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豊田市議から国会議員に転身の初事例  (2012.12.21)

 八木哲也さんは、現職の豊田市議会議員から初めて衆院議員に転身した。前例がない。普通は県議が国会議員になるが、当地の県議はご高齢だ。若干若い八木市議が出馬した。もっと若い市議は出馬を固辞した。

 当選確定の夜の選挙事務所で、同僚の市議たちが会話していた。これからは「八木さんとか、哲ちゃんとか、気やすく言えんなあ」と。倉知県議は、新しい国会議員のことをどう呼ぶのだろうか。これは私の関心事。

 八木さんは先祖代々高橋地区の人。父親の故八木良右エ門氏は高橋村議、豊田市議だった。市議時代の容姿風貌を思い出せる。

 八木さんは寺部小、高橋中、豊田西高を経て、中央大学理工学部を卒業したエンジニア。小島プレス工業に永く勤め、市議になった。田舎育ち、矢作川育ちの印象が強い。矢作川研究所主催の矢作川シンポジウムには皆出席で出ておられた。

 矢作川での出合いは、ぼくの漁協組合長時代のことである。地元の漁協組合らは、高齢者は八木市議のことを哲ちゃんと言い、ぼくらの世代は八木さんと呼ぶ人が多かった。

 八木さんの趣味は陶芸と読書。豊田工芸協会の会長(今は顧問)をしておられた。最近は市内全域で農村舞台の調査をこつこつと続け、仲間たちと共に、農村舞台復活利用のプロジェクトを推進してきた。古い舞台が実際に文化的興業に使われ、人々が見物に出かけるようになった。

 そういう文化人市議が国会議員になった。奥さんの明美さんとの間に2男1女がある。ご本人は65歳、1週のうち4〜5日は東京生活になると思うが、明美夫人も東京生活をして八木さんの世話をされるのだろうか。八木さんの地元秘書、東京秘書はどんな人物が選ばれるのか。自民党豊田市支部や自民クラブ議員団は、国会議員になった元市議の面倒を良く見るだろうか。ご購読はコチラ.pdf

衆院選開戦前夜の事情や矢作川のこと  (2012.12.14)

 衆院選開戦(12月4日公示)の直前の時期の去る11月21日、今回選挙に4選出馬する民主・古本伸一郎前衆院議員が市役所内の市政記者クラブを訪れ、同党が全国展開中の「マニフェスト点検集会」や消費税の話をしてくれるという。当社から若い記者(新見克也編集長)が出席することになった。

 一面担当の政治・矢作川環境担当記者である私としては、古本氏の発言を掲載するスペースを空けておかなくてはいけなかった。

 当時、豊田市議会から八木哲也・元議長が衆院選に出るという話は、一部の元市議や現職市議から出ていたが、私自身は八木市議は決断を見送るだろうと思っていた。八木市議は「落下傘候補」に批判的な人だったが、今回も落下傘候補かなあ、と私は予想していた。

 それでも何が起きるかわからない時期だ。1面トップスペースだけは空けておき、古本氏の発言(かなり長くなりそうだった)は1面から2面にかけて流すことで合意した。11月30日号は、古本発言スペースが先に完成した。1面トップスペース担当の私は記事未定のまま待機していた。

 自民クラブ議員団が八木氏擁立を全員一致で決めたと公表したのは、原稿締め切り時間後の11月27日午後だった。待機中に用意していた原稿はすぐにまとまった。衆院選の開戦直前号に、八木哲也氏と古本伸一郎氏の詳しい記事がのった。

 八木氏も古本氏も、政治の理屈を言い、書くことができる。理論派の政治家である。八木氏の出馬決断がうれしかったし、当号の紙面構成にも満足した。八木氏は「小選挙区で当選したい」と公言しているが、比例復活でも結構だ。当選して理論派政治家の2人が、国会で豊田市と矢作川環境について論じ合ってほしい。

 上流にダム湖のある河川は、晴天続きでも水が潤んでいる。ダムだらけの矢作川に清澄な流れを回復する手法について、2人の理論派と語りたいのだ。ご購読はコチラ.pdf


初めて市議会が国政候補を擁立  (2012.15.07)

国政「落下傘候補」批判派が出馬決断  (2012.11.30)

 中選挙区の愛知4区(西三河北部)が廃止され、小選挙区の愛知11区(豊田・みよし)が新設された平成8年10月の衆院総選挙で、当選連続6回の自民・浦野烋興氏が議席を失った。


 それからあと、愛知11区は地元の自民党候補を持たなかった。11区の自民党は党中央派遣の〝落下傘〟候補で全トヨタ労連候補(今の民主系)と戦ったが、小選挙区は全敗だった。不戦敗の時もあった。11区の自民党の党勢は衰えた。

 今回、自民党豊田市支部現職幹事長の八木哲也市議が、自民の党勢回復と地域政治の復権を旗印に総選挙出馬を決断した。落下傘候補の日常化自体を強く批判した。市議会の自民クラブ議員団が全会一致で擁立を決め、党中央が公認した。

 この空白の16年間に何が変わったか。自民中央は11区に対し、平成12年・山中燁子氏派遣、同15年・自民不戦敗、同17年・土井真樹氏派遣、同21年・土井真樹氏派遣。派遣候補は小選挙区で全敗し、平成17年に土井氏が比例代表で復活当選したが、11区に派遣候補は定着しなかった。

 平成17年、市議会与党が自民系と民主系に分裂し、自民クラブ議員団が誕生した。自民クラブ内では、市長選と国政選挙で独自の自民候補を立てようとする勢力が台頭してきた。

 これは自民県議の絶対的権力基盤を弱める要素もはらんでいるようであり、今回の八木哲也市議の衆院選候補確定も、県議・市議の微妙な勢力バランスの上で成立した。自民クラブ市議の結束が乱れ、結果的に県議の発言力が強まっていたら「八木哲也候補」はなかったかも知れない。県議一任による「落下傘候補」復活が見えるような局面もあった。

 なお愛知11区では、自民新の八木哲也氏が民主前の古本伸一郎氏に挑戦するほか、共産新の渡辺ひろし氏、幸福実現党新の中根ひろみ氏が出馬する。自民候補公募には5氏が応募したが、愛知11区は候補採用しなかった。ご購読はコチラ.pdf

豊田東高が「矢作川環境」研究へ   (2012.11.23)

 愛知県立豊田東高校の一年生240人が、豊田都心地区の矢作川久澄橋(国道301)の下流域で「矢作川環境」の観察を始めた。その「地域環境研究」の学習に併せて、同校では水辺の密生竹林の伐採やゴミの清掃などの環境ボランティア活動も予定している。11月19日午後、初の現地観察会が行われた。

 豊田東高校のフィールドは、河口から39㎞上流に位置する矢作川左岸(東岸)の一帯。延長5㎞の明治用水ダム湖の最上流の位置にあり、ここに矢作川本流の流水や土砂が流入して来る。複雑多様な水流が発生し、まだわれわれには未知の世界である各種生物の棲息環境が存在するようだ。 また、久澄橋下流の当地では流入土砂が堆積して矢作川の洪水の流れを阻害し、上流市街地での水害発生の危険を高めてきた。おりしも上流岐阜県内で建設予定だった洪水調節用の上矢作ダムが建設中止された。

 岐阜県内・上矢作ダムによる下流都市部への洪水調整機能が無くなり、その代替措置の一つとして、久澄橋下流域では緊急の河道掘削・浚渫の河川工事が行われ、約10万㎡(2㎞区間)の堆積土砂の排除がすでに完了した。 そうした都市水害防止対策の河道掘削・立木伐採・密生竹林伐開の大型土木事業が矢作川・久澄橋下流の左岸で行われ、その副産物として、人が近寄ることも困難だった同地に水辺公園型の河川環境が誕生した。

 そこは豊田東高校に近接する矢作川の水辺であり、同校の自然観察用のフィールドになるようだ。同校が樹林や草地を管理し、清掃もする方向だという。

 国交省豊橋河川事務所やNPO矢作森林塾も、同校の活動を支援していく姿勢である。豊田市初の矢作川の近自然公園である「古鼡水辺公園」のような存在へ発展していくのかも知れない。

 矢作川=明治用水ダム湖は、海水性のボラ、スズキ、ハゼ類の往来地点であったし、今でも天然アユやマス類の往来は官民で保護されている。この水域でも野鳥は良く研究・観察されているが、魚類や獣類の生態は未解明の分野が多い。ウナギのことも分かっていない。ここには非常に魅惑的な水域が残されているのである。ご購読はコチラ.pdf

自民党が「右寄り」になった理由は?   (2012.11.16)

 自民党の森喜朗元首相が「文藝春秋」のインタビューで語っていた。自民党が右派化した理由は何なのか。

 元首相いわく。平成の初め頃、自民党員は5百万人を超えていた。その後ガターッと減って、いまや百万人(20%)を切った。残った党員はカチカチの正統派が多い。右寄りを選びます。

 元首相の産まれ年はぼくと同じだった記憶だから、今75歳位だ。今年7月に、次の衆院選には出馬しないと表明していた。それで引退の前にすべてを語ろう、ということになったのである。

 元首相の言う平成の初めころ、今の豊田圏(愛知11区)の自民党員数はどれだけだったのか。当時、全国有数の党勢を誇るといわれていて、愛知県内ではダントツだった。

 党員約6千人と言われていたと思うが、正確な資料が出て来ない。20年前の約6千人が正しいとすると、今の2473人(41%)というのは、全国的な減少傾向(20%)よりかなりゆるいことになる。正確な資料で比較してみたいと思う。

 いま手元にあるのは、平成14年(4380人)から同23年(2473人)までの10年分である。愛知11区の自民党員数は減り続け、10年前の56%になった。今の党組織の目標は「前年の党員数確保」だが、平成24年度も減少は止まらないようだ。

 右の総括的な党員数の推移のほかに、自民党豊田市支部では地区別(担当市議別)の党員数を毎年発表し、それが各市会議員の「勤続評定」の各割を果たしている。

 今、市議会自民クラブ議員団(都築繁雄団長、29人)の中には、同議員団として「次期衆院選候補」を擁立しようという動きが見られる。同候補者が衆院選で落ちた場合には「県議後継候補」に自民クラブとして推薦するという、いわば担保付きの衆院候補擁立である。

 これは倉知俊彦、三浦孝司両県議の専権であった事柄に市議会自民クラブが踏み込むということであり、成り行きが注目される。ご購読はコチラ.pdf

地域の政治的人材のストックを厚く (2012.11.09)

 衆院選が中選挙区時代の愛知4区(西三河)は「定数4」であり、その北部の豊田圏は民主系(当時は民社党)、自民党各1の事実上の指定席だった。

 そして小選挙区の最初の年である1996(平成8)年、民主系現職(当5)の伊藤英成氏(当時は新進党)が再選され、自民党現職(当6)の浦野烋興氏が落選、政界を去った

 そのあとの愛知11区で、2000(平成12)年から今日までに4回の小選挙区選挙があり、民主党の古本伸一郎氏が4連勝。自民党は3回は党中央派遣の落下傘候補(山中燁子氏1回出馬、土井真樹氏2回出馬)で戦い、もう1回は候補者を立てられず不戦敗だった。

 山中・土井氏ともに小選挙区で敗北。土井氏は初回だけ比例代表で復活当選した。2人とも豊田圏での政治活動を断念し、去っていった。愛知県知事選に自民県連推薦で出馬した重徳和彦氏は豊田の人だが、やはり豊田圏での政治活動を断念し、次回衆院選に岡崎圏から日本維新の会推薦で出馬する。

 ごく近年だけでも、山中・土井・重徳3氏の政治的人材が豊田圏を去った。個人の政治資質に還元して考えずに、地域の政治風土の問題として対応を考えてみたいものだ。 愛知11区の政治は民主系トヨタ労組圏内の存在であり、自民にきびしい。解散総選挙が近いが、11区自民は

再び不戦敗の可能性もあり得る情勢だ。

 その意味で自民党豊田市支部の八木哲也幹事長らの「地元から候補者を」との提言は注目に値すると思う。倉知俊彦県議や三浦孝司県議の2人が、自らの後継者を早目に選考し、まず衆院選に出してほしいという提言だった。落下傘候補に頼りすぎ、地域政治が衰退しているのが現状だと思う。

 11区の保守政界では不運があり得る。国会、県会、市会だけでなく、企業、地域団体を含めて政治的人材のストックを厚くしたいというのが提言の趣旨であり、まずは県議会議員の奮起を望みたいというのが提言の本丸だった。ご購読はコチラ.pdf

公園内「放置管理」区域とは?  (2012.11.02)

 豊田市高町にある市営の運動公園のことを書こうと思う。公園の南側は井上町、東側は御船町、西側は四郷町、北側は高町であり、各町とも住宅が立て込んでいる。

 この住宅地に囲まれた超大型の運動公園の雑木林の中で、今年夏にカブト虫が自然発生した。その雑木林はコナラやアベマキの大木が公園造成前から残されてきた自然林で、そこは昔はカブトムシの宝庫のような場所だったから、今年夏の事態はカブトムシの復活だったと言える。

