続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
中平井橋から
( 3号 )
六名館(会津田島)
/ '04年7月9日号掲載
 母と父の話を書いて、ホッとした。書かなければならないことはまだ沢山あるが、兄のことについても書かなければならないが、風景を変えてみたい。人生は様々な風景に囲まれている。そして色々な人々にも。  
 
 福島県の会津田島(あいづたじま)に「六名館(ろくめいかん)」というペンションがある。瀬田さんという若い夫婦が2人で経営をしていて、料理はほとんど手作り、ビールもジャムもパンもみんな作る。
 「六名館」に2年に1度位ゆく。同行の人は文野優子さん、弟の炳俊(たけよし)さん、僕の妻の延子、時に友人の磯貝延子さん、炳俊さんの娘さんの春子さん。といったベスト、メンバーでゆく。
 ある年の「六名館」ゆきは楽しさを通り越し、頭が空(から)になった。
 その年、瀬田さんが、
 「漁業権を手に入れたので、今年は鮎が手づかみでとれます」
 と言ってきた。早速5人で出掛けた。
 いつものように、浅草から東武電車に乗って、最初から宴会で、炳俊さんと僕の名付けた「阿呆列車」(内田百鬼園先生をまね)の旅の始まり、会津田島行きだ。
 田島に着いた頃僕と炳俊さんは、もう出来上がっていい気分。女性軍、優子、延子、春子さんは瀬田さんの迎えのワゴン車を探していた。
 さあ、手づかみの鮎だ、今日はこれでもう1杯。
 ワゴン車に乗り、しばらく走ると、何んにも無いただの河原についた。鮎の姿などどこにも見えない。一体ここはどこだろう? 瀬田さんが、
 「さあ、川に入って下さい。鮎をとりますよ」
 と言う。
 それからが大変だった。炳俊さんと僕が川に入り魚を追い、瀬田さんが網を用意して上流で待つ、という。一体どういう意味か、訳が分からない。
 その川の川底(かわぞこ)がひどかった。岩だらけで苔むしていて足が痛いなどと言ってられない。酔いなどいっぺんに吹き飛び、必死に川を這(は)った。しかも、瀬田さんは捕り網も用意してなかった。
 僕はシャツを脱ぎ、パンツ一つになって、シャツに鮎を入れた。川岸で女性軍の3人は、楽しそうにその様子をながめながらはしゃいでいるばかり。
 「六名館」で焙(あぶ)った鮎の5匹を、炳俊さんも僕も微妙な気持ちで食べた。
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