続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
「タンクのある風景」
(P10号 )

/ '05年3月18日号掲載
郷愁ではなく
(僕の性)
 今年(2004年)は6月、7月からもう暑かった。地球をとりまく自然が叛乱を起こしたのではないかとさえ思う。それにここのところの大雨、大水、自然が牙を剥(む)くと人間は本当に弱い。
 昔の暑さに比べる、といっても記憶の中でしかないが、僕が中学1年生(1960年)、その年の夏もとても暑かった。豊田市宮口の裏手の山とまわりの稲田の緑が風を運んでくるものの12才の僕には家の中に居たたまれない夏の葉緑素の濃い夕方、家の外で風に吹かれていた。 
 あの頃は前の国道もほとんど車が通らず、夕暮れに行き交う人もまばらだった。隣の宮上の店まで買い物があるのか1人の女性が自転車で通り過ぎた。僕より2才年上の裏手の磨き砂の鉱山に住んでいる女性(ひと)だった。しばらくして、買い物からその女性が帰ってくる頃、夕闇はすっかり光を失って道がかろうじて判るほどの暗さになっていた。 
 この暗さほど人の心を侵凌(しんりょう)して何かを滑(すべ)りこませるものはない。僕の中に何かが滑りこんできた。僕は闇の中をその女性を追(つ)けていった。坂道になってその女性は自転車をおり、押しながら上がってゆくその背後から僕は抱きついた。驚いた彼女は必死に体を振りほどこうともがいたが、自転車は離さなかった。僕は夢中だった。坂道を上がりきったところで草叢(くさむら)の中へ彼女を押し倒した。下着に手をかけ、ひきずり脱がすと僕も夢中で下着を脱いだ。
 その時今思えば性行為があったのかなかったのか、始めてのことでわからなかった。全ては無言のまま、夏の暗闇の中で手さぐりのまま僕の性は弾(はじ)けた。
 とぼとぼと歩いて坂道を下り、ポツンと点いた街灯の電球の下で明かりに照らされてみて、僕はこの夏が特別な夏であることを実感した。
 家に着くと父が、
「何処に行っていたんだ?」、と聞いたが、何も答えなかった。夏の闇が侵凌したものが大人への入口、秘密の入口であることをその夜の闇にだけ知らせておけば、僕の大人への儀式は終わったのだ。

 今年の夏の暑さとあの年の夏の暑さとの間に44年間の時間の隔(へだ)たりがある。もう宮口にはあの夜の暗さはない。住宅が沢山建ち、街灯だらけで夜になっても明るい。川や池で泳ぎ、夏の草の臭いをかぎ、桃畑、西瓜畑を荒らしに行った夏は二度と戻ってこない。自然の恵み、恩恵を充分に受けられない子供達が今育っている。
 郷愁ではなく、子供達に自然の豊かさを、ましてや夜の闇の暗さの喜びを与えられない今の日本は、あの時代よりきっと貧しいのだろう。
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