綾渡民宿村の藤沢彦一さん
(平成17年7月1日号掲載)
 足助は三河準平原の典型の地形だ。山も谷も深くはないが、無数のV字状の襞(ひだ)に集落が点在し、ときとして山上に平地が展ける。その一つに響きのよい地名の綾渡がある。綾や錦が霊峰御嶽に直に渡る村、平安の世の密教文化のメッカでもあった。
 この地の核をなす平勝寺には、1159年の体内銘のある聖観音(国宝)があり、村の随所に七堂伽藍を偲ぶ大門、奥の堂、経嶺、口論部、読み寺、咄しなど小字名も残っている。小生は昭和40年代前半にこの地の水田区画整理に携わり、歴史に少なからず興味を抱いた。
 この地に伝わる念仏おどりは鳴りものは下駄のリズムのみ、北前船で日本海より入ってきた、モンキーダンス顔負のおどりという。そんなことをモソモソと話してくれた亡き藤沢彦市氏は、郷土史家であり、あすけ村おこしの第一人者であった。
 70歳にして日大の史学通信学科に在籍し、歴史勉強はいまに生きる生き方を教えてくれ、行動の規範になると説いた。足助川から見あげる山上の村にいち早く自動車道を開設し、73年には同年代人を説き、老力結集のふるさと民宿を開村、ピークには4千人の宿泊客を迎えた。90年には需要の変化でペンション、プチホテルに抗しきれず、閉村となった。我が蔵書の中に氏の形見となった柳田国夫・宮本常一全集もあり、それらは後の生きた民俗村 "三州足助屋敷" 開館の基ともなった。
 「ふるさとは単なる風土でなく、遠い先祖が営々と築いてきた文化の積み重ねが、そこに加わったものである。郷土への愛情はあらゆる人間活動の源泉であり、持続可能な地域づくりの基だ」と教えて頂いた。
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