| 甦れ足助「中馬」の町並み | ||||||||||
| (平成17年4月1日号掲載) | ||||||||||
| 保全を開発と信ずるまちづくりの先鞭は、白壁土蔵の足助・中馬(ちゅうま)の町並み保存事業だ。80年代前半はその全盛期で、文化庁の重要伝統的建造物保存調査・日本ナショナルトラストの町並み調査などが展開された。 足助の町並みを守る会会長の田口金八さんの人望と行動力は、足助だけでなく、全国の町並み保存連盟の人々に知られる存在だった。年会費5百円・6百戸加入のその運動は、発展的に町づくりの会に継承されている。 74年萩・津和野の取材に併せて旅行よみうりの記者が立ち寄り、足助の町並みは黒瓦一色、中馬の嘶(いなな)きの聞こえる町と報じた。折しも木曽の馬籠も長野県政一〇〇年事業で整備が進み、その中核となっていた小林氏と足助との交流もはじまった。勢いに乗じて78年全国町並み連盟に加担して、第一回全国町並みゼミ「有松・足助」を開催した。 その後、地道な活動が続いたあと、保全的修景事業で、中馬館、豊田信用金庫、郵便局等の新改装が、中馬道にふさわしい意匠で進んだ。一方、行政側は昨年まで10年余の歳月をかけ、国交省の町並み環境整備事業で3億円余を投資した。小路の整備、一般商家宅のファサード修景、区民館三棟の改装をした。 同時に足助川を守る会(会長:高橋秀豪さん)の音頭で、足助川の河岸歩道整備も行われた。 こうしたハード事業に前後して、住民運動で、中馬のおひなさん、たんころりん、万灯まつりが企画され、人通りの少なかった町に人並みが甦(よみがえ)ってきた。 足助の町づくりは、歴史と伝統に裏うちされた「いま・ここ・これ」がポリシーにあれば、スローツーリズム、持続性ある観光の道を拓いて、次世代に受け継がれていくことだろう。 |
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