歩き、ミニシアターでの上映を見つけられた。韓国映画の実力はすごい。豊田上映があればもう一度見たい。

 今回、自分の「脚」と「足」の高齢者障害「治療」の失敗談を付記しておきたい。足の裏の指の付け根あたりが腫れ、小さな内出血も見られた。しかし脚力低下は止まっていた。

 魚の目はかかりつけの漢方医がお灸で治してくれた。脊瘡は自分で削り取った。老人は自分の足のウラも大切にしなければならないと知った。老人の人生観が変わるほどの驚きだった。ぶんや日記に続編を書こう。ご購読はコチラ.pdf

「開花生理学」と先住民族論の日々  2019.03.22

60年前の岐阜大園芸教室学生シンポの記憶から

 ぼくは今年5月11日に満82歳になる。およそ60年前、岐阜大学農学部園芸教室の学生として、野菜に花を咲かせる原因物質の存在を究明する開花生理学の実証実験を担当していた。

 開花原因物質は仮称で「フロリゲン」と名づけられていた。花の開花への実験者の空想能力と植物栽培技術の高さがためされる実証実験だと思われた。

 すでに開花中のダイコンの花枝にキャベツの幼苗を接木した。われわれの空想どおり、幼苗は間もなく花を付けた。ダイコンの花枝の中のフロリゲンがキャベツの幼苗に移行し、幼苗は〝処女懐胎〟を思わせる早さで、花を付けた。ダイコンのフロリゲンがキャベツの幼苗に花を咲かせたのである。

 百体余の個体で同じ結果が出た。開花生理学の実験は教授が学会に報告し、全て終了したのである。開花生理学のシンポにも参加していた文系学生の関心は「先住民族論」にもどっていった。ぼくら理科系学生も先住民族論に深い関心をもっていた。

 岐阜大学は木曽川、長良川、揖斐川という、本州中部の大河川の真ん中に立地する大学だ。縄文以前の時期には同地域で狩猟採集生活をしていたであろう先住民に、特別の関心を持っていた。

 弥生以降の時期、先住民族は大陸渡来の農耕民族の圧迫で南北に分断され、北のアイヌ民族と南の琉球=沖縄民族が誕生したと言われるが、岐阜の高地一帯でどんな混乱と破壊があったかは、先住民族論は何も明らかにしていない。

 近年、新聞報道で明らかになったことが2点あった。第一に政府がはじめてアイヌを日本の先住民族と認めたことだ。政府は沖縄を先住民族とはまだ認めようとしない。

 しかし、中日新聞が明治政府による琉球処分の実体を詳細に書き、日本が沖縄を植民地支配していたことをはじめて特大スペースで明記した。政府による沖縄差別は変わって来ると思う。中日報道の大功績だ。ご購読はコチラ.pdf

普天間は分散廃止へ具体案 辺野古は強行新設の方針  2019.03.15

沖縄知事が日米に協議要請

 沖縄県南部の宜野湾市普天間に現存し「世界で最も危険な基地」と言われる「普天間空軍基地」が機能別に3分割・廃止される。

 その計画を日本の防衛相が語り、中日新聞が報じた。沖縄の県民投票後に事態は動いた。

 普天間飛行場は現在、3機能からなるという。

 第1機能は「空中給油機」の運用。これは米軍岩国基地へ移す。
 第2機能の「外部航空機受け入れ」は、航空自衛隊の築城基地および新田原基地へ移すことに決定ずみという。
 第3機能の「新型輸送機オスプレー」だけが、沖縄県名護市辺野古に基地を建設し移る計画だ。

 右の既設基地分散・廃止はここがスタート地点で、今から改良を重ねるなら良き構想ができると思われた。しかしこれは安倍総理にとっては或る日の世論の風景にすぎなかったと思う。政権は世論を普通に無視してきた。今回の沖縄県民投票で「新基地反対」が72%に達した結果も、政権は無視する構えだ。

 沖縄人は琉球王朝もゆかりの先住民族でもあったと思われる。沖縄人と日本人は言葉も文化も容姿も少し違う。最近、安倍政権の沖縄政策を見ていると、琉球=沖縄を植民地支配していた頃の名残があるように思う。昔の沖縄差別を今も感じることがあるのだ。

 アメリカ民主主義の影響が薄れると、公正さが失われないか。玉城デニー知事の日米軍事基地交渉の成果を私は期待している。また3月3日、中日新聞が「琉球王朝」時代の〝琉球処分〟を大特集し、差別の根源を広く明らかにした。日本の沖縄差別も変化してくると思った。ご購読はコチラ.pdf

豊田市の豚コレラ騒動  2019.03.08

太田稔市長「あの農家さんは完璧な印象」

 豊田市内で2月におきた豚コレラ騒動について、この3月市議会の一般質問で、自民クラブ・市民フォーラム・共産党の3会派の議員=写真=が質問した。いずれも、感染が発生して全頭殺処分した農家が営農再開するための、十分な支援を要望する内容が含まれていた。不幸にも感染し、結果的に拡散することになってしまったが、この養豚農家の防疫措置がしっかりしていたことを理解したうえでの質問だった。

 前田雄治産業部長の答弁によると、この豚舎は窓のない構造で野生動物の侵入の可能性は低く、また感染がおきる前の1月に県が行った立ち入り検査で飼養栄生管理基準を満たしていた。

 太田稔彦市長も2月15日の定例記者会見で、「あの養豚農家さんの対応は極めて完璧にやっている印象があります。あそこまでやっても感染が起きてしまう。原因が解明されないと次の判断ができないと思っています」と話していた。

 私も豊田で豚コレラ感染のニュース映像をみた時には愕然とした。地域農業の発展を真剣に考えて活動してきた農家さんだし、豚舎や諸施設を見せてもらったこともある。1月にお会いした時には、岐阜県からの感染拡大が心配だと話したところだった。

 営農再開に向けた農家への支援についての質問に、前田産業部長はこう答弁した。

 「これまで県には、野生動物によるウイルスの侵入に備えた対策の充実、科学的根拠に基づく防疫体制の強化とともに、殺処分が発生した場合の補償の一層の充実を要望している」「市としては今後、農家の意見を伺いながら、国・県の取組との連携も含め、どのような支援のあり方があるか判断していく」。ご購読はコチラ.pdf

沖縄県民投票結果  2019.03.01

沖縄の「非暴力抵抗路線」前進

 先住民族である琉球民族が今日も定住・統治する日本列島最南端の沖縄県全域で2月24日、米軍基地の移転をめぐる県民投票が行われ、県内に米軍基地を新設する計画に投票総数の71・74%が反対票を投じた。

 米軍基地の県内移転派の安倍政権が、これまでの知事選投票の結果などと同様に、今回の県民投票でも破れたわけだが、安倍政権は外交は政権の専権事項だとして新米軍基地建設を強行する構えだ。

 経過はこうだ。県内南部の宜野湾市に現存する米軍普天間空軍基地は戦後に米軍が都市部を軍事接収して建設した事故多発基地。日米合意では県中部の名護市辺野古に新基地を建設し、そこへ移転する計画。

 基地負担にあえぐ沖縄県は新基地建設は絶対反対。県民投票でも大差で否決された。その旨が玉城デニー知事から米トランプ大統領へも直接伝達される。

 今回の県民投票で沖縄の「非暴力抵抗主義」路線が前進した。安倍政権の強行主義と対峙する沖縄の戦う民主主義が明瞭になった。

 欧州や南米の先住民族地域では民族解放軍設置などによる軍事路線が最近まで見られたが、アジアの先住民族地域である沖縄では、インドのガンジー主義系譜の「非暴力抵抗主義」の思想が、にわかに理論化されつつあるようだ。

 沖縄が長い差別あつかいと安倍政権の強権的圧政の中でたどり着いた一つの到達点だと思われる。安倍政権による辺野古の海の埋立て強行などは、まるで政権による軍事行動の様相だった。

 沖縄県民投票の話に戻る。

 沖縄は公職選挙法の知事選投票率も低かった。高齢化率が高いのかも知れない。人物同士の対立競争のない「県民投票」でそれがどこまで下がるのか心配されたが「52%」でとどまった。県民の懸命の呼びかけの効果だろう。

 それと反対票が有権者の4分の1を上回って良かった。これでデニー知事がトランプ大統領にも投票結果を直接伝達できるのだ。ご購読はコチラ.pdf

2/24沖縄県民投票  2019.02.15

政権と沖縄の本格対決はここから!

 日本列島最南端の沖縄県が来る2月24日、米軍海兵隊の空軍基地「普天間飛行場」を同県内で移転・新設することの賛否を問う「県民投票」を実施する。

 焦点は「投票率」と、新基地建設への「反対率」だ。知事選などを見ると、沖縄の投票率は50%台の低さだが、基地反対率は70%台の高さだろう。

 現在の普天間飛行場は、米軍が先の大戦期に沖縄県南部の宜野湾市普天間の市街地を軍事接収して作った基地。ベトナム戦争でも使われた。市街地で危険なため日米間で移転協議されてきた。

 その移転先が沖縄県中部の名護市辺野古の太平洋側の沿岸。その日米合意を2013年、当時の仲井真弘多知事がまったく独断で承認。今日の〝辺野古基地紛争〟のタネをまいた。翌2014年沖縄知事選で翁長雄志氏が登場。自作自演で〝辺野古基地〟を承認した仲井間知事を圧倒的大差で破り知事当選。前知事が不法手段で出した辺野古基地建設承認を取り消す意向を発表した。

 続く昨年9月知事選でも、玉城デニー氏が政権側候補に歴史的圧勝をし知事当選。辺野古基地のための海の埋め立て中止を求めたが、安倍政権は仲井間知事が不正手段で出した辺野古基地工事承認を〝金科玉条〟に工事続行中だ。政治から正直さが消えた。

 玉城デニー沖縄知事は、選挙で示された世論を無視する政権に対し、地方自治法の市民直接請求の「県民投票」を発動した。県民投票は沖縄県全41市町村で一斉に投開票される。沖縄の有権者が辺野古基地の建設に「賛成」「反対」「どちらでもない」の三択の投票用紙のいづれかに○(マル)を付ける方式。

 沖縄県政の与党はほぼ国政の野党だ。デニー知事や県政与党各派は基地建設「反対」に○を付けるよう大宣伝中だが、もともと県民投票に反対の自民は「自由投票」で〝静観〟姿勢。開票結果は首相と米大統領に通知される情勢。安倍政権とデニー沖縄県政との本格対決はここから始まる。続編を書く。ご購読はコチラ.pdf

82歳・年金老人の日々メモ 小遣月7万円、酒場・煙草・病院  2019.02.15

毎夜室内2000歩 魚の目・タコ治療

 1937(昭和12)年5月11日、豊田市梅坪の矢作川沿いで産まれたぼくは、今年5月に82歳になる。矢作川漁協役職はとっくに退任した。妻も、ぼくもいま年金老人だ。

 ぼくら二人の年金は妻が管理している。その年金会計の中から、妻が月額七万円の小遣いをぼくにくれる。ずいぶん前にその交渉は成立していた。小遣い会計が赤字になると年金会計から前借りもさせてくれる。前月は前借りゼロの上に、ポケットマネーが少し残っていた。