 何が変わったのか。公園造成後から最近まで雑木林の中の落葉や枯れ枝は公園外へ運び出して処理されてきた。それが公園の管理費節約で、落葉などは雑木林の中で集積処理され、林床に腐葉土のベッドが形成された。

 その腐葉土のベッドにカブトムシが自然産卵し、幼虫・サナギ・成虫が発生してカブトムシが復活したのだろう。まだ小規模ながら、林床の腐葉土化の跡が何箇所かで見られた。

 豊田市役所の伊藤昌明建設部長は、若き日にヨーロッパ近自然河川工法調査団を事務局担当として引率した経験があり、今夏には市営運動公園の近自然公園化方針を建設部内各課に指示した。


 運動公園造成前の雑木林にカブトムシなどが無尽蔵に居た頃、リスも生息していた。雑木林の周囲の人々の記憶にあることだ。リスの生態のことは知らないが、リスは高等動物だから、隠れ家、寝場、餌場が必要だと思う。

 運動公園は全体として高度管理されるが、その内部に人がスポーツや散策に使う「完全管理区域」と、野生生物たちの住み家として半ば管理放棄する「放置管理区域」の両方が必要だろう。

 野生生物は人が「完全管理」する地域には生息できない。半管理状態の「放置管理」地を公園内に設け、野生の生存を保障するのが近自然公園の管理思想だと思う。ご購読はコチラ.pdf

中国労働者階級は「尖閣」強行派  (2012.10.26)

 中国は共産党の一党支配の国である。今年9月、日本政府が尖閣諸島の国有化を宣言した直後に、中国各都市で反日デモが続発した。その規模の大きさから見て、中国都市の労働者階級が政権党に付和雷同し起こしたデモであるとしか考えられなかった。スローガンは「反日」一点張りで、解決策は何も提案しなかった。労働者階級のデモに失望した。

 その直後の10月、中国の知識人たちがネット上で声明(署名約540人)を出し、尖閣は「棚上げが賢明」、日中は「理性を取り戻そう」と呼びかけていた。解決策を具体的に提案していた点で、労働者階級の反日デモより上等だと思った。

 その少し後、中国の小説家・莫言氏にノーベル文学賞の授与が発表された。その記者会見で莫言氏は「日中間に領土の争いは客観的に存在するが、争いは棚上げにするのが一番いい」と提案し、次のように述べた。

 「朝鮮半島の南北軍事境界線のように(尖閣を)無人区にすれば魚たちの天国になる。人は争いのあるところに行かないことだ」

 中国の知識人たちの提案は、中国・周恩来総理と日本・田中角栄首相が1978年に路線化した領土問題「棚上げ」論にほかならないが、日中共に「棚上げ領土」の今後の具体的扱いに関する交渉を放置してきた。

 そして9月10日、野田政権は「棚上げ」状態の領土問題を突然、棚から下ろして国有化宣言した。その前日の9月9日、中国の胡錦濤国家主席がロシア・ウラジオストック会談で野田首相に直接、国有化に断固反対の意思を伝えていたという。民主党政権が判断間違いした可能性がある。

 日本の政治家では唯一人、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長が棚上げ領土の「共同管理」を提案している。尖閣は日本の領土だとしながらも、領有と利用を切り離して現実的解決策を提案したものだが、まだ少数派だ。

 以上は中日、朝日、読売記事をネタに書いた。続篇で補完したい。ご購読はコチラ.pdf

越戸ダムは記録を保存しよう   (2012.10.19)

 豊田市猿投台交流館地区の「勘八峡山水会」という郷土史研究グループが『勘八峡紀行』を出版し、去る10月13日同交流館ホールで、出版記念会が盛大に開催された。 そのことは本号2面に書いたが、以下はその関連記事である。

 ここでいう「勘八峡」とは、国道153の平戸橋から広瀬地区の広梅橋まで、約5㎞区間の矢作川の景勝地のことだ。

 1927(昭和2)年、新愛知新聞(中日新聞の前身の一つ)主催の住民投票で、勘八峡はオール愛知県下の十名所の一つに選定されたのだが、その直後の1929年に中電・越戸発電所ダムが完成し、渓谷美を誇った「勘八峡」の中心部は越戸ダム湖の底に沈み、消滅してしまった。

 それでも今なお「勘八峡」が語られるのは、勘八峡がもはや検証不可能な、遠い昔の伝説的な景勝地になってしまったからか。また勘八峡の上流端、下流端には比較的美しい川が残っているからかも知れない。

 『勘八峡紀行』に収録された写真の数々は圧巻である。越戸ダムの湖底に沈み、もはやわれわれが目にすることはできない、往時の河川風景も見られる。矢作川の鵜飼い写真もあった。

 これらの原典は若子写真館のものであり、それが市広報課から広く一般に出まわったのかも知れない。しかし、もはや経路はわからない。流域の共有財産的存在になった。今の世代が確実に後生に伝えていくことが宿題だと思っている。

 『勘八峡紀行』には約20点の写真・資料が収録され、『紀行』は貴重な写真・資料の保存館(アーカイブ)の役割を果たすことになった。もやは四散することはない。

 越戸ダムに要望したいことがある。どんな地形がどんな形で湖底にあるのだろうか。越戸ダムがアーカイブであってほしい。近々に来るであろう「矢作川再生」の時、役に立つのではないか。湖底、地上物件ともに大事に保存していきたい。ご購読はコチラ.pdf

後期高齢者の夜の恐怖の私的体験記   (2012.10.12)

 10月の初めの夜の体験である。深夜の原稿書きが続き、ねむい。早くからベッドに入った。

 6歳の孫が絵本をもってきて、2人で半分ずつ交代で「朗読」しようという。自分一人で「黙読」しておれと言っても応じなかった。

 孫には朗読と黙読という言葉と、その違いを教えてあった。最初はぼくに全部朗読させようとしたが、2人で「半分ずつ朗読」へ、孫は妥協した。ぼくが疲れている時は、孫が一人で黙読と決めてあった。 その夜、ぼくがひどく疲れているのがわかって、孫は母親のベッドへ戻っていった。ぼくは小説誌を開き、平岩弓枝の「新・御宿かわせみ」を読もうとした。

 最初に「越中富山の薬売り」の話が出てきて、すぐあとに薬売りが故郷の「風の盆」の話をする下りが書いてあるのが辛うじてわかった。ここを読むのは2回目であることも思い出せた。

 しかし、一字一字の文字は明確に判読できても、文字が物語になっていかなかった。夜の公園に出て月を眺めようとしたが曇天だった。うーん、脳の血管が切れたかな、と思った。

 かみさんが出てきて、この夜中に寝間着姿でどこへ行っていたの、と言った。わけを話すと、やはり脳の血管が切れたと思ったらしい。酒は呑まずにねむりなさいよ、と言った。

 ベッドに戻り思い出した。3年程前の夜にも同じことがあった。眼医者は「どこも悪くないですよ。あなたの眼の疲れのクセでしょう」と言っていた。薬もくれなかった。3年前の眼医者の「疲れクセ」説を思い出し、その夜はねむった。翌朝「御宿かわせみ」は普通に読めた。

 もっと前、昼の仕事中に眼の焦点がしばしば合わなくなった。医者の指示で遠くの森を眺めていると、数時間で焦点は回復した。今回は疲れのクセが重体化したのか。息子は睡眠不足がいかんなと言った。ご購読はコチラ.pdf

水力発電と水産漁業の文化圏 (2012.10.05)

 豊田市街地は三河湾から40㎞上流地点にあり、さらに5㎞程上流の45㎞地点に中電の越戸ダムはある。

 この一帯は「平戸橋勘八峡」と呼ばれた景勝地で、越戸ダム下流の右岸側には矢作川漁業協同組合の本部事務所やアユ養殖場及び加工場、中電矢作川電力所、越戸発電所の施設群が並ぶ。

 この矢作川右岸側の施設群は、地名で言えば豊田市平戸橋町波岩地内にある。そして上流端の越戸ダムと下流端の越戸発電所は、延長600mの発電導水路でつながっている。矢作川漁協事務所も中電矢作川電力所も導水路沿いに位置する。

 さて、延長600mの発電導水路沿いには、普通なら延長600mの階段式魚道が付いている。魚類はそこを遡上して無事にダム越えできるはずだ。

 ところが越戸の発電導水路は下流側半分にしか階段式導水路がない。上流半分は発電導水路と魚道が今でも兼用だ。階段魚道をのぼってきたアユは、途中で発電放水路へ放り込まれる。

 発電所がフル運転すると導水路の流速が速まり、アユは魚道兼用の導水路を遡上できずに、じりじり発電所方向へ後退していく。

 すでに矢作川の天然アユ遡上が復活しつつある時期だった。私たち漁協側と中電側の担当者で、そうした事実を何回も目撃した。水力発電と水産業の「共存共栄」を確認していたので、補償金で解決する案は出なかった。

 長期視点で上流への魚道延長も検討されたが、技術的困難があり、何より時間がかかりそうだった。

 私たちは魚道不備の代償措置(ミティゲーション)を考えることにした。一日に2時間ほど発電量を落としてもらい、発電導水路の流速を落とすと、じりじり後退していたアユが前進を始め、ダム湖方向への遡上を終えた。今も現役の方法だ。

 豊田市平戸橋町波岩の矢作川の一角で、水力発電と水産漁業が「共存共栄」の文化圏を築いているよう思う。もし魚道不備問題を補償金で解決していたら、こういう深い満足感はどちら側にもなかったのでは。

 別の機会にお話しできると思うが、矢作川の別の場所でもう少し大きなミティゲーションが進み、成果を上げつつある。人の知恵が拡がってきた。ご購読はコチラ.pdf

日中双方が「尖閣諸島は固有の領土」論  (2012.09.28)

日本政府が尖閣諸島(沖縄県石垣市)を国有化したのは9月11日だった。それ以来中国各都市で大規模な反日デモが続き、9月23日には中国当局が、日中国交正常化40周年記念式典の開催延期を日本側に通知した。

 こうした事態になることを見こしていたかのように、岩波書店の月刊誌『世界』 10月号(9月発行)は「日中国交回復40年─対立を越えるために」を特集。元内閣官房長官の河野洋平氏がインタビューの中で、当時の中国・周恩来、日本・田中角栄両首相が「尖閣の解決は次世代に委ねる」ことで合意していた事実を明らかにし、それが日本政府の不用意な国有化でご破算になった経過を語った。

 日刊紙「しんぶん赤旗」は、日中双方が尖閣は固有の領土と繰り返すだけで、日中間に「領土問題は無い」と言い続けてきた稚拙な外交姿勢を強く批判。現に存在する領土問題を外交交渉で解決するよう、政府に提言した。その際の歴史認識は次の通りだった。

 ──日本は、1895年1月に尖閣諸島の領有を宣言したが、これは「無主の地」の「先占」という、国際法上正当な行為だった。

 ──中国側の問題点は、中国が1895年〜1970年の75年間、日本に異議も抗議もしていないことだ。  ──中国は日本が日清戦争に乗じて尖閣諸島を不当に奪取したというが、1895年の日本の領有宣言は日清戦争とは関係ない。

 以上が尖閣諸島のミニ近代史だが、中国は共産党政権の新旧交代期である。領土問題で国民を煽るばかりで、尖閣諸島の歴史認識に興味を示さなかった。

 一方、日本では衆院解散総選挙の時期が近づき、特に自民総裁選では5候補共に日本の領土保全を主張し、民主党の弱腰外交への批判を強めた。

 民主党外交の失敗は、タナ上げ状態の尖閣の国有化を宣言したことだろう。今から40年前の1972年、中国の周恩来首相と日本の田中角栄首相は「尖閣の解決は次の世代へ先送りにする」ことで合意。日本の「尖閣実効支配」の現実の継続を中国側が容認したのだ。

 日本の領土ナショナリズム的空気の中で、それを民主党が不用意に国有化し、中国側ナショナリズムに火を付けたのである。ご購読はコチラ.pdf

26日・自民党総裁選挙開票  (2012.09.21)

 自民党愛知第11区支部、同豊田市支部、同みよし市支部の合同幹部会が9月18日朝、豊田市神田町の党事務所で開催され、①いま進行中の自民党総裁選への対応、②次期衆院選での11区候補擁立の、2議題が協議された。 第1議題は、安倍晋三(57)石破茂(55)町村信孝(67)石原伸晃(55)林芳正(51)の5候補の中から、豊田圏としては特定候補を選び、支持を表明するかどうかだったが、自由投票の結論になった。前々から石破氏は豊田をしばしば訪れていたし、倉知県議も石破支持を唱えており、11区は石破氏優勢の機運である。

