続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
「川だ!」
( F 8号 )
佐伯と荻須と山口と
/ '05年1月28日号掲載
 1927年、東京美術学校を卒業した荻須高徳と山口長男が佐伯祐三の助言で渡欧し、パリを拠点に切磋琢磨する風景に僕は興味がある。佐伯は里見勝三の紹介でブラマンクに会い影響を受け、荻須は3才年上の佐伯に深く影響された。 
 この頃のパリは佐伯より1回り年上の藤田嗣治(つぐはる)がパリ画壇の寵児になっていて、渡欧する多くの画学生は藤田のまわりに集まっていたのではないだろうか。佐伯を頼った荻須、山口などは藤田のグループとは別のパリ(エコール・ド・パリと呼ばれたこの時代、パリの町は沸き立っていた)の空気を吸おうとしていた。いかにもシックなフランスを代表する画家、スゴンザックの制作地モランを佐伯、荻須、山口らが訪れているのは僕には面白い。荻須、山口は佐伯にどんな影響を受けたのだろうか。
 僕が油絵を学びはじめた直接のキッカケは佐伯祐三の画集を手にしたことだ。佐伯の絵のフォルムや線の使い方が書を学んだ僕の目に書の線質としてうつり、西洋画にない東洋の芸術の香りを嗅ぐことによって日本の油絵の可能性を想像したからだ。東洋の墨の芸術がきっと西洋画の中に持ち込める。東洋のエッセンスを持ち込むことによって新しい油絵の世界がきっと確立できる。そんな興奮によって僕は油絵の世界に入った。それは佐伯祐三の絵を見ることから触発されたことだ。その意識は今でも色濃く残っていて、そうした目から見ると、山口長男がもし佐伯の影響を受けたとするなら、それは日本的油絵のあり方、方向性ではなかったか、と僕は考える。佐伯と荻須と山口のパリでの青春は3人の人生の運命を決定している。荻須高徳がまともに佐伯の影響を受けたのに対比して山口長男は自己の内部の自我にこだわる。というのは、こだわるべき何ものかがその内に蔵されていたというべきで、蔵されていたものは山口を育んだ環境だと想像する。パリの3人の切磋の中で山口の自我が目覚める重要な要素、抽象におもむく山口の自我の要素は、西洋画を学ぶ以前の環境にその根はあるのではないか。
 山口長男の育った環境の中に東洋の芸術、書、というものがあり、佐伯や荻須との外国の生活の中で、そのモメントが山口の芸術を決定していった、と僕は思う。
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