続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
平井の工場
( 15号 )
義兄弟(林海象、二) / '04年8月13日号掲載
 林海象さんと僕の似たところは、いくつかある。
 学歴の無いこと、うらぶれた町が好きなこと、というのは、見ている風景が似ている。それと、彼は京都で育ち、僕は自分の絵の原点を求めて京都に行った。それは又、母が幼いころ、誰かに手を引かれて歩いた町でもある。新京極。そして、父に「僕は誰の子供だい?」といったら、「お前は宮口の炭鉱をやっていた松本という北朝鮮に帰った男の子供だ」といわれた因縁もある。 

 海象さんに会うと、いつも熱い何かを感じる。昨日電話をした時も、「映画、芙蓉鎮(ふようちん)を見て感動したよ」といったら、「今、その映画を人と話していたばかりですよ。あれは本当によかったね」と言った。 芙蓉鎮、という中国共産党の歴史に翻弄(ほんろう)された田舎町のドラマはさておくとして、その映画の感動、映像やストーリー、中国の歴史の一場面、思想のあり方といったものが、海象さんと共有できる嬉しさが、電話の向こうから伝わってきて、その心の熱さが受け止められる瞬間が僕にはたまらない。生きている一瞬が輝く。 
 又、女性の好みも何んだか似ている。最近彼は結婚をして、新しい女性と暮らしはじめた。僕は興味しんしんで、一体どんなタイプの人かとひそかに想像をしていたら、想像と違って強い個性的な女性だった。その時、やはり海象さんも、手を焼く程の個性のつよい人格に憧れをもっているのだな、ということが分かった。結婚は一種の博打(ばくち)だから、自分の人生を引きずり回されるほどの相手に出会わないと気が済まない、といった生き方が彼の流儀(りゅうぎ)らしい。僕にとって彼の一面を新発見した思いだったが、それも僕と似ている。彼も又幾度も女性関係を繰り返している。  
 
 人間の運命とは不思議なものだ。どこで、どう結がってゆくのか分からない。流れてゆく川の中に身を置いて、たゆとうままに流れに身を任せるしかないようだが、いつ知れず、会うべき人と会い、そして別れる。
 海象さんと僕がともに感動した映画「芙蓉鎮」は、そうした時の流れと歴史のいたずらに、特に思想と政治のいたずらに人間が振り回される様を描いた名作だが、僕も海象さんも共に、流れの中に投げ出され身を寄せ合った、そんな義兄弟なのかもしれない。
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