続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
旧中川風景
( F20号 )
    林海象
(夢見るように眠りたい)
/ '04年8月6日号掲載
 林海象さんと僕は、今義兄弟だ。といっても、お互いどこまで本当かよく分からないが、ともかくそう約束をした。 どうしてそうなったかというと、「海ほおずき」の映画の後、海象さんは震災で破壊された神戸の町で、復興の手助けの為のイベントを計画したい、ということで、僕は友人の神戸市消防局の中蔦清吾さん(水上消防署の署長)、窪田哲夫さん(消防局の雑誌「雪」の編集長)、吉田義武さん(文化振興財団)を紹介した。
 イベントは海象さんの友人の音楽家桑田佳祐(けいすけ)のバンド、サザンオールスターズ、原田芳雄、李香蘭、ジュディ・オングさんたちに出演をしてもらい無料の公演をしたい、というプランで、この企画には台湾テレビのプロデューサー、張光斗さんも参加した。
 神戸の人たちと海象さんは神戸にある延子のマンションで連日打ち合わせをし、神戸市の許可もおりた。そこまでいったが、大きなイベントであるだけに詰め切れず、実現しなかった。迷惑をかけた謝罪を、きちんとして欲しいと海象さんに僕はいい、海象さんは神戸に謝罪に行った。
 そうしたことの終わった旅の車中で、お互い義兄弟の契りを結ぼう、ということになった。僕には、彼の企画が実現しなかったものの、その夢や企画力の能力に拍手をおくりたい気持ちだった。彼と兄弟だったら、どんなにいいだろう。
 
 海象さんの映画監督としての出発が何時(いつ)だったのかは、よく知らない。「夢みるように眠りたい」という映画で、無名だった俳優の佐野史郎を使い、その作品は国内、外の高い評価を受けた。佐野史郎という俳優を世に出したのは林海象監督だった。
 彼の映画界での評価は着々としている帝都物語(ていとものがたり)の脚本でその才能を発揮し、「キャッツ・アイ」では藤原紀香を抜擢した。彼は今、日本映画界の若手から中堅監督になりつつある。
 芸能界は浮き沈みの激しい世界だから、明日のことは分からないが、彼の持つ感性がしたたかに日本という国を見据えているのは確かだ。
 というのも、彼は京都の生まれで彼の父親は朝鮮半島から日本に来て京都大学にいったインテリだが、その国籍の為に苦難の道を歩んだ。
 それを見て育った彼が、順当なコースをゆかず、自分の才能を芸能界に求めたことは、僕の人生と似ている。
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