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 毎週金曜日発行。月極め¥1200{送料込み・税別)申込はLinkIcon 印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

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文と絵・阿部夏丸作家)

120. あっ、いいことがある!           2014.12.05

4面・ぽんつ挿絵.jpg 今、出版社に依頼され、『トムソーヤの冒険』を書いている。これは有名なアメリカ文学だが、200年も昔の話なので、翻訳では文章も硬く、子どもには読みづらい。そこで、読みやすく夏丸風にアレンジして欲しいということだ。

 トムのイメージとして、一人の少年が頭に浮かんだ。いつも一緒に遊んでいる一年生のT君だ。実際のトムはもっと年上なのだが、今の日本ではその歳になると、子どもらしさが薄れてしまう。「海賊になって、大人たちを驚かせてやる」などという考えや、根拠のない自信は、低学年までのものだ。そんな意味で、T君をひそかにモデルにしてやろうと考えた。

 Tくんは、ふたごの妹を持つ5人兄弟の長男だ。とても元気な少年で、子どもらしくシャイなところがいい。理科や図工が好きでとてもよくものを考える。一緒に遊んでいると、突然、手を止める瞬間がある。こんな時、彼は何かを考えているのだ。そして彼はいう。「あっ、いいことがある!」

 このひらめきがいつも面白いのである。

 先月、畑で野菜を収穫するT君の家族に会った。車を停めて近寄ると、T君を先頭に子供たちが集まってきた。全員、はだしで泥だらけだ。

「なつまるさ〜ん、魚とりしよう」

「お手伝いはいいのか?」

「いいの、いいの」

 彼は畑のまわりを熟知している。カエルの居場所からクモの巣のありかまで。当然、メダカやドジョウをとることなど朝飯前。狭い水路の中で、いとも簡単に小魚をつかまえてきた。

「すごいな、たいしたもんだ」

 僕が感心していると、Tくんがいった。

「あっ、いいことがある!」

 そして彼は、畑の脇にあった竹を組んでやぐらを作り、3メートルもある雨どいを立てかけた。そして、雨どいの下にタライを置いた。

「何だか分かる?」

「さあ? 流しそうめんみたいだけど?」

「ううん、流しメダカ〜、流しドジョウ〜!」

 雨どいを流れていく小魚を見て、僕は腹を抱えて笑った。負けた。何十年も魚と遊んだつもりだが、こんな遊びは考えたこともなかった。

 やっぱり子どもは面白い。ややこしい大人と話すより、自由な子どもと無邪気に遊ぶほうがほうが、十倍楽しいし、小説家のぼくには百倍ためになるのである。ご購読はコチラ.pdf

119. 44年ぶりのヤリタナゴ           2014.11.07

4面・ぽんつ・イラスト.jpg どんな子どもにも良いところがあるように、どんな川にも良いところがある。そういい始めて10年以上が経つ。

 あれが悪い、これが悪いと文句をいったところで、いっこうに川が良くなる気配はないし、知ったような顔をして川を議論するのも嫌だ。だから、暇さえあれば、どんなドブ川でものぞくし、釣り糸をたれるのである。

 2週間ほど前、矢作川研究所のY君から川の調査に誘われた。 「で、どこの川に行くの?」 「○○川ですけど。どうやらヤリタナゴがいるらしいんです」 ○○川といえば、一時は工場排水と生活排水で、水質が劣悪になった。若いころ、釣れる魚がすべて穴あき病でうんざりした記憶がある。果たして、そんな川が復活し、準絶滅危惧種のヤリタナゴが棲めるようになったのだろうか? 「まさか…、ガセじゃないの?」 「梅村先生と、光岡先生に聞いたんですけど」

 お二人は豊田市内の淡水魚に関して生き字引ともいえる重鎮。疑うわけにはいかない。

 さっそく○○川へ車を走らせた。 「う〜ん、本当にここにいるのかな?」

 泥濁りの農業廃水がドボドボと土管から流れ落ち、堰堤の下には生活排水の泡が水面に浮かんでいる。しかし、やってみないことには分からない。僕たちはすぐに、魚採りを始めた

 結局、2時間ほどの調査でオイカワ、ヨシノボリ、タモロコ、カマツカ、クロメダカなどを捕獲した。中には1匹、Y君が投網で採取したヤリタナゴも混じっている。

「やったね、Y君」

「豊田市内では初めて捕りましたよ」

 確かに、豊田市内でこの魚に出会うのは難しい。1匹とはいえ大きな収穫だった。

 翌日、僕はまた○○川に出掛けた。昨日はアミ、今日は釣り。しつこい性格なのである。あの手この手で魚を追いかけてこそ、川の性格や魚の暮らしぶりは見えてくるのだ。

 そして、オイカワとタモロコの入れ食いの後に、1匹のヤリタナゴを釣り上げた。

「うはぁ、本当に釣れちゃったよ」

 タナゴはよく釣るが、豊田市内でヤリタナゴを釣ったのは、小学生のとき以来。44年ぶりのことである。魚を乗せた手のひらが震えた。

これは奇跡だ。人の手垢にまみれた川でも、自然はちゃんと奇跡を見せてくれるのである。ご購読はコチラ.pdf

118. 浜辺のスタンドバイミー           2014.10.03

4面・ぽんつ挿絵.jpg 夏の余韻に浸る間もなく秋の到来。センチメンタルな気持ちで、夏の思い出を一つ。 東幡豆のトンボロ干潟で、トヨタ労組のイベントを行った。このイベントは干潟の生きもの観察をしながら、体験を通して自然や命のつながり考えるというもので、もう数年間続けている。

 干潟で生きもの観察を行い、お弁当を食べ、コンサートを見た後、浜辺のゴミ拾いとなる。なかなかタイトなスケジュールだが、参加者は熱心で、イベントは予定通り進行していった。

 ところが、ゴミ拾いの前だった。地元の人から、数百メートル先の浜にスナメリの死体が打ち上げられているという情報が耳に入った。

 「ううっ、見たい」というか、「子どもたちに見せたい」。スナメリといえば、世界最小のクジラだ。見に行かない手はない。しかし、イベントには、スケジュールというものがある…。 悩みはしたが、結局決断。 「おーい、ゴミ拾い終了。実は向こうにスナメリの死体があるんだけど、みんな見たい?」

 スナメリに食いつき目を輝かせる子もいれば、死体という言葉に引き気味の子もいた。

 「よし、分かった。スナメリと言っても死体だからな。見たいという人だけで見に行こう」

 子どもの気持ちを考えた上でそういったのだが、結局、大人も子どもも、みんなついてきた。

 「ス〜ナメリ、ス〜ナメリ」

 誰かの歌声で、テンションが上がりだす。死体を見るための行列とは愉快だ。つい、不朽の名作、スタンドバイミーを思い出した。

 「ス〜ナメリ、ス〜ナメリ、あっ、あれだ」

 数人の子どもが走り出したが、僕はみんなと一緒にスナメリのもとに向かった。

 「ああ…、これ…」

 出たのはため息だけだった。白くて可愛いはずのスナメリは腐敗して黒ずみ、ゴムまりのように膨れ上がっていた。その上、かなりの腐臭が漂う。連れてこないほうがよかったかなぁ?

 しかし、どの親子も、真剣な顔で死体を見つめていた。かわいそうだねと手を合わせる親子もいれば、勇気を出して死体を棒で突っつく小学生もいる。そこには、生きもの観察のような笑顔はないが、誰もがいい目をしていた。

 帰りぎわ、あるお父さんが言った。

 「生き物もいいけど、死体もいいね。だって、死体のほうが子どもは命を考える」

 ありがとうお父さん。まさに、その通りだ。ご購読はコチラ.pdf

117. 今年もモクズガニは旨かった           2014.09.05

4面・ぽんつ挿絵.jpg 8月の終わりにテレビの撮影を行った。CBCの「イッポウ」という番組(9月5日放送予定)である。テレビの撮影はわがままなことを言うので普段は断るのだが、今回はお受けした。理由は、まず、スタッフが川や魚(釣り)が好きだったこと。もう一つは、「撮影のときは、皆さんも遊んでいってくださいね」といったら「はい、楽しみです」と即座に返してくれたことだ。

 作り手が楽しまなければ、楽しい作品は生まれないというのが僕の持論。結局、彼らはたった10分の映像を撮るために4日も矢作川へ足を運んでくれたのである。

 当初の計画は、矢作川の下流域で子どもたちと一緒に雑魚を山ほど捕ることだった。ところが、連日、本流は増水状態。これでは、魚とりどころではない。子どもが流されてしまう。仕方なく、撮影は籠川との合流点とあいなった。

 当日、名古屋から来てくれたのは、美人リポーターのMさんと、3人の小学生。3人は都会育ちで川遊びは初めてだという。まずは、横目で子ども観察。彼らも怪しい風貌の僕を観察している。僕と同じでシャイなやつらだ

「まず、箱メガネで川をのぞこうか」

「あっ、魚だ。魚がいる!」

「すごい、すごい!」

 ヨシノボリ1匹でこんなに喜んでくれるのだから嬉しい。この感覚を忘れてはいけない。

「釣るか?」

「釣れるの?」

「今日は、この川の魚を全部釣らせてやる」

 それからは、あの手この手で雑魚と遊んだ。僕の役割は、彼らに魚をいっぱい捕ってもらい、それを食べて笑顔になってもらうことだけだ。矢作川の実力は大したもので、オイカワ、カマツカ、モロコにドジョウ、ウグイにコイ、フナ、テナガエビと、次から次へ獲物が捕れた。

 昼食タイムは雑魚尽くし。唐揚げも旨ければ、エビせんべいも旨かった。驚くほど美味だったのがモクズガニの味噌。

「うちの子、頭のついた魚もカニ味噌も食べれなかったのに…」と、お母さんも驚いた。

 気がつけば、ディレクターのSさんが釣りをしている。リポーターのMさんは濡れた石の上に座り、ADは箱メガネに夢中だ。対岸ではカメラマンが、ガサガサでナマズを仕留めた。

 なんか、いいよなぁ。矢作川に感謝。すべて、いい川があってこその遊びである。ご購読はコチラ.pdf

116. 夜のテナガエビすくい               2014.08.01

4面・ぽんつ・挿絵.jpg 友人のY君とU君を連れて、矢作川の下流へテナガエビ捕りに行った。U君はエビ捕りが初めてだという。

 「捕れますかねえ…」というU君に、僕は「最低でも50匹は捕ってもらわないとね」とプレッシャーをかけた。

 「50なんて、無理ですよ」

 「だって、来週行う川遊びのイベントには130人の参加者がいるんだぜ。一人2匹食べてもらう計算だと、260匹が必要になる。そのうちの50匹、いや60匹がU君のノルマだな」

 「ろ、60ですか?」

 もちろん冗談だ。見つけたエビをすくい捕るのは、見た目よりも難しい。エビは光を当てると逃げ出すし、障害物のある場所を好むので、慣れるまでは捕り逃がすことが多い。初心者なら10匹も捕れば上等だと思っていいだろう。

 空が真っ暗になったころ、僕たちは川へと下りた。懐中電灯で川の中をぼんやり照らすと、いくつものエビの目が赤く光って見えた。

 「おっ、いるいる。今日は捕れそうだ」

 僕たちは散らばって、物も言わずにエビ捕りに興じた。夜の川は面白い。エビのほかにも色々いる。半分寝ているオイカワやヨシノボリ、浅瀬で背中を出してエサを食むコイがいれば、石の影からぬっと顔を出すウナギもいる。

 「おっ、ドンコだ!

