| 足助の珍味、岩茸の掻き落とし | |||||||||||
| (平成19年10月5日号掲載) | |||||||||||
| 90年10月、百年草と同時発足の足助山草研究会。最年長会員は、山の中立生まれの内藤幸夫さん(当時78歳)であった。 白木商として巾を利かせ、人なつこい目鼻立ち、律儀な性分で鳴らしたときもあったようだ。晩年は巴川べりを自転車で流し、鮎つり三昧だった。炭火でころよく仕上げた串さし、石干し鮎を携え、小生の脇で世間咄しに興じたものだ。 半田の中埜酢に樽材を納めたこと。岡崎の杉浦冷石俳人亭に山草の庭をつくったこと。そんな話を面白おかしく聞いた。 草木は全てよりそって生きるものだから、先ずは好きなものをやたらに植えること。年月が個性をかもしだすと説いていた。小生の道楽揚句で朽ちた屋敷裏に、その昔エビネが群生していた。そこへ連れて行けで、弱々しい数株のそれをみつけたときの目の輝きは童顔そのものであった。 その後しばしばの誘いで、地下足袋、乗馬ズボン姿の足どりの悪い後づきで、岩茸(いわたけ)とりに出かけた。誰をもよせつけない秘密の大岩にビッシリ張りついた様は見事で、長竹に下刈鎌を結びつけての掻き落としは、感動ものであった。 中立裏の中電水路の大文字草、植生の変化で少なくなった采配蘭(さいはいらん)黄花ならぬ赤碇(あかいかり)草、旭の八幡郷社の衝羽根(つくばね)にあらずして串原の大群落、ここかしこにあった熊谷(くまがい)草さがしで日没間際に出逢った紅葉傘(もみじがさ)も、小生の竹薮で自生をはじめた。 晴耕雨酒、朝の2合で勢いよく町長を訪ねる酔人、鉄砲での雉(きじ)うち名人、村には気ままな自然体の風流な人が多かった。熟年悠々の生きざまを故内藤幸さにあやかりたいと思う。 (足助観光協会会長) |
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