ベトナムに足助屋敷をつくる
(平成20年3月7日号掲載)
 ウィーンの国連本部工業開発機構の鈴木直人上席財務官の肝入りで、ベトナム・ハノイ近郊60kmのビンビンを中心とする地域の手仕事の追跡調査に携わった。1995年のことだった。手仕事の消えゆくのはベトナムとて例外でないという危機感から、ODA援助で三州足助屋敷Tベトナム版Uをつくろうというのであった。
 10日ほど幾多の村々を訪ねた。稲作農家の平均作付面積は日本と同じ30アール、村は副業として曽つての足助の炭焼きや養蚕のように、竹・籐・織・うるし・人形などを手がけていた。台湾の商社を通じて日本の手仕事、みやげものづくりをして日本に輸出しているのを知った。
 子供の教科書代の現金があれば暮らせた自給の村であった。庭先きには数頭の豚に幾羽かの地鶏が放し飼いしてあった。素足の少年が水田で牛を引き、稲を食べないように畦草を与える姿が見られた。農機は中国製の耕耘機があれば上農で、稲作具は日本の戦後と大差なかった。
 調査の最終はバッチヤンの焼きものだった。陶土の運搬は一輪車、天びんかつぎだった。帰国後は団長として報告書を作
成。これを受けてベトナム文化省高官の足助入りも数回あったが、仕事は頓挫中らしい。
 かの国連の直人君、その後アフリカ滞在で悪性の血液病に冒(おか)され退職し、このごろは千葉大の客員教授である。数回学生ゼミで足助入りし、交友は続いている。07年11月には、ゼミの報告(足助屋敷の動態博物館27年の軌跡から回春の提言)も戴いた。直人君らの活動は今後どう展開していくのか、興味しんしんである。 
(足助観光協会会長)
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