 絶滅危惧種も夜遊びが好きらしい。

 小一時間もたつと僕のバケツには30匹ほどのテナガエビが納まった。

「Y君、調子はどう?」

「ぼちぼちですね。Uさんは、あっちのほうで、ずっと一人で捕ってますよ」

「U君って、魚とりとか好きだったっけ?」

「さあ? でも、夜の川に来るのをすっごい楽しみにしていたし、仕事のストレスとか、いろいろあるんじゃないですか。あはははっ」

100mも離れたところにU君はいた。くるぶしの辺りまで川に入り、懐中電灯で照らした流れの中を真剣な顔でにらんでいる。彼との付き合いは長いが、いつもニコニコ、ヘラヘラとしていて、こんな真顔は見たことがない。

 「どう? 捕れた?」

 「へへへっ」

 差し出すバケツの中には、大きなテナガエビが20匹以上。得意げな顔でU君が言った。

 「いやぁ、面白い。癖になりそう。もう一晩くれば、ノルマの60も捕れそうです!」ご購読はコチラ.pdf

115. 肝だめしくらいやらせろよ              2014.07.04

4面・ぽんつ挿絵.jpg 僕が小中学校の頃、夏のキャンプでのメインイベントといえば、みんなでやる肝だめしだった。小学校では学校の先生、中学校では実行委員などがお化け役になり、子供だましの肝だめしを行うのだが、それが結構楽しかった。驚かす方にも演技はいるが、驚かされる方も役者ぞろいだ。「おらぁ、平気だもんね」と強さをアピールする男子がいれば、ここぞとばかりに「きゃ〜、だめ〜」と可愛さをアピールする女子もいる。こうした特別な場所、非日常の中でこそ生まれる仲間意識や連帯感もあるのだと僕は思っている。

 ところが、顔見知りの小学生によると、最近、豊田市内のあちらこちらの小中学校で、この肝だめしが中止になっているという。
 「学校にクレームが入ったんだってさ、うちの子が怖がりになったらどうするんだっていう」
 「意味わかんね〜し」
 「だろ、怖がるから肝だめしは面白いのにさ」

 怖がるから面白いという少年が正しい。同時に、深い闇は怖がるべきモノなのである。

 昔と違い、仏間やトイレにも蛍光灯が灯る時代になった。コンビニの看板は一晩中つきっぱなし、夜の道にもおせっかいなほどに街灯が灯っている。もう、昔のような闇は身近にない。確かに便利で安全なのかもしれないが、人は闇と同時に、そこに棲んでいた大切なものを失ったような気がする。それが、お化けや妖怪だ。

 ばかばかしいと笑ってはいけない。お化けや妖怪は、大昔から闇を恐れて生きてきた人が想像力によって生み出したものだからだ。そして人は同じ力で神や仏を生み出した。これらは一対、闇と光は共になくてはならないものだ。

 今、子どもたちに一番足りないのは、闇と対峙する時間だと思う。闇を前にするだけで、子どもの想像力は驚くほど広がる。子どもに闇を与えぬ行為は、子どもから想像力ばかりか、神を奪う行為に等しいと僕は思うのである。

 てなわけで、今年の夏は新しい遊びを考えてみた。上郷交流館で近々行う予定の、夜の生きものさがしだ。お父さんと二人で懐中電灯片手に夜の林を歩くのだ。環境講座という建て前だが、ある意味、これは肝だめし。カブトムシやクワガタなど、採れなくてもいいと思っている。普段、テレビの前で偉そうにしている子どもが、闇を前にして恐れおののき、目をきょろつかせ、お父さんの手をぎゅっと握り締めたら、この観察会は大成功だと僕は考えているのである。ご購読はコチラ.pdf

114. 正義の味方は恐ろしい                2014.06.06

4面・ぽんつ・絵.jpg 先日、近所のひょうたん池に魚を釣りにいった。ねらいはギンブナ。ところが釣れてくるのは色白のヘラブナばかりだった。おいおい、この池どうなっちゃったんだ?

 あきらめかけて竿を畳もうとすると、投網を持ったオヤジがやってきた。
(おや、投網とは珍しい)

 興味津々で見ていると、オヤジはザボンッと投網を投げ込んだ。へたくそな投網は開きもしなかったが、僕はオヤジの行動に興味を抱いた。
「何が捕れるんですか?」

 優しく話しかけたつもりなのだが、オヤジは敵意むき出しで答えた。
「何だ貴様は。俺はブラックバスとブルーギルを駆除してるんだ。いくらヘラブナを放流してもバスが食っちまう。だからボランティアで駆除をしているんだ。文句があるか?」

 茶髪にアロハシャツの僕を見て、おそらくバス釣り愛好家と勘違いしたのだろう。しかし、笑えない。久しぶりに腹が立ってきた。

 第一、ヘラブナという魚は金魚と同じ改良種で、バスやギル同様、自然の魚ではないのだ。

「あのぉ、ヘラブナもバスと同じで、決して守るべき魚ではないんですけど」

「何にも知らんくせに。それにルアーをやる若い奴は、ゴミを捨てるし、マナーを知らん!」

「僕が知る限り、ゴミを捨てるのは若者より年配の方ですよ。それより、釣りをしている真横に投網を投げるほうがマナー違反じゃないか」

「黙れ! 俺は自然やみんなのことを考えてやってるんだ。一昨年だって安全のため、公園課にルアー釣り禁止の看板を立てさせたんだ。誰かにクレームをつけられて、外されたけど」

「あっ、その看板下げさせたの僕ですけど」

「ばかやろう、お前みたいな奴がいるから、魚がどんどんいなくなるんだ!」

 どうして分からないんだろう。ハリが危険という理由でルアー釣りを禁止したら、同じハリを使うヘラブナ釣りだってやがては禁止される可能性がある。そしたら、誰も水辺で遊べなくなってしまうじゃないか。僕は見知らぬオヤジと30分も口論をし、どっと疲れてしまった。

 外来生物駆除の問題、コイやホタルの放流の問題、サクラや彼岸花の植樹、植え付けの問題。さらにはEM菌まで。様々な自然保護活動に対し、それぞれ一生懸命なのは分かるのだが、誰もが正義は自分にあると思い込んでいるところが、なんだかとても恐ろしい。ご購読はコチラ.pdf

113. 夏は楽しく磯遊び                  2014.05.02

ぽんつ絵・アメフラシ.jpg三重県の志摩半島で磯遊びをした。

『磯遊び』を辞書で調べると、3月3日の節句の日に女性が海辺に出て遊ぶ行事で、重箱に詰めたご馳走を楽しんだりするものとある。日本各地だけではなく中国にも残っているというこの磯遊びという習慣は、本来、「みそぎ」を意味する女性だけの行事のようである。

 とはいえ、今回、僕と一緒に出かけたのは、汗臭い男が3人と少年が一人。食事をするわけでも、みそぎをするわけでもなく、ただただ磯の生きものを捕まえては観察しまくるという、楽しくも罰当たりな遊びなのである。

 干潮時間に合わせて磯に行くと、露出した岩にはフジツボやカメノテが付いていた。

 「おっ、大きくて、旨そうだな」
 「え〜っ、こんなの食べれるの?」

 カメノテは貝のようだが甲殻類で、茹でて食べると、ちゃんとカニに似た味がする。

 磯だまりを覗いてみると、かさこそ動くカニやヤドカリなど、不思議な生きものが一杯いた。

 「僕知ってるよ。こいつはヒトデとウニだ」

 ヒトデやウニは、絵本やゲームにも登場するので、小学生のAくんでもちゃんと知っている。

 「でも、何の予備知識もなしにこれを見たら、驚くと思わないか? 星の形に栗の毬だぜ」

 「うん、確かに」

 知ってると思うことは、時に驚きや感動、そして発見の敵になる。

 「水槽に入れて、よ〜く見てみろよ」

「ああっ、歩いた。ヒトデが小さな足で歩いてる。足の先が吸盤みたいだ。ええっ、ウニも動いてる。おれさ、ウニは歩かないと思ってた」

 興奮したAくんは、その後、いろんな生きものを見つけては、興味深く眺め続けた。

 「イソギンチャクは、触るとシュッて引っ込むんだ。それでね、水から出ているやつは、触るとピュッて水を噴く。んっ、これ何だ?」

 Aくんが見つけたのは、オレンジ色の海そうめん。アメフラシの卵だ。

「ほら、こいつが、アメフラシ。持って見ろ」

「うひゃっ、ぬめぬめしてて、キモッ」

 そういいながらも、嬉しそうだ。

 「これでも貝の仲間だ。貝殻は体の中にあるんだぜ、ほら、もっと揉むように触ってごらん」

「あっ、本当だ。コリコリしてる…、えっ、えええっ、ギャッ、血がでたぁ!」

 血ではない。アメフラシは危険を感じると紫色の液を出すのだ。見るものすべてが面白い。海に出掛けたら、ぜひ、磯をのぞいてみよう。ご購読はコチラ.pdf

112. そんなことより大切なもの              2014.04.04

 われらが4面・ぽんつ・絵.jpg矢作川水族館は、軽トラ水族館を所有している。軽トラの荷台に棚と水槽を載せただけのものだが、これが意外と面白い。決して珍しい魚を入れるわけではないのに、あっという間に人だかりができるのだ。この当たり前の魚を入れるのが、現代のトレンドであり、環境意識をくすぐる仕掛け。目の前の川にいる魚を見せて『その川に関心を持ってもらうこと』。また『この川で魚とりをしてみたいと思ってもらうこと』が、軽トラ水族館の目的なのである。

 このスタイルは技術も資金もかからないので、全国で流行らないかなと思い、雑誌に掲載したりネットで発信したりした。矢作川発信の軽トラ水族館が全国展開すれば愉快ではないか。噂によると、ちょこちょこ流行っているようである。

 そんな折、大阪の高槻市にある「あくあぴあ芥川」という博物館から電話が入った。施設に常設の水族館はあるのだが、多くの市民に魚を見てもらいたいので、移動水族館をやりたいのだという。ネットで検索すると、「あくあぴあ」は芥川の脇に建つ立派な建物だった。14年落ちの激安軽トラを駆る我々が、お話しすることがあるのかしらん? そうは思ったが、川に関わる人にはぜひ会ってみたい。後日、矢作川研究所で仲間と一緒にお会いする約束をした。

 わざわざ豊田まで来てくれたのは、中村さんと花崎君という若い水族館担当者だった。花崎君は到着早々、軽トラに載せた棚の構造をしげしげと観察。そして、「水や水槽はどうやって運ぶんですか?」「魚はどうやって?」とリアルな質問した。彼の目を見れば、本気度がすぐに分かる。僕たちは嬉しくなって、コーヒーをのみながら3時間も話をしてしまった。

 中村さんは元気な女性で「身近な自然と生きものの面白さを、より多くの子どもたちに伝えたい。そのスタンスは、矢作川水族館と同じだ」といってくれた。なんだか嬉しい。

「観察会のとき、子どもが魚を持って帰りたいというんですが、どうしてますか?」

「そんなの、好きにさせてるよ」

「家で魚が、死んだりしません?」

「死ぬのは生きてる証拠。死ぬのを見るのも大事な観察だよ。君たちだって、いっぱい魚を殺してきたはずだ。でも、魚が大好きだろ。いいかい、『命を大切に』なんてくそくらえだ」

