続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
母の住んでいた土地
( F 60号 )

知の眩(まぶ)しさ (竹内洋治)
/ '04年4月23日号掲載
 今年僕は56才になった。6年前に新宿から江戸川区平井に引越しをした。6年の間に新宿の風景もすっかり変わった。下町の平井もゆるやかだが確実に変わっている。風景も時代も、流れているのが見える。
 
 一昨年母が86才で逝き、続けざまに親しい人達が此の世を去った。
 僕の風景は、人と出会い、喜び、悲しみ、その出会い触れあいを胸に刻むいわば日記だから、続・僕の風景をその人達の別れから始めようと思う。別れの大切さがこの年になって分かる。
 
 死というものはなかなか正体を見せないが、嫌が応でも向き合わなければならない瞬間がくる。母の死がそうだった。
 母は僕のかたわらでゆっくり逝き、僕はそのゆっくりした死を平静に見ていたつもりだったが、内心叫びたい衝動を必死にこらえていただけだった。
 昨年、竹内洋治さんの死の知らせがあって家にゆくと、突然、僕の心の中に猛烈な悲しさが噴き上がってきた。その感情の激しさは、母の死や、たてつづけに立ち合った親しい人々の死、その恐怖に僕は持ちこたえられなくなった、ということを意味していた。
 
 竹内洋治さんと出会ったのは高校1年生の時、哲学研究サークルの講師として町の図書館の一室で会った。哲学研究サークルというのは、僕達の学年からはじまった倫理社会という教科に飽きたらず、自分達の手で哲学を勉強しようという仲間の集まりだった。講師は4人で、それぞれ東京大学、愛知教育大学、早稲田大学の学生、僕達の先輩だった。僕の胸の中には、此の世が物質だけでなく、知というまばゆいものによって輝き、その世界の扉が行く手に待っている、といった期待と興奮がもう直き弾ける蕾のようにふくらんでいた。
 図書館の一室は清潔で、学校とは裏腹の勤勉な空気が好ましかった。大人への入り口に立つような誇らしさが心にひそんでいた。
 初めてあらわれた竹内さんは、白皙な東大生の、少し冷たくみえる風貌をしていた。一人の講師がテキストの解説をしてゆくのを黙って聞いていた。僕はその存在を横目にしながら、ああこの人がかの伝説の人物なのかと、知のまぶしさを受け止めていた。
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