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カウンセラーから見た映画の愉しみ方

  本文・川上 範夫 (心理カウンセラー、奈良市在住)
次回作品紹介・伊藤眞知子(教育研究家。みよし市三好丘在住)
  ペン画・大和千代司(岡崎市在住)          

217. くちづけ

2013年公開の話題作です。知的障がい者のグループホームでの右往左往、てんやわんやが描かれています。その作りの割にテーマは深刻です。知恵遅れの30歳の娘(貫地谷しほり)を抱えた父「愛情いっぽん」(売れっ子漫画家としてのペンネーム・竹中直人)の苦悩とその二人の結末に向けてのストーリーです。

 ホームでの日常を描いた映像は彼らの無邪気さが前面に出ていてむしろ微笑ものですが、父「いっぽん」が実は余命三ヶ月の病身となると話は別です。

 臨床家としての大切な思い出ですが、カウンセラーの私(川上)が30年ほど前に出会った「重度自閉症」の子どもさんのご両親が「私たちが死んだ後にこの子を託すために十分なお金を貯めておくのが自分たちの人生の務め」とおっしゃっていました。

 映画「くちづけ」の主題は父「いっぽん」の苦悩に心を重ねるよう仕向けられていますが「娘を残して死ねない」とする彼の決意を…もっと読む.pdf
絵・プラハ電車

216. 犬と私の10の約束

4面・ボールペン画「チェコ .jpg ペットのゴールデン・レトリバーが主役ともいえる2008年公開の家族映画です。

 函館の優しい風景に包まれて成長する中学生あかり(福田麻由子)が、母(高島礼子)を失うところから物語は始まります。自らの死を予期した母の配慮で、あかりとソックス(前足の一方が白いので靴下を履いたように見える)は出会います。母はソックスを飼うにあたって「犬との10の約束」という心得を遺言のようにあかりに教えます。

 父(豊川悦司)は優秀な外科医、札幌へ栄転となってあかりはソックスを同級生の進(佐藤祥太)に預けるほかありませんでした。進がギターを学ぶため留学することになりますから、いよいよあかりとソックスはピンチです。そんなあかりを見て父が思い切って…もっと読む.pdf
絵・チェコ ボヘミアン博物館

215. フェア・ゲーム

6面・ボールペン画「チェコ .jpg もはや古い出来事になろうとしていますが、イラク戦争にまつわる政治サスペンスものです。ブッシュ大統領イラク侵攻理由は「フセインが核兵器を有している」でした。実は、戦後になってこの話は誤りだったと明らかになるのですが、この事実をはじめに告発したのがアフリカ担当政務官だったジョー・ウィルソン(ショーン・ペン)でした。「イランはアフリカからウランを買い付けてはいない」というのでした。もちろん、このことは時の大統領府の怒りを買いました。ネオ・コン(新規の超保守主義者)はイラク攻撃の正当化のためにウィルソンを潰そうと図ります。

 実は、ウィルソンの妻ヴァレリー・プレイム(ナオミ・ワッツ)は長年のCIA諜報員。ここでネオ・コンは妻を標的にしてヴァレリーの素性を…もっと読む.pdf
絵・チェコ プラハ駅

214. フライド・グリーン・トマト

4面・ボールペン画「雪の兼六.jpg1991年のアメリカ映画、いわゆる〝回想もの〟の名作の一つです。
 ジョージア州に住む倦怠期夫婦の妻エヴリンがボランティアで老人ホームを訪れて、介護人の老女ニニーと会います。ニニーはエヴリンに興味深い昔話を始めます。
 アラバマの小さな町で少女イジーは事故で兄を失います。兄の恋人ルースが一緒に寄り添います。二人は深い友情で結ばれルースが結婚しても関係は続きます。ルースの夫フランクは今で言うDV男で、ルースが妊娠中であってもお構いなしの暴力を振るいます。イジーはルースを助け出し、二人でフライド・グリーン・トマトが売りものの小さなレストランを経営します。フランクはレストランで働く黒人に絡めてつきまとい、KKK(人種差別運動団体)まで押し寄せてきます。ある日、突然フランクは行方不明に…もっと読む.pdf
絵・雪の兼六園

213.  時をかける少女(アニメ版)

4面・ボールペン画「木曽駒千.jpg筒井康隆の同名作品を題材にして2006年にアニメ化されたものです。
 高校二年生の真琴は活発な女の子、千昭と功介という二人の男生徒と仲良しです。放課後になると三人で野球に興じます。それに美術館での絵画の修復作業にも強く心惹かれています。
 真琴はある日、実験室で奇妙なものを手にして不思議な体験をします。しばらくして自転車で登校途中、ブレーキ故障で遮断機の下りた踏み切りに突っ込んでしまいます。間違いなくはねられたその瞬間、時間が止まったのです。真琴は自分が時間を跳べること(タイムリープ)に気づきます。
 ワクワクの真琴はリープをムダ使い、残りがあと一回になってしまいます。この時、思いがけなく千昭からリープ能力を疑われ…もっと読む.pdf
絵・木曽駒千畳敷カールの初夏

212. 恋 空

4面・ボールペン画「奥入瀬渓.jpg 元は今風ケータイ小説のベストセラーです。映画は2007年制作、新垣結衣、三浦春馬主演でヒットしました。 高校に入学した美嘉(新垣)は毛髪を派手に染めた同級生ヒロ(三浦)と付き合い始めます。周りはのどかな田園風景、そのゆったり感からするとお決まりのさわやかな学園風景が繰り広げられるみたいです。美嘉とヒロの掛け合いは時に熱く時に穏やかに、そしてしょっちゅう言い合いとぶつかり合いです。

 ストーリーは、しかしそんなお決まりの進行にはなりません。美嘉はヒロの元カノの仕込みで暴漢に襲われ、傷ついてしまいます。それでもヒロとの絆は堅く、二人は未来を約束するまでになります。ところが今度は美嘉がヒロの子どもを宿してしまいます。高校生の二人ですから周りも巻き込まれてしまいます。そして、またもや卑劣な元カノの粗暴によって流産の悲劇に…もっと読む.pdf
絵・奥入瀬渓谷」

211. 愛と追憶の日々

6面・ボールペン画「せせらぎ街道 喫茶D51」.jpg1983年制作のアメリカ映画、アカデミー作品賞、主演女優賞など獲得した秀作です。

 いかにもアメリカらしい自我の強い、それでいて依存願望を秘めた母親オーロラ役がシャーリー・マクレーンです。物語は一九四八年の娘エマの出産から始まり、オーロラが女手ひとつで育てていくという展開です。舞台はテキサス州ヒューストン、宇宙飛行の拠点です。時は一九六九年になり、娘、エマ(デブラ・ウィンガー)は結婚して家を出て行きます。残されるオーロラは子離れに苦闘します。突っ張る心の故に娘婿フラップ(ジェフ・ダニエル)に意地悪く当たります。

 エマは三人の子どもを設け、夢のマイホームを演出しようとします。しかし、フラップの浮気、エマ自身の心惑いが家庭を揺らせます。その度に実家のオーロラが娘、エマの生活に絡んできます。エマも母をののしりながら頼りにしてしまいます。共依存関係です。

 そんな母親オーロラも50歳を過ぎ、女心の寂寞を覚えています。そこに隣人の元宇宙飛行士ギャレット(ジャック・ニコルソン)が忍び込んでもっと読む.pdf
絵・せせらぎ街道 喫茶D51」

210. レオン

4面・ボールペン画「酒田市山.jpg1994年にフランス・アメリカ合作で作られた伝説的な名画です。主人公は一人の凄腕の殺し屋、それに美少女が絡んでいつまでも心に残る出来栄えです。

 イタリア系移民レオン(ジャン・レノ)が孤独に暮らすアパートで、少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)の一家が偶然、隣り合わせます。少女の父親は麻薬売人なのですが、預かった品を抜き取ったため、ボスのスタンフィールドに家族ぐるみ虐殺されてしまいます。一人生き残ったマチルダはレオンにかくまわれて殺し屋修業に入ります。長い間、一鉢の観葉植物にしか心許さなかったレオンですが、殺された弟の仇討ちを願うマチルダのひたむきさについつい心開いていきます。そんなレオンの変貌振りに、殺しの介在人トニーは危うさを覚えるのですが、もはや止めることはできません。

 麻薬一味のボスであるスタンフィールドが実はもっと読む.pdf
絵・「酒田市山居倉庫

209. ただ、君を愛してる

4面・ボールペン画「高知県安.jpg2006年に公開された現代版純愛映画です。シャイな大学生男女がたどる成長の軌跡を丁寧に描き上げています。宮崎あおいが遺伝的な難病を抱えた女子大生、玉木宏が心優しい若者です。静流(宮崎)は成長して大人の体になると死に至る病が顕在化するといった設定です。裏に何かを秘めた女性を演じる時、宮崎あおいは生き生きします。誠人(玉木)に恋をした静流は命がけで大人の恋に突入しようとします。裏事情を知らない誠人は学生らしいフレッシュな愛し方で静流を大切にしていきます。

 カメラ大好きの誠人は静流に写真の面白さを教えます。いつしか静流もファインダーのとりこになっていきます。美しい自然の中で戯れ続けた静流と誠人はようやく初めてのキスにたどり着きます。ところがこの直後にもっと読む.pdf
絵・「高知県安芸市の野良時計

208. UDON(うどん)

4面・ボールペン画「岩崎弥太.jpg2006年、制作公開のドキュメンタリー風のコメディタッチ作品です。今では全国展開のチェーン店も出現するようになってきた讃岐うどんのブーム化に向けてのプロセスを紹介した形になっています。

 香川県出身でコメディアンを志してニューヨークに渡った松井香助(ユースケ・サンタマリア)が夢破れて故郷に戻ってきます。ひょんな行きがかりから地元タウン誌の記者、恭子(小西真奈美)と知り合ってアルバイトとして地域振興に参加することになります。それが讃岐の地場産業、うどんのキャンペーンなのです。

 讃岐平野に文字通り散在するうどんメーカーを詳しく掘り起こして次々と紹介していきます。地元的にはたかがうどん店なのにといったところですが、やがて関西から東京、全国へと波動が伝わっていくごとに、思いがけないもっと読む.pdf
絵・「岩崎弥太郎生家

207. リメンバー・ミー

4面・ボールペン画「桂浜」.jpg2010年に制作公開されたアメリカ映画です。二人の若者、二つの家族を軸に物語は展開して行きます。冒頭のシーンはニューヨークの地下鉄、女の子を連れた母親がホームで暴漢に襲われ、射殺されてしまいます。
 舞台はこの事件の10年後、2001年の設定で動いていきます。女の子アリー(エミリー・デ・レィヴィン)は警官の父親と二人暮らしを続けて大学生になっています。その父親がある日、いざこざに巻き込まれた青年タイラー(ロバート・ハディンソン)を逮捕します。
 そのタイラーは典型的な悩める青年、ワンマン弁護士の父を持ち、兄は六年前に自殺して今は年の離れたナイーブな妹を大事にして過ごしています。やがてタイラーはいきさつを隠してアリーに近づきもっと読む.pdf
絵・「桂浜

206. エターナル・サンシャイン

6面・ボールペン画「桂浜の坂本龍馬像」.jpg2005年に制作公開されたアメリカの恋愛映画です。と言っても物語の筋としてはけっこう厄介な作りになっています。彼女、クレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)は彼、ジョエル(ジム・キャリー)と仲違いして思い出を捨ててしまおうとクリニックで記憶消去の施術を受けます。ジョエルの方は仲直りしようと思っていたのですが、いっそのこと自分も同じ施術を受けようと思い立ちます。もう一度、白紙の状態から出直すことができるからです。
 しかし、クレメンタインにしてもジョエルにしても、よい思い出は消し去ることをためらいます。でも、そうそう都合よくは行きません。結果、二人とも施術を受けながら脳内記憶の選択に大わらわです。

こうした奇想天外な展開にもっと読む.pdf
絵・「桂浜の坂本龍馬像

205. さまよう刃

4面・ボールペン画「巣鴨のと.jpg 東野奎吾の話題作の映画化作品です。韓国で先に映画化された後、2009年に制作、公開されました。

 中学生の娘を性的暴行の末、惨殺された主人公、長峰(寺尾聰)が犯人の未成年少年たちに復讐を誓う物語です。長峰は何とかして彼らを殺害しようとします。なぜなら犯人たちは未成年なので、裁判になってしまうと凶行に見合った処罰にはならないだろうと予測されるからです。

 民主主義は法のもとでの平等が前提です。ですから長峰の私的な試みは許されるものではありません。しかし、犯人たちの残虐さを考えると心の平衡を保てなくなってしまいます。捜査に当たった警察官が思わず「われわれは国民を守ろうとしているのか、それとも法のシステムを守ろうとしているのか」と呻きもっと読む.pdf
絵・「巣鴨のとげぬき地蔵

204. クワイエットルームにようこそ

4面・ボールペン画「明治神宮.jpg クワイエットルームとは精神科病棟の真っ白な〝保護室〟のことです。二八歳のフリーライター佐倉明日香(内田有紀)が「気が付いたらその部屋に拘束されて寝かせられて」いました。
 松尾スズキ小説の映画化で、二〇〇七年の話題作です。明日香は訳が分からないまま暮らしていくことになるのですが、冷徹看護師の江口(りょう)に翻弄されながらも徐々に同じ入院患者の西野(大竹しのぶ)、ミキ(蒼井優)らと近づいていきます。
 全編、精神病院内の生活ぶりが題材ですから、多少、誇張されているとはいえ、西野の過食・嘔吐症状の激しさ、ミキの度外れた繊細さなど、こうした世界に馴染みのない方にとっては非日常の光景に目を見張らされることでしょう。
 明日香はやがて同棲相手の鉄雄(宮藤官九郎)から受け取った別れの手紙をきっかけにもっと読む.pdf
絵・「明治神宮

203. 十 戒

4麺・ボールペン画「柴又帝釈.jpg1956年にアメリカでリメーク制作された超大作ですから、いつの時かご覧になったことがあるかもしれません。旧約聖書の「出エジプト記」に沿った物語です。

 もとの出自はヘブライ人なのですが、幼いとき王女に命を救われたモーゼ(チャールトン・へストン)は王室で育てられます。やがて長じて、奴隷に貶められているヘブライ人を目にしたモーゼは突然、痛憤に襲われます。これを機に、神から救世主になれと啓示を受けたモーゼは一転、エジプト王ラメセス(ユル・ブリンナー)と対決する姿勢に歩むことになります。

 ラメセス王の弾圧に対してモーゼは神を頼んで災厄をもたらし、エジプト人を震撼させます。民も王も恐れて、ついにはヘブライ人すべての出国が許されることになります。

 モーゼは民衆を率いて旅立つのですが、ラメセス王の軍勢に追い討ちをかけられ、紅海の岸に達したところで絶体絶命に陥ります。ここであの有名な奇跡もっと読む.pdf
絵・「柴又帝釈天

202.  デッドマン・ウォーキング

6面・ボールペン画「浅草寺」.jpg「死者が歩く」とは何ともおどろおどろしい題名ですが、ベテラン修道女ヘレンが死刑囚マシューのスピリチュアルカウンセラーとなって、迷いつつ惑いつつ関っていく様を描いたノンフィクションタッチの映画です。

 1995年の制作で、ヘレン役のスーザン・サランドンはピュアな心のシスターを好演してアカデミー主演女優賞を獲得しました。

 マシューは仲間と共謀して若い男女を強姦、惨殺した凶悪犯です。もともと死刑廃止の姿勢を持ったヘレンは、そんな男でも刑の執行を免れられるよう働きかけていきます。でも当然のことですが二人の被害者の家族はヘレンの活動に激しい不快感を示します。

 物語はこうして死刑囚、被害者、支援者という三者が入り組んでの心理劇として展開していきます。助命嘆願も実らず刑の執行に移っていくのですが…もっと読む.pdf
絵・「浅草寺

201.  きいろいゾウ

4面・ボールペン画「旧芝離宮 恩賜公園」.jpg西加奈子の話題作を原作として、宮崎あおいと向井理が共演した2013年公開の映画化作品です。

 二人はそれぞれ別の事情を背景にして田舎に遁走してきたにわか夫婦です。向井の役名が無庫歩=むこあゆむ、そして宮崎の役名が妻利愛子=つまりあいこで、互いを「ムコさん」「ツマさん」と呼び合います。ムコは売れない小説家で介護施設の職員をしており、ツマは蘇鉄や虫たちともお話ができる特殊能力の持ち主です。「きいろいゾウ」は、子どもの頃ツマの心を支えてくれたイマーゴのことです。

 互いに少しずつ近づいていこうとするのですが、二人とも不器用でとてもスムーズとはいきません。

 画面には昔ながらの農家風の住まいがくり返し映し出されます。二人を包み込む空間がやさしさと安定をもたらしてくれると言いたいみたいです。おかげでムコとツマは徐々に…もっと読む.pdf
絵・「旧芝離宮 恩賜公園

200.  手 紙

4面・ボールペン画「皇居二重橋」.jpg 東野奎吾の同名小説が原作の2006年制作の話題作です。若手の中では演技ができるといわれている俳優が中心です。
 武島直貴(山田孝之)の兄、剛志(玉山鉄二)は弟の学資欲しさに強盗殺人を犯してしまって刑務所暮らしです。そのため、直貴は世の中から隠れるように周囲とは距離を置いて暮らしています。その一面で、兄弟の心の絆は深く、手紙を頻回に交換しています。
 そんな直貴が幼なじみの佑輔と組んで励んできたコント漫才が奇跡的に脚光を浴びる時が来ます。食堂で働く由美子(沢尻エリカ)はけなげに献身的に直貴たちを助けます。しかし、受刑者、剛志の存在はそんな彼らのつまずきのきっかけになってしまいます。漫才コンビは解消せざるを得なくなり…もっと読む.pdf
絵・「皇居二重橋

199. つぐない

4面・ボールペン画「東京駅八.jpg 2007年制作のイギリス映画です。第二次世界大戦前夜、一九三五年のイングランド上流社会を舞台にした物語です。上級官僚の娘、セシーリア(キーラ・ナイトレイ)と屋敷の使用人の息子、ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)はケンブリッジ大学の同窓生、互いに身分の壁を越えて愛し合っています。

 ところがセシーリアには小説家を夢見る多感な妹、ブライオニーがいて、姉とロビーの親密な姿を目撃して、嫌悪と憧れの入り混じった羨望にさいなまれます。

 そして、従妹のローラが森で乱暴されて、その場面を目撃したブライオニーは複雑な思いに駆り立てられて、ついつい「ロビーが犯人」と訴え出てしまうのです。


重罪人として捕らえられたロビーは…もっと読む.pdf
絵・「東京駅八重洲口

198.  人生万歳

6面・ボールペン画「為三郎記.jpg 2010年制作のウディ・アレン監督作品です。

 ニューヨーク在住の変わり者の老物理学者、ボリス(ラリー・デヴィッド)のところへ南部出身の可愛い娘、メロディ(エヴァン・レイチェルウッド)が転がり込むことから物語が始まります。ボリスはあらゆる物事に対してシニカル(斜に構えた皮肉)な言葉を投げかけます。それがボリスの生き様なのです。

 そんなボリスなのに跳ね返りの娘に徐々に魅かれていきます。ついには歳の差も顧みず結婚に踏み切ってしまいます。ウディ・アレンの社会派タマシイもここまでか、と思った瞬間、メロディの前に美形の若者が登場して付きまとうようになります。一方、同時に、メロディの父母が南部から出てきて、ボリスの周りで大混乱を巻き起こします。

 結局、メロディは若者についていって…もっと読む.pdf
絵・「為三郎記念館」

197.  ストロベリーショートケイクス

4面・ボールペン画「為三郎記.jpg コミックが原作で2006年制作の今風の異色作です。フリーターの里子(池脇千鶴)、デリへル嬢の秋代(中村優子)、OLのちひろ(中越典子)、イラストレーターの塔子(岩瀬塔子)の四人の女性が繰り広げる人間模様です。

 それぞれがそれぞれのビジョンを持って生きています。里子は大失恋を乗り越えて生きようとしています。秋代は高層マンションを買う夢を持って金稼ぎです。ちひろは男に愛されることだけを生きがいに日々を過ごします。塔子はちひろと同居のプライド高い女性、過食と嘔吐を激しく繰り返す毎日です。

 いずれも都会に特有の乾いた心が描かれていてやりきれなさを覚えます。とりわけ圧巻は塔子の過食、嘔吐の姿です。トイレに座り込んで繰り返される行為は…もっと読む.pdf
絵・「為三郎記念館為春亭」

196. 東京日和

4面・ボールペン画「為三郎記.jpg 写真家として有名な荒木経惟の自伝的回想ストーリーに異才の俳優竹中直人がほれ込んで映画化した作品です。1997年公開で主演も竹中直人、妻ヨーコ役は中山美穂です。アラーキーと呼ばれる原作者荒木の魅力も加わってか、さまざまな男優、女優が顔をそろえています。

 写真家の島津が妻の思い出を作品に編もうとして記憶を手繰ろうとする姿が主軸です。妻のヨーコはいわば奇癖の持ち主です。人の名前を呼び間違えたと異常なまでに気にするかと思えば、突然、家から消えていなくなる、さらには近所の子どもに執着愛を寄せてトラブルになるといったように、夫、島津を悩ませてばかりです。ついには耳に蚊の羽音が聞こえると幻聴の訴えまで撒き散らします。

 それでも島津は一切、怒りません。何事もなかったように一緒に楽しい時間を過ごします。すべてを受け止める愛といえばその通りですが、並外れた優しさにだんだん呆れて…もっと読む.pdf
絵・「為三郎記念館市松無双窓」

195.  デイ・アフター・トゥモロー

4面・ボールペン画「為三郎記.jpg2004年に制作されたSFスペクタクル、近未来パニック映画です。

 世界的な気候の温暖化を放置する政府に、気候学者ジャック・ホールは注意を促していました。しかし、アメリカ大統領は経済的理由からそれを放置。ついに南極で巨大な氷河が崩れ出し、一気に気象は破滅的情況に陥ります。ロサンゼルスは巨大竜巻で全滅、ロンドンでは超低温によってすべてが凍結、さらにニューデリーやハワイも壊滅状態に至ってしまいました。

 ニューヨークではまず豪雨と高潮が襲い、続いていよいよ本格的な氷河期が襲ってきます。ニューヨークの人々は皆、フロリダを目指して逃げ出すほかありません。ジャックの息子、高校生のサムは行事に参加していて逃げ遅れてしまいます。すでに交通はすべてストップして、どこにも移動できません。図書館に逃げ込んで暖を取るのに本を燃やすところなど…もっと読む.pdf
絵・「為三郎記念館玄関(覚王山)」

194.  ジョー・ブラックをよろしく

6面・ボールペン画「燕岳」.jpg 1998年のアメリカ映画です。ニューヨークのメディア王ビル・パリッシュの娘、スーザンは街の喫茶店で青年(ブラッド・ピット)に会います。二人は淡い恋心を抱きますがその直後、青年は車にはねられ亡くなってしまいます。

 場面変わって六十五才のビル・パリッシュは心筋梗塞で危機に陥り、死神が迎えに来ます。しかし、ちょっと気の変わった死神は亡くなった青年の体を借りて「ジョー・ブラック」となってしばらくパリッシュ家で〝休暇〟を過ごすことにするのです。

 ビル・パリッシュは運命を握るジョーと向き合いながら事業に取り組みます。一方、娘のスーザンは恋した青年の化身ジョー・ブラックに魅かれていきます。あの世とこの世の仕組みに包まれて、命を知った人間がどのように振舞うのか…もっと読む.pdf
絵・「燕岳」

193. (ハル)

4面・ボールペン画「京都北野.jpg 1995年の森田芳光監督の野心作です。

 今の時代のさきがけとしてパソコン通信を軸にした人の交わりを描いたものです。題名に()括弧がついているのはチャット通信において使われる表現ツールの一つだからです。

 (ハル)は男性のハンドルネーム、チャット通信の仲間に(ほし)という名の女性がいました。とはいってもインターネット通信の常で、互いの素性は分かっていませんからコミュニケーションと言っても本当は「だれとどのような情況で通じている」のか分からないままなのです。ここではむしろ「本当でないこと」や「嘘のこと」はお互いに承知の上なのです。

 昨今のマスコミは、たとえニュース映像であっても画面を有効に組み立てるのは当たり前になっています。ましてやバラエティ場面は皆、シナリオに基づく「作り物」のライブ場面です。いうまでもありませんが、ドラマとか演劇の場合は始めから「創りもの」という約束です。

 「やらせ」というのはそれが「あたかも本当の事実、本当の現場」と言わんばかりに見せる、つまり送り手が受け手を騙す意図を持って…もっと読む.pdf
絵・「京都北野念仏寺」

192. 旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ

4面・ボールペン画「北海道大.jpg 今ではすっかり有名になってしまいましたが、北海道旭川市で廃園になりかけていた動物園が奇跡的に生き残って全国一の入園者を集めるに至った物語です。2009年制作で監督はマキノ雅弘(津川雅彦)、園長役が西田敏行です。しかし、 本当の主役となると動物それぞれの飼育係、それに担当している動物たちといった按配です。

 実際、長門裕之、六車直政、岸辺一徳、柄本明、笹部高史など、脇役陣が皆、動物と一体になって大活躍するのです。

 命ある動物たちですから悲しいときも嬉しい時もあります。動物園という獣を囲う枠組みを矛盾の存在として思い悩む者も出てきます。一方で動物園が野生を保護する仕組みになっていると主張する者も出てきます。

 新しい市長の英断と園の全員の思いが集約されて、動物園のコンセプトが一新され、ペンギンの水中泳ぎ姿…もっと読む.pdf
絵・「北海道大沼湖」

191. オーケストラ!