彼らは、痛快だと笑い、うなずいた。 そんなことより大切なものがあるから、僕たちは川遊びをし、移動水族館をやるのである。ご購読はコチラ.pdf

111. オオサンショウウオの赤ちゃん              2014.03.07

5面・ぽんつ倶楽部・挿絵.jpg先日、講演の依頼を受け、久しぶりに京都へ行った。会場には若いお母さんから、かなりベテランのお母さんまで、ざっと100人ほどが集まっていた。中には男性や子どももちらほらと見える。外はみぞれ交じりだが会場は暖かく、僕は汗をかきながら90分間たっぷりと川と子どもの話をした。

 講演終了後、小学生のA君が目玉をキラキラさせて駆け寄ってきた。

「どうした?」

「話を聞いていたら、川に行きたくなった」

「そうか、行きたいよな。で、今日は学校は?」

 少年の後ろに立ったお母さんが言った。

「この子が来たいって言うから、休ませました。担任の先生も、ぜひ行ってらっしゃいって。この子、夏丸さんの本の大ファンなんですよ」

「へ〜ッ、君は本を読むのが好きなんだ」

「ううん、読書より魚とりがすき」

「あははっ、それじゃ、僕と一緒だ」

 僕のファンにはこんな子が多い。読書が好きなわけではなく、魚や生き物が好きだから僕の本につい手を伸ばす。するとA君が、ポケットから数枚の写真をとり出した。

「おっ、オオサンショウウオじゃん。それもこんなにいっぱい。どうしたんだ?」

「9月の台風で、桂川の水が溢れたでしょ」

「ああ、それならテレビで見たよ」

「あのあと、河原に水溜りがいっぱい出来て、そこにコイツがいっぱいいたんだ。ほっとくと干からびちゃいそうだったから、全部捕まえて川に戻してやったんだ」

「すごいなぁ、何匹もいる。えっ、これ、赤ちゃんじゃん。俺もオオサンショウウオは何度も見たけどさ、こんな風に赤ちゃんを見たことはないんだよな。いいなぁ、マジで、悔しい!」

 僕の悔しがる顔を見て、少年は実に満足そうに笑った。お母さんが言った。

「本当に悔しそうですね」

「だって、本当だもん」

 悔しいときは、悔しいと言うのが僕の流儀。オオサンショウウオの救出劇を褒めれば、少年の感動が台無しになる気がした。

「なあ、A君。また来年も台風で川が溢れないかと思ってるだろう」

「うん」

「その時は電話をくれ。すぐ飛んでくるから」

おそらく、台風までは待ちきれない。春になったら、彼の秘密の基地がある桂川で遊ぼう。ご購読はコチラ.pdf

110.  矢作川水族館の魚とり                  2014.02.07

4面・ぽんつ挿絵.jpg 矢作川研究所のシンポジウムに、仲間とやっている市民団体・矢作川水族館が水槽展示をすることになった。野外展示では軽トラの荷台を使うのだが、今回は室内だ。少々おしゃれに展示しようと思った。テーブルに直接水槽を並べてもいいのだが、それでは理科室のようで味気ない。そこで水槽器材がまるごと隠れ、水族館のように窓から水槽の中身だけが見えるBOXを作ることにした。ひと手間かけるのが我々の流儀なのである。

 一週間前に図面を引いた。2階の会場まで搬入することを考えると大きな水槽は難しい。何しろ、水槽も水も重いのだ。そこで35センチ水槽を8つ納めるBOXを作ることにした。材料は安価なコンパネ。合板もオイルステインを塗れば格好良くなる。

 一日がかりでBOXが完成したのは、シンポジウムの4日前だった。あと3日で水槽に入れる魚を捕獲しなければならない。大丈夫か?

 普通ならここでじたばたするのだが、我々は動じない。何しろ魚バカである。どの季節、どの支流の、どこに行けば、どんな魚が捕れるのかを経験上知っているのだ。

 1月30日(ちなみのボクの誕生日)。研究所のY君と二人で魚を捕ることにした。ところが、不運にも朝から雨。本命の場所は、増水で手が出せない状況になっていた。さらにメダカが必ずいる場所は、秋の大雨で地形が変わって収穫ゼロ。おまけにタモロコの捕れる川に至っては護岸工事の真っ最中。いくら魚を知っていると威張っても、天候や工事までは分からない。

 雨の中、魚を捕りながらY君がいった。

「う〜っ、さむっ。こんな調子で、水槽の魚が全部揃いますかね?」

「いいよ、いいよ。商売でやっているわけじゃないし。全部、オイカワでも面白いじゃん」

「はははっ。でも、いっぱい捕って、みんなに見せたいですよね、矢作川の実力…」

 嬉しい。矢作川が好きだから出てくる言葉だ。

「うん、意地でもたくさん見せたいな」

 それから僕たちは、日が暮れるまで、あちらこちらと場所を変え、川や水路を歩き回り、何とか21種類、200匹の魚を捕獲した。

「Yくん、疲れたか?」

「いえ、楽しかったです。真冬の魚が何処にいるか、何を考えているのか、勉強になりました」

 川は勉強の場所ではない。しかし、本気で付き合うと、いろいろ勉強になるから面白い。ご購読はコチラ.pdf

109.  段ボールの獅子で舞う                  2014.01.10

4面・ぽんつ倶楽部・絵.jpg 明けましておめでとうございます。月日の経つのは早いもので、ぽんつ倶楽部の連載も、今月でついに10年目に突入いたしました。川の話、魚の話、子どもの話と相変わらずのばか話ばかりですが、今後ともよろしくお付き合いください。

 最近、段ボールを使ったモノ作りに凝っている。きっかけはお世話になっている柳川瀬子ども集いの広場だった。2年前、この広場がオープンする際、大部屋にある鉄骨の柱が邪魔になった。そこで、子どもがぶつかっても怪我をしないようにと、みんなで段ボールの大きな木を作り、柱をすっぽりと覆ったわけだ。枝には段ボールの鳥やリスがとまり、なかなかいい感じだった。そこで改めて、段ボールの持つ魅力を思い出したのである。

 30年前、岡崎の画廊で一度だけ個展をやったことがある。その作品の大半が段ボールだった。段ボールのスニーカー、段ボールのジュークボックス、段ボールは絵の具の乗りがいいので、キャンバスの代わりにもなった。

 20代の僕にとって段ボールは、無料のうえ、軽く、それでいて強度があるのだから、実にありがたい素材だったわけである。

 さらに、子どものころは、よくダンボールに入って遊んだ。捨て犬のようにみかん箱の入ったり、電化製品の大きな段ボール箱は、窓とドアを作って勉強部屋にした。障子だらけの家に育った僕には、段ボールの気密性、肌触り、温もりが魅力的だった。

 そんな段ボールの味を思い出し、子どもたちの前でティラノザウルスを作った。電車のように乗れる上、大きな口がパクパク動く。なかなかの傑作だ。みんな大喜びで遊んでくれる。ただ、相手が恐竜のためか、遊びは戦いとなり、尻尾はもう3回もちぎれた。でも、それは仕方ない。子どもにとって作ることと壊すことは、同じ創造的行動なのだ。白い画用紙を壊すことが絵を描くことだといえば解かっていただけるか。

 そしてこの正月。雑煮をほお張りながら段ボールの獅子頭を作ってみた。設計図は描かないので、どんな顔になるかは自分でも解からない。紙おむつの箱をザクザクきり、顔のパーツを木工用ボンドで張り合わせる。乾いたら色塗り。唐草模様の風呂敷をまとわせたら完成だ。作業に3日を要したが、なかなかの出来ばえだ。

「小さな子どもは、怖くて泣いちゃうかな?」

 その夜、僕はクローゼットの姿見の前でこっそりと、家族に隠れて獅子舞を踊ってみた。ご購読はコチラ.pdf

108.  福島県で川遊びの話をする                  2013.12.06

4面・ぽんつ倶楽部・絵.jpg 家下川リバーキーパーズの活動を行った。これは「魚のすむ水路を作ろう」という計画で、今年で5年目になる。集まってくれたメンバーは60人ほど。河川関係者、農業関係者、地元企業、学校の先生などさまざまだ。小学生も20人ほど混じっている。

 今回の活動は、昨年、豊田市が施工したコンクリート水路のマス(魚の越冬地)をどんな魚が利用しているかを調べるというものだ。土嚢でせき止め、ポンプで水を抜く「かいぼり方式」なので、魚の捕獲は極めて容易だ。しかし、魚の判別(同定)は難しい。何しろこの水路には10数種類もの魚がいるのだ。
「魚の名前が素人に解かるのか?」

 そんな僕の不安を解決したのが、家下川リバーキーパーズ代表の酒井博嗣君だった。20代の彼は独自のシステムを作り、班分けして写真を見ながら仕分けをする方法を考えた。

「つい楽しくなって、たくさん捕っちゃうから大変なんです。全部調べきるのは無理なんだから、少量ずつ何回かに分けて、やれるところまで楽しみながらやりましょう」

 結局、参加者は捕獲と計測のローテーションを5回行い、2時間かけて3200匹の魚の種類と数を調べ上げた。写真を見ながらの同定に最初は惑っていた参加者も、後半は魚を見るだけで「オイカワ10匹、コウライモロコ4匹」と、声を上げられるようになったのだから、大したものである。ちなみに、5回行った捕獲調査の総時間は、たったの105秒。いかにこのマスを魚たちが利用しているかが分かる。

 さて、そんな本調査を酒井君に任せ、僕は少し離れたところで、子どもたちと調査ごっこを行った。調査結果は反映されないが、やることは同じだ。マスの中から魚を捕り、それを種類ごとに分ける。名目は水族館づくりだが、こんな機会だから魚の名前を覚えて欲しかった。

 観察ケースの魚を見つめて、首を傾げる子どもたち。しかし、成長は早かった。

「これ、何て名前?」が、「これ、モツゴ?」に変わり、やがて「モツゴだよね」。最後には「なんだ、またモツゴだ」に変わる。恐るべき急成長。単調な作業なのに、一向に飽きる気配もない。触りたいんだね、知りたいんだね。

 結局、魚を捕まえて興奮すること、リアルに見ること、名前を覚えること、その全てが大人も子どもも同じだったと思う。調査することで、川や魚がもっと身近なものになればいい。ご購読はコチラ.pdf

107.  福島県で川遊びの話をする                  2013.11.01

4面ぽんつ倶楽部・挿絵jpg.jpg 福島県の霊山へ行った。霊山の岩山の正面にあるチルドレンズミュージアムで、講演とワークショップを行うためだ。霊山へは小説家になって間もない頃「森の地図」という作品を書くために訪れて以来、20年ぶりになる。正直、心は弾まなかった。

 何しろ、ミュージアム地内の放射線量は、除染を行った今でも0・4マイクロシーベルト。川の数値ともなるとぐっと上がり、子どもたちと川で遊ぶわけにはいかない。僕のライフワークは、子供たちに川や生きものの面白さを伝えることなのだ。目の前の川で遊ぼうといえない講演なんて…、さすがに、脳天気な僕も、今回ばかりは憂鬱だった。

 新幹線を降り、福島駅から車で南に40分、霊山は原発の北西48キロ地点にあった。切り立つ岩山が神々しい。しかし皮肉にもこの岩山に海からの風が当たり、セシウムの吹き溜まりになるのだという。

 広大な敷地のミュージアムは静かだった。何百人もの子どもたちがバスで集まり、遊びまくる景色は無い。それでも、何組かの親子が巨大なシャボン玉を作って遊んでいた。

 3時間にもわたる講演とワークショップには、2日間で50人程の人が集まってくれた。1日数家族といったところか。山形など県外から来てくれた家族もいた。担当者がいうには、現状では、この人数でも御の字らしい。

 僕はみんなとひざを突き合わせ、ゆっくりとお話をした。魚の話、虫の話、鳥の話、そして僕の友だち(子ども)の話。子どもたちは目をキラキラとさせ、ゲラゲラと笑った。

以前、豊田に住んでいたというおばあちゃんが「福島は自然がいっぱいで楽しいですよ」と自慢げにいった。こういう雰囲気はいい。つい笑みがこぼれ、話に力が入る。そして、うっかりと、いってしまった。

「お前たちと川で遊びたいなぁ。面白いぞ〜」

 しまった。いってはいけない言葉なのに。

 ところが…。

「行きたい、行きたい。ねぇ、お母さん」

「じゃ、今度行こうか」

 えっ、川で遊べるの?

