| 役場生活軌道修正の恩人 | |||||||||||
| (平成18年7月7日号掲載) | |||||||||||
| 96年の夏、癌であえなく他界した足助町現役助役の静臣ちゃん。 パブリカの全盛のころプリンスの中古を求め、仲間うちのドライブ行をさかんにした。巨体であるもスキーは達人、夏山登山、鮎つりも得意であった。ぐねぐね道のR153で飯田、塩尻を経て上高地からの蝶ヶ岳に挑戦、中房を過ぎた釜トンネル内の急路でオーバーヒート、それをものともせず、ビーナスを伏せた稜線で穂高を眺めたテント泊がなつかしい。 ちゃんは当時町なみの簡易水道敷設の担当だった。2tトラックの荷台いっぱいで猿投山系の三国山にのぼった。山を愛する人は純で無垢、お人よしで一途。手先も器用で真空管式スーパーラジオを組み立てもした。 晩年は新町の高台で、自己設計の鉄骨式ブロック積み住宅を仕上げた。ファサードはともかく内装はポストモダンで、ホームバーまで設け、あすけサロンとして町づくり考のたまり場にもなった。足助ファンの民芸の大家、瀬戸の水野半次郎氏との親交も篤く、用の美を追究する調度品がほどよく整った空間構成は素晴らしい。 表現語学も抜群で、時のあやど民宿を老力の結集、足助屋敷を今に生きづく動態博物館、足助村を本物の暮らしのわかるところ、百年草の老人福祉会館を福祉観光、とネーミングをした。 屋敷、百年草も追いこみの数ヶ月前、お前の役場の仕事は俺が受けるから、と出向サインを出す親分肌の静臣ちゃんだった。三年過ごせばイエスマン、休まず、遅れず、働かずの役人像の中で、はじき出されない軌道修正をしてくれた。近づく盆の足助川万灯に心静かに心経を捧げ、冥福を祈りたい。 |
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