4面・ボールペン画「萩の武家.jpg 題名のとおり、音楽が物語の軸を成す映画です。2009年のフランス制作ですが、舞台はソ連時代のロシアから始まります。

 もはや東西の冷戦構造と言ってもピンとこないのが普通になってきましたが、共産主義下の悲惨のひとつは芸術文化に対する蹂躙でした。

 清掃夫をしているアンドレイは30年前、ブレジネフ政権の頃までボリショイの一流指揮者でした。ユダヤ人迫害に絡んで音楽の道を奪われたのでした。

 ある日、ボリショイの事務所にパリからオーケストラ代演を求めるファックスが届きます。掃除中にそれを見つけたアンドレイは大胆にも30年前の楽団員を引き連れてパリに演奏旅行を企てる決心をするのです。もちろん危険な綱渡りですからドタバタ、ハラハラです。

 演目はチャイコフスキーのバイオリン協奏曲、ソリストはアンヌ=マリー・ジャケ、そのいずれもアンドレイのこだわりでした。演奏当日、メンバーはジャケのソロに導かれて奇跡のハーモニーに到達します。

 10分以上も続くこの感動画面に重ね合わされてジャケの秘密がもっと読む.pdf
絵・「萩の武家屋敷」

190.  モーツアルトとクジラ

6面・ボールペン画「楊輝荘伴.jpg 2004年のアメリカ映画です。主人公のドナルドとイザベラは自分のことを『自閉症』と言います。ドナルドは同じような障がい(問題)を抱えた仲間たちと一緒に「自助グループ」の活動をしています。グループメンバーの挙動から推すと重度の『精神病水準』と思しき人から軽度の『発達障がい』と呼ばれる人たちまで様々です。生きにくさや適応しにくさを抱え合って、定期的に集まって支え合っているのです。

 モーツアルトとクジラというのは、ハロウィンの仮装としてドナルドがクジラのぬいぐるみをかぶり、イザベラがモーツアルトのコスプレをするところから来ています。ドナルドの症状は数字に過剰反応するところ、イザベラの症状は人間関係への過剰な脅えです。そんな二人が愛を育み…もっと読む.pdf
絵・「楊輝荘伴華楼」

189.  KOTOKO

4面・ボールペン画「揚輝荘座.jpg 2012年公開の日本映画、ベネチア映画祭で大賞を得た話題の問題作です。KOTOKO(歌手のCoccoが演じます)は出産したばかりのシングルマザーです。外界や対象が二つに見えてしまうという幻覚傾向の持ち主です。

 『統合失調症』という設定なのでしょうが、とにかく、深い葛藤を抱えた人間の苦闘ぶりが恐ろしいほどリアルに描かれています。パニックになるとリストカットはじめ激しい自傷に走り、対人不安が頂点に達すると、ついにはわが子、大二郎の首にまで手をかけようとします。

 常識の目からすると逸脱行為にしか見えないでしょうが、本来は病的発作からくる否応ない反応行為としなければならないものです。

 この狂気の状態を真正面から受け止めて、KOTOKOの健康な部分と一緒に生きていこうと近づいてくれる男性(塚本晋也)が…もっと読む.pdf
絵・「揚輝荘座敷」

188.  悪夢探偵

4面・ボールペン画「揚輝荘白.jpg 2007年に公開された夢現象を鍵にしたスリラー、サスペンス映画です。

 無残な連続自死事件を調べていた女性警部、慶子(hitomi)は、死者たちが特定の同じ携帯に電話を掛けていたこと、さらに自死行為に及ぶ時、夢見状態だったということをつかんでいきます。慶子は他人の悪夢の中に入り込んで交流できるという〝悪夢探偵〟京一(松田龍平)を知り、協力を要請します。

 といっても事情を本当に解明するには携帯の相手「0(ゼロ)」に電話しなければなりませんから危険と背中合わせの試みにならざるを得ません。慶子の部下、若宮が勇を奮ってチャレンジするのですが、痛ましいことに入眠とともに自壊行為に至ってしまいます。

 最後には慶子自身がもっと読む.pdf
絵・「揚輝荘白雲橋」

187.  やさしい嘘と贈り物

4面・ボールペン画「松坂屋揚.jpg 孤独に暮らす認知症の老紳士ロバート(マーティン・ランドー)がメアリーと名乗る美しい老婦人(エレン・バースティン)の突然の訪問を受けて、心ときめかせ、すばらしい日々を送っていくというちょっとした幸せ物語です。

 2008年のアメリカ映画です。老婦人メアリーは実はロバートの本物の妻で、彼の失った記憶を蘇らせるべく大胆に近づいたのでした。メアリーの娘や息子、そして関係者のすべてがこの試みに賛同し、ロバートをやさしく騙していくのです。

 メアリーに夢中になったロバートは愛と嫉妬に身をよじらせながら何としてもメアリーの心を自分のものにしようと奮闘します。本当はゆるぎない夫婦・家族の絆に支えられているのに、ロバートの心の揺れ動きにだれもが一喜一憂する様子がいとおしく感じられます。

 最後にはもっと読む.pdf
絵・「松坂屋揚輝荘 聴松閣」

186.  恋する宇宙

6面・ボールペン画「萩市 松下村塾」.jpg 今では一般にも知られるようになったアスペルガー障がい(「発達障がい」といわれる個性が勝ちすぎて社会とスムーズに関われない人たちの中の代表的存在)の青年と、童話作家を目指す若い女性との淡い交流を描いた良質のアメリカ映画です。なぜか、当初、日本では劇場公開されていなかったようですが、ぜひDVDで見てほしい作品です。

 宇宙天体オタクのアダムは父を失い、その個性のために仕事も失ってしまいます。その時、自宅の上階に可愛いベスが引っ越してきて触れ合いが始まります。アダムはいわゆる理数系の能力に長けていて、エンジニアとしての技能も評価されてきたのですが、残念ながら他人の気持ちを直感的に受け止めるとか、場の空気を瞬時に読むといったことは苦手なのです。説明されれば理解できる、というのがアダムの願いですが、社会はちゃんと猶予を…もっと読む.pdf
絵・「萩市 松下村塾」

185.  天国からのエール

 沖縄県本部町に音楽スタジオ「あじさい音楽村」を設立し、2009年にがんで亡くなった故・仲宗根陽氏を称えて作成された映画です。2011年に公開されて話題になりました。

4面・ボールペン画「足利市 .jpg 阿部寛演じる弁当屋の主人、大城陽は近くの高校生のバンドが練習場に困っているのを見かねて自力でスタジオを作ろうと思い立ちます。まったくの無償を前提ですから妻(ミムラ)はじめ大方の関係者は反対します。

 でも、沖縄流に〝ニイニ〟と称される大城は高校生たちの成長を願って熱い思いを注ぎ続けます。現代っ子の若者は夢追い心も人間関係マナーもなかなか身につけていかないのですが、大城の一途さにやがて降参していきます。

 大城の必死の計らいでラジオに出演できたバンドは一気にブレイクします。その裏で大城のがんが…もっと読む.pdf
絵・「足利市 足利学校」

184.  森崎書店の日々

4面ボールペン画「大分県 咸.jpg 2010年の日本映画です。舞台は古書の街で知られる神田神保町かいわいです。

 恋人に裏切られた貴子(菊池亜希子)は鬱々とした日々を過ごしていましたが、叔父のサトル(内藤剛志)の誘いによってサトルの店、森崎書店の二階に居候することになります。

 確かに気持ちが落ち込んだ娘にはこの街は優しかったようです。時を経た紙のにおいが伝わってきそうなたたずまいに徐々に馴染んでいきます。店番を任されますがひたすら座っているだけです。たまに来る客もいわば玄人だったり、気まぐれの立ち寄り客だったりするだけです。ほとんど接客が要らないのです。

 貴子はこうした空気に包まれて徐々に自分を取り戻していきます。表情の変化がホッとします。そんな中、サトルの後押しで裏切りの彼に会いに行くというチャレンジも…もっと読む.pdf
絵・「大分県 咸宣園」

183.  きみに読む物語

4面・ボールペン画「水戸市 .jpg 2004年のアメリカ映画です。アルツハイマー、認知症と、現代、さまざまに考えさせられるテーマを孕んだ作品です。

 病のため記憶が失われていく老女に対して同じ施設に入所している老人がお話を読み聞かせます。物語の主人公、アニーとデュークが出会ったのは1940年のこと、互いに魅かれながらも幾多の変転をたどっていきます。生活境遇の違いを理由にアニーは親によって別れさせられ、一方、デュークは第二次世界大戦の前線に出征します。戦後になってアニーは富豪御曹司との結婚が決まるのですが、偶然、デュークの消息を知って彼の元へ走ります。

 こうした画面進行の中で、アルツハイマーの老女が実はもっと読む.pdf
絵・「水戸市 弘道舘」

182.  私の中のあなた

6面・ボールペン画「箱根芦ノ湖」.jpg2009年のアメリカ映画です。主題は生体移植問題でこれだけでも重いのですが、それが白血病の姉と、その姉を救うために計画的にドナーとして生を得た妹との間の角逐をめぐってストーリーが展開していきますから幾重にも気持ちが揺さぶられます。

 母親サラ(キャメロン・ディアス)は娘のケイトが白血病と判って、同じDNA構造を持った妹をもうけることにしました。思惑通り、妹アナは骨髄移植をはじめ、何度もケイトの命を救ってくれます。

 ところが十一歳になったアナが突然「自分の体を勝手に扱わないように」と敏腕弁護士に訴訟を依頼するのです。訴えの相手は両親です。ここから家族の苦悩が始まります。アナが勝訴するとケイトの命は失われてしまうでしょうから母親サラも必死です。でも思春期に至ったアナが自分の体を自分のために意識するようになるのは当然でしょうから…
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絵・「箱根芦ノ湖」

181.  舟を編む

4面・ボールペン画「三保の松.jpg 「舟を編む」はなかなかしゃれた名です。「辞書は言葉の海を渡る舟、舟を編むのが編集者」という意味です。2013三年に公開された新しい映画ですからご覧になった方も多いかと思います。「海を渡る」からの連想で『大渡海』と名づけられた国語辞典を編集、発刊していくまでのドキュメンタリーものです。

 言葉、本のフェチである青年、馬締(まじめ)が文字通り精魂傾けて辞書作りに取り組みます。監修役の言語学者、松本(加藤剛)のリードで関係の社員皆が言葉集め、言葉調べを通じて言葉の世界に没入していきます。確かに言葉には途方もない歴史が詰まっていて、オモテの表記のウラ側に、音や文字にならない無限の意味が横たわっています。

 普通に考えると辞書を作るというのは地道を通り越してとても地味な印象です。正しいことや確実なことが第一に要求されますから、表面上の作業を見ていると…もっと読む.pdf
絵・「三保の松原」

180.  シコふんじゃった。

ボールペン画「忍野村 富士.jpg 1992年公開の周防正行脚本・監督の快作です。一応、大学の相撲部のお話ですが、出演者の本木雅弘、竹中直人、柄本明が見事に絡み合って飽きさせない出来栄えになっています。のちに日本アカデミー賞、ブルーリボン賞を授与されたのですが、脚本の面白さもさることながら、俳優の絶妙さが評価を得たといって間違いありません。

 教立大学相撲部、部員が竹中一人になって大会にも出られないピンチ。そこへ教授、柄本の単位と交換条件に本木が参加します。二人になって欲が出たのか、一緒に部員を勧誘します。

 助っ人部員を獲得して人数としては団体戦を戦えることになります。でも当然ながら出場四名全員、黒星で前途は真っ暗です。合宿をしたり、イギリスからの留学生をスカウトしたりと、ぎりぎりで三部リーグ本戦に向かいます。

 骨折で出られなくなった一人の代わりに女子マネージャーが男装で出場するなど、苦闘の連続ですが…もっと読む.pdf
絵・「忍野村 富士山」

179.  ちいさな哲学者たち

6面・ボールペン画「田貫湖 .jpg 2007年にフランスの幼稚園で行われた画期的な試み、「哲学」の授業の〝記録映画〟です。三歳から五歳に向けての二年間、子どもたちに〝自分で深く考えること〟を促していくのです。

 映画は2010年制作です。幼い子どもたちも「自分の脳で考え、自分の言葉で表現することができる」ということを立証する試みになっています。「愛とは」「自由とは」「大人とは」「命とは」といったむつかしいテーマについて生き生きと話し合っていきます。担当教諭のリードも見事ですが、何と言っても文化的に思考や言語への敬意が広く尊重されてきた伝統とか宗教の背景を強く感じさせられます。

 フランスは国として移民の問題や人種の問題を抱えてきています。映画の展開を見ていると、「男女関係」や「家族関係」をテーマにして考えていくうちに、子どもたちがいつの間にかそうした課題にふさわしい有効な言葉を産み出していくのに驚かされます。

 わが国の幼児教育では情操教育すなわち情緒面や感情面の成長を第一義的に大切にして…もっと読む.pdf
絵・「田貫湖 富士山」

178.  人生ここにあり

4面・ボールペン画「田貫湖 .jpg 2008年のイタリア映画で、公開直後から大きな評判を得ました。モチーフは精神病の患者さんたちが「病院から出て一般社会で生きていける」という話です。1978年にイタリアで制定された先進的な「バザーリア法」(脱施設化)によって患者さんたちは病院管理から離れて、よい意味で社会に出されました。

 それでも福祉的な協同組合を構成して支えられていたのですが、そこへ乗り込んできたのが労働組合の熱血漢ネッロ(クラウディオ・ビシオ)です。ネッロはもともとこの人事に不満だったのですが、メンバーの患者さんたちと身近に関わっていくにつれて彼ら一人ひとりが魅力的な個性を備えていることに気づいていきます。そして何とか一般社会で通用するようマネージメントしていこうと…もっと読む.pdf
絵・「田貫湖 富士山」

177.  女の子ものがたり

4面・ボールペン画「本栖湖 .jpg西原理恵子の自叙伝的「ものがたり」を映画化した2009年公開の作品です。漫画家、高原菜都美(深津絵里)がスランプの中にいます。担当の若い編集者(福士誠治)の「そんなんじゃ友達いないでしょう」という一言で故郷で過ごした親友たちのことを思い出します。

 菜都美は「なっちゃん」友人は「きいちゃん」と「みさちゃん」と呼び合って、小学生から高校生までもつれ合って大きくなってきました。なっちゃんには絵を描く才があり、それが誇りを支えていたのですが、そうしたものに恵まれない二人はついつい〝不良〟な大人にあこがれて、幸せではない男とつながってしまいます。なっちゃんは怒りとやりきれなさで友人関係を絶ってしまいました。

 今、思い出をたどるために田舎に帰った菜都美はきいちゃんの死に…もっと読む.pdf
絵・「本栖湖 富士山」

176.  しあわせのパン

4面ボールペン画「西湖 富士.jpg2012年に公開された美しい自然の移り変わりとヒューマンに溢れた作品です。大泉洋と原田知世が演じるカップルが東京を離れて、北海道洞爺湖畔の野でロッジ風のおいしいパン屋さんを開きます。

 このカップルにも二人だけの隠されたストーリーがあるみたいなのですが、パン屋の二階への宿泊を当てにして訪れてくる客はいずれもいわくありです。主人夫妻の温かいもてなしとおいしいパンが客の傷んだ心と体を癒していきます。

 夏にやってきたのは失恋した若い女性、秋にやってきたのは不登校の小学生の女の子、冬にやってきたのは死期の近い老婦とその夫の二人連れ。皆、味わい深い日々を過ごしていきます。

 パン屋を取り巻く関係者もそれぞれよい味わいを醸し出しています。だれもがパンのおいしさを大切に感じているのです。

 老夫婦が幸せな最期を過ごした後…もっと読む.pdf
絵・「西湖 富士山」

175. インビクタス/負けざる者たち

6面・ボールペン画「精進湖 .jpg 南アフリカは長く人種差別が公認された国でした。1994年に黒人のネルソン・マンデラが民主的手続きによって大統領に就任し、世界的出来事になりました。この映画「インビクタス・負けざる者たち」(監督クリント・イーストウッド)はこの歴史的転換点を印象的に描き出そうとしたものです。

 マンデラ大統領(モーガン・フリーマン)はラグビーの代表チームの活躍に国民の関心を集めることによって人種間の不信を和らげようとします。その南ア代表チームのキャップテン、フランソワを演じるのがマット・デイモンです。

 1995年に南アで開催されたワールドカップで南ア代表チームは優勝を勝ち取ります。文字通り奇跡の勝利で、当時は国境を越えて沸き立ったものでしたもっと読む.pdf
絵・「精進湖 富士山」

174.  モリー先生との火曜日

4面・ボールペン画「河口湖か.jpg もともとは1999年制作のアメリカテレビ映画です。往年の名俳優ジャック・レモン演じる老教授が物語の主人公です。

 老教授の名はモリー・シュワルツ。筋萎縮性側索硬化症によってまもなく死を迎えようとしています。教え子のミッチ・アルボムは新聞コラムニストとして超多忙を極めているのですが、モリー先生の苦境を知って会いに行きます。

 ところがモリー先生は、病気に負けるどころか、いかにも社会学の学徒らしく、いくつもの名言、格言を駆使してミッチの心に豊かさを注ぎ込もうとします。
「(現代アメリカ流に)自立を謳いすぎると触れ合うことがおろそかになる」「愛することの勇気と愛されることの勇気の両方が大切」など、モリー先生はミッチに対してさながら「卒後の補習」をするみたいです。

「死は恐ろしいもの、でも、睡眠と同じようなもの」もっと読む.pdf
絵・「河口湖からの富士山」

173.  ツ ナ グ

4面・ボールペン画「山中湖か.jpg 2012年公開のファンタジー・ヒューマンドラマです。「たった一度だけ死者との再会を実現してくれる人がいる」というのがストーリーの軸です。その導きを秘密裏に実行してくれるのが「ツナグ」であって、代々、同じ家系の中で引き継がれてきているのです。そして今、先代のおばあちゃん(樹木希林)から孫(松坂桃李)に引継ぎが行われようとしています。

 見習い中の孫ですが、依頼人の望みどおり次々と「ツナグ」を実現していきます。亡くなった母親と会いたい中年男性、不慮の死を遂げた親友に会って話したい女の子、行方不明になったままの恋人に会いたいサラリーマン男性、確かにそれぞれが意味のある再会を果たします。

 しかし「一生に一度だけ」のルールはこの世で生きている人にはもちろん、既にあの世に行った人にも適用されるルールですから「ツナグ」を経験した人たちにとって本当にそれが幸せなことだったかどうか…もっと読む.pdf

絵・「山中湖からの富士山」

172. 天国の本屋・恋火

4面・ボールペン画「朝霧高原.jpg2004年公開のファンタスティック映画です。天国には素敵な本屋があって死者が集います。本屋の主人が原田芳雄、天国と地上の行き来を采配する能力を持った怪人です。

 若手ピアニストの健太(玉山鉄二)がこの怪人によってあの世に〝仮〟昇天(アルバイトという)させられたところから物語は始まります。

 驚いたことに健太はここで子どもの頃にあこがれていたピアニスト翔子(竹内結子)に出会うのです。一方、地上のこの世では翔子の姪の香夏子(竹内結子の二役)が地域の花火大会を復活させようと奔走します。

 ここであの世とこの世の事情を取り結ぶキーマンが登場します。伝説の花火師・瀧本(香川照之)です。瀧本は翔子の元恋人で、事故によって翔子が死んでしまうきっかけを作ったのでした。香夏子はそんな瀧本に「究極の和花火・恋火」の製作を…もっと読む.pdf
絵・「朝霧高原からの富士山」

171. しあわせの選択

8面・ボールペン画「日本平からの富士山」.jpg 2000年公開の映画ですが、女の一生とばかりにある女性がカナダからニューヨーク、そしてパリと目まぐるしく活躍の場を移していく物語です。

 ティナはもともと女子アイスホッケー選手だったのですが、写真記者の目に止まってスーパーモデルへの道を歩み始めます。彼女を大切に育てていこうとする者とモデルとして使い切ろうとする者が周囲を行きかいます。主人公ティナがモデルとして成功していくかどうかが主題といえますが、画面全体の流れとしては彼女が女性として幸せをつかんでいけるのかどうかが大きな関心事です。

 テーマは人生プロセスですが、映画としてはティナの姿をドキュメンタリー風に密着カメラで追い続けるカメラマンの水平アングルが画像そのものに使われ続けていきますから、日常感とともに緊張感がかもし出されます。

 ティナの男性関係は華やかに国際的に広がって…もっと読む.pdf
絵・「日本平からの富士山」

170. シベールの日曜日

4面・ボールペン画「屋久島」.jpg ずいぶん昔、1962年制作のフランス映画ですが、感動は新鮮です。時代的に画面はモノクロなのですが、卓抜したカメラ技術があって色彩を超えた美しさを味わうことができます。

 パリ郊外の町にインドシナ戦争、空軍帰還兵ピエールがいます。町の修道院に親から捨てられ置き去りにされた少女がやってきます。ピエールはバトルショックによる記憶喪失で看護師に世話を受けています。日曜日の家族面会日にピエールが少女に会いに出向くところから物語は始まります。少女はフランソワと名乗り、本名を秘めたままピエールと戯れ合います。

 画面の中でピエールが前思春期の繊細多感な少女に頬ずりするかと危うく感じられますが、実は彼の精神破綻は戦闘機から直視したベトナム少女の叫び顔から発したものなのです。

 ピエールの心は少女とのひたむきな交わりによって贖罪を遂げるかのようです。少女も天涯孤独が癒されるかの錯覚を味わっていきます。

 しかし、町衆の眼は彼らの汚れのなさを無条件に受け入れることはできません。二人がおとぎ話のように未来を誓ってのち…もっと読む.pdf
絵・「屋久島」

169. トウキョウソナタ

ボールペン画「甲府市昇仙峡.jpg 2008年公開の日本映画です。トウキョウに住む典型的な中流家庭が分裂解体していくプロセスと再生への可能性を描いた内容です。

 父親は課長職でありながらリストラに遭い、母親は主婦業の空しさにあえぎ、子ども二人はそれぞれ自分の道を探しあぐねている、といった設定です。言ってみれば、今の日本のどこにでも見られる家族風景が凝縮されているのです。その意味で家族それぞれの苦悩をだれもが身につまされる思いで目にするはずです。

 父親、香川照之は中堅サラリーマンがリストラから出直すとなるといかに厳しい目に遭わなければならないかという現実を好演します。母親、小泉今日子も平凡な良妻賢母でいることのやりきれなさを丁寧に演じ切ります。子ども役の二人も現代日本で若者が自分らしさを求めて生きていくことのむつかしさをよく伝えてくれます。

 父親は職を求めてあがいた末に…もっと読む.pdf
絵・「甲府市昇仙峡」

168. めがね

6面・ボールペン画「積水寺」.jpg モチーフを同じくする荻上直子監督の2007年作品です。

 舞台は南はるかな離島、時間がゆるりと流れていくのが分かります。暮らしている人たち皆がゆるりです。そこへ都会からタエコ(小林聡美)がやってきます。宿に着くと早速、もたいまさこらに迎えられます。ゆっくり過ごすためやってきたタエコですがあまりのゆるぶりにかえって戸惑ってしまいます。どうやら島の日常は「たそがれる」が合言葉らしいのですが、タエコにはなかなかなじむことができません。島の女教師ハルナやタエコを追ってきたヨモギがいざなっても無理みたいです。とうとうタエコはすっきりしない思いを抱えたまま島を離れることになります。

 時を経て、タエコは胸のこだわりを解こうと思って、もう一度、島を訪れます。宿に向かう途上…もっと読む.pdf
絵・「積水寺」

167. 代理人

4面・ボールペン画「津島市旧.jpg 子どもの親権をめぐって産みの親と育ての親が法廷で争う一九九五年のアメリカ映画です。ドラッグ中毒の黒人女性、カイラが、産んだ子どもをスラムのゴミ捨て場に放置してしまうところから物語が始まります。

 病院ケースワーカーのマーガレット(ジェシカ・ラング)がその放置された子ども、イザヤを夫と娘の理解を得て養子に迎えます。黒人の子どもを白人が引き取るというのは珍しい形です。ところが、ドラッグから脱出したカイラがイザヤへの愛に目覚めて黒人人権運動に思いを託したため、アメリカ社会お決まりの裁判に場面が移行してしまいます。

 人種問題を争点にすえて、カイラに親権を、と主張する黒人社会の側、親子の愛情関係を拠りどころにしてイザヤを守ろうとするマーガレット、いずれにしてもやりきれない展開です。

 結局、血の絆の方が優先されてイザヤはカイラの元へ移されます。しかし、心配した通り…もっと読む.pdf
絵・「津島市旧堀田家」

166.  ヤング・アダルト

4面・ボールペン画「近江八幡市商人街」.jpg 最近、いろいろと話題になるアラフォー独身女性が主役の2011年、アメリカ作品です。

 三十七歳のメイビス(シャーリーズ・セロン)は〝少女向け小説(ヤング・アダルト)〟のゴーストライターです。彼女は結婚経験もあるのですが、今は少女向け小説そのままの不安な心の持ち主です。

 高等学校同窓の〝元カレ〟から結婚、出産の知らせを受けて、揺れる思いに駆られて故郷へと旅立ちます。いわば〝自己破滅的〟と〝他者破壊的〟の入り混じった微妙な気持ちで元同級生たちにぶつかっていくのですから、決して歓迎はされません。当然のこととしてメイビス自身も傷つき、空しい思いと自責の念を抱いて元の街へ帰っていくほかなくなります。

 今、日本でも離婚男女や無婚男女の存在がいわば〝市民権〟を得るほどに…もっと読む.pdf
絵・「近江八幡市商人街」

165.  毎日かあさん

4面・ボールペン画「近江八幡.jpg 人気漫画家、西原理恵子の日常生活、家庭生活での奮闘ぶりにカメラを向けた2011年の作品です。

 お母さん漫画家サイバラ(小泉今日子)は子ども二人と夫との生活を精一杯こなしていきます。もちろん有能なアシスタント、愛ちゃん(田畑智子)の援助もあってのことなのですが、子どもを寝かしつけるのに絵本を読み聞かせ、食事作りにも手を抜かないひたむきな姿にサイバラ自身の価値観がよく伝わってきます。

 サイバラの「獅子身中のムシ」ともいえる夫、カモシダはアルコール依存症です。サイバラの献身を尻目に立ち直ることなく時間をすごしていきます。ついにはサイバラはカモシダに離婚届けを突きつけます。ようやくカモシダは一念発起、本格的な治療に取り組む決心をします。

 目の回るような忙しさの中で、家族関係にも人間関係にも手抜きをしないサイバラの姿勢に感動です。画面に展開する日常生活場面の展開に自分の経験を重ね合わせて共感できるところも多いのではなかろうかと思われます。

 臨床心理学の専門的観点からすれば、カモシダの依存症を悪化させているのは、実は…もっと読む.pdf
絵・「近江八幡市水郷」

164.  RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語

4面・ボールペン画「近江八幡.jpg 2010年に制作されたいわば題名どおりの邦画作品です。大手電機メーカーのエリートサラリーマン、中井貴一が故郷の母親が倒れたのをきっかけに子どもの頃から電車の運転士になりたかったのを思い出し、都会生活を振り切って転職を果たしてしまうという物語です。

 もちろんお話はいかにも作りもの的ですが、映画作品として、そうした思いを抱かせないだけの仕掛けがいくつも用意されています。まず、主人公が中井貴一ですから思いがけない決心も軽薄なものとは感じられません。また、目指す電車が神の故郷、出雲の一畑電鉄ですから流れる車窓風景はそれだけで十分、説得力を持っています。家族たちが父の無謀を理解していくプロセスにこうした仕掛けがなにがしか関わっていたに…もっと読む.pdf
絵・「近江八幡市八幡掘」

163.   レ・ミゼラブル

6面・ボールペン画「近江八幡市八幡堀」.jpgもともとはよく知られたヴィクトル・ユゴーの同名小説ですが、このたび映画として評判になったのは舞台ミュージカルとして脚色されたストーリーが敷き台になったものとのことです。2012年に英国で制作公開されました。

 物語の舞台は一九世紀前半のフランス。貧困と圧政に苦しむヨーロッパの民衆社会を背景に、ジャン・バルジャンが数奇な運命をたどります。

 囚人生活から解放され、司祭に助けられたバルジャンは出自を偽って新しい人生を獲得することができます。薄幸の女性ファンテーヌに手を差し伸べ、彼女の娘、コゼットを守ることを誓います。

 しかし、一方で、元看守のジャベールの執拗な追跡にどこまでも脅かされ続けます。それでも彼の目をきわどくかわしながらコゼットを美しい娘に育て上げます。時の運命で、そのコゼットがパリ革命に蜂起した学生リーダー、マリウスと恋に落ちます。革命は挫折しもっと読む.pdf
絵・「近江八幡市八幡掘」

162. 八月の鯨

4面・ボールペン画「近江八幡.jpg老姉妹、リピーとサラは夏になるとメイン州のある島で過ごします。その海には八月になると鯨がやってきます。姉妹は子どもの頃からこの地で鯨を見るのを楽しみにしてきたのです。

 1987年のアメリカ映画ですが、その中身はただこれだけの繰り返しです。往年の名女優ベティ・ディヴィースとリリアン・ギッシュがかもし出すさりげない日常の生活風景が逸品なのです。

 病で目が不自由になったリピーはいつも不機嫌です。サラが男性の友人を招待しても素直に喜ぶことができません。それでも屈折した微妙な心の動きを丁寧に表現するベティ・デイヴィースの演技に感心してしまいます。

 二人の楽しみといえば、長い間に古箱になってしまった宝箱の中から、若い日の思い出をそっと取り出して眺めることくらいです。その時の姉妹の表情に、老いを受け止めていく人間の心の揺れがよくあらわされています。

