農業実習生14ヶ月の旅の追憶
(平成19年1月10日号掲載)
 61年11月、移民船ブラジル丸でパナマ運河を経て37日の船旅で、移民の玄関口サントスに入港。国際農友会派遣農業実習生20名中、24歳は若さNO1であった。私の配耕先はサンパウロ市より700kmのプ・プルデンテの、33年渡航の鳳来町出身の柿原氏の農場。子息4人の青年労力もあり、中規模果樹農場4百haの成功者であった。
 ぶどう、なし、柿の年2回収穫。夜明けから日没までのきびしい労働体験の6ヶ月から解放され、心あるパトロンから2百ドルの餞別を賜り、日系コロニアを中心に一人旅をした。
 その行程は略そ1万5千km。サンパウロ奥地からアマゾン源流域、パラグアイに至り、ラプラリ川を南下する列車でブエノスアイレス、チリ国境のアンデス山系に入り、ウルグアイ国境の海岸線を北上した。遷都直際のブラジリアの中央高地からリオのコパカバナーの砂浜に出て、大柄な南米美人にみとれて旅の終わりとなった。
 帰路はサントスよりオランダ船で、ケープタウンを経て67日の航海。都合14ヶ月、63年2月に帰国した。
 この間、足助町役場の現職派遣を確保して戴いた高木産業部長、ブラジルの足助出身半田加周系の大竹氏、菅生の三宅氏に大変な世話になった。小原出身の州立農学校長の溝口さんとのワーゲンの旅、原始林2日間の馬旅で土着民集落を案内してくれたヒッピーまがいのコチア青年等々、良き人たちとの出逢い旅であった。
 ボオービアージとサントスで再会を約したパトロンの画学生は、カリブの島キュラソオで孫と暮らしている。もはや遠い遠い追憶だ。
過去の 随想録 TOPへ