| 酔うほどに自由奔放の人 | |||||||||||
| (平成18年6月2日号掲載) | |||||||||||
| 足助でNo.2の高地に立地する金蔵連(ごんぞれ)の“長平”宅、庭には戦国最中の1571年ごろか、信玄が出来山で金を掘っていた証しの金砕き臼があり、裏の墓地には菊の紋章入りの木地師の墓石がある。母屋は戦後建築だが木造の粋をこらした住家で、禅宗仏間の上段の間は素晴らしい。由緒ある山林地主だ。 氏は惜しくも1975年、51歳の若さで入寂されるが、四期の足助町議を務め三ツ足(みたち)栗園、神越養鱒場、三河山間の先駆的水田区画整理に尽力された。母堂のオクワさんが議会用務以外は乗馬ズボン、地下足袋姿を説き、その姿で郡トラ(郡有林トラック)の定期便に乗り町並み入りした氏のことを古老たちは覚えている。三嶋屋を定宿とする遊び三昧最後の人であった。 時の県金井農林部長や豊田佐藤市長との親交も深く、ねびそのアンコの生飲みや、神越川の清流で育った鮎の素焼きの生姜だまり食い、ブツ切で自宅宴もしばしばであった。仕上げは八重令夫人のニラ雑炊で決まった。 忘れ得ぬ追憶は、郡有林事務所泊で、ねびそ中腹のつぐみのトヤ場まで一時間余を歩き、かすみ網からはずした朝どりのつぐみ食いの同行であった。シベリヤから能登に渡り、幾日も経ずして足助の木の実を啄んだツグミは脂がのり日本一の絶品であった。 長平さんは、酔うほどに自由奔放、「おふみさまのあなかしこ」を披露し、同席者を抱腹絶倒させた。スリッパと座ぶとんを頭に括り、芸者衆の赤腰まきを袈裟にし、艶っぽい経文を唱えつつ、のけぞった芸者を愛げる座興は天下一品の独作。オンリーワンの地域おこしの発想もかくありなんである。 |
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