 繰り返しますが、ストーリーといえば…もっと読む.pdf
絵・「近江八幡市八幡掘」

161. あなたへ

4面ボールペン画「近江八幡市八幡掘」.jpg「あなたへ」というのは、亡妻、田中裕子が夫の刑務官、高倉健へあてた遺書の書き出しのことです。「私の骨を故郷平戸の海に散骨して」という趣旨がこめられていました。
高倉健は、妻との旅を夢見ながら内装したキャンピングカーで、富山から九州に向けて出立します。長い道のりの中で、怪しい詐欺師(北野武)とか弁当イベント屋(草彅剛)と出会いながらようやく平戸の港町に到着します。
 しかし、もちろん、港の人たちが簡単に散骨を受け入れてくれるはずがありません。それでも長老の漁師(大滝秀治)に頼み込んで、特別の計らいを受けて亡妻の願いを達成することができます。
 監督、降旗康男の手腕もあって、いわゆる旅ものとしては堅実な作りになっています。道程の風情豊かさもさることながら、亡妻との思い出に浸るシーンでくり返し流れる田中裕子の歌声が切なさを…もっと読む.pdf
絵・「近江八幡市八幡掘」

160. トイレット

4面・ボールペン画「近江八幡市八幡掘」.jpg「かもめ食堂」「めがね」といった話題作を提供してきた荻上直子監督の2010年作品です。今度の物語の舞台は北米のある町での家族生活です。

 ロボットプラモデルマニアのレイ、ピアニスト志望の引きこもり青年モーリー、エアギターにはまっているリサ、それに一匹の猫といったいかにも個性的な顔ぶれが母親が死んでアパートからも焼け出されたため、仕方なく共同生活を始めました。そこに、なぜか日本人である「おばあちゃん」が同居することになります。言葉はまったく通じません。

 こうした設定だけで、シナリオがどうした方向に展開していくのか想像できるというものでしょう。おばあちゃんはトイレの後、深くため息を付くのがキャラです。これまで荻上監督作品の要役を演じてきた「もたいまさこ」がおばあちゃんです。

 考えてみれば子どもたち三人はコミュニケーションに障がいを抱えていると言えます。その設定の上におばあちゃんが英語を使えないのですから…もっと読む.pdf
絵・「近江八幡市八幡掘」

159. プライドと偏見

6面・ボールペン画「近江八幡市八幡堀」.jpg 2005年制作の英国映画です。18世紀末のイングランド地方を舞台とした五人姉妹をめぐる典型的な恋愛物語です。

 長く親しまれてきたジェーン・オースティン原作の小説がベースとのこと、今も大切に保存されている近世イギリスのお城のような貴族邸宅と周りに広がる伸びやかな田園風景がスクリーンいっぱいに広がりますから、いわゆるイギリス古典調を愛好する向きには心に染み入るところがいっぱいだろうと思われます。

 五人姉妹となると、親は良縁を目指して社交界に娘たちを送り出します。お決まりのダンスパーティが彼女たちのチャンスの場になるのですが、ドラマは必ずしも娘たち一家の思い通りには展開して行きません。

 ベネット家長女のジェーンが金持ちピングリーに求愛されますが、彼の親友ダーシーの邪魔が入ります。才気煥発の次女エリザベスはダーシーに怒ります。しかし、実はダーシーは…もっと読む.pdf
絵・「近江八幡市八幡」

158.危険なメソッド

4面・ボールペン画「武田神社.jpg 現代の精神分析、精神療法、カウンセリングの代表的な始祖である二人の巨人、フロイトとユングを描いた意欲作です。ユングの治療を受けに来た美しいロシア人女性、ザビーナ・シュピールラインの登場で物語は始まります。

 幼時の父親との関係にトラウマを抱えているシュピールラインはユングとの関係に希望を託して深みに歩んでいこうとします。ユングは妻との関係を守りたく、また精神分析の先輩、フロイトの禁欲主義思考に気遣って、彼女との関係を迷いながら進めて…もっと読む.pdf
絵・「武田神社能舞台」

157.  東京オアシス

4面・ボールペン画「武田神社.jpg あの「かもめ食堂」の成功の延長上で、同じ小林聡美が主演する心の癒し物語です。場所は東京、女優衣装のまま逃げ出してきたトウコ(小林聡美)がトラック運転手のナガノ(加瀬亮)の前に身を投げ出します。車は高速道路から海岸へ、二人はそれぞれの心の息吹を回復します。

 トウコは昔なじみのキクチ(原田知世)と出会います。シナリオを書くことを捨てたキクチにトウコがもう一度取り組んでみることを勧めます。

 動物園で「運に見放された女」のヤスコ(黒木華)に出会います。ゆっくり、のんびり動物園を歩き回る二人、やがてヤスコは立ち去り、トウコも歩き始めます。

 人と人との関わり合いが場所と時間との絡み合いで新たな意味を生み出してくれる、というのが小林聡美〝チーム〟の変わらない狙い…もっと読む.pdf
絵・「武田神社本殿」


次回は、夢やトラウマを映像ではなく、言葉で描く、禁欲的かつ挑戦的な映画『危険なメソッド』です。
 若き精神科医ユング(マイケル・ファスベンダー)は、高名な精神分析医フロイト(ヴィゴ・モーテンセン)が提唱する画期的な治療法を患者ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)に実践します。各人の葛藤と決別を描く演技合戦は圧巻です。

156. ぐるりのこと

4面・ボールペン画「武田神社.jpg 2008年の日本映画です。題名からいろいろな連想が浮かびますが、要は、夫婦の絆の微妙さと繰り広げられる日常風景の微妙さを丁寧に描き上げた静かな佳作です。物語は1990年代に始まってリリー・フランキーと木村多江の二人が互いを見つめ合いながら歩んでいく10年間です。

 夫婦は日本画を学んだ芸術家志望同士で結ばれました。ただ、子どもに恵まれず、そのことが妻の心に重い負担を与え、やがては本格的なうつ状態へと落とし込まれていってしまいます。夫のリリー・フランキーは法廷画家の仕事を得て妻を支えていきます。

 心の奥まで侵されて、急激に沈んでいく切ない人間像を木村多江が震えるほどに好演します。加えて、妻の落ち込みに付き合いながら…もっと読む.pdf
絵・「武田神社神橋と鳥居」


次回は、『かもめ食堂』などの製作チームが、東京の街を舞台に人と場所との関係をシンプルに見つめ描いた作品『東京オアシス』です。
 仕事から、何もかもから逃げ出してきた女優トウコ(小林聡美)。ゆく先々で出会う人々もまた、さすらいの迷い人でした。人々の暮らしや日々の風景。自分自身のオアシス探し。心の旅に答えは?

155. ハリーとトント

6面・ボールペン画「木曽大桑.jpg 1974年制作のアメリカ映画です。いわゆるロードムービーといわれる主人公が旅をする物語です。猫(トント)を抱いた老人(ハリー)がニューヨークからシカゴ、そしてカリフォルニアへと旅をしていきます。

 ハリーがニューヨークのアパートを市街地整理のあおりで追い出されてしまうのが話の始まりです。まずは息子家族のもとに身を寄せるのですが、折り合いがもうひとつです。ハリーはシカゴの娘のもとへ移動しようと決心します。ところが猫が一緒のせいで飛行機に乗り損ねてしまいます。バスに乗り換えたのですが猫の排泄問題で途中下車になってしまいます。結局、中古車を購入して自力で移動する羽目に陥ります。車にはヒッピー希望の若者がヒッチハイクで乗り込んできたりしますからちょっとした時代を感じさせられます。

 ともあれ、こうしてようやくシカゴの娘のもとに到着するのですが、残念なことに…もっと読む.pdf
絵・「木曽大桑村 岩出観音」

 次回の映画は、橋口亮輔監督がオリジナル脚本で挑んだ人間ドラマ『ぐるりのこと』です。 几帳面な妻(木村多江)は、亡くした子どもへの惜別が講じ心が病んでいきます。法廷画家の夫(リリー・フランキー)は、優しく妻を見守っています。困難に直面しながらも一緒に乗り越えてゆく夫婦の十年に渡る奇跡が描かれています。

154.  最強のふたり

4面・ボールペン画「大桑村定.jpg 世界的に評価を得た2011年公開の話題作です。事故で下半身不随になった富豪の男性フィリップと貧困層育ちの介護人ドリスとの関わり合いをさまざまな角度から描き出した熱い作品です。

 障害を持った人とその世話人という設定はこれまでもないわけではありません。その意味ではこの映画の〝最強〟がどのような意味で〝最強〟なのか、実際に見るまで正直いって〝心配〟がないわけではありませんでした。

 介護の資格や看護の経験もないドリスは逆にナマの人間としてフィリップに迫っていきま
す。誇り高いフィリップは戸惑いを覚えつつ、一方で「彼は自分にまったく同情していないんだ」とかけがいのない相方として認めようとしていきます。

「腫れ物に触るように接するよりも対等にぶつかる方がよい」とは口にしても、それがヒューマンなつながりになるのは容易では…もっと読む.pdf
絵・「大桑村定勝寺」

 次回は中古車に乗って旅に出た老人と愛猫の物語『ハリーとトント』です。
 ニューヨーク・マンハッタンに住む七十二歳のハリー(アート・カーニー)は、アパートの立ち退きを迫られます。愛猫トントを連れて息子たち、娘宅へと身寄り先を訪ねます。旅先での出会いと別れ、人生の哀歓が情感豊かに描かれています。

153.   おとうと

4面・ボールペン画「木曽赤沢.jpg 山田洋次監督作品、2010年のヒューマニティあふれる映画です。

 結婚後まもなく夫を亡くして、女手ひとつで娘(蒼井優)を育て上げた健気な女性を演じるのが吉永小百合です。その弟が笑福亭鶴瓶、姉とは正反対で、身持ちも酒癖も悪い厄介者です。

 蒼井優の結婚式に闖入した鶴瓶が大暴れして、披露宴はぶち壊されてしまいます。姪娘とおじの関係は最悪で、結婚生活の破局まで招いてしまいます。

 ところが、どんなにひどいことが起こっても吉永小百合演じる姉は不肖の弟に尽くし続けます。行状を許すだけでなく、借金の肩代わりまでします。そんな弟が不治の病に倒れるのですが、ここでも姉は臨終の床まで付き添います。

 「縁を切る」「今度こそ縁を切る」と繰り返しながら、優しさを脱することが出来ない姉こそが、弟の一人立ちを妨げる一番の存在です…もっと読む.pdf
絵・「木曽赤沢美林トロッコ列車」

152.  テルマエ・ロマエ

4面・ボールペン画「興称寺大.jpg 2012年公開の映画ですから、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。「テルマエ・ロマエ」とは「ローマのお風呂」という意味です。主演の安部寛がローマの浴場作り技師・ルシウスとして活躍する物語です。

 突然、荒唐無稽な始まりですが、安部寛がタイムスリップして現代日本と行き来するようになります。そこで目にした今風浴場風景を参考にして、ローマに戻って新しい着眼や工夫に換えて、時代を超えた斬新な浴場作りを行っていくという物語です。

 元々、原作がコミック人気作ですから、映画になっても笑いがこみ上げてくる場面が少なくありません。ローマ皇帝はじめローマ人たちの誇りと人間性が生き生きと描かれています。

 とどめのクライマックスは、現代日本からローマへ逆スリップしてきた真美(上戸彩)や仲間たちの協力のもと、地熱温泉を活用した湯治場を作るという運びです。負傷したローマ軍の兵士たちが温泉の効能によって劇的に救われることになったのです。

 ローマ軍救済の功労者として、皇帝はルシウスを厚く遇しようとしますが、彼自身は「実はタイムスリップによって見た世界(現代日本)をただ真似ただけだ」と恥じ入ろうとします。どこまでもまっすぐでしなやかな生き方を貫いていきます。

 まるで駄洒落そのものですが、罪のない物語展開に、ちょっと気の利いた銭湯の上り部屋のような気分にしてくれます。
絵・「興称寺大悲殿(木曽義仲墓所)」

 次回は、山田洋次監督の十年振りの現代劇『おとうと』です。
 薬局を女手一つで切り盛りしながら娘(蒼井優)を育ててきた姉(吉永小百合)と、大阪で芸人にあこがれながら、破天荒な暮らしをおくる弟(笑福亭鶴瓶)との再会と別れが描かれています。きっても切れない家族の絆がややこしく、笑いと涙に溢れた熱い作品です。

151.  時計じかけのオレンジ 

6面・ボールペン画「寝覚の床.jpg スタンリー・キューブリックというと鬼才とも称される映画監督ですが、この作品は彼の代表作といってよいものです。

 公開されたのは一九七二年ですからずいぶん昔のようですが、作品モチーフはもとより、映像の作りも時代を超えて目を見張らされるところ満載です。

「時計じかけのオレンジ」とは〝機械に統御される生き物〟という意味です。近未来的な情況風景の中で若者が無軌道を繰り広げています。暴行、強姦、殺人までとどまるところがありません。ところが主人公が逮捕、拘束されてから話が一転します。心理科学的な実験手法(ルドヴィコ治療)によって犯罪アレルギーとも言うべき人格状態に作り変えられてしまうのです。条件反応形成で「第九」を聞くと逆に死にたくなってしまうのですから皮肉です。

 粗暴、残虐から一転した怯え、従順といった人間像が、現代科学文明にスポイルされたわれわれの心を彷彿とさせます。

 社会はルドヴィコ治療の副作用を重視するようになり、主人公はむしろ科学の犠牲者として憐れまれることになります。そして、彼らは元の自分に返っていく、という顛末になるのですが、なんだか複雑な思いが残ります。アップになった主人公たちの表情が暗く醜く、明らかに元の木阿弥なのです。

 キューブリックが仕上げた近未来映像に、しばしのめりこんで、頭と心を悩ませてみるのもよろしいのではないかと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・「寝覚の床」


次回はヤマザキマリの人気コミックの実写化。古代ローマと現代日本が時空を越えて、異文化の交流を繰り広げるという奇想天外な流れが何とも可笑しい大ヒット作品『テルマエ・ロマエ』です。 アイデアが生き詰まって浴場設計技師を廃業させられたシリウス(安部寛)が、日本の風呂文化に感銘を受けます。さて、その先は…。

150.  クレイマー、クレイマー

4面ボールペン画「木曽福島 .jpg ダスティン・ホフマン主演で知られた1979年公開の話題作です。

 家庭を顧みず仕事中心にすごしてきた夫(ダスティン・ホフマン)に対して、ある日、妻(メリル・ストリープ)が突然、別れを切り出します。五歳の男の子と夫を家に残して自立への道を歩み始めるのです。慌てふためく夫ですが、たちまち目の前の息子の面倒をみなくてはその日を終わることもできません。

 文字通り苦闘と苦悩の日々ですが、どうしてもうまくいかず、ついには仕事まで失ってしまいます。おまけに、経済的に安定を得た元妻が養育権を譲るよう申し立てるのですから大変です。裁判となると、ある意味では勝ち負けだけが目標になりますから、心とか人間関係性という面は軽く扱われてしまいます。

 当然のように敗北した夫、ダスティン・ホフマンは息子を引き渡す約束の朝、これまでにない出来のよいフレンチトーストを作ります。息子は父との別れが辛くて大声で泣きます。これを見て元妻は子どもを引き離すことを断念し、元夫との抱擁になるのです。

 わが国でも、今、子どもを持つ男女が簡単に離婚してしまいます。おまけに裁判へのハードルもずいぶん低くなってしまいました。このこと自体の是非は簡単に言えないのですが、少なくとも子どもの心の成長となると、親たち二人が男と女だけでなく、父と母(そして子ども)という関係性のもとにあるのだということを重く深く考えてほしいと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・「木曽福島 寺門前小路」

 次回は、欲望の限りを尽くす荒廃した自由放任と管理された全体主義社会とのジレンマを描いた風刺的作品『時計仕掛けのオレンジ』です。
 舞台は近未来のロンドン。ベートーベンを愛する15歳の主人公アレックスをリーダーに、やりたい放題の少年四人組。奇抜なファッションに無軌道な暴力行為。衝撃的な映像が続きます。

149.  世界の中心で愛をさけぶ

4面・ボールペン画「木曽福島.jpg 題名そのままですが、愛し合っている若い男女の一方が、思いがけなく白血病に襲われて、やがて亡くなっていくのですが、死を迎えるまでの時間を大切に過ごし、彼女の死後も彼が思い出を大切に温めていくという純愛物語です。

 2004年に公開されて、テレビ版の評判もあって「セカチュー」と流行語にまでなりましたから、ご記憶の方もあるのではないかと思います。

 多少、知ったかぶりに言うならば、映画版、テレビ版で主演を張った二人、長澤まさみと綾瀬はるかが、この「セカチュー」を機に有名女優への道を歩み始めたのでした。

 舞台回しは亜紀(長澤まさみ)の死後、恋人、朔太郎(大沢たかお)と恋仲になった律子(柴咲コウ)が担います。律子が引っ越ししようとして、荷作りの奥から、古い録音テープを見つけるのですが、それがかつて
律子自身、事故に遭って渡すことができなかった亜紀の最後の肉声テープなのでした。

 実は、かつて病床の亜紀と朔太郎の間を録音テープのやり取りで結んでいたのが幼い時の律子だったのです。

 ここから、二人はかつて亜紀が命を賭けて望んでいた夢を実現するために腐心していきます。世界の中心で愛をさけび、亜紀のために遺骨を撒くのです。

 二人の純粋さと律子の優しい思いやりがさわやかですが、こうしたお話が時代を超えて受け入れられるのは何ともホッとします。ご購読はコチラ.pdf
絵・「木曽福島関所」


次回は、父子家庭の親子が悪戦苦闘の生活の日々から、お互いに離れ難い存在になっていく姿を描いた『クレイマー・クレイマー』です。
家庭を顧みない夫(ダスティン・ホフマン)に愛想を尽かした妻(メリル・ストリープ)は、七歳の息子を残し家出をします。息子の面倒に仕事。何とも悲哀にみちて応援したくなります。

148.  飢餓海峡

4面・ボールペン画「旧奈良井.jpg1965年公開の水上勉原作によるサスペンス映画です。事件はまだ第二次世界大戦後の混乱が社会に色濃く残っている頃の北海道から始まります。放火、強盗、殺人を犯した犯人三人が青函連絡船の転覆遭難事故の救難活動にまぎれて漁船で本土に渡ろうとします。ここでそのうちの一人、犬飼多吉が二人を船から落として金の独り占めを図るのです。

 北海道警、刑事の必死の捜査も届かず、事件は迷宮入りの様相に至ります。ただ、逃亡の途中、多吉が世話になった「娼婦」の杉戸八重に秘かに大金の一部を手渡していたことが一〇年後の事件展開のきっかけになってしまいます。心優しい八重が、社会の混迷に乗じて名前を変えて成功者になっている多吉の新聞記事を見て、直接、会いに行ってしまうからです。

 連絡船大惨事、下北の恐山、東京の焼け跡、引き上げ船の舞鶴港と並べると、物語が時代の暗闇と交錯しながら進行するのがわかると思います。

 演じる俳優陣も凄みがあります。多吉の三國連太郎、老刑事の伴淳三郎、気鋭の刑事、高倉健、そしてすべての鍵を握る女性、八重の左幸子と来ると画面に火花が散りそうです。

 最後には、追い詰められた多吉が、すべての原点である青函連絡船から身を投げて終わりを迎える顛末になっているのですが、ここには、われわれ日本人の奥底に今も残っている「丸く収める」倫理が色濃く反映されているように感じられることと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・「旧奈良井診療所」


次回は若者に大ヒットした作品『世界の中心で愛を叫ぶ』です。
 恋人を白血病で亡くした過去を持つ彼氏(大沢たかお)と、その婚約者(柴咲コウ)が、死別した彼女(長澤まさみ)が残したメッセージを携えてオーストラリアへと向かいます。過去の思い出から決別し、現在の恋人と共に生きていく姿を描いた純愛ドラマです。

147. クレイジー・ハート

6面・ボールペン画「贄川の関所」.jpg 2010年公開の作品で、主演のジェフ・ブリッジスがアカデミー主演男優賞を受賞しました。ブリッジス演じる主人公バッド・ブレイクは、かつて一世を風靡したカントリーシンガーソングライターです。結婚生活に幾度となく失敗し、酒と煙草に浸りきり、五七歳になって地方を〝ドサ回り〟するだけの男に成り下がっています。そんな彼が、たまたまある町で出会ったシングルマザーの地方紙記者ジーン(マギー・ジレンホール)とその息子の心に触れることで新たな人生にチャレンジしていけるようになるという物語です。

 〝愛と再生の奇跡〟というのはアメリカ映画の好むテーマで、ここでもバッド・ブレイクはすっかりアルコール依存症に陥っており、自ら「シラフの時はない」と言い切るくらいでした。ですからジーン親子と近づくことができても関係が順調に進むわけがありません。

 最後にはブレイクは一念発起して依存症治療専門施設への入院に挑みます。ようやく日常的な正気を取り戻したブレイクがジーンに再会を求めた時、彼女はすでに新しい恋人と結ばれていました。

 わが国では欧米ほどにアルコール依存症は多く語られませんが、実際には皆さん、苦闘しておられます。自分の弱さゆえの「しへき」と自覚すること自体が辛いことです。ブレイクはジーン親子のみならず、関係者の無類の優しさと粘り強さによって支えられました。このこと自体が〝奇跡〟というべきなのだと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・「木曽の大橋」


次回の映画は、水上勉原作の社会派ミステリー作品『飢餓海峡』です。
 戦後間もない北海道で起きた殺人・放火・窃盗事件。犯人三人が青函連絡船で本土に逃げ渡ろうと画策します。その犯人の一人、犬飼多吉(三国蓮太郎)がとった行動とは…。
 芸者杉戸八重(左幸子)の存在が、迷宮入りかと思われた事件を炙り出していきます。

146. ヒア アフター

4面・ボールペン画「木曽の大橋」.jpg 「ヒアアフター」はいわゆる「あちらの世界」、すなわち「あの世」のことです。津波に遭って臨死状態に陥ってあちらの世界を垣間見た女性、霊能力を持っていて他者の背後の霊と交信できる青年、双子の兄を事故で失ってその兄の霊に会いたいと願っている少年、それぞれの事情がロンドンのブックフェアの会場で交錯するというのがストーリーのクライマックスです。

 例によって、クリント・イーストウッドが話題作に仕立て上げることを狙って2010年に公開した作品ですから、いかにも衝撃的な映像画面が連続します。

 津波の女性はあちらの世界の実在性を広く訴えたいと願います。双子の少年はただひたすら死んだ兄に会いたいと思います。でも、霊能者の青年は、あちらの世界と交流できることが必ずしも幸せではないのだ、と叫びます。

 映画全編で、あちらの世界が浮かび上がるシーンでは、ある程度、同様のイメージで迫ってきますから、クリント・イーストウッドとしては、あの世の光景は個人を超えて共通性を有していると言いたいのかも知れません。有名な心理学者ユングが、民族や文化を超えて心の奥底には共通の「シンボルイメージ」が存在していると言っていることに通じる話です。

 いわば「あの世・元型」のイメージに出会うことができる人たちの物語なのです。最後に、青年と女性が互いに安心できる相手として結ばれようとします。でもそのまま幸せになれるかどうかについては考え込まざるを得ません。ご購読はコチラ.pdf
絵・「木曽の大橋」

 次回は、初老男の愛と再生の人生を描いた『クレイジーハート』。
 かつて、カントリー歌手として一世を風靡したバッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)。 今ではドサ回りで酒浸りで孤独で落ちぶれた日々を送っています。シングル・マザー記者ジーンとの出会いが新たな人生への希望になります。物語を彩るミュージックも注目です。

145.  東京物語

4面・ボールペン画「木祖村菅.jpg 小津安二郎監督作品として世界的に評価の高い作品です。といっても一九五三年公開ですから古典的名画といってよいでしょう。笠智衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、山村聰、香川京子と主な出演者の名前を並べると、いずれも映画史上を飾る人たちとわかるはずです。

 尾道に暮らす老父母が東京に住む子どもたちの誘いによって上京することから物語は始まります。心はつながっているものの、日々の生活に追われる子どもたち、そしてその家族たちの微妙な気持ちが丁寧に描かれていきます。

 何といっても小津監督自ら関わったシナリオの素晴らしさが心の内面を生き生きと浮き彫りにします。とりわけ老夫婦が子どもたちの思いを察して、できるだけ邪魔にならないよう配慮するくだりは特筆です。

 私たち日本人は、自分より以前に相手の立場を優先して関わっていく文化を共有してきました。現代風の感覚からすると、家族の間でも個人中心の倫理が基本になってきています。

 この点からすると「東京物語」は懐かしい人間関係カルチャーを味わえる作品と見られるかもしれません。でも実は、名優たちの演技は「普遍的なヒューマニズム」を凝縮したものと評価され続けてきているのです。

 第二次大戦後「和をもって貴し」とするわが国固有の文化をことさら貶める向きがないでもなかったですが、「関係中心文化」といってもよいわれわれの人間関係センスをもっと誇りにしてもよいのではないかと考えます。ご購読はコチラ.pdf
絵・「木祖村菅橋」

次回は、総指揮スピルバーグ、監督クリント・イーストウッドの最強コンビで放つヒューマンドラマ『ヒア アフター』です。
東南アジアで津波に遭い生死の境を彷徨った女性。死者との対話に疲れきった霊能力者(マット・デイモン)。事故で双子の兄を亡くした少年。三人三様の人生が「あの世」への思いに絡み合っていきます。

144.  たまたま

4面・ボールペン画「熊野古道.jpg 2011年に公開された蒼井優主演のサイコストーリーです。「たまたま」というメッセージで考えられる社会、自然、人間関係の諸局面を、蒼井優が旅をしてさまざまな出会いを繰り広げていくという形で映像化して見せようとした意欲作です。

 53分という短い作品ですが、終始、蒼井優の姿を追いかけ続けますから、映像としては結構、重みを感じさせます。

 蒼井優がこの世の存在性ということに真正面から問題を覚えて、その答えを求めて心の旅をしていくというのが始まりです。旅の舞台のイメージとして、北欧アイルランドの独特の景色が選ばれます。広く青い海、緑覆う大地、果てしない空、いかにも悠久を感じさせる風景の中で蒼井優が当地の素朴そのものの人たちと触れ合っていきます。

 もちろんそうした出会いそのものの中からこの世の存在原理についての確定的な答えが見つかるはずもありませんから、蒼井優の旅はどこまでも続いていくほかありません。

 映画作品としては、ひたすら旅する蒼井優を見つめるだけですから普通のエンタテイメントとは異質です。

 蒼井優という人物像を通して、こうした主題を映像化しようとした小松真弓監督の心意気に思いを重ねることができたならば、間違いなくわれわれ自身が自分の心の内側を見つめる機会になっていくでしょう。もちろんそこに唯一の答えなどあるはずもないのですが…。ご購読はコチラ.pdf

絵・「熊野古道」


次回は小津安二郎監督の作品『東京物語』です。尾道に暮らす周吉(笠智衆)・とみ(東山千栄子)の老夫婦は、二十年ぶりに東京にやってきます。独立した息子夫妻や娘夫婦の家を訪れ、その暮らしぶりを目の当たりにします。
 各々家庭の質素な暮らしぶりを見守る親心。日常を優しく丁寧に描いています。

143.  ブレイブハート

6面・ボールペン画「旧中仙道.jpg 1995年に公開されたメル・ギブソン監督、主演の話題作です。13世紀イギリスでのスコットランド独立闘争が主題です。

 そもそもイングランドと周辺地域との関係はずっと微妙なジレンマをはらんだまま現在に至っています。その意味では、この作品はイギリスの国としてのアイデンティティを問う物語にもなっています。

 イギリス北部のスコットランドはイングランドの武力によって抑えられてきたのですが、勇者ウォレス(メル・ギブソン)の出現によってイングランドへの抵抗戦に歩みを進めることになります。合言葉は「スコットランドに自由を」です。しかし、スコットランドの「領主」「貴族」たちはどうにかして自分たちの世俗権益を守ろうとして、ウォレスを利用しつつイングランドとの裏取引やウォレスへ裏切りを繰り返します。

