続・僕の風景  人と絵と放浪と
文・絵 宇野マサシ
バラ
(F3号)
飛田新地(ニ)
/ '11年11月11日号掲載

 僕が大阪に絵を描く為に来た目的の一つは特殊飲食地帯、飛田新地を目指すことだった。ここの風景はある意味西成の象徴で、東京の吉原、神戸の福原などはソープランド街に変わってしまって昔の建物も風情も残っていないが、飛田にだけは昔のままの建物、商売のあり方が今でも残って続いている。独特な空気を醸す地帯は日本で唯一といえる。その飛田も今回歩いてみると半分以上は壊されて、瀕死の風景といっていい。
 動物園駅から飛田新地の大門(入口)までのアーケードが飛田本通り商店街。商店街は飛田新地を囲んで阿倍野にも伸びている。
 僕が今回相談し絵を描く為の準備を整えてくれた第六足立酒店の店主、足立真美は飛田本通中央商店会の会長を長年している。
 僕が大阪に着くと早々に足立真美は飛田新地料理組合の事務所を訪ね、組合長に僕の紹介と挨拶をした。
 組合長の越村市二と足立真美は面識があり色々な会合で隣同士だったりするようだったが、お互いがどこでどんな商売をしているのかは今まで知らない様子だ
った。改めて名刺交換をし商店街同士の情報を話したり自分の店の紹介をしていた。そして僕が飛田新地の中で絵を描く許可も組合長は快く了解し副組合長、井上孝一にも引き合わせをした。大阪に来た目的の一つがはやばやと整えられ胸の中の不安が消えた。
 その夜晴れ晴れとした気持ちで僕は足立酒店で酒を飲んだ。
 数日後に僕は飛田新地の風景を描きにでかけた。朝九時には商売を始める店もあるので午前六時前までに部屋を出た。太陽が昇ると外はまだ暑かった。

 ただこの町の独自な風情と人間関係には他所から入れないところがある。独特の共同体の空気がさして広くない町を包んでいる。
 それは僕の今回描きたか
ったものであり、描き残したい主題でもある。東京の吉原や神戸の福原などの場所が無くした何かである。
 聞くところによると、この町には暴力団が入りこむ余地がないということだった。そこも吉原や福原などと違う。何かが守られているのだ。
 だがその町も半分以上の建物が失われ病院やマンシ
ョン、駐車場になってい
る。半分町が死んでいる。
 古い風情の町はやはり現代の波に押しやられ姿を失う運命にある。そのことを町を歩きながら僕は、つくづく感じる。
 現代のドヤには色々洒落た名前が付けられていて、観光客も泊まる。。
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