足助屋敷は10億円の木造工事
(平成20年2月1日号掲載)
 いまの足助観光の礎となった保全的開発の「一の谷」の故水野五郎氏は、ことある毎に「観光は地域文化の創造である」と説いた。この精神が足助人の次代に引き継がれ、持続可能な足助の観光が成立しつつあるように思う。
 豊田との合併を契機にこのうごきは加速化してきた。07年秋の待月橋の架け替えが実現し、樹齢80年余の楓の若がえり策、中馬の町並み整備、下水道整備が本格化してきた。
 いまこころすべきは、足助屋敷・公民館・百年草の設計者の浦鎮さんの言だ。「公金を使うべきは百年先の孫子に伝える事業」「自然には逆らえない。人がものをつくるのは居場所をそっと借りる様なものだ」。
 その代表格は05年亡の鈴木延靱(のぶつな)氏建築の「一の谷」の6棟だ。延衆なくして73年来続けてきた香嵐渓の15棟余の藁葺きの佇まいはなかったであろう。
 その集大成の足助屋敷建築は10億円余の大工事だった。入札資格なしの弱小大工が建築企業体をつくり、足助の匠を内外に知らしめた。木造の単年度施工は、良材の確保や真壁の乾燥がむつかしく、とくに世紀の土蔵、楓門などに延衆は相当の犠牲を払い、男気で切り抜けた。新材に狂いが生じたときや台風の朝にはいち早く駆けつけ、メンテナに余念がなかった。この力と愛は足助大工に受け継がれていくことと信じたい。
 足助バイパスの大型重機や人手を介さない無機質画一工法をみるにつけ、変な現代の世相がオーバーラップするのは、私のみではあるまい。足助は民族を育む山村像をかたくなにまもる、人々の手足のうごきが確かな、都市近郊山村でありたい。 
(足助観光協会会長)
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