| オーイ消えゆく草葺き民家よ | |||||||||||
| (平成19年9月7日号掲載) | |||||||||||
| とあるJR駅前で目かくしをとかれたとする。ここはどこか、せめて九州か東北かをいえ! といいたくなるような、全国画一の建築物が並ぶ最近事情だ。 民家に興味を抱きはじめた1970年後半、遠野の曲り家、白川の合掌づくりならずとも、足助でも峰越えすると集落名がわかるほど建築に特徴があった。 倉敷の大原美術館や街の景観づくりの指南役であった浦辺鎮太郎は、請われて足助屋敷の設計に来訪した。香嵐渓の演舞場脇の桜の古木下にたたずみ構想を練ること半日余、建築は人と風土の係わりの中で成立するものだから、人のおごりを排し、そっと自然の中に溶け入るものでなければ、と教えて戴いた。 そんな想いから茶室助庵を皮切りにむかし家、桧茶屋などの、足助の民家建築を基本に草葺き民家を新築した。その集大成が足助屋敷民家群となった。 平勝寺観音、八幡宮本殿(重文)のDNAを今に息づかせようとする熱き支持あってのものだ。だからこそ細々ながら30年来持続している。合併後の町並みや香嵐渓の保全的開発に、経済ありきでない、ふりかえれば明日がみえてくるような、懸命さを切望する昨今だ。 火災で再興なった足助村対岸の「料亭おちべ」が山田和之氏に渡り、2年後見事に草葺きで復元された。屋根やは下山の清水長雄さん(76歳)。因みに足助屋敷建築は、同氏に加え小原、旭、足助の諸職人によったが、健在は清水さんのみ、以来各地の引き合い多く、夫人コンビの技は最高で一流だ。 前述の浦辺氏は「50年後の足助屋敷は重文なり」の設計という。3回目屋根替えも人間文化財の清水さんに是非お願いしたいものだ。 |
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