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バレエ人生50年邁進記 ドンキホーテと呼ばれて(改題しました)

豊田バレエ学校校長 諏訪 等

新連載INTERVIEW 豊田バレエ学校校長 諏訪等さん

自身のバレエ歴50年を振り返る

2-諏訪さん.jpg2-諏訪さん.jpg 豊田バレエ学校の校長を務める諏訪等さんのエッセイが、今号からスタートする。その半生をバレエに捧げ、豊田市のバレエ文化へ多大な貢献をしている人物だ。連載にあたってお話を聴いた。【文責・川原良介】

 ──バレエとの出会いは。

諏訪 16歳の頃、映画の影響でミュージカルダンサーの募集を受けたんですが、そこで出会ったのがバレエでした。当時のダンサーは女性ばかりで、美人が多くて良いなあ、なんて思っていましたよ。でも続けている内にバレエの魅力に引き込まれ、最終的に在籍していた東京バレエ団では年間100回以上の公演のほか、海外でのダンスも経験させてもらいました。

 ──東京バレエ団を退団した理由は。

諏訪 父が亡くなり、その後継ぎとして東京バレエ団を退団、帰郷しました。父は生前から百姓を継がせる気でしたが、私はバレエへの思いが強く、バレエスタジオをはじめたんです。

 ──それが今の豊田バレエ学校ですね。

諏訪 はい。バレエ文化は理解され難いですが、毎年の定期発表や海外交流を続けてきました。その結果、交流のあるロシアからチャイコフスキーの称号をいただくこともできました。

 ──日本・豊田のバレエ文化をどう見ますか。

諏訪 バレエの先進国では、ダンサーは公演での収入はもちろん、現役引退後に恩給がつきます。豊田に限らず日本ではダンサーの受け皿が小さすぎますね。バレエで生活できる環境を育てるため、交流国や企業への働きかけを続けていきます。

──東京バレエ団に在籍していた頃、どのような生活を送っていましたか。

諏訪 生活は本当にバレエ一色でしたね。なにしろ国内だけでも年間100回以上、それに加えて海外での公演も行うんですから。その生活を約6年続けました。国内でもこれだけの数の公演を行った人は少ないのではないかと思います。

──豊田市に帰ってきてからの生活は。

諏訪 こちらに帰ってきてからは、学校で年に1度開催する定期発表会や洋舞合同祭、海外での交流公演などで踊りました。いまでは、バレエの指導者として有意義な生活を送っています。

──バレエ学校の校長としての気持ちをお聞かせください。

諏訪 豊田バレエ学校では通信制を取り入れ、バレエに打ち込みながら高校卒業の資格を取ることができますが、問題になるのは生徒達の進路です。優秀な人材は学校で講師として雇うことができます。しかしバレエに関わりながら生活することは難しい。行政や企業が芸術文化を支える土台作りをし、多くのダンサーが公演する場を整えてほしいですね。

──豊田のバレエ文化発展のため、諏訪さんが取り組んでいることを教えてください。

諏訪 大きなものだと今年9月に豊田全国バレエコンクールを開催します。バレエを志す若者同士が交流する場をつくり、世界中の各コンクールへの出場を応援しようというもので、全国・世界から約100人の若手ダンサーが参加する予定です。でもここはまだスタートライン。2回目からは海外で開催して、バレエのまち豊田の名前を世界中にPRしていきたいと思っています。ご購読は