「車で2時間も走れば遊べる川はありますよ。それに、こんな時だからこそ、外で遊んだり、生き物と遊ぶことが大事でしょ。夏丸さん、もし、また来てくださるなら、今度はみんなで川へ行って遊びましょうよ」

 涙が出そうになり、僕は黙ってうなずいた。ご購読はコチラ.pdf

106.  いろいろ見せたいのである                    2013.10.04

4面・ぽんつ挿絵.jpg岐阜県の大垣市で川遊びイベントを行った。大垣といえば水の都、湧き水が有名な水郷地帯だ。当然、魚も多種多様。10年程前、この地の水路に何度も足を運んだ経験がある。イベント会場は墨俣城(一夜城)の前。長良川の支流、犀川の河川公園だ。下見の際、担当者が言った。

「公園内のこの敷き石の人工ワンドで、魚とりを楽しみたいんですけど」

 ぼくは絶句した。ここは犀川の最下流に位置しているので水深があり、とても子どもは入れない。で、そのワンドはというと、確かに安全なのだが、浅すぎて魚がいるとは思えない。実際に網を入れてみても、捕れたのは2センチほどのオイカワとヌマエビだけだった。

 おいおいどうする、ここで魚が捕れなかったら、子どもたちが「この川には魚がいない、魚とりなんてつまらない」って、思っちゃうよ。

 とはいえ、数十台の駐車スペースと、200人がゆったりと遊べる場所など、他にはない。僕は覚悟を決めて、作戦を考えることにした。

 イベント前日の夕方、僕は会場の前にカニカゴとセルビンを仕掛けた。網で捕れない以上、仕方ない。とにかく子どもたちには、いろいろな生きものを見て、触って、感じて欲しいのだ。

 そして、日没後はプライベートで夜の散策。田んぼの細い水路から、犀川の上流まで。懐中電灯で照らしながら川を覗いて歩いた

「メダカにフナにオイカワだな。おっ、カマツカにタナゴの群れもいるぞ」

岸から魚を見下ろして、雑魚の判別ができるのは僕の特技なのだ。他にもナマズ、ゼゼラ、ドジョウ、タモロコ、ライギョ、スッポンなど、生き物の種類はきわめて豊富だった。

 しかし、こうなると、この魚を全部見せてやりたくなる。果たして仕掛けたカニカゴとセルビンに獲物は入ってくれただろうか?

 当日。秋空の下でイベントは始まった。子どもたちは小さく、2〜3才の子も多い。案の定、30分経っても捕れるのはオイカワの幼魚とエビばかりだった。僕は子どもたちを集め、ドキドキしながらセルビンを上げた。

「うわっ!」と、歓声が上がった

 大きなオイカワ、タモロコ、コウライモロコ、タナゴが、ごちゃまんと入っていた。

 続いて、カニカゴ。

「カニ、カニ、カニ。カメ、カメもいる」

大興奮する子どもたちを見ながら、川の実力に救われたなぁと、しみじみ思った。ご購読はコチラ.pdf

105.  この夏の大収穫                         2013.09.06

4面・ぽんつ・挿絵.jpg この夏、家の近くにある柳川瀬子ども集いの広場で、定期的に川遊びを楽しんだ。名付けて「たんけん☆キッズ」。親子40人の同じメンバーで、毎月1回、同じ川に出かけて遊ぼうというわけだ。

 くり返し遊ぶのは面白い。6月には2センチだったナマズの赤ちゃんも、8月には15センチ以上に成長するし、春にはいなかったハグロトンボが夏になると大発生したりする。水辺にガマの穂が立ち並ぶことも、子どもにとっては驚きだ。同じ場所で遊ぶからこそ、季節(自然の変化)が手に取るようによくわかるのだ。また、子どもがグングン成長していく姿を、父母とともに眺めるのも、実に楽しいのである。

 ちなみに、ここでいう子どもは小学生だけではない。じつはメンバーの大半が2歳から5歳の幼児、中には1歳児も混じっている。こういったチビさんは歩くのもおぼつかず、普通なら川遊びには「まだ早い」「危険」「邪魔」となるのだが、ここでは彼らが主役。安全面だけ気をつければ、ノープロブレムなのである。

 4歳のK君はザリガニが持てなかった。しかし今では、アミで捕ったザリガニを指でつまみ、「ザリガニGET!」と見せに来る。

 5歳のT君は大の虫好きだった。ここで魚とりに目覚めた彼は、夏休み中、川に通って魚とりばかりしていたと、お母さんが笑った。

 3歳のAちゃんは、メダカの目が緑色に光るのを自分で発見した。さらに「タナゴの目は赤い。寝不足かな?」と教えてくれた。

 小学生のK君は末っ子の甘えん坊。だが、チビちゃんの前では、ちゃんと兄貴の顔になる。

 感動したのは、1歳のYくんだ。彼は、紙おむつが膨れ上がるのもかまわず川に座り込み、モロコをぎゅ〜っと握り締めていた。当然、モロコは死んでいるのだがお構いなしだ。そして、そのモロコを飽きることなく川に浸けたり、出したり。延々と続けている。何を考えているのだろう。1歳の彼と会話ができないのが残念。

 こんな遊びが、僕のこの夏の大収穫。今まで「川遊びは小学生からだ」なんて思っていた自分が恥ずかしい。要は、スピードとスケールの問題。彼らに合わせて遊べば、何の問題もない。

 さらに言えば、彼らこそもっとこうした遊びをするべきだ。知識や先入観がない分、彼らの自然や生きものとの関わり方は素直だ。死んだモロコと語り合うことなど、人に毒された僕には不可能。人よりも生き物に近い彼らだからこそできる業なのである。ご購読はコチラ.pdf

104. いろんなやつがいるから面白い                 2013.08.02

4面・ぽんつ絵・テナガエビ.jpg 小学館のアウトドア雑誌BE・PALで連載していた阿部夏丸責任編集「月刊雑魚釣りニュース」が終了した。新企画は始まるものの、12年も続いた連載なのでちょっと寂しい。発刊当時はブラックバス釣りブームの真っ只中、外来魚問題が深刻化しても釣り雑誌や釣りメーカーは、悪とは知りつつ儲かる釣りに便乗していた。このままじゃ、日本の釣り文化が駄目になると、仲間とともに雑魚党を結成、この企画を立ち上げたわけだ。

 とはいえ、志に反しやってきたことはどこまでもくだらない。水辺ならどこでも遊んでみよう、生きものがいたら何でも捕ってみよう、捉まえたら何でも食べてみようというスタンス
で、とにかく子どものように遊ぶだけだ。

「大のオトナが、子どものように遊んでもいいんですね」

「キャッチアンドリリースが良いことだと勘違いしていました。反省です。これからは、釣った魚をちゃんと食べます」

「ぼくはルアー釣りをしないので、友だちと釣りにいけませんでした。でも、今度、友だちにエサ釣りを教えようと思います。だって、エサの方がたくさん釣れるから」

 こんな声に励まされた。ブームとは別のところにある水辺の遊びの本質を知ってもらうことが、少しはできたのかもしれない。

 さて、そんな僕にとって思い入れのある「魚種は問わず」のさかな釣り大会が7月14日、矢作川でおこなわれた。釣果は全体で408匹、魚は18種類。加えてスッポン、アカミミガメ、テナガエビと色々だ。釣った魚が検量所の水槽にならんだ。

「こんなでっかいコイ(85センチ)、僕も釣ってみたい」と、小学生
「へ〜、矢作川にもテナガエビがいるんだな」と、おじいさん。
「このウナギって、川にいるの? もちろん食べれるんですよね」と、お母さん。

 この釣果は大会の趣旨を理解し、本気で釣りをしてくれた人のおかげ。多くの参加者が矢作川の実力を知るよい機会になったと思う。

 さらに表彰式を見て、僕は笑ってしまった。サングラスにベストを着た釣り名人の隣に、短パンにサンダル履きの少年が自慢げに並んでいる。そして、その後ろには日焼けを気にする日傘の女性。みな、大会の受賞者だ。おいおい、こんなさかな釣り大会見たことないぞ。魚もいろいろなら、参加者もいろいろ。人も魚も、いろんなやつがいるから面白い。ご購読はコチラ.pdf

103. 子どもたちとあそぶ夏                      2013.07.05

ぽんつ絵.jpg 6月は、たくさんの子どもの笑顔に出会うことができた。堤小学校と小清水小学校では、4年生を相手に川のお話会のあと、恒例の逢妻女川での魚とり。そして、平和小学校と石野中学校で講演会(これも川遊びの話だけどね)、続いて萩野小学校では、お話会と足助川での川遊び、最後に柳川瀬子ども集いの広場で幼児と一緒に川遊び。数えてみると、父兄を合わせ約1000人に川や生きものと遊ぶ面白さを伝えたことになる。これはもう、ちょっとした夏の巡業。僕が季節労働者といわれる由縁である。

 今年の逢妻女川はやたらとヒルが多かった。小清水小では、去年まで魚だらけだった深みに泥とゴミが溜まり、ここがヒルの巣窟になっていた。おそらく雨が少なく、川が洗われていなかったせいだろう。数人の男子がここで泳ぎ始めたものだから、川の流れに乗って数千匹のヒルの赤ちゃんが拡散。みんなの足にくっつきまくったというわけだ。PTAからお叱りを受けそうだが、子どもにとってはいい経験。やがては笑い話となり、いい思い出になるだろう。

 同じ女川でも、堤小では雨の後で若干水かさが多かった。こんな日は魚が有利、子どものアミではつかまらない。先生からは「泳がないこと」と注意されていたが、それを破棄。半数の子どもと川の中に寝転んだ。

「ほら、水面から見上げると、空が広いだろ」
「うわぁ、本当だ!」

 すると、おとなしそうな女の子がゴーグルをさしだした。聞けば去年の4年生が泳いだと聞き、禁止にもかかわらず持参したのだという。
「そんなに潜ってみたかったのかよし、お前だけ潜ってよし、他は駄目だぞ。結膜炎になるからな」。僕は子どもを平気で差別するのだ。

 同じ豊田市でも荻野小といった足助川は快適だった。何しろ女川のような都市河川と違い、水がいいし山間の景色がいい。しかし、こんな自然豊かな場所で暮らしていても川に入ったことない子は多いようだ。

 川に入る寸前、「汚くない?」と心配そうにたずねた子がいた。「じゃ、入って確かめてごらん」。結局彼女は、3分もしないうちに遊び始めたのだが、それを見ていたら笑いがこみ上げてきた。ふふふっ、逢妻女川で泳いだやつらは、この川の水なら平気で飲むだろうな。

 ここ十年、子どもたちにする話も、川での遊び方もずっと同じだ。でも、決して飽きることはない。だって、子どもの笑顔はみんな違うし、川もまた、絶えず違う顔を見せてくれるから。ご購読はコチラ.pdf

