続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
「隅田川の船」
( F 3号 )
風に泳ぐもの / '05年3月11日号掲載
 現代の書道界が書の本質とは無縁のところで蠢(うごめ)いているのは少しでもその世界に触れたことのある人には自明のことだ。書道界というのは権力構造に集う人々というくらいの意味で、文化とか伝統というものと全く関係がない。というよりマイナスの意味で質をおとしている。見、聞けば聞く程醜悪な世界になっている。展覧会を餌にして金権私利を求め、その上に権力を築くというのが現実の書道界だ。近年では稀な書道家であろうとした井上有一は叩きつけるように作品に書いている。「金有権力、金有栄誉、贈賄収賄、鉄面皮」。そう嘆いた井上有一の作品だけが歴史の中にその姿を残そうとしている。そして、他の昭和の書道家のほとんどは歴史の中に消えようとしている。権力構造に正面から立ち向かう者の書だけが光を持つ。歴史の眼はゆっくり人間の動きを選別する。 
 
 2004年6月、部屋の引越しをした。といっても隣りの部屋で、5年2カ月住んだ211号室から212号室へという、こんな引越しははじめてのことで、東京に来て36年目にしてやっとローンを組みマンションを買った。うれしく目出たいことのはずだが、これから20年間の借金をかかえた、と思うと心境は複雑だ。この際、今まで家賃として支払ってきた総額を考えてみると、頭が計算を拒否したくなる気がする。
 人の人生は家賃に追われ、その為に使うエネルギーの膨大さは凄まじいものだと思う。衣、食、住のうち住こそが人間を縛る太い紐だ。そう思ってもともかく家賃ではなく部屋代がローンに切り替わったのは、僕の内部の何かを変化させた。気が楽になって朝起きる一日の気分が違う。
 新しい部屋の玄関には宮島大八と小川芋銭の書を置き、アトリエには熊谷(くまがい)守一(もりかず)と生前の父が書いた「一期一会」の色紙を掛けた。 
 父の字は書道を習ったという字ではなくて、ごく普通の明治生まれの庶民、それもほとんど毛筆など握ったことのない人のたどたどしいものだが、それがかえって父の人柄の素直さを率直に表していていつ見ても飽きない。つくづく書という文化の奥深さを思い知らされる。書にとって大切なことは、その人の境涯(全人格)にこそあるのだ。 
 ふと、風に乗って花の種が窓から入って部屋の中を泳ぎ、玄関の方向に今消えた。
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