続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
宮口町風景
( F 3号 )
酒神
/ '04年11月12日号掲載
 酒のことを一回書いておきたい。こやつは、憎い敵だからだ。といっても、なかなか僕から離れようとしないのは憎い愛人なのかもしれない。憎き奴、愛しき敵。

 性と酒は、人類の敵ではないか、と思う。これ程の敵は人類史上例をみない、と思う。が、その敵を滅ぼしたら人類も又滅びる、というやっかいな敵でもある。
 テレビの画面で、北朝鮮の金正日将軍が映る。いつも酒杯を持って実に楽しそうだ。彼の唯一の友はきっと酒に違いない。どの人間を信用しなくても、酒だけは信用できるにちがいない。 
 人のことはいえない。僕自身が、この敵を生涯の憎きもの、と運命的に思うからだ。この憎き愛人とどうやって別れるか。
 別れなくてもいいかもしれない。例えば、蘇東坂の「前赤壁賊」の章に、
 「清風徐来(清風おもむろに来たって) 水波不興(すいはおこらず) 興酒屬客(酒をあげて客にしょくし) 誦明月之詩(明月の詩をしょうし) 歌窈窕之章(ようちょうの章を歌う)」
 そして酔うと、
 「飄飄乎如遺世獨立(ひょうひょうことして世をわすれて、独り立ち) 羽化而登仙 (羽化してとうせんするが如し)」
 とある。これは仙境(せんきょう)で、人が舞い踊る様(さま)、桃源境のことだ。この時酒神 =バッカス= はいかなる表情で人間を見ているか。笑っているか泣いているか。
 
 酔っている、酔っていない、それは誰が決めるのだろう。他人か自身か。酔うのは酒によってか、どうか。 
 僕は新宿で、2人の珍客を招いた、その思い出は今でも愉快なこととして残っているが、あるいはあれは、酒神のいたずらだったのかもしれないと思うと、酔夢のようにも思える。だが、決して僕は酔っていたから泊めたのではない。高橋君も女ホームレスも、僕が目覚めた時に会い、覚めた意識の中で彼らの人生を少し覗いてみた、その人生は僕にとって好ましく、何か潔い気がした。
 
 又再び酒について考える。酒神はいる。人間の歴史とともにいる。時に「酔え」と言う。「酔うな」とも言う。
 だが、例えば芸術といい、芸能ともいい、人間の生活を潤そうと意志する行為は、おしなべて、酒神のいたずらのようなものだ、と僕は思う。
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