102. 矢作川さかな釣り大会に参加しよう         2013.06.07

ぽんつ絵.jpg7月14日に「矢作川さかな釣り大会」が行われる。この大会はこれまで川会議の行ってきたアマゴ釣り大会の代わりで、放流魚ではなく、矢作川にもともと棲んでいる魚(雑魚)を釣って遊ぼうと計画されたものだ。ゲーム性ばかり追い、釣りはスポーツだという風潮や、釣れないなら放流すればいいという短絡的思考が嫌で、釣り大会には一切関わらずにきた僕だが、この大会の趣旨には大いに賛同。実行委員にまでなってしまった。

 ベテランからビギナーまでが大らかな気持ちで大会に参加し、いろいろな魚を見ることで新しい発見をし、矢作川の実力(面白さ)を知ることにつながればいいだろう。

 この大会の特徴を少し挙げよう。
 ①最高位は五目賞…たくさん釣ること、大物を釣ることが魚釣りの醍醐味だが、あえて多種類を釣ることに光を当てた。魚はそれぞれ棲む場所が違うし、多種類を釣るにはエサも仕掛けも考えなくてはならない。川と魚を知らなければ優勝は難しいぞ。 ②全ての魚に大物賞がある…魚を差別しないから、全ての魚種に大物賞がある。一番大物を釣ればナマズでもメダカでもその部門で優勝できるわけだ。50㎝のコイが優勝を逃したのに、5㎝のモロコが優勝なんてことがあるから面白い。カエルやカメでも川で釣ったんなら持っておいでよ。 ③十匹以上でつぬけ賞…オイカワのみを本気で釣れば100匹越えも夢ではない。しかし、そんな勝負はおとなげない。だから数釣り部門は10匹以上釣った人から抽選で決める。

 つぬけの「つ」は、一つ二つのつ。十から「つ」が付かなくなるから「つぬけ」というんだ。 ④釣れなくても、まるぼうず賞がある…1匹も釣れなくても、楽しかったと川に感謝できる釣り人になりたいよね。これは大事なことだと思う。そんなわけで、釣れなくても特別賞がいろいろ用意されている。

 ⑤夜釣り部門…希望者は前日の夜釣りもOKとなっている。夜しか釣れない魚がいるからね。川には昼と夜の顔があることをみんなに知ってもらおう。

 「へ〜っ、矢作川にはこんな魚がいるんだ」

 「これどうやって釣ったの?」 いろんな驚きや疑問を感じることが川好きになる第一歩だ。釣り上げた魚を水槽に入れみんなで見てみませんか? 申込みは天狗堂、上州屋、イシグロの各豊田店まで、6月30日〆切。ご購読はコチラ.pdf

101. タナゴのいる川であそぶ              2013.05.10

4面・ぽんつ・挿絵.jpg 某研究所に勤める3人の友人家族と、タナゴのいる川へ出かけることにした。この川へ行くのは二年ぶり。いまや希少種となってしまったタナゴのいる川を、川のスペシャリストである3人に見てもらいたいというのが今回の趣旨だ。湧水の川に青々とたなびく水草、川底にびっしりとある二枚貝、その中を泳ぐのはアブラボテ、ヤリタナゴ、イチモンジにシロヒレタビラ。こんな風にいい川は、一刻も早く見ておかないと本当に姿を消してしまうのである。

 朝8時に車で出発。会っていきなりAちゃんがこういった。 「夏丸さん、タナゴって、美味しい?」 う〜ん、参った。希少種である上に姿や色が美しいタナゴは、溺愛するファンやマニアが多いため、情報発信には細心の注意が要る。場所の特定などをすれば、すぐさま乱獲につながるからだ。そんなややこしい魚を美味いかどうかで判断する彼女の姿勢に僕は拍手を贈った。 「タナゴはな、ちょっと苦いけど美味しいぞ」

 車で2時間、目的の川に到着。3人は「いい感じの里川ですね」と目を細めたのだが、僕の顔は曇った。何しろ、水草がない。黄緑色のセキショウモとミズタガラシがない。あるのは、一面のオオカナダモだ。これは、川の水質の悪化と湧き水の消失を意味する。果たして、以前のようにタナゴはいるのだろうか?

 まずはガサガサ。アミを持って川へ入る。 「メダカに、ゼゼラ、カワヒガイ」 「ドンコに、シマドジョウもとれたよ」

 タナゴは捕れないが、まずまず面白い魚が僕たちを楽しませてくれる。

 続いて魚釣り。出会いたいのはタナゴだが、しゃらくさいタナゴ仕掛けは使わずに、あえてオイカワ仕掛けで勝負する。子ども連れなんだから、大らかに釣ればいい。

 真っ先に釣ったのは、Bくん。 「釣れた! 茶色くて変な魚だよ」 「すごいぞ、アブラボテ(タナゴの仲間)だ」 「これがボテですか、初めて見ました」 U君が興味深げに魚をのぞく。 「あっ、私も釣れた。この子はキレイ!」 「やったな、ヤリタナゴだ」 それから僕たちは、時のたつのも忘れてタナゴ釣りに没頭した。(よしよし、この川はまだ死んでいなかった)

 しかし、河川環境の悪化は著しい。果たして3年後、ここは、こんなに楽しく遊べる川でいられるのだろうか? それが心配だ。

100. 木魚の魚はコイだった                2013.04.05

4面・ぽんつ・絵.jpg 魚板を作った。魚板というのは呼び鈴や儀式の合図に使われる仏具楽器の一つで、日本へは鎌倉時代に伝来したという。

 これを作ったのは「川遊びの時、魚板をポクポク鳴らして子どもたちを集合させたら面白そうだな」という思いつきだ。単なる遊びなので宗教的な背景はない。ただし、根っからの魚好きなので、魚板については詳しく知りたい。そんなわけで、近所にある行福寺へ。

 行福寺は室町時代(1382年)に創建された浄土宗の大寺で、樹齢250年の枝垂桜が咲くことでも有名。僕は普段お世話になっている副住職・伊藤康道(こうどう)さんを尋ねた。 康道さんは30歳と若いのだが、バンド活動をしていたせいか、やたらとお経の声が良い。父母の死後、毎月、彼のお経を聞くたびに僕は癒され、「ああ、お経もブルースやジャズと同じゴスペル(宗教音楽)のひとつなのだなぁ」と思うようになったのである。 「若さん、見てよ。魚板を作ったんだけど…、この魚がくわえてる玉は何なの?」
「この玉は人の心に宿る三毒(むさぼり・いかり・おろかさ)を表しています。それを口から吐き出させるために、魚の腹をこうして叩くわけです。現在ある丸い木魚は、この魚板が原型となって、江戸時代に出来たものなんですよ」

 なるほどなぁと、つくづく感心。しかし、腑に落ちないこともある。子どものころから僕は木魚がガイコツに見え、魚に見えないのだ。 「木魚は一対の魚から出来てます。よく見てください。右に1匹、左に一匹。二匹の魚が一つの玉を向かい合ってくわえているでしょ」
 あっ、見えた。本当だ。
「さらに、木魚の彫り物には魚のものと、竜のものとがあるんです。これは、中国の登竜門の故事になぞらえているわけですね」 と、いうことは鯉のぼりと同じで、木魚の魚もコイだということか。う〜ん、知らないことを知るって、本当に面白いな。

 人とコイとの関わりは長く、そして奥が深い。

 ところが、ここ数年、コイのイメージは悪い。自然を知る人は、節操なく放流され続けてきたコイを問題視しているし、自然を理解しない人たちは、川のコイを餌付けしてペットのようにかわいがる始末。鯉を食わなくなったせいか? 今後、人が魚とどう関わって行くのかは知らないが、少なくとも淡水魚の王・コイには一刻も早く、人を寄せ付けぬ野生の顔を取り戻してもらいたいものだ。それにはまず、野生が育つ川が必要なのだろうが。ご購読はコチラ.pdf

99. 自然は小説より奇なり                   2013.03.01

4面・ぽんつの絵.jpg こんな質問を良く受ける。「どうして矢作川にこだわるのですか?」 そんな相手に対して、僕はいくつもの答えを用意し、使い分けている。「ふるさとの川ですから」「子供のころ、遊んだですから」「都市河川としては魚種も豊富だし、本当に面白い川ですから」

 どれも嘘ではないが真実でもない。だから、気心の知れた仲間にだけは、こう答えている。「河川敷に棲むキツネがさ、もっと矢作川を見ろと、わざわざ言いにきたんだ」。オカルトじみた話だといわれても、事実だから仕方ない。

 20年前、会社を辞めようと思ったころ、僕は毎晩のようにキツネに出合うようになった。最初は帰宅する僕の車の前を横切るだけだったのだが、やがて、キツネはストーカーのように自宅の前で待ち伏せするようになり、もの言いたげに僕を見つめるようになった。

 初めはキツネを目撃したという事実に感動し、深くは考えなかったのだが、不意に現れ、何も語らずに去っていくキツネの姿を見るうちに、「こいつ、僕に何か言いたいのか?」と思うようになったのである。

 それから僕は会社を辞め、小説家の道を歩むのだが、暇に飽かして考えてばかりいた。

 キツネは何が言いたかったのか? 鳥は何を考えているのか? 魚は何を思うのか?  彼ら(自然)はもの言わぬ神のような存在だから答えはない。しかし、考えるのは楽しく、僕がものごとを思考する上での財産となった。(そのおかげで生まれたのが、処女作「泣けない魚たち」だから、キツネには頭が上がらない)

 その後も、度々、キツネは現れた。数匹の子を連れて、幸せそうな姿で現れたり、全身の毛が抜け落ちて、悲しげな顔で現れた奴もいた。

 彼らに出合うたびに僕は、偶然を必然と感じ、彼らの声を聞こうと努めている。 そんな僕の前に、先日またキツネが現れた。場所は、矢作川と家下川の合流点。今度行われる予定の工事現場を見に行った時のことだ。

 川を歩きながら、ふと見上げると、5メートルもある護岸の上にキツネがいた。彼は、怪訝顔で僕を見つめ、何も言わずに立ち去った。

 さて、彼は何を言いたかったのか? 当然、答えはないのだが、「人間の都合で動いちゃいませんか〜」「大切なこと、忘れちゃいないですか〜」 僕は彼の声なき声を、そう聞き取った。

98. カメを釣って考えた                  2013.02.01

3面・ぽんつ倶楽部・イラスト.jpg 正月明けに、旺文社から封書が届いた。開いてみると、中から何枚もの子どもたちの絵(正しくは写真)が出てきた。描かれているのは、大きく曲がる竿を必死でささえる姿や、あみに入ったコイを嬉しそうに持ち上げている姿。手のひらに魚をのせている絵や、カメを持って笑っている絵もある。どれもリアルで、気持ちのこもったいい絵だ。

「こんな絵は、体験がなきゃ描けないぞ。みんな、魚とりがすきなのかな?」 ところが、添えられている手紙を読んで驚いた。何でもこの絵は、6年生が図工の時間に描いた読書感想画なのだそうだ。本は、僕の書いた「カメを釣って考えた」だという。

「なるほど、選んだ本がよかったのだね」と、自画自賛。小説家は誰も褒めてはくれない孤独な商売なので、自分で自分を褒めるのである。

 僕が本を書く時に気をつけているのは『いかにやさしい言葉で、川の空気や生きもののリアルを伝えるか』だ。嬉しい。この読書感想画を見る限り、その思いは実っていたようである。

