| 足助の俳人板倉塞馬を語る | |||||||||||
| (平成18年5月12日号掲載) | |||||||||||
| 足助の小学校で万年教頭だった鈴木茂夫師。町誌づくり、縄文遺跡の発掘等々で、知る人ぞ知るその道の大家だ。小生との出逢いは1970年中馬の町並み保全啓発の看板づくりにはじまる。 そのころ町並みの入り口の新町の馬頭観音(大正期の町内最大の石造)と芭蕉の句碑を訪ねた。淡々と熱っぽい師の口説は、町並み病を患う感動ものだった。 師によると、江戸後期足助の俳人板倉塞馬は、商人の金儲けの余業に文化業を足助に広めた人で、80歳亡の3カ月前に自分の句碑でなく、足助入りの句行のない芭蕉の句碑「馬おさえながむる雪の朝かな」を香嵐渓を眺める最高の場に建立、今の金にして2百万円をかけたという。 当時街道を往来した馬方に寄せて独立峰飯盛山の自然美をうたい尽くした郷土の先人に師は驚き、さらに重い荷を背にする牛馬に「接待水」場でしばしの休息と冷たく美味い水を与えた足助の優しさを語った。 続けて師は、郷土のもみじに加えて人文観光をとりいれよと言った。師の執筆による「三州足助」は7刷で5万冊、足助屋敷の基となる足助資料蒐集、足助屋敷館長時の生活提案「藁、漆、炭」は貴重な力作だ。98年には勲5瑞宝の受章、足助唯一の文化財保護委員として81歳の生涯現役を全うしておられる。 肉や天ぷらを好み巴の天然鮎など旬の味を知る健啖家でもある。ご子息昭ちゃん(足助交流館)が師の志を継承している。中馬館、足助城、大河原小閉校後の民族資料収蔵、旧養蚕指導書活用の足助資料館の歴史的資料の保管は界隈の模範であろう。持続可能な地域づくりとは、後世に歴史をどう伝えるかにあるのだ。 |
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