 ウォレス率いる市民、農民の蜂起軍は何度もイングランド軍を打ち破ります。しかし、最後にはスコットランド「貴族」の奸計によって捕捉され、イングランド国王に差し出されてしまいます。やりきれない思いが募りますが、大きな目で見ると、いつの時代にも、どの場所でも同じような愚行と殺戮は繰り返されてきたと言わなければなりません。端的に言えば、われわれ人間は、必ずしも時代とともに進歩してきたとはいえない存在なのだと思います。まずは、心の奥底で、ウォレスの「自由を!」という死の叫びにどう応えるかということでしょう。ご購読はコチラ.pdf

絵・「旧中仙道の杉並木」


次回は北欧アイルランドの美しい自然に呼応する心の情景を描いた『たまたま』です。 旅人は蒼井優。たまたま(偶然)出会う日常の風景、人と人の繋がりから生まれる細やかな奇跡とか感動、希望など…心のうねりをカメラが捉えます。 旅は、私たちを日常から解放し、自身を見つめ直し、新たなパワーを与えてくれます。

142.  シンドラーのリスト

4面・ボールペン画「光前寺庫.jpg 1993年に初公開になったいわゆるホロコースト映画の大作です。シンドラーの「リスト」とは、ナチ党員であった実業家、オスカー・シンドラーが自分の工場の労働者としてゲットーのユダヤ人の名前をリストにあげて「工場稼働維持のため」という名目で、1000人以上の命を終戦まで守り抜いたという話です。

 ポーランドユダヤの悲惨な運命が背景ですし、強制収容所、そしてナチ秘密警察の暴虐も実話ですし、加えてオスカー・シンドラー氏の存在もよく知られているところですから、どの場面も圧倒的な迫力で心に入り込んできます。

 第二次世界大戦、ナチ秘密警察の存在、いずれもまだ100年にも達していません。現代と言ってよい時代に、なぜこれほどひどいことがなし得たのか、どれだけ思いを向けてもなかなか答えに達しません。シンドラーが言います。「嵐が過ぎるのを待つのだ」と。人々ができる精一杯がこれだけの努力だとすると、どこまでも悲しいばかりです。

 監督のスティーブン・スピルバーグも広い意味でのユダヤ系とのことです。それだけにこの作品づくりへのこだわりは相当のものです。一方で、よく知られているように、エンタテイメントの名手ですから映像作品としても一流で、アカデミー賞を総なめしたのもなるほどです。

 シンドラーは、解放された人々を前に「それでも自分は1000人しか救えなかった」と嗚咽します。世界中の人々の心に、この思いが長く深く残ってほしいものです。ご購読はコチラ.pdf
絵・「光前寺庫裡」

 次回は、十三世紀末、悪政に苦しむスコットランドの独立と開放を目指して戦った実在の英雄の生涯を描いた大作『ブレイブハート』です。
 ウィリアム・ウォレス(メル・ギブソン)は、残酷な王エドワード一世から反逆児として極刑に処せられます。十年後、彼の遺志を継いだ軍が戦いに勝利し、スコットランドに自由と平和が訪れます。

141. ジョセと虎と魚たち

4面ボールペン画「光前寺参道.jpg2003年に公開された話題の日本映画です。池脇千鶴が妻夫木聡を相手にベッドシーンを演じるというのも話題作りになったものですが、それ以前に池脇がジョゼと呼ばれる下半身不自由な障がい女性を体当たりで演じるというのが衝撃的だったのです。

 主人公ジョゼは原因不明のまま不自由を余儀なくされてきているのですが、読書を通じての物知りぶりは大学生の恒夫(妻夫木)が遠く及ばないほどです。二人が偶然の出会いから徐々に近づいていって、妻夫木に背負われたジョゼがナマの怖さの象徴としての虎を見に行き、続いて憧れだった海に出かけるというのが題名のゆえんです。このように言うと障がいを持った女性の前向き人生の物語のようですが、画面のジョゼは決してそうではなくて、恒夫に背負われたままわがまま放題をぶつける自我の強い個性的性格者です。

 ジョゼに魅せられて献身的に尽くす恒夫ですが、やがて心身の疲労からジョゼのもとを去って行こうとします。恒夫の学生友達たちはそんな恒夫を厳しく批判するのですが、当のジョゼは離れていく恒夫を責めようとはしません。そうは言っても恒夫には「逃げてしまった」とうめく自責心があります。道端でうずくまって泣き崩れてしまうのです。

 障がい者の生き様をリアルに描いた問題作なのですが、エンディング場面でジョゼが一人、電動車いすで疾走する姿が映し出されます。その爽やかさが恒夫の姿と厳しく対比的です。ご購読はコチラ.pdf
絵・「光前寺参道」


次回は、実在の実業家が守り抜いたユダヤ人の命がテーマ。スピルバーグ監督『シンドラーのリスト』です。
 第二次大戦下、罪もない人々が次々と虐殺されていく悲惨な光景に耐えかねたシンドラーは、自社工場に、労働者の名目で一二〇〇人のユダヤ人の命を匿います。このシンドラーの行動には人々に
対する深い愛を感じます。

140.  プール

4面ボールペン画「世界遺産蘇.jpg 小林聡美ともたいまさこのキャスティングというと何と言っても「かもめ食堂」がよく知られています。この「プール」(2009年公開)でも、「かもめ」同様、時間はゆっくり流れ、空気もゆったり移ろっていきます。

 舞台はタイのチェンマイ、気候温暖のプールの脇で京子(小林聡美)、菊子(もたいまさこ)が住み、そこに青年、市尾(加瀬亮)と母なしの少年ピーが生活を共にしています。ここに京子の実娘、さよ(伽奈)が日本から訪れてきてドラマが始まります。

 京子はなぜ娘を放ってチェンマイに住むことになったのか、菊子は余命わずかの病に侵されていながらなぜゆるりとした風情を醸し出しているのか、市尾はピーの母親をなぜ一生懸命探してやろうとするのか、そして、さよはどうしてこのような人たちの中に混じろうとやってきたのか、シナリオはあえてそうした実情にちゃんとふれようとしません。

 心にざわめきを抱えていたさよも、次第に周りの空気に溶け込んでいきます。それぞれが抱えている特別事情は、こうした穏やかな自然の中では角を失って丸身を帯びてしまいます。

 確かに、幸せと不幸、喜びと悲しみなどというと、必ず二者択一的な屹立が避けられません。「プール」を取り巻く日常は、こうした屹立を必要としない生活ぶりを教えてくれると言ってよいでしょう。日々の景色が、体験模様によってはゆるりとした非日常に転じることがあるということです。ご購読はコチラ.pdf
絵・「世界遺産蘇州運河」

 次回は、田辺聖子の同名短編小説を映画化した『ジョゼと虎と魚たち』です。
 ジョゼと名乗る脚が不自由な少女(池脇千鶴)と、深夜アルバイトをしている大学生恒夫(妻夫木聡)が、ふとしたキッカケで出会い恋に落ちていきます。大阪を舞台に二人の恋の行方をキメ細やかな心理描写と美しい映像で綴られた作品です。

139.  ライフ・イズ・ビューティフル

6面・ボールペン画「神戸ワイナリー」.jpg 「ライフ・イズ・ビューティフル」とは「人生はどこまでも美しい」という意味です。状況設定がホロコースト(第二次世界大戦中のユダヤ人迫害)を軸にしていますから、ある意味では題名自体が逆説的な響きを持っています。

 一九九七年公開のイタリア映画で監督、脚本、主演のロベルト・ベニーニはアカデミー賞、主演男優賞を受賞しています。

 一九三九年、ユダヤ系イタリア人グイド(ロベルト・ベニーニ)は美しく気品のある女性ドーラと愛し合い、愛息ジョズエに恵まれます。ところがナチの侵攻で三人とも強制収容所に送られることになってしまうのです。

 父グイドは幼い息子ジョズエにこの悲劇をみじめに体験させないように、一世一代のピエロを演じます。「ジョズエ、実はこれはゲームなんだ」と。幼いジョズエは父の演技に沿っていきます。「ゲームに勝ったら戦車がもらえるんだ」と信じて奇跡的に危機を超えていきます。

 でも、最終的には父グイドはジョズエを守る代わりに命を奪われます。ようやく終戦の時になり、連合軍が「戦車で」迎えに来てくれます。ジョズエはそれを「ゲームに勝ったご褒美」と受け取ります。何重にも仕掛けの利いたシナリオで、涙なしには終われません。戦車に乗せてもらったジョズエと母ドーラが再会できるのが救いになっています。

 命の危機の中でも愛情と思いやりが心の関係性を断ち切らないという確信を与えてくれます。ご購読はコチラから
絵・「神戸ワイナリー」


次回は、事情を抱えた5人の男女の6日間を描いた桜沢エリカ原作漫画『プール』です。
 タイのチェンマイ郊外にあるゲストハウスで働く母・京子(小林聡美)を訪ねた娘・さよ(伽奈)は、祖母と自分を残してタイに行ってしまった訳を
聞きたいと思っています。
 ゲストハウスのプールの水面に映るそれぞれの心の風景とは。

138.  エレファントマン

ボールペン画「さくら遊覧船.jpg 19世紀のロンドンが舞台の映画です。生まれながらの「異形」で育った「エレファントマン」と呼ばれる青年が見世物にされています。外科医トリープスが病院に引き取って経過観察します。安心できる場を得てエレファントマンは教養あふれる優しい性格者だと分かります。実際にあった話が題材になっているのですが、映画の狙いとしては、たとえ外見が普通でなくても心はとりわけ美しいと言いたい印象です。

 1981年公開でアカデミー賞にノミネートされた話題作でした。昔から人の好奇心を刺激するような怪奇映画や猟奇映画のジャンルは一定の支持を受けてきました。この映画もそうしたジャンルに属するという指摘もないではありませんでした。

 しかし、この「エレファントマン」を良質のヒューマニスティック映像に仕立て上げてくれたのは気骨の医師役、アンソニー・ホプキンス、慈愛の婦人役、アン・バンクロフトらの感情を抑えた信念の演技でした。彼らの演技からは、エレファントマンの奇異に対する低俗な好奇の眼差しが感じられなかったのです。

 文字通り一人の人間としての尊厳を認められ、自分でも確かな存在感を味わうことができたエレファントマンは、命がけで「普通に仰向いて寝る」という夢を果たし、その代り、死を迎えることになりました。でも彼は幸せでした。

 外面と内面の違和と調和、さらには人と人との違和・調和といった、この世の永遠のテーマを厳しく問いかけてくれます。ご購読はコチラから
絵・「さくら遊覧船」


次回の映画は『ライフ・イズ・ビューティフル』です。
 イタリアの片田舎で暮らすグイド(ロベルト・ベニーニ)は、小学校教師ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)と息子との幸せな日々から、ユダヤ迫害の嵐へと飲み込まれていきます。強制収容所に送られた父親が幼い息子を生きながらえさせるためにとった意外な作戦とは…。

137.  百万円と苦虫女

4面・ボールペン画「京都御所.jpg 2008年に公開された蒼井優主演の作品です。鈴子(蒼井優)ははずみで行動したことを告発されて罰金刑を受けました。これを「前科」として負い目をかかえたまま、根なしの暮らしに入ります。生活の一区切りを百万円の貯金と決めて、アルバイトで転々とします。

 海の家で働きます。周囲に深入りしないうちに百万円たまったら引っ越しです。山辺の桃の産地で働きます。働きぶりを喜ばれますが百万円を区切りに別の所へ移ります。地方都市のホームセンター、園芸コーナーで働きます。はじめて男性と結ばれます。やっと鈴子にも定住の場ができたかのような感じです。でもその男性が金を無心してくるようになって嫌気がさしてやっぱり離れていくことにします。

 心に傷と負い目を抱えているとはいえ、貯金百万円をめどにして目前の時間をひたむきに過ごす鈴子には好感です。ですから、最後までその地に落ち着くことなくさまよっていく姿には痛ましさすら覚えてしまいます。

 背景のエピソードとして、鈴子の弟が激しいいじめに遭う場面が繰り返されます。彼にも安心の居場所はありません。

 現代のわれわれは、心許してくつろげる場所にたどり着けたら僥倖と言ってよいでしょう。いじめに負けずにその場に居続けようとする決意も大変ですが、身を委ねるべき場面でなお相手の本性を疑ってみなければならないのも大変です。蒼井優のひたむきの演技がこうした問題を真面目に考えさせてくれます。ご購読はコチラから
絵・京都御所常御殿前庭白梅院

 次回の映画は十九世紀末のロンドンを舞台に、生来の奇形ゆえに晒し者として生きた実在のジョン・メリックの数奇な人生を描いた『エレファントマン』です。
 外科医フレデリック(アンソニー・ホプキンス)は見世物小屋で 〝象人間〟を見かけます。研究対象や、人々の好奇の視線に怯える主人公。心からの叫び声に胸が痛みます…

136.   岳─ガク─

6面・ボールペン画「長野県戸.jpg 2011年公開の北アルプスを舞台にした文字通りの山岳映画です。小栗旬が天才的アルピニスト、山岳救助隊に加わる紅一点が長澤まさみという配役です。

 山には遭難がつきものですから、山岳救助隊はその度に命がけで出動するのですが、夏山、冬山それぞれの遭難の形を繰り広げられて、全編、ハラハラ、ドキドキです。
ヒーローの小栗旬(島崎三歩)の存在によって奇跡的に救助が行われたかと思うと、長澤まさみ(椎名久美)が若気の独りよがりで二重遭難どころか多重遭難まで引き起こしそうになったりします。そうした中で三歩に導かれるように久美が成長していくというのが筋書なのですが、やっぱり遭難のシーンは厳しく残酷です。

 滑落によって絶命してしまった登山者を止むを得ず崖からふもとに放下するとか、岩に挟まれて動けなくなった足を無残にも切断しなければならなくなるのです。小さなことからあっという間に死の危機に直面しますし、ひとたび悪天候に見舞われると、どうあがいてもひとたまりもありません。

 それでも人々は山を目指します。そのことを説き示すように、三歩が頂上から見渡す感動の風景がこれでもかとばかりに画面いっぱいに広がります。間違いなく山の頂と空の青さはは天界にまでつながっているのでしょう。

 山は確かに怖いのですが、想像が及ばないほどの美しさがそこに待っている、というのがこの映画の究極のメッセージのようです。ご購読はコチラから
絵・長野県戸隠神社奥の院

 次回は、短大卒業後、就職に失敗した二十代女性が試練を潜り抜けていく様を描いた『百万円と苦虫女』です。
 鈴子(蒼井優)のアルバイト生活は百万円を貯めることが目標。達成すると次なる場所へと転地転職を繰り返していきます。不器用ながらも自身の生き方を模索し、一歩一歩成長していく姿が逞しく描かれています。

135.   ヤコブへの手紙

4面・ボールペン画「長野県戸.jpg 2011年公開のフィンランド映画です。題名からもわかるように、キリスト教信仰がバックになっています。

 物語は服役していたレイラが恩赦によって出所し、ヤコブの家に住み込むことから始まります。ヤコブは盲目の老牧師です。毎日、郵便配達が届けてくれる心の手紙が生きがいです。ヤコブの代わりに手紙を読み、ヤコブの言葉を返事に書くのがレイラの役目です。こうした日々が淡々と続きます。

 ある日、手紙が来なくなります。レイラは仕方なく手紙を読むふりをして、自分の身の上を語り始めます。姉に暴力を振るうDV夫を殺害して服役したのだと。実はレイラの恩赦のために嘆願書を送り続けたのがヤコブ牧師で、そのヤコブにそうしてくれるように頼んだのが姉であったということが明らかになっていきます。

 出所しても希望を持てなかったレイラは、はじめは牧師にも郵便配達にも心を向けようとしませんでした。でも、自分の身の上を語るう
ち、だんだん心が開かれていき、姉に、そして牧師に感謝する思いが湧いてくるのです。このあたりのレイラの表情、態度の変化が感動的に描かれています。

 手紙とその読み聞かせ、代筆に自分語り、いずれも言葉が主役です。キリスト教世界では言葉は創造主からの授かり物です。だからこそ言葉を語ることによって心は神に届き、癒しがもたらされるのです。話すこと、語ることの意義を静かに教えてくれる秀作です。ご購読はコチラから
絵・長野県戸隠神社参道


次回の映画は、日本アルプスを舞台に、山岳救助ボランティアとして登山者たちの命を守る青年と、その仲間たちの姿を描いた『岳』です。
 世界中の巨峰を登り歩いてきた島崎三歩(小栗旬)と、山岳救助隊の新人椎名久美(長澤まさみ)の救助救命に賭ける迫真の演技が見ものです。
 石塚真一の人気漫画の映画化作品です。

134.   クレアモントホテル

ボールペン画「長野県戸隠神.jpg  クレアモントホテルはロンドンの滞在型のホテルです。夫を失ったパルフリー夫人が幸せな一人暮らしを願って「入居」します。とはいっても同じような境遇の年配者たちが暮らす場ですから本当は侘しさが底流です。

 ここで繰り広げられる日常が温かく描かれた2005年制作の映画です。

 パルフリー夫人が道でつまずいてけがをして、そこへルード青年が駆けつけて物語が始まります。彼は売れない作家志望の若者です。

 ホテルの老人同士、当たり前のように親族自慢をします。パルフリー夫人にとっては孫のデズモンドが大切なネタです。本当は会いに来てくれないのを知っているパルフリー夫人はついルード青年に孫の役をしてくれるよう、頼みます。

 ルード青年の優しさとパルフリー夫人の立ち居振る舞いが交錯して、心地よい関係模様が広がっていきます。この交わりがルードの心の文学タネとなって、作品に膨らんでいきます。

 ホテルの住人にはいずれ終わりが訪れます。パルフリー夫人も臨終を迎えます。ルードに付き添われて彼女はぬくもりの中にいます。

 イギリス人の関係マナーは日本人に好まれます。配慮がちに相手との距離を測るところが好感で受け止められるのです。心理学的に言うと、本当はイギリス人はスキゾイド傾向でとても警戒的なのです。気遣いしながら近づいていく老夫人と若者の風情にわれわれの心が癒されるのを感じて、そのことに興味をそそられます。ご購読はコチラから
絵・長野県戸隠神社参道

 次回の映画は『ヤコブへの手紙』です。
 模範囚として釈放された「レイラ」は孤独な身の上。盲目の牧師「ヤコブ」の家に住み込みます。人々から届く様々な悩みが綴られた手紙。その一つ一つに丁寧に返事を書くのがレイラの仕事です。 次第に配達されない手紙を届いていると告げるレイラ。彼女の胸の裡が明かされてきます。

133.    パラダイス・キス

ボールペン画「長野県戸隠神.jpg 矢沢あい原作漫画の映画化作品です。2011年の公開で、主演が北川景子、向井理ですからちょうど旬に向かっている勢いです。

 北川は進学校の女子生徒、向井はデザイン専門学校の気鋭の若者です。北川はご多聞にもれず、進学に意味を見いだせなくなり、自分の将来が見えなくなってしまった思春期少女です。そんな中、向井たちが主宰するアトリエ、パラダイス・キスに出入りするようになるのです。

 ドレスの制作発表のモデルに推された北川はショウのランウェイに足を進めることもできません。「自分の足で歩け」という後押しの声でギリギリ舞台に歩み出すことができた彼女は、ようやく自分の未来を現実に刻むことができるようになるのです。一方の向井は修業のためパリに飛び、ニューヨークへと歩みを進めていきます。最後は旅で訪れた北川が成功した向井の仕事場に飛び込み、感激の抱擁を交わすというのがクライマックスです。

 デザイン修業の仲間として繊細なセンスのオカマ青年が配されていて、かいがいしく世話を焼く男女も登場します。人物模様がいかにもありそうな配置ですから、もうひとつワクワクドキドキとはいきませんが、今のこの硬直化した社会状況をバックに考えると、このドラマ自体が若者たちの心を前向きに刺激してくれるのかもしれません。

 出来合いの筋書きだから、などと目くじら立てないで、現代の若者たちのけなげな頑張りを応援する気持ちで見てほしいと思いますご購読はコチラから
絵・長野県戸隠神社参道

 次回は、英国ロンドン、長期滞在用のクレアモントホテルを舞台に、老婦人と青年との心温まる交流の日々を描いた『クレアモントホテル』です。
 夫に先立たれ、娘の干渉から逃れてホテル暮しを始めたサラは、作家志望の青年ルードヴィックと偶然に出会います。お互いの孤独な生活を語りつつも幸せな時間を過ごします。

132.  今度は愛妻家

4面・ボールぺン画「高山市千.jpg 薬師丸ひろ子が妻役、豊川悦司が夫役の2010年公開の映画です。

 夫、俊介はカメラマンですが、ぐうたら生活で妻、さくらに迷惑をかけています。若い女性蘭子(水川あさみ)が闖入してきたり、オカマの石橋蓮司が俊介につきまとったりと、何ともにぎやかです。

 俊介の人間関係のふしだらさと頼りなさに、とうとう愛想をつかした薬師丸は沖縄へ旅に出てしまいます。そして事故死してしまうのです。

 しばらくして、薬師丸の魂が幽霊になって家に帰ってきて写真撮影を頼みます。豊川は薬師丸が幽霊であることを察します。そして、以前とはうって変わり、妻の薬師丸を心から気遣います。だらしなさから脱け出して、蘭子もオカマのおじさんも眼中になくなってしまいますからびっくりです。

 確かに「今度は愛妻家」なのですが、そうはいっても、妻はすでに亡くなっており、そのことをお互いにわかり合った上で交わり合っているのですから何ともやるせない限りです。

 最終的には妻、薬師丸は改めて豊川との愛を確かめて天国に旅立っていきます。ここで初めて二人は本物の夫婦になったと言ってよさそうです。

 霊との交流というといかにも作り物の印象ですが、二人の演技が真に迫っているので逆にほほえましくなります。それにしても、男女の愛が夫婦の絆へとまっすぐ一本ではつながっていないということを改めて考えさせられます。ご購読はコチラから
絵・高山市千町牧場


次回は、十四言語に翻訳され、世界中の女子を魅了してきたカリスマ的な少女漫画家・矢沢あいの代表作『パラダイス・キス』です。
 将来に悩む女子高生「北川景子」と若きデザイナー「向井理」たちのデザインした衣装を、アパレル・ブランド一〇〇社以上が全面協力して再現しています。華やかでキラキラ感がいっぱいの作品です

131.  やさしい嘘

ボールペン画「オシドリ」.jpg 2003年公開の映画ですが、題名からだけでもすでに切ない響きが伝わってきます。旧ソ連のグルジアでつましく暮らす祖母エカ、母マリーナ、娘アダの女系三代にまつわる物語です。

 祖母はもともとフランス人でソビエト人の亡夫との間にマリーナをもうけ、孫のアダが生まれました。そんなわけで皆、フランスに傾倒する心を秘めています。実はマリーナに男兄弟オタールがいてパリで暮らしています。祖母は息子オタールからの便りや電話が生きがいです。

 そんなオタールがパリで亡くなって、マリーナとアダが祖母のためにオタールからの手紙を作って読んで聞かせるようになるところから「切ない嘘」が転回し始めます。電話がかからなくなったことに不審を抱いたエカが、家財を売り払って三人連れでパリへ向かいます。オタールのアパートにたどり着いて彼がすでに事故死していたと知った彼女は、娘と孫に「ニューヨークへ移ったらしい」と告げます。希望の「嘘」で長い間の手紙の「嘘」を折りたたもうとするのです。フランスを発つ時、今度は孫のアダが飛行機に乗り遅れます。彼女はあこがれのパリで自立を求めるため、わざと遅れたのです。母と祖母は「やさしく」別れを告げます。

 「嘘」と言えば、祖母エカの人生も娘マリーナの人生も、ソ連の崩壊によって「虚ろ」なものになりました。息子オタールも含めて、皆が祖母エカの背後のフランスに「嘘のない」よりどころを求めたのでしょう。何重もの「嘘」が心に響いてきます。ご購読はコチラから
絵・オシドリ

次回は、結婚十年目を迎えた夫婦の生活を描いた映画『今度は愛妻家』です。
 愛情を上手く伝えられない夫・豊川悦司と、明るくて気立てのよい優しい妻・薬師丸ひろこ。喧嘩もしたけれど穏やかで楽しかった夫婦生活は、どこでどうなってしまったのか…。相手とのすれ違いや、もつれてしまった想いに向き合っていきます。

130.  ギルバート・グレイプ

ボールペン画「奈良公園の鹿.jpg 今ではメジャーな俳優となったジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオが若き日に共演した作品です。舞台はアイオア州の小さな田舎町です。

 ディカプリオ扮する弟アーニーは先天的に知的障害を有しています。その弟から片時も離れず面倒をみているのが兄ギルバート(ジョニー・デップ)です。加えて母親は夫が自殺して以後10年間、異常な食欲で今では自分で動けないほど肥ってしまっています。ギルバートはそんな母親にも不憫の目を向けています。日々働き続け、家族みなの面倒をみて、時々、交わる店の客の奥様との情交が唯一の慰みの時間です。

 トレーラーで移動暮らしをするベッキーが車の故障で町はずれに滞在します。アーニーにもギルバートにもほかの町の人にもさざ波を巻き起こします。

 アーニーが十八歳になり、家族でパーティーを盛り上げます。それを見届けたかのように母親が静かに逝きます。ギルバートは母親の醜い姿を人目にさらさないために、妹やアーニーとともに家ごと燃やしてしまいます。誰もがさまざまな呪縛から解き放たれます。

 年を経て、ベッキーのキャンピングカーがまた町へ現れて、今度はギルバートとアーニーが同乗して町を出ていくことになります。

 ディカプリオの演技が秀逸ですが、ジョニー・デップのシリアスな姿も一見の価値ありです。人間の弱さ、切なさを丁寧に見せてくれる秀作映画です。ご購読はコチラから
絵・奈良公園の鹿


次回は、愛する家族のためについた一つの嘘をめぐって、母娘三代が抱える葛藤と心の絆を優しく描いた『やさしい嘘』です。
 旧ソ連の小国グルジアに暮らすエカおばあちゃん役のエステール・ゴランタンは、八十五歳で映画デビューを果たし、九十歳目前に出演した本作でも高い評価を受けてい
ます。優しい嘘の内容は…。

129.  阪急電車・片道十五分の奇跡

ボールペン画「幸ふくろう」.jpg 2011年に公開されたさわやか映画です。

「阪急電鉄今津線」というと宝塚と西宮を結んで片道十五分ですが、地元の目からすると、駅ごとに文化、文教があふれ、洗練された空気が満ち溢れているといった印象です。そうした沿線にいかにもありそうな人間関係エピソードが物語として綴られていきます。婚約者を後輩に寝取られたキャリアウーマン、DV彼氏に振り回される女子大生、息子夫婦とうまくいかないお年寄り女性、母親同士の集まりにちゃんと溶け込めない真面目で不器用な主婦、周囲のしゃれた環境になかなか馴染めない若者カップル、志望大学を絞りきれない女子高生、それぞれが往路十五分間の断片ドラマとして描かれていきます。復路になるとそれらのお互いがまるで偶然と必然で補い合うかのように絡まり合って、新たなストーリーが生み出されていきます。

 どのエピソードも個別にみれば小さなハラハラ、ドキドキにすぎないのですが、電鉄沿線の箱庭風景の中で繰り広げられていくと、それらすべてが確かに共通のカルチャーのもとで展開しているように見えてきます。

 実際、地域性とかコミュニティが醸成されていくには、そこに住み、時を刻んでいく人たちの日常が息長く集積されていかなければなりません。そしてちょうど阪急電車が地域の中軸を貫き続けることによって共有の景観を作り上げていったように、メンタリティを支え続けるシンボリックな力がそこに注がれ続けることが必要なのだろうと思います。
絵・幸ふくろう