 もちろん、子どもたちのために本を選び、読み聞かせをした先生の手腕も想像できる。それほど、読書感想画というのは難しいのである。

「で、これは、どこの学校だ?」 出版社を通して送られてくる手紙のほとんどは、県外からのものが多い。北海道とか、九州とか、遠いところに住む子どもたちが読んでいてくれると知ると、妙に元気が出る。ところが、手紙の最後を見て驚いた。

「えっ、岡崎市立六ツ美西部小学校。これって、近所じゃん。しかも、矢作川沿い」 違う意味で、元気が出た。北海道じゃ、ちょいと出かけるわけにはいかないが、岡崎ならば目と鼻の先だ。

「よし、この子たちに会いに行こう!」 本を読むのに2時間、絵を描くのに2時間費やしたとすれば、一クラス40人で160時間。この時間に応えたい。で、何をするのかって?それは決まっている。「本など読むヒマがあったら、矢作川で遊べ、魚とりをしろ」と、人生に最も大切なアドバイスをするのである(笑)。

 ちなみに「カメを釣って考えた」は15年も前に書いた作品だ。正直にいうと登場人物の名前も、話の内容も無責任な小説家は忘れていた。

 で、本棚から引っ張り出して読み返す。 「う〜ん、俺が書いたとは思えないほど面白い。ぜひ、本屋さんで注文して買うように!」ご購読はコチラ.pdf

97.  竿始めはワカサギ釣りから            2013.01.10

5面・ぽんつイラスト.jpg 明けましておめでとうございます。本年もよろしく…などというご挨拶の前に、釣りバカは、もう二度もワカサギ釣りに出かけているのである。

 1月3日、午前4時。つい思い立って琵琶湖の北にある余呉湖へ車を走らせた。星空を見ながらルンルン気分で高速道路に入ったのだが、木之本インターを出ると、目の前は大雪と化したのだった。だからといって、竿始めの儀式を断念するわけにはいかない。僕は爆釣を夢に見て、桟橋に陣取ったのである。

 1時間後、毛糸の帽子の上には、5センチの積雪。アタリなし。寒いわけだ、温度計を見ると氷点下5度を表示していた。

 2時間後、相変らずアタリはない。それどころか、周りの誰も釣れていない。おいおい、本当にワカサギはいるのか? 足にはキーンと痛みが走り、手はかじかんで動かない。こうなると、もう苦行。滝に打たれる修行僧の気分だ。

 結局、4時間後、僕はどうにか2匹のワカサギを釣って納竿とした。

 たった2匹と笑うことなかれ。このワカサギ、交通費、入漁料など合わせれば2匹で1万円だ。重さは2匹で10グラムだから、100グラムなら10万円、1キロなら100万円。つまり、大間のマグロより高価な魚を釣ったことになる。

 1月6日は、気の合う仲間10人(子供4人を含む)と諏訪湖のドーム船へ行った。ドーム船というのは、湖上の大イカダにビニールハウスを乗っけたものだ。これなら、いくら吹雪になろうが楽しく釣りができる。仲間は皆、ワカサギ釣り初デビューなので、快適なドーム船をチョイスしたわけである。

 ところが正月からの寒波により、前日の釣果はシーズン中で最悪という知らせ。我々は覚悟を決めて諏訪湖に向かうこととなった。 早朝の気温は氷点下14度のハンパない寒さ。おまけに朝日に映る湖面は今年初の完全氷結。 「こりゃ、ダメかも?」

 ところが、釣りとは分からないものである。朝から昼まで途切れることのない入れ食い状態。大人も子供も大満足の結果となった。湖面が氷結したことで、ワカサギの警戒心がなくなったのが爆釣の理由らしい。

 ちなみに僕の釣果は523匹。これをグラム換算すると…、おっと、野暮な計算はもうやめよう。釣れても楽しい、釣れなくても楽しい、それが僕の愛する『釣り』なのだから。ご購読はコチラ.pdf

96.ヌートリアを捕まえろ                 2012.12.07

4面・ぽんつ絵.jpg11月某日、家下川リバーキーパーズの仲間と水路の魚類調査を行った。ここ2年のうちに激増したカダヤシ(特定外来生物)にはうんざりしたが、メダカやモロコ、フナなどの在来魚種はいたって元気。我々は、ほっと胸をなでおろした。そして、川から上がり、帰り支度をしていた時である。高校生のM君がすっとんきょうな声を上げた。

 「あっ、ヌートリア…」
 次の瞬間、数人のメンバーは電光石火の速さで川に飛び降り、ヌートリアを追いかけた。

 ヌートリアというのは、最近、豊田市内にも増えてきた「でかねずみ」で、体長は約50センチ、長い尻尾まで入れると90センチにもなる。主食は水生植物の葉や地下茎。以前、家下川で見たヌートリアは、マコモを一本ずつ切り倒し、小さな新芽だけを好んで食べていた。かなり、グルメのようである。魚を食べると思われがちだが、カワウソではないのでそれは間違い。農作物を荒らすこともあるが、ずる賢いアライグマの罪をかぶっている場合が多い。

 「そっちだ、逃がすな!」

 「網だ、網を持ってこい!」

 子供ならいざ知らず、大の大人がネズミを追いかけるのだから、わがチームは馬鹿ばっかりである。しかし、ただの馬鹿ではない。『生きもの馬鹿』だから、行動と指示は的確だ。

 「U君、網は上からかぶせろ」

 「M君、両手で押さえ込め。えっ、噛まれる?
お前なら噛まれても大丈夫だ!」

 かくしてヌートリアは、M君に押さえ込まれ蓋つきバケツに入れられたのである。

 「すごい歯だな。でも、かわいい」

 ヌートリアは怒って威嚇する時も、ほとんど表情が変わらず、黒い眼が実に愛らしい。

 「これって、食えるの?」

 答えはおいしい。昔、アマゾン川に行った時、ワニやらタランチュラやら、いろいろ食べた。こいつも食べたのだが、あまりにも普通なお肉の味で、最近まで食べたことを忘れていた。 「毛並みがいいね。マフラーが作れるかな?」
 もともとヌートリアは戦時中、安価で良質な毛皮を取るために飼育された生き物だ。日本名の沼狸(しょうり)は軍隊の勝利にかけている。


 わいわい、がやがやと、ヌートリア談議は続いた。特定外来生物といえど、ちゃんとした生きもの。駆除も必要だが、その前に追いかけて、捕まえて、見て、触って彼らを感じたい。ご購読はコチラ.pdf

95.ドングリ・団栗・どんぐり                 2012.11.02

ぽんつ倶楽部・絵.jpg豊田市南部にできた「柳川瀬子どもつどいの広場」で、子どもたちと遊んでいる。夏の間は「たんけん隊」の旗を掲げて川遊びに明け暮れたのだが、冬も川遊びというわけには行かない。
「さて、秋らしい遊びは…」
 そんなことを考えていると、わんぱく坊主のTくんが自慢げにドングリを持ってきた。
「おおっ、マテバシイじゃん」
マテバシイは、僕の一番好きなドングリだ。大きくて細長く、銃弾に似たフォルムがいい。
「Tくん、でっかくて、かっこいいなぁ」
「へへへっ、柳川瀬公園で拾ったんだ」
「よし、その木なら、俺も知ってるぞ。よーし、今度のたんけん隊は、ドングリ拾いだ!」
 数日後、僕たちは公園に出かけた。6家族、親子15人。みんな、袋を抱えてやる気満々だ。
「いいか、ドングリを見落とさないように下を向いて歩けよ。見つけたら上を見上げて、どの木から落ちたのか、ちゃんと確かめること」
「は〜い」
 こうして歩いていけば、お目当ての木の下で山のようなドングリに出会えるはずだ。
 ところが…。大ショック。楽しみにしていたマテバシイの木は公園の拡張工事の際、大部分が伐採されていた。
「夏丸さん、ドングリ、全然ないよ」
「う〜ん、残念。じゃ、今度は、向こうへ行って、緑のドングリを探そう。その後は、でぶっちょのドングリだ」
 それから、僕たちはカシのドングリを拾い、矢作川の土手でクヌギのドングリを拾った。そして最後は、シイの実。
「これは、食べられるんだぜ。おいしいぞ」
「食べた〜い」
 子どもたちは、リスのようにちょこまかと動き、袋いっぱいのドングリを拾った。そして、公園の隅で、ドングリを広げて大観察会。大きいのを選んだり、小さいのを探したり。コマを作る子もいれば、服のすそでドングリをピカピカに磨いている子もいる。 「どうだ、全部で何種類拾った?」
「え〜っと、4種類!」
 すると、Tくんが真顔で言った。
「ぼくは100種類。だって、同じように見えるけど、みんな形が違うもん」
 なるほど、名言だ。そう、同じように見えるけど、みんな顔が違うから面白い。ご購読はコチラ.pdf

94.カダヤシを絶やせるか メダカを残せるか           2012.10.05

4面・ぽんつ倶楽部・絵.jpg カダヤシというメダカによく似た魚をご存知だろうか? これは1913年に北米から輸入され、1970年代にボウフラの駆除目的で各地に放流された外来魚だ。グッピーの仲間のカダヤシは卵を産まず、お腹で育てた稚魚を産む卵胎生。しかも、春に生まれた子が、その年にもう子を生む。いったん川へ侵入すれば爆発的に増え続け、取り返しのつかないことになる厄介者なのである。当然、特定外来生物に指定され、世界の侵略的外来種ワースト100にも入っている。

 そんなカダヤシが豊田市南部にあるメダカの川に入ってしまった。ここは数年前から、矢作川水族館と家下川リバーキーパーズが、市民や河川管理者と共に、魚を増やすための活動を行ってきた川で、豊田市(おそらく愛知県でも)でメダカの密度が一番高かった川だ。この川で初めてカダヤシの姿を見たのは3年前。その時、僕は強い危機感を感じたのだが、たった3年で不安は現実のものとなってしまった。

 この夏、たくさんの子どもたちとこの川に入り、メダカとカダヤシの比率を見てきた。その結果、初夏に4対6かと感じたものが現在では1対9。2年前、このコラムで「数万匹のメダカに震えた!」と伝えたのが嘘のようである。

 果たして、この危機的状況をメダカたちは乗り越えられるのか? 研究者に聞いてみた。
「カダヤシだけを絶やすのは無理ですよ」
「日本中に、メダカがカダヤシに駆逐された例は、山ほどありますからね」
 あっさり言うなと腹がたった。バスやギル、アメリカナマズといった外来魚を僕だって見てきたのだ。そんなことは分かっている。

 (しかし…、待てよ…。10年ほど前、関東のある川で、メダカとカダヤシが共存しているのを見たことがあるぞ。そこは水草と抽水植物の生い茂るいい川だった。ひょっとしたら変化に富んだ河川環境を整えてやれば、メダカは残ることができるかもしれない。メダカが絶えたのはカダヤシだけが原因ではなく、河川環境そのものに問題があったのかもしれない…)
 勝ち目は薄いが、もはやそこに賭けるしかないのである。

 そんな理由で皆さん、生きものの移動や放流には、くれぐれもご注意を。ホタル、カワニナ類の放流や、サクラ、ヒガンバナの移植、さらには、バクテリア(菌)の投入だって、害がないと証明されてはいないのですぞ。ご購読はコチラ.pdf

