都市近郊の半農体系を夢みる
(平成20年9月5日号掲載)
 母ミチはこの五月、百二歳で老衰のため他界した。医者行きは骨折の時のみ、家族の食事をつくるのが生涯の仕事だった。日本文学全集に親しんだり、余暇で本四国などに霊場めぐりもした。
 野菜づくりは昨春の馬鈴薯が最後だった。以降はよぼよぼと小生が引き継ぎ、有機の新旬キッチンガーデン二年にして、少々は孫どもにもぎとり体験をさせる場になった。
 さらに嬉しいのは、お隣りの「日面」の野菜づくり名人から朝採りのものが届くことだ。土にあずけただけと言われるが、絶品ものだ。長寿はその人が食べた野菜に比例する、と山梨の大菩薩峠の村で聞いたが、母の長寿はまさしくDNAだけでなく、小食菜食からだった。
 地域づくり調査で知った例だが、村では50戸中24戸が稲作をしていなかった。野菜づくりもおして知るべしだ。里山の風土と無関係な生き方が進行する総雇われ月給取りの村だった。
 その“シニア半農”で実感したのだが、米・野菜づくりともに多大な労力を要し、JA支払いの原材料費よりスーパーで米・野菜を買う方が安い。腰痛やブヨの洗礼もない。
 有吉佐和子の複合汚染、CO2削減、愛知COP10…。建前はそうだが、実践はいよいよ遠い。このごろ食の安全、地産地消(身土不二)が言われるが、工業化や大型資本農業の横行で脱落した「三反農家」の再興ならんや!
 他産業就労を肯定しつつ、自分の食べものは自分でつくる半農体系のマニュアルを確立できないか。母の明治〜平成のDNAで、新しくも古い都市近郊山村を夢みている。栗のおちる候である。(足助観光協会会長)
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