 自民党総裁選は9月26日に投開票。国会議員199票、党員300票(愛知は9票)の投票で決まる。党員投票は県連単位ですでに始まっている。愛知の9票は、県内での得票に応じてドント方式で5候補に配分される。この党員投票の5候補への配分で石破氏が優勢と見られているが、5氏とも過半数は獲れない。上位2人による決選投票は国会議員票だけで行われるので、予想は困難だ。

 8日朝の合同幹部会での第2議題は、前回流産した11区候補予定者についての県議からの経過報告。予定者の名前は公表されなかったようだが、いったんは「医療・福祉関係」と発表され、その直後に流れてしまった経過が報告された。

 解散・総選挙は当面、先にのびたという予想。10月臨時国会冒頭解散から年末解散まで予測は様々だが自民・民主の党首選挙後の情勢展開待ちだ。

 倉知県議は「国会の一票格差を解消しなければ解散できないし、赤字国債発行法案も通さなければならないから、すぐには総選挙にならないのでは…」と予想する。

 「あの医療・福祉関係の候補予定者も今回で切れてしまったわけではないですよ。豊田市が長くお付き合いしなければならない方です。私自身も関係者とのお話しを続けますよ」という。ご購読はコチラ.pdf

NPOが整備した矢作川の雑木林  (2012.09.14)

 9月8・9日の「橋の下世界音楽祭」行事のほとんどは豊田大橋の下に特設された大ステージで演じられたが、初日夜の芝居「姨捨」だけは矢作川の雑木林を舞台にして行われた。

 雑木林が〝姨捨山〟の想定であり、満月の夜の御山で進む棄老伝説の物語を、名古屋市大須のハラプロの七人の役者=写真=が演じた。舞台は一時間。

 第一場で老女は孫娘と楽しく遊ぶ。やがて老女は孫娘に山への旅立ちを告げる。

 第二場で老女は息子に背負われ、お山入りする。息子が老女に生涯最後の感謝のことばを述べ、母である老女を一人山に残し、去っていく。やがてお山の空に(映像の)満月が昇り、星が流れる。

 第三場は山で一人横たわる老女。やがて山に棲む獣たちの化身が老女の周りに姿を表し、スズメ踊りを舞って、老女を慰める。老女も獣の化身たちと一緒に舞う。

 ナレーターが「月だけが最後まで見つめていた」と繰り返し語り、「姨捨」の人の世の物語を自然界的エンドにした。 名古屋市大須のハラプロが「スーパー一座」の名で芝居をしていた頃、足助町怒田沢の農村舞台にて「スーパー歌舞伎」公演をしたことがあった。

 座長の原智彦氏は今年六十六歳。怒田沢でのスーパー歌舞伎公演は三十年も前のことだというから、原智彦座長が三十歳代、足助町職員として文化事業を推進していた小沢庄一氏が四十歳代の頃の、二人の青春時代のような時期に、スーパー一座は足助に来たことになる。

 さて、ハラプロの原智彦氏は矢作川の雑木林で「姨捨」公演を終えたあと「あの自然の雑木林はいいですねえ」と言っていた。現地は七年前まで竹の密生地で川が見えなかった。

 今のNPO矢作川森林塾(硲伸夫理事長・会員約50人)がその密生竹林を皆伐すると、翌春には伐採跡地にエノキやヤナギ、タラなどの幼苗がずくずく芽生えてきた。それが今日の雑木林になった。

 最初は漁協系の矢作川森林塾が釣人たちのための〝川の風景〟づくりを目標に河畔林整備を始め、そこが市民の散策場所になった。今回は野外劇的な芝居の舞台になり、河畔林整備のボランティア事業の先が明るくなったと思われた。「橋の下世界音楽祭」のおかげである。ご購読はコチラ.pdf

数量データを国語で語る習慣  (2012.09.07)

 自然界の生物の生存量を「数量」的に表現するとことは非常にむつかしい。

 しかし、三河湾から矢作川に遡上して来る天然アユの稚魚の数量把握は比較的容易だ。矢作川はダム群に完全分断された河川だから、各ダムの魚道通過量を目測したり、機械観測することによって、矢作川各地域のアユの生存量を推定できる。この数量データは毎年保存されている。

 ぼくは矢作川の天然アユが〝絶滅危惧種〟と見られていた時代から、天然アユ復活後の魚道観測の時代にかけて矢作川に居た人間だから、天然アユ全盛時代のことは知らない。矢作川研究所や矢作川アユ調査会が本格的に調査活動を始めたのは1997年(平成8)以降である。

 それ以前の天然アユの数量データは水産試験場の書庫にはあるだろうが、当地にはない。しかし、国語表現で、つまり日常会話で、矢作川の天然アユは活発に語られていた。それが今日まで伝説的に語り継がれてきたのだが、矢作川の人々の高齢化で、’それも終末期だ。当時の「アユ日記」が見つかっていない。

 昔と今のどちらが良いのか。数量データを残している矢作川研究所以降の今の方が、明確にベターだと思う。何が問題なのか。 最近の官庁や研究者はすぐに「数量データはありますか?」という。数量データを示さなければ上級官庁の補助金がつかない、という最近の傾向の反映だと思う。

 しかし、数量データは或る日に、或る時間帯に、或る条件下で、限定的に正しかったデータである。国語的表現に通訳しておかないと限定的データが一人歩きし、万能のデータのように理解されてしまう怖れがある。

 数量データは現場を知らない特定者に独占されやすい。記者として国語表現と数字データを併用してみたいと思う。たとえば或る時間帯の、越戸ダム魚道の天然アユ遡上数量は「中規模の上・10分間に50尾」というように。データの意味が広がっていくと思う。

 まずは発信側(調査員)が数字データを国語表現で語る習慣をつけてはどうか。受信側(官庁)もナマの数量データを国語表現に転換して理解してほしいと思う。 数量データでは小説は書けない。国語表現で書く。数字データは伝わりにくいのだ。ご購読はコチラ.pdf

消費税は政治史上で高い評価    (2012.08.31)

 民主党最高顧問で福島県出身の渡部恒三氏(80)と、自民党元首相で石川県出身の森喜朗氏(75)が、毎日新聞特集ワイド(8月23日)で、次のテーマで対談していた。

 ①小選挙区制批判と中選挙区復活 ②消費税に関する3党合意の政治史的評価 ③解散総選挙と連立政権・大阪維新の会 ④脱原発は是か非か 渡部・森氏は早稲田大学雄弁会の先輩・後輩の関係。2人は自民党で1969年初当選した。次期政界引退が決まっている。

  ◇  ◇

 2人は穏健派で、政治論を好んで語る。今の若い政治家への共通認識は自分の「損得」しか考えないこと。党の会議でもマスコミ受けする発言をし、途中退席してしまう、と。

 渡部氏も森氏も“1区1人当選”の小選挙区制は党を選ぶ選挙になり、人を選べない。結果、専門性の高い政治家がいなくなったという。小選挙区制導入は、2人とも失敗だったと語り、中選挙区制を望むという結論。

 現在、民自公、共などで超党派の衆院選改革の議員連盟(加藤紘一代表世話人)が改革案(中選挙区復活か)を練っている段階。

 渡部氏は、税と社会保障一体改革の3党合意は、日本の政治史上高く評価されるが、それと衆院早期解散は全く関係ない命題だという。森氏も「全くその通り」と語った。

 森氏の党内情勢の分析はこうだ。今総選挙をやれば自民党は20〜30議席増える。前回大量落選した人たちが「早期解散」を主張し、谷垣総裁も総選挙に勝って総裁を続投し、総理をやりたい。対談では2人は、政策課題を「早期解散」の政局に結びつけることに強く反対していた。

 世論調査によれば自民も民主も維新も過半数に届かない。総選挙後は連立政権しかないが、民自公が抜けがけし維新と結んではならない、というのが2人の基本認識だった。

 民主党最高顧問で福島出身の渡部氏は明快に「脱原発」路線。自民党元首相で石川出身の森氏は「財政基盤の弱い自治体に原発を押しつけるのは反対」と述べながらも、脱原発派に「もう少し冷静に」と呼びかけていた。

 森氏はロシアのプーチン大統領と外交で親密な関係にある人。「北方領土問題で一番率直に意見を交わせると思う。政府から話があれば、国のために尽くします」と語っていた。ご購読はコチラ.pdf

西三河の経済を支えたダム群    (2012.08.24)

 矢作川水系には一体いくつのダムがあるのか。豊田市内の矢作川本流だけを見ると、最下流の明治用水ダムから最上流の矢作ダムまで46㎞区間に、7つのダムがある。河川6・5㎞ごとにダムが1つある計算だ。

 ダムは支流に多い。中電のダム地図で拾ってみると、ダムは本流・支流を合わせ、およそ30ある。ほとんどが利水本位の旧式ダムであり、支流では魚類の繁殖・保護に必要な河川維持流量をまともに流していない例が多い。

 ここで近年になって建設中止が確定した大型ダム新設計画に、ふれておきたい。

 〈国営・矢作川河口堰〉1998年休止・のちに中止。三河湾の海面漁協・矢作川の内水面漁協が建設反対。愛知県が工業用水利権を返上し審議会が建設休止答申した。

 〈県営・巴川ダム〉足助町安実京。地元反対同盟会が長期反対闘争。1998年、愛知県第7次地方計画から建設計画削除、建設中止確定。西三河の上水道用ダム、総貯水量8千万トン。水需要減少や巴川の水の単価が高いことが中止理由。

 〈国営・上矢作ダム〉岐阜県恵那市上矢作町、利水・治水ダム、総貯水量5400万トン。公共事業見直しで2009年中止。

 以上3ダムの建設中止確定で、矢作川水系のダム新設計画はすべて終わったが、国交省豊橋河川事務所側が、上矢作ダム建設交渉のアトシマツをしていないため、ダム撤退跡の住民が困っている。

 矢作川漁協・国交省豊橋河川事務所の「矢作川河口堰」交渉でも、国交省側は交渉継続の見返り条件として「既設ダムの改良」の実施を提示していたが、中止決定後はアトシマツせずに逃げてしまった。西三河の経済発展を支えてきた矢作川のダム群への配慮を欠いている。

 さて、国交省側としては過去の河口堰交渉の経過の中から、既設の旧式ダム改造の糸口になるようにことを見つけ出してほしい。交渉記録は残っていると思う。当方の資料としては『環境漁業宣言』の中に記録がある。ご購読はコチラ.pdf

27年前・アベマキ林を残した見識  (2012.08.10)

 豊田市四郷町と御船町の間の雑木林で、市運動公園が造成されるまで、当地の雑木林にはカブト虫やクワガタ虫が無尽蔵にいた。当地には〝虫キチ少年〟が多かった。

 今から27年前の1985年(昭和60)元旦号の「やはぎウィークリー」に、私は「アベマキ林を残した見識」というエッセーを書いていた。そのアベマキ林で最近になってカブト虫が復活しているのを見つけ、昔の新聞保存版をひもといてみたのである。

 当時すでに、豊田市運動公園造成第1期の雑木林の皆伐が始まっていた。外周のアベマキ林やコナラ林は雑木林のままの姿で残すように豊田市自然愛護協会の白鳳公明会長らが提唱し、運動公園予定地の外周林を残す方針は市から地域に説明されていた。

 ところが市から業者への連絡にミスがあったとかで、当社隣接地の南側外周林は皆伐されてしまっていた。それに続く東側の外周林でも伐採が始まったとき、事件が起きた。

 少年たちが大木にしがみつき、伐採を止めてしまった。Tさんという若い母親が当社に駆け込み、子どもが危ないから何とかして、と言ってきた。

 現場の虫キチ少年たちはもう解散していたが、業者は困りはてていた。当時の加藤正一助役に、私はあらためて外周林の伐採中止を求めた。

 「すぐに止める。心配せんでいいぞ!」という返事があり、東側外周の雑木林だけは残った。それから長い時間の経過があって、公園管理者が外周の雑木林の中で落ち葉の放置管理を始め、カブト虫が復活したと思う。

 27年前の当社の記事には虫キチ少年たちの必死の抵抗については何も書いてなかったが、少年たちの行為は市当局に受け入れられ、外周林にアベマキやコナラ、エノキの大木が残った。白鳳公明さんは当時、「これは市の見識だ」と高く評価しておられた。

 1985年元旦号の「やはぎウィークリー」には、運動公園予定地で皆伐が始まった頃の「雑木林消滅」の事情が書いてある。白鳳さんは伐り倒された木々の間を歩き、大声で私にむかって伐採木の名前を語り続けた。私は記録した。伐採跡地に植樹すべき木々の目録を作っておられるのだと思った。続篇を書こうと思う。 ご購読はコチラ.pdf

衆院解散総選挙はいつか  (2012.08.03)

 ──自民党愛知連の三浦孝司幹事長(68)は、愛知県において、衆院解散・総選挙を仕切る立場の人だと思いますが、解散はいつと予想しておられるか?