 小遣い会計とは、酒場、煙草、病院、交際用でぼくが使っているお金である。

 酒場は近所の2軒だけにした。ぼくの酒量が落ちた。回数も新聞の原稿締切日の毎週1回から、2週に1回位へ半減している。

 ぼくは加茂病院と豊田厚生病院で〝C型肝炎〟と10年戦い、特効薬の出現で完治した。酒が呑める。病院出費が激減した。今は月1の定期健診と週1の魚の目治療だけだ。微々たる出費である。

 今年は矢作川のアユ釣りに復帰したい。川の中で転倒するようになり、休漁していたが、足の治療も終わる。魚の目、タコも治る。毎夜室内を2000歩あるき、脚力をつけてきた。川の中で立ち込み釣りは危険であるので、豊田大橋直下の老人保護アユ釣り場「シルバーシート」から竿をさしたい。その管理にも参加したいと思う。

 ダムに寸断された矢作川では「河床荒廃」と「アユ不漁」がひどくなる一方である。漁業団体はダム管理者・技術者らと何十年も交渉を続けてきたが、ダム側は「ダム運用と環境の共生」を追求しなかった。

 ダム側は矢作ダムの受益者と被害者が別の人格であるという事実を知ろうとしない。広く豊田市民、愛知県民として被害者がダム側に「野生との共生」を求める救済訴訟をできると思われる。NPO「矢作川環境推進塾」が生まれないか。ご購読はコチラ.pdf

矢作ダムとアユ共生まだ未達成の目標  2019.02.08

NPO法人矢作川森林塾が成果

  10年ほど前まで、豊田都心の矢作川は河畔の荒廃竹林が問題になっていた。矢作川漁協内にボランティア団体「矢作川森林塾」が創設され、荒廃竹林の伐採と河畔林の育成を始めた。数年後には法人化されトヨタ労組等が支援している。河畔に明るい「都市林」が見えてきた。少し上流の越戸・平戸橋地区でも最近、地元による河畔林整備が始まっている。水辺の未来は明るい。

 一方、水中はまだ課題だらけだ。

 矢作川では大正末期から昭和40年代にかけて本川だけで7つものダム群が造られ、発電、農業、工業、上水道に徹底利用されるようになった。こうして流域市民の利水問題と洪水への恐れは一応解決したのだが、その裏で河川環境の悪化が静かに進み、20年ほど前からそれが表面化してきた。特に最近の10年はひどい。

 最大の問題は、ダムによって上流から土砂が流れてこなくなったことだ。洪水があれば細かい砂は流れてくるが、砂利や石はダムを通過しない。川底を洗い流してくれる砂利が無くなり、中流域では川底の老朽化が進んでいる。三河湾から遡上してきた天然アユも居着かない。かつて最良の漁場だった広瀬地区や川口地区は不漁続きだ。豊田市矢作川研究所が取り組んでいる石投入実験の成果に期待したい。

 下流域の豊田都心あたりでは川底の平坦化が問題になっている。三河湾から遡上してきた天然アユが大きく育たなくなってしまった。対策工事が始まったところなので期待したいが、根本的な解決にはならない。ダムと水生生物の共生には未解決課題が多いのだ。

 矢作ダムが洪水時に冷たい底水を一気に排水することも、ダムと水生生物の共生の大きな課題だ。急激な水温低下により、おそらくアユは冷水病を発症して大量死している。洪水時で見えないだけに問題視されにくい。ご購読はコチラ.pdf

辺野古基地問題 沖縄全域で県民投票確実  2019.02.01

デニー知事積極的妥協高い投票率を目標に

 安倍政権は沖縄県南部の宜野湾市にある古い米空軍基地「普天間飛行場」を閉鎖し、同県中部の名護市辺野古の海に新米空軍基地を建設する計画で、すでに辺野古の海の埋立て工事に着工している。沖縄県は新軍事基地建設による基地負担増に絶対反対。

 すでに最近2回の県知事選で辺野古の新基地建設反対の県民意思は表明ずみだが、来る2月24日、沖縄全県41市町村参加の新軍事基地賛否の県民投票が住民請求で行われることになった。

 この県民投票で当初、全県41市町村中、政権派に近い沖縄、宣野湾、石垣、うるま、宮古島5市が投票事務費の支出を拒否する形で「投票不参加」を決めていたが、デニー知事の積極的妥協と、5市側との協議で全域41市町村が県民投票に参加する情勢に。

 当初の投票条例内容は、新軍事基地への判断を県民にぎりぎりのところまで迫る意味で投票用紙記載は「賛成」「反対」の2択のみだった。しかし当初投票不参加を表明していた5市側の強い要望で3択目に「どちらでもない」を追加へ。

 政権側に近い心情の5市側の人々の気分に、オール沖縄・多数派が配慮した。実質的な〝妥協〟は投票紙が「2択」式から「3択」に変更されることだけだった。実際に3択目がなければ投票に行かない県民がいるだろう。

 デニー知事は「高い投票率」で県民投票に権威づけをしたかったのだ。5市側は人口が多い。オール沖縄の3割の人口を持っていると思われる。

 複雑な心境だったのは自民党だろう。本土及び沖縄を含めて、自民党は「県民投票」という住民自治権に反対だった。自民党は沖縄でも「県民投票阻止」を公然と語っていたという。

 オール沖縄の県民投票成立は確実になった。「辺野古基地」は2回の知事選の世論で負けている。今回の「地方自治法の県民投票」で辺野古基地は更に大差で敗れ、政権不安につながるかご購読はコチラ.pdf

反戦と森林語る哲学者梅原猛さん93歳で逝く  2019.01.25

「矢作川森林塾」創設にも影響

 日本の非マルクス主義系の反戦平和思想や、森林・海域・河川の総合的自然保護思想を書き続けてきた哲学者の梅原猛さんが1月12日、京都市の自宅で肺炎のため亡くなった。

 梅原さんは1925年仙台生まれの93歳である。1945年の日本敗戦の直前の頃、青年期の梅原さんは米軍B29爆撃機による名古屋空襲を直接体験されたという。

 この悲惨な戦争体験の記憶を原点に日本の〝非戦の誓い〟として生まれたのが岩波ブックレットの『憲法9条、いまこそ旬』だ。九人の呼掛人の文集であり、梅原猛さんもその一人。

 梅原さんは文化勲章受章者。日本ペンクラブ第13代会長。

 著作は単著だけで百冊余。仏教と日本文学の関係を論じた『地獄の思想』がベストセラーに。『神々の流竄』(古事記・日本書紀の作者論)や『隠された十字架―法隆寺論』『水底の歌―柿本人麿論』などの古代三部作を執筆。

 いずれも学会の常識をくつがえす内容で、古代日本学を偏屈なナショナリズムから解放しようとした。

 作家の瀬戸内寂聴さんは新聞の取材に対し梅原猛さんについて、「ご自分の哲学以外に余念のないロマンチストで、恐妻家で、美しい聡明な夫人がご自慢な人でした」という。

 梅原さんは1歳3ヵ月で母を亡くし、父の実家の愛知県南知多町内海で伯父夫婦に育てられ、東海高校、京都大学に進んだ。

 その梅原邸は南知多町が買い取り「南知多梅原猛友の会」が管理し、毎秋公開してきた。梅原さんは南知多町の名誉町民。

 豊田市の矢作川は、河畔の雑木林・竹林整備の推進母体として、漁業組織内に初めて都市系ボランティア思想の「矢作川森林塾」(のちにNPO化)を創設した。梅原哲学の影響を、矢作川の僕らも受けていると思った。

 梅原猛さんは「百歳まで生きて愛知で〝人間愛の哲学〟を完成させる」と書いておられた。ぼくの方が12歳若いが、共に戦中派で安倍政権ぎらいだ。ご購読はコチラ.pdf

魚の目も脊瘡も治療した 今年はアユ釣りが可能に  2019.01.18

矢作川豊田大橋盛期は8月から

 アユの鵜飼で有名な岐阜の長良川も、愛知の矢作川も、最近のアユ漁解禁日は毎年「5月11日」である。昔の解禁日よりずいぶん早いので「早期解禁」という。

 もともと矢作川は6月頃解禁の河川だったが、ちょうどその時期はアユの〝冷水病〟の発症時期と重なり、アユが非活性化し釣れなくなったり、大量死したりする事態がしばしばあった。

 矢作川の漁業団体が「早期解禁」を申請したところ、水産庁が長良川と同日の「5月11日解禁」を認可したのである。ぼくの誕生日とぐうぜん重なった。

 自分の釣り日記を書こうと思う。今の豊田市梅坪育ちのぼくは、矢作川の川歩きには自信があった。ところが、七十歳になった頃からアユ釣り中の川で転倒するようになった。

 脚力が衰えているのは明らかだった。ほかに両足の裏に老人性の病状があり痛い。ふんばりがきかない。各指先には〝魚の目〟という細菌性の腫瘍ができていた。かかりつけの漢方医が腫瘍の上にお灸をすえ治してくれた。

 足裏の一部が硬化する〝脊瘡〟の方は患部を自分で削り取った。ほかにソックス一枚で縁側を毎夜2千歩あるいている。3ヵ月で魚の目や脊瘡のあとの足裏がやわらかになった。矢作川環境整備作業に今年は参加できる。

 矢作川のアユの早期解禁は早期放流した人工孵化アユをねらう。若い釣人に人気がある。

 三河湾から自然遡上して来る天然アユの釣りの盛期は8月中旬〜9月末。豊田大橋直下・西岸のアユ釣りの高齢者保護区「シルバーシート」あたりは夕刻の頃に天然アユをねらう夕釣りのメッカだ。

 シルバーシートは雑木林や草地が美しく整備され、女性らの散歩道でもある。矢作川の文化を感じられる。

 ぼくらの年齢(今年82歳)では水中への立ち込み釣りは危険だ。足の治療を終えてからもシルバーシートからアユ釣りをしたい。現地のゴミ拾い位はするし、魚類の保護にも参加できると思う。ご購読はコチラ.pdf

防衛力偏重予算 過去最大27兆4700億円決定  2019.01.10

航空母艦も艦載機も導入

 安倍晋三内閣が去る12月18日、日本の防衛力整備の基本方針を示す新「防衛計画の大綱」と、今後五年間の武器類の調達計画を示す中期「防衛力整備計画」を閣議決定した。中日・毎日・朝日・赤旗の各新聞が政治面と社説面を使い詳報した。

 この閣議決定額は過去5年間最大の27兆4700億円で、前期比2兆8000億円(12%)の増加。安倍政権下で軍拡路線が格段と進んだことになる。
 装備面では海上自衛隊の「いずも」型護衛艦が航空母艦(空母)に改修され、その艦載機として垂直に離着陸で
きる米軍F35Bステルス戦闘機の導入が明記された。憲法で禁じられているはずの攻撃型空母の初登場である。

 12月19日の報道によると、空母に改修された「いずも」の甲板では10機のF35Bが同時運用可能とされ、当面は「いずも」2隻で2飛行隊を編成する。次の中期防で「F35B」を18機調達する計画だ。

