一世の心意気は二世に伝わるか
(平成17年9月2日号掲載)
 三州足助屋敷は、1980年山村農業改善事業の民芸関係施設として事業化し、1億5千万円(7割補助)でオープンした。民俗学者の柳田國男は山村は民族のふるさとと云ったが、足助屋敷はそういう思想の系譜の施設だ。
 足助は2千余の日本の山村の中で最も早く、トヨタ自工の工業労働者として人口流出し、都市近郊通勤山村となった。30歳代の小生は、人手がなくなり農林地の荒れゆく姿と物質至上の心の荒廃を重ねみて、 「田園荒れなんとす、いざ帰りなん」の想いを強く抱くようになった。
 「ここの手仕事は、民芸でも伝統工芸でもない。自分の暮らしに必要なものは自分でつくる、健やかな山の生活が甦っただけなのだ。土から離れ、手足を使わなくなった現代生活がいかに貧しいものかを考えてみたいものだ」。この想いの集約された動態博物館として足助屋敷が出来てから25年が経過する。
 ここの主役は12の生業の職人さん。菊の墓紋を誇りとする木地屋の小椋、刀鍛冶の傍ら野鍛冶もする義雄、足助で60年まで三河森下紙を漉いていた元吉、この紙で番傘を作る一、黒炭焼きでは界隈きっての鐘二、竹篭の太一、機織りのキカさん…。
 25年の歳月は人も消した。初代の職人で現存するは桶屋の銀正、下駄屋の怜、三河乾漆の兼男さんだけになった。
 年金ぐらしでゲートボールに励むシルバーさんよ。生涯の生き甲斐に通ずるワークをもつことが長寿の秘訣と訴えたい。言葉も食も八分を良しとする一世から世代交代した二世の諸々さんよ。ものづくり職人一世の心意気がどれだけ伝わっているかによって、山里足助の明日の光りがきまるような気がしてならないのだ。
過去の 随想録 TOPへ