 三浦幹事長 自民党中央の情勢は、愛知県連ではわからない。ただ7月26日、党中央から県連に「お盆前解散もあり得る情勢だから総選挙の準備を急げ」という通知はあった。解散すると40日以内に総選挙ですね。

 ──お盆前解散はともかくとして、8月20日までに解散、9月30日(日)総選挙はあり得るのか。いずれにせよ消費税法案を通し、話し合い解散か。

 三浦幹事長 情勢が読めないが、消費税法案は8月10日参院で採決だと思う。自民の谷垣総裁としては、自分の主導下で民主の野田総理に早期解散させ、9月の自民総裁選に出たい。これが盆前解散の〝政局戦略〟です。 ──もともとの自民党側の総裁選予定は。

 三浦幹事長 第1に9月、第2は11月、第3は遅くても来年1月。

 ──お盆解散・9月総選挙は、第1案の変形ですね。11区(豊田・みよし)の衆院候補は未定ですか。


 三浦幹事長 そうです。11区としての公募は「適任ナシ」で党本部へ上げた。双方で努力するという結論のままだが、情勢が詰まってきたので、近々に党本部・11区支部の再会談があるでしょう。

 ──11区支部の「不戦敗」はありうるか。

 三浦幹事長 一つの可能性としてなら有り得るが、許されないことでしょう。

 ──来夏の愛知の参院選候補は。

 三浦幹事長 来夏の参院選は、今夏(?)の総選挙後に考えます。民主党も谷岡くにこ氏が離党し、参院候補は大塚耕平氏1人にしぼるかどうか…。総選挙後でしょう。ご購読はコチラ.pdf

上矢作ダムから撤退した国に問う  (2012.07.27)

 国土交通省豊橋河川事務所の官・民・有識者の交流組織である矢作川流域圏懇談会が、来る8月3日(金)13時〜16時、豊田市産業文化センター大会議室で、初の全体会を開く。
 同懇談会の参加組織(矢作川流域3県8漁協連合会)の一員として出席し、自分の意見を述べようと思う。上矢作ダム撤退跡地の地域振興についてである。
 上矢作ダム(総貯水量5400万トン)は、岐阜県恵那郡(現恵那市)上矢作町の達原地区に昭和48年頃に計画された。愛知県側の東加茂郡旭町(現豊田市)で昭和46年完成した矢作ダム(総貯水量8000万トン)の補助ダムという位置づけだった。
 結局、地元もダム建設・水没移転に合意。平成5年頃から計14億円を投じ、地質・環境調査が行われた。しかし民主党政権下でダム事業の見直しがあり、平成21年10月9日、前原誠司国交大臣が上矢作ダム建設中止を発表。矢作川の長野・岐阜・愛知県8漁協が連合会を設立して「上矢作ダム反対」を決めていたので、同ダムが環境問題をクリアできる見通しはなくなっていた。
 さて、上矢作ダム計画提示から約40年経過。ダム水没予定の国道418号の改修は進まず、民家側も家の改修を見送ってきた。ダム関係者連署の要望書が、恵那市長名で国交省豊橋河川事務所長に提出されているが、同事務所はまだ文書回答を出していない。
 要望書の内容は、第1にダム問題に翻弄された過去30余年に対する金銭補償であり、第2が国・市・林道の早期改修、第3が山腹崩壊危険地区の整備である。
 上矢作ダムの建設中止が地元に通告され、ほぼ3年が過ぎた。地元では「国交省はダム中止宣言し、食い逃げしようとしている」と受け止めている。矢作川流域圏懇談会にとって最悪である。対応できること、できないことを含め、まず回答書を出して欲しいと思う。ご購読はコチラ.pdf

△上矢作ダム中止の現地に研究者ら (2012.07.20)

公共事業が途中撤退してしまったあとの「地域振興」を今後どうすればいいのか。撤退側の国や県、関係住民は旧公共事業予定地域の振興をどう支援できるか。社会学という学問は「地域振興」の調査・研究をどう進めるのか。
 いわゆる「ポスト公共事業」の課題だ。今は河川の「ダム建設」からの撤退が対象だが、今後は原発の廃炉・撤退がさらに大きな地域課題になりそうだ。
 今年3月13日、政府が「ダム事業の廃止に伴う地域振興法案」を閣議決定したが、今の政治情勢では法案成立のめどは立っていない。滋賀県が一歩前進していて、県営ダム廃止に伴う地域振興・生活再建策をすでに具体化している。
 矢作川水系では、旧岐阜県上矢作町(現恵那市)の上矢作ダム=矢作ダム上流20㎞地点=が、国・地元の40年に及ぶ長い建設協議を続けたが、平成21年10月9日国交省が建設中止決定した。国交省豊橋河川事務所の「矢作川流域圏懇談会」が水没予定地(現在15戸)の地域振興を話題にする可能性はあるが、まだ方向も出ていない。
 さてこの7月12日、豊田市矢作川研究所研究顧問で、関西学院大学環境社会学教授の古川彰氏=写真左端=ら4人が、上矢作ダム水没予定地だった上矢作町達原を訪問。現地で上矢作ダム達原対策委員長(当時)の堀猛さん(80)=右から2人目=と懇談した。
 堀さんは達原地区大平の福寿草群生地(約1町歩)の現職の管理人で、岐阜県矢作川漁協の前上村支部長。40歳の頃から40年間も上矢作ダム対策の中心的存在だった。
 2時間余の第1回懇談の中で、堀さんは最初5年程はダム建設絶対反対で、その後30年余ダム建設・移転交渉を続けた地元事情や、現在の地域振興要望などを語った。古川教授側は第1回の記録を整理し、9月の第2回懇談会で地域振興の話を具体化したい意向だ。ご購読はコチラ.pdf

加藤正一元市長が福寿草保全の「豊田市民ボランティア」代表者に(2012.07.13)

 滋賀県知事2期目の嘉田由紀子さんは、滋賀県立琵琶湖研究所の創設メンバーで社会学系の学芸員だった。豊田市矢作川研究所が第3セクター経営だった頃に、琵琶湖研究所から矢作川研究所のシンポジウムに来ていただき、お話をうかがったことがある。
 元豊田市長の加藤正一氏は矢作川研究所の直接の創設者であるから、嘉田さんのご来訪の折りに、お二人は会っておられるかも知れない。そうでなくても、元市長は滋賀県知事の最近の業績を関心をもって見守ってこられたのではないか。
 嘉田知事はダム中止地の地域振興、生活再建の提唱者である。滋賀県行政のトップとして、それを政策化した。知事は自分の最近の著書『知事は何ができるのか』(風媒社)の中で、ダム中止地を救済しない国の河川行政を強く批判。政治・行政は法にかない、理にかなうだけでなく、「情にかなう」ものであるべきだと述べた。
 そして「ダム建設水没予定地生活保障法」をつくれば、日本中のダム建設地でこれ以上不幸な官僚、これ以上不幸な住民を生まずにすむのではないか、と述懐しておられる。
 上矢作ダム中止地の達原渓谷左岸には、早春に黄色の花を開く福寿草の大きな自生地がある。地元の自主管理地だったが、長かったダム計画で人家は減り、住民は高齢化した。地元の自主管理が困難になるかも知れない。
 元豊田市長の加藤正一氏も「情のある政治」を唱えてきた人。豊田市民ボランティアで上矢作ダム中止地の福寿草自生地管理のお手伝いを出来ないかと考えてこられた。
 考えてみれば下流都市のためのダム計画だった。「豊田市民ボランティアの皆さんにもご協力を要請したい」と言う趣旨で代表者を引き受けたという。ご購読はコチラ.pdf

ヨーロッパ左派の動向に注目 (2012.07.06)

 去る6月28・29日、欧州連合(EU)の首脳会議が開催され、ドイツ保守のメルケル政権の譲歩によって、EU内各国(特にスペイン)の金融機関危機にEU全体で対処する方針が明確に示された。
 各国銀行への監督権限を欧州中央銀行に一元化し、経営危機に陥った各国銀行の救済をEU基金が直接行えるようにした。ドイツのさらなる財政負担増を怖れて、メルケル政権が実施に強く反対してきたことだが、妥協が成立したようだ。
 ヨーロッパは国の主権を一段とEUに委ねるという「欧州統合」の理想主義を、さらに進化させたと言える。直前までまた先送りかと見られていた欧州中央銀行強化が、なぜいま実現したのか。
 フランスでは去る5月6日大統領選挙があり、現職の保守・サルコジ大統領が退陣し、左派のオランド大統領(社会党)が登場した。続く6月17日の総選挙(下院)でも、フランス左派はドイツ流の「財政規律強化=緊縮財政」一辺倒を批判し、「財政規律+経済発展」を訴え、圧勝した。上院は左派が握っていた。
 勝負はあったのだ。ドイツはさらなる財政負担を覚悟し、ヨーロッパ経済全体の安定的発展のために、各国銀行への監督権限を「欧州中央銀行」に一元化することに同意した。保守ドイツと左派フランスの間で、歴史的妥協があったと見られる。
 しかし左派フランスが唱える「経済発展」とは何なのか。単なる人気取り政策なのか、そうではないのか。まだわかっていないが、こういう予想はできる。
 フランスにヨーロッパ左派系の世界的大ベストセラー『帝国以降』の作者で社会学者のエマニュエル・トッド=3面関連=がいて、米国流の「自由貿易」が世界経済を破滅させたと主張し、自由貿易体制の中に一部保護貿易を導入することで、各国経済の建て直しを図るよう提案している。フランス左派が「自由貿易体制」元凶論を受け入れる可能性がある。
 フランスは世界の原発大国だ。東京電力の福島原発事故以来、フランス社会党は「脱原発依存」を唱えているが、中味は日本の民主党並みに曖昧。しかし総選挙で社会党の友党の脱原発政党ヨーロッパエコロジー・緑の党が大躍進、下院で独自会派(19人)を作った。緑の党が政権の脱原発路線を推進していく可能性がある。ご購読はコチラ.pdf

国政は分裂と再編の時代へ  (2012.06.29)

 民主党の菅直人首相時代に、古参自民系政治家の与謝野馨氏(歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫)が「財政再建の職人」として経済財政相を勤め、こう言っていた。
 「日本財政の借金頼み体質は先進国で最悪だ。格付け会社の日本国債への評価も下がっている。いま消費税の値上げをしないと大変なことになる」
 そして今年6月15日、民主・自民・公明3党が「消費税関連法案」で合意した。歴史的な前進だった。民主党は消費税反対派を党内にかかえているし、その上に民主党は参院では少数派だ。この与党内事情、与野党間事情を一挙に解決するため、野田佳彦首相は民自公3党合意を最優先課題として推進した。
 6月26日には、消費税関連8法案が民主・自民・公明3党と国民新党、立ち上がれ日本などの賛成多数により衆院で可決され、参院に送られた。民主党内から反対57、欠席・棄権15、計72人の大量造反者がでた。
 今号3面の「時々刻々」で中村晋県議も指摘しておられるが、日本の政治は〝有権者に甘い〟政策を積み重ね、主として自民政権下で総額1000兆円もの借金をつくった。時の政権党だけでなく、野党各党にも責任があると言わざるを得ない。今回、民自公3党合意で「1000兆円の借金」削減に手を付けたのである。
 今後の国政はどうなるのか。民主党も自民党も、分裂と政権再編の時代へ移行すると思う。民主党は国民に甘い夢をばらまき政権をとった。前政権党の自民党もそうだった。
 その負の遺産にいま自分たちで手を付けようとする政治家と、増税反対などという人気取り政策(ポピュリズム)で票集めをしようとする政治家の、2グループへ政界は分裂するのではないか。
 民主党内の小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏の造反グループの人たちは政権党を去ればいいと思う。自民党内にも民主党と似た政権構図がある。総選挙を経て政治権力が再編されるのではないか。
 造反者らは野田政権の「マニフェスト違反」を造反理由にあげているが、今の各党マニフェストは不完全であり、いずれも進歩の途上にある。確かに消費増税は民主の書類としてマニフェストにないが、説明・議論を省いたわけではなかった。反省・謝罪が今からあるだろう。ご購読はコチラ.pdf

近自公園で小学生ら百人が田植え体験 (2012.06.15)