 多くの国民は真実は知らされていないかも知れないが、日本の軍事国家化は相当進んでいる様子だ。いったん軍国化するとそれがなかなかこわれないことを、ぼくら戦争体験世代は覚えている。しかし〝選挙〟で軍事政権は変えられる。ジャーナリズムも政府を見はっている。このまま一直線に安倍政権が軍国化していくことはないだろう。

 それにしても日本の攻撃型空母が完成間近であるのには驚いた。日本は民主主義国だが内密主義である。

 今のように軍事予算を派手に使っていたのでは、母たちは子どもを生んでくれない。子は減り、日本は山村から滅びてゆく。日本の人口増計画は「移民」受入しか見えない。

 自国の農山村人口も守れない政治は引退してもらいたい。日本の攻撃型空母導入は方向間違いだ。憲法9条国日本は「国際平和外交」を構築しなければ。国土全域に「高性能小型作業機」を導入し、農林業地と庭々の魅力的再生をめざそう。アジアからも注目されるような。ご購読はコチラ.pdf

豊田市議会議員選挙の焦点  2019.01.01

西部の逢妻地区は新展開

 前回4年前の豊田市議会議員選挙では、挙母西部の逢妻地区が最大の焦点になった。

 ベテラン議員の引退にともない、同じ選挙地盤内で原田隆司さん(千足町)と浅井保孝さん(宮上町)の新人2人が出馬。自民分裂の激戦となった。結果は浅井さんが15位、原田さんが45位(最下位)で両氏とも当選できた。

 今回の選挙では両氏とも現職1期の立場で出馬する。焦点の1つには違いないが、前回とは状況が違う。

 最下位当選だった原田議員は地べたを這いずり回るような地道な活動で支持を広げるべきだったが、地べたを這いずり回ったのは逆に浅井議員の方だった。記者の目や耳に度々入ってくるほど地道に、精力的に活動していた。そうした4年間の活動は今回の選挙結果に出ると思う。

 浅井・原田両議員の選挙地盤とは別の、隣りの地盤だが、同じ逢妻地区(中学校区)の中に候補者がもう一人いる。県議選へ鞍替え出馬する神谷和利市議の後継者の深谷亨さん(60・柿本町)だ。新人候補へのご祝儀票で得票を伸ばすのか、それとも浅井・原田両議員の戦いに巻き込まれるのか…。よく分からないが今回の選挙の焦点の一つだろう。

 もう一人、当選圏に近づけるかどうか未知数だが焦点になりそうな候補者がいる。生まれつき耳が聞こえず、声を出して話せない中島竜二さん(30・花園町)だ=2面で紹介=。

 耳が聞こえないのでフェイスブックで連絡をとり、筆談を覚悟して取材場所に向かったが、彼の選挙を応援する手話ボランティアさんが同行してくれたので普通に取材できた。手話で一生懸命に話す姿から誠実な人柄が伝わってきたし、立候補への覚悟も感じた。

 身体の障がいにも色々あるが、耳が聞こえず声を出して話せないのは、政治活動をするうえで最も大きなハンデキャップだと思う。彼が当選できたら豊田市のバリアフリー化はいろいろな面で飛躍的に進むはずだ。

 「政治は弱者のために必要」と言われる。その弱者自身が手をあげた選挙に注目したい。ご購読はコチラ.pdf

流域人口減少は深刻事態地域で対応考えられる  2018.12.21

日本は家族農業の国「家庭菜園」を大事に

 ぼくが青年時代の30年程前まで、日本では政権の「農本主義」という〝保守穏健派〟の思想が健在だった。

 これは「国政の大元は農の保全にあり」という政治思想だが、広く森林・河川・海域も農本主義の領域と解されていた。農本主義は全国的な「大地を愛する政治思想」だった。

 その大地を愛する自民保守思想=日本農本主義の内部に、大きな〝変質〟が起きていることが確実だ。海洋生物「サンゴ礁」の宝庫である沖縄県中部名護市辺野古の豊穣な海に土砂投入を強行。日本の予算で米・新空軍基地の建設を始めた。

 東北アジア情勢は緊張緩和方向である。当の沖縄県のデニー知事、県庁、県議会がそろって新軍事基地ストップと新たな和平交渉展開を提起しているのに、憲法9条当事国の安倍政権が軍事優先姿勢なのだ。

 沖縄南部の宜野湾市にある現普天間空軍基地は、遠い昔に米国が都市域を軍事接収して建設した古い軍事基地だ。その事故多発を解消するため名護市辺野古に移設・新設するのが米・日合意だ。

 しかし沖縄県としては地元無視の基地移転・新設合意には絶対反対。古い基地は完全廃止を求め基地の数を減らすのが基本姿勢だ。県民投票でその基本姿勢が公然化する前に、政権は新基地に強権着工したのだろう。

 愛知県の農本主義者も、三河湾と矢作ダム運用の改善や上流域の農林水産人口の維持について、保守政権に強い期待をもってきた。しかし、近年は保守政権の環境改善意欲に変質、後退が見られる。

 これは保守穏健派思想が安倍政権の強権・独裁型へ変質してからではないか。

 矢作川のダム群の環境改善は停滞している。矢作川のアユが釣れなくなった。アユ釣り人口が減ってきた。

 矢作川上流域の山村人口減少に歯止めがかからなくなった。農本主義思想の敗北だと思う。日本は家族農業の国だった。その伝統の「家庭菜園」だけは大事にし、チャンス到来を待ちたいのである。ご購読はコチラ.pdf

改正「出入国管理法」強行  2018.12.14

「家族農業」の再生は可能か

 安倍晋三総理の自公政権は12月8日未明、外国人労働者の受け入れを拡大する改正「出入国管理法」を議会本会議で強行採決し、自民、公明の与党、維新などの賛成多数で可決した。安倍政権は審議の前提になる資料も出さなかった。

立憲民主党、国民民主党、希望の党(自由、社民)、共産党、沖縄の風の5野党1会派は反対。安倍首相の問責決議案を共同提出した。

 日本の労働力不足は「人口減少」にともなう構造的なもので、工・農・商の全分野に及んでいる。ぼくは農業分野に関心がある。

 日本の農業はもともと小規模な「家族農業」に出発点があり、いま少子高齢化の直撃を受けている。初めての農本主義」の大敗北だと思う。政府の「軍事予算偏重・福祉予算軽視」政策の結果だという見解を聞いたが、ぼくはもっと深刻に考えた。

 若い夫婦がご自分の文化的欲求を満たすためにご自分の子孫をつくることを休んでしまった。その結果が超少子社会の出現である、と思うのである。

 豊田市の場合、これまでの発展の原動力は流域の農山村や国内他都市との労働力交流に求められてきたが、改正「入管法成立」で海外から移民労働者の流入が新しい課題になってきたと思われる。

 しかし、少子家庭に日本の危機はある。それは戦後ぼくらの世代から始まり、今も続いている。国民は文化人類学的危機を反省しないが、政治が反応した。「少子化」を止めず「移民」を増やそうとした。人口危機を深めるだけであろう。

 さて、例えば足助北部の人口過疎化を止めることができるだろうか。ぼくは絶望的になったり、希望を持ったりしている。フランスの山村が少子化を止めた実例を見た。

 森の広場で爺さんと婆さんが子供らを羊の群れと一緒に放し飼いにしていた。ぼくは少年のころ家畜の群れと共に育ったので感動した。居酒屋は村の少し奥まったところにあった。過疎対策に羊の群れと居酒屋をうまく使っていると思った。ご購読はコチラ.pdf

訃報 倉知俊彦氏 逝去  2018.12.07

今の時代には出にくい政治家

愛知県議会議員を11期44年にわたり務めた倉知俊彦さんが2日夜、県がんセンター中央病院で亡くなった。胆管癌だった。87歳。自宅は保見町。

 通夜は6日夜、葬儀は7日午前11時から、小坂本町のイズモ葬祭豊田貴賓館にて、社会福祉法人恩賜財団愛知県同胞援護会・㈱豊田興産・倉知家の合同葬で行われる。喪主は長女の倉知江巳子さん。倉知さんは同胞援護会の理事長、豊田興産(太啓グループ)の社長を務めていた。

倉知さんが初めて選挙に出たのは昭和46年の県議選だ。豊田市選挙区の定数が2名から3名に増え、商工会議所が中心となって議員を出そうという気運が高まっての出馬だった。若干39歳だった。

 以来11期44年。議長や自民党県議団団長を務めたほか、自民党県連の幹事長や会長などを歴任してきた。平成4年秋に藍綬褒章を受章。28年には豊田市名誉市民にもなった。

 4年前に県議を引退後も様々な団体の役員を続け精力的に出席していた。先月11日に開催された「豊田市民相撲選手権大会」でも、市相撲協会の会長として土俵をみつめ、子ども相撲への熱い思いを語ってくれた。

 私は倉知さんの功績や人柄をあまり知らないので、豊田市議会のベテラン議員やOBに聞いてきた。

 倉知さんの大きな功績は、特に旧町村地域の道路整備に尽力したことだという。舞台裏で動き、忍耐強く事を構えて、行政を動かしていく力のある政治家だったそうだ。

 このように政治は舞台裏で交渉や調整が行われるものだったが、最近は〝透明性〟を求める声が多い。そういう意味で「倉知さんのような政治家はこれからは出てきにくいだろう」という。

 人柄は「取っつきにくそうに見えるけれど話してみるときさく」 「恐いと思ったけど付き合うと優しさのある人」だった。酒は飲むけれどゆっくり派で、酔っ払って乱れるようなことは一切なかったそうだ。ご購読はコチラ.pdf

豊田都心に木育空間誕生  2018.11.30

あいあいの経済効果は?

