続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
「六所山」
( F 60号 )
ミカン(加藤正義と竹内洋治) / '04年5月21日号掲載
 竹内さんの書斎は2部屋で、1部屋は6帖ほど、もう1部屋は8帖ほどで居間と兼用になっている。その部屋にテレビが置いてある。蔵書は1万冊を超えるようだが資料が厖大だ。居間の方に画集が揃えられていて夫人とよく展覧会に出掛けたらしい。フェルメールの絵が幾枚か額に入って置かれていて、僕の部屋の絵と同じなのがうれしかった。 
 その竹内澄子さんから去年は柿とミカンが届いた。「実家で採(と)れたもので、一昨年、主人の闘病中にはほとんど実をつけなかったのが今年(去年のこと)は豊作でした」と言われた。遺稿追悼文集の手伝いをしたから、きっと竹内さんが送ってくれたに違いない。
 
 そういえば、ミカンには忘れられない思い出がある。
 陶芸家の加藤正義【号"尹才"(インサイ)】さんの伊勢原の陶房にミカンがあった。枯れて陶器で作られたように見えたが、あの不思議な物体は一体誰が持って帰ったんだろう? 
 加藤さんが栄養失調で倒れ、飢えたまま死んでしまった時、仲間で陶房を片付けた。皆んなでそのミカンを眺めながら頭を捻った。モデルにしたのか、それとも食べなかっただけなのか。ともかくミカンは陶器のように固くなっていた。 
 
 そうだ、加藤さんが逝って、もう17年が経つ。54才だったから今生きていれば71才になる。
 献体されて後、骨が故郷、多治見の市の倉に帰ってから僕は墓を訪ねていった。山峡の陶工の村の小高い丘の斜面に立つ加藤家の墓の前で、僕はなんだかホッとした。 
 加藤さん、やっと帰ってきたね。
 長い旅だったね。
 僕は墓の前で一人泣いた。それから、加藤さんのお母さんを訪ねた。その人自身、加藤幸兵衛窯の陶工だった人は、それ程悲しい様子も見せなかったが、部屋の奥に日蓮宗の立派な仏壇が置かれて、提灯の中で灯がくるくると廻っていた。 
 やっと帰って来た長男の魂魄と不器用だった生涯を、どうやって彼女は今抱きしめているのだろうか。 
 それから、加藤さんの生まれ育った村をあちこち歩いた。
 骨になって故郷に帰った加藤さんと、生きて帰郷した竹内洋治とのことを、僕は今、考えている。 
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