 トヨタ労組ボランティア(TUV)に所属する「どこでもギバー隊」というグループが、豊田市街地の市営児ノ口公園内で、小学生中心の親子らに稲作を教えるようになってもう10年である=写真上。
 生徒側の小学生らの親子グループは毎年かわるが、先生側のTUV(トヨタ・ユニオン・ボランティア)はほぼ固定メンバーだから、今ではプロ並みの実力派だ。
 6月10日(日)午前、稲作の第一歩である田植え体験があり、労組評議会ニュースの募集に応じ、百人余が集まった。若い労働者の父母が小学生をつれてきていて、全員ハダシで水田に入った。田植え体験というよりは、自然体験風だった。
 足助地区の豊田市新盛町でトヨタ労組が展開している「農業体験」は定年退職後に「農ある生活」をめざす労働者たちの本格的な稲作であり、先生役は地元の農家グループ「新盛里山耕」実行委員会である。
 児ノ口公園という近自然公園では小学生の体験が中心で、先生役も労働者のボランティア。約110坪程の小さな水田の田植えは一時間程で終わった。今後秋までに田の草取り、稲刈り、脱穀、もちつき大会などがある。
 稲の品種も、足助では本格農業用のミネアサヒであるのに対し、児ノ口公園は稲の原種の「古代米」だった。教育と遊びの要素が強い。労組が大人と子供の農業体験を並行して行っているのが、実に興味深かった。
 児ノ口の水田は元々は公園内の環境保全目的の「湿地」予定だったが、五六川の周辺を水田に転用したものだ。稲作の実質指導者で、TUV・ギバー隊長の髙橋三四治さん(64)は、その過程を良く承知しておられた。主催者のトヨタ労組社会政策局から今村聖治局長(47)が来ておられた。ご購読はコチラ.pdf

ババザル会という面白い会がある!  (2012.06.08)

 6月1日号の当紙で、豊田市御船町北部の小川、つまり樋田川というコンクリート三面張りの農業用水路は、今年も源氏ボタルの大発生になりそうだ、という予報を書いた。
 6月4日夕8時頃、孫たちと樋田川に出かけた。3年連続の大発生が見られた。長さ約6百メートル、川幅1・7メートル程の小さな水路でのことだから、一夜に数百匹の規模だろうが、それが目前で舞うから数千匹の大発生に思われた。10日頃まで続くか…。
 同夜、樋田川の4人ホタル男のうち3人が沢田武さん(豊信OB)の夫妻のベランダで酒を呑み、情報交換。沢田史郎さん(トヨタOB)は毎夜の発生数を観察してホタル日記を書き、自分のパソコンブログ「GOLFこそわが命」で公表中だ。
 史郎さんのブログに「ババザル会のメンバーで(樋田川沿いの)草刈り実施」とあった。ババザルというのは、樋田川のすぐ下流続きの山田川に最近まで生息していたハゼ科のドンコという魚(別情報では山田川のドンコはすでに復活した)。
 源氏ボタル愛護の会にはまだ名前がないが、ババザルを復活できればホタル復活も確実になるという考えだろう。ババザルの姿を求めて四万十川旅行までした人達にはババザル会は原点的存在らしい。
 近くの小峯川から樋田川に源氏ボタルのタネを昔移植したホタル男たちの一人である太田義勝さん(元区長、農業)は、この夜は姿を見せなかったが、定期便のようにして、カワニナのエサにするキャベツやジャガイモを届けてくれる。
 その太田義勝さんからの野菜を刻んで、樋田川のカワニナに給餌するのは、沢田武さんの仕事。源氏ボタルの幼虫はカワニナ(巻貝)に寄生して育つ。武さんの奥さんの話では「樋田川のカワニナはいつもエサをもらっているから大きい。メタボ気味!」という。
 その大きなカワニナがすぐ下流の山田川に流れていくから、源氏ボタルが山田川でも発生するようになった。ババザル会メンバーの沢田史郎さんや武さんの想像だ。2人は「樋田川は山田川、御船川のホタル復活の基地」と位置づけている。
 源氏ボタル愛護運動の総帥格の沢田政義さん(トヨタ生協OB、元区長)は、東北震災地から取り寄せた銘酒を持参し、3年連続の大発生を祝っていた。ご購読はコチラ.pdf

矢作ダムはヘドロを放置するな!  (2012.06.01)

 富山県黒部市で、関西電力の出平(だしだいら)ダムと宇奈月ダムという2つのダムの排砂ゲートを見てきた。意欲的な排砂、排ヘドロのゲート操作が行われていた。
 排砂ゲートはダム堤体の最下段(湖底部分)に設けてあった。洪水初期の6〜8月、ダム湖は水位を大きく下げる。黒部川本流が湖底を流れることになり、その水流に乗って砂利やヘドロが下流へ移動し、排砂ゲートから自然放出される。単純構造の排砂ゲートだった。
 平成3年12月の初回排砂の時には、ダム設置以来6年間もたまっていた有機物の腐敗ヘドロが大量放出され、それが20数キロ下流の富山湾で漁業被害を起こし、裁判になった。
 今は排砂が毎年行われる形になり、初回排砂の時のような黒いヘドロの被害は出なくな
った。しかし漁業者側は海の不漁の原因は両ダムからの排砂にあると見ており、排砂の改善研究は今も続いている。関係者でつくる排砂の評価委員会が活躍していた。排砂の海への自然流下を可能にしているのは黒部川の豊富な流量だと思った。
 さて矢作ダム湖は上流から自然流下する砂利とヘドロで埋まりつつある。砂利はダム湖流入直前の位置で掘削採取し、トラック輸送で埋立地へ運んだり、矢作川に流したりしている。
 問題点が2つある。矢作川は流量が少ないため、黒部川のようにはうまく自然流下しない。排砂バイパス水路で砂利を河川投入する計画もあるが、自然流下は難しいと思う。
 第2に湖底に大量堆積してきたヘドロ対策の研究は目下ゼロだ。矢作川と三河湾の慢性汚濁の原因になっていると推測できるし、2000年水害でダムゲートを全開した時には堆積ヘドロが流出し、流域に悪臭が漂った。
 ヘドロの自然流下による処理はもはや不可能な量だろう。機械的処理も研究されていない。湖底にそっと沈めているだけだ。破局が来ると思われる。ご購読はコチラ.pdf

山村の少子高齢化対策を聴きたい  (2012.05.25)

 自民クラブ議員団の次期役員人事(5月16日)を見ていて、いろいろ知恵をしぼったなあと思った。杉浦弘高団長は自らの議長就任を固辞し、「お手盛り人事」の批判を受けるのを避けた。自分の欲に負けて「お手盛り」するケースが多々あったが、今回は良識ある人事を見せてくれた。
 昔の自民クラブ幹事長を議長に登用したり、昔の自民クラブ政調会長を同クラブ幹事長に登用したりした。もう忘れられた存在と見られていた元幹部を思い出したかのように重職につけた。「お手盛り人事」を避けるには、関連して、そういう工夫ある人事もしなければならなかったのだ。
 お手盛り人事やタライ廻し人事を避けたことで、忘れられていた人材を甦らすような効果もあり、そのことが今後の市議会の活性化に寄与しそうだ。しかし、これも都市部の議員の自己満足的な「良識」にすぎなかったのでは…。山村の「少子高齢化対策」を実現するための人事には発展しなかった。
 具体的に言えば、山村出身の三江弘海議員(元稲武町議会議長)、稲垣幸保議員(元旭町助役)、鈴木章議員(元足助町議会議員)と言った人材を自民クラブ幹部に登用して、少子高齢化対策に資するような発想には至らなかった。都市部議員の〝仲良しクラブ〟的な派閥均衡人事に終わった。
 少子高齢化は全日本的現象だが、山村のそれは山村集落の崩壊をもたらす。そのことが今回の人事では都市部議員に実感として分からなかったと思う。
 自民クラブ議員団の幹部登用基準は議員歴3期以上である。しかし右の3人の市議歴は合併以降は「2・5期」であり、幹部の資格なしとされた。合併以前の議長・助役・議員歴を積極的に加算・評価し、幹部登用に踏み切るべきだった。市町村合併は未完成である。ご購読はコチラ.pdf

20年も前に梅坪の川は地下へ   (2012.05.18)

 5月の第2土曜(今年は12日)は「矢作川の日」であり、豊田市矢作川研究所系の諸行事が集中的に行われた。今年は第12回目だった。
 主催は市民団体の矢作川「川会議」実行委員会(硲さくら会長・16団体)。午前は親子アマゴ釣り大会、午後は記念講演やシンポジウム、夕には水辺交流の大パーティがあった。
 シンポは作家の阿部夏丸さん司会の「矢作川の今昔物語」。司会者が200人余の出席者から「昔の矢作川はどうだったか」「子供の川遊びが今に続いていない理由は?」などと聴いた。
 私は当日話せなかったことを書いておきたい。私が川泳ぎや魚つかみを覚えたのは、今の豊田都心北部の「梅坪」の小川だった。小さな川だったし、大人が洗濯や農作業にいつも出ていたので、私の「背戸田川」に危険はなかった。魚は無尽蔵にいた。網を使うより、川をせき止めてかいぼりをすることが多かった。
 小学校に上がると、矢作川本流や支流の篭川での水泳を許された。魚は釣りで獲ることを覚えた。
 梅坪は矢作川本流と支流の篭川、枝下用水に囲まれた、総面積約五百ヘクタールの広大な水郷だった。子供、魚、野鳥の楽園であり、水田も含め大きなビオトープだった。
 非常に残念ながら、私が学校を卒業し、仕事に就いてからの1990年代に、梅坪を豊田の副都心にする土地区画整理事業が進み、背戸田川も数々の小川も、みんな地下の下水道につなげられてしまった。
 ちょうど同じ時期に、スイス・チューリヒ州やドイツ・バイエルン州では、昔地中化した河川を地上に戻して再生する事業が大々的に進んでいた。また、豊田都心に近自然公園「児ノ口公園」ができ
て、背戸田川の下流部である「五六川」の一部が地上の小川として再生された。ヨーロッパの近自然工法を見てきた市河川課の環境技術者らが大奮発して、自分の土木工学的な作品を街の現場にのこしたのである。
 近頃は「子供の川遊び復活」などという言葉がはやっているが、土木技術までが同じことを言っているのを聴くとがっかりする。まずは地下の川を地上に取り出し、川に魚を棲まわせてほしい。川に魚が居れば、子供という〝生物〟も川に戻ってくるのである。ご購読はコチラ.pdf

5月6日「原発ゼロ」の朝に  (2012.05.11)

 事故や定期検査のため運転停止中の原発再稼働の基準をめぐり、政府の方針が二転三転する中、5月6日「原発ゼロ」の朝をむかえ、日刊各紙がいっせいに特集を組んだ。
 衆院神奈川15区で当選5回の自民・河野太郎氏(49)は、政界の超党派組織「原発ゼロの会」の発起人の1人である。中日新聞は河野氏にインタビューしていた。
 河野氏の主張は「原発は新設しない」「既設原発は最低限の数にし、安全管理する」の2点だった。そして今夏は原発ゼロで乗り切り(その経験をもとに)来夏以降への対応を冷静に考えるべきだ、と述べていた。
 まだ新組織の原子力規制庁もできていない現在、今夏の電力不足を理由に、既設原発の再稼働を認めてはならない、という考えだ。
今後、新組織で安全基準を早く作り、それによって来夏以降の電力不足に対応しよう、という主張だった。
 将来にわたる日本のエネルギー政策は、民主・菅直人首相時代の方針に良く似ていた。つまり、原発はもう新設しない。既設原発は耐用年数40年として、その寿命を超えた順に廃炉にしていく。そうすれば、2050年に原発ゼロになる、という脱原発論だった。
 安全に廃炉する技術も、使用済核燃料の安全処理方法も、これからの大きな研究課題だ。河野氏の「2050年までに原発をゼロにする」方針が現実的だと思う。脱原発を実現するためには、まだまだ原子力と付き合わなければならない。
 これまで日本の原発は54基と言われてきたが、福島事故の4基について東電が政府に廃止届けを済ませ、現在は50基である。
 私は脱原発派の1人だが、河野太郎氏の主張に賛成だ。2050年までかけ、原発を着実に廃炉にしていく過程は原子力との付き合いでもある。新しい発見もあるだろう。「原発ゼロ」の朝に考えたことだ。ご購読はコチラ.pdf

駅前北街区事業の業者選定へ  (2012.04.27)

 豊田市駅前通り市街地再開発事業の「北街区」事業は、総事業費約190億円、開発敷地面積約8300㎡、再開ビル床面積(2棟)6万㎡の大型事業である。すでに南街区で完成・営業中の再開発ビルが北街区にもう一つできることになる。
 北街区の再開ビルの建築・運営に参加表明した業者は4グループであり、いずれも建築・住宅・福祉の複合体グループだ。
 今後各グループから事業提案内容などについて、審査委員の皆さんが聴き取り調査を行い、4グループを1グループに絞り込む。審査結果を待たずに撤退するグループがあるかも知れない。
 市当局も地権者も審査委員名を正発表していないが、すでに次の8委員で審査は始まっているのでは。6月上旬までに審査を終えて業者決定し、事業計画を決めたい意向だ。
 〈学識経験委員〉伊豆原浩二(豊田市都市計画審議会長・愛知産業大学教授)足立陽三(不動産鑑定士・日本土地評価システム)
 〈市役所委員〉永田健副市長(豊田まちづくり取締役)幸村的美副市長加藤泰都市整備部長
 〈地元組合委員〉河木照雄理事長(山田屋社長)伊藤発次副理事長(寿屋テイサン社長)吉村達也副理事長(カメラの白樺)
 今後、平成24年には事業計画が認可され、これまでの市街地再開発準備組合が正規の組合として設立される。
 平成25年に地権者の土地面積を再開発ビルの床面積の権利に変換する「権利変換」の認可を経て、25年半ばに既設建築物の解体工事に着手する計画だ。
 平成25〜28年の4年間で、北街区の東側に住宅・福祉棟、西側に商業棟の東西2棟の再開発ビルを建築する計画である。
 これまでの豊田の政治・経済・文化風土からすると、計画段階は公表されないことが多かった。結果だけが市民に知らされた。今回も業者からの事業提案の内容、最終的な業者選定の経過は、どこまで市議会や市民に公表されるのだろうか。
 住宅・福祉棟については、中身が比較的わかりやすい。映画館(シネコン)などが進出してくると言われる商業棟の経営予想はどうなのか。審査過程を通して、こちらの経営の可能性を明らかにしてほしいものである。ご購読はコチラ.pdf