 豊田都心の松坂屋ビル9階「とよた子育て総合支援センターあいあい」が木質化リニューアル工事を終えて23日にオープンした。本格的な〝木育〟施設の誕生だ=上段に詳細記事=。

 木質化と言っても、木の使用量が適度なためか野暮ったさは無くオシャレに感じた。さすが全国の木育施設を手掛けている㈱内田洋行のデザインだ。

 木育にはいろいろな効果があると言われる。第1の効果は親子の笑顔だ。木製の遊具やおもちゃは子どもたちを夢中にさせる。そんな我が子を見守るママも心が安らぐのだろう。あいあいのオープン時にもそれは実感できた。

 木育の第2の効果は木が好きなファミリーが増えることだ。子育て世代は家を建てる世代でもあるので、木材利用の増加につながると期待されている。大型製材工場を誘致し、これから木材の地産地消を推進したい豊田市としても重視している部分だ。

 木育の第3の効果は集客。人気が高いので周辺への波及効果が期待できる。実際、あいあいがオープンした週末の3日間で、9800人もの親子が遊びに来た。豊田都心の大きな集客につながりそうだ。

 先日、太田稔彦市長と話す機会があったので、木育の集客効果について今後への期待を聞いてみると、手放しで喜んでいるわけではなかった。

 ──豊田市には豊かな森林があるので、木育のやり方はいろいろあると思うんです。都心のビルにある木育施設が賑わうことが本当に良いことと言えるのか… ──

市長が話したのはそんな内容だった。

 それもそうである。とは言え、木育空間が都心の経済に好影響を与えたら、やはり愉快だな。ご購読はコチラ.pdf

いま81歳「1日2食」5年に 酒がおいしい,腹部壮快  2018.11.23

「国際記者」の気分で新聞7紙スクラップ

 豊田市元市長の加藤正一さんは現職市長時代から「1日2食」主義の食事法を励行し、自分の健康を守っておられた。ぼくより十歳近くもお歳上の市長だったが、腹部はほっそり締まり魅力的な体形をしておられた。

 その当時、市役所・農業・漁業の3団体で「豊田市矢作川研究所」が設立された。河川環境専門の研究所としては全国初事例だった。文化人市長の加藤正一さんの存在があり、矢作川研究所は成立したのである。

 当時の話の記憶を思い出すことがある。加藤市長は自宅で朝食をとって出勤し、市役所での昼食をぬいていたらしい。ぼくは漁業団体からの矢作川研究所参加者として、同研究所の初代事務局長をおおせつかっていた。随分前に退任した。

 矢作新報社の方も常任記者は退任した。今は「ぶんや日記」と「やはぎウィークリー」だけを書く自由出勤記者である。この5年間、食事法も完全「1日2食」主義に変えた。

 もともとから夜型生活タイプだった。朝食抜きにした。自宅や会社でコーヒーをいただき、新聞7紙と雑誌を読む。

 「1日2食」5年間で、腹部が細くなり、内臓に壮快感が出た。お酒がおいしくなった。夜は2週に1回ほど出張り、いつもの居酒屋で酒2合と〝縄文人〟のスナックでウィスキー少々。

 ぼくの小づかいは月額7万円だが、酒、タバコ、医療費で消える。今月も1万円前借りした。それが酒、タバコの総量規制になっている。夜なべ仕事が忙しい。〝国際記者〟になった気分で新聞7紙を精読し、新聞記事のスクラップ帳を作る。

 記憶力が衰えているので、小さな外電記事から、米政府・日本政府・沖縄県地方政府の動向をまとめるには、新聞記事の整理が欠かせない。「中日」「しんぶん赤旗」は外電の豆記事も解説の大記事もすばらしかった。日本のジャーナリズムは正確で真面目だ。デニー知事のアメリカ遊説記事では真実報道を競っていた。ご購読はコチラ.pdf

オール沖縄が知事選挙圧勝し直接民主主義の県民投票へ  2018.11.16

沖縄の「主権回復」が今後の国内政治課題

 沖縄県は日本列島南端の鹿児島県の南に続く島国である。南北に細長い沖縄本島の周囲に無数の小島がある。西方は東シナ海であり、南・東は太平洋だ。

 その沖縄県の総面積は日本の0・1%未満。その狭い沖縄に在日米軍施設の70%が集中する。長い歴史があった。

 沖縄はかつて「琉球王国」に属する主権国だった。江戸期以降は日本本土政権の〝半植民地〟にされていた。

 そして1945年、日本軍国主義敗戦。当時の沖縄を支配していた日本軍は現地の地上戦(沖縄戦)で壊滅。それが日本の連合国に対する無条件降伏につながった。

 沖縄戦は日本で初の大規模な地上戦だった。この戦いでは旧日本軍が壊滅的打撃をうけただけではない。民間の犠牲がひどかった。女性、子供を含めて当時の沖縄人口の4人に1人が犠牲になったという。沖縄の人々の忘れられぬ戦争記憶だ。

 戦争・敗戦・占領を経て、沖縄は「自己決定権」の喪失感に悩まされてきた。在日米軍基地の約70%が沖縄に集中している。沖縄は戦後70年も米軍基地負担を担い続けてきた。地域政策として異常だが、これは過去の経過である。

 そして現在はどうか。政府は名護市辺野古の海を埋め立て米軍の新軍事基地を建設しようとしている。県知事選で示された世論では県民の60〜70%が「辺野古新軍事基地ノー」だが、政府は米軍新基地建設のために、国営工事で辺野古の海の埋め立てを始めた。

 来年2月には、新軍事基地建設反対派の住民の陳情をうけて、沖縄県庁主催で新軍基地賛否を問う県民投票が行われる。その結論が出る前に、政権は埋立を進めてしまいたいかのようである。

 中日新聞によると、玉城デニー知事が「辺野古ノー」の理解を得るためアメリカ遊説中だ。米世論は好意的らしい。世界は軍縮時代なのに日本の国家予算で米軍基地建設に参加することなど許されるとは思わない。ご購読はコチラ.pdf

仲井真弘多・翁長雄志・玉城デニー 3代沖縄知事選の中心テーマ  2018.11.9

政権は「民主主義」取り戻そう

 10月31日の「毎日新聞」社説が、最近3回の沖縄県知事選の経過をまとめて書いた。
 これで沖縄現代史の軍事基地事情が見えてきた。論戦の大テーマは沖縄本島中部の名護市辺野古の海岸を埋め立て、米軍新基地を建設することの是非だった。政権側はその新基地に事故多発の古い普天間空軍基地(宜野湾市)を移設する計画だ。

 毎日新聞によると、前々沖縄県知事の仲井真弘多氏(沖縄電力出身)は、普天間空軍基地の移転先は「沖縄県以外」と公約し知事に当選した人だ。

 ところが、仲井真知事は当選後に政権派へ変節。同知事の下で沖縄県が名護市辺野古の埋め立て・新軍事基地建設の政権方針を承認したのである。5年前のことだ。

 見返りに政権は多額の沖縄県振興費を支出したという。仲井真知事が「これで沖縄は良い年が迎えられる」とつぶやいたとの言い伝えが残っている。

 仲井真氏の地元世論無視の変節によって、中央政権と沖縄地方政権の〝辺野古基地〟対決姿勢は一時あいまいになったが、その後沖縄知事選が2回あり、米軍基地縮小の動きが再び活発になった。

 2014年知事選には、元自民党沖縄県連幹事長・元那覇市長などの要職を歴任した保守穏健派の実力者、翁長雄志氏が出馬した。

 その翁長氏には政治理論があった。沖縄の政治はイデオロギー対立を繰り返していてはならない。米軍基地を減らす共通目標で団結すべきだ。

 この理論で翁長氏は保革政党・市民運動合作の「オール沖縄会議」を設立。知事選では10万票の大差で政権派を破った。(翁長知事は一期目の任期満了直前に病気で急逝)

 2018年沖縄県知事選では、翁長前知事後継の玉城デニー氏が政権派を8万票の大差で破った。デニー新知事が政権側に辺野古新軍事基地建設中止を求めているが、政権側は地方や市民世論を無視し、強行突破方針だ。これで民主主義政治なのか。沖縄県民投票の結果を待ちたい。ご購読はコチラ.pdf

豊田市博物館の基本計画 矢作川が軸の総合博物館に  2018.11.2

地域資料館の活用が課題

 豊田市博物館の新設に向けて、学識者らで昨年7月から検討してきた「基本計画策定委員会」の最終回(第7回)が先月22日に開催された。12月に完成させる基本計画の最終案を事務局(文化財課)が示し、委員たちは最後まで様々な意見を出していた。

 博物館を建設するにあたって大きな課題として挙げられている一つは、旧町村地域にある「地域資料館」や「個別資料館」を、博物館とどう連携し活用していくかだ。

 「地域資料館」は藤岡・足助・旭・稲武の4箇所にあり、「個別資料館」は松平郷館・民芸館・棒の手会館・足助中馬館の4館がある。小原交流館内に昨年できた歌舞伎伝承館は両者の複合型だ。都心にある郷土資料館や近代の産業とくらし発見館については博物館へ統合となる。

 市は博物館を中核にして、「地域資料館」や「個別資料館」と役割分担しながら一体的なネットワークを構築するとしているが、まだ具体的な展望までは示していない。この点については多くの委員が懸念している。

 もう一つ挙げられている大きな課題は、博物館の管理運営体制の規模が固まっていないことだ。予算についても示されていない。要するに、まだ市役所の本気度が見えてこないのだ。

 駐車場不足も大きな課題の一つだ。文化ゾーン内の3施設(市民文化会館・美術館・博物館)がそれぞれ特別企画で集客したら、駐車場はどうにも足りなくなるはずだ。文化ゾーンの周辺地域に迷惑が掛かる事態もあり得るだろう。

 そうした様々な課題はあるものの、やはり博物館ができるのは楽しみだ。

 博物館の建設予定地は旧豊田東高校の跡地。歴史だけでなく、文化や自然の分野も含めて、矢作川をバックボーンにした総合博物館になる。もちろん辛気くさい旧来タイプの博物館でなく、多くの市民が集まり、市民自らも活躍できる、郷土愛を育むための施設になる。

 完成時期は未定だが順調に進めば2020年代の半ばにはオープンしそうだ。ご購読はコチラ.pdf

挙母祭りの残念なところ ラッパの無い祭りを見たい  2018.10.26

文化財の専門家は若い衆に怒り心頭

 挙母祭りを初めて取材したのは20年前のことだ。はじめの頃は、その年の主役である華車(山車の列の先頭)の町を順番に密着取材して、祭りの素敵な部分や、地域に果たしている祭りの役割をたくさん見てきた。

 その一方で、毎年祭りをみていて違和感が強まってきたのが、若い衆が鳴らす「突撃ラッパ」だ。

 ラッパ導入の経緯は聞いたことがあるが、あれほど祭りの雰囲気を壊すものが、なぜ各町に浸透してしまったのだろうか。山車の中で一生懸命に奏でているお囃子を、自分たちのラッパで掻き消しているのだから不思議ですらある。

 そう思っている人は祭り関係者にも多いのだが、なかなかラッパを無くせないまま続いてきてしまった。挙母祭りの不思議なところであり、一番残念なところだ。

 ところが最近、嬉しいことに、ラッパの音が減ってきたように感じる。特に夜の七度参りを見ていてそう思うのだ。

 このまま挙母祭り全体がラッパを使わない方向へ進んでいくことを期待したいが、まだまだ町によって温度差がある。すべての町が足並みを揃えてラッパを無くすには、もう少し時間が掛かりそうだ。

 別の話だが、若い衆の気づきを待っていては手遅れになりそうな大きな問題もある。文化財保護の視点だ。

 挙母祭りの8台の山車は愛知県と豊田市の有形民俗文化財に指定されており、行政から補助金も出ているが、若い衆にそうした意識のない町もある。

 今回の祭りでも、山車の上に大勢の若い衆が乗ったり、そこでタバコを吸ったりしている町があった。そうした様子が写真にも撮られている。公式な発言ではないものの、文化財の専門家が「あれはもう指定取り消しだ」と口にするほどの悪評になっている。

 こうなると、もう若い衆の問題だけでは済まなくなってくる。ラッパの問題とあわせて、いま一度、若い衆のあり方を考える時期だと思う。

 いつかラッパの無い挙母祭りを見てみたいものだ。ご購読はコチラ.pdf

安倍政治スタイル2連敗 沖縄県知事選今回もオール沖縄派が圧勝  2018.10.19

保守「農本主義」が市民運動連係

 9月30日の沖縄県知事選挙は「オール沖縄」派擁立の玉城デニー氏(58)が、自民・公明連立の安倍政権マル抱えの佐喜真淳氏(54)を8万票の大差で破った。

 4年前の2014年知事選でも安倍政権は〝本土政権〟が地方の「オール沖縄」派を〝支配〟する形で145万人沖縄県民とは協議せずに、米軍普天馬空軍基地を名護市辺野古の海へ移転しようとした。

