続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
西新井風景
(変形10号)

下駄履き
/ '11年9月23日号掲載
 まず林海象は田尻千代に兄、鈴木時治のことを聞いた。
 「どんなお兄さんでしたか?」
 千代は一言で答えた。
 「乱暴者。」
 「じゃあお父さんはどういう人でしたか?」
 「乱暴者。」
 千代の答は明解だった。その戸惑いのない物言いに全員があっ気にとられ、そして笑った。
 千代のいう乱暴者とは上州女の気質もあるだろうが、時計職人の父の職人魂の頑固さが示されてい、その一家が病気による理不尽さによって、共同体からしめだされ差別されたその抵抗感が込められていることが、次からの話で分かった。
 差別する人間に対して鈴木時治は強烈な反抗をする。そして妹弟を守った。それは千代も一緒で、いじめを受けた妹弟の為にその男共をやっつけに出掛けてゆき足で蹴倒した。千代はそういう上州女だった。
 父親は子供たちの将来のことを考え、時治(長男)にも千代にも時計修理の技術を仕込んだ。その教え方は厳しく過酷だった、と千代はいった。
 だがそのお陰で千代は療養所を出た後もその技術で、世間を生き抜くことができた。
 “乱暴者”という言葉には血の結束の家族にしか分からない深い愛情が込められていた。

 鈴木家は母親が出産の出血で亡くなり、父親と時治の発病によって家をたたみ、ハンセン病の部落、草津の湯ノ沢部落に移住する。
 ここには英国から訪日したコーンウォール・リー女史が築いた学校があった。時治も千代、ひろ子もその学校に行った。
 そして湯ノ沢部落が国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に移されると、そこの自由棟に一家で入所する。
 時治以外発病していない。妹弟は未発病患者扱いとしての入園だった。
 父親はそこで餓死をする。千代の妹ひろ子は年頃になって二度楽泉園を飛び出すが傷だらけになって戻り、自殺する。
 千代もその時外の世界に出、鹿児島星塚敬愛園にい
たが、妹危篤の電報を受け取ると、下駄履きのまま空港に
かけつけ飛行機に乗った。
 その話を淡々とする千代を見ながら僕達は言い知れぬ感動で一時言葉を失い、林海象は、
 「この場面はどうしても映画にとりたいな。」
 と言い、スタッフは一人一人深く頷いた。
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