透明感ある選定できるか  (2012.04.20)

 豊田市駅前通り「北地区=北街区」の市街地再開発事業がいよいよスタートである。
 総事業費約190億円、敷地面積約8300㎡。この敷地に住宅・福祉棟(東側)と商業棟(西側)の東西2棟の再開発ビルを建築し、総計約6万㎡の床面積を産み出す計画。平面の土地面積を立体的なビルの床面積に転換し、有効活用するのが、市街地再開発事業である。
 先発の南街区の方は市街地再開発事業がすでに終了し、ホテルトヨタキャッスル、コモスクウェア(商業)、タワー・ザ・トヨタ(住宅)などが営業中だ。
 後発の北街区の再開発事業は、総事業費・開発面積ともに先発の南街区とほぼ同規模である。現在、建築・住宅・福祉複合体4グループが北街区再開発事業に参加表明しているが、今年6月下旬、審査会の8委員=非公表=が1本化する。設計コンペが進行中だ。
 今年3月、豊田市議会の一般質問において、元議長の八木哲也議員(64)=自民4期=が、北街区の事業効果を疑問視する質問をした。
 八木議員 南街区を整備したが、歩行者調査では成果が出ていない。22年調査では平日15人アップ、休日マイナス322人だった。歩けば市民がハダで感じる結果だ。北街区整備に期待できるのか。
 鈴木産業部長 大変厳しいご指摘だ。戦略に甘さがあったことは否定できないが、南地区整備は商業・宿泊施設の年間売り上げ31億円、年間利用者120万人、定住132戸、商業等雇用約700人という現実を支えてきた。北地区のハード事業効果は、定住約430人、税収年間約1億円の想定だ。
 八木議員は北街区事業に参加する業者の1本化選定については直接には質問しなかったが、透明感のある選定が行われるかどうか、見守っていく姿勢だ。
 北街区事業参加表明は次の4グループ。
 ❶建築=大林組、太啓建設、福祉=サン・ビジョン、住宅=トヨタすまいるライフ。
 ❷建築=清水建設、T&S建設、福祉=百陽会、南部薬品、住宅=豊田通商、清水建設。
 ❸建築=大成建設、神谷組工業、福祉=旭会、三九会、メディカルシステムネットワーク、住宅=三井不動産レジデンシャル。
 ❹建築=フジタ、マルコオ・ポーロ化工、福祉=葵新生会、葵会、住宅=三菱地所レジデンス。ご購読はコチラ.pdf

豊田市山村地区の「人口計画は」は? (2012.04.13)

 エマニュエル・トッドという歴史人口学者は、フランス国立人口統計研究所に所属する研究者であり、1951年生まれのイスラエル系のフランス人であるという。
 独自の研究手法で、弱冠25歳のときソ連崩壊を断言し、有名になった。アメリカの今日の衰退も予言し、これも当てた。著書は世界的ベストセラーである。来日講演の中で、グローバルな自由貿易が今日の世界経済危機の原因であり、対策として自由貿易の一部に保護貿易を導入し、各国の経済力を回復しなければならない、という論を展開していた。
 もっと前のことであるが、アジア・アフリカを中心に地球人口が爆発的増加を続けていた時、E・トッド氏は「心配ない。女性の識字率・つまり文化度が上がれば、女性が出産数をコントロールするようになり、人口爆発は止まる」と予言していた。そうなりつつあるように見える。
 今、これとは異質の人口減少に日本は遭遇している。出生率が下がり、特に山村地区の少子化がひどい。来日講演の中で「それも女性が出産の自己決定権を持つようになった結果だが、女性の出産と仕事が両立できるようにしたヨーロッパにおいては合計特殊出生率が〝2人〟近くまで回復した。その制度でアジアは遅れており、日本の出生率は最近上が
ったものの、まだ〝1・3人〟程度だ」と述べていた。
 豊田市北部の山村が少子高齢化問題を解決するには、山村が独自の「人口計画」を持ち、比較的若い定住人口の移住策を推進する一方で、女性の出産意欲向上のために、女性の出産と仕事が両立できるようにしなければならない。
 そういう人口計画は今の豊田市にはないから、山村は「人口計画」が書けない。「人口推計値」で誤魔化しているが、それはジリ貧の数字の羅列でしかない。
 山村の出生率向上のため「人口論」を独立的に扱い、その下に諸政策の体系化を急ぐべきであると思う。

震災がれき広域処理スタート 名古屋市は「現地処理」支援へ(2012.04.06)

 3月26日、豊田市議会が議会の決議という異例の方法で、豊田市も東日本大震災の〝震災がれき〟を市内で受け入れるように、市長に要請した。
 太田稔彦市長は直ちに文書で回答し、安全確認を前提に市内受け入れを検討すると述べた。渡刈グリーンセンターと藤岡プラントで震災がれきを焼却処分する方針である。
 岩手・宮城・福島3県には約2253万トンもの震災がれきが野積みされているようだ。政府はその一部を各県で「広域処理」するように求めている。豊田市では市議会と市当局の連携プレーで、「広域処理」に参加することにしたものだ。
 3月16日の読売新聞で「広域処理」の状況を見ると、やはり近県の対応が早い。青森、山形県の各市町、東京都内で受け入れが始まっている。北海道、埼玉、千葉、神奈川、静岡、福井県などの多くの市が受け入れ表明している。すでに震災後1年だが、やっと「広域処理」が動き出したのだ。豊田市は今正式表明しても、特に早い方ではないようだ。
 4月2日のテレビニュースで知ったことだが、名古屋市の河村たかし市長は「広域処理」に反対姿勢だ。遠隔地にトラック輸送して処理するのは非効率だと言い、河村市長は東北の現地にカネも人も拠出して、現地に焼却場を建設し、「現地処理」をすべきだと主張していた。
 河村市長は具体的計画は語っていなかったが、大村秀章愛知県知事の「広域処理」計画よりは、河村市長の「現地処理」の方が安上がりで、スピードがある。現地に雇用も生まれるだろう。河村市長の方が正論だと思われる。
 しかし、すでに「広域処理」は動き出している。名古屋市が1基でも現地に焼却場を建設すれば「現地処理」もスタートする。震災がれきの処理は1年も遊んでしまったから、勝負はこれからである。政府の「広域処理」方針も、今後修正しながらでも早く推進してほしい。
 私たちは忘れがちであるが、東北の震災がれきも「東北の財産」のうちである。東北で現地処理し、東北で雇用を生み、東北にカネを落とす方が正義というものだと思う。
 陸前高田市の戸羽太市長が、そういう趣旨の提案をすでにしておられるそうだが、今のところ前向きな回答はないのだそうだ。ご購読はコチラ.pdf

早春の花々 やっと盛期に 足助のカタクリ・上矢作の福寿草(2012.03.30)

カタクリ.jpg 足助市街地の香嵐渓に咲くカタクリの花。岐阜県恵那市上矢作町の田の畦道や山裾の小道に咲く福寿草の花。
 いずれも早春にだけ花を開く。カタクリは薄紫色のはかなげな弱々しい花であり、福寿草は黄色のやや強勢に見える花だが、近年の現地ではカタクリの自生地の方が健在で、福寿草は減少傾向だ。 3月22日午後、矢作川を1時間半ほど北上、福寿草自生地(約4000㎡)の上矢作町大平の達原渓谷に着く。かみさんは写真撮影、私は古い知人である堀猛さんの話を聴く。
 堀さんは福寿草自生地のボランティア管理人である。岐阜県矢作川漁協の上矢作地区支部長だったが、今年80歳になり引退した。
 堀さんの話である。3百年も前から福寿草の自生地が続いてきたという伝聞があるが、近年は原因不明のまま花が目立って減ってきた。下草刈りなどを続け花を守っているが、ここ達原集落は若い者が去り、高齢家族3世帯が残った。ボランティア活動も困難になるかも知れない。
 福寿草は夏の直射日光を嫌い、柿や梅、屋敷林などの木漏日を好む。山里の百姓仕事の中で自生地は守られてきたのだが、危機が迫っているように思えた。
 福寿草は3月中旬〜4月上旬の花。早春の寒さで開花が遅れ、やっと見頃が始まったばかりだった。花は4月下旬まで続くか。
 午後、矢作川水系を1時間ほど下り、足助の香嵐渓・飯盛山着。西斜面と北斜面のカタクリの花は3分咲きだった。足助観光協会が活躍しており、山村高齢化による花の〝危機〟は感じなかった。花は4月上旬までか。
福寿草・写真.JPG 観光協会長の縄手雅守さんにお会いできた。縄手さんが社団法人日本観光協会職員から足助観光協会職員に転籍した昭和60年頃、飯盛山のカタクリの群落は今の4分の1程の広さだった。それから4半世紀、観光協会や街の人たちがタネ蒔きによる繁殖を続け、5千㎡の今の大群落を育てた。
 足助のカタクリも上矢作の福寿草も、木漏日の中で育つ山里の植物。農林業の衰退と共に滅びる運命だったが.…ご購読はコチラ.pdf





上かたくり・下福寿草 撮影=新見光子

セカンドハウスで山村を元気に 小幡鋹伸著『我が人生の天・地・人』(2012.03.23)

 豊田スタジアム社長の小幡鋹伸氏(74)=豊田市平戸橋町=が、今年3月中部経済新聞社から自伝的著書『我が人生の「天・地・人」』を出版した。220頁、840円。各書店、同新聞社事業部(☎052・561・5675)で購入できる。
 原文は、昨年9月から50回中部経済新聞に連載された「マイウェイ」。加筆修正して出版された。本書は3部構成。第1部「生い立ちと出会い」は、父親がたずさわってきた地場産業の大手タイルメーカー・運輸事業から撤退、筆者が自動車産業への転進をめざすところから物語が始まる。筆者は2年遅れで明治大学商学部に入学・卒業した。
 このあと筆者は、自社輸送部門のトラック修理業・オバタ産業や、住宅施工・ワンタッチ幌車生産のメイダイ、輸送・保管の名古屋東部陸運を創業し、地場産業から自動車産業への転進に成功した。
 本書タイトルの人生の「天・地・人」は、天の利・地の利・人の和によって筆者の活動が成功に導かれたという、孟子由来の〝小幡哲学〟。「点から線へ、そして面へ」という活動拡大の手法も〝小幡哲学〟である。
 第2部「豊田スタジアム物語」が本書の中核部分。筆者は豊田市体育協会会長(平成4年〜)、豊田スタジアム社長(同12年)である。豊田市から経営をまかされている市総合体育館「スカイホール豊田」と「豊田スタジアム」を単なるスポーツ施設とは見ず、矢作川と一体の市民の「劇場空間」と位置づけ、「スポーツ観光」という新分野を拓いた。
 第3部「まちづくりと未来」は、筆者にとっても未完の部分だが、読み進むうちに読者は物語の展開に関心を持ちはじめる。すでに観客大量輸送手段の…ご購読はコチラ.pdf

地方紙記者は「夜なべ」が増えた(2012.03.16)

 地方新聞は記者が「夜なべ」で記事を書くことで成り立ってきた。昔からそうだったと思う。文学好きの記者も多かった。
 それよりずっと前のぼくらの少年時代、つまり第二次世界大戦直後の「夜なべ」の記憶がある。当時の昼間の大人たちは田畑で働くか、兼業の工場労働に出ていた。夜は大人も子供も総出で夜なべ仕事をした。少年のぼくらも農業用の縄やスガイを綯い、自分用の藁草履を作った。
 祖母や母が夜鍋を炊いて、夜食のうどんや甘ざけを作ってくれた。少年時代の遠い思い出だが、甘い確かな記憶である。
 青年時代、市役所職員労組の役員をしていて、市営鞍ヶ池公園の牛飼いの現場労働の実態調査をした。通常は牛の健康状態を見ているだけで、それは密度の薄い「断」の状態の労働とされた。
 牛の出産、牛舎の清掃、給餌等で密度の濃い労働が発生し、それは「続」の労働とされた。牛飼い労働は昼夜にわたるが、労働基準法上の「断続労働」であり、平均的に8時間労働と大差ないと人事当局が認定し、残業手当は支払われなかった。
 その後のちょうど10年間、ぼくは新三河タイムスという地方新聞社で、記者兼編集長をしていた。昼は街や市役所、川や畑で人の話を聴いた。取材は自由労働の空気があった。当時から記事は夜なべで書いていた。
 労働基準監督署は、記者の仕事は牛飼いと同様の「断続労働」と認定し、夜なべに残業手当は不要とした。問題は起きなかった。記者らは取材や夜なべの自由労働を愛していたのである。
 その後に矢作新報の記者時代が28年間続いているが、記者の仕事は「断続労働」というのが暗黙の了解だった。しかし近年に、記者労働の唯一の魅力だった…ご購読はコチラ.pdf

