続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
「思索する人」
( F 3号 )

なくてぞ人は(竹内洋治、三) / '04年5月14日号掲載
 合格を間近にしながらその道を捨てたのは、竹内さんの本能のなせる技だった。
 社会的道を次々と断ち、自分だけの思索の道に入り込む為に払った代償は大きい。凄まじい飲酒、酒神との格闘とも見える様は、周りからアル中とも見られ酒乞食とののしられた。そんな姿で豊田に帰った竹内さんは友人知人から孤立する。そしておそらく家族からも。
 豊田での交遊を吉田武昭さんのみ残して断ち切ったのはそんな姿を見せた後だ。
 僕が時々東京から戻り竹内さんに会いに行っても相手にはしてくれなかった。人が変わったように見えた。

 そんな竹内さんが、おびただしい量の手紙を書き送った友人がいたことを、僕は竹内さんが死んだ後知った。東大駒場寮時代の友人たち、志村久止、真木能之、五十嵐靖彦、佐藤示是員さんたちに時々上京し、逢い、自分の思索を書き送った。又、吉本隆明、藤田省三、橋川文三といった人達にも会いに行った。ヘーゲル研究家の牧野紀之氏とも交遊を持った。
 酒神とすっぱり縁を切って、頭脳と感性は急速回転の独楽(こま)のように回り出す。自分だけの思索の道がはっきり見えてきたのは、この時期からだろう、と僕は想像する。
 東大駒場寮の友人たちが竹内さんの死後、遺稿追悼文集を出した。「なくてぞ人は」と題された文集のはじめに北一輝と石川啄木がとり上げられている。出だしは次のようだ。
 「日本において近代国家の包含する矛盾を自分の問題として抱え込んだ人たちが数は少ないがいる。」「この人たちが近代国家、とくに明治国家のもつ捻れに苦しみながら、そこからの脱出、超出、潜入をいかに図ったか、そんなところを主題にしながら行けるところまで行ってみよう。」
 そうだ、これが竹内洋治の文体だ。今頃新聞であらためて北一輝の思想が注目されているという。生きている竹内洋治に聞きたいことは、僕には沢山あった。
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