| 「愛知いこいの村」再開発いかん | |||||||||||
| (平成19年4月6日号掲載) | |||||||||||
| 塩の道「中馬街道」の峠越えの最大難所は伊勢神。この峠の石仏建立は地区内最古(1683年)である。 江戸後期建造の「伊勢神宮遙拝所」から寧比曽山麓にむかうなだからな山地16ヘクタールが、バブル期の不動産投機の餌食になるのを地区の人々は憂えた。「正彦・悠紀夫・一郎衆」は、吾が地の、吾が人による、俺んちの開発をスローガンに、明川(あすがわ)の地上権山を含め10人の地主を説得し、100ヘクタールを確保した。 時の太田績足助町長を先頭に桑原幹根知事、地元松井治之県議に懇願し、7年余の歳月を費やし78年秋、国の雇用促進事業団の力で、宿泊能力120人等々の「愛知いこいの村」が、40億円の投資でオープンした。ピーク時には年宿泊2万5千人、地元就労40人の村おこし一大施設だったが、なぜか23年の短命で01年閉館になった。豊田編入合併を前に足助が土地・施設を1億2千万円で町有物件にしたが、広大な施設である故か、未だ活用の方途が定まらない。税投入の箱物行政の企画・経営能力の甘さは何をかいわんやだ。 しかし、地元3集落全区民で設立した「伊勢神開発促進協議会」はいまも健在であり、これが原動力となり73年再建された伊勢神宮遙拝所では、古橋茂人氏を筆頭に「新嘗(にいなめ)祭」を盛大に続けている。 伊勢神の思い出をたどれば、当時の足助町役場の藤井喜代志産業課長は、小型ブルドーザーを自ら操り、旧トンネルからの3尺幅の遙拝所道を改修した。「自分たちでやれることは地域で」の気迫が、伊勢神に限らず足助のまちづくりの底辺にあるような気がする。次策が待ち遠しい。 |
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