| 水野五郎さんを偲ぶ | ||||||||||||
| (平成17年2月4日号掲載) | ||||||||||||
| 86年「足助ロマンの町づくり」で、サントリー地域文化賞 "副賞百万円" を水野五郎代表で受賞した。その恩義からではなかろうが、氏は大のウイスキー党で、度が過ぎ腰くだけになることもあったが、闊達な左党であった。 息子さんは東大出の農水省外洋魚の専門家で、親父の脳の活性化のためパソコンを与えた。それで五郎さんは世界を知る足助屈指の情報シニアになった。晩年は裏の稲荷の森の植生回復に力をいれた自然派で、老いてジーパンスタイルが似合った。 五郎さんは足助人らしい理論派としても知られ、稲武町小田木の集落を瞰しながら、山里の原風景論を唱え、山里の味処「一の谷」への想いを語った。 氏はその頃より「古くて新しい地域づくり」を唱え、「観光は地域文化の創造が根底」と説き、幾多の水野学校生を育んだ。 行政畑で血気ざかりの小生も門下生の一人だった。たまたま時の水野勇明町長の大規模栗園造成を担当した小生は、数字をびっしり記載した氏の手帳に魅せられた。客単価、原価率、積算売り上げ等々の統計こそ経営の基だと語り、栗園の経営にも沢山のご教示をいただいた。 時あたかも行政主導の町づくり全盛期で、足助屋敷、公民館、百年草などが整備された。行政は福祉の町づくりの総合サービス業であると考え、限りなく民に近い経営をめざしながらも、頭デッカチで力足らずの恥ずかしいことが多かった。 もみじの香嵐渓の一季集中を打破し、足助は周年観光に歩みを進めた。中馬のおひなさん、春の妖精カタクリの季節がそこまできている。春近き日々に足助人は五郎さんを偲ぶならわしである。 |
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