「農業」と「農」を分けて考える思想(2012.03.09)

 前豊田市長の鈴木公平氏は、市長在任中の日々をエッセー風にまとめ、「折々のこと」の題で毎月1回、市広報誌に連載しておられた。
その連載記が修正なしで一冊の本にまとめられ、このほど筆者から出版された。
 前市長は、市議会での答弁書を自分で書いた人だった。自筆で推敲した跡を残したままの答弁書が記者にわたされることもあった。書家の達筆で書き込みがしてあった。
 出版本の『折々のこと』も、もともとの連載原稿はそうしたやりとりが市長と広報担当職員の間にあって出来たものだろう。それが無修正で出版されることは、当時の市長の考えを知る上で意味のあることだと思う。
 連載記を出版本で通読し、「農ライフ創生センター」創設や、市町村合併に関係する何篇かに、私は感動を禁じ得なかった。市長が「農」についての思索を深め、それが市町村合併の課題の「都市と農山村の共生」哲学につながっていく経過が見られた。
 平成16年5月、豊田スタジアムで「豊田加茂ふるさと文化まつり」があり、市長は歌手の加藤登紀子さんに会う。それ以前に登紀子さんの主人の藤本敏夫氏に会い、持続循環農業について意見を交わしておられた。
 藤本氏が急逝。加藤登紀子編『農的幸福論』(藤本敏夫からの遺書)という本が贈られてき
て、市長は読み進むうち…ご購読はコチラ.pdf

アユカケという回遊魚の謎と希望(2012.03.02)

 豊田市梅坪の矢作川が小学生の頃の遊び場だった。そこに支流の篭川が合流し、ゆるやかな瀬や大渕、小渕をつくっていた。河口から40㎞地点の今の豊田都心のすぐ上流である。
 その岸部は礫や砂まじりの川底で、ぼくらが総称でトチカブと呼んでいた大型の底生魚類が棲んでいた。ハゼ科のドンコやカジカ科のアユカケも居たのだろうが、そんな区別は知らなかった。彼らは総じて頭でっかちで不細工な姿であり、泳ぎが俊敏でなかった。
 長い糸に釣針を何本も付けたナガノという仕掛けを沈めておくと良く釣れた。夏は川で魚を釣り、冬は山で野鳥を獲って専門店に売ったりしていても、当時の挙母小学校は特段の問題児あつかいにはしなかった。
 当時から60年余も過ぎて、矢作川のトチカブたちは絶滅危惧種か希少種になってしまったが、去る2月21日、彼らの仲間のカジカ科・アユカケに遭遇し、写真撮影まで出来た。
 この日、矢作川の中電・阿摺ダム(豊田市藤沢町)の直下で、超大規模の魚類調査があった。ダム直下は広さ100m四方程の深い渕。ダムのゲートは完全閉鎖、ダム湖の水はすべて発電所へ。渕の下流端を土堤で閉め切り、発電放流の逆流を防いだ。数日間ポンプアップし渕の水を干し、魚類調査は始まった。
 この調査は、豊田市矢作川研究所・市河川課・矢作川漁協・中電や矢作川天然アユ調査会などの市民団体・研究機関・国・県から約70人が参加する共同事業だった。外来害魚のアメリカナマズの繁殖状況が調査された。
 矢作川の昔からの魚類は約70種、今は半減して30〜40種だが、この調査で29種の存在が確認された。
 この日、1匹だけ確認されたカジカ科のアユカケは、海の海岸域で産卵し、矢作川に遡上して来る回遊魚。泳ぎの下手なアユカケが.…ご購読はコチラから

森林災害は新政権の重い課題(2012.02.24)

 2月17日(金)は、7代市長鈴木公平氏の3期目任期の最後の日だった。任期満了は翌18日だが、当日は土曜日で市役所はお休み。
 一日早く17日午後、市長は豊田市政記者クラブ相手にサヨナラ会見し、3期12年を回想した。
 当社は編集長が記録し、編集主幹が写真撮影。私は連続3人目の庁内登用市長の中で、鈴木市長はどういう位置付けの人だったのか、それを考えようとしていた。
 今回は記者側にとってもサヨナラ会見だった。市長は「あすから鈴木公平です」と言い、会見を終えて同日夕職員から花束を贈られ市役所を去った。職員・助役・市長通算58年の公平さんの公務員生活は終わった。
 それから3日後の20日(月)朝、太田稔彦市長が職員たちに迎えられ初登庁し、午後に約10分間、幹部職員約350人に市長就任の挨拶を述べた。挨拶は庁内放送で全職員に伝えられ、各支所にはテレビ画像が流れた。市長は市政記者クラブとも会見し、政権交代の儀式を終えた。
 太田市長の政策は、3月市議会の施政方針演説で具体的に展開される。今回の市長就任挨拶は政権担当の所信表明を約10分間で簡潔に述べたものだった。
 その中で新市長は、豊田市の魅力・強み・底力として、①市町村合併で得た森林資源、②トヨタ自動車系の工業力、③市の先進的な環境政策─の3点を上げ、冒頭の森林資源について「豊田市にとって間違いなく強みと言える」と述べた。
 11年前、2000年9月東海豪雨災害は、主として矢作ダム上流域で発生し、岐阜・長野県内で山河崩壊の大災害になり、大洪水が豊田市街地も襲った。
 その東海豪雨被災体験から鈴木公平前政権は、市町村合併で編入した豊田市内北部の森林強化に乗り出したが、まだ途上である。 11年前は単純な水害だった。豊田市の森林対策としては地震災害・風害も考えなければならないが、検証・シミュレーションをしていない。しかも、土木業界の機械力による災害復旧能力は当時と比較しガタ落ちだ。
 森林崩壊は河川と道路の崩壊を伴う。森林資源は「豊田市にとって間違いなく強み」と自賛しておれる状況ではない。緑の保全の裏側に森林災害がある。新政権の重い課題だ。ご購読はコチラ.pdf

原因不明というが主犯は乱獲!(2012.02.17)

 今年2月6日、中日新聞トップ記事に「ウナギの稚魚、今年も不漁」との予想報道が出た。昨年もその前年も「極度の不漁」だったが、今年の九州、四国、近畿などの主要産地の漁獲実績は前年同期比で「半分以下の地域がほとんど」と報じられていた。
 ウナギは河川で数年生活し大型の成魚となって川を下り、南海のグアム島付近の深海で産卵・孵化することがわかってきた。その仔魚は海流に乗って日本列島に近づき、やっとウナギの姿になった段階の稚魚(シラスウナギ)が河川に遡上し、再び成魚になる。
 矢作川河口域の西尾市一色町は日本で一番の「養殖ウナギ」の大産地。ウナギは卵⇨仔魚⇨稚魚(シラスウナギ)の人工養殖技術が未完成であり、養殖ウナギの産地では河口域でシラスウナギを採捕し、これからウナギの成魚を育成し、西尾市一色町は「養殖ウナギ」の一大産地になった。全国的に同様な事例がたくさんある。全国で稚魚が乱獲されてきたのだろう。
 各河川の内水面漁業者、たとえば矢作川漁協はもう何十年も前から「シラスウナギの乱獲はウナギ資源の枯渇につながる」として、愛知県の水産当局に対し、シラスウナギの乱獲規制を求めてきた。
 しかし、愛知県当局は「養殖ウナギ育成も愛知の産業」との認識で、資源保護に乗り出さなかった。規制実績がほとんどゼロだから、ウナギの稚魚の減少理由を新聞記者に聞かれても「原因不明」と答えるしかない。本当にそう思っているフシがある。日本一の養殖ウナギの産地もシラスウナギの乱獲で自滅するのかも知れない。
 さて、矢作川に生きるわれわれは今何をすべきなのか。当社の編集長も矢作川では有名はウナギ釣師の一人である。彼らが乱獲グル
ープの一員だとはまったく思っていないが、愛知県当局や漁協関係者に乱獲規制をしてもらわなければならない。
 矢作川のウナギ釣りに年10回出るとしたら、それを5回出漁に自己規制する。それが当局を動かすことにつながらないだろうか。
 水産資源の枯渇の大きな原因はダム建設などによる河川環境の悪化にあると思う。しかし、原因を「自己化」して自分も原因者の一人であると認識しなければ、ことは進まないだろうというのが、私の考えだ。ご購読はコチラ.pdf

日本は「人口減少」に軟着陸可能か(2012.02.10)

 地球全体の人口が爆発的に増加しており、地球規模の食料危機の怖れがあるという。人口増は人間活動の活発化につながるから、CO2増などの地球環境危機も心配される。
 その一方で、日本の人口はすでに爆発的増加期を終え、人口減少期に入った。人口減少には地域的な片寄りがあり、豊田市においても山村地域の「少子高齢化」は危機的だ。日本全体が「人口減少期」にうまく軟着陸することが、豊田市の課題になっていると思う。
 地球人口は今からおよそ60年前の1950年には25億だったが、2011年に70億になった。人口激増は続いており、国連推計では2050年に93億になるという。百年間に地球人口は25億人から93億人へ4倍近くなるという推計だ。
 人口激増期の日本人口はどうだったのか。人口統計を見ずに記憶でいうが、江戸期はおよそ3千万人。明治・大正期に激増し、第2次対戦前後に8千万人、いま1億2千万人になった。百数十年で日本人口は4倍になった。
 最近の国立人口研究機関の人口推計によると、現在1億2千万人の日本人口は、50年後には3割減の8千万人台に戻るという。女性が生涯に産む子どもの数を「合計特殊出生率」というが、それが06年に最低の1・26人だった。この合計特殊出生率が2・07人を超えないと人口増に転じない。50年後の見通しも1・35人で、人口減少は長く続くという。
 当年75歳(1937年生まれ)の私は7人兄弟だったが、私たちの子どもは2人以下、孫はもっと少ない。将来人口推計はぴたり当たると思う。
 フランス国立人口統計研究所のE・トッドという人口学者は、ソ連崩壊と米国の今日の衰退を独自の手法で予言した人だが、彼は「女性の教育水準が上がり自立することで、自分が産む子どもの数をコントロールするようになる。その過程で少子化は必ず起きる」と予言していた。日本においても予言は劇的に当たった。
 E・トッドのもう一つの予言。「日本やアジア諸国では女性の子育てと仕事の両立が困難で、少子化のスピードが早い」という。
 豊田は一種の〝合衆国〟で人口減の直接影響は小さいが、山村部の少子化対策はE・トッドの手法で別に考えなければならない。豊田市の課題だ。ご購読はコチラ.pdf

野生の「生態研究」を市民組織(2012.02.03)

 野生の獣による農林業被害は、全国ではシカ(鹿)の害が一番だそうだが、豊田ではイノシシ(猪)の害が圧倒的だ。足助・旭・下山・小原・藤岡・猿投・松平・高橋の山村部の全域に被害が及んでいる。
 愛知県環境部自然環境課資料の「イノシシの生息分布図」によると、豊田市内でイノシシの生息が確認されていないのは、市内南端の挙母、高岡、上郷地域だけである。およそ市内の2割にすぎない。
 豊田市産業部農政課資料によると、イノシシ被害件数は、統計数字が初めて示された平成12年度は約500件だった。それ以降漸増、急増が続き、平成17年度には3倍増の約1500件に達した。イノシシ被害による耕作放棄地面積の統計もあり、明確に増加傾向である。
 豊田市においても山村人口は減少、高齢化が急速に進んだ。山村の人間活動は弱体化したと思われる。山村地域の人里に人間活動の希薄な、一種のスキマが生じたのではないか。
 そのスキマへ周辺森林の〝野生の王国〟側からイノシシが侵入し、そこを自分のエサ場にしたため、近年のイノシシ被害が発生したと思う。さらに耕作放棄地が増加し、あらたにイノシシのカクレガが出来る結果にもなった。
 平成22年度、豊田市の山村において、地域社会(人間)は野生の王国側(イノシシ)に対し、最大規模の戦いを仕かけた。農地と集落を長大な防護ネットで囲み自衛した。オリ(檻)や銃撃で年3800頭余もイノシシを捕獲・駆除した。
 勝敗は、今年度末にイノシシ被害統計が出て明らかになるが、当面の被害は減少し、長期的には駆除と共存の永遠の繰り返しでは…。
 これまで人間側(特に愛知県政・豊田市政)が長く怠ってきたのは、野生の生態研究だ。イノシシの個体数を減らし、野生王国側に封じ込める調査研究が必要だが、手つかずだ。捕獲・駆除と言っても現状は結局、野生の殺害と地中埋設だけだ。人間側の道徳的退廃を生まないか。
 市民組織レベルでの野生の生態研究に成功したのは、全国で市営豊田市矢作川研究所系の矢作川天然アユ調査会の1例だけだ。1人の研究職員の下に70人もの市民調査員が組織され成果を上げてきた。市産業部がこの前例を調べ「イノシシ調査会」を考えてはどうか。ご購読はコチラ.pdf