93.漁協のない川を堪能する                  2012.09.06

5面・ぽんつ倶楽部・絵.jpg 「夏丸、日和佐川に遊びにこいよ。今年はアユもテナガエビも、モクズガニも、やたらとでかいぞ。とにかく、1匹残らず捕まえてくれ、はっはっはっ」
 カヌーイストの野田知佑さんに誘われて徳島県へ車で向かった。野田さんは親子ほど歳の離れた大先輩で、若いころ僕に「川で遊ぶことの自由と権利」を教えてくれた心の師だ。
 「よくきたな、今日は、何をして遊ぶんだ?」
 「はい、とりあえず野田さん家の前の川でアユを捕って、それからシマドジョウを山ほどすくい、夕方はカニカゴのエサにするカワムツを釣ろうかな。その後はウナギ釣り、夜が更けたらカーバイトの光でテナガエビを…」
 「はっはっはっ、50歳を過ぎても、お前は夏休みのガキと変わらないな。よか、よか。この日和佐川には漁協がないから自由に遊べ。この川の魚を全部やっつけてこい」
 もちろんそのつもりだ。僕は、挨拶もそこそこに川へむかい、玉ジャクリの用意をした。2メートルの竹竿に糸を結び、オモリ玉とハリを付ける。玉ジャクリというのは、箱メガネで川の中を覗きながら、この仕掛けでアユを引っかける遊びだ。僕はアユの友釣りも大好きだが、獲物とサシで勝負をする感覚と、湧き上がるアドレナリンの量はこちらの方が勝ると思う。
 開始3分。目の前を大アユが横切った。ビシッと、竿をしゃくる。その途端、水中のアユがヒレを立てて静止。そして、次の瞬間、ぐぐぐぐ〜んと突っ走る。よし、釣れた。 誰もいない川の中で、うけけけけっと笑った。
 それから2日間、僕は眠る間も惜しみ、昼も夜も川で遊んだ。
 最後の夜、山ほど捕ったアユを焼き、モクズガニでカニ飯を炊き、テナガエビとシマドジョウを串揚げにして宴を開いた。
 酒が回り、饒舌になった野田さんがいった。
 「どうだ、日和佐川は?」
 「アユの味もいいし、モクズガニやテナガエビが綺麗なのは、水が良い証拠です。何より、漁協がなくて自由に遊べるのが良いなぁ」
 「そうだな、日本の川には年寄りが威張るだけのくだらない漁協が多すぎる。それと友釣りだけが高尚だという低俗な考えもダメだな。やつらは水産資源確保というが、魚と付き合う多様な文化が滅びたら、何の意味もない」
 僕は、魂が抜け落ちるほど遊んだ2日間を振り返り、大きくうなずいたご購読はコチラ.pdf

92.マイ・ヤドカリをつくろう                 2012.08.03

5面・ぽんつ倶楽部・イラスト.jpg 今、ぼくの家の玄関には300匹を越えるヤドカリがガサゴソとうごめいている。別に、ヤドカリ鍋を作ってみようとか、夏祭りでヤドカリを売って一儲け目論んでいるわけではない。子どもたちとのイベントで、生き物の面白さを知ってもらう為に、ヤドカリの力を借りようと考えたのである。
 子どもに大人気の生きものは、まず、カメやダンゴムシだ。共通するのは動きがゆっくりで、いじける姿が愛らしいこと。首を引っ込めたり、丸まったりする姿には、つい心を許してしまう。そして、反対に攻撃的な武器を持つやクワガタやザリガニも人気者だ。この辺の感覚は本能的もので、昔も今も変わってはいない。そんな意味でいえば、ヤドカリはこの条件の両方を兼ね備えた、かなり魅力的な生きものといえる。
 イベントでは二つの遊びを考えた。一つ目は、殻の中に入っているヤドカリを、殻から出してじっくりと観察しようというものだ。出し方はこうだ。まず、紙皿に穴を開け、そこにヤドカリを突き刺す。そして、飛び出したお尻の部分をお湯で熱してしまう。当然、ヤドカリは堪らず、「あちっ、あちっ」っと殻から這いだしてくることとなる。少々乱暴な方法だが、普段見ることのできない裸のヤドカリが見れるのだから、これくらい問題ない。
 二つ目は、空き家になったヤドカリの殻にペイントをほどこすというもの。耐水性のアクリル絵の具で綺麗な模様を描いたり、流行のネイルアートの方法でストーンを貼って飾る。何しろ相手は、何処にでもいる小さなホンヤドカリなので、繊細な作業になるが、宝石のようなヤドカリの宿が誕生するから面白い。
 当然、出来上がった殻を裸のヤドカリに返すと、あっという間に宿に戻る。この瞬間はかなり感動もの。歓声を上げる子どもの顔を見るのも楽しいのである。 ちなみにこのヤドカリは、三河湾で捕まえたものだ。素潜りをしてみたら、水深1メートルのところに、ゲンコツ大のコブヨコバサミという大きなヤドカリもいた。川育ちの僕には、海は新鮮。何を見ても感動できるから面白い。
 えっ、ヤドカリを300匹も捕るなんて、捕りすぎ? まあ、その気持ちも分からないではないが、波打ちぎわには、何万匹ものヤドカリがうごめいているのだから、海の懐は広い。それに僕は自然愛好家ではなく、自然と向き合う子ども愛好家。そこんとこ、よろしく。(笑)ご購読はコチラ.pdf

91.ウナギの蒲焼について考える                2012.07.06

ぽんつ.jpg ウナギの蒲焼きの現在形、つまり開いて焼くという技法が誕生したのは江戸時代。それまでは、ぶつ切りにしたウナギを串に刺し、炭火でじっくりと焼いて塩味で食していた。この焼き上がりの姿が「蒲の穂」に似ることから、蒲(がま)焼きと呼ばれ、後に蒲(かば)焼きと転じたのである。
 そんな蒲の穂焼きを作ってみた。ウナギは本紙編集長の釣った天然ものを頂いた。養殖ものより天然もの、買ったものより釣ったもの、さらに、それを貰ったのだから不味いはずがない。60センチを越す大物を3等分にして串に刺す。味気ないほど簡単な料理だ。薄く塩を振り、炭火で焼くこと30分。20センチあった身がぐぐっと15センチにまで縮み上がった。
 して、そのお味は?
 ん〜、なかなかおつな味はする。脂もウナギの風味が立っている。しかし、残念なことに、その味は、現在の蒲焼きの旨さには遠く及ばないものだった。日本人がこれほどまでにウナギを愛するのは、開きの技術と、甘いタレをつけて焼く調理法を見つけたことに尽きると実感。まあ、土用の丑にはウナギを食べようと発案した平賀源内の功績も忘れちゃいけないけどね。
 それにしても、今年のウナギの高騰はいかがなものか。先日スーパーで見たら1パック1980円。せめて980円ほどでないと、庶民の食卓には並ばない。
 しかし、問題は価格高騰より、数年前から囁かれていたシラスウナギの不漁が、今年ピークを迎えたこと。このままではウナギが絶滅危惧種に指定される日も近いだろう。とはいえ、絶滅危惧種に指定されたからって、日本人がウナギを食べなくなるとは思えない。
 えっ、養殖ウナギしか食べないから大丈夫だって? そこが、ウナギの抱える大きな問題。日本のウナギを支える養殖業は、卵から育てる「完全養殖」ではなく、グアム島近海から日本の河口まで泳いできた稚魚を捕まえて育てるという方法。漁期はあるというものの、川へ溯上させるくらいなら捕っちまえって感じ。こんなことを繰り返してきたのだから、そりゃ、ウナギもいなくなる。川で育った親がいなくなりゃ、終わりだってことだ。当然、ダムによる遡上の阻害や河川環境の悪化も不漁の大きな原因だ。 7月27日は土用の丑の日。このまま不漁が続くと近い将来、「うなどん」の代わりに「うどん」をすする日が来てしまうかもしれない。ご購読はコチラ.pdf

90.矢作川であそぼ!                     2012.06.01

ぽんつ.jpg 矢作川の上流、豊田市小渡地区にある島崎公園で『矢作川であそぼ!』が行われた。これは数年前から毎年行われているイベントで、トヨタ労組の地球環境保全への取り組みの一つだ。僕はTVタレントの鉄崎幹人さんとともに、ナビゲーター役を務めている。
 鉄崎さんはタレントとは思えぬほど真面目な人で、「環境問題を考える前に、まず矢作川で遊ぼう。遊んで川が好きになれば、君たちはきっと、川を大切にする大人に育つはずだ」と優しい声で子どもたちに説いてくれるので、僕は非常に助かる。何しろ同じことを考えていても、僕が口を開くと、「環境、環境と口にする大人は信用するな。ろくなもんじゃねえぞ。そんな小利口な大人にならないためにも、お前たちはバカになって遊べ」となるから困ったもんだ。
 そんな二人で行うイベントだから、難しい環境の話はしない。まず『楽しいか、面白いか』そして、自然の本質をいかに『簡単に見せる』かに努めている。それでも、応募者は年々増えているというから嬉しい。何でも、今年の応募者は800人を超したらしい。若いお父さんやお母さん、そして子どもは本質的なものをかぎ分ける嗅覚に優れているのだろう。
 今年は川遊びにはもってこいの晴天だった。ただ、水温が低く、魚が非常に少ない。例年、カワムツやヨシノボリ、シマドジョウなどが山ほど捕れるので楽しみにしていたのだが、こればかりは仕方ない。予定通りにライフジャケット、箱メガネとタモを手渡しはしたが、予定変更、細かいレクチャーは一切なしとした。
「さあ、好きに遊んでください。遊び方は全部川が教えてくれます」
 なんと無責任なナビゲーターだろう。しかし、魚の捕れない状況下で「こうすれば魚が捕れます」などといつものようにやれば、遊びの幅が狭まる気がした。手抜きをした代わりに、僕は川を駆け回り、一人一人の子どもに声をかけた。「魚が見えた? よし、捕まえろ」
「よく捕ったなぁ、お前天才!」
「流れたい? わかった、あの石の向こうから流れてこい。沈んだらオレが拾ってやる」
 初めて川に入るという親子も、しだいに緊張がほぐれ白い歯を見せて笑い出した。
「夏丸さん、石の隙間に黒い魚のしっぽを見たよ! 今度、お父さんと来て捕まえるんだ」
 よしよし、新しい発見と小さな挑戦。今年の夏もまた矢作川で川ガキが育つことだろう。ご購読はコチラ.pdf

89.柳川瀬子どもつどいの広場においでよ            2012.05.11

ぽんつ絵.jpg 豊田市上郷地区に「柳川瀬子どもつどいの広場」がオープンした。運営する市民団体キッズプランナーのメンバーは、子どもたちのことを第一に考える人ばかりなので、つどいの広場はいい雰囲気。遊びに来る子どもたちも実に楽しそうだ。なんて話を人ごとのように語っているのだが、実はこの僕も、何の因果かメンバーの一人なのである。
 ゴールデンウィークの初日、砂場の横にある丸太小屋のペンキ塗りをやった。
「夏丸さん、何やってんの?」
声をかけてきたのは小学生の2人組。
「ペンキ塗りだ。やりたいか?」
「うん、やるやる」
 ハケを用意してやると、二人は嬉しそうにペ
ンキを塗り始めた。
「むつかしいけど、おもしろい」
 初めは僕の真似をして慎重にペンキを塗っていたが、やがてテンションが上がりだす。
「とおっ、とおっ、とおっ!」
「おいおい、調子に乗ると服を汚すぞ」
「大丈夫。今度は屋根を塗ろうっと…あっ」
やるとは思っていたが、K君はズボンにべったりと白いペンキをつけてしまった。
「平気、平気」と、K君。
 しかし、お前が平気でも、洗濯をするお母さんは平気じゃないぞ。まあ、いいか。おれが、お前のお母さんに叱られれば済むことだ。その後も、何人かの小学生や、3歳にも満たない子どもまでもがペンキ塗りを手伝ってくれた。
こんな時、「お手伝いができて偉いね」などと、つい褒めてしまいたくなるのだが、それはちょっと違う。「おまえ、上手だな」とストレートに褒めてやればいい。だってこれは遊び。大人の手伝いなどではなく、大人の真似をする遊びなのだ。「学び」の語源は「まねび」。人はまず、真似ることから学ぶのである。
 実はこの広場には、二つの砂場がある。きれいな砂が入った新設の幼児用砂場と、泥んこ遊び向きの小学生用の砂場だ。ところが、オープンしてみると、どういうわけか、幼児もみんな小学生用の砂場に集まってしまう事態に。 幼児を連れたお母さんに尋ねてみた。
「あっちの砂場の方がきれいなのに。ちっちゃい子も、泥んこ遊びが好きなのかなぁ?」
「それもあるけど、うちの子ね、よそのお兄ちゃんが遊んでいる近くがいいみたい」
 やはり子どもは「まねび」たいのである。ご購読はコチラ.pdf

