続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
「コマ劇場裏」
( F 8号 )

新宿ゴールデン街(冨沢 満)
/ '04年6月4日号掲載
 新宿に、ゴールデン街という町がある。新宿区役所と花園神社との間の路地6本ほどの狭い一角だが、一種の東京の名所だ。路地6本ほどの間に300〜400軒の店が犇(ひし)めいている。
 この町の性格は各店々が個性的なことで、どの店にも特有の客がついている。演劇人、カメラマン、放送関係、作家、企業家などその店によって客の種類が異なる。まるで文化村の様相を夜になると呈(てい)する。昼間歩くと、2階に洗濯物が干してあったりして、水商売の人の化装を落とした素顔を見るような風景だ。だが、どこかなつかしい。

 6年前まで、歌舞伎町の裏、大久保通りのマンションの一室に6年若(じゃく)住んでいたので、よく飲みに出かけた。
 行く店は「とんぼ」と「唯尼庵(ゆにあん)」とあと2軒ほど。「とんぼ」にはNHKエンタープライズに勤める友人の冨沢満(とみざわみつる)さんがよく来るので彼に会うのが目的の一つ。冨(とみ)さん =彼は皆んなからこう呼ばれ親しまれている= と飲む酒はいつも、とても楽しい。何を考えているのか分からない泰然とした飲み方で、どこか春風が吹いている。彼は来ると、必ず2、3軒とはしごする。そして僕も付いてゆく。 
 
 冨沢さんは、もう15年程続いている僕の家の年1、2回の飲み会の主人物で、飲んでは深夜になるとメンバー一同書道を始める。飲んで書く会なのだが、それは明け方まで続く。料理は延子(妻)が作り、各々が2,3品ずつ持ち寄る。
 冨沢さんと出会ったのは延子の紹介だった。冨沢さんが以前作ったNHKの人間ドキュメントという番組に延子が関係をしていて、加藤正義さんが栄養失調で死んだ後、彼女が思いつくまま、加藤さんの生き様、死に様、そして作品のことを相談する為にNHKに冨沢さんを訪ねたのが、もう16年前。その事は果たせなかったが、冨沢さんとは永いつき合いが始まった。

 加藤正義という1932年多治見市市の倉で生まれ、故郷に帰ることなく飢え死にをした人と、竹内洋治という1942年豊田市で生まれ、豊田に帰った後孤立をして食道癌に倒れた人の共通点は、2人ともエリート・コースを一直線にゆき、その能力の高さと純粋さの為に孤立を選んだ、ということだ。2人の生き方はある意味眩しい。純度によって光っている。
 その2人の死を受け止めようとする時、冨沢さんのような人と、さして語らず、淡々と酒を飲んで、ゆっくりと別れる。そんな時間の持ち方が一番落ち着く。冨沢さんはどう思っているか分からないが。
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