 その前回知事選で初めて、翁長雄志氏(元那覇市長)が沖縄県政界に登場し、保革合作の「オール沖縄会議」を設立。沖縄の軍事基地負担軽減を世界に提起した。沖縄県は日本の1%未満の狭さだが、そこに在日米軍施設の70%が集中する。

 日本の基地強化を望む安倍政権のもとで、前回沖縄県知事選があり、翁長氏が基地容認派の政権派候補を大差で破り、知事当選した。

 これが2014年・前回知事選での政権側候補の〝第1回大敗〟の記録だ。中央政権派が地方のオール沖縄派に大敗したのである。

 ところが大勝した翁長知事が一期目の任期満了直前の時期に、68歳で膵臓ガンにて逝去。9月30日に知事選があり、前述の通り再び政権側が大敗した。

 政権の〝9・30ショック〟の原因は何なのか。個々の政策批判というより、安倍政権の〝政治スタイル〟への批判だった。安倍政治は軍事基地建設についても強権で、地方とは協議しないスタイルだ。

 アベノミクス失敗で地方経済は疲弊しているが、いつまでも〝経過中〟の弁解ばかりのスタイルだ。

 それでは「オール沖縄」派とは? 社会学という学問の中に〝農本主義〟という分野があり、農・森・海が「国の大本」と考える。「オール沖縄」派もこの系譜の自民穏健派の翁長雄志氏らが設立した会派で、市民運動とも連係している。

 最近事情では、沖縄県と同県議会が軍事基地建設賛否の県民投票を行う。県民世論に決着をつける。これで政権内事情が変わり、政権とオール沖縄派の交渉にも新展開があるかも知れないのだ。ご購読はコチラ.pdf

安倍政権の基地新設に「直接民主主義」で対抗    2018.10.12

沖縄県民9万2848人投票実施を直接請求

 沖縄県名護市辺野古の海はサンゴ、ジュゴン、海亀などが生息する美しい豊穣な海域である。

 去る9月30日の沖縄県知事選挙は、この「辺野古」の海の保全を中心テーマとして行われ、保全派で〝オール沖縄派〟の玉城デニー氏(58)が大勝し、政権派の佐喜真淳氏(54)を破った。すでにデニー氏は知事に就任した。

 知事選に続く「沖縄県民投票」は、辺野古を米軍基地にすることの是非を問う「県民直接請求」の賛否投票だ。

 現在、沖縄県宜野湾市の市街地に米軍普天間空軍基地があり、事故が多発している。

 日米合意の事故対策は、辺野古の海を埋め立てて新軍事基地を建設。そこに普天間空軍基地を移転する内容。しかし沖縄県もオール沖縄派も軍事基地縮小派だ。辺野古に新軍事基地を受け入れる余地はない。県民投票条例による投票で、新軍事基地は拒否されるだろう。

 沖縄県議会が審議中の「辺野古」県民投票条例案が制定されると、政権の思いのまま軍事基地を建設することはむつかしくなる。日本の民主主義の進歩だ。市民運動発想で補強されたと思う。

 今後は地方にとっても新しい日米交渉が必要な時代だ。米側報道も日本・沖縄への関心を深めている。

 10月1日、米ニューヨークタイムズ社説が玉城デニー知事当選を報じ、「日本や周辺の安全保障のため沖縄県民が基地負担の犠牲にされるべきではない」と国外事情では異例主張。その米紙社説を中日新聞が速報で日本に紹介したのである。ご購読はコチラ.pdf

農協・森林組合・漁協が初会合    2018.10.05

協同組合の理念がユネスコ遺産に

 あいち豊田農協が発起人となって先月末、豊田市内の第1次産業の協同組合(農協・森林組合・漁協)が集まり、初会合を開いた。その名も「協同組合間協同に向けた意見交換会」。おもしろい事が始まりそうだ。

 きっかけは2年前、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に「協同組合の思想と実践」が登録されたことだ。ドイツからの申請だった。

 あいち豊田農協の柴田文志組合長は挨拶で「あの登録からもうすぐ2年。この地域の協同組合で一緒に何かやれないかと温めてきました」「組合と組合が顔を付き合わせてお互いの組織を知り、何かやれないでしょうか」と提案した。

 こうした協同組合の連携はユネスコ無形文化遺産登録を契機に広がっており、全国41県で動きがあるという。最も多いのはやはりイベントでの連携。生活協同組合が加わると産直販売も多いようだ。

 今回出席したのは、あいち豊田農協、豊田森林組合、矢作川漁協、巴川漁協の4組合。次回には名倉川漁協も仲間入りするはずだ。

 さて、この5組合が連携して何ができるかと考えると、やはりまずはイベントだろう。

 イベントというと軽く思われがちだが、協同組合にとっては重要になってきている。組合員を相手にするだけでなく、広く一般市民も相手にしなければならない時代なのだ。

 例えば森林組合では、木材ファンの市民を増やして利用拡大を図らなければ、材価が安すぎて山の伐採を依頼した組合員(山主)に満足なお金をバックできない。

 漁協で言えば、魚病の蔓延と河川環境の悪化でアユ釣りファンが減り、組合員も高齢化・減少している現状では、組織の存在意義すら問われかねない。アユ釣りだけに目を向けていてはもう先がないのだ。

 大組織の農協にしても、環境保全型農業を拡大して行くには、少々高価でもそれを買い支える消費者ファンを増やす必要があり、既にずいぶんPRに力を入れている。

 協同組合間協同がどんな方向へ発展するのか楽しみだ。ご購読はコチラ.pdf

沖縄県が新方針 「辺野古」米軍基地建設賛否問う    2018.09.28

基地賛否の県民投票は知事選終了後の日程

 日本南端の沖縄県の政界で、政治の直接民主主義系譜の「県民直接投票」の準備が進行中である。共産の「しんぶん赤旗」が9月21日号で報じた。

 沖縄県では現在、オール沖縄会議の総帥だった故翁長雄志前知事の後継を選出する知事選が進行中である。知事選挙の争点は前々から沖縄の米軍基地の存在を批判し、基地の数を減らすことだったが、目標は実現せず〝焦点ボケ〟選挙が長く続いていた。

 そういう事情の中で、政権側候補が争点隠しをするようになった。今回も「辺野古基地は地方自治の課題ではない」としてノータッチで通したのである。

 まず、オール沖縄会議の民間側が決断した。辺野古米軍基地の新設に対しては、政治の直接民主主義の課題に位置づけた。沖縄県当局も同調した。

 沖縄県は9月20日、名護市辺野古の米軍新基地建設の賛否を問う県民投票条例案を県議会に提出した。条例案は知事選投票後の10月2日から県議会の米軍基地関係特別委員会で審議される。

 この県民投票条例案が委員会審議を経て議会本会議で可決されると、同条例公布から6ヵ月以内に、米軍新基地建設の賛否を問う県民直接投票が実際に行われるはずだ。

 県議会本会議での県側の同条例案提出説明によると、県民投票を求める署名者数は法定数(2万3171名)を大きく上回る9万2848名にのぼった。

 この県民直接請求条例を出したのは「『辺野古』県民投票の会」。
同会代表の元山仁士郎さんは「県民が正しい判断材料で意思表明することに意義がある。民主主義社会と沖縄の未来のために重要な直接請求条例です」と。

 現在進行中の県知事選で、安倍政権の全面支援を受けている佐喜真候補と、オール沖縄派のデニー候補のどちらが優勢かはわからない。

 しかし、県民直接投票で「辺野古新基地」がきびしく批判される情勢になったと思う。ご購読はコチラ.pdf

沖縄県知事選9月30日投票    2018.09.21

焦点は「辺野古新基地」建設だが政権派・佐喜真候補は無視姿勢

 沖縄県の翁長雄志知事が8月8日、膵がんで闘病中の病院にて、享年67歳で早逝した。

 翁長氏は那覇市の知識人政治家の家系の人で、那覇市議・同市長、自民党沖縄県連幹事長を歴任。2014年11月、辺野古基地移設反対を掲げ、当時の現職に10万票の大差で、知事に初当選した。

 翁長知事の後継を選ぶ知事選は9月13日告示され、4人が出馬表明。30日投票の知事選は、①安倍政権が全面支援する前宜野湾市長の佐喜真淳候補(54)=自・公・維・希推薦=と、②元衆議院議員の玉城デニー候補(58)=翁長知事後継指名・オール沖縄会議擁立=の両者対決になる。

 政権与党支援で〝物量戦〟が可能な佐喜真候補と、市民・女性人気で〝大量票〟も期待できる玉城デニー候補のどちらが強いか、まだよくわからない。

 玉城デニー氏の父親は米軍兵士。母親が日本人女性の玉城さん。産みの親・育ての親の2人の日本人女性の愛情で、デニーさんは沖縄で育った。

 専門学校を卒業し福祉のプロになった。沖縄3区で衆議院議員に当選。小沢一郎自由党共同代表のもとで、同党幹事長に。

 翁長雄志知事のもとで「オール沖縄派」の国会議員をつとめ、今回病床の知事自身から知事後継候補者に指名されていた。最近知ったことだ。

 故人の翁長雄志氏は自分の口で政治哲学を語る異色の知事だった。沖縄は「イデオロギー対決よりアイデンティティー(個性・体験)の同一性を語れ」などと言った。悲惨な沖縄戦の体験を忘れずに、平和な沖縄を作ろうという趣旨から、保守・革新共同の知事選を発想し、翁長知事が誕生したのである。

 この異色の発想が異色のデニー候補登用につながったと思われる。

 政界の保守・革新の対立ドラマは一つのドグマだという考えが、翁長雄志氏にはあったと思われる。ご購読はコチラ.pdf

敗戦前後の梅坪の家は… 子供は男5人・女2人    2018.09.14

子供が家畜や犬猫鳥を飼育

 昭和20年8月15日に日本が敗戦した。ぼくは小学2年の8歳だった。少年の日々の戦争体験はよく記憶している。濃密な戦争体験があったのである。

 いまの豊田市梅坪は沖縄のような地上戦があったわけではない。東京や名古屋のような都市空襲もなかった。

 しかし戦争は日々近くにあった。旧日本海軍の伊保原飛行場(特攻隊基地)が至近距離にあったからだ。米軍戦闘機が基地爆撃の帰りに小学校通学団に機銃掃射をあびせた。

 旧日本海軍の若い士官がぼくの居間の隣りに2人ホームステイしていた。その若い士官のお兄ちゃんから戦争の話もきいた。

 梅坪の家は養蚕農家だったから広かった。士官のお兄ちゃんもぼくも二階の部屋で寝たと思う。

 豊田(旧挙母)は戦争中、既に自動車工業都市でもあり、海軍飛行場(特攻隊基地)のある軍事都市の顔も持っていたのである。

 梅坪から自転車で1時間も南へ走ればトヨタ自動車本社工場があり、逆方向の北へ1時間程の位置に海軍飛行場があった。その自転車で2時間エリアの山林で少年らは小鳥をつかまえ、小鳥屋に売って学費をかせいだ。

