大多賀の「つぐみ」を語れば...
(平成18年12月1日号掲載)
 飽食、美食の世の中「お主のうまいもんならなにを食うか…」。「ほだなあ、つぐみかなあ」と即答する足助人のなんと多いことよ。二度と口にすることの出来ない幻の珍味を、シーズン真中の今“紙上食”してみたいと思う。
 晩秋いや一年を通じて大多賀の現金収入の頭は鶫(つぐみ)捕りで、15戸がこの業をしていた。故正清さんは、つぐみの味は大多賀産が本邦一と絶賛した。シベリアから日本海を力の限りで能登に渡り、雪の少ない足助の木の実をたっぷり食べ脂ののりきった鳥という。
 今も健在の池野賢次さんの話。霊峰"寧比曽"(ねびそ)の中腹に「ボイ小屋」を設け、ほどよく雑木を切り開き、霞網(かすみあみ)50反(=250m)を階段状に張る。夜中起きで、米糖にハゼ・コチの魚粉を混ぜた練餌で飼った囮(おとり)を、空が白々とした頃に配置し、作業を終える。高い空を飛ぶつぐみの集団は囮におびきよせられ地上に降下。この時長い棒先に付けた鷹の羽根を振って集団を網におびきよせるのだ。
 沢山かかった時は、網からはずさずに、次の飛来にそなえ頭ひねりで殺すのもしばしばであった。あとでまとめて網からはずすのである。
 一息ついた頃、これぞ本ものの焼鳥食いの食漢の到来。小屋の生木の焚火では、串ざしされ醤油、生姜味で焼かれ、胃袋に入る。腹の苦味、脳みそは、忘れ得ぬ舌味だ。
 さてこうした消費は僅少で、多くは岩村の永半のオート三輪で集荷された。戸当たり今価で2百万円はあったという。地域の古き業の発掘の中に、グリーン・ツーリズムがあるはず、と想うことしきりなり。
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