続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
立花風景
( F 4号 )
ハガキ
(山口長男) / '04年12月10日号掲載
 今僕の目の前に1枚のハガキがある。昭和48年(1973年)8月10日付で、31年前のハガキだ。
 差出人は東京都小平市美園町343,山口長男。僕の絵の師だ。何故今31年前のハガキを取り出したかというと、先日銀座に出て「難波田(なんばだ)龍起(たつおき)展」を見て抽象画について考えたからだった。
 僕には抽象画というものがもう一つ分からない。というより日本の抽象画のあり方がよく納得ゆかない、といった方が当たっている。
 僕の周辺の画家で、具象から突然抽象画に変化した人は幾人か居る。僕も一時期モンドリアンやカンディンスキィ、クレー、バウハウスの理論を一生懸命読んだことはある。その時はそれなりによく分かった気がし、理解した気がした。が、それを実践してみようとは思わなかった。ということは本当は分かっていなかったことと等しい。日本の美術史の中の抽象とは一体何だろう?
 
 僕の目の前に日本の抽象の大先達、オオソリティー、山口長男がいても、直接抽象について聞いたことがない。聞こうにも聞きようがなかった。本当の知識も興味もなく山口長男に対する程僕は浅はかな若者ではなかった。山口長男がパリで一緒に暮らしていた佐伯祐三の事をもっぱら聞いた。 
 「佐伯の絵はね、絵を描きに出かける時にはもう半分以上出来上がっているんだよ」
 どういうことかというと、佐伯祐三はキャンバスを自分で作り、下地を仕上げた段階で佐伯の絵のあのマチエールは半ば完成されている、と山口長男は言った。そんな話の方が佐伯祐三の絵から油絵の勉強に入っていった僕には興味のあることだった。佐伯の生活の話ばかりを聞いた。
 今、山口長男のハガキをとり出してみると、山口長男が若い画学生に言いたかったことは、もっと絵の根本のことだったことに気付く。 
 このハガキが届いた25才の僕、31年前の僕には山口長男の言葉が読みとれなかったことが今更悔やまれる。
 
 「お便りありがたし。紀伊国屋画廊で長い間、或いは余計な話をし過ぎました。どんな知識をもとうと、根源は現実物がそのまま示している大きな節理を、自分との正対した接触から学んでゆかないものは ー」
 ハガキはそう書き出している。
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