 その山林あたりは海軍飛行場エリアでもあったので、少年らの戦争体験は濃密だった。当時の梅坪の家は爺さま、婆さま、父母、子供7人、親戚の人らを合わせ15人の大家族だった。父はトヨタマンだった。ほかに牛、豚、山羊、鶏、犬猫などの家畜、小動物が無数にいた。
 それらをぜんぶ合わせての戦争体験だった。

当時、地震が多発したので、空襲警報のサイレンで防空壕に逃げ込み、地震で逃げ出したのを覚えている。

 母は多産の人だったが母乳が出なかった。ぼくが山羊を飼い乳をしぼった。ぼくを含めて7人の子らは山羊の乳で育った。

 少年の戦時期の日々の記憶の中で、この乳しぼりは今でもぼくが思い出して自慢げに語れることである。ご購読はコチラ.pdf

矢作川感謝祭に8組合集結    2018.09.07

協同組合が流域意識を高めるか

 先週末に開催された「矢作川感謝祭」に参加していて、感動したことがある。

 一つは矢作川流域(長野・岐阜・愛知)の4つの森林組合すべてが同じイベント会場に集まったことだ。

 もう一つは、その森林組合も含めて、農業協同組合、川の漁業協同組合、三河湾の漁業協同組合と、第一次産業の協同組合が8団体も顔を揃えたことだ。もちろん、これまでにこんな事は無かった。〝流域〟というものをリアルに実感でき、とても感動したのだ。

 長野県の根羽村森林組合は木製の大型遊具を多数出展。岐阜県の恵南森林組合はマイ箸づくりのワークショップを出してくれた。

 豊田森林組合は大型の高性能林業マシンを運び込み、迫力ある実演を披露。岡崎森林組合は職員の音楽バンド「岡森フォレスターズ」が山仕事の熱い想いを歌って聞かせてくれた。

 森林組合としては、中流・下流の都市住民が山や木材のことを理解してくれなければ明るい未来が無いことを分かっている。だからこそ下流を向いていて、流域意識が高いのだと思う。

 三河湾の東幡豆漁協は干潟の生きものを運んできて展示してくれた。一色うなぎ漁協もわざわざ豊田までウナギ串を焼きに来てくれた。海の漁協としては、水や土砂の供給元である上流・中流の人たちに、海の課題を知ってほしいと願っている。だから上流を向いていて、流域意識が高いのだろう。

 中流に位置する矢作川漁協や、あいち豊田農協はどうだろうか。上流も下流も向いている割には、流域意識はあまり強くないように感じる。中途半端なのかもしれない。流域意識を高めるにはどうしたらよいのか…。

 あまり知られていないことだが2年前、ユネスコの無形文化遺産に「協同組合の思想と実践」が登録された。今回、流域の8協同組合が矢作川感謝祭に集まったのをみて、そのことを思い出した。

 矢作川流域の協同組合が集まって「思想と実践」を語り合うのもおもしろそうだ。そこから流域意識が広まるかもしれない。ご購読はコチラ.pdf

中央公園2期整備計画 豊田タジアム隣地10年で  2018.08.31

リスなども棲む公園環境めざす

 豊田市中央公園整備構想は平成5年に策定され、その第1期計画は平成13年の「豊田スタジアム」建設で終了している。

 続く第2期計画が今回市公園緑地整備課から発表された。場所は豊田スタジアムの北東側の隣接地の、豊田北高校・寺部小学校地区。第二期の敷地面積は第1期の2倍余ある。着工未定、完成は10年後の予定だ。

 市公園緑地整備課によると、中央公園には外周林を創り、内部に小川も設置し、森と小川のある自然環境をめざす。仮称「フォレスト・レガシー・パーク」と呼ぶという。

 この中央公園隣地の矢作川で、NPO矢作川森林塾(硲伸夫理事長)やトヨタ労組の河畔林整備が進んでおり、密生竹林がすでに除去され、自生の森林環境ができている。

 これは山村地区なら「雑木林」の誕生だが、中央公園のある都市部では「都市林」の成立である。すでに大・中・小木の河畔の森ができている。昔々から洪水で下枝を払われた一本立ちのケヤキの巨木群もある。欧州の大河ドナウ並みの河畔林が見られるのである。

 矢作川の生物生息環境は大きく前進した。人が水辺を散策したくなる。野鳥は種類も数も増えた。そういう調査報告がある。

 ドナウ河ではリスの生息が普通に見られたが、矢作川の豊田都心部にはまだリスは戻っていない。見通しは明るいと思う。

 矢作川の都市林も猿投運動公園の雑木林も、もうリスが棲める生息環境であると思われる。リスの移動通路がどこかで分断されているのだろう。研究不足が原因だろう。

 中央公園の整備計画が進行中である。NPO矢作川森林塾が密生竹林伐採で整備した矢作川「都市林」の生物生息環境は上々と思う。

 その「矢作川都市林」と中央公園2期整備でつくる「予定外周林」はすぐ隣りの位置になると思う。この二つの生物生息環境を接続する構想がNPO・市の間で語られてきたが、今日まで実現していない経緯がある。ご購読はコチラ.pdf

8月15日は「終戦の日」か? 雑誌世界「軍事機密費」を特集  2018.08.24

日本の社会学の大きな研究成果

 日本の軍国主義政治を牽引してきた旧日本軍が1945年8月15日、米・英・中・ソ軍や、朝鮮半島ゲリラ軍に敗北した。日本は新憲法9条のもとで平和国家樹立を宣言し、戦後73回目の戦没者追悼式が今年も東京・日本武道館で挙行された。

 戦後日本は同じ追悼式を毎年繰り返してきて進歩がなかったが、しかし今年は事情が大きく違うのだ。日本軍国主義の〝権力の闇〟を支えてきた「軍事機密費」を岩波書店の雑誌『世界』が特集したのである。社会学者でジャーナリストの渡辺延志氏が独自調査にもとづき、同誌最新の9月号で詳報(約10ページ)を書いた。

 軍事政権の機密費の実体のほか、当時の軍事政権予算と現安倍政権の沖縄自治予算はどこが違うのか、具体的に論じ合うことが可能になった。

 軍事「機密費」は陸海軍の戦費に盛り込まれ、戦争の現場で消費されただけでなく、政権中枢への政治資金、交際費として東条英機らに上納されていた。領収証不要の巨額機密費の流れの実体が初めて明らかにされた。

 当時と貨幣価値が違うので比較はむつかしいが、月々〝億単位〟の政治資金が流れたとされる。すでに雑誌『世界』9月号が発行されているので、同誌を読まれたい。

 ぼくは今年81歳の矢作新報の老人新聞記者である。73年前の「1945年8月15日」を思い出そうとしている。小学2年・8歳だったと思う。今の豊田市梅坪の矢作川で遊んでいた。夏休みの暑い日だった。

 正午、上級生が指示した。梅坪の饅頭屋のお店のラジオの前に全員集合せよ。「日本は戦争に負けた。もうB29の爆撃もグラマンの機銃掃射もない。天皇陛下が玉音放送で、その話をされるからお聴きしなさい」

 戦争は終わった。ぼくは少年の頃から8月15日を「終戦の日」とは思わなかった。青春期には「日本軍国主義敗戦の日」と思った。自分や友人にはそういう戦争体験があったのである。ご購読はコチラ.pdf

自民党も立憲民主党も被害者の生命を大事に  2018.07.27

日本は人間の生命が軽い国である!

 中日新聞が6月22日政治面で、北朝鮮による日本人拉致について、新しいニュースを報じた。米朝首脳会談が行われた今年6月12日頃わかった情報という。

 これによると北朝鮮が神戸市の元ラーメン店員田中実さん=失踪時28歳=と、元同店員金田龍光さん=失踪時26歳=の2人の拉致を認めたのは4年前の2014年で、「それ以降は日本人の北朝鮮入国者はいない」と主張しているという。

 4年前の右の2人の日本人拉致情報を北朝鮮がいま告白し、「あれが最後の日本人の北朝鮮入国だった」と言われても信じられない。日本人拉致問題は「4年前に解決済み」という従来の主張を繰り返すための〝作文〟と思われる。

 それ以前の2002年の日朝首脳会談で、小泉純一郎当時首相が5人の拉致被害者を釈放させ、日本に連れ帰った。

 その帰国者からの確かな情報として「まだ20人程の拉致(誘拐)被害者が北朝鮮に生存している」と伝えられてきた。

 しかし日本政治は与党の自民・公明も野党の立憲民主も、その確かな情報を今日まで確定するに至っていないのである。北朝鮮の言う「解決済み」は事実ではない。日本政府は「北朝鮮制裁」を声高く叫ぶだけで「被害者の生命尊重」の立場での被害者解放の取引交渉を北朝鮮に提起しなかった。野党の立憲民主も友党の韓国政権与党と連携しての人質情報はつかまなかった。

 日本の政治では「自国民保護」や「生命尊重」の思想が希薄なのである。欧米から見て異常な国である。民主主義後進国の北朝鮮からも軽く見られている。日本政治が問われているのである。今日の北朝鮮拉致被害者解放交渉を見ていて、日本の政治では人間の生命が軽いと思われた。

 韓国も「民主主義後進国」だったと思う。昨年の民衆の「ローソク革命」が、韓国政治の民主主義を確立したように思われる。社会民主主義政権の韓国・文在寅大統領の動向が注目される。ご購読はコチラ.pdf

81歳老人記者が自分の少年期の戦争体験を書く  2018.07.20

米軍は少年を撃たなかった

 日本敗戦の日の昭和20(1945)年8月15日は、当時小学2年のぼくには「暑い夏休み」の晴天の日の出来ごとであった。

 上級生の指示で、今の豊田市梅坪に3軒あったお店の一つの饅頭屋のラジオの前に集められ、天皇陛下の敗戦の辞を聴いた。ラジオの雑音がひどく、敗戦の辞の内容はよくわからなかった。

 上級生が今日から米軍グラマンの爆撃も機銃掃射もないというので、ぼくらは矢作川へ遊びに戻ったと思う。

 今の豊田市立挙母小学校区は、中心市街の挙母地区と、ぼくら田舎の梅坪地区から成り立っていた。米軍グラマンは隠れる場所がない梅坪の通学路でも激しく機銃掃射した。しかし、グラマンは生徒の足もとをオドシで撃っているだけだった。非戦闘員の子どもは一人も撃たなかった。少年の死者はゼロだった。不思議な戦争体験の記憶である。

 ごく最近の話だ。老人新聞記者になったぼくは古い戦争体験を回想し「梅坪通学団の子どもの死者はゼロだった」と書いた。

 ぼくと同年齢の挙母地区のF・Kさんがメールをくれた。あの記事は間違いではないか、という内容。隠れる場所もない梅坪の通学路で少年の死者ゼロというのは、老人記者の戦争記憶回想の〝幼想〟と受け止めておられるフシを感じた。

 正確に追憶しておこう。ある日、少し離れた東方からグラマンが通学路上空に急降下して路上に機銃掃射をあびせ、西方に飛び去った。急降下で接近してくる時、操縦士がぼくら地上
の少年に手を上げた。ぼくらも手をふったかも。

