グリーンファーム栗園
(平成17年5月13日号掲載)
 1961年、24歳のとき、足助役場産業課在籍のまま、農林省派遣の海外農業実習生として、ブラジル派遣の栄に浴した。行きはパナマ運河、帰路はケープタウンの西まわり、3ヶ月余の船旅と6ヶ月ブラジル奥地の日系果樹農家での実習、6ヶ月はパラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンの日系農場を渡り歩く流浪の旅人であった。
 帰町後数年間は、農業基本法制定にともなう大規模農業を進める水田の区画整理など、農業構造改善事業の一翼を担当した。67年時の水野勇明町長、柴田修一農協長の元で、三ツ足(みたち)国有林の払い下げによる県営開拓パイロット事業で60haの栗園造成を手がけた。払い下げ価は1ha当たり6万円、開墾事業費は植栽費を含め2億円、役場の一般会計に相当する大事業だった。
 この参加農家20戸、全園一筆の全面協業経営で出発、順調な成育をみて一万本余の栗で、71年に "桃栗3年" を待って、観光栗狩園を開設した。この年の入園者4千人、年々順調な成果を挙げ、成果期の77年から園を共有から個人所有に移したこともあって意欲も増し、一戸当たり2百万円の分配を記録した。最近は鈴木光雄組合長の敏腕に支えられるも、40年の老木と、猪害に加えて、観光需要の多様化で、低迷に甘んじている。
 想うに東海界隈10指近い同種園は経済の必然の中で、消えた。同組合長は81歳、生涯現役の代表格だ。連作障害の嫌地(いやじ)回避には植栽穴に炭を投入するのが一番と、それを実施して4百本を新植した。猪害には向こう側がすけてみえないトタン張りが一番と、ほぼ全面張りを終了した。今秋もグリーンファーム栗園に、是非お越しを!
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