 次回の映画は『ギルバート・グレイプ』です。主人公のギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は、知的障害の弟(レオナルド・ディカプリオ)や、ひきこもりの母親の面倒を看ながら田舎暮らしに甘んじています。
 青年の生き様を通して家族の絆と兄弟の愛憎、青春の痛みや未来への希望などが、心優しく描かれた作品です。

128.  ツレがうつになりまして

ボールペン画「幸ふくろう」.jpg 2011年に公開された宮崎あおい、堺雅人主演の佳作映画です。夫がうつ病になった夫婦の苦闘ぶりを描いています。臨床心理の専門から見れば「うつ」の種類が今ではいろいろ言われるようになってきていますから、すべての「うつ」に通用する話と受け取られては問題があるかと思います。

 しかし少なくとも「うつ」の状態に陥った夫に対して、妻が「仕事を辞めて休むこと」「ゆっくり過ごすこと」「だらだら怠けること」を実行させるところは意味ある対策として必見です。というのは、「うつ」に陥った人、周囲の人たちにとっては「仕事を辞める」なんてことは生活の破壊につながりかねないことですからなかなか踏み切れないのです。その意味では普通に「うつ」に陥った人にとっては医者の一方的な治療指示自体がストレスになると言わなければなりません。映画では「頑張らない」が夫婦の合言葉になって徐々に回復の道をたどっていきます。そして「うつ」との付き合い方を本にしたり、講演したりして社会への関わりを持つようになっていきます。

 「うつ」は一般に「自殺」と密接な関係にあることが言われます。そこで「うつ病の治療」が「自殺予防対策」の要諦であるかのように語られます。

 しかし、この映画から、実は「うつ」対策も「自殺予防」も、人との関係のあり方こそが根本的な対策なのだと理解して下さったならうれしいことと思います。ご購読はコチラから
絵・幸ふくろう

 次回の映画は、片道十五分のローカル電車を舞台に、そこに乗り合わせた人々の悲喜こもごもの人間模様を綴った『阪急電車・片道十五分の奇跡』です。
 後輩に婚約者を寝取られたOL。恋人のDVに悩む女子大生。セレブ気取りの奥様グループに嫌気がさしている主婦…。それぞれ様々な暮らしが見える小さいけれど温かな作品です。

127.  パッション

ボールペン画「ウサギと犬」.jpg 2004年公開のアメリカ映画です。題名の意味は「キリストの受難」という意味ですが、文字通り、イエスがゴルゴダの丘で惨刑に処されるまでの直前十二時間を写実的に描き出したものです。

 敬虔なクリスチャンであるメル・ギブソンが私財を投げ打って執念で制作したというのが裏事情です。しかし、日本人のわれわれが見るとややもするとイエスが蒙った悲劇をことさら露骨に見せつけられるようで、思わず目を背けたくなってしまう時があります。

 考えてみると、キリスト教の信仰者にとってみれば、ローマ人がイエスを残虐に痛めつける場面は人間すべてが逃れることのできない罪深さ、ないしは原罪の顕れであって、だからこそイエスは悔い改めようとする人々の心の中で復活を遂げるという神話につながっていくわけです。実際、映画の最後の場面でイエスの足が生きて歩みを始めているのではないかと思われる画面が暗示として添えられています。
 それにしても、鞭打たれ、十字架に磔りつけられるイエスの体から血肉が飛び散るのですが、イエスはひとことも訴えず、うめき声すらあげません。母、マリアの姿、裏切り者ユダの姿が効果的に配されています。

 ひるがえって考えれば、グローバル化の進む今、われわれ日本人にとって、宗教感覚の違いを背景にした人間観の違い、文化ギャップはもっともっと深刻にとらえられていかなければならないと思います。ご購読はコチラから
絵・ウサギと犬


次回は、細川韶々のコミックの映画化『ツレがうつになりまして』です。
 有能なサラリーマンがある朝、真顔でつぶやいた「死にたい」の一言。仕事の激務とストレスが原因でうつ病と診断された夫・堺雅人に代わって、働きに出る妻・宮崎あおいのバイタリティーや、夫婦で向き合う姿がほのぼのと描かれています。

126.  スティング

ボールペン画「山陰海岸のコ.jpg 1973年公開の伝説的名画です。ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードがフリーの詐欺師を演じます。ニューヨーク、暗黒街のボス、ロネガン一味に仲間を殺された二人が自分たちの詐欺師としての誇りをかけてそのボスに一泡吹かせようというのが話の始まりです。

 ロネガンをいかさま博打に誘い込み、煽りに煽って、ついには大掛かりに仕立てた偽の馬券投票場で五〇万ドルという大金をつぎ込ませて騙し取ってしまうのです。

 仕掛けの段取りがどこまでも手が込んでいて、思わずほほを緩めてしまいます。裏世界の物語なのですがどの人物も殺しを生業にしていないというところが心を和ませてくれるのかもしれません。とは言いながら、最終的にはこうした、大仕掛け全てがFBIによってごっそり抑えられてしまう展開になります。文字通りの一網打尽ですが、驚いたことにそのFBI係官までが騙しの仕掛けメンバーだったというのですから、見ているわれわれ自身がはめられてしまって、思わず喝采してしまいます。

 よく考えてみると、詐欺師というのは心理ゲームが命ですから、仕掛けが複雑になればなるほど、役者たちの熱演は自ずから光り輝いてくる約束になっています。その意味では、脇役も含めて皆、はまり役に見えてしまいます。

 でも、この映画の本源の味わいは、本来、もろくはかないはずの詐欺師同士の連携が、実は逆に究極の信頼で支えられていた、というところにあ
るのだと思います。ご購読はコチラから
絵・山陰海岸のコウノトリ

次回の映画は『パッション』です。
 イエス・キリストが弟子ユダに裏切られ、鞭打たれ、十字架を担いでゴルゴダの丘まで行き、 十字架に釘打ちされ、十字架の上で息絶え、そして奇跡の復活をするまでの十二時間を描いた物語です。
 メル・ギブソンが私財を投げ打ち、監督・製作・脚本を手掛けた話題作です。

125.  半落ち

ボールペン画「釧路湿原のタ.jpg 寺尾聡主演の問題作です。刑事の主人公が妻を殺害した容疑で逮捕されます。アルツハイマーの病状が進行する中で、妻自身が死を望んでそれに応えたという話です。

 ところがこの刑事の自首までに三日間の空白あり、その時間が埋まらないことが問題になるのです。

 いわゆるやりきれない事情による嘱託殺人という話なのですが、夫婦にはここに至るまでのもう一つの伏線事情がありました。二人の愛する子どもが白血病を病み、適合するドナーが現れないまま、亡くなってしまっていたのです。二人は無念の思いを自分たちがドナー登録することによってあがなおうとしました。そして実際に一人の青年の命を救っていたのです。

 もちろん公式にはドナー登録者もその恩恵にあずかった人も明らかにはされません。実は、主人公、寺尾聡の自首までの三日間はこの恩恵を受けた青年の姿を眼に焼き付けに行くために充てられたのでした。

 やりきれない事情による犯行であり、また、自首までの時間の遅れも、実は彼らの血を受け継いでくれた青年の存在を確認するためだったということですから、だれもが「執行猶予」判決が下ると予測していたのですが、主人公は審理の過程で一切の情状要求を行わないのでした。この潔さこそが夫婦二人の絆の証しだと言わんばかりでした。

 障害介護の問題、ドナー問題をじっくり、味わい深く考えさせてくれる映画です。ご購読はコチラから
絵・釧路湿原のタンチョウ鶴

 次回は暗黒街シカゴで勃発するギャング抗争を、頭脳プレーで出し抜く詐欺師の物語『スティング』です。
 ボス・ロネガン一味に仲間を殺された二人(ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード)が、いかさま賭博を仕込みボスを再起不能に追い込むまでの復讐劇。騙しのテクニック満載で楽しめます。

124.  ビルマの竪琴

ボールペン画「中山道妻籠宿.jpg 懐かしい市川崑監督の名作です。一九五六年に制作されましたが、一九八五年、中井貴一、石坂浩二の主演でリメイクされました。第二次世界大戦末期のビルマ戦線での日本軍の敗走をめぐるできごとです。

 竪琴を弾く水島上等兵のおかげで、小隊がイギリス軍による攻撃を回避することができます。彼の弾いた曲が「埴生の宿」で、イギリス軍はそれを彼らの故郷の民謡「ホーム・スィートホーム」と聞きとめたわけなのです。日本軍の別部隊の中には徹底抗戦を叫んで散っていく者もあります。敗走する街道の脇には文字通り死屍累々です。終戦日を迎えたのですが、受け入れないで玉砕を望む部隊もあります。よく知られている日本軍兵士の悲劇の光景です。

 水島上等兵は日本軍部隊に何とか無事に投降するよう勧める役割をとります。そして、彼はビルマの僧侶に助けられたのを機に、当地に散った友軍兵の霊を慰める務めを担うべく、一人、その地に残る決心をするのです。彼の所属小隊が捕虜として収容された後、日本へ帰れる時になって、皆が水島上等兵に一緒に帰るよう呼びかけます。しかし、水島の決心は変わりませんでした。

 戦争の愚かさを訴えると同時に、イギリス軍との通じ合いの一コマから人間性の可能性を感じることができます。それ以上に、鎮魂にこだわる水島の姿に「縁」や「契」に心ふるわせるわれわれ自身の深層の感性が揺さぶられるに違いないように思われます。
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絵・中山道妻籠宿

次回は現職警部の妻殺害事件から愛と命の尊さを描いた『半落ち』です。夫はアルツハイマー病を患う妻に乞われ殺害したあと日記を見つけます。後追い自殺を諦め自首するまでの空白の二日間の行動には家族への想いが…。黙して語らぬ愛に感涙です。

123.  esエス

ボールペン画「中山道奈良井.jpgこの映画は二〇〇二年公開ですが、題材は一九七一年にスタンフォード大学で実際に行われた心理実験です。

 アルバイト募集がかけられました。「囚人役と看守役を募集、1週間、実験的に刑務所のセットの中で過ごしてもらいます。」と。これに応じて採用された人たちが、相互に分かれて模擬刑務所で過ごすことになります。

 囚人役メンバーの中には、体験後、ルポルタージュをものにしようと考えて参加した記者もいます。はじめは、皆、実験の設定を意識していますから、不穏な状況設定にもかかわらず和やかに進行していきます。

 ところがわずか二日目から様子がおかしくなってしまいます。看守役が囚人役を上から抑え込もうとするようになるのです。どんどん歯止めが利かなくなって、とうとう囚人役たちは看守役によってひどい管理、拘束、暴行を受け始めるのです。

 企画実験者の心理学者はこのような情況にストップをかけるどころか、不穏な空気がどのように深まっていくのか見定めようとします。もはや、文字通りの極限状況です。

 最後には、何とか平静に復するところとなるのですが、人間のいやな本性を垣間見てしまった気持ちになります。

 もちろん今では、倫理的観点からこうした実験が行われるはずもありませんが、ひるがえって現実の社会に目を転じてみると、非人間的な管理や拘束が権力によって実施された例は珍しくもありません。

 このことを省みてみるためにも画面を直視してもらいたいと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・中山道奈良井宿

 次回は、日本兵の霊を慰めるため僧侶となってひとりビルマの地に残る兵士の姿を描いた作品『ビルマの竪琴』です。
 終戦を知りつつも日本帰還隊に加わらず、戦地に留まる水島上等兵(中井貴一)の思いをオウムが繰り返し歌います。「アア、ジブンハ、カエルワケニハイカナイ」。込めた思いに胸が熱くなります。

122.  善き人のためのソナタ

ボールペン画「木曽福島」.jpg 「善き人のためのソナタ」を本気で聴いた人は悪人にはなれないというのが物語の伏線です。舞台は東西冷戦下の旧東ドイツ、社会主義体制から「ベルリンの壁崩壊」に向かう時代を描いています。国の中はあまねく管理、監視、拘束、恐怖という後ろ向きのサイクルによって支配されています。
 そのような中、演劇人のドライマンと恋人、クリスタは芸術の担い手という点で、当局からぎりぎりの自由意思を許されています。

 ところが党大臣の一人がクリスタを自分の「モノ」にしようと実行行為に移りましたから深刻な展開になってしまいました。ドライマンを反体制分子としてあぶり出してクリスタから引き剥がそうという企みに向けて、二人を二四時間の監視対象にしてしまうのです。当然の手順としてドライマンの部屋には盗聴装置が仕掛けられます。責任者はヴィースラー大尉です。

 大尉は忠実に任務を果たして、ついにドライマンが西側と通じようとする兆しをキャッチします。東ドイツの〝暗部〟を西側で報道するために原稿作成を依頼されたのです。クリスタを別件逮捕した当局は、追い詰めて裏切りを引き出します。アパートに踏み込んだ当局はクリスタの密告の場所に証拠品のタイプライターを探します。でも、なぜか見つかりません。

 実は、盗聴していたヴィースラーが、ドライマンの弾く「善き人のためのソナタ」を聴いて、ついつい良心を実行してしまったからなのでした。このことと、後に続く体制崩壊が物語の救いになっているのでしょうが、改めて「権力が人を腐敗させる」やりきれなさを眼にすることになって、ため息をついてしまいました。ご購読はコチラ.pdf
絵・木曽福島

 次回は、看守と囚人役を仕立て、心理実験をしていくスリラー映画『esエス』です。
模擬刑務所での二週間の生活を始めることになった一般応募の人々。看守と囚人に別れ、それぞれの役割を演じるうち徐々にエスカレートしていく言
動。環境を与えられれば簡単に別の人格に変わってしまう人間の心の脆さ・怖さをまざまざと知らされます。

121.  羅生門

6面・ボールペン画「妻籠宿」.jpg 一九五〇年公開の黒澤映画です。時は経っていますがまったく古さを感じさせないのがさすがです。

 題名は芥川龍之介作品の「羅生門」ですが、映画の筋立て自体は「藪の中」が軸になっています。崩れかけた羅生門を背景に盗賊の三船敏郎、武士の森雅之、その妻の京マチ子の三人が絡み合い、死んだ武士が本当はだれにどのように殺められたのか、真実を解き明かすという物語です。

 取り調べの場で、それぞれがそれぞれに自分に都合のよいストーリーを語ります。殺された武士も霊として登場して、自分流のストーリーを語ります。文字通り真実は藪の中です。

 三人の語りの後、目撃者として志村喬が事の顛末を明らかにして、三者三様にずるくて醜いということを晒してしまいます。しかし、その彼の証言ですら自分都合に彩られているというのですから、人間はどこまであざといのか、とあきれてしまいます。

 巨大な羅生門は崩れかけ、景色は荒れ果てて都としての面影はありません。人と物が競い合って情況としての意味を壊し合っているに違いありません。

 黒澤監督は、この話を歴史ものとして描き出していているようで、実はどの時代のどこにでも見られる人間の嘘と言い訳という影の部分を暴き立てたかったようです。

 最後の場面で赤ん坊が救われるいきさつがあります。黒澤監督のヒューマニズムがこのシーンを加えさせたのでしょうが、閉塞状況に閉じ込められてあがいている我々としては、ちょっと甘すぎる感じさえしてしまいます。ご購読はコチラ.pdf
絵・妻籠宿


次回の映画は、旧東ドイツ軍の秘密警察の事実『善き人のためのソナタ』です。
 1984年、国家を信じ忠実に仕えてきた共産圏の役人が、盗聴器を通して自由・愛・音楽・文学に影響を受け、いつの間にか今まで知ることのなかった新しい人生に目覚めていく作品です。情報が操作されている怖さを再考する機会になります。

120.  クロエ

ボールペン画「安曇野大王わ.jpg 新世紀の始め、二〇〇一年に公開された不思議映画です。主人公は「クロエ」、ともさかりえが演じています。その恋人が高太郎、永瀬正敏が演じています。二人は幸福な暮らしに向かっていたのですが、思いがけない困難に見舞われてしまいます。クロエの肺の中に植物(睡蓮)の蕾が発見され、成長しようとしているのです。やむなく片肺の摘出手術を受けることになり、リハビリ生活に入ります。摘出された蕾を窓辺で栽培するという荒唐無稽な展開が続きますが、残念なことにクロエの残された肺にも睡蓮の芽が生えてきます。

 偶然、他の花が近づくと窓辺の蕾がしぼむのに気がついて、高太郎は部屋を花いっぱいにするとクロエの残された肺の芽が消失するに違いないと考えます。しかしながら、高太郎のこうした献身は報われず、芽は大きくなり、クロエは亡くなってしまいます。ストーリーとしてはこれだけのことで、不思議物語と言われる所以なのですが、とにかくクロエの純粋さと高太郎のひたむきさが画面からあふれんばかりです。窓辺から差し込む陽光も画面を明るく彩ります。

 純粋さとひたむきさの一方、やるせなさとやりきれなさを対比的に見せつけられると、単に若い男女の恋物語と言うにとどまらず、時代社会の空気の動向を見せられるような思いがしてきます。思い起こせば、この映画が封切られた二〇〇一年、新世紀に向けて不安と期待が入り交じった気分がみなぎっていたのを思い出します。清らかなクロエがたどった運命が、二十一世紀のその後の経緯を予見しているかのように思えてしまいます。ご購読はコチラ.pdf
絵・安曇野大王わさび園

 次回の映画は、芥川龍之介の小説「藪の中」を、黒澤明監督が映画化した作品『羅生門』です。
 時は平安時代。盗賊(三船敏郎)と侍夫婦(森雅之・京マチコ)が絡んだ殺人事件の顛末について…。羅生門に座り込んだ杣売りと旅法師が雨宿りに加わった下人に語った内容とは…。
 人は都合の良い嘘をつくものか否か?

119.  ミリオンダラー・ベイビー

4面・ボールペン画「岡崎市八.jpg二〇〇四年から二〇〇五年にかけて公開されたクリント・イーストウッド作品です。アカデミー賞も受賞した問題作です。
 貧困から這い上がるためにボクシングの道を選んだマギーという女性(ヒラリー・スワンク)が主人公です。老トレーナー、ダン(クリント・イーストウッド)に育てられて世界チャンピオンに挑戦するところまで登りつめていきます。

 しかし、ゴングの後に殴りかかるという悪徳ボクサーの不当行為によって頚椎損傷を受け、全身不随になって寝たきりを強いられることになります。まだ三〇代のマギーは生きる希望を失ってしまい、自死を望み、残された方法として舌をかみ切ろうとするのですから痛ましい限りです。ダンの心には「安楽死」が現実の課題となってきます。そして、結局はマギーの望みをかなえてしまうことになるのです。

 この終末展開に対して、「障がい」と闘いながら生き抜いておられる人たちから抗議が寄せられるといった社会現象が起きました。また、ハングリー物語の前半から一転してあまりにも重いテーマを突きつける後半の展開に対して疑問が投げかけられました。

 クリント・イーストウッドらしい手法と言ってしまえばそれまでですが、「死の迎え方」といったテーマは現代を生きるわれわれ皆の課題になってきていると言えましょう。もちろん、この問題に対して一つの正しい答えを求めようというのは無理な事としなければなりません。

「死」を考えることはそのまま「いのち」を考えることになりますから、本当は信仰心とか宗教心といったところまで踏み込んでいかなければならないのだと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・岡崎市八丁味噌蔵通り

 次回の映画は『クロエ』です。
 幸せな結婚生活を送っていた高太郎(永瀬正敏)とクロエ(ともさかりえ)夫婦を襲った悲劇。妻の肺が睡蓮の花を宿す奇病に罹っていることが判明します。
 自宅で療養生活を送る妻の傍らで少しでも一緒にいたいと願う夫。自身を取り巻く環境の変化を静かに受け止めていきます。

118.  アダプテーション


4面・ボールペン画「.jpgこの映画は、三回前に紹介した作品『マルヴィッチの穴』の続編的な位置にある、やはり特異な色合いの作品です。「アダプテーション」とは適応、順応などの意味とともに脚色、翻案といった意味も持っています。

 映画の主人公は双子の脚本家(ニコラス・ケイジの二役)です。そもそも映画の始まり自体が「マルコヴィッチに続く映画を作る」というところにあり、まずはメリル・ストリープ扮するルポ作家の「フロリダの蘭の不法採取にまつわる著作」を脚色して映画化しようという話になっていきます。

 しかし、実際には脚本を託された双生児の一人、チャーリー・カウフマンがまったく仕事を進めることができません。ついにチャーリーは自分の仕事が進まないこと自体をシナリオに組みこんで、映画化しようと思い立ちます。

 客観的に考えてみると、チャーリーが脚色に行き詰ってしまうという映画制作過程の裏事情を表のストーリーにして映像化してしまっているのですから、このような構想全体を考えた当事者たちがいたはずです。

 『マルコヴィッチの穴』ではマルコヴィッチの頭の穴にマルコヴィッチ自身が入るというところに異色作品ぶりが集約されていたのです
が、今度は、脚本家が映画の中に出て作品のストーリーにナマで登場するという〝入れ子構造〟に異色ぶりが進化しているのです。

 中味としては〝適応の悪い脚本家〟の生き方が主題ですから、けっこう真面目な人間観や世界観が描き込まれています。シュールなユーモアとともにそうしたところも味わっていただければと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・岡崎市伊賀川


次回の映画は、尊厳死の問題に取り組んだ『ミリオンダラーベイビー』です。
 小さなボクシング・ジムを経営する名トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)のもとに弟子入りを志願した女性ボクサー(ヒラリー・スワンク)。百万ドルのファイトマネーを賭けた戦いは…。子弟関係を超えた深い絆に胸が熱くなります。

117.  東京タワー オカンとボクと、時々、オトン


ボールペン画「岡崎城の堀」.jpgリリー・フランキーのベストセラー小説を映画化した作品です。オダギリジョーのボク、オカンの樹木希林、オトンの小林薫、そして多彩な脇役陣が作品に味わいを与えています。ひとことで言えば、母親に依存しながらどうにか大人になっていく若者の姿を丁寧に描き出したものです。
 九州、筑豊で生まれたボクが母親の献身のもとで長じていき、東京へ出てからも頼りない生活を続けるのですが、二〇代後半になってようやく自活できるくらいになります。しかし、やっと大人にたどり着いたところで、故郷の母親が癌に冒され、闘病生活に入るのです。
 ボクに促されて母親は東京へ出てきて息子の世話になります。息子が初めて親を庇護するのです。この頃には、息子は分別がついていて、放蕩だったオトンをも抱えることができるようになっています。
 東京タワーが見える病室でオカンは幸せそうです。抗がん剤に苦しむのですが、それも幸せの苦しみです。のたうちまわる母親を直視できないボクのやりきれなさも、やはり幸せのうちです。
 「オカン」とは子どもを抱きしめてやまない日本の母親です。時には子どもを愛しすぎて苦しめることもありましたが、大抵は、産み、守り、育み、大きくなった子どもに涙してきました。たとえダメなままでも永遠に温かさでつながっているのが「オカン」なのでした。
 画面の中に自分の心をみつけて、瞼がうるむのを感じたなら、あなたもちゃんと幸せのうちです。ご購読はコチラ.pdf
絵・岡崎城の堀

 次回の作品は、スーザン・オーリアン原作ノンフィクション「欄に魅せられた男」の映画化『アダプテーション』です。
『マルコヴィッチの穴』の脚本で大成功を収めたチャーリー(ニコラス・ケイジ)は、スーザン(メリル・ストリープ)の著書の脚色を依頼されます。アイデアに行き詰った暴走作家がとった、驚くべき行動とは!?

116.  砂の器

ボールペン画「岡崎城」.jpg松本清張原作の映画で一九七四年に公開された後、何度もテレビでリメイクされていますからご存じの方も多いでしょう。
 蒲田操車場で発生して、迷宮入りやむなしと思われた殺人事件を刑事二人(丹波哲郎、森田健作)が執念で捜査していきます。事件現場近くの聞き込みで、被害者が〝東北訛り〟の強い男性だったことがわかります。
 しかし、東北には手がかりが見つかりません。行きづまりの中、被害者の養子が名乗り出たところから物語は転換していきます。実は被害者は出雲地方の元、巡査だったのです。この地方に東北訛りと同様の方言があるというのが原作中の一つの謎仕込みですが、ここから、かつてその巡査に手厚く保護されたというハンセン氏病の父と子どもの存在に行きつきます。
 その子どもこそが、今や音楽界の寵児としてもてはやされている和賀英良(加藤剛)と同一人物なのだという事実に行き当たるのです。和賀は自分の出自を作り出して、世に出て羽ばたいてきているという設定です。
 昭和四〇年頃まで、いわゆる戦後の混乱期はまだ影を落としていました。松本清張はそうした時期の社会的なひずみやきしみを物語の軸に据えるのが得意な作風でした。この映画作品で見るならば、業病として不当に扱われてきたハンセン氏病とか、不正義をも踏み台にして成り上がろうとした若者、などといった時代社会的設定がストーリーに迫力を与えているのです。
 重々しい感動作に違いないのですが、別の角度からすると、現代人がすでに切り捨ててきてしまった「時代風景」を生々しく突きつけてくれていると受け止めてよいように思われます。ご購読はコチラ.pdf
絵・岡崎城

 次回の映画はリリー・フランキー原作『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』です。 オカン(樹木希林)の女手一つで育てられたボク(オダギリジョー)が癌に冒されつつも気丈に生きる母を支え、お互いを思いやり、やがてその死を看取るまでを描いた作品です。慎ましく暮らす母と息子の姿に胸が熱くなります。

115.  マルコヴィッチの穴

ボールペン画「白川郷」4.jpg 二〇〇〇年に日本公開された映画です。主人公は倦怠期の人形師夫婦。職を求めてオフィスビルを訪ねるのですが、そこは七階と八階の間にある七階半のフロアです。低い天井ですが座ると作業ができないわけでもありません。
思いがけずオフィスの壁に穴を見つけ、どんどん入っていくと人の頭の中です。それが俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中だとわかり、おまけに一五分経つと郊外の高速道路わきに放り出されると分かって、主人公グレイグは商売を思い立ちます。
 「マルコヴィッチの穴」はたちまち人気を呼んで行列のできる大繁盛です。なぜ階の間に中途半端なフロアがあるのか、なぜフロアの壁からマルコヴィッチの頭に穴が続いているのか、なぜ十五分間だけと決まっているのか、そもそもマルコヴィッチは頭の中が気持ち悪くない
のかなど、首をかしげることばかりですが、一切、説明なく物語は進んでいきます。
 女性がマルコヴィッチの頭に入ってセックスをして、相手を妊娠させてしまうなどという訳のわからないことも起こります。ついにはマルコヴィッチ自身がこの穴のことを知って、彼自身が穴の中に入っていくというのですから、こちらの頭がこんがらがってしまいます。
 奇想天外といえばそれまでですが、そもそも自分という感覚を支える脳の中に、別の意思存在が侵入してくるという想定はシニカルです。われわれ自身、いったいだれの頭で生きているのか、と正面切って問いただされると答えに詰まってしまうに違いありません。
 そんなことをしばし笑いながら考えさせてくれるなかなかの話題作です。ご購読はコチラ.pdf
絵・白川郷

 次回の映画は、松本清張原作の『砂の器』です。
 迷宮入りと思われた殺人事件を追う二人の刑事の執念と、暗い過去を隠し通すため殺人を犯してしまう天才音楽家の悲哀。人々の運命の糸が手繰り寄せられる様が描かれたミステリーの傑作です。
 「らい病」と呼ばれ差別を受けたハンセン病を患う父との「親子遍路」の姿が有名です。

114.  ショーシャンクの空に

ボールペン画「白川郷」3.jpgショーシャンクというのは長期服役の囚人を収容する刑務所です。一九九五年に公開されて、当初からよい映画との評判でしたが、同時期に作られた映画との兼ね合いで大きな賞には恵まれませんでした。しかし、のちのち、世界的に名作として讃えられ続けています。
 物語は無実の罪で終身刑に処せられたアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)とすでに長く収監されてきたレッド(モーガン・フリーマン)のきずなを軸に展開していきます。
 理不尽で残酷な運命にさらされて、アンディは人格が崩壊しそうになるのを不屈の意志力で前を向いていこうとします。看守や刑務官らとの絡み合いが時間の経過に彩りを与えるのですが、絶望には変わりありません。
 収監者が口にする「長く居ると塀に馴れてしまって逆に外へ出るのが怖くなる」とか「ここでは希望を持ち続けようとすると正気を失ってしまう。正気を守ろうとするなら希望なんか持たないことだ」という叫びは胸に迫ります。
 古くから囚人生活をテーマにした映画は多く作られてきています。大抵が主人公を通して社会の矛盾を告発するものでした。その意味からすると、この「ショーシャンクの空に」は収監者の心模様をまっすぐ描き出そうとしていて、観る者にいろいろと考えさせる仕掛けになっています。全篇を流れるモーガン・フリーマンのつぶやき語りが秀逸でこの試みを成功に導いています。
 今を生きる人たちが、塀に囲まれた閉塞状況にありながら、自分を積極的に殺して、それを感じないように生きている、ということを訴えているように聞こえてきます。ご購読はコチラから
絵・白川郷

 次回は『マルコヴィッチの穴』です。売れない人形遣いクレイグは、就職先ビルの小さなドア奥に「俳優ジョン・マルコヴィッチになれる穴」を見つけます。ペットショップに勤める妻と、美人OLマキシムと、マルコヴィッチ…。この四人が奔走されていく摩訶不思議な「穴」を巡るストーリーです。川上先生のコメントが楽しみですね。

113.   君に届け

4面・ボールペン画「白川郷」.jpg 二〇一〇年公開の「純愛映画?」といってよいでしょう。漫画コミックの実写化作品で、主役の女子高校生を多部未華子、男子高校生を三浦春馬が演じています。
 女の子は「サダコ」とあだ名で呼ばれる、ある意味ではいじめられっ子です。一方、男の子は自他ともに認める爽やか青年です。
 教室の中では、もともと対極に位置するこの二人が、徐々に心を通じ合って、ついには、それぞれ自分の思いに正直になって「気持ちを届け合う」に至るのです。
 今の時代、こんなことが起こるなんて信じられない、といいたくなるようなストーリー展開ですが、多部と三浦の好演と、脇役たちの奮闘で、いつの間にか登場人物たちを応援したくなりますから不思議です。
 爽やか青年の公平、公正、率直な性格、それに、決して押しつけがましく迫ろうとしない姿勢が、シャイで疑惑キャラの女の子の心を確実に開かせていくのですが、どう考えても今時、こんな素敵な高校生が実在するとは思えません。
 しらけ、無関心、無感情、切り離し、不信、そして自虐と他虐を潜在化している今の若者心理からすると、本物の優しさや思いやりを期待するのはとうてい無理と思えるからです。
 しかし、こんな夢物語(ファンタジー)作品が同時代の若者たちから広く支持されたということは、彼らの心の奥底に、人間関係の温かさとか信じ合う意義といったことへのポジティブなセンスがまだ残っているということかもしれません。この可能性に向けて、大人たちこそが若者たちに向けて「思いを届ける」努力を続けなければならないのだと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・白川郷

 次回は『ショーシャンクの空に』です。
無実で二十年近い服役生活を強いられながらも、己を見失わず、ついには脱獄に成功する若き銀行家と、そんな彼を温かく見守る親友囚人との奇妙な逸話が描かれた話題作です。
 主人公の緻密で周到な性格は強い精神力となって、受刑者たち人生の希望の光となっていきます。オススメ!