 この時はじめて、米軍のグラマンは非戦闘員の子どもは撃たないのだと思った。8歳の少年の戦争認識だと思う。伊保原海軍航空隊基地周辺の少年の戦争体験である。

 私の梅坪の家には海軍航空隊の士官が何人かホームステイしていた。特攻隊の脱走兵の現場も見た。爆撃も機銃掃射も体験した。少年期の戦争体験は充分していた。戦争をよく知っていたと思う。ご購読はコチラ.pdf

ミサイル迎撃システム2基2千億円やめて! 2018.07.13

軍備拡張よりは山村少子化対策

 今年6月23日付けの「中日新聞社説」を読んだ。主張が明確だった。米朝首脳会談の成果を詳しく伝え、その国際合意と日本の防衛力整備との整合性を考えていると思われた。

 つまりこう述べていた――米朝首脳会談後の情勢変化にかかわらず、安倍内閣は地上配備型迎撃システムの導入を進めるという。防衛力は経済の度合いに応じて節度を保って配備すべきだ。計画を見直してはどうか――

 安倍内閣の防衛力整備計画によると、北朝鮮から飛来する弾道ミサイルは、従来は海上自衛隊の護衛艦搭載の迎撃ミサイルで撃ち落とす想定だった。しかし新しい閣議決定では、現迎撃ミサイルに加えて、地上配備の「イージス・アショア」ミサイルも秋田・山口県の各陸上自衛隊に配備、日本全体をカバーする方針だ。これが1基1000億円という。2基で2000億円の新しい大軍拡予算である。

 日本の防衛では、世界規模で国際情勢の緊張緩和や軍縮を実現し、そこから生ずる財政余力を少子高齢化や環境問題へ振り向けるような、新タイプの政治づくりに成功していない。むしろ政権与党の政治は後退した。北朝鮮のミサイル危機をあおり、軍事的に強い日本づくりを推進した。その一つが今回の陸上型迎撃ミサイル配備の閣議決定だ。

 日本の山村はいま少子化で衰退している。豊田市旭地区の中心部にある小渡子ども園が地域の少子化で廃園のピンチにある。山村地区では農地も荒廃ピンチだ。1基1000億円で米軍の迎撃ミサイルを買うより、山村の荒廃や子育てピンチを救うために使って欲しいと私は思う。

 北朝鮮によるミサイル危機などは世界的な「軍縮」交渉や「戦争防止」交渉で解決できる。そのチャンスがいま来ているのである。米朝と朝鮮半島の首脳会談実現の成果である。

 在韓米軍や在日米軍の撤退・縮小が次の国際政治の日程にすでに上がっている。日本の沖縄問題がらみであると思う。ご購読はコチラ.pdf

「あいち森と緑づくり税」見直し     2018.07.06

国の「森林環境税」で二重、三重課税も

豊田市議会が6月定例会で、「あいち森と緑づくり税」と「あいち森と緑づくり事業」の継続を要望する意見書を愛知県へ提出すると決めた。

 「あいち森と緑づくり税」=約22億円=の課税期間や内容は、愛知県が5年ごとに見直すことになっており、現在の2期目は来年度まで。さらに5年間延長するかどうかを9月の県議会で決めるようだ。

心配されているのは国が新たに創設しようとしている「森林環境税」との関係だ。「あいち森と緑づくり税」のある愛知県では二重課税になる。

 さらに言えば、水道使用量1トンあたり1円を上乗せ徴収して「水道水源保全基金」を運営している豊田市では、三重課税のような状況になる。

 県民、市民の多くは森林問題に関心が薄いので、二重課税、三重課税の話はデリケートな問題だが、森林整備を支える公的な仕組みは継続して欲しい。

 国が新設する森林環境税はどう使われるのかよく分からない。

 先月開催された豊田森林組合の総代会で、来賓の古本伸一郎代議士はこう話していた。

──森林環境税はおそらく住民税に乗せて500円とか1000円を徴収すると言われていますが、それが豊田市の森ため、愛知県の森ために使われる保証はありません。国が一旦召し上げると何に使うか分からないんです。与野党を超え、愛知県の山を守るために使えるよう知恵をしぼりたい──

 豊田森林組合の総代会では、愛知県森林協会長でもある三浦孝司県議も次のように呼びかけていた。
 ──あいち森と緑づくり税は、山を守り、緑地を守り、里山づくりにも利用させて貰っています。山を持つ者、地域を持つ者として、この税をもっと有効に使いたいし、継続したい。県議会も9月定例会で決めなければなりません。豊田森林組合のみなさんも今日の総代会で議決を頂ければという思いです──

大村秀章県知事は、若いころ林野庁にいた人。増税は嫌がっても「あいち森と緑づくり税」の継続には理解があるようだ。ご購読はコチラ.pdf

子ども死者ゼロ なぜ?         2018.06.29

日本海軍特攻隊基地の周辺で小学校通学路を米軍機銃掃射

 1937(昭和12)年5月生まれのぼくは81歳の老人であり、小学低学年・8歳の戦争記憶がある。米軍B29の空襲で防空壕に逃げ込み、三河地震で防空壕から逃げ出した。

 B29の夜間爆撃で名古屋や岡崎が赤々燃え上がるのも見た。

 今の豊田市梅坪がぼくの産れ在所だ。その北の外れに「枝下用水」という超大型の農業用水路が今もある。その北方が旧猿投村エリアであり、伊保原という広大な農業開拓地だった。

 その伊保原に日本海軍航空隊の飛行場(特攻隊基地)が進出してきた。伊保原は軍事基地になった。その隣地の梅坪のわが家にも若い海軍士官がホームステイしていた。

 枝下用水路はぼくら子どもの水泳場でもあった。或る日その枝下用水路の橋という橋に、機関銃が設置され番兵がついていた。ホームステイの士官に聞くと、特攻隊から脱走兵が出たので捕えるためだという。

 太平洋上の米軍航空母艦からは毎日、艦載機グラマンが伊保原飛行場へ爆撃に来た。その帰途、グラマンは梅坪の通学路上に飛来し、小学生の足もとにバリバリ機銃掃射を浴びせたのである。

 グラマン飛行士が機上から手を上げるのを見た。ぼくらもグラマンに手を振ったに違いない。もう70年以上も前の戦争記憶だが忘れていない。

 米軍艦載機グラマンは執拗に伊保原海軍の特攻隊基地を爆撃し、帰りにいつも通学路を機銃掃射した。しかし米のグラマンが梅坪地区の通学路で、ぼくら日本人少年を一人も射たなかったのは事実だった。ぼくは忘れていない。

 最近のことである。米朝首脳会談はトランプ大統領の気まぐれな心変わりで、途中ハラハラする場面があったが、ぼくはアメリカ人の実利主義を信じることにし、事態の新展開を待つことができた。

 ぼくが8歳の少年だったあの日、小学校通学路のグラマン機銃掃射で生徒の死傷者はゼロだった。忘れていない戦争記憶だ。ご購読はコチラ.pdf

前むきの発想むつかしい後ろむきに前半生を回想する   2018.06.15

「老人性怒り症」自己治療記から

 ぼくと同年配の友人のAさんは「老人性怒り症」の患者だったと思われる。ぼくも同じ精神疾患の気配をかすかに自覚していたので良くわかった。

 豊田は労働者の街であり、中間管理職には老人性怒り症の予備軍が数多くおられた。記者として実情取材したことがあった。

 或る日、Aさんは同症状の怒りのため、上げた片手が協議中の職員の体にふれた。暴行容疑で告発され、過去の公職者としての名誉も剥奪された。

 Aさんは民間労組元委員長で、ぼくは官公労系の労組の元委員長だったから、政治的には不一致点もあったが、同年配のよしみで困りごとは何かと相談し合う仲だった。

 Aさんは会社・労組の「仕事人間の果て」に〝老人性怒り症〟を発症した。これは病院の治療対象の精神病とは違う。老人の心中で混乱・うっ屈した未整理の怒りの記憶がマグマ化し、ハゼるのである。医学というより、労働社会学の研究対象であると思ってきた。

 その後、Aさんから話があり一週に一度位カフェーで会い、人生を語ることにした。ぼくは老人性怒り症の自己治療の話をしようとした。老人の心の中の怒りのマグマを分析・整理しようとしたのである。老人の前半生の仕事人間の誇りも回想しておこうとした。 事情あってAさんとの対話は流れた。自分一人語りでAさんとの対話を続けている。

 当時、小説『親鸞』の作家・五木寛之氏のエッセー『孤独のすすめ』(中公新書)を読んでいた。「人生後半生の生き方」を説いた本だった。

 人生後半の前途…。前むきには生きにくいが、作者は「前半生を回想し、それを反芻・咀嚼して生きよう」と説いていた。回想で孤独な精神が蘇るのだ。

 いま自分は毎週一回だけ居酒屋とスナックにいくが、80歳代の酒呑みが来ないのが淋しい。孤独の決意ではあるが、ぼくは社会人として最低限、社会と家族に役立つ老人でありたいと決めている。ご購読はコチラ.pdf

セントクリークゴルフで第19回ホタル祭・音楽祭   2018.05.25

自然繁殖のホタルがゴルフ場のシンボル

 セントクリークは今から29年前の1989(平成元)年、豊田市月原町(足助地区北西部)の矢作川沿いでオープンした27ホールのゴルフ場である。

 そのオープン当時から周辺で小規模なホタル発生が散発的に認められていたらしいが、(株)セントクリークゴルフクラブとしては、村瀬一夫支配人(当時)を中心に「ゴルフ場内でホタルを大規模・安定的に自然発生」させ、そのホタルをセントクリークの〝シンボル〟として市民開放する計画を推進した。村瀬支配人が矢作川の天然アユ遡上事業や名古屋圏の先進環境保護事例を良く研究していた。

 ホタル復活の手法についても、村瀬支配人らは人工孵化幼虫の導入などへは安易に流されず、自然環境改善による天然産創造にこだわった。その自然保護思想の格調の高さで、セントクリークは文化団体の皆さんからも信用されてきた。

 幸いにもセントクリークは、ゴルフ場の大規模な独自水源確保のため、7つの池と8本のクリーク(川)を自前で所有していた。

 この「池」と「川」の水質をまず抜本改善し、ホタルの自然発生に成功した。そして自然繁殖したホタルを市民に開放した。再来週6月9日(土)17時30分〜20時50分のホタル祭(ホタル鑑賞会)は、同祭が定例開催されるようになって19回目。

 ホタル観賞の現場には案内がつくが、当日事前に電話「0565-64-2204」で問合せをおすすめ。

 音楽会は日暮れ前の18時からゴルフ場1階ロビーで、演歌・アニソン・ゴスペル等々。夕食は2階レストランのバイキングがおいしいと思うよ。ご購読はコチラ.pdf

日本で初めての大型ダム撤去             2018.05.18

 岩波書店の月刊雑誌『世界』6月号によると、熊本県企業局は今年3月までに、九州の大清流・球磨川「荒瀬ダム」=八代市坂本町葉木荒瀬=の撤去を完了した。日本初のコンクリート大型ダムの撤去だ。段階的撤去に6年の歳月を要した。

 荒瀬ダムは熊本県企業局独立採算経営の発電専用ダムで、高さ約25m、幅約211m、球磨川河口から約20㎞地点に1955年に建設された。矢作川なら越戸ダム級規模である。