政治家も記者も晩年を大事に(2012.01.27)

  政治家も記者も日々の仕事量が多い。それが雑然としたまま記憶の中に積み重ねられてきた。理論・理屈という〝標準規格〟で整理整頓しておかなければ、私たちの記憶は、特に異世代には、伝えにくいのである。これが私たちの共通認識であり、つい最近、自分たは晩年の理論化という仕事を大事にしましょうね、と語り合ったところである。
 私ごとから先に書かせてもらいたい。この1月1日を以て、私は矢作新報社長を退任し、記者兼任の会長職に就任した。私の政治記者生活は、新三河タイムス社編集長時代を含め37年になる。
 創業以来のパートタイマーとして、私と苦楽を共にしたカミさん(新見光子氏)も今回退職した。苦労の連続であり、創業期の資金調達・経理が彼女の主な仕事だった。遊軍記者として記者不足も補ってくれた。
 今から2年前の3月、私は矢作川漁業協同組合の役員生活(組合長、専務理事、理事24年)を退任した。矢作川の環境問題や天然アユ復活の課題に一区切つけることが出来たと思う。
 組織の役職を退くとは、どういうことなのか。昨年12月の小説誌で作家の伊集院静氏が「一人で生きよ。(孤独に)耐え(仕事に)励め」と言っていた。
 そういう生き方の大切さを、2年前の漁協組合長退任の際に承知していたので、当年75歳の私にとって、矢作新報社長引退という事態はまったく新しい体験ではなかった。
 私の政治対談の相手の天野弘治さんは当年73歳で、昨年4月の市議選で6期・24年の市会議員生活を無事退任された。市議会議長や与党議員団長の経験者であり、平成17年には民主系と〝協議離婚〟の形で、自民クラブ議員団創設に尽力し、初代団長に就任された。
 豊田市の自民党は、地面に足を付けた地域政党「地民党」(愛称)として再生すべきだというのが天野さんの持論だ。ライフワークの「地民党」論も今後の対談でお聞きできると思う。ご購読はコチラ.pdf

投票者の2割「批判票」はどこへ?(2012.01.20)

 共産党の豊田市委員会と、同党と友好関係にある市民団体「住みよい豊田を創る会」が、13日記者会見を求め、同党が市長選候補擁立を断念した経緯を説明した。市内の党勢(党員約2百人)に変化はないが、活動家が高齢化し、その影響が大きかったという。
 7人に出馬要請したが受けてもらえず、豊田市委員長の大村市議としては、議員を辞職し市長選出馬を真剣に考えたが、組織としては反対だったという。
 自民・民主系の市長選組織「21世紀の会」は、自民推薦の重徳和彦氏の立候補を受け付けたものの、候補者の政策を聴く場も設けず、門前払いにした。
 自民側としては豊田市議会内から市長候補を人選する段取りだったが、21世紀の会はその時間を与えず、自民が反対姿勢を明確にしていた庁内登用路線を採用。市長候補は「市総合企画部長・太田稔彦氏」と決めた。会本来の中立姿勢を捨て、自民に挑戦した。
 そういう経過を経ての「無投票市長選」の情勢である。民主系は地道に選挙戦をたたかっているが、自民系は冷静だ。燃えない。1月29日夕の無投票当選を待ち望む空気だ。
 豊田市選挙管理委員会篇の『選挙記録』で、1951年(昭和26年)以来16回・60年間の挙母・豊田市長選史を読んでみた。無投票は無かった。1回〜4回は保守政治家の対戦で、当選者として渡辺釟吉、中村寿一、長坂貞一3氏の名が出て来る。
 そして第5回(1964)で初めて、トヨタが自社の社員・佐藤保氏(宮上町)を市長候補に立てた。対するは党人派の保守政治家・本多鋼治氏(今の花本町)。接戦に持ち込んだが敗れた。孤高の風貌から青年たちは本多鋼治氏を「ドゴール将軍」(フランスの軍人・大統領)と呼び、熱烈に支持していた。
 それ以降(第6〜16回)は、連続11回共産系候補が戦った。以下は同党の候補者名と得票率だ。

S43成瀬一郎13・32% 47外山政孝20・28% 51田村 啓20・05% 55柴田隆一12・21% 59柴田隆一13・14% 63冨田好弘9・74% H4本村映一6・22% 8大村義則10・56% 12本村映一15・14% 16土屋元義12・91% 20本多弘司18・76%

 本田弘司氏(65)が上昇気流に乗せ3万近い票を得たが、今回は体調不良で出馬しないと言う。批判票はどこへ行くか。ご購読はコチラ.pdf

自民党は「地民党」に変身できるか(2012.01.13)

 昨年4月の豊田市議選の頃だったと思う。『地域と自民党の再生に係る考案』という小冊子を読んだ。自民クラブの有志がまとめた提言書で、草稿段階の荒削りの文書だった。
 自民クラブには「未来ビジョン」という綱領的な政策集があるのだが、文書はその政策を実現していくための組織づくりと人材育成を提言していた。
 組織面では、豊田市の自民党が「地民党」の愛称を使うことや、「地民会議」創設も提言していた。「地に足をつけて、地の人と共に、喜怒哀楽を分かち合える党派でありたい」と。
 この「地民党」宣言はまだ日の目を見ていない。しかし、市長候補者人選段階で苦汁をなめさせられた自民党は、今後「地民党」として再生していく道を選ぶのではないか。
 今回、豊田市の自民党は、頑迷固陋でありすぎた。自民クラブ内で重徳和彦氏は多数派になれなかった。知事選の敗北者の前歴を持つ重徳氏は、終始少数派だった。トヨタ労組と民主は、拒否権発動的に重徳氏の市長選候補登用に反対した。
 地域政党の自民と労組政党の民主が拮抗する「特殊都市豊田」の政治には、議論と妥協、そして公開性の確保が大事と思うが、今回そうはならなかった。
 自民側は幹部主導で重徳氏に固執し、玉砕的結末に至った。労組・民主側は自民が反対していた庁内登用路線を走り、21世紀の会が総合企画部長・太田稔彦、総務部長・福嶋兼光、旭支所長・塚本誠3氏らに出馬を打診。太田氏が受諾し、12月14日同会の統一候補に決まった。
 自民側は重徳氏段階で敗退。市議会内候補の1本化や、庁内登用なら誰が適任か─を議論する時間を与えられず沈黙してしまった。
 さて、自民クラブ(現員28人)には、市職員出身議員が7人居る。今回補選で羽根田利明氏当選なら8人(平均61・9歳)の大勢力。地域が「即戦力」として選んだ人々であり、今後も増える傾向だ。市長・市議会の「2元代表制」からすれば課題のある存在だが、自民党が「地民党」へ再生していく中で、本当の地域戦力になっていくのか。ご購読はコチラ.pdf

羽根田・前市建設部長が出馬(2012.01.09)

 山田和之市議(自民無派閥3期・亀首町)の逝去に伴う補欠市議選が、2月5日投票の豊田市長選と同日選挙で行われることになり、故山田市議後継として、前市建設部長の羽根田利明氏(61)=写真、加納町=が出馬表明した。
 今回、羽根田氏は故山田市議後援会から後継者として指名され、オール猿投北部8自治区一致の推薦も受けた。自民無派閥から倉知派へ転向する。
 近年の猿投北部地域は長く分裂状況にあり、その一部が他地区(高岡、石野)の候補を推す習慣だった。今回、猿投北部区長会は地元出身の前市幹部を倉知派から擁立することによって、猿投・加納・舞木・亀首・本徳・乙部・さなげ台・乙部ヶ丘の8自治区一体化を決断したものと見られる。
 前回市議選で〝まさかの次点〟に泣いた自民1期の鈴木規安氏(54)=野見町=は、猿投北部が団結を固めたことで、補選出馬は断念した。自民党が調整に入った。民主党系も前回1人の落選者を出したが、まだ次回方針が固まっておらず、補選には候補を立てない。前回次々点だった無所属・中西ふじよ氏(51)=上原町=も補選出馬は断念の方向。
 現在、豊田市長選は前市総合企画部長の太田稔彦氏の独走状況だが、市議補選も前市建設部長が独走しそうだ。次の通り、市職員OBの市議会議員が自民クラブ29人(定数46人)中、8人の大勢力になるだろう。
 当3稲垣幸保69 旭  〃梅村憲夫68高岡 〃 都築繁雄64上郷 当2加藤和男62豊田 当1伊井房夫63藤岡  〃 木本文也56猿投 〃 原田勇司52松平 新人羽根田利明61猿投
 2月5日豊田市には、市事務系職員出身で助役(副市長)の政務経験や現場職務の経験がまったくない、57歳の新市長が誕生するだろう。
 一方、新市長と対峙すべき市議会最大会派自民クラブ議員団は、市職員出身議員が約3割を占め、今後も増える予想。市長と市議会の二元代表制が想定していなかった新事態であり、市議会側に新しい理論構築の対応が求められると思う。市職員出身議員に課せられた大仕事である。ご購読はコチラ.pdf

自民・民主「合い子」の政治学(2012.01.01)

 地域政党・自民党系と、労組政党・民主党系の豊田市の2大政治勢力が、市長選挙組織「21世紀の会」をつくっているのだが、今回は同会の統一候補の人選が難航した。
 結局は同会9人の主要役員の話し合いでは候補の1本化はむつかしいという見通しになり、人選は渡辺祥二会長に一任された。そして会長裁定という非常手段で、市総合企画部長の太田稔彦氏が自民・民主の統一候補者の形になった。
 難航の結果は、4期連続の市役所内からの候補者登用に終わったが、地域政党の自民側には不満が強い。今回は自民系に焦点をあて感想を書くことにした。民主系のことは今回はさておくことにした。
 豊田市の自民は、自民・民主の「合い子」のような存在、つまり雑種だと思う。たとえば自民4期の三浦孝司県議の後援会をみても、その多くがトヨタ労組などに所属する労働者である。 
 自民系後援会員の多くが、日常的に民主系の影響下にある。そういう特殊都市豊田の自民党幹部・市会議員は自らの「合い子」的存在を自覚し、「合い子」の政治学を創らなければならないのだが、そういう努力はしない。
 或る時は原理主義的に純粋自民党的な主張をし、別な時には「豊田では自民党ではもうダメだ」と投げやりなことを言う。そのブレが大きい。「合い子」の政治があり得ると思うが、それを考えない。
 労組側から「今回は重徳和彦氏を市長候補にすることには反対。別の候補で協議を…」と提案されたのだが、自民側は提案を無視、テーブルに就こうとしなかった。自民側内部からも「労組と協議」が提起されたが、やはりテーブルをもうけようとしなかった。
 「合い子」の政治学は、豊田という特殊都市では、地域政党である自民側が積極的に研究すべきだと思う。重徳和彦氏問題についても、自民側が労組・民主側に「それなら誰を市長候補にすべきか」という協議はしなかった。自民側は「庁内登用反対」についても説明さえしていないと思う。
 全国的な地域政党と労組政党の対決という一般論で。自民党は特殊な「合い子」都市豊田の市長選を論じていたのではないか。自民側に「合い子」の自覚が足りなかった。その結果、自民側が一方的敗北したと思うのだ。ご購読はコチラ.pdf

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筆者 新見幾男

syatyo.jpg 1937年5月11日挙母町大字梅坪字高宮5番地(今の豊田市東梅坪町8-18)に生まれる。岐阜大学農学部卒。愛知県立園芸試験場(臨時職員)、豊田市役所、新三河タイムス社を経て、1984年矢作新報社創業。矢作川漁業協同組合理事、豊田市矢作川研究所前事務局長・現幹事。月刊矢作川誌(休刊中)同人。著書に「ヨーロッパ近自然紀行」(風媒社)、「環境漁協宣ー矢作川漁協100年史」(共著・風媒社)。2012年1月社長職を引退、現在会長兼記者として取材に専念。
 記事の得意分野は地方政治、地方行政、矢作川の河川環境。好きな小説家は井伏鱒二とミハイルショーロホフ。座右の銘・井上ひさし語録「難しいことをやさしく/やさしいことを深く/深いことを愉快に/愉快なことをまじめに書くこと」。アユ釣り、酒、犬、園芸が好き。