112.   ハナミズキ

6面・ボールペン画「白川郷」.jpg二〇一〇年公開の比較的最近の話題作です。北海道出身の若い男女(新垣結衣、生田斗真)の人生を軸にしていかにも青年らしい人間ドラマが展開していきます。
 今時、若者がまっすぐに夢を追いかけるなどというのは、非現実的とばかりに冷ややかに扱われそうですが、この映画では、新垣は英語を身につけて広く世界に、生田は漁師として大海に、まっすぐに夢を追い求め続けるのです。
 もちろんそのプロセスで、現実の厳しさや自らの能力の限界にぶつかって、もだえたり苦しんだりするのですが、いずれの局面でも逃げたりごまかしたりしない若者たちです。
 二人の周囲に登場してくる友人や大人たちもすべて、その時、その場を精いっぱい体験していきます。男女の出会いと別れの節目が何度訪れてきても、その運命を前に、誰一人としていたわりやつつましさを忘れようとはしないのです。
 今の時代は、おおざっぱに言って心意気とかビジョンを熱く語るのは未熟でおとなげないと言われてしまいそうです。その意味ではこの映画のモチーフ自体が心の温かさへのノスタルジーそのものとしなければならないのかもしれません。
 実際、人と人との絆を確かめ合う場面では、必ずメモや手紙がカギになります。でも、デジタルに馴れてしまっている私たちの心が、このアナログに、逆に、本当の触れ合いの方を感じてしまうのです。
 現代社会に踏みとどまるため、感性を殺して闘わなければならない今日の人たちが、しばし、息を楽にしてみることができると思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・「白川郷」


次回は、高校生の友情と淡い想いを描いた『君に届け』です。
 見た目の暗さから「貞子」と呼ばれクラスでは浮いたのけ者的存在の黒沼爽子。しかしその内面は純粋で健気で周囲への気配りが出きる女の子。そんな彼女の良さを理解する友だちとの交流が爽やかで、ほのぼのとした思いにさせられます。漫画コミックの実写版です。

111.  ソフィーの選択

ボールペン画「駒ヶ根市光善.jpg 一九八二年公開の話題作です。物語の場は一九四七年のニューヨークです。第二次世界大戦中、ナチスドイツに運命を翻弄されてしまったソフィーの切なくもやりきれない生き様を描いたものです。文学を目指す若者スティンゴがソフィーとその愛人ネイサンの暮らしに絡んできます。
 ソフィー役のメリル・ストリープはこの作品でアカデミー主演女優賞に輝くのですが、ナチスドイツに関わる忌まわしい記憶はどこまでも人々の心の傷として生々しく残り続けるのだと改めて思い知らされます。
 意味深長な題名、「ソフィーの〝選択〟」とは究極の中心テーマになった〝選択〟以前に父親との確執、アウシュビッツからの生き残り、ネイサンとの同棲、スティンゴとのもつれ合いなど、運命がまるで生き物のようにソフィーに覆いかぶさってくるのを感じさせられます。
 ネイサンが「妄想性分裂症」という設定なのも却って意味ありげです。異常性格傾向がもたらす混乱をおぞましく受け止めてしまいそうですが、わずか数年前のアウシュビッツでは、もっとおぞましい残虐が不断に繰り広げられていたのです。
 ソフィーの究極の選択体験とは、収容所を前に、ナチスから子ども二人のうち一方しか残せないと強要される場面です。平時には決してありえない残酷ですが、それが無残にまかり通るのが戦争なのです。
 ソフィーは、自ら幼子を差し出してしまったおぞましい選択を告白し、もはや思い残すことがなくなったとばかりに、ネイサンとともに永遠の眠りの道を選び取るのです。ご購読はコチラ.pdf
絵・熊野古道

次回の映画は一青窈のヒット曲をモチーフにした『ハナミズキ』です。海外で働くことを夢見て勉学に励む紗枝と、家業を継ぐため水産高校に通う康平。出会いから恋愛関係へと…。すれ違いや様々葛藤を経ながらも、お互いを想い続ける十年間の軌跡が描かれています。
 新垣結衣、生田斗真、向井理の若手俳優の活躍が新鮮な作品です。

110.  カサブランカ

ボールペン画「熊野古道」.jpg 今では歴史的事実ですが、この映画の作られた一九四二年は第二次世界大戦へのアメリカ参戦の年です。日本にはもちろん戦後になって入ってきて公開されたのですが、改めて点検してみると、背骨のしっかりしたとても魅力的な作品です。
 ドイツがフランスに侵攻してきた当時、フランス領モロッコのカサブランカでの出来事がテーマです。
 ハンフリー・ボガードは志を秘めた酒場のボス、イングリッド・バーグマンは有名な反ナチ・レジスタンスのリーダーの妻という設定です。二人の結ばれない愛の交錯もこの映画の売りですが、本当は世界戦争に巻き込まれてしまったカサブランカの町の、安らぎからは縁遠くなってしまった緊張感みなぎる景色が主題です。
 ゲシュタポ、レジスタンス、収容所、ヴィシー政権、いずれも映画製作の時と同時進行の出来事を真正面から映像化しようとしたのですから、当然のことながら、背後に当時のアメリカ政府の指導がありました。その意味では反枢軸、戦意高揚映画と見ることもできそうですが、敵、味方入り交じって息の詰まるような空気の中で、それでも眼差しをぶつけ合って酒を酌み交わすカフェレストランの描写に、アメリカ自由民主主義の原点を覗くような気がします。
 エンターテイメントという観点から、ハンフリー・ボガードが酒場で女性に迫られた時の台詞「昨日、そんな昔のことは忘れた」「明日、そんな先のことはわからない」があまりにも有名ですが、これはきざな男のつぶやきというより、この時代を生きた人たちの痛切な叫びとして受け止めなければならないのだと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・駒ヶ根市光善寺参道

 次回は『ソフイーの選択』です。作家志望の青年スティンゴは、ニューヨークでソフィーとネイサンのカップルと知り合いになります。製剤会社に勤めるネイサンは、妄想性分裂症です。強制収容所から解放されて渡米したソフィーを助け同居しています。この三人の人生の選択とは? メリル・ストリープのソフィーに注目です。

109.  告 白

ボールペン画「伊勢神宮内宮.jpg 湊かなえのベストセラー小説の映画化作品です。場面設定から言うと学園ものですが、主題は主演の松たか子が繰り返し口にする「命」ということと、その裏返しである「死」です。
 担任教師、松たか子の幼子がクラスの中学生二人に殺害されます。その事実をホームルームで暴露して復讐を誓います。
 物語は彼女の復讐劇のシナリオに沿って進んでいきます。殺害動機自体がいまどきの子どもらしく不明で脈絡がありません。そんな少年をさまざまな仕掛けで追い詰めていき、彼らが自爆、自壊してしまわなくてはならなくするのが最終目標です。
 二人の少年のうち、頭の良い少年は、先生や大人の思惑をはるかに超えるべく、自らの攻撃衝動を満足させるため、身近な存在の命を次々と奪っていきます。もう一人の少年は自分の犯した子殺しの罪と迫りくる復讐に脅えて、心の破綻に陥ります。ついには錯乱の中で母親を殺害してしまうのです。
 頭の良い少年も、自分を幼い時に虐待して見捨てた科学者の母親に執着心を有しているのが決定的な弱点です。松たか子はこの点を見越し、少年が学校と自分を爆破しようと仕掛けた爆弾を、母親の大学研究室に移し替えて、結果的に少年のスイッチボタンの瞬間に母親が粉々になってしまうという皮肉な惨劇を演出します。
 事件の連続をめぐる関係者の運命ストーリーも暗く重いですが、それ以上に、クラスの中で繰り広げられる普通の中学生たちの嬌声や無関心の方が見る者を震えさせます。
 時代社会のおぞましさを考えるのに必見の映画といえましょう。ご購読はコチラ.pdf
絵・伊勢神宮内参道

次回の映画は『カサブランカ』。仏領モロッコの都カサブランカが舞台です。
 この町のナイトクラブで昔別れた男女が再会します。イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガート。二人の会話に深い愛情を感じます。
 半世紀以上経った今でも、フアンの多いこの作品の魅力は…。川上先生のメッセージが楽しみですね。

108.  うなぎ

8面・ボールペン画「立山連峰.jpgカンヌ映画祭で賞を獲得した今村昌平監督の力の入った作品です。
 妻を殺害したことで刑に服していた中年男(役所広司)が、仮出所の身でひっそりと床屋を開いて過ごそうとします。わずかに飼っているうなぎが彼の日々の話し相手です。
 ところが、男は偶然、自殺を図った女性を助けてしまい、その女性(清水美砂)が床屋に居ついてしまったので話はややこしい方向へ流れて行ってしまいます。
 女性は東京に複雑なしがらみの男を残しており、いきおい、床屋の現場にもトラブルが持ち込まれてしまいます。仮出所のゆえに静かに暮らしていきたいという男の思いは微妙に揺り動かされてしまいます。
 とうとう、彼女の悪縁男は彼女を追って乗り込んできてしまいます。男はどのように対応すべきかおおいに迷うのですが、最終的に悪縁を断ち切るために力を貸してしまいます。そのおかげで刑務所に戻ることになるのですが。
 言ってみれば、中年男の純愛物語といったところですが、いかにも日本人的な我慢と控えめと恥じらいと自己犠牲の心情といったところでしょうか。
 加えて驚いたことに、男は刑務所に戻るとともに女性が宿している悪縁男の子どもまで引き受ける覚悟をするというのです。マゾキスティック・ナルチシズム(自虐的ナルチシズム)の心理そのものです。
 男の穏やかな日々を求める思いの一方で、自分をどこまでも痛めつけてしまう激しい心が裏腹に同居しているということが、いかにも日本人的ということになるのだろうと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・立山連峰 称名滝

次回は、湊かなえ原作の『告白』です。
ある中学校。終業式後のホームルームで、一年B組、担任役の松たか子が生徒たちを前に娘の死を伝えます。このクラスの誰かに殺された。罪を犯して反省しない犯人に罰を与える…。教室の生徒の反応や、次々明かされる関係者の告白シーン。観る側にも苦しく重く圧し掛かってきます。

107.  メン・イン・ブラック

ボールペン画「奈良県葛城山 櫛羅の滝」.jpg一九九七年公開のSFアクションです。トミー・リー・ジョーンズはすでに地球に移り住んでいるエイリアンの監視をしている極秘機関のメンバー、Kです。ニューヨーク市警ジェームズ(ウィル・スミス)はその有能さからKによって機密組織要員としてスカウトされます。
 「メン・イン・ブラック」とはこの世の誰にも知られない「秘密の黒幕組織」のことで、エイリアンの存在が地球人の脅威とならないよ
う、密かに役割を担ってきているのです。
 ここで、エイリアンたちも、すでに、たいていはマンハッタン島の中にだけ住むという制限を受け入れているのですが、時には性質(タチ)の悪い種族がいて、地球と宇宙の平和を脅かそうとします。
 そんな侵入種族と機密組織がどのように闘っていくのかが筋です。誰にもわからないうちに闘いが繰り広げられ、誰にもわからないうちに収束していかなければならないのですから大変です。真相を目にしてしまった人間には、もれなく忘却光線を浴びせてエイリアンの記憶を消し去ってしまわなければなりません。
 一時は銀河宇宙を絶滅に陥れる策謀が横行しかけますが、ジェームズとKの活躍で事なきを得ることになります。こんな具合で、映画としてもSFの仕掛けとしてもそんなに複雑な仕込みはありません。わずかにエイリアンの特殊メイクが目を引くと言っていいくらいです。
 でも、エイリアンを単なる悪者にするのではなくて、どのようにして共存できるのかといった問題意識を投げかけてくれているという点では、間違いなく時代を先取りしていると言ってよいと思います。ご購読はコチラ.pdf
絵・奈良県葛城山 櫛羅の滝

次回は、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品『うなぎ』です。
妻を刺殺し仮出所中の主人公(役所広司)は、近所付き合いもせず飼育ケースの『うなぎ』を唯一の話し相手に自戒の生活を送っていました。ある日多量の睡眠薬で倒れた女性(清水美砂)を助けます。周りの人びとの交流で人間性を取り戻していく優しい作品です。

106. レッド

ボールペン画「愛知高原鳴沢.jpg レッドというのはRETIRED EXTREMELY DANGEROUS(引退した超危険人物と言う意味)の頭文字R・E・Dで、かつてスパイや工作員として暗躍して、国家の機密に触れたまま退役している〝危険人物〟のことなのです。
 そんな一人、フランク(ブルース・ウィリス)が消されようとします。理由ははっきり分かりません。でも彼の関わってきたミッションのいずれかと関わりのあることは明白です。
 一計を案じたフランクは、かつて敵同士だった国の大物退役諜報員に助けを求めます。男性二人、女性一人が力になってくれます。たった四人ですが、いずれも歴戦のつわものたちですから裏の真相に激しく迫っていきます。
 初老のおじさんになってしまったブルース・ウィリスがダイハードばりに立ち回り、他の三人も歳に負けないでそれぞれ巧妙に闘っていきます。文字通り、年配者への応援歌です。
 裏の真相そのものは時の副大統領にかかわる秘密事項であって、それだけに四人のメンバーは本当に危ない目に遭います。四人の知恵が上回り、微妙なバランスを構築していくことで闘いは収束していきます。心からホッとします。
 高齢化社会と言われる中「いつまでも元気で」というメッセージに沿って、どこまでも心身を鍛え続けようとする人がいます。そんな人には『レッド』は心地よい励みになるでしょう。
 でもよく目を凝らして見ていると、四人のつわものの表情に時折、疲れのため息が見て取れます。やっぱり、老いるということ、衰えるということへの温かい眼差しが要るよねえ、と優しく思わせてくれます。ご購読はコチラ.pdf
絵・愛知高原鳴沢の滝の滝

次回紹介の『メン・イン・ブラック』は、スピルバーグ総指揮の3部作品。各シリーズともに大ヒットしたSFコメディー映画です。
地球に生息するエイリアンの行動を監視する政府の極秘組織MIBの一員「K」トミー・リー・ジョーンズと、「J」ウィル・スミス。この最強コンビの活躍(?)は、何とも可笑しくて楽しめますよ。

105. ゆれる

ボールペン画「寝覚の床・小.jpg 香川照之、オダギリジョーが兄と弟を演じる二〇〇六年公開の心理ドラマです。
 兄弟にとっての共通の幼なじみである若い娘、真木よう子が山のつり橋で転落死します。その時、橋の上には兄が一緒にいて、弟は遠くからその様子を眺めていたのです。当然ながら兄に犯罪の嫌疑がかかり、ここからは裁判の進行がストーリーの軸になっていきます。
 事件の真相がどうであったのか、というテーマと同時に、互いに思いを寄せ合う兄と弟の間の心の絡み合いに焦点が当たっていきます。
 もしかして、娘が弟と関係してしまっていると知った兄が衝動的に橋から突き落としてしまったのか。離れてつり橋を見ていた弟は、本当は真実を知っていながら兄をかばっているのか。いや、それ以上に、もしかしたら兄のために証言をする弟は、実は娘を横取りしてしまった罪悪感をうやむやにするためなのか。
 二人の間で直接、触れることのできない猜疑心が渦巻いていきます。仲良く育った兄弟であればこそ、逆に温かさと冷ややかさが微妙に交錯し合うのです。見る者の誰もが自分の中にある愛と憎しみの相克を刺激されます。
 結果的には、驚いたことに、兄が突然「自分が突き落とした。」と自供して刑に服してしまうのです。この唐突な兄の決心が真実によるものなのか、それとも、弟への嫉妬心を抑えることができない自分を処罰するためだったのか、謎のままです。
 最後の場面では出所してきた兄を弟が迎えようとします。しかし、再び幼い時の近しさを取り戻せるかどうか、わからないままです。余韻の中でしばし考えさせられてしまいます。ご購読はコチラ.pdf
絵・寝覚の床 小野の滝

 次回は『RED/レッド』です。現役引退後、静かな生活を送っていた元CIAの男が昔の仲間たちと共に巨大な陰謀に立ち向かう姿を描く痛快アクション作品です。
 ブルース・ウイルス、モーガン・フリーマン往年のスターたちの小気味よい演技が楽しめます。歳を重ねるごとに増す知恵や冴える勘は人生の贈り物ですね。

104. インストール

8面・ボールペン画「白糸の滝」.jpg 二〇〇四年公開の問題作です。というのは、原作が『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞した若手作家の綿矢りさで、テーマはパソコン通信に関わるもの、そして、主演が上戸彩とそろっているからです。
 映画作品としての出来栄えには多少、問題が感じられるとしても、何といっても現代の若者が新しいツールとのふれあいの中でどのような体験を積んでいくのかということを見せてくれます。
 主人公は一七歳の女子高生、朝子。日々の生活の中に目標を見出すことができない悶々とした少女です。妄想的コミュニケーションに導かれるように、不登校を開始し、小学生かずよしの家の押し入れでエロチャットの相手をするアルバイトを始めるのです。
 「なんだかつまらない」、「何をしたらよいかわからない」とつぶやく若者はいっぱいです。確かに、将来の夢とか未来への希望といったことを若者の心の風景に見出すのは難しい時代になってしまいました。原因やいきさつは何であれ、漠然とした不安とか、ぶつける先がわからない憤り、などが若者たちを脅かし続けます。
 リストカットや拒食によって、ひとときの偽りのバランスを確保することが、もはや異常な行為とは言えないくらいです。
 朝子の薄暗いエロチャットのアルバイトも、突然のパソコンの不調によって終わりを迎えます。バーチャルリアリティ世界から普通のリアリティ世界へ戻る形で収まるのです。
 でも実際の社会では、バーチャル世界にすがりつき、しがみつくことしか方法を持たない若者たちが後を絶ちません。ご購読はコチラ.pdf絵・白糸の滝

次回はオダギリ ジョーと香川照之が演じる兄弟の心の奥底にある愛と憎しみを描いた、西川美和監督・脚本の心理ドラマ『ゆれる』です。
 幼なじみの女性の転落事故を境に、兄弟の関係が過去から少しずつ解れていきますが、お互いを理解出来ぬまま歳月だけが流れます。歌舞伎役者・市川中車(香川)の今後の活躍に注目が集まります。

103. 英国王のスピーチ

ボールペン画「朝顔を見る少女」.jpg 第二次大戦の最中に在位した英国連邦の君主ジョージ六世の物語です。即位前のヨーク公だった時期、吃音でうまく演説ができなくて本人はもとより周囲の者も深く苦悩していました。
 とりわけ利発でしっかり者の妻エリザベスは人知れず夫の治癒転換を願い、ついにはロンドン下町の言語療法士ライオネル・ローグを探し当て、お忍びで治療に通わせることにします。
 当時の常識では、吃音というと機能訓練による改善策が一般でしたが、ローグは信念に基づいてヨーク公に心の中に潜むトラウマやコンプレックスを吐き出すよう求めます。
 医療そのものではないパラメディカルな専門技法、今では精神分析的カウンセリングといったところです。実際、ヨーク公は幼い時から父親の存在の大きさに押しつぶされそうになりながら成長してきましたし、幼時、乳母から意地悪を受け、傷つきながら育ってきたという事実も表に現れてきました。
 父、ジョージ五世が死去し、いったんはヨーク公の兄がエドワード八世として王位に就くのですが、歴史に残るスキャンダルで退位することとなり、弟のヨーク公がジョージ六世として即位することになるのです。
 すぐに、戦時の国王として英国連邦すべてに向けて賦活の演説を求められます。ヒトラーの勢いを食い止める力を期待されるのですから大変です。ローグの助けを借りて演説は見事に世界に流れます。
 英国皇室はできるだけ情報を開示して、積極的に国民との同じ目線を意識するのでしょう。その意味で、国王の人間としての生の心が覗けるようで、身近な感動が残るに違いありません。ご購読はコチラ.pdf
絵・朝顔を見る少女

 次回は、登校拒否の女子高生が成長していく姿を描いた青春ドラマ『インストール』。
 人生の目標を見出せない十七歳とませた男子小学生が始めたバイトは…エロチャット。携帯サイトで知り合った風俗嬢に代わり、男たちとエッチな会話の相手をするというものです。
 ネット社会の虚実様々な情報は、氾濫して流れてきています。

102. バベットの晩餐会

ボールペン画「古代ハス」.jpg 十九世紀のデンマーク、ユトランド地方が舞台の映画です。質素ながら敬虔なプロテスタントの集落で、牧師の父を持つ二人の美しい姉妹が、男性たちの求愛よりも父の使命を継いでいく道を選択して静かな日々を営んでいました。
ずいぶんの時間ののち、バベットと名乗る婦人がフランスから亡命してきて、姉妹の家に家政婦として住み着くことになりました。
集落の人々はゆっくり年老いていき、だんだん信仰心も緩んでいきました。すでに高年となった二人の娘は村人の心を高めるため、父の生誕一〇〇年の名目で晩餐会を催すことを思いつきました。
ちょうどその時、バベットにフランス宝くじ1万フランが当たったとの報せが入りました。バベットは晩餐会の仕切り一切を任せてほしいと願い出て、パリから食材を取り寄せ、その夜はだれもが見たこともない豪華な料理が振る舞われました。村人たちの表情に、そして姉妹の表情に久しぶりに柔和な幸せが浮かびました。
バベットが実はパリ当時、超一流のレストランシェフだったということがわかるのですが、彼女はこれからも当地で生きていくことを懇願します。
お話はこれだけですから、ワクワク、ドキドキとは無縁の映画です。しかし、一九八八年アカデミー外国映画賞ほか多くの賞を獲得しています。ヨーロッパ人の心の奥を確かに支えるキリスト教の信仰心が、時の経過を刻みながら過不足なく描かれているのが讃えられる理由だと思います。加えて、晩餐会という食事会が祈りの心を温めてくれるものなのだということを改めて知ることができます。ご購読はコチラ.pdf
絵・古代ハス

 次回の作品は『英国王のスピーチ』です。英国王交代劇で兄から弟へ、望まないまま国王の座に就くことになったジョージ6世。幼少より吃音障害で人前に出るのを嫌い、内気で自信の持てない息子に、父ジョージ5世は容赦なく数々式典のスピーチを命じます。重責を背に、コンプレックスを克服していく姿が感動の人間ドラマです。

101.人間の証明

4面・ボールペン画「朝顔.」.jpg 「人間の証明」は森村誠一の問題作の映画化です。この映画の公開一九七七年からずいぶん時間が経ってしまいましたが、作品のモチーフはさかのぼって第二次世界大戦時、罪のない人々がこうむったさまざまな悲劇が敷台になったものです。
 一九四五年八月の敗戦を機に始まった占領統治もそこかしこで悲惨な出来事を引き起こしました。女性が無残に乱暴されるという悲劇も起こりました。この事件に遭遇した少年の思い出が物語の縦糸として時間経過を紡ぎます。
 主演の岡田茉莉子は終戦直後の混乱期をたくましく生き抜いて、今では一流デザイナーとして成功を収めています。しかし、その中で混血の男の子を生み落していました。
 無事にニューヨークで大きくなったその男の子が母親恋しさで東京にやってきたことから事件が起こりました。功名の母親はどう受け止めたものか煩悶し、結局は自らの手で殺害してしまうのです。子殺しはもちろん究極のタブーですが、時代社会の混沌に目を向けるならば簡単に罪として断じることができないのを感じます。
 一方、悲惨な思い出の少年は長じて刑事となり、この事件の担当となってニューヨークと東京を行き来して真相解明に当たります。
 徐々に明らかになっていく人間模様の裏側は、いずれもやりきれないものばかりです。二十一世紀の今となっては、こうした悲惨や混乱はすでに遠くなってしまったかもしれません。
 しかし、混乱の中で不都合がまかり通るということは今でもそこかしこに見られます。ちゃんと目を凝らして見定めなければなりません。ご購読はコチラ.pdf
絵・朝顔

次回は、デンマーク地方が舞台の映画『バベットの晩餐会』です。レンタル店在庫も無く、取り寄せも不可能な廃盤になっています。希少作品をあえて選ばれた川上先生からのコメントを楽しみに待ちたいと思います。
 映画を鑑賞する方法が様々な媒体に広がっていますが、この夏は映画館で話題作品と対峙するのもいいですね。

