| 柚子加工で年商30億円の村 | |||||||||||
| (平成20年6月6日号掲載) | |||||||||||
| 二〇代に読んだ獅子文六の「てんやわんや」の四国山地をとんでみたかった。故あって大阪花博で知り合った阿波町の「わがまちを美しく」のバーベラ、テネラーを見たのを皮切りに、徳島近郊の一万体ヒナ段飾りの勝浦町に、足助の「AT21」の佐久間会長と2tトラックいっぱいのカエデ苗を運んだ。 よみうりの「オーライ日本」表彰で殿浦氏と知己になった縁が基で、中馬のおひなさんの糧にと、帰り荷に御殿ビナを持ち帰った。今春開演の人形浄瑠璃もその交流の成果である。百年草で口火をきった手弁当全国まちづくり交流会も三年前この町で開催した。 折角の機だからごっくん馬路村(うまじむら)の観光カリスマ東谷氏に声をかけ、初対面となった。色黒な精悍な目鼻立ちの血気さかんな五〇男、話しもそこそこのトンボ帰りだったが、再会を約した。 翌朝大型スーパー林道入り口の“葉っぱで村おこし”の上勝に行った。興味は産直住宅と、ゴミ分別収集の草分けの生ゴミの堆肥化。有機の村であった。 一発返事で昨年交流会ゼミを開いてくれた柚子(ゆず)の里・馬路村の強烈な印象は並でなかった。人口千人余、合併もせず柚子加工で年商三十億、なにより驚いたのは、谷間にドカッと居すわる木造大建築群の一角の、30万DM客を処理するOLオペレーター20人の部屋だった。四国・高知の山地の馬路は、活力に満ち、朝日の昇る勢いだった。どう売るか、どうつくるかの持続的戦略は烈(はげ)しい争いの中で、大へんなことだ。今年十一月は、一巡しての足助ゼミの開催、浮ついておれない昨今である。(足助観光協会会長) |
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