88.春告魚を釣りにいく                    2012.04.06

ぽんつ絵.jpg 春告魚(はるつげうお)と呼ばれる魚がいる。これは産卵のために接岸したニシンのことだ。春を待ちわびる北海道の漁師町から生まれた言葉は、実に日本的で美しい。最近では、春告魚が他の魚をさすことも多くなった。瀬戸内海ではイカナゴ、関東ではウミタナゴ、春を感じる魚なら、何に当ててもいいってところが、さらに日本的である。
 最近、メバル釣りにはまっている。メバルもまた、釣り人にとっての春告魚だ。小型メバルなら、防波堤や磯ぎわに一年中いるのだが、産卵のために接岸する大型魚となると、春しか釣れない。だから、春告魚となる。
 この釣りを教えてくれたのは、T警部補、つまり刑事さんだ。『ガサ入れのプロとガサガサ(魚捕り)対決!』という企画を持ちかけたのだが、残念ながら断られ、代わりに釣りに行きましょうと誘われた。
 「のべ竿で釣るメバルは面白いですよ。今なら、30㎝オーバーも夢じゃない」
 そんなに大きなメバルなら、ぜひ釣ってみたいものだ。結局、僕は3人の刑事さんとともに、メバルの夜釣りに通うようになった。
 仕事柄、タレントや歌手、絵描きなど、さまざまな職業の人と釣りをする。しかし、刑事は初めてだ。ついつい癖で観察をしてしまう。
 まず、メシを食べるのが超速い。とにかく行動が機敏で、車が止まるや否や、あっという間に全員車の外へ飛び出す。まるで、TVで見る刑事ドラマそのものだ。当然、釣り支度も速いのなんの。普段、誰よりも先に竿を出す僕が、先を越されてしまう。 「その速さ、職業病ですよ」
 「そうですか? 気がつきませんでした」
 「あと、一つ。みんな、竿先を見る顔が怖い」
 「はははっ、それは仕方ない。僕たちの仕事はハンターみたいなものですから」
 仕事も趣味もハンター、なるほどなと思った。
 「きたっ!」
 さっそく竿を曲げたのは鑑識のK君。キュン、キュンと糸が鳴る。メバル独特の引き込みだ。よいしょっと釣り上げたメバルは、28㎝。目標には届かないが、それでもでかい。う〜ん、これを見れただけでも、今夜は満足。
 結局、その夜の釣果は、不覚にも僕だけがボウズ。最近、釣れない釣りを楽しめるようになったとはいえ、ちと悔しい。ちゃんと春を迎えるためにも、こいつはリベンジだな!ご購読はコチラ.pdf

87.もしも魔法が使えたら                   2012.03.02

ぽんつ絵.jpg 少年時代、先生に「もしも魔法が使えたら何をしたい?」と質問されたことがある。僕は即座に「かいぼり」と答えた。池や川の水をすべて抜きさるかいぼりは、子供の僕にとって魔法であり、大きな夢だった。
 今でも、消防団のかいぼりを憶えている。
 当時は村ごとに防火用水(溜池)があった。その水抜きを掃除と点検のために、消防団が行うのだ。ただそれは建前で、真の目的が魚捕り(遊び)であることは子供でも分かっていた。
 中切という隣村。ここの防火用水は、水路と直結していたので、魚の量が恐ろしく多い。
 どどどどどどどっ。
 かいぼりが始まると、ポンプ車のエンジン音とともに胸の音が高まった。9坪ほどのマスの水が徐々に抜けていく。普段4mもある水深が30㎝ほどになると、慌てふためく魚の影が見え始め、みんなの興奮は絶頂に達した。
 「コイだ! ナマズもいるぞ!」
 大人たちの声が飛び交う。
 「ガキは邪魔だから後ろに下がってろ!」
 昔の大人は偉い。魚捕りのためなら、子どもに遠慮などしなかった。それでも僕たちは、一歩下がった所からマスを覗き、大人の投げよこす雑魚を夢中になってバケツに入れた。
 現在でも、溜池の多い地方では、数年おきに「池干し(かいぼり)」を行う。水底の泥を日に当てることで健全な溜池を保つことが目的だが、やはり半分は娯楽だ。自然に増えた魚を皆で捕まえ、持ち帰って食べる。昔ながらの、正しい自然との付き合い方だ。ただ、最近では外来生物が増え、バス、ギル、ウシガエルだらけの溜池が増えているというから残念だ。 先日行われた矢作川の「かいぼり」は、その外来生物の駆除と調査を目的に行われた。不幸にも(幸い?)捕獲されたアメリカナマズは少なかったが、川底の地形や、在来魚の生息状況を把握できたことなど得たものは大きかった。
 これほど大規模なかいぼりは、常識ではありえない。ダムを管理する電力会社はもちろんのこと、国交省や県、市など、普段横の繋がりのない各機関が足並みを揃えることなど、今の日本では奇跡に近いからだ。そう考えると、この「かいぼり」の1番の収穫は、官・民・学が協力し合い、皆で実現できたことに尽きる。
 「無謀? ばか、やる前から諦めるな!」
 矢作川流の「川との関わり方」を築いてきた先輩たちの声を、我々は忘れてはいけない。ご購読はコチラ.pdf

86.近くて遠い水の底                     2012.02.03

 先日、オープンしたばかりの沼津港深海魚水族館に行った。入り口を進むと、いきなりダイオウグソクムシの大水槽。これは、深海に生息する体長40㎝もあるダンゴムシの仲間で、マニアの間では超人気者だ。他にも、タコのくせに腰のくびれがないメンダコや目の下をホタルのように発光させるヒカリキンメダイなど、奇怪な生き物が目を楽しませてくれた。常々、「特別なものではなく、当たり前の生き物に心を寄せるように」と口にしている僕だが、初めて見る深海の生き物は、単純に面白く、夢中になってしまった。
 考えてみれば僕の魚好きは、少年時代に出会った一冊の魚類図ぽんつ.jpg鑑から始まった。そこには奇妙奇天烈な姿のフクロウナギやチョウチンアンコウが描かれていた。もちろん虜になった。しばらくの間、矢作川にも深海魚がいるのではという妄想に取り憑かれた。
 深海魚の魅力は二つあるように思う。一つは深海という特殊な環境に適応(挑戦)し、生き物が姿形を変えてきたという進化の面白さだ。高い水圧と深い闇。おそらく深海ではエサに出会う機会も少ないはずだ。そんな環境で魚たちは目玉や口を巨大化させたり、反対に小さくしたりと進化した。一見グロテスクな容姿にも必ずそうなった理由が存在する。これは、矢作川の魚にもいえることだ。ヨシノボリの腹鰭がなぜ吸盤状なのか、ニゴイの口は下を向き、メダカの口はどうして上を向いているのか。その全てに、ちゃんとした理由があるから面白い。
 もう一つは、深海魚が進化を留めているという面白さだ。シーラカンスが3億5千万年前と同じ姿で生きていたのは、深海が変化の少ない安定した環境であることの証明だ。地表とは異なる世界。たった200m潜っただけで、そこはもう、宇宙にも似た別世界なのである。
 身近なところで深海を感じることはできないが、今、僕たちは川の底を見てしまおうと企んでいる。人の手で水を抜き取るかいぼりだ。
 2月21日に矢作川の阿摺ダム下流で川の水抜きが行われる。この数年間、想像し続けた川の中がどうなっているのか、冬の魚がどうしているかを、目の当たりにできるのだから嬉しい。アメリカナマズだけでなく、矢作川シーラカンスが発見できれば、なお嬉しい。まあ、恋愛と同じで「知るんじゃなかった」という事態も想定されるが、人間は「知りたがる生き物」、川で生きている以上、川を知りたいのである。ご購読はコチラ.pdf

85.奇跡の瞬間に感謝                     2012.01.09

 年末に、嬉しい事件があった。
 僕は自宅でひっそりと絵の教室を開いている。募集をかけたりしないので、生徒は数年前からY君一人っきりだ。月に2回、お母さんと一緒に彼のお絵描きを見ている。
 Y君は自閉症という個性の持ち主だ。いつもニコニコとした笑顔で教室に訪れると、1時間半、ハイスピードで絵を描き続ける。休まずに何枚も描くエネルギーはすごい。そして、描くものは乗り物のみ。8割が電車で2割がバスだ。画材も四つ切画用紙とクレヨンと決まっている。時には違う画材を勧めたりもしたが、小ざかしい僕の提案など「天才」である彼は、受け入れたりしない。だから僕は、10年間、先生らしいことは何もせず、幸せそうに電車の絵を描く彼を黙って見ていただけなのだ。ponntu.jpg
 その日のY君は、超ご機嫌だった。
「アカウオの揚げ煮…食べたね。ひゃはは」
お母さんの話によると、最近、給食の話題が彼のマイブームらしい。
「いいなぁ、おれも、アカウオ食べたいなぁ」
「ひゃはは、あべ先生、アカウオ食べたいね」
「食べたいよ〜、アカウオ美味しいもん」
「ひゃはは、食べたいね、食べたいね」
その直後、奇跡は起こった。Y君はクレヨンを手に取ると、アカウオの揚げ煮を一気に描き上げた。目を疑った。電車しか描かなかった彼が、初めてコミュニケーションの中から絵を生み出したのだ。当然、お母さんも驚いている。そしてY君は、一気に4枚の絵を描き上げた。
「エビフライカレー、食べたいね。八宝菜、食べたいね。ソフト麺の甘味噌がけ、食べたいね」
 さらに「甘味噌がけは愛知県のものだから、東京では食べられないんだよ」と僕がいうと、「ミッキー、食べれないね。かわいそうね」といって、ミッキーマウスの絵まで描き上げた。
 僕はY君の描いたごちそうを、一枚一枚、ていねいに食べる振りをした。「ぱくぱく、美味しいなぁ、うん、美味い」ヤバイ、涙が止まらない。ふと見ると、お母さんも泣いていた。
 愉快なのは、Y君だった。自分のしでかしたことに驚いたのか、体が固まって動かなくなってしまった。よしよし、今日はここまでだ。
 帰り際、お母さんがひとこと言った。
「本当にもう…、これだから、自閉症者の親はやめられない…」
 Y君にも参ったが、この言葉にも参った。奇跡の瞬間に立ち会えたことに、感謝している。ご購読はコチラ.pdf

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