100.洋菓子店コアンドル

ボールペン画「バラ」.jpg この映画コラムがめでたく一〇〇回目になります。一〇〇回目を飾る、というには少しライトタッチですが、今や女優としての位置を確かなものにしている蒼井優が大立ち回りを演じる面白映画です。
 鹿児島から彼氏を追いかけて出てきた蒼井優が戸田恵子店長の洋菓子店でパティシエ修業に入ります。これに有名パティシエの江口洋介が絡んでドラマは進行していきます。
 決して有能、有望とは言えない蒼井優に戸田店長はじめ周囲は何とも不思議な温かさで育んでいきます。当の本人はそんな周囲の優しさにお構いなく、だれかれとなく率直な気持ちむき出しにぶつかっていきます。
 江口洋介は、愛娘をパティシエ業務の現場に向かうところで事故死させてしまい、技能を封じているのですが、その才覚にあこがれる蒼井優はおせっかいにもトラウマを乗り越えるよう促します。
 ドラマとしては最終的には江口洋介が現場に復帰して妻とも仲を回復し、一方、蒼井優は戸田店長の計らいでフランスへ本格的に修行に出かけるという、ハッピーな進行なのですが、この間の蒼井優の振る舞いには終始、ハラハラさせられます。ほかにも、洋菓子の粋を味わい分ける老婦人、加賀まり子など、脇役陣が達者で見る者を飽きさせません。
 ある意味では、洋菓子とかケーキ作り、さらにはデザート作りといった職域が社会的にもてはやされるのは、時代的にゆとりや贅を象徴しているように思われます。
 とはいえ、しばし、美しくおいしそうな菓子たちを映像で味わってみましょう。ご購読はコチラ.pdf

絵・バラ

 次回は、戦後三十年、日本とアメリカ、その狭間と歳月の流れを背景に人間の本性について深く切り込んだ『人間の証明』です。森村誠一原作。脚本は一般公募で選ばれた松山善三。周知の問題作は角川映画第二弾制作です。母と子がテーマでしょうか? 戦後の混乱社会が生んだ悲劇でしょうか? 何度観ても重たい結末が哀しいですね。

99.扉をたたく人

ボールペン画「二輪草.」.jpg 二〇〇七年のアメリカ映画です。
 妻に先立たれて無気力に陥ってしまっていた大学教授、ウォルターがニューヨークの滞在先である自分のアパートに戻ってみると見知らぬ女性が入浴中でした。もちろん大騒ぎですが、実は、シリア人の男性ダレクとセネガル出身のゼイナブのカップルが部屋を間違えて使っていたのでした。出て行くあてのない二人に同情した教授がしばらくの滞在を認めます。男性がお詫びとお礼の意味でアフリカン打楽器、ジャンベの演奏を教えると申し出ます。
 奇妙で不思議な契約が成り立って三人の共同衣生活が始まるのですが、老教授はジャンベ演奏への熱中のおかげで徐々に無気力状態から快癒していくのです。
 ところが、具合の悪いことに、九・一一事件のせいで厳しくなった外国人不法入国者取締りの網に触れて、ダレクが突然、拘束され本国送還の処置が決定してしまいます。
 ウォルターは心癒してくれたジャンベ音楽とダレクの自由回復のために、精力的に奔走します。どうしても男性を救出できませんでしたが、ジャンベ音楽への傾倒は引き続きます。
 ダレクのため、母親モーナが登場して老教授と近づいていきますが、このあたりでは老教授は十分、精彩を取り戻しています。
 ダレクが送還されてしまった日、老教授はジャンベを渾身に打ち鳴らします。「われわれは何と無力なんだ」と叫びながら。
 結局は、アメリカのお国事情によって不本意な運命を受け入れなければならなくなったというお話なのですが、悲しいというよりも、粛々とした現実受容の味わいが胸に浸みてきます。ご購読はコチラ.pdf

 次回の映画は、東京の洋菓子店を舞台に、スイーツを通して出会った人々の挫折と、再生を描いた物語『洋菓子店コアンドル』です。

今や大人気の職業パティシエ。「デザート」という呼び方も「スイーツ」に変わり、メディアも連日、全国の有名店を取り上げるほどのブームです。
 蒼井優の演技もいい味出してます。

98.ある愛の詩

4面・挿絵「あやめ」.jpg一九七〇年公開の作品ですが、永遠の純愛ものですから変わらず感動を味わうことができます。
 若き日のライアン・オニールがいかにもハーバード・エリートという風情で可愛く見えますが、何といってもここで出色なのはアリ・マッグロー演じる気張り屋さんのしっかり娘です。
常に前向きで、表情が生き生きと変わります。アメリカンセレブの息子、ライアン・オニールに気圧されることなく人生に立ち向かっていきます。
 制作者と監督はともにアメリカの一九六〇年代、すなわちベトナム戦争に突入していって人々の心が荒んでいるのに対して、改めて、人を愛する素晴らしさ、信じることの崇高さを訴えたかったと言っています。
 アリ・マッグローの決めせりふが「愛とは決して後悔しないこと」です。
 二人は愛を貫いて結婚するのですが、最後に彼女が不治の病で逝ってしまいます。後悔しない彼女は死の床でも彼を力づけようとします。
 撮影中の偶然で、ボストンは何十年ぶりの大雪で一面、真っ白です。新雪深い大学キャンパスで無邪気に戯れ合う二人の姿は本当に幸せそうです。このシーンがずっと続けばよいのに、とさえ思ってしまうくらいです。
 今となってはこの映画の時代以上に人間関係の信頼や愛は薄くなってきてしまいました。その意味ではこの映画に流れる愛の無条件、思いやりの無前提は今こそ蘇らなければならないのだと思います。
 せめてそんな映画を見せてもらうことはできないのだろうかとため息がこぼれます。ご購読はコチラ.pdf

 次回は、妻を亡くした初老の大学教授ウォルターと、シリア出身の移民青年タレクとの交流を描いた感動ドラマ『扉をたたく人』です。評判が良くロングランになりました。
 人種や世代を超えてお互いの存在を大切に思い、相手の心にエールを送るウォルター。タレクの母とも…。
 アフリカの太鼓「ジャンベ」が心繋げます。

97. 鬼 畜

挿絵「クレマチス」.jpg 松本清張原作で一九七八年公開の映画です。
 主演が緒形拳、岩下志麻、小川真由美と並んで加えて題名が「鬼畜」ですからどんなおどろおどろしい内容かと思ってしまいます。
 実際は昭和三〇年代のまだ貧しい時代に、気弱な男性が女性に子どもを産ませてしまい、それでいながら養育することができず、怒った女性が子ども三人とも妻と男性のもとに置き去りにしてしまうという話です。
妻(岩下志麻)は夫の裏切りへの復讐とばかりに徹底して子どもを傷めます。まず末っ子が死に、追い詰められた夫(緒方拳)は女の子を都会に捨ててきます。ついには長男を北陸海岸の断崖から投げ捨ててしまうのです。
鬼畜というとこの夫と妻の両方が残酷無比のような印象にもなりかねませんが、夫は気弱なところを除けばもともと不幸な育ちの善良な市民にすぎません。妻も残虐な人間というよりもやりきれなさからどうしてもひどい行為に走ってしまうといった描かれ方です。
 人間の所業と元々の人となりとの間にはやりきれないねじれ絡み合いが伏在しているというのが松本清張の深い味わいですが、この作品の中では虐待は実は弱い大人が繰り広げてしまうことなのだということが語られています。
 平成の時代になって貧しさを背景にしていないにもかかわらず想像を絶する幼児、児童虐待が頻発しています。
 映画では、奇跡的に生き残ることができた子どもに男が「かんべんしてくれ」と泣き叫ぶシーンが添えられています。今、残虐の大人、親たちの心に子どもに詫びる思いが残っているのかどうか心もとない気持ちになります。ご購読はコチラ.pdf

 絵・クレマチス

 次回は、環境のまったく異なった世界に育った男女の愛の物語。音楽も美しい『ある愛の詩』です。八年後には『続・ある愛の詩』も制作されています。
 最愛の人との出会い、結婚そして永久の別れ。その後、絶望の淵から甦り、新たに自分の人生を見出していくまでの姿を描いています。二作品鑑賞をおすすめします!

96. 明日への遺言

4面・映画挿絵・水芭蕉.jpg 大岡昇平の原作に基づいた二〇〇八年公開のシリアス映画です。いろいろ取り上げられてきた第二次世界大戦後の極東裁判ものです。
 主演は藤田まこと、彼はこの作品で映画出演最後になりました。お笑いの出身ですがテレビドラマでも活躍してきました。
 ここでは彼は元東海軍司令官、岡田中将です。アメリカ軍の名古屋空襲時に捕虜とした兵を不法に処刑したとの咎で裁判にかけられるのです。部下を思う岡田はこの処刑を自分一人の責任で行ったと言明します。同時に米軍による無差別爆撃も不法な仕儀であると主張するのです。何しろ終戦後の戦勝、戦敗間の裁判ですから所詮、届かない話です。岡田は死刑の宣告を受けます。
 動じることなく凛として渡り合う岡田の姿は元部下たちから尊敬を受けるのみならず、アメリカ側からも畏怖されるようになっていきます。妻や娘家族たちも岡田の行く方を誇りを持ってじっと見守ります。
 だれの心にも幸せとか不幸といった思いは浮かんできません。愛情や優しさといった言葉も語るに軽すぎるように思えます。ただ、ひたすら裁判という現実の進行に目をそらすことなくじっと向き合い続けるのです。
 戦争ということの愚かさはあまりにも自明なことです。せっかくの岡田中将の清冽さも結局は露と消えるだけです。
 藤田まことはじめ出演者の抑えた演技は美しく光ります。その静けさとは裏腹に、人と人とが命を奪い合う愚挙には容赦なく非難が向けられています。たとえ理や義に支えられていてもそれは許されないと叫びたいのです。ご購読はコチラ.pdf

  次回は実話をもとに書き下された松本清張原作の『鬼畜』です。
父を思い続ける息子と、環境に押し流されて正気を失なっていく父親の姿。大人と子どもの世界を較べながら、切っても切れない親子の絆を描いています。
健気な子どもと、邪悪で罪深き大人たち。恐ろしいタイトルの底に潜む非情さについて考えさせられます。

95. ブラック・スワン

映画・切り絵.jpg二〇一〇年公開の映画ですからまだ記憶に新しいと思います。
 バレリーナとして上昇志向の娘(ナタリー・ポートマン)と母親の複雑な絡み合いがテーマです。母親自身、かつてプリマドンナを目指していて挫折した人です。娘を厳しく指導し、大きな期待をかけながら、娘がトップに上り詰めようという段階になると、一転して喜びよりも恨めしさの方が前面に出てきてしまうという厄介な人なのです。
 専門的には二重拘束という親子関係です。娘の方にかかるストレスは想像を絶するほどに重いものになります。
 それなのに娘は主役としてホワイト・スワンとブラック・スワンの両方を演じなければならないというのですから大変です。主役の重荷と裏にある母親からの渦巻く圧力に巻き込まれて徐々に精神的破綻に向かいます。とりわけ悪を表現することが求められるブラック・スワンをうまく表現できない苦悩から妄想、幻覚まで体験するようになっていきます。
 最終的には迫真のダンスを披露して満場の喝采を浴びて、ついにはホワイト・スワンの絶命まで至るのですが、その時、娘、ポートマンは幻覚の中で実行した腹部自傷のため出血多量で絶命してしまうのです。
 ポートマンのダンスそのものも素晴らしいのですが、ポートマンの心を苛む母親役のバーバラ・ハーシーの重々しい存在感も圧巻です。
 たいていの人間は善と悪の両面持ち併せています。それが親子関係のもとでの無意識的、前意識的しがらみ合いによって刷り込まれていくということを再確認させられます。ご購読はコチラ.pdf

次回は藤田まこと主演の戦争についての映画『明日への遺言』です。
 第二次大戦中、無差別爆撃を実行した米兵を略式裁判で処刑した罪で、B級戦犯として裁かれた東海軍司令官・岡田資中尉の法定での闘いと、彼を見守る家族たちを描いたヒューマン・ドラマ。大岡昇平の長編小説『ながい旅』から映画化されています。

94. チェンジリング

映画切り絵.jpg 二〇〇八年公開でクリント・イーストウッド制作監督の話題作です。
 一九二八年のロサンゼルス、アンジェリーナ・ジョリー演じるシングルマザーの息子ウォルターが失踪します。警察や地域の人たちの助けを借りて母親が子どもを懸命に探し出そうとするのが話の軸です。
 しかし、どういうわけかウォルターを名乗る少年が現れます。母親はもちろん別人だと訴えるのですが、腐敗した警察はその少年を本物として逆に母親を精神異常者に仕立て上げようとします。
 サスペンスとしてもずいぶんやりきれない展開ですが、実はこのストーリーは実話に基づいているのです。ですから結局のところ、ウォルターは人格障害の犯人に殺められていたという結末になってしまうのです。
 アンジェリーナ・ジョリーの母親としての迫真の演技が胸に迫ってきますが、映画の筋立てとしてはその母親の心理描写が主題なのか、ロス警察の腐敗告発物語が主題なのか、だんだんわからなくなっていきます。
 このあたり、実際にあった事件から逸脱しきれないことが限界になっているのかもしれませんが、おそらく観る人のだれの心にもクリント・イーストウッドに問いただしたい気持ちを抱くようになるに違いありません。
 よく言えば不正や不実に対して正面から闘いを挑むアメリカ市民社会の良心を謳い上げているようにも見えますが、いろいろな側面が素通しに見えてしまうこの時代にあっては、どうしても理想主義的ロマンに流れてしまっていると言わざるを得ないように思われます。ご購読はコチラ.pdf

次回はバレエを題材とした『ブラック・スワン』です。大役に抜擢され役作りに没頭するニナ。純真な白鳥と官能的で邪悪な黒鳥の舞。二役の演じ分けがプレシャーとなり、現実と悪夢の狭間を彷徨います。やがては心のバランスを壊し自ら心の闇へ。クライマックスまでの進行に圧倒されます。ナタリー・ポートマンのニナ役は必見です。

93. もののけ姫

映画・切り絵.jpg 宮崎駿のスタジオジブリによる長編アニメ映画です。舞台設定、登場人物ともに綿密に練られていて、観る者の心を飽きさせません。
 室町時代のお話ということになっていますが、アシタカ、サン(もののけ姫)はじめ登場人物が背負っているものは歴史のひずみそのものであり、一方、シシ神や乙事主(おっことぬし)といった超越的な神や精霊が担っているものは人間世界の矛盾や虚偽を陰の世界から告発する役割です。
 自然を破壊する人間、森を守ろうとする動物たちという図式は定型的ですが、鉄製錬という自然破壊現場の内側には健気に生きる人たちの姿が描かれますし、森を守ろうとする動物や超越者たちの破壊への思い入れは、再生への第一歩を保証する以上に統御しがたい凶暴性といった印象を与えられてしまいます。
 もちろん自然の破壊者は自然の摂理によって仕返しされ、処罰をも受け止めていかなければなりません。その意味で人間は罪深い存在なのですが、その反対の観点からすると物的生産力の向上は社会が発展的に持続していくためには不可欠の条件でもあるのです。
 こうしてこのアニメの中では単純な二項対立とか勧善懲悪といったストーリーは準備されないことになります。神や精霊はそれぞれがそれぞれのシナリオに執着しようとし、また、人間たちもそれぞれがそれぞれの世界観や価値観に従って事態を転換しようと試みます。それだけに最後は一つのまとまった終わり方にならないのです。われわれ観る者に世界の展望を考えさせ、逆に今の自分の足元を見つめさせようという仕掛けになっているのだと思います。ご購読はコチラ.pdf

次回の映画は、アンジェリナ・ジョリー主演の『チェンジリング』です。1920年代に実際にアメリカで起きた、警察による子どもの取り違え事件を映画化した作品です。
行方不明になった息子を取り戻そうと、警察権力との戦いを決意する母親の懸命な姿が痛々しい限りです。
 事件発生から七年が経ち、母親が知る真実とは…。

92. 悪人

8面・映画・切り絵.jpg二〇一〇年公開のまだ記憶に新しい映画です。妻夫木聡と深津絵里が主演ですが、芸達者な助演陣のおかげもあって広く話題になりました。
 行きがかりから若い女性を殺すことになってしまった妻夫木を深津が思いがけず深く愛してしまったために始まった愛の逃避行です。
 舞台は九州、方言が飛び交い、それだけでも素朴な人間性が迫ってきてやりきれなさがよく伝わってくるのですが、二人が辺境の灯台にたどり着いていく展開には痛ましさを感じてしまいます。
 映画の主題としては殺人者の男がはたして一方的に悪いのか、そんな男を愛してしまった女の情けが悪いのか、それとも、そもそも軽い調子で男の気持ちをそそのかし追い詰めてしまった殺された女の子が悪いのか、それともそんな女の子と無責任に関わり合った遊び男が悪いのか、物語の進行につれて判別が難しくなっていきます。
 昔から、道をはみ出した男と女の逃避行はどこででも語られてきました。その意味では自首をしようとする妻夫木を引きとめていきなり出口のない道行に突入してしまうという設定に現代風の軽さを感じてしまいます。男女がみな携帯の出会い系をきっかけに知り合った者同士というのも余計にそのような思いを刺激します。
 追い詰められていく二人と並行して関係者の皆もどうしようもなく闇に呑み込まれていってしまいます。見ているうちに、情況展開の細かい描写もあって、二人の愛をたたえる以上に現代の閉塞的なやりきれなさの方へ気持ちが動いていってしまうのを感じるはずです。ご購読はコチラ.pdf

次回は配給収入の記録を塗り替えた宮崎駿監督の大ヒット・アニメ『もののけ姫』です。
 森を侵す人間たちと荒ぶる神々との闘いが、日本アニメ史上空前の製作費と壮大なスケールで描かれた作品です。
室町時代、王家の血をひく青年アシタカと、犬神モロの君に育てられた〝もののけ姫〟サンとの交流には意味深いものを感じます。

91. イージー・ライダー

4面・映画・切り絵.jpg ひとことで言えば、伝説のオートバイ、ハーレー・ダビッドソンに乗ってアメリカ、カリフォルニアから南部ニューオリンズに向けて走り続けるだけの映画です。そんな映画が大評判をとったところには制作された年代が大いに関係していました。
 公開の一九六九年を振り返ると、若者たちが世界中で自由、自立をうたってレジスタンスを繰り広げていた時期でした。こうした若者たちの心模様をオートバイの疾走という単純な姿に集約したところにインパクトがあったのです。
 デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソンといった今では知らない者がいない俳優たちがフレッシュに体当たりしています。
 デニス・ホッパーは当時まだ一般的とは言えなかった長髪姿です。映画の中で彼はそれだけで反体制人間と決めつけられてしまいます。同時代的にニヒルやアナーキーを行動化しようとしたヒッピーも登場します。しかし画面を通して圧倒的に迫ってくるのは無防備を省みず素朴に疾走するオートバイから発せられる荒々しさと生々しさです。
 車社会のアメリカにおいて裸のオートバイは束縛を拒み自由を謳歌する象徴なのかもしれません。映画の結末はこんな若者たちのささやかな雄叫びが田舎の農夫の突然の発砲によって木端微塵にされることで終わりになります。
 保守的な大人たちからすると自我を行為する若者たちは結局、目障りな存在ということなのでしょう。閉塞感の今の時代、イージー・ライダーが抵抗や反抗のスピリットをいくらかでも思い出させてくれたなら喜ばしいことです。ご購読はコチラ.pdf

次回は『悪人』です。孤独な魂を抱えながらも単調な日常生活を送っている男女。偶然出会った二人が愛を見出し刹那に身を焦が
す。たとえ、その相手が殺人者だと分かっても、なお絶望的な逃避行へと突き進んでいきます。
被害者・加害者お互い家族の人生にも深い影を落とします。殺された娘の父親の憐れが哀しい作品でした。

90. ビーティフルマインド

4面・映画・切り絵.jpg ノーベル賞受賞の数学者ジョン・ナッシュの波乱の半生を描いた二〇〇一年のアメリカ映画です。
 ナッシュの頭の中はいわばすべて方程式、世界のすべてが数式で解き明かせると言わんばかりです。舞台は第二次大戦後の冷戦の只中、数学者たちもソ連との情報戦における暗号解読合戦に加担させられました。当然のことながら厳しい秘密保持の緊張感が強いられます。美しい妻との出会いから幸せな生活が始まっても、この極秘任務については一人で抱え続けていかなければなりません。
 ということで、とうとうナッシュは過度のストレスにさらされ続けて人格破綻に陥ります。スパイ戦の脅威と心のファンタジーの間の区別がつかないほどの妄想、幻覚体験にもさいなまれます。しかし、妻の献身もあって懸命に生き抜いていき、やがて「ゲーム理論」の業績によってノーベル賞を受賞するに至ります。
 今となっては冷戦時代の記憶も薄まってきて当時の特異な緊張感も忘れられてしまっていますから、ナッシュを襲ったストレスの意味も理解しにくくなってきているかもしれません。その意味では統合失調症の発症ドラマと見たのでは合理的説得性に欠けるきらいがあります。アメリカ的な野心や上昇志向がひたむきな生き方を導いてくれると言ったらよいでしょう。
 冷戦の崩壊によって政治体制間の緊張はなくなりましたが、よい意味での立身出世願望まで経験されなくなってきてしまったと言わなければなりません。
 改めて若者の野心とひたむきさを熱く味わってみる機会になると思います。ご購読はコチラ.pdf

 次回は、アメリカの真の姿を求めて自由な旅を続けた若者の物語『イージー・ライダー』。
 マリファナの密輸で大金を手にした二人組。大型オートバイを購入して大陸を縦横無尽に気ままに駆け抜けます。当時のアメリカや若者の思想・風俗について私の理解が不足していると感じました。川上先生のメッセージを楽しみに待ちましょう。

89. 赤ひげ

映画きりえ.jpg 一九六五年公開の黒澤明作品です。
 エリート医師を目指す加山雄三扮する保本が小石川養生所で見習いをすることになり、赤ひげ、三船敏郎と出会うことからドラマが展開していきます。
 山本周五郎のヒューマニズム小説にとにかくほれ込んだ黒澤監督が、人と人の間、そして人の奥底に流れる温かく熱い心情を真正面から描き上げた感動作です。
 保本は養生所の患者・病人たちから逆に本物の医の心を解発されていきます。人格障害の女性、末期状態の老人、悲恋の果てに苦悩する男と女、娼家に奉公する娘、長屋に住む浮浪の子ども。次々に保本にぶつかり覆いかぶさってくるこうした町人(まちびと)の振る舞いが保本を悩ませ、迷わせます。彼が目指していたのはもっと上流のきれいな医療だったからです。
 赤ひげが絶妙なタイミングで保本を導いていき、とうとう保本は大衆相手の仁の心みなぎる医師の道を選ぶことになるのです。
 そもそも加山雄三はこの当時、駆け出しの役者でした。舞台回しで登場する芸達者たちに触発されて文字通り、この映画の中で彼は本物の役者に変じていくのです。
 今となっては黒澤の何のてらいもないヒューマニズム礼賛には驚かされてしまいます。医師は紛れもない勝ち組です。勝ち組と呼ばれる人たちが本当に衆生の生きざまに触れてくれるという期待はすっかり持てなくなってしまいました。
 一本の物差しで上下を測るのでなく、人は円環状につながり合い、支え合うことでよしとする和の哲学を思い起こしてほしいものです。ご購読はコチラ.pdf

 次回はノーベル賞受賞の天才数学者ジョン・ナッシュの数奇な運命を描いた『ビューティフル・マインド』。
統合失調症を患い、幻覚に悩まされる夫を献身的な愛で支える妻。天才ナッシュ役のラッセル・クロウとアリシア役ジェニファー・コネリーの演技力には圧倒されます。全世界で大絶賛された勇気と情熱の感動傑作です。是非!

88. 武士の一分

映画・切り絵.jpg二〇〇六年公開ですからまだ記憶に新しい作品です。山田洋次監督、木村拓哉主演で興業的に大成功をおさめたとのことです。
 幕末のある藩でのできごと、藩主の毒見役を務めていた下級武士が貝の毒にあたって失明してしまうのです。文字通り真っ暗な世界に投げ込まれた主人公の悶え、苦しみが胸に迫ってきます。おまけに夫を支えようと考えた貞淑の妻が上司に弄ばれてしまうというのですから無残です。
 盲目となった主人公がそれでも「武士の一分」をかけてその上司に果し合いを申し入れ、最終的には奇跡的に一太刀を浴びせることができるのです。
 つつましくも誠実に生きる下級武士の家庭生活が丁寧に描き出されます。妻、壇れいや心優しい使用人との細かい心の行き交いが伝わってきます。それだけに突然の不幸がいっそう痛ましく感じられるのですが、画面を見ながらいつの間にかいろいろ考えてしまいます。
 普通に暮らしているのに突然、思いがけない事故や災害に見舞われるということは今ではだれでも想定できることです。しかし、その時どのようにその事態に向き合い、どのように乗り越えて行けるかということまで想定できる人はまずいません。
 おそらくわれわれのだれにでも「私の一分」というのはあるのでしょう。心理学的にはそれが「レジリエンス」すなわち「何とかする能力」を実際に発揮する契機になるのだと思います。
 映画を見ながら思わず自分と重ね合わせて自分を問うということが起こってしまう、それがこの映画の仕掛けなのだと思います。ご購読はコチラ.pdf

 次回は山本周五郎原作の『赤ひげ』です。時代劇にも登場する、小石川養生所での人間模様が描かれています。志高い若き医者役の加山雄三と赤ひげ医者の三船敏郎らが、貧困に苦しむ人々と向き合っていく様には、知らず知らず引き込まれ、胸が熱くなります。人の生死に正面から向き合う三時間超大作には、学ぶべき姿があります。

87. レインマン

4面・映画・切り絵.jpg  一九八八年制作でアカデミー賞、ベルリン映画祭ともに作品賞を受賞した話題作です。自閉症の兄(ダスティン・ホフマン)と弟(トム・クルーズ)の人間的交流が見ものです。
 自閉症というと、知的な遅れを伴って人との関係を拒んだり避けたりする性格者がよく知られていますが、この作品のダスティン・ホフマンはサヴァン症候群と呼ばれた対人関係能力に問題はあるものの、知能的に一部、天才的なセンスを備えていることを特徴としているタイプをモデルにしています。
 はるかに歳が離れていて自分は一人っ子だと思っていた弟が、父親の死をきっかけに、長く医療施設に収容されてきた兄の存在を知るのです。亡父がその兄に遺産の大部分を譲る遺言を託していたからです。
 はじめは遺産の取り分を増やしたいために接触を試みるのですが、最後には兄の〝病気〟を深く理解して兄にとってふさわしい暮らし方を援助する考えにたどり着きます。
 物語の中では兄の超人的記憶力を活用してラスベガスのカジノで大儲けするなど、ご愛嬌な場面も用意されているのですが、概ね、真面目なヒューマンドラマに仕上がっています。
 二十一世紀に入る頃から「高機能自閉症」という呼称でこうした〝障がい〟(広くは高機能広汎性発達障がい)に対し新しい理解が展開してきています。病気というよりも「性格的なひずみのゆえに普通の生活が困難」という視点から医学的処方を越えて心理教育生活訓練といったアプローチが有効性を示してきています。
 こうしたヒューマニスティックな見方にふれることのできる心地よい映画です。ご購読はコチラ.pdf

 次回の作品は藤沢周平原作、山田洋次監督の『武士の一分』です。 東北の小藩に仕える下級武士役を木村拓也が演じています。
失明し、武士としての勤めを果たせなくなった夫を献身的に支える妻。その妻の名誉を守るため、盲目にもかかわらず無謀な果し合いに挑む夫。
 木村拓也の研ぎ澄まされた演技が光る時代劇です。

86. 『ネバーエンディングストーリー』

4面・映画・切り絵.jpg ミヒャエル・エンデの児童文学作品「はてしない物語」の映画化作品です。エンデにはこの作品と並んで「モモ」という名作があり、世界中に知られています。
 エンデの児童文学は大人が読んでも楽しめるようにいろいろな仕掛けが施されているのが特徴です。
 この「ネバーエンディングストーリー」では、いじめられっ子のバスチアンが「はてしない物語」という本に出会って本の中に飛び込んでしまいます。そこではファンタジエンというあちらの国が危機に陥っており、バスチアンと勇者アトレイユらの活躍で世界の破滅の後に新たな創造を迎えるというお話が展開します。本の中の空想体験がバスチアンの心を強く豊かにしてくれるというのがエンデの力点です。
 ただ、制作された映画作品は原作者エンデとの間で食い違いのトラブルを生じました。映画化の企画段階がうまく進まずアメリカのワーナー社が参入することになったのですが、そこでは心の強くなったバスチアンがこちらの世界に戻ってきて敢然と悪に立ち向かうという復讐物語のような結末に仕立て上げられてしまったのです。
 映画は世界的にヒットしたものの、原作者エンデはこうした改変に納得できませんでした。あちらの経験がこちら側の解決をもたらすという一方向的な仕掛け物語ではなくて、「終わったと思ったらまた別の世界が始まる」とばかりに果てしない展開ということを準備していたのですから不本意だったのです。
 その意味でちょっと複雑な思いで見てほしい映画です。ご購読はコチラ.pdf

次回はアカデミー賞主演男優賞に輝いたダスティン・ホフマンの名演技で有名な『レインマン』です。
自閉症の兄と自由奔放な弟は、父親の訃報でお互いの存在を知ることとなります。
 兄へのよこしまな気持ちが、後見人となって面倒をみよう…と決意するまでの時間が、兄弟の深い絆となり、熱く愛おしく感じられます。

85. 『橋のない川』

 被差別部落のことを知らない人はいないでしょうが、経験や意識の違いによって理解の中身は違っているかもしれません。
 歴史的な理不尽によって作られた人間的に非道な差別問題に住井すゑさんが文芸作品の形で敢然と立ち向かったのです。被差別部落の生活をまるでドキュメンタリーのような形で連綿と書き綴って世に問うたのです。
 その中であらわにされた中身はだれにとっても心の痛みなくしては読み進められないはずのものです。随所で憤りさえ覚えてしまうのがふつう映画・切り絵.jpgではないかと思います。我々にとってこの作品は必読といってよいでしょう。
 こうした住井さんの小説を土台にして、一九六九年から今井正監督が映画を二部、作成しました。力作として評価を得て、社会に大きな影響を与えたのですが、一面で、その公開に際していささかやりきれない事情も絡み合うことになってしまいました。
 映画の内容が差別を問題視するだけにとどまらず、見方によってはかえって「差別を事実固定化する」作用があるのではないか、といった趣旨の批判が起こったのです。
 そんなこともあってか、のちに東陽一監督による作品も作成されたのですが、とにかく、おかしいことはおかしいとまっすぐ受け止めるセンスを刺激されることには意味があるように思えます。
 どうやら実情としては、政治運動と重ねあわされた分だけ純粋な評価が難しくなったのだろうということなのですが、ぜひ、原作に加えてこれらの映画作品も自分の眼で確かめてみてほしいと思います。ご購読はコチラ.pdf

 次回の『ネバーエンディング・ストーリー』は、ドイツ児童文学の雄、ミハエル・エンデ原作「はてしない物語」に基づいて制作された三部作品です。
昨今人気のハリー・ポッターやロード・オブ・ザ・リングの先がけ的な、ファンタジー映画の元祖といえる作品です。
大人も子どもも楽しめる愛と夢と幻想の不思議な世界は如何?