 熊本県は赤字自治体だが、企業局は独立採算で黒字経営。しかし発電専用の荒瀬ダムは河川(球磨川)と海洋(不知火海)の自然環境を分断し、天然アユの遡上被害などを出した。ダム河川特有の本質的なダム公害だった。

 前知事の潮谷義子氏も、現知事の蒲島郁夫氏も、発電専用の老朽「荒瀬ダム」撤去の方向で動いていた。決定的だったのは荒瀬ダムの直接の地元の八代市長選挙に福島和敏元県議が「公害ダム撤去」を公約し出馬、当選したことだった。

 荒瀬ダムは老朽発電ダムであり、世論も撤去で固まっていたらしい。私は球磨川でアユ釣りをしたことがなく現地事情を知らなかったが、雑誌『世界』の女性ライターのルポを読み、日本では珍しい「ダム撤去」が成功した理由を理解した。

 何年か前、球磨川支流で「川辺川ダム」建設反対運動があり、随分水準の高い河川環境議論を聴くことができた。今回のルポを読むと、あの川辺川ダムの議論から「荒瀬川ダム撤去」論は生まれたのだそうだ。

 あれ以来、清流球磨川・川辺川を愛する市民の熱情と民主主義的議論の伝統が続いていて、それが「荒瀬ダム撤去」に結実したという。

 ダム撤去の本場の米国では、①老朽化②経済性③安全性④環境保全の4点がダム撤去の原理になっているというが、球磨川のダム撤去は、それによって不知火海の環境が好転した場合、日本全国の海洋・河川の健全さにつながる〝金字塔〟になり得るとルポは展望していた。同感である。ご購読はコチラ.pdf

矢作新報社の元文化記者大家さんが子育て記かねて       2018.04.27

 大家千絵さんは矢作新報の文化担当の記者だった。足助などを担当し、演劇、絵画、陶芸、音楽が得意だった。

 結婚後は子育てのため退職したが、当社のエッセークラブ「10人会」に所属し、子育て記などを書いた。今年4月には久しぶりに豊田大橋付近の河川敷に遊びに来た。1977年生まれ、豊田市吉原町の人。

 NPO矢作川森林塾(硲伸夫理事長)が密生竹林を伐採して開いた水辺公園を訪れ、公園内のクネクネまがった木立ちの小道を子どもらと散策した。

 千絵さんの自然愛好のやや野生的な個性と、子どもらの新鮮な興味心は、木立ちのあるクネクネ小道の風景に強く反応し合ったように思われた。

 前々回4月13日号の千絵さんのエッセーは、矢作川との再会の幸せな時間に書かれ、その中で子どもたちと自分の成長も思い描くことができたのでは。

 あれは千絵さんの子育て記であり、矢作川の「自然観察記」でもあるなと思い、エッセーを読んだ。まだまだ観察課題がある。密生竹林が伐採され、樹木系の都市林に変わってきたことで、野鳥も虫たちも小動物たちも増えていないか。老人仲間で、それも観察したい。リス(栗鼠)を都心の矢作川に呼び戻したいのである。

 密生竹林が伐採されたことで、川の中の水生生物も良く見えるようになった。特に都心地区では最近はアユが釣れなくなった。アユの観察が大事だと思う。都心地区にはアユ釣りの老人優先区があるので、そこで今年は試し釣りを再開する。

 やりかけで体調をこわしたのでストップした仕事がある。タンポポ園をつくりたい。アケビの花は実に美しい。こちらはほかのグループも関心を持っているから「観察記」は書ける。

 一番むつかしいのは川の中の「天然アユ」観察である。老人には危険を伴うので「老人優先区」で試し釣りくらいをしてみたい。ほかの老人と二人一組でやる。研究熱心なYさん(81歳)と二人で。ご購読はコチラ.pdf

官邸内育ちの当時少女が66歳に        2018.04.13

 韓国からの新聞報道によると、朴槿恵(パク・クネ)前大統領(66)に対する収賄罪の判決公判が4月6日ソウル中央地裁で開かれ、懲役24年、罰金約118億円の判決が言い渡された。

 国民的関心の高い判決公判はテレビ中継されたが、全面無罪を主張してきた朴前大統領は、今回事件の逮捕及び起訴自体を現政権側の「政治報復だ」と位置づけ、被告の朴前大統領側弁護人は「直接的な証拠も間接的な証拠もない」と主張。

 しかし、検察側は韓国大統領府(青瓦台)の主席秘書官の手帳や各供述などから、被告の朴前大統領が拠出・贈賄を要求したと認定した。今後の公判及び事態の進行を待たなければならない。 朴槿恵前大統領の収賄事件の判決予想とは別に、この事件は「日韓慰安婦合意」の将来にどんな影響を及ぼすだろうか。

 旧日本軍によって韓国の女性が「従軍慰安婦」にされた時代があり、それへの謝罪・救済措置が韓国・朴槿恵と日本・安倍晋三の両保守政権の間で政治決着されたのが「日韓慰安婦合意」だ。日本が10億円を韓国財団側に拠出した。その財団で救済事業を具体化することになった。

 その政策決定の過程から当事者の慰安婦が排除されていたので、慰安婦の「人権無視」の声が上がり、合意はトンザ状態だ。

 最近保守の朴槿恵政権は倒れ、リベラルの文在寅(ムン・ジェイン)政権が70%台の高い支持率で登場した。日韓合意は再スタートすると思う。 私の青年期の古い思い出を語っておきたい。当時韓国は軍事政権時代。少女の朴槿恵嬢は軍人・全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の一人娘として官邸生活をしていた。母はテロの凶弾に倒れた。

 テレビで少女の一人生活を見て、家内と「良い子に育つかなあ…」と話し合ったことがある。あれから何年たつか。66歳で懲役24年とは不運である。ご購読はコチラ.pdf

豊田市都市計画の敗北記        2018.02.23

豊田高専校前の桜の並木もヤバイ!

 この「昔写真」の名画面は、昭和30年頃の名鉄平戸橋駅前の花見風景だ。今の豊田市竹生町の旧若子写真館の作品だと思う。豊田市平戸橋町・豊田土地改良区(枝下用水)資料室の逵志保室長がコピーを保管していた。
0223勘八峡.psd
 写真正面奥約200mの位置が平戸橋駅。この間の駅前通り両側に数十本の桜並木があった。樹齢おそらく30年の盛期のソメイヨシノは春爛漫。花の並木道をこちらへ進むのは、1㎞ほど後方の矢作川勘八峡へ向かう花見客。むこうへ進むは矢作川勘八峡から平戸橋駅へ戻る花見客。

 平戸橋駅前も矢作川の谿谷も前田公園もひとつづきの桜の大名所で、合わせて「勘八峡」と呼んだ。その原点が「平戸橋駅前の桜並木」だったのだろう。

 この一枚の「昔写真」は美しい風景を記録にとどめただけではない。情報量が豊かだ。花見の男女の服装からも「もはや戦後ではない」ことがわかる。ソメイヨシノ桜は成木だがまだ若い。

 この桜の特徴通り若い枝をぐいぐい横に張り出し大ぶりの花をつけ、花見客を魅了している。病枝は一本も見えない。昭和30年代初期に、樹齢30年位の桜を撮った昔写真だ。

 今80歳の自分は少年期の頃に、祖父と一緒に平戸橋に花見に来た。昔写真の花の記憶が今も幾分あるのだ。

 記憶に空白もある。自分の青年期の昭和50年頃、平戸橋の桜はもう亡びつつあったのでは。前田公園や矢作川の桜もそうだった。 豊田市に「環境派地域ボランティア」が大規模登場するまでの約10年間、並木道には暗く厳しい時期があった。平戸橋駅前の桜並木も昭和50年代、マイカー時代の駐車場用地になり滅び去った。共同駐車場は不成立。

 私は友人らと共に、矢作川の並木道の補植をし、滅び去った並木の記録を左派青年誌「月刊市政研」に連載した。小・中・高の同期の友人故S・Kは「並木が滅びたのは豊田市の都市計画の敗北と記憶すべきだ」と言った。

 次に豊田高専前の桜並木もヤバイ。対策はあると思う。ご購読はコチラ.pdf

桜の「平戸橋勘八峡」大復活         2018.02.16

生活圏型滅び郊外型で復活

 今から60年余も前のおよそ昭和30年(1955)頃春の、名鉄平戸橋駅前通りのソメイヨシノ桜の花見風景の一枚の写真を見ながら、この記事を書いている。

 並木道入口の大きな門柱には「勘八峡」と大書してある。桜は春爛漫、その花の並木道をくぐって矢作川の勘八峡へこれからむかう人、花見を終えて平戸橋駅へ戻る人。立錐の余地がない人の群れだ。花見客は着飾っている人が多い。60年前の花見は今と比べ何十倍も人出が多かった。

 名鉄平戸橋駅前通りの桜並木は、桜の大名所「平戸橋勘八峡」全体の原点的存在だったが、この原点の桜並木はマイカー交通時代の到来と同時期に滅亡したのである。

 平戸橋駅前通りの市道は道幅がせまく、桜並木はマイカー交通と共存できなかったのだ。都市計画的な保護はされず、盛期の桜並木がただ滅びていった。

 生活圏の平戸橋駅前の桜並木が滅びた一方で、余剰土地が多い周辺部の「平戸橋勘八峡」地区では豊田市・地域団体事業で、市営平戸公園新設や、前田公園、枝下用水堤防への桜の補植が大規模に進められ、郊外の観光地として大復活をとげた。

 平戸橋駅前や猿投駅前が生活圏の小規模公園だったのに対し、矢作川「平戸橋勘八峡」は郊外型の大規模観光地をめざし成功した。

 ソメイヨシノ桜は、江戸・染井村でつくられた園芸品種の桜。花は美しく成長は早いが、前田公園のような「粘土」質の赤土山では育たないことがわかった。

 これまでソメイヨシノを植えてきたが育たなかった。昨年から野生種の山桜に切り変え、今年2月も山桜の大苗を植えた。花はやや小ぶりで清楚な白色系。前田公園愛護会の山田政司会長は「山桜の名所にします」という。ご購読はコチラ.pdf

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筆者 新見幾男

syatyo.jpg 1937年5月11日挙母町大字梅坪字高宮5番地(今の豊田市東梅坪町8-18)に生まれる。岐阜大学農学部卒。愛知県立園芸試験場(臨時職員)、豊田市役所、新三河タイムス社を経て、1984年矢作新報社創業。矢作川漁業協同組合理事、豊田市矢作川研究所前事務局長・現幹事。月刊矢作川誌(休刊中)同人。著書に「ヨーロッパ近自然紀行」(風媒社)、「環境漁協宣ー矢作川漁協100年史」(共著・風媒社)。2012年1月社長職を引退、現在会長兼記者として取材に専念。
 記事の得意分野は地方政治、地方行政、矢作川の河川環境。好きな小説家は井伏鱒二とミハイルショーロホフ。座右の銘・井上ひさし語録「難しいことをやさしく/やさしいことを深く/深いことを愉快に/愉快なことをまじめに書くこと」。アユ釣り、酒、犬、園芸が好き。

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