84.  『戦場のメリークリスマス』

 坂本龍一の音楽が印象的で今でも巷で流れることがあります。一九八三年公開の大島渚監督作品です。
 第二次世界大戦中の日本軍俘虜収容所を舞台に英国人捕虜と日本軍人との間で交わされた微妙な触れ合いの行方が中心です。
 収容所長の大尉が坂本龍一、軍曹にビートたけしという異色のキャスティングが話題になりました。大島監督がそうしたキャスティング8面・映画・切り絵.jpgで何を狙ったかもうひとつ明確にされてはいないのですが、のちの経過を見てみると、坂本龍一はこの映画の音楽担当を通して代表曲をものにしましたし、一方、ビートたけしはこの作品への出演をきっかけにして映画界への進出を志すようになっていったのですから、いろいろな意味で大きな影響力を持ったと言ってよいのではないかと思います。
 作品としての見どころは俘虜の英国人、ロレンス(トム・コンティ)とハラ(ビートたけし)の対立含みの絡み合いと、セリアズ(デヴィッド・ボウイ)とヨノイ(坂本龍一)の人間的響き合いをベースにして、収容所でのさまざまな出来事が展開していきます。
 映画の原作(チャールズ・ヴァン・デル・ポルト)の中でもそうなのですが、収容所という極限状況の下では、民族、人種、歴史、文化の違いによって行動原理がことごとく食い違ってしまいます。
 この映画を通して、人間観、宗教観、社会観のルーツに思いを馳せることでその重みを考えてみることもできるでしょうが、実際には、戦争のシーンがないこととも相まって、逆に、戦争の虚しさの方が強くにじみ出ています。ご購読はコチラ.pdf

 次回は今井正監督の作品『橋のない川』です。明治から大正時代の封建的な差別と貧困を打ち破るため、人間の尊厳をかけて激しく生き抜いた人々の生活を描いた住井すえ原作の文芸作品です。購入もレンタルも難しい幻の作品ですが…。
 被差別部落の歴史について、また、橋を架けることの意味について考える機会になりました。

83. 『ドライビングミスデイジー』 

 一九七九年公開のアメリカ映画です。デイジーはユダヤ人の未亡人、ホークは黒人の雇われ運転手です。舞台は人種差別の激しい南部アトランタ、それでもデイジーはコミュニティに参加できていますが、ホークはほとんど個人としての尊厳を受けないまま生きてきています。
 そうした二人が主従の関係で二五年間にわたって触れ合っていき、ついには年老いたデイジーが「ホークは私のいち4面・映画きりえ.jpgばんの友人」とまで言うようになっていった日常生活の積み重ねを描いているのです。
 ユダヤ人には屈折した人種差別が向けられます。黒人にはいつまでも露骨な差別が覆いかぶさっています。
 映画のストーリーを前向きに展開させる役割として、当時、活躍していた実在の黒人差別撤廃運動家、マーティン・ルーサー・キング牧師も登場します。このように見ると、作品は、エンタテイメントの形を借りて差別問題を浮き彫りにする狙いがあるのかと思ってしまいます。
 しかし、ホークに対するデイジーの愛や優しさはどこまでも高い位置からの思やりにすぎません。この点を考えると、この作品がアカデミー賞で讃えられ、全米で大ヒットしたということの本当の意味を考えてみなければならなくなります。
 ユダヤ人と黒人が人種の壁を越えて触れ合うお話をちょっと離れて拍手する人たちの存在が浮かんできます。ミスデイジーもホークも元々自分たちとは別の層であると決め込むアメリカ白人層の人たちが、自分たちを余裕の位置に置いて賞賛を向けたのではないかと思えて、割り切れない気持ちを覚えてしまうのです。ご購読はコチラ.pdf

 次回は『戦場のメリークリスマス』。第二次世界大戦下、ジャワ山中の日本軍俘虜収容所を舞台に男たちの交流を描く日英合作品です。ビートたけし、坂本龍一、デイヴィッド・ボウイらが出演
しました。戦争、収容所、処刑、異国籍軍
人。大島渚監督が込めたメッセージとは?川上先生のコメントは如何でしょう?
 稀少・高価作品です。

82.  『アマデウス』

 天才音楽家として誰でも知っているヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトの生と死にまつわる謎が題材です。一九八四年制作で翌年、日本公開になり、アカデミーのいくつもの賞を獲得しています。
 もともと舞台ドラマだったのですが、モーツアルトの人生を同時代の宮廷音楽家、サリエリの心の眼から描いていることで胸に迫ってく映画_切り絵.jpgるヒューマンドラマになっています。
 モーツアルトが生きたのは一七〇〇年代後半、神聖ローマ帝国の時代です。彼の出現を驚きと恐れの気持ちで迎えたのがサリエリでした。サリエリは言います。「彼は神の祝福によって才を賦され、自分は凡庸そのもの」。そして、「神は残酷だ」と。
 サリエリの心は精神分析の専門からいうと〝エンヴィ(羨望)〟に満たされています。一言でいうと「好きだけど嫌い。愛しているけど恨めしい。いっそ殺してしまいたい」というやりきれない心理のことです。モーツアルトの能力をもっとも羨んでいるのがサリエリで、またその能力をもっとも評価しているのがサリエリということなのです。
 そんな難しい心理をサリエリ役のM・エイブラハムは見事に演じています。彼はモーツアルトの死に向けて「だから、殺したのは私だ」と叫ぶのですが、その姿にやりきれなさと憐れみを覚えてしまいます。
 天才モーツアルトの人生は必ずしも幸せとは言えなかったとのことですが、あの美的緊張感にあふれた曲たちが、その才を愛でる同時代の人たちによって残されたのだということを知ることができます。ご購読はコチラ.pdf

次回の紹介は『ドライビング・ミスディジー』です。
白人の老婦人ディジーと、雇われた黒人の運転手ホーク。二人の奇妙で不思議な関係は、一台の車中で育まれ、心の交流が次第に友情の絆へと深まります。二十五年の歳月。変わることなく信頼と友情は続いていきます。老いの問題を身近に考える機会になります。

81. 『転々』

 二〇〇七年公開のなかなか興味深い映画です。大学八年生の学生(オダギリジョー)が借金取りの男(三浦友和)に脅かされて、吉祥寺から霞が関までの歩きに同行させられるというあまりドラマ性のないお話です。
 最近では「ゆるい系映画」というジャンルができつつあるみたいですが、この映画もその範疇に入るのだろうと思います。
 大学生が身寄りのない一人ぼっちで、借金取りの男が妻を殺して警視庁へ自首しに行くという設定も「ユル系」そのものです。4面映画・切り絵.jpg
 それで、二人はひたすら歩いていくのですが吉祥寺から霞が関まで結構な距離です。東京の無機的な風景の中であえて荒唐無稽な試みといった風情です。それでも途中で小泉今日子扮する女性のもとに転がり込んでしばし家族を味わうという展開も用意されています。かといってそのことがストーリー展開にどのような彩りを添えるのかといった点も明確にはなりません。
 最後には借金取りの男が通りの向こうへ去って行って、大学生が一人残されるところでおしまいになるのですが、確かな感動など残りません。「ああ、二人の旅が終わったな」といった感じです。
 とはいっても借金取りの男も大学生も人間味の表現においてなかなかのものです。コンクリートとアスファルトしか見えない東京では、二人のような意味のない行動をとる人間こそがわずかに残された「自然」の味ということになるのでしょう。
 「ゆるい系」というのはそうしたやりきれない逆説を秘めていると考えられます。ご購読はコチラ.pdf

次回の作品は、夭折の天才音楽家モーツアルトの謎に満ちた生涯を綴った『アマデウス』。
皇帝に仕える宮廷音楽家サリエリの前に出現した神童モーツアルト。その才能に羨望と嫉妬と憎悪が凄まじい復讐の罠となって物語は進行していきます。華やかな舞踏会と演奏会。人の心に潜む闇。アカデミー賞総なめの名作です。

80. 『日本の夜と霧』

 今では昔話になってしまいましたが、かつて一九六〇年代前後、学生運動が活発でした。大きなくくりでいえば戦後の左翼社会主義への傾斜と言えるのですが、一九六〇年の日米安保闘争、一九七〇年の全共闘運動に見られたのは、むしろ学生らしい純真な正義感のほとばしりでした。
 「日本の夜と霧」はこうした社会の動向と同時代的に制作された(一九六〇年)大島渚監督の問題作です。
 時代と社会に向き合って運動にの8面・映画・切り絵.jpgめり込んでいく若者たちの中には、主体的問題意識を見失ってしまって社会のうねりに呑み込まれて彷徨ってしまう者も出てきます。一方、運動を指導する大人たちの組織内にも許しがたい欺瞞性が潜んでいて若者の心を空しくさせてしまいます。いらだちを募らせた者の中には過激な暴力に走ろうとする者も出てきます。
 作品としての立ち位置は、運動の中で不可避に生じてしまうこうしたひずみ事象に直截に目を向けて、共に悩み合おうといったところです。
 大島監督としては、いずれ夜は明け必ず霧は晴れると言いたかったようなのですが、のちの時代経過を知っている現代のわれわれからすると、監督が本音として秘めていた若者の未熟性への懸念の方が次々と現実になっていったと言わなければならないように思われます。
 とうとう今では正義感にとらわれた若者が社会に向かって怒りをぶつけるという行為現象そのものが影をひそめてしまいました。それに伴って若者の純真も表面から見えなくなってしまいました。映画を通して改めて若者本来の熱い息吹を感じてみるのもよいでしょう。ご購読はコチラ.pdf

 次回は『転々』。藤田宣永原作によるコメディー映画です。
妻殺しを警視庁に自首しに行く訳あり中年男(三浦友和)が、百万円の報酬金で大学八年生の借金青年(オダギリ・ジョー)を散歩に付き合わせます。二人の東京散歩出発は、井の頭公園の橋の上から。淡々とした触れ合いや会話。過ぎた時間が愛しく感じられます。

79.  『ジキル博士とハイド氏』

「ジキル博士とハイド氏」はロバート・ルイス・スティーブンソンの小説の映画化で、日本では、スペンサー・トレイシー、イングリッド・バーグマン、ラナ・ターナーが出演した一九四一年制作版がよく知られています。
 秀才医学者のジキル博士が精神の分離の研究を進め、ついに自分を実験台として悪の面が表に出たハイド氏に変身することが可能になるという話です。
 今では「ジキルとハイド」と言えば二重人格の4面・映画・切り絵jpg.jpg説明としてあまりに有名ですが、一面から見ると二〇世紀の科学万能主義が行きつく先の皮肉なマイナスの部分を予言しているということもできます。
 ジキル博士の悪への変身、ハイド氏がアイヴィー(イングリッド・バーグマン)を愛してついには殺害してしまうのですが、当然のことながらこの事実についてジキル博士は責任をとりようがありません。間違いなく科学の最先端である精神分離の薬物効果から生じたこの事件についてその発明者であるジキル博士自身が統御できないという皮肉なのです。
 確かに心理学的にはだれの心にも隠された人格部分が存在し、二重人格、多重人格も実在しますからハイド氏への変身は願望と恐ろしさの両方の意味でわれわれをエキサイトさせるところがあります。
 しかし、本当にわれわれが考えなければならない問題は、科学者ジキル氏がその破滅的効果を予見しつつ、どうしてもそれを使いたくなってしまったという悪魔的な誘惑の部分なのではないかと思われるのです。ご購読はコチラ.pdf

次回は大島渚監督の『日本の夜と霧』。安保闘争を巡って運動方針の違いから空中分解を起こしていく学生運動。登場人物たちの激しい政治論争や、同志の失踪と死というミステリーをディスカッションに乗せて綴った作品。『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』でも描かれています。たった四日間で上映打ち切りになった?曰くつきの作品です。

78. 『誰も知らない』

 是枝裕和監督の作品で、二〇〇四年のカンヌ映画祭で主演の柳楽優弥が史上最年少の最優秀主演男優賞を獲得したことで話題になった映画です。
 一九八八年に東京で実際に起こった子ども置き去り事件が題材にされていて、母親と子供四人の家族でひっそり暮らしていたところから、突然、母親が失踪してしまって子どもたちだけで生き延びていくという悲惨が主軸になった物語です。
 もちろん映画の中では実4面・映画・切り絵.jpg際の事件は改変されているのですが、幼い子どもの事故死とか飢餓との戦いといった場面が何ともやりきれない思いをかき立てます。恐ろしいことにこうした映画の中の場面展開よりも、実際に起こった事実の方がもっと悲惨だったというのですから驚きです。
 確かに子どもの置き去りというのは親の扶養義務の放棄ですから責められて当然なのですが、二十一世紀に入って一層ひどくなってきた格差社会の厳しい現実を見つめてみると、映画のドラマが決して他人事とは思えない気持ちになるはずです。
 多少おおげさに過ぎるかもしれませんが、アメリカからの輸入によってはびこってきた個別主義や自己責任といった思想によって人間関係がバラバラになってしまったことが背景にあるように思えます。家族という関係性、そしてコミュニティという関係性はちゃんと機能しなくなってきてしまいました。
 たとえ人に囲まれ、共に生活していたとしても通い合いがなければ実は互いに孤立を生きるほかないのだということを考えさせられます。ご購読はコチラ.pdf

 次回は『ジキル博士とハイド氏』です。
人間の凶悪な性質は薬物の力で除去できるとの精神分離の学説を立て、日夜研究に没頭するジキル博士。そして正反対の、「善」を取り去り「悪」のみを残す薬剤を発見。博士自らが身体に宿る「悪」ハイド氏となって暴れ狂う。人として精神とは?
 善と悪について、考える機会になります。

77. 『殯の森(もがりのもり)』

 カンヌ映画祭での受賞もあって河瀬直美監督の力量を世界に知らしめた映画です。
 配偶者に先立たれて認知症に陥っている老人が農村と森を徘徊するのに若い女性が寄り添って同行するというのが始まりです。
 「殯(もがり)」というのはこの世の世界とあの世の世界の境界にあって人を特別な経験に導く場のことです。二人でひたすら彷徨い、やがて殯の場に導かれていくのですが、その映像進行の合間に農村の穏やかな光景、老人ホームですごす人々の豊かな表情が映し出されます。
 現代の4面.jpg高齢化社会のひずみを際立たせる狙いがあるのだろうと思いながら観ていきますが、時が進むにつれて老人と女性が本当の「殯」の場にたどり着いて平安を得るのを応援したくなります。老人の異常な問題行為というよりもその彷徨いが意味ある行為なのではないかと思えてくるのです。
 現代人の誰もが自分の行方を見定めるのが難しくなってきています。どのように死を迎えればよいのか、普通に生きていると思いこんでいる我々自身が確信を持てなくなってきています。
 生死の境界の場を文字通り一心不乱に探し回る老人の姿に、死にゆくことへのひたむきなこだわりを感じさせられると同時に生きていることへの意味深い執着すら感じさせられてくるのです。
 現代では生から死への過程は連続しない途切れた事象と受け止められるのが普通になってきています。そのことの不毛さを逆説的に問いかけているところにこの映画が話題作として受け止められた所以があると言えましょう。ご購読はコチラ.pdf

次回紹介の『誰も知らない』は、柳楽優弥を一躍有名にした作品です。
実際に起きた事件をモチーフに、母親に捨てられた4人の幼い兄妹が、アパートの一室で人知れず、生き抜いていこうと結束する姿を描いたドラマです。
虐待・育児放棄など大人の身勝手な行動の犠牲者は幼子たち。地域で見守り慈しむ。善意の力が必要ですね。

76. 『椿三十郎』

 黒澤作品のうち、ドラマ性という点ではとてもよくできた一九六二年公開映画です。
 藩の上層部の不正をただそうと血気にはやる若侍たちを素性怪しい浪人、椿三十郎(三船敏郎)が厳しく熱く導いて、ついにはその浪人の助けを借りて若者たちが体制の立て直しに成功するというお話です。
 最後の決起の刻(とき)の合図として屋敷から屋敷に流れる水路に真っ赤な椿が無数に浮かぶというのが「椿三十郎」の名前に重なるのですが、このクライマックスに運んでいくシナリオの仕掛けが心憎いばかりです。
 でも、今、この作品を見ていて感じることは、椿三十郎が自分の力を前面に押し出すことはしないで、あくまで加山雄三ら映画・切り絵.jpg演じる若者たちに手柄を立てさせるという点です。
 政、官、財のいずれにおいても実力者といわれる人たちは何とか自分がうまくやって得をしようと走るばかりです。周囲や若者に手柄を譲るなどというのはついぞ見なくなりました。ましてや三十郎ばりに現場で奮闘するとなると、たいていが見せかけのパフォーマンスで本気が迫ってくる感じなどありません。
 作品に戻ってみると、陰に回って助けてくれた三十郎に対して若者たちは体震わせながら感謝を捧げます。今の社会では手柄を譲る年配の実力者もいなくなったと同時に、たとえ功名を譲られても感謝をささげてくれる若者の姿もまた見えなくなってしまったのかもしれません。
 絆とかつながりといった言葉を耳触りよく使いますが、たいていが上滑りでどこからも本当を感じさせてもらえないのがやりきれないこの頃です。ご購読はコチラ.pdf

 次回は『殯(もがり)の森』。舞台は奈良県東部の山間地。自然豊かな山里の旧家を改装したグループホーム。お互いに愛する家族を失った認知症の老人と女性介護士との交流を描いています。
 監督は『玄牝』や『沙羅双樹』の河瀬夏美。カンヌ国際映画祭で審査員特別大賞を受賞した作品です。
人間の生と死を静かに見つめています

川上範夫
(財)関西カウンセリングセンター常務理事、奈良女子大文学部教授、愛知みずほ大学非常勤講師を歴任。「カウンセリングは心を豊かにすることで人生を前向きにするもの。名作映画も心を豊かにして人生を前向きにさせてくれる。そういう重なる所があるんです。映画の愉しみ方だけではなく、味わい方、見ることがどんな心の体験になるのかをご案内できたらと思っています」インタビューへ

伊藤眞知子
連載を企画、次回映画のタイトルを紹介。「心理カウンセラーの切り口で名作映画から何かを感じル事ができたら素敵だと思いました。自分を見つめる時間にしてもらえたら嬉しいですね」

小掠 聡(95まで)
兵庫県西宮市のちょっと個性的な古民家に、犬2匹と猫3匹、パイプオルガン奏者の良きパートナー朋子さんと共に暮らす、物静かで感性豊かな、スラリとしたイケ面の芸術家(伊藤眞知子氏)。イラストレーションとデザインの事務所を経営している。音楽大楽の作曲家を卒業後、舞台音楽などを手掛け、その後民間の動物保護施設に勤務。

大和千代司(96から)
岡崎市大樹寺在住。トヨタ系の自動車会社で設計、事務、外注など様々な仕事をこなしてきた人。定年退職後に趣味としてボールペンで草花などを描き始め、中日文化センターで本格的に習い始めた。色紙やスケッチブックに向かって1回に2時間ほど集中して描いている。

生き生きした関係とり戻そう 九州産業大特任教授 川上範夫さん

 当紙で『カウンセラーから見た映画の愉しみ方』を連載してくれている臨床心理カウンセラーの川上範夫さんが、この春『ウィニコットがひらく豊かな心理臨床〜ほどよい関係性に基づく実践体験論〜』を出版した。子どもやお年寄りの世話に悩んでいる人、また、日本がどこかおかしくなったと感じている人にも読んで欲しい本だ。 


4面・川上先生・写真.jpg新見記者 今回出された本はどのような内容でしょうか。 

川上さん これは子どもやお年寄りの世話をする人、治療する人、人間関係でつながりたい人のための本です。まず、私がどのような考えでカウンセラーをしているか、どのように人に関わっているかを紹介し、そして、イギリスの精神分析の小児科医ウィニコットのことを紹介して、次に、どのようにカウンセリングをしたら良いか書いてます。それから、現代の家族関係や社会関係がどうなっているかも紹介してます。

新見 本のサブタイトルにもあるように「関係」がテーマですね。

川上 例えば、赤ちゃんはお腹がすいてるからおっぱいを飲み、それに満足し、学習しておっぱいを飲めるようになると言われてきました。欲望を満足するために経験していくという考え方です。でもウィニコットさんは「それは違う」と言います。赤ちゃんは乳首をくわえさせられても飲むとは限らない。そのとき呼吸をしてゴクッとのみ込んで、それが記憶となり、飲めるようになるわけです。関係することから始まり、関係が上手くいけば発達するし、上手くいかなかったら発達しないという考え方です。発達障害の人がうろうろ動き回るのも、欲求不満だからでなく、世の中とどう関わったらよいか分からないからなんです。

新見 社会的な関係の体験が必要なわけですね。
4面・本の写真.jpg
川上 そうです。当然、治療のアプローチも変わってくる。「発達障害は欲求不満だからうろうろする」という従来の考え方では、満足させてあげないといけなかった。でも、発達障害の人は満足させればさせるほどエスカレートします。関係が上手くいかないのですから、満足させられたら「もっとやっていい」と思ってしまうんです。社会的な体験をさせてあげないといけない。
 リストカットする人を例にあげましょう。欲求不満や不安だから手首を切るのなら、満足させてあげないといけません。でも、満足させても「虚しい」と言う。恋人がいても虚しい。関係の虚しさなんです。関係が充実していない、関係が生き生きしていないんですね。20世紀には、人間は満足していないから不幸なんだという考え方がありましたが、今では、関係体験が行われていないから不幸になると考えています。その決定的な違いを、この本では素朴な言い方で説明しています。
 話が飛びますが、お年寄りの痴呆が進まないために一番大切なことも関係することなんです。話しかける、誰かが一緒にいる、食事の時間を一緒に過ごす、こういうことが痴呆の進行を遅くします。場合によっては回復もさせます。

個性を自殺し周囲と付き合う悲しい時代

新見 若者はどうでしょう。

川上 若者も深刻な状況にありますよ。「便所メシ」という言葉を知っていますか。便所で飯を食べるんです。普通はそれを「人の目が気になるから便所で食べるんだな」と思うでしょ。それはとんでもない間違いで、一緒にご飯を食べてくれる人が居ないという姿を見られたくないからトイレで食べるんです。つまり彼らは関係をどうやって保持するかに汲々としている。
 若い人たちが飲み屋で異様に盛り上がるのも、仲間だというふりをするのに一生懸命なんです。世の中が守りの体制になり、会社も組織も停滞している。若者はそこに自分が居続けられるだろうかと不安なんです。頑張ったり個性を発揮したりするのでなく、自分をできるだけ抑えて周りとうまく付き合って居心地よく居させて貰うようになってきた。就職活動でも、邪魔にならない自分を演じるよう指導される。つまり世の中の仕組みが変わってしまったんですね。個性の自殺に失敗した人はみんな問題児になってしまう。世の中が悲しい状態になりましたね。だから、何とかして関係を生き生きさせてはどうか、生き生きさせないと日本の将来はないぞ、というメッセージをこの本に込めました。

新見 日本は何故こうなってしまったんでしょう。

川上 バブル崩壊があった。阪神淡路大震災があった。近年ではリーマンショックもあった。希望よりも現状維持が目標になってきたことが大きいのでしょう。さらに東日本大震災でみんな「いつどんな不幸に襲われるかわからない」と思ってしまった。原発事故で「どれだけ騙され、嘘をつかれ、酷い目に遭うかも知れない」とも思ってしまった。だから若者には希望がありません。希望が無いから自殺してしまう。希望がないところでせめてみんなと一緒に居たいと思っているのに、受け入れられなかったらどうしようと思うから、便所メシになるんです。

新見 何が大事になってくるのでしょう。

川上 大事な概念は、生き生きしているか、感動できているかどうかです。悲しいことがあっても、ちゃんと悲しがっていれば不幸せではない。精神的な病の症状を持っていても、その症状を生き生きと体験できていたら不幸せではないんです。実際に私の患者さんが「症状は治らないけど先生のところに来てよかった。生きて行きやすくなった」と言います。症状を遊べる、個性を遊べる、不幸を遊べる。人に「つらい、つらい」と言って遊べていたら、なんとか持ちこたえられると思う。遊べるというのは、柔軟に生きていける、しぶとく生きていけるという事にもつながります。それが今の時代に一番大事なことじゃないかな。人間社会はこれまで、便利になれば幸せだ、強くなれば偉いという方向できましたが、それだけでは通用しない時代が来たのだと思います。その末期的な姿が携帯電話やインターネットでしょうね。あまりにも道具や情報があふれ、それ無しには居られなくなっている。いつの間にか道具にのみ込まれていますよね。機械と折り合うことに精一杯で、人間と折り合うことを忘れてしまった。せめて、生き生きと交